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シェレンベルガー&アナ・シュース デュオ・リサイタル [コンサート感想]

プレミアムコンサート
シェレンベルガー&アナ・シュース デュオ・リサイタル

C.P.E バッハ/ソナタト短調Wq.135(オーボエとハープ版)
J.S. バッハ/無伴奏フルートのためのパルティータ(オーボエ・ソロ版)
シュポーア/幻想曲ハ短調 op.35(ハープ・ソロ)
J.S. バッハ/ソナタハ長調 BWV1033(オーボエとハープ版)
  ~ 休 憩 ~
サン=サーンス/オーボエ・ソナタニ長調 op.166(オーボエとハープ版)
ブリテン/オウィディウスによる6つのメタモルフォーゼop49
フォーレ/即興曲変ニ長調(ハープ・ソロ)
パスクッリ/ベッリーニへのオマージュ(コーラングレとハープ版)


オーボエ・コーラングレ:ハンスイェルク・シェレンベルガー

ハープ:マルギット=アナ・シュース


2024年2月4日 岡山芸術創造劇場ハレノワ中劇場


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・プレミアムコンサートと銘打たれており、出演者・内容は間違いなくプレミアムなのに、チケット代が3000円(会員割で2700円、ちなみに京都は5000円、東京は5500円)という、全然プレミアムじゃないのが有難い。

・客席は1階席はほぼ満席だったものの。私が陣取った2階席は空席が多く、快適な環境だった。入りは650人ぐらい?Jホールやルネスホールだと席が足りひんわな。

・聴いてから1週間たっているのに、まだ余韻が凄い。実はシェレンベルガーさんの年齢(75歳)からはやむを得ない(というより、この年齢でここまでの演奏ができるのは超人以外の何物でもないのだが)呼吸筋の衰えに起因する演奏上の瑕疵はあった、確かにあったのだが、二人の華麗で優美で格調高い音、その演奏の存在感、圧倒的な表現力は比類のないものだった。


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・徹頭徹尾、美しい音色と響きに満たされ、私の脳はとろけてしまいそうだった。シェレンベルガー&アナ・シュースの二人が作り上げていた世界は完ぺきで美しい秩序を作っていた。こういう感覚は、振り返ってみると、ピョートル・アンデルジェフスキさんや、内田光子さんのリサイタルなどで感じて以来だな。聴いている最中も「この世でもっとも美しい音楽を体験している」と確信を持って音楽に身も心も委ねていた。

・一つ一つの作品が、一つの人生のように生命を得て瑞々しく表現されていた。それを象徴するのが、C.P.E バッハのソナタ、J.S.バッハのソナタの終結部分。最後の一音にまで神経が行きとどいていて、長くのばされる一つの音が緊張し、最後にゆっくりと息を引き取るように緩んで集結する。一つの作品が二人の演奏によって生命を得て、人の一生が終わるように集結する。  

前回のお二人のデュオ・リサイタルを聴いたのは2014年の10月。岡山大学の鹿田キャンパスにあるJホールだった。あのガラス張りで外の世界へ開かれたJホールも素敵な空間だが、このハレノワ中ホールは黒基調の内装や客席と部隊との親密な距離感があり、表現者と観客の集中力を引き出すような「場」としての空気を感じた。このホールでの室内楽は2回目で、今回も2階席に座ったのだが、オーボエの音の抜けはよく、反響板の効果でハープもよく響いていた。この劇場での初めてのコンサートでは弦楽器の音が耳にキツイと感じたのだが、アナ・シュースさんのハープは全く問題にしない感じだった。

・そのハープ。これが本当に素晴らしかった。バッハ親子での音の輪郭がくっきりとした音、サン=サーンスやパスクッリでの歌心や自然賛歌。まさに千変万化する音色を堪能。圧巻だったのはソロ演奏。ハープって1台でこんなに迫力のある音が出るのか!と驚くような音圧に圧倒される。しかも、音は大きくなっても柔らかさや気品はいっそう増している。フォーレの即興曲は10年前のコンサートでも聴いた曲だったが、ハレノワ中劇場の空間に響きわたるアナ・シュースさんのグリッサンドは、このホールのポテンシャルを感じさせるに十分なダイナミックな演奏だった。シュポアの幻想曲も、40年クラシックの音源を渉猟してきても、まだまだこんな超名曲があったんだという素晴らしい曲との出会いを最高の演奏で体験できた。

・サン=サーンスのオーボエソナタは、かなり晩年の曲。サン=サーンスはロマン派音楽の正統ラインに乗って権力を振い、ドビュッシーなどからはかなり疎まれていたようだが、この曲をはじめ晩年の作品の無駄な部分を全てそぎ落として純化された音楽を聴くと、ロマン派音楽を極め切ってひとつの到達点に至ったのだと思う。

この曲のロルフ・ケーネン(Pf)とのデュオのCD「フランス・オーボエ名曲集」を買ったのは私が就職1年目で、当時は軽量鉄骨の安いアパートに住当時は壁の薄いアパートに住んでいたからこういった室内楽のCDをよく買っていたのだった。慣れない仕事で疲れた心を癒してくれた1枚。解説には「音色、感性、趣味の良さ、どれをとってもフランス人以上にフランス的」とあり、インタビューでシェレンさんは「牧童が野に坐って笛を吹き、自由に即興を楽しんでいるかのように見える」と答えている。


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(ジャケ写のシェレンベルガーさん、お若くてイケメン!!)

