SSブログ

コロナ禍の中でのコンサート参加自粛の自己基準 [コンサート準備]

 岡山県に、8月27日〜9月12日まで3度目の緊急事態宣言が発出された。期間中のコンサートのチケットを、既に2回分購入している。直近では8月29日にNHK交響楽団中国地方ツアーの一環である岡山公演がある。一方で、 私の職場ルールとして、イベント等への参加自粛が言い渡されているが、岡山シンフォニーホールは緊急事態宣言中は臨時休館しつつも、この公演は実施するということで、当然、岡山市の承認も得ての開催だろう。自治体も承認するイベントなのだから、自粛対象のイベントではないという(少々詭弁ではあるが)考え方も可能。


 仮に隣席に無症状感染者が座ったとしても、マスク・消毒や声を出さない等の対策を講じていれば感染の可能性はかなり低いだろうが、現在言われているデルタ株への感染対策は3蜜では足らず、1蜜も避けるようにとの話もある。チケットは2000席満席完売しており、少なくとも「密集」状態になることは間違いなく、リスクは「ゼロ」ではない。

 有り難いことに主催者のNHKは、チケット払い戻し条件の中に「緊急事態宣言の発出に伴い、鑑賞を見合わせられる方」を加えており、チケット購入者の判断で自粛するかどうかを自己決定する環境は整えてくれている。

 もしここで感染した場合、未就学の子供も含む家族への感染。それに伴う社会的・経済的損失は甚大だ。地方都市ではまだまだ感染者に対する風当たりは厳しい。


 などなど、色々と考えを巡らして、闇雲に恐れるだけでは、気疲れして精神衛生上も悪く悩む時間も勿体ない(笑)コンサートを自粛しても「行きたかったなあ」との思いが残るし、コンサートに行っても心から楽しめないだろう。


 こういう場合は自分の決断を助ける基準を決めてしまうのが、もっとも楽な方法だ。

 私は、岡山県の感染者数の人口比の%を算出し、その%から岡山シンフォニーホールへの来場者の中に、感染者が何人紛れ込む可能性があるかを算出。その値が1.0以上になったら自粛する、という基準を設定した。


 例えば、岡山県の1週間平均の陽性者数が200人の場合、そのうち無症状の陽性者が2割と言われている。また厚生労働省のガイドラインによると、発症3日前あたりからウイルスの放出が始まり、発症後は7日〜10日間ウイルスを放出するそうだ。
 参考:https://corona.go.jp/proposal/pdf/chishiki_20210813.pdf
 これらの事例から無症状でコンサートに来てしまう可能性のある人数を次のように算出した。

200人✕0.2(無症状感染者割合)✕10(日数)=400人
200人✕3日(発症前でウイルス放出状態)=600人

(400+600)/1,900,000(岡山県の人口)=0.052%

2000人✕0.052%=1.04(人)

 ということは、岡山市での1週間平均の新規陽性者数が200人の場合は、無症状でコンサートに来てしまう人は2000席満席の場合では1.04人というリスクになる。


 もちろん、陽性者数の数は、2週間前の感染の状況を反映しているため、コンサート開催時点の感染者数を予測するためには、感染者の増加率も同時に見る必要がある。


 市中にはもっと多くの無症状感染者が居るだろう、という説もあるし、クラシックのコンサートに来る年齢層を考えると、無症状感染者が紛れ込む確率は低くなるという可能性もある。喉の痛みや倦怠感などの疑わしい症状があっても来場する人はするだろう。今回のようなN響の場合だと岡山よりも感染者数の多い地域からの遠征組もいる。などなど変数が多すぎるため、現状において量的データで把握できているもので判断をするしかない。そもそも、この基準は自分の気持が楽になり、考えるムダな時間を無くすためのもの。



 ちなみに、8月29日のN響コンサート(2000席完売)について、8月27日(金)時点の感染者数データから予測する、岡山シンフォニーホールに来場の可能性がある感染者数は


226人(直近1週間の平均新規感染者数)✕0.2(無症状感染者割合)✕10(日数)=452人
226人✕3日(発症前でウイルス放出状態の人数)=678人

(452+678)/1,900,000(岡山県の人口)=0.059%

2000人✕0.059%=1.18(人)


直近1週間の感染者増加率:1.15倍


 という訳で、来場者に無症状感染者が紛れ込むリスクは1.0人を超え、感染者増加率も1.15倍で現時点での感染者数はさらに増加していると見込まれるため、自粛したほうが良い、という判断になった。


