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珠玉の東京富士美術館コレクション 岡山県立美術館 [展覧会・ミュージアム]

〜ヨーロッパ絵画400年の旅〜 珠玉の東京富士美術館コレクション

岡山県立美術館


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 この特別展、前売券は買っていたもの会期末あたりに行く予定にしていたが、岡山でもデルタ株を中心とした新型コロナウイルスの急速な感染再拡大期に入り、県立美術館もいつ休館になるか分からいため、慌てて足を運んだ。


岡山県立美術館HPから================================

東京都八王子市にある東京富士美術館は、日本・東洋・西洋の各国・各時代の様々なジャンルの美術作品約3万点を収蔵しています。
なかでも16世紀のイタリア・ルネサンス絵画から20世紀絵画まで、400年にわたるヨーロッパ絵画の歴史を見渡すことのできる充実した油彩画コレクションは、日本のみならず海外でも広く知られています。

本展では、同館の誇る珠玉の西洋絵画コレクションのなかから、ティントレット、ヴァン・ダイク、ブーシェ、ターナー、モネ、ルノワール、セザンヌ、モディリアーニといった西洋絵画史に燦然とその名を刻む巨匠たちの作品83点を紹介します。
ぜひご来場いただき、歴史と伝統がおりなすヨーロッパ絵画の豊饒な美の世界をご堪能ください。

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 東京富士美術館は創価学会系の公益法人が経営しており、創価大学も立地する八王子にある。東京に行ったついでに足を運ぶにはちょっと遠いため、岡山に引っ越し展示してくれるのは非常に有り難い。

 美術館のホームページを見ると、西洋画コレクションの主要作品の大部分が来てくれていたようで、たいへん見応えがあった。展示は以下の構成。


□第1部−絵画の「ジャンル」と「ランク付け」

 1−1.歴史画ー神話、物語、歴史を描く 〜絵画の最高位〜

 1−2.肖像画ー王侯貴族から市民階級へ 〜あるべき姿/あるがままの姿〜

 1−3.風俗画ー市井の生活へのまなざし

 1−4.風景画ー「背景」から純粋な風景へ〜自然と都市〜

 1−5.静物画ー動かぬ生命、死せる自然

□第2部−激動の近現代ー「決まり事」の無い世界

 2−1.「物語」の変質ー1.物語/現実

             2.幻想の世界へ

 2−2.造形の革新ー2.フォルムと空間


 第1部と第2部は完全に時代で別れているわけではなくて、第1部では5つのジャンルについて、それぞれ19世紀後半あたりまで追える構成になっている。第2部はほぼフランス革命以後の時代の革新性のある作品でまとめられ、近代自我が発露した作品は心撃たれるものが多く。鑑賞者もこのあたりの作品は混雑していた。


 まず、目玉作品について。

ジャック=ルイ・ダヴィッドの工房/「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」(1805年)

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 ジャック=ルイ・ダヴィッドはブルボン王室の仕事をしていたが、フランス革命後は政治に深く関与し、ロベスピエール、ナポレオンなどの時の権力者と深い関係にあったようだ。工房には100人を超える弟子を抱え、この有名な絵もベルサイユ宮殿など同じものが5点以上現存しているが、東京富士美術館にあるのは工房が作ったいわばサイズの小さいレプリカ。ナポレオンの英雄像を伝え、政治的効果を狙って量産されたもの。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」とほぼ同時期の作品ということになる。教科書でよく見る絵を観られた感動はあるが、それ以上の感慨は沸かなかったのは、作家の魂が作品から感じられなかったからだろうか。

  

 モネ/「睡蓮」(1908年)

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 これは観られてよかった。1908年の作品で、大原美術館の睡蓮の2年後、地中美術館の睡蓮の7〜8年前。僕はこの時期の睡蓮が一番好き。



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 ルノワール/「赤い服の女」(1892年)