・第2楽章を聴いていると、高い空に浮かぶ白い雲、眼前に拡がる広大な牧場の緑、そこに村人たちがステップを踏んでダンスをする。第3楽章はまさに自由に即興を楽しむ。ピアノ版でも早く感じる伴奏なのに、アナ・シュースさんの手にかかれば、ハープの音が1音一音とてもクリアなのに、シェレンさんとの即興を事も無げに楽しんでいる。会場は沸騰したようなやんやの喝采。

・オーボエ・ソロで演奏されたブリテン/オウィディウスによる6つのメタモルフォーゼは、ローマ時代の詩人オウィディウスの詩「変身物語」を題材にした6曲だが、元ネタはギリシャ神話。シェレンベルガーは1曲づつ物語を説明しながら演奏してくれた(解説は英語)のだが、その言葉が聴きやすくてビックリ。岡山シンフォニーホールならこうはいかない(その代わり音楽を聴くのは最高の音響)。流石は演劇特化型の劇場だけある(笑)

・一曲目は「パン」。古今の様々な作曲家(特にドビュッシー)が曲想に取り入れた、半人半獣のパンとシリンクスとの物語がモチーフ。シェレンさんのオーボエで聴くのは2回目だが、初めの「タララ〜」のモチーフが聴こえた瞬間一気に神話の世界のアルカディアの森に惹き込まれる。最後、シリンクスが葦に姿を変えてドロンする瞬間まで、2人の神々のやりとりが見えるよう。

・2曲目はフェートン。苦難を乗り越えてようやく会えた父ヘリオスに渋々乗ることを認められた太陽の戦車。未熟であったがゆえに操ることが出来ず地上を焼き尽くしたためにゼウスの怒りを買って、最後には撃ち落とされる物語。サン=サーンスの交響詩「ファエトン」など、これも作曲家に愛されたストーリー。変拍子の連続をものともしない超絶技巧を駆使した演奏。余談だがフォルクスワーゲンが「フェートン」という高級車を売っていたが、なぜこんな不吉な結末のフェートンの名前を付けたのだろう?と思っていたらすぐにラインナップから消えていた。

・3曲目はニオベ。シェレンさんの説明ではオブラートに包んでいたが、7人の息子と娘を設けたニオベが、女神レートーに二人しか子供がいないことを揶揄。嫉妬した女神レートーは息子のアポロンと娘アルテミスに銘じてニオベの14人の子供を殺してしまうという残酷なエピソード。音楽はその壮絶なシーンではなく、一人残されたニオベの空虚な悲しみを表しているかのよう。またまた余談だが、西洋の神話・故事にはこういう「親族皆殺しエピソード」が多い。ナチスのホロコーストや、現在進行しているガザ地区のパレスチナ人虐殺などを暗示しているようで怖いものがある。

・4曲目はバッカス。いわずと知れたお酒の神様で、シェレンさんがおどけながら解説すると、会場には笑いが起こった。いやー、これもシェレンベルガーさんの自由自在な表現で印象的な音楽だった。早いパッセージでのキー捌きが圧巻。

・5曲目はナルキッソス。湖の水面に映った自分の姿に恋をして、最後は溺れ死んだ美少年で「ナルシスト」の語源になった。。ナルキッソスに一目ぼれをしたエコーは、あまりにお喋りが過ぎたために、相手が発した言葉を繰り返すことしかできないという罰を与えられていた。それで、ナルキッソスはエコーと文字通りエコーのような会話(?)をするのだが、シェレンベルガーさんの立体感ある表現に驚いた。舞台上にナルキッソスがいて、エコーは少し遠いところに居るようにしか聴こえないのだ。

・6曲目はアレトゥーサ。河の神アルペイオスの求愛から逃れるため、女神アルテミスに助けを求め、河の水とは交わらない泉に変えられてしまった妖精アレトゥーサのお話。古来から西洋絵画のモチーフにも頻繁に取り上げられているお話をオーボエ一本で表現。何かから逃げるような切迫感がありながら、優雅さも失わないオーボエの音。力強い最後の音の伸びが今でも耳に残る。

・最後は2014年のリサイタルでもトリをつとめた(?)このデュオの十八番のパスクッリ/ベッリーニへのオマージュ。「オーボエのパガニーニ」と称されたオーボエの名手が、ベッリーニのオペラ『夢遊病の女』『海賊』のモチーフを散りばめた作品。もうこれは『至芸』という他はない。序奏の大見得を切ったハープのグリッサンドの後、名歌手が登場したように大いに歌うコーラングレ!日本語には「芝居がかっている」というと少し否定的なニュアンスを含むが、イタリア音楽はここまで吹っ切らないと盛り上がらない!

・シェレンさんとアナ・シュースさんの音楽は推進力を得て、どんどん熱を帯びる。途中、ハープ・オーボエ双方にカデンツァがあり、妙技を披露。「あー、いいなあ~」と思っていると、さらなる高みへと誘ってくれる。その盛り上がりは直線的ではなく、寄せては返す波をいくつも超えながら、頂点へと向かっていく。1月の岡フィルでのボレロでも同じような音楽の作り方だった。

・先に紹介したCDの解説の言葉を借りるなら、「音色、歌心、ドラマ、どれをとってもイタリア人以上にイタリア的」であろうか。

アンコールは
・ヴィラ ロボス:ブラック スワン(イングリッシュ ホルンとハープ)
・シューマン:リーダクライスより「月夜」(オーボエとハープ)

・2013年10月13日。ベートーヴェンの「英雄」冒頭の2発の和音。思えばあれがシェレンベルガーさんと岡山の人々との関係が始まる号砲だった。あれから11年、両者の関係は家族のように親密になり、この日のコンサートも濃密で穏やかな空気が流れていた。

・岡山フィルのニュー・イヤーCでのパリにちなんだプログラムに、このリサイタル・・・・「シェレンベルガー祭りが終わった・・・・」というさみしさが付きまとう。スケジュール的に毎年は無理でも、2年後ぐらいには再びシェレンベルガーさんの音楽に触れられることを願っている。

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