 当面は、この基準で判断していこうと思う。

nice!(1)  コメント(2) 
共通テーマ:音楽

珠玉の東京富士美術館コレクション 岡山県立美術館 [展覧会・ミュージアム]

〜ヨーロッパ絵画400年の旅〜 珠玉の東京富士美術館コレクション

岡山県立美術館


DSC_1504.JPG


 この特別展、前売券は買っていたもの会期末あたりに行く予定にしていたが、岡山でもデルタ株を中心とした新型コロナウイルスの急速な感染再拡大期に入り、県立美術館もいつ休館になるか分からいため、慌てて足を運んだ。


岡山県立美術館HPから================================

東京都八王子市にある東京富士美術館は、日本・東洋・西洋の各国・各時代の様々なジャンルの美術作品約3万点を収蔵しています。
なかでも16世紀のイタリア・ルネサンス絵画から20世紀絵画まで、400年にわたるヨーロッパ絵画の歴史を見渡すことのできる充実した油彩画コレクションは、日本のみならず海外でも広く知られています。

本展では、同館の誇る珠玉の西洋絵画コレクションのなかから、ティントレット、ヴァン・ダイク、ブーシェ、ターナー、モネ、ルノワール、セザンヌ、モディリアーニといった西洋絵画史に燦然とその名を刻む巨匠たちの作品83点を紹介します。
ぜひご来場いただき、歴史と伝統がおりなすヨーロッパ絵画の豊饒な美の世界をご堪能ください。

==========================================

 東京富士美術館は創価学会系の公益法人が経営しており、創価大学も立地する八王子にある。東京に行ったついでに足を運ぶにはちょっと遠いため、岡山に引っ越し展示してくれるのは非常に有り難い。

 美術館のホームページを見ると、西洋画コレクションの主要作品の大部分が来てくれていたようで、たいへん見応えがあった。展示は以下の構成。


□第1部−絵画の「ジャンル」と「ランク付け」

 1−1.歴史画ー神話、物語、歴史を描く 〜絵画の最高位〜

 1−2.肖像画ー王侯貴族から市民階級へ 〜あるべき姿/あるがままの姿〜

 1−3.風俗画ー市井の生活へのまなざし

 1−4.風景画ー「背景」から純粋な風景へ〜自然と都市〜

 1−5.静物画ー動かぬ生命、死せる自然

□第2部−激動の近現代ー「決まり事」の無い世界

 2−1.「物語」の変質ー1.物語/現実

             2.幻想の世界へ

 2−2.造形の革新ー2.フォルムと空間


 第1部と第2部は完全に時代で別れているわけではなくて、第1部では5つのジャンルについて、それぞれ19世紀後半あたりまで追える構成になっている。第2部はほぼフランス革命以後の時代の革新性のある作品でまとめられ、近代自我が発露した作品は心撃たれるものが多く。鑑賞者もこのあたりの作品は混雑していた。


 まず、目玉作品について。

ジャック=ルイ・ダヴィッドの工房/「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」(1805年)

DSC_1505.JPG

 ジャック=ルイ・ダヴィッドはブルボン王室の仕事をしていたが、フランス革命後は政治に深く関与し、ロベスピエール、ナポレオンなどの時の権力者と深い関係にあったようだ。工房には100人を超える弟子を抱え、この有名な絵もベルサイユ宮殿など同じものが5点以上現存しているが、東京富士美術館にあるのは工房が作ったいわばサイズの小さいレプリカ。ナポレオンの英雄像を伝え、政治的効果を狙って量産されたもの。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」とほぼ同時期の作品ということになる。教科書でよく見る絵を観られた感動はあるが、それ以上の感慨は沸かなかったのは、作家の魂が作品から感じられなかったからだろうか。

  

 モネ/「睡蓮」(1908年)

tokyofuji_001.jpg

 これは観られてよかった。1908年の作品で、大原美術館の睡蓮の2年後、地中美術館の睡蓮の7〜8年前。僕はこの時期の睡蓮が一番好き。



  tokyofuji_003.jpgtokyofuji_004.jpg.jpg



 ルノワール/「赤い服の女」(1892年)