 服の柔らかい質感、それを纏った女性の生命力のリアリティは、その息遣いや鼓動が聞こえそうな錯覚に陥る。とても強い印象を残した。


 気に入った作品の絵葉書を収集。

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カナレット/「ローマ、ナヴォーナ広場」(1750/51年頃)→写真左上

 いやあ、これには驚いた。ローマにかつてあったナヴォーナ広場での集会の様子を描いているのだが、驚くほど精密でこれは写真よりもリアルだ。絵の前で10分近く立ちすくんでしまった。同じくカナレットの「ベネツィア、サン・マルコ広場」のクリアファイルも買ってしまった。



ミレー/「鵞鳥番の少女」(1866/67年)→写真左中

 鵞鳥のふわっとした羽毛、水面をターンしながら泳ぐさま、まるで鳴き声まで聞こえてきそうだ。少女も質素ながら「落ち穂拾い」のような貧しさ・厳しさは感じない。



ピサロ/「秋、朝、曇り、エラにー」(1900年)→写真左下

 やっぱりピサロはいい!例によってエラニーの風景を点描で描いた作品。以前見た作品(クラーク・コレクションの「エラニー・サン=シャルル」、ポーラ美術館の「エヌリー街道の眺め」)に比べると、緑の色彩が淡い感じで、秋の空気が感じられる。東京富士美術館にはピサロ作品があと2点あって、1点は今回の作品と対になる「春、朝、曇り、エラニー」。うーん、やっぱり八王子まで行くべきか・・・。



ポール・セザンヌ/「オーヴェルの曲がり道」(1873年頃)→写真左上

 セザンヌがピサロと一緒にポントワーズで画架を並べて制作していた時期の作品。ピサロとは作風が全く違うが、セザンヌが外の風景に関心を持つようになったのはピサロの影響があったという。空の色彩や木々の妖しい生命力、右に曲がる道の先が見えない不安感。見る人の心に不安のさざ波を立てるような作品だが、なぜか惹かれる。



シダネル/「森の小憩、ジェルブロワ」(1925年)→写真右下

 緑の美しさもさることながら、人が全く描かれていないのに、ピクニックの様子が見えるようだ。

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雪舟と玉堂 ーふたりの里帰りー 岡山県立美術館 [展覧会・ミュージアム]

雪舟と玉堂 ーふたりの里帰りー
岡山県立美術館
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岡山県立美術館HPから================================

岡山生まれの水墨画家といえば?

雪舟と玉堂です。

 室町時代の備中赤浜(現在の岡山県総社市)出身で、明時代の中国留学も果たした禅僧・雪舟等楊(1420〜1506?)。江戸時代の岡山城下天神山(現在の岡山市北区)に生まれ、琴を奏でた文人・浦上玉堂(1745〜1820)。雪舟は10代頃、玉堂は50歳で岡山を旅立ってから、多くの出会いを経験しながら日本各地で活躍しました。それぞれにユニークな人生の魅力もさることながら、時代に先駆けた彼らの作品群は、今なお私たちに新鮮な感動をもたらします。
 本展は雪舟生誕600年と玉堂没後200年を記念して、日本美術史上で燦然と輝く巨匠ふたりに揃って「里帰り」してもらうという、これまでにない企画です。さらにこのたびは門外不出の名宝である雪舟《四季山水図巻》(国宝・毛利博物館)を特別に迎え、国宝7点を含む160点を展観します。これら名品の数々によって、彼らの創意工夫や強烈な個性、そして意外な共通点が明らかになるとともに、水墨画の真髄に触れていただけることでしょう。