 服の柔らかい質感、それを纏った女性の生命力のリアリティは、その息遣いや鼓動が聞こえそうな錯覚に陥る。とても強い印象を残した。


 気に入った作品の絵葉書を収集。

fuji_ehagaki.jpg


カナレット/「ローマ、ナヴォーナ広場」(1750/51年頃)→写真左上

 いやあ、これには驚いた。ローマにかつてあったナヴォーナ広場での集会の様子を描いているのだが、驚くほど精密でこれは写真よりもリアルだ。絵の前で10分近く立ちすくんでしまった。同じくカナレットの「ベネツィア、サン・マルコ広場」のクリアファイルも買ってしまった。



ミレー/「鵞鳥番の少女」(1866/67年)→写真左中

 鵞鳥のふわっとした羽毛、水面をターンしながら泳ぐさま、まるで鳴き声まで聞こえてきそうだ。少女も質素ながら「落ち穂拾い」のような貧しさ・厳しさは感じない。



ピサロ/「秋、朝、曇り、エラにー」(1900年)→写真左下

 やっぱりピサロはいい!例によってエラニーの風景を点描で描いた作品。以前見た作品(クラーク・コレクションの「エラニー・サン=シャルル」、ポーラ美術館の「エヌリー街道の眺め」)に比べると、緑の色彩が淡い感じで、秋の空気が感じられる。東京富士美術館にはピサロ作品があと2点あって、1点は今回の作品と対になる「春、朝、曇り、エラニー」。うーん、やっぱり八王子まで行くべきか・・・。



ポール・セザンヌ/「オーヴェルの曲がり道」(1873年頃)→写真左上

 セザンヌがピサロと一緒にポントワーズで画架を並べて制作していた時期の作品。ピサロとは作風が全く違うが、セザンヌが外の風景に関心を持つようになったのはピサロの影響があったという。空の色彩や木々の妖しい生命力、右に曲がる道の先が見えない不安感。見る人の心に不安のさざ波を立てるような作品だが、なぜか惹かれる。



シダネル/「森の小憩、ジェルブロワ」(1925年)→写真右下

 緑の美しさもさることながら、人が全く描かれていないのに、ピクニックの様子が見えるようだ。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

国内オーケストラ業界の研究:番外編 「クラシックコンサート市場が成長しているこれだけの証拠」 [オーケストラ研究]

 タイトルが、あやしいネット記事みたいになっているが(笑)今回は、このコロナ禍の中で、多大な影響を受けている業界の一つ、クラシックのコンサートの動員力について、コロナ以前の数字にはなるが明るい話題を提供できればと思ってエントリーした。

 実は、この記事ははじめからその意図を持って書き始めたわけではなく、2023年開館予定の岡山芸術創造劇場についてのシリーズ記事の情報収集の一環で、舞台芸術や音楽コンサートをはじめ、スポーツ興業や映画に至るまで、日本人の中でどの程度の割合の人が趣味として楽しんでいるかを調べているうちに、私自身も驚くほどクラシック・コンサートが動員力のあるイベントであることが解ったことがきっかけ。


 以前の記事でも、クラシック・コンサートの中のオーケストラ・コンサート市場が成長していることを裏付けるデータを紹介した。


以前の連載記事:

国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究 目次


急成長するオーケストラコンサート市場について言及した記事



 では早速、今回調べたデータの中から、まずは文化庁の文化芸術関連データ集から「実演芸術(分野毎の公演回数)」を見てみよう。

jituengeijyutu jikeiretu.png

 まず、 オペラ公演については2006年までは急成長を遂げていたが、ここ10年はやや減少傾向に入っているようだ。演劇は公演数・団体数ともに衰退傾向にあることがわかる。最盛期の2004年と直近の2015年のデータを比較すると、36%もの落ち込みで、10年余りで2/3になっていたのだ。これを見ると岡山芸術創造劇場の主要コンテンツとして想定される演劇については、将来性のある分野とは思えない現実が浮かび上がる。

 一方で、オーケストラ公演数を見てみると、 こちらは2014年と比較すると46%増、1999年と比較すると59%もの伸びを見せている。
 2003年のシェレンベルガー就任以降の岡山フィルの集客の伸びは、もちろん岡山フィルという楽団の頑張りよるものが大きいのだが、業界全体を俯瞰した場合でも、国内全体のオーケストラ公演の集客の急速な伸長という追い風にも乗っていたことが解る。

 上記のデータは団体数や公演数のデータしか解らないので、具体的な観客動員を時系列で追えるものを探していると、「社会生活基本調査」という調査に行き当たった。

 社会生活基本調査は、国民の生活時間の配分や余暇時間における主な活動の状況など、国民の社会生活の実態を明らかにするための調査で、趣味やスポーツについて抽出調査した項目もある。
 以下に挙げる表の数字はすべて%で、国民全体の中で当該項目を趣味と考えている人で、かつ年に1日以上の活動回数を回答した人の割合を表している。

 そしてなんと、社会生活基本調査には「音楽会などによるクラシック音楽鑑賞」という項目があるのだ。これには少々驚いた。

jikeiretu5 classic kansyo.png
 この数字をみて、皆さんどうお感じになるだろうか?私は驚くのは「クラシック公演を趣味としている」割合の多さだ。調査票を見ると、年に1回以上足を運んでいれば項目に含まれるそうなので、年に数十回足を運ぶコンサートゴーアーから、年に1度しかいかないライトな層までを含んでの話にはなるが、10歳以上の国民の10.1%、約1100万人程度の人がクラシック公演を楽しんでいることになる。


 私は上記でも紹介した「国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その2:オーケストラは国民的娯楽!?)」の記事の中で、「連盟加盟オーケストラだけで423万人の動員がある。非加盟団体や海外オーケストラ、ピアノ独奏や室内楽、声楽やオペラ公演まで含めると、クラシック音楽の鑑賞人口は1000万人を突破するかも知れない」と書いたのだが、この社会生活基本調査のデータは、その予測を裏付けてくれる数字になった。


 さらに、オーケストラ公演でも見られたように、トレンドとして集客も伸びていることも見て取れる。年代別で見ると、この30年間で40〜50代で倍増、60代以上では5〜8倍増という驚異的な伸びを見せている。
 よく「クラシックのコンサートに行くと高齢者ばかりで、これでは将来が危うい」という業界の嘆きが聞こえるが、データを見ると、それは単なる印象論に過ぎないことが解る。若年層のすべての年代で堅調に伸びを見せていたのだ。これは驚くべきことで、下に紹介するスポーツ観戦やポピュラー音楽のライブ・コンサートでは若年層が軒並み減少傾向にある、そんな中でこのクラシック・コンサートの数字はかなり健闘している。


 世の音楽家の皆さんに言いたい、今はコロナ禍で大変な苦境に喘いでおられるかも知れないが、皆さんの活躍によって、この市場はこれほどの成長を見せているのだということ。コロナが収束し世の中の雰囲気が変われば、再びこの業界は活況を呈すると信じています。


 クラシックコンサート以外の趣味・娯楽のデータもある。まず、スポーツ観戦を見てみよう。

jikeiretu1 sports_kansen.png
 意外なことに、スポーツ観戦の割合は高年齢層では増加傾向にあるが、10代後半から20代は明確に減少傾向にある。


 では次にポップスなどのライブ・コンサート

jikeiretu6 popular live.png

 これも意外なことに、10代後半〜20代前半はかなりの落ち込みを見せている。しかし全体としては高年齢層の爆発的増加が全体を押し上げている。クラシックコンサートは10.1%だったから、ポップス等のコンサートとは3.6ポイントぐらいしか違わないというのも驚きだ。ボリュームで言えばクラシック・コンサートの市場はポピュラー音楽のコンサート・ライブの市場の3/4ぐらいの規模にまで成長しているのだ。

 では、今の若者の支持を集めている趣味・娯楽はなにか?

 まず、映画館は一貫して好調だ
jikeiretu3 eigakan kansyo.png
 若者の支持も集めているし、高年齢層も爆発的な伸びを見せている。

 次に、映画館以外での映画鑑賞、古くはレンタルビデオ、現在はネット配信ということになろうか。若者から高年齢層まで、絶対的な支持を集めている。

jikeiretu4 jitaku eigakansyo.png
 そして、予想された方も多かったのでは?「テレビゲーム・パソコン・ゲーム」は、全世代に渡って国民的娯楽として確固たる地位を築いている。
jikeiretu8 TV games.png

 意外でもあり「なるほど」という納得感もあるのが「写真撮影」。デジカメが一般化し始めたのは2000年頃だと思うが、デジカメの登場によって、気軽に誰もがカメラマンになる時代になった。SNSの普及により、2021年の調査ではもっと伸びているだろう。
jikeiretu7 photo.png