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 この展覧会の目玉はなんと言っても「山水長巻」だ。3年前の京博で開催された「国宝展」でも出展されていたが、この山水長巻はⅠ期・Ⅱ期の出展(しかもⅠ期は春夏。Ⅱ期は秋冬に分けて展示された)で、私が行ったのはⅣ期。「まあ、毛利美術館だったらいつでも行けるだろう」と思っていたが、この国宝が毛利美術館で展示されるのは年に2ヶ月足らず、これに時期を合わせて行く必要があり、なかなか見ることは出来ない。
 こうして岡山で、しかも四季揃って16メートルからなる展示が見られるのは、本当に本当に貴重な機会だった。
 玉堂については、水墨画絵師としての技術力は京博120周年の国宝展でみた海北有松や狩野探幽には及ばない印象を持っていて、今回、雪舟と並んで見せられると、玉堂よりも300年以上前の雪舟のすごさの方が際立ってしまう。
 ただ、雪舟は中国の南宋水墨画の構図や技法の影響がやはり強いのに対し、玉堂の水墨画はほとんど独自の発展を遂げていて、一つの到達点だと感じた。素朴でかわいらしさすら感じる味わいは、日本人なら誰でも親近感が湧くのではないか。
 雪舟と玉堂が対照的だと感じたのは、雪舟は余白を使いながら書いているのに対し、玉堂は(作品にもよるが)余白をほとんど使わず、背景を埋め尽くしていること。そして山水の自然の地形も、雪舟は寒山拾得の住まう世界で、日本人にはどこか違う世界の物語のように感じるが、玉堂の絵もモチーフは雪舟と同じなのに、まるで日本昔ばなしに出てきそうな親近感が湧く。
 玉堂は多趣味な風流人で、水墨画だけでなく音曲や書、詩歌にも才能を発揮していたようで、玉堂の号も中国伝来の「玉堂清韻」という七弦琴の名器の名前から得ている。クラシック音楽で言えば作曲・指揮・演奏・絵画にも才能を発揮したメンデルスゾーンを思い浮かべる。
 それでは印象に残ったものを。
◯雪舟等楊/四季山水図巻(山水長巻)【国宝】毛利美術館蔵
 間違いなくこの特別展の主役、16メートルからなる巻物は圧巻、雪舟はこれを67歳で描いたというのだから恐れ入る。歴代の所有者は巻物を少しづつ見ながら楽しんでいたのだろう。16メートルもの長巻物だが、本来はディテールを見て楽しむもの。幽玄だが、街道を行き交う人々や市に集まる人々など、人間の営みが生き生きと描かれているのが印象に残った。応仁の乱で荒廃した京に代わって国内の文化面での首都的位置付けだった大内氏の栄華まで伝わってくるような気がする。
 保存状態がすこぶる良好。西洋絵画でいえば、現存する作品数が僅少といわれるエル・グレコやフェルメールよりも古い、にもかかわらず、この状態で受け継がれてきたのは、水墨画の特性もあるだろうが、やはり大内氏から毛利氏へと大切に受け継がれてきたことが大きい。戦国後期の戦乱で大内氏を追い詰めた毛利氏が近代まで伝えてくれなかったら、我々はこれを目にすることも無かったというのも数奇な運命。
◯雪舟等楊/秋冬山水図【国宝】東京国立博物館蔵
 京博120周年の国宝展では雪舟の国宝6点はすべてⅠ・Ⅱ期の出展だったため、当然これも見れていない。絵に吸い込まれそうになるのは、ジグザグに配された構図による遠近感だそう。力強い筆線と繊細なぼかしに見入ってしまった。単眼鏡を持って来るべきだった・・・。
◯雪舟等楊/山水図巻、倣李唐牧牛図(牧童)(重文)山口県立美術館蔵
 山口県立美術館には雪舟の重文が数点所蔵されているようで、これは一度行かねばと思った。雪舟が影響を受けた李唐や夏珪などの南画も色々と見てみたい。岡山県美には玉澗の廬山図があるが、色褪せが強くてもう少し状態の良いものが見たい。
◯浦上玉堂/凍雲篩雪図【国宝】川端康成記念館蔵
 川端康成が愛した作品。流石に国宝で、玉堂の作品の中でも一際輝いて見えた。キャプションや音声ガイドでは「岩も凍てつくような寒さを表現」と言われていたが、自分はどこか温かみや優しさを感じた。
◯浦上玉堂/幽谷訪隠図 個人蔵
 浦上玉堂といえば、これ、という作風。背景を埋め尽くす山々の描写は、南宋水墨画には無いオリジナリティを感じる。
 ミュージアムショップで購入したもの。
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 気に入った絵の絵葉書は特別展のたびに買っている。真ん中はなんと山水長巻のマスキングテープ。しかも和紙製という懲りようで、600円でこの長巻物を堪能できる?かも?(笑)

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兵庫県立歴史博物館 [展覧会・ミュージアム]

 エントランス前の広場に来た瞬間、デジャヴュが・・・。小学校の遠足で来たことがある。「確か、開館直後に来たんとちゃうかったっけ?」と思ってパンフレットを見てみると1983年の開館ということで、記憶に間違いはなかった。1学年5クラスの220人ぐらい居たため、二手に分かれて姫路城見学と博物館見学をしたのだろうと思う。
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 美術館のついでに寄ってみたのだが、想像以上に面白く、来てよかった。
 まず、無料区域の充実ぶりが凄い。というか常設展の6割ぐらいは無料で見られる。そしてその無料区域に
中山寺 十一面観音立像
文常時 聖觀音立像
鶴林寺 聖観音立像
成相寺 薬師如来立像
達身寺 十一面観音立像
 という国重文・県重文の寺院の仏像が間近で見られる。また、有料展示のところの全国の城郭模型と姫路城模型の対比の展示を見て、「やっぱり姫路城って別格なんやなあ」と改めて感じた次第。
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 兵庫県ってモザイク県なんだよなあ。岡山県も令制国3カ国を含んでいるが、兵庫は五カ国!そして、江戸期には小藩や天領が入り乱れた、文字通りのモザイク国家。
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 館内からは大手前通りとは反対側の姫路城の勇姿が。私はこの角度のほうが好き。
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 エントランスのガラス模型
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 上から見ると、先月のブラタモリでも紹介されたとおりの複雑な構造が見れます。
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ストラスブール美術館展 姫路市立美術館 [展覧会・ミュージアム]

ストラスブール美術館展 印象派からモダンアートへの眺望
姫路市立美術館
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 先月の月末に行ってきた展覧会。
 さすがに世界遺産:姫路城の集客力は冬季でも全開で、外国人観光客がたくさん居る。よく考えるとクリスマス休暇の時期。改修後の姫路城に登ったことがなかったので行ってみたかったのですが、あえなく入場制限で断念。岡山でも後楽園では外国人観光客が急速に増加しているとは言え、この姫路や広島の宮島に比べるとまだまだ1/5程度だろう。

 この特別展の展示点数は111点で中規模の特別展ですが、非常に見応えがあった。大阪のラジオを聴いていると、しきりにコマーシャルをしていたので、館の方も力が入っていたのだろう。
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==姫路市立美術館HPから==================================
ランス北東部アルザス地域圏の中心都市ストラスブールは、ドイツ国境に近く、仏・独の文化が融合された独自の文化を育んできました。同地には10館にも及ぶ美術館・博物館がありますが、なかでもストラスブール近現代美術館は、印象派から現代美術までを網羅した18,000点に及ぶコレクションを誇り、フランス国内でも屈指の美術館として知られています。
本展は、同美術館のコレクションを中心に、印象派からモダンアートまでの作約100点を展観します。モネ、シスレーなどの印象派の画家たちから、20世紀のモダンアートを代表するピカソ、カンディンスキー、ジャン・アルプに代表されるアルザス地方ゆかりの画家まで、この時代の名画の数々をご紹介します。
また、國富奎三コレクション寄贈25周年を記念し、印象派の巨匠・ルノワールの《母性》や、モダンアートの旗手・マティスの連作版画本『ジャズ』の全点を公開するコーナーを設けます。
同時開催として、同時代に活躍したフランス近代絵画の作品を紹介する常設展示室にて、20世紀フランスで活躍した画家・ジョルジュ・ルオーの1907年制作《町外れ》の裏面に描かれた作品《老女》を初公開します。
企画展、常設展ともに楽しめる構成となっている本展覧会、会期中は年末年始も月曜日以外は開館します