 若者の動きを見ると、スポーツ観戦やポピュラー音楽のライブなど、実演・実技の生体験は軒並み数字を下げている。その一方で、日時や場所の制約のハードルが低い映画鑑賞や、自宅で楽しめるゲームや動画配信などが急速に伸びている。そんな中でも若者聴衆が増加傾向にあるクラシックコンサートはかなり頑張っている方だと思う。


 社会生活基本調査の中の演劇・舞台芸術については、また「2023年開館!岡山芸術創造劇場について」シリーズにおいて見ていきたいと思う。


 こうした実際の数字を見ればクラシック・コンサートの市場が成長軌道にあり、インドア化する若者の行動傾向のなかでも、クラシックのコンサートは若い世代も伸びを見せているのに、「聴衆の高齢化」などを理由に将来を悲観する向きがなぜあれほど多いのだろうか。


 私も色々考えてみたが、理由としてはこんなところかな?


①過当競争説

 市場全体としては伸びているが、オーケストラの数も音楽家の人数も増加していて過当競争に陥っているため、個々の団体や音楽家からみると市場の成長が感じられていない。


②自転車操業説
 オーケストラ公演などが該当するが、元々王侯貴族やブルジョワ階層がパトロンとなって発展してきた業界・業態だけに、常に資金難の問題を抱えて自転車操業の状態にあるため、市場全体の成長を構造的に実感しにくい。


③聴衆の選民思想

 クラシック音楽ファンの間に見られる傾向だが、自分が趣味としているクラシックのコンサートは、自分のような少数派にしか理解されないと思っている=いわば選民思想があり、そうした思想を裏付けるためにはクラシックのコンサート市場が拡大している=大衆化の事実は認めたくない。余談になるが、そうした選民思想に陥っているマニアほど、クラシックの枠を超えて国民的人気となった音楽家を叩いたりするのではないか?


④戦略的「危機感」演出説

 上記②の変形型(?)で、もしこれが当たっていたらすごいと思うのだが、「クラシック音楽の未来が危ない」「高齢化が著しく、もっと若者に来てほしい」と危機感を煽ることで、様々な分野からの支援が得られやすく、特に構造的に採算性が得られにくいオーケストラは資金集めがしやすくなる。


⑤単に数字を見ていない説

 でも、実はこの説が一番真実に近いと思っているのだが、こういう客観的数字を見ることが出来ておらず、先入観や感覚で判断しているので、悲観的シナリオが定着してしまった。

 例えば聴衆が集まらなければ、そのプログラムや戦略が間違っているのか、①で挙げた過当競争に陥っているのか、などの分析的な判断が必要になってくるだろう。


 こういったところかな。私自身も、スポーツ観戦やポップスのライブ・コンサートが若い世代の支持を失っている中で、若い世代も堅調な伸びを見せていることに驚き、いかに先入観を持っていたかが解った。


 ではなぜ、クラシック・コンサート市場が成長しているのか?これはデータに基づかない私の仮説なのだが、まず1つ目は国内のオーケストラや音楽家の演奏レベルが急速に上がっているのだと思う。いい演奏に接すれば、また次回も行きたくなる、この好循環が業界を成長させているのではないだろうか。


 もう一つは数年おきにやって来たクラシック音楽のブームによって、クラシック音楽に接触した人が、この市場に取り込まれてきたという仮説。古くはブーニン、朝比奈隆、モーツァルト生誕300年、のだめ、辻井伸行、ピアノの森、蜜蜂と遠雷などなど、大小様々なブームでクラシック音楽に接触した人が少しづつこの市場の支え手になっている、という説だ。


 結論としては、クラシック音楽の未来は決して暗くはない! ということである。

nice!(4)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽

岡山フィル 真夏の夜のベートーヴェン 石﨑真弥奈 指揮 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団

シンフォニーは友達!2021 真夏の夜のベートーヴェン


2021-08-12 oka_phil.png


プレ・レクチャー
ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調「田園」


指揮:石﨑真弥奈
コンサートマスター:高畑壮平
2021年8月12日 岡山シンフォニーホール


・昼間に実施している子供向けの「シンフォニーは友達」という夏の恒例プログラム、せっかくオーケストラが集まっているのだから、ということなのかは不明だが、恐らく初めての試みとしてプレ・レクチャー付きのソワレ1時間公演が開催された。


・客足は、うーーーん。600人ぐらいかな。演奏時間が短いとは言えチケット代が2000円でシンフォニーを1曲がっつり聴けるのは、けっこういいプログラムだと思うんやけどね。


・編成は8型2管。1stVn8→2ndVn6→Vc4→Va4→Cb3。プログラムにメンバー表が無かったので(弦の方々はマスクしていて顔がわからん・・・)自分が見た限りの情報になるが、東京組の首席奏者は今回は乗っていなかったので、通常に比べると「飛車角落ち」までは行かなくても「飛車落ち」な感じは否めないが、にも関わらず、とてもいいアンサンブルを聴かせてくれた。


・クラリネット首席に座った松本さん、こんなに凄い人だったんですね。上手いだけじゃなくてこの大きなホールを鳴らし切る音の強さもある。首席の西崎さんの陰に隠れていたが、今回の再発見。ホルン客演首席は元東フィルの森博文さん(作陽大学音楽学部の教授をされているんですね)は流石の演奏だった。


・石﨑さんによるプレ・レクチャーはディスプレーも使いつつ、モチーフの紹介に生オケの演奏を使うという贅沢なものだった。けっこうがっつりした内容で(ほぼ音楽教室だ)、僕はたいへん面白かったが、「田園」を全部聴いたことがない人は理解できたのだろうか?もう一人(高畑コンマスとか)が絡んでトークセッション形式にすると、なお面白かったかも知れない。


・石﨑さんの指揮は初めて拝見したが、タクトを使わず、動きが靱やかで雄弁でスケールが大きく、自然な流れに中でオーケストラの音を引き出していた。これはオーケストラも演奏しやすかろう。第2楽章はプレ・レクチャーでも力点が置かれていたが、ここの各フレーズに意味を持たせて大きな自然の風景を描ききるさまは見事だった。演奏によっては居眠りポイントになるこの楽章がまったく眠くならなかった。


・一方で、(今回の企画の趣旨もあるのかも知れないが)、いい意味でも悪い意味でも「予測不可能性」といったものがなく、「この人、油断しとったら何をしてくるかわからんぞ!」という部分が欲しい気もした。山田和樹や川瀬賢太郎あたりが若手の頃は、そういうギラギラしたものが漲っていたのを思うと、もうちょっとはちゃめちゃな部分があってもいいかな。


・第3楽章〜第4楽章は高畑コンマスの「辻音楽家の血」が騒ぎ出したのか、なかなかハッスルされていて、弓がブチブチに切れていた。高畑コンマスのこういう、ノリのいい部分に入ると一気呵成に行くところが好きです。


・今回の編成だと、ホールを鳴らし切るところまでは行かず、できれば倉敷芸文館とかいずみホールのような800人ぐらいのホールで聴きたいところ。岡山芸術創造劇場の中ホールは演劇専用で反響板を付けないそうだが、このサイズのホールは案外、岡山には無いんだよな。


・今回の1時間の「ちょい聴きクラシック」、単独公演だと企画としては弱いかも知れないが、このブログで再三提案している、ラ・フォル・ジュルネ型音楽祭の公演としてはいいテストになったんじゃないだろうか?

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

2023年開館!『岡山芸術創造劇場』について(その4 劇場の概要と計画) [芸術創造劇場]

 2023年夏に開館する岡山芸術創造劇場について考えるシリーズ。第1回では立地の問題を指摘、第2回〜第3回では、この最悪とも思える場所に、なぜ建設されたのか?という謎について、1995年に岡山の財官学の総力を結集して提言された「人と緑の都心1kmスクエア構想」にあることに触れた。
 今回は、劇場のスペックや長期計画について見ていこうと思う。
 第1回でも触れたが、この劇場の最有力候補地はオリエント美術館と県立美術館に挟まれた、岡山カルチャーゾーンの中核エリアとも言える天神町だった。では、この場所はどうなったのか(岡山には知らぬ人はいないとは思うが)。
 この土地の再開発は、「岡山カルチャーゾーンにふさわしい施設」という条件が付されたコンペ方式で決定され、現代アートの美術館を中心とした提案を抑えて、山陽放送の新社屋:イノベーティブメディアセンターに決定し、すでに竣工式を終えている。
 重要なのは、この中に全天候型の能楽堂:Tenjin9が設置されたこと。
 中核都市・後発政令市のなかで、
 ・クラシック音楽に対応した大ホール
 ・オペラやミュージカルなど舞台芸術に対応した大ホール
 ・演劇などに対応した中ホール
 ・小規模な公演に対応した小ホール
 ・全天候型の邦楽堂
 この5点セットすべてが都心部に立地しているのは金沢市(石川県立音楽堂・邦楽堂・文化ホールなど)と岡山市ぐらいではないか?近隣の大都市を見ても、広島市・神戸市ですらすべてを揃えてはいない。
 地図で見ると、Tenjin9(能楽堂:可動250席)→県立美術館ホール(固定212席)→オリエント美術館中央ホール(可動約200席)→岡山シンフォニーホール(固定2000席)、イベントホール(可動約200席)、ルネスホール(可動約300席)→岡山芸術創造劇場大劇場(固定約1750席)→中劇場(固定800席)→小劇場(可動300席)
 これらがベルト状に並んでいる。これは400年の伝統がある岡山城の城下町とエリアと完全に重なるのだ。
geijyutusouzougekijyou chizu.png
 芸術創造劇場単体で見れば「なんであんなところに建てたのか?」という疑問が生じるが、江戸時代以来の岡山城下町という時間のレイヤーを紐解いていくと、この場所に立地した意義はあるように思う。
 ここで、この岡山芸術創造劇場がどんな劇場をめざしているのかについて知るために、岡山市が策定した「基本計画」を見てみよう。
 岡山芸術創造劇場は、岡山市民会館(1963年開館)と岡山市民文化ホール(1976年開館)の設備の老朽化・バリアフリー化・耐震化への対応が難しく、また両施設を統合し、創造支援機能を備えた「創造型劇場」へと発展させるために企画された。

 従来の貸館事業主体の運営から脱却し、
■「魅せる」をテーマにした鑑賞・普及事業
■「集う」をテーマにした交流・情報・施設提供事業
■「つくる」をテーマにした創造・育成・連携継承事業
 この3つのテーマを軸に事業を展開していくことになっている。

3つの分類.png
 
 ハード施設としては、
■大劇場(1750席)
1大劇場.png
■中劇場(800席)
2中劇場.png
■小劇場(300席)
3小劇場.png
 ほかに大練習室、中練習室(7室)、小練習室(3室)、舞台衣装やセットなどを制作するための制作工房(3室)などを備えている。
 また、共有スペースが充実していることも特徴の一つで、情報・展示ギャラリーやオープンロビー、屋外の賑わいスペースなどを備える。
7賑わいスペース2.png
6賑わいスペース1.png
5オープンロビー.png
4情報・展示ギャラリー.png
 大ホールはプロセニアム形式で、岡山シンフォニーホールとの棲み分けを明確にするため、反響板を設置しないとしている。ホールの残響は1.2〜1.4秒でオーケストラ公演はもちろん、オペラ公演を想定してもかなりデッドな音響で、オペラなどの生オーケストラの劇伴付きの公演よりも、肉声主体の演劇公演の方に振れた設計になっている。
 舞台の設計については、三面または四面舞台には対応しておらず、例えば新国立劇場、びわ湖ホール、兵庫PACなどとの共通プロダクションによるオペラには対応出来ないと思われ、『中四国地方の拠点劇場』というのはちょっと誇大広告かなと思う。もっとも舞台機構を大掛かりにすれば保守・管理費用も増大するので、妥当な判断かもしれない。
 岡山市民会館や岡山シンフォニーホールの欠陥であった、機材の搬入利便性はかなり検討されたようで、搬入・荷解スペースを広く取り、大劇場・中劇場舞台裏に付けられる11tトラック2台分の搬入ヤードを整備。ガルウィング車両にハイキューブ型のトレーラーにも対応している。搬入利便性の改善によって、従来、倉敷市民会館に逃げていた公演を確保出来る可能性が広がった。

 岡山芸術創造劇場の将来展望については、『「魅せる」「集う」「つくる」を実現するための事業方針』が出されている。

■開館前計画
・劇場開館後のイメージを伝えるためのプレ事業の展開
・普及・育成事業、情報事業、地域との連携事業は早期に取り組みを開始
・開館に必要な人材確保や育成

■初期計画(R5〜R6年度)
・事業計画の7つに分類した事業を総合的に展開し劇場の礎をつくる
・鑑賞事業や創造事業、交流事業などの充実により文化芸術活動の拠点施設としての内外の認知度を高める
・文化芸術活動に触れる機会の少なかった市民へも関心の裾野を広げていくための普及事業、育成事業の推進

■中期計画
・プレ事業からの蓄積を生かして、開館効果が落ち着いたあとの「魅せる」「集う」「つくる」のコンセプトを実現する各事業のスタート
・地域の文化芸術人材や連携団体・機関の情報を束ね、人的繋がりの結節点にする。

■長期計画
・R9年度に「劇場・音楽堂等機能強化総合支援」施設(※)として採択されることを目標とし、市民が文化芸術へ親しむ機会の増加や人材育成、心の豊かさや想像力の醸成などへの効果を発揮する
・更なるデジタル社会への対応
 気になったのは、長期計画にある「劇場・音楽堂等機能強化総合支援施設」というワードだった。
 調べてみると、この劇場の命運を左右する重大な問題が解ってきた。また、創造型事業の主要コンテンツとなる演劇公演の集客力は、はたして千日前地区や表町の賑わいを取り戻す役割を果たせるのか?についても次々回以降に考えていきたい。
 次回は、山陽道の同規模の都市、岡山とは池田家との縁も深い姫路に新しく開館するホールについて見ていくことで、岡山芸術創造劇場との対比も行っていきたい。
(次回へつづく)

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

矢崎彦太郎 著 「指揮者かたぎ」 春秋社 [読書(音楽本)]

 9月の岡山フィルの「 I am a SOLOIST スペシャル・ガラ・コンサート」で指揮をする矢崎彦太郎さんの著書を読む。  矢崎さんは、岡山ではあまり馴染みがない指揮者かも知れないが、日本では数少ない「フランス音楽指揮者」として、玄人ファンの間で評価が高い実力派だ。

 9月のガラ・コンサートを矢崎さんが振るとの情報に接した時は、その人選にちょっと驚くと同時に「岡山フィルも気合が入っとるなあ・・・」と感じた。


 よく海外で活躍する日本人指揮者を「世界的指揮者」などと形容されるが、この著書を読んでみると、フランス・オーストリア・イギリスなどのヨーロッパを中心に、中近東から東南アジア、北米南米に至るまで、まさにこれこそが「世界的指揮者」と言えるキャリアを重ねられている。

 読んでみてもっとも印象深いのは、その文章の美しさだ。矢崎さんが赴いた土地土地の情景描写は、まるで美術館に展示している風景画に対峙したときのように、読者の空想をかき立てる。

 世界各国でのエピソードは本当に面白く、情景描写の美しさだけでなく、ユーモアにも溢れている。

 あるとき、飛行機の機器トラブルで胴体着陸するという絶体絶命のピンチを迎え、無事着陸に成功するくだりでのスチュワーデスさんとの会話。

「こんなに怖い思いをしたことはなかった」
「それはそうよ、これより怖い思いをした人は、もうこの世にいないもの」



 矢崎さんの御尊父は出版社に勤めていて、吉川英治や大佛次郎とは家族ぐるみの付き合いだったそうで、「彦太郎」の名前も大佛次郎の命名だそうだ。そういう環境が、矢崎さんの文章に骨格を形成しているのかも知れない。
 そうかと思えば、数学の研究経験を生かして、分析的な記述に唸らされる部分もある。
 経歴を見ると、上智大学理工学部数学科に入学後に中退して、なんと東京芸大の指揮科に入学するという、典型的な「何でも出来てしまう天才青年」。
 そういえば、我らが岡山フィル首席指揮者のシェレンベルガーもミュンヘン工科大学の数学科出身でもあった。音楽と数学は、遠いように見えてじつは切っても切り離せない関係にある故かも知れない。

 ガラ・コンサートに登場するソリストとの共通点もある。矢崎さんはウィーン、ローザンヌ、ロンドン、パリなどに居住されていたそうだが、森野美咲さんはウィーン在住、福田廉之助くんはローザンヌ音楽院在学(住んでいるのはローザンヌから少し離れたシオンという街のようだ)ということで、休憩時間にはそれぞれの街の話題に花が咲くのだろう。

 冒頭では「フランス音楽のスペシャリスト」と書いたが、00年代の東京シティ・フィルでの仕事(ドイツ音楽の飯守泰次郎、フランス音楽の矢崎彦太郎、という2毎看板で話題だった)からそういう印象を持っていたが、レパートリーは幅広い。このガラ・コンサートのみどころはソリストのみにあらず。矢崎さんのタクトにも注目だ。

nice!(1)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。