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 有名どころではモネの「ひなげしの咲く麦畑」が理屈抜きに美しく、本物を見たモネの作品の中でも心に残る作品になりそう。マルタンの「古い家並み」「雪化粧のパリの屋根」、シニャックの「アンティーブ、夕暮れ」も、その美しさに見入ってしまい、ゆっくり鑑賞した。日本の浮世絵に強い影響を受けたリヴィエールの「ノートルダム塔の高みから〜『パリ風景』連作より」も印象的。このリヴィエールという人、富嶽三十六景に影響を受けて「エッフェル塔三十六景」という連作を遺しているらしい。
 ピサロの「小さな工場」はロンドンへ渡る前の作品で、ピサロの初期の作品を見たのは初めてかもしれない。
 ストラスブールはドイツとの国境にある都市。普仏戦争でフランスが負けた際にドイツに編入され、第一次世界大戦後は再びフランスに復帰した。ポスト印象派からフォービズム・キュービズムあたりのアルザス地方の画家は、ドイツの美術学校で学びフランスの美術界の影響下で作品を描いた人が多いそう。ドイツの画家の特徴と言ってもよく知らないのだが、ゼーバッハの「ラ・ドゥアンヌからストラスブールへの道、雨の効果」はオランダの写実的な画風に印象派の要素が入っている感じで、素晴らしい作品だった。同じくゼーバッハの「冬の森」、ドウブナーの「ヴィルディンステイン」、ユーブレシュトの「イル川に架かる橋」など、僕のよく知らなかった素晴らしい作品に出会えた。
 フランスとドイツの強国のはざまの都市というストラスブールのイメージが一変した。戦争による割譲あるいは復帰という不幸な歴史を辿りつつも、異質な文化がぶつかり合うことで生じる化学反応を堪能した。
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 去年の夏にも訪れた姫路市立美術館。夏よりも冬の方がいいですね。裏口から出たところにお堀があり、そこの風景がとても落ち着く。
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岡山芸術交流2013を見て(その3) [展覧会・ミュージアム]

  今日は岡山芸術交流交流について、美術雑誌などで再三言われた「最先端の現代アート」について、思ったことを書いてみたい。

 この芸術交流を象徴する作品の一つにエティエンヌ・ジャンボーの「微積分/石」がある。
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 ロダンの考える人の台座・・・らしいのだが、これについて、アートディレクターの那須太郎さんが、RSKの番組のインタビューの中で、「考える人の、考えている人間がなくなったら、と考えると面白い。もしかしたら人類がいなくなった後かもしれない・・・」ということを仰っていた。
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 他にも、旧福岡醤油建物のエヴァ・ロストロによる「自動制御下」は太平洋を横断する飛行機内の眠っている乗客を3Dスキャンして、VRで見せる作品だったのだが、これが生きてる人間には見えず、海の底へ墜落した飛行機の中に入ったような気持ち悪さがある。

 これらの展示作品に通底するのは、「思弁的実在論」の影響だとする考察がある。思弁的実在論は私もよく意味が分からなくて、自分がよくわからないのに、影響を受けているのかどうかもわからないのだが、フランスの哲学者:カンタン・メイヤスーが提唱し、現代哲学界の論争の中心にある思想なのだ。
いま世界の哲学者が考えていること

いま世界の哲学者が考えていること

  • 作者: 岡本 裕一朗
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2016/09/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 岡本裕一朗さんの「いま世界の哲学者が考えていること」によると、
『人間の思考から独立した「存在」を考えるために、メイヤスーは人類の出現以前の「祖先以前在住」を問題にしたり、人類の消滅以後の「可能な出来事」を想定しています。これらは、「人間から分離可能な世界」として、科学的に考察することが可能でしょう。それなのに「創刊主義」はそのような理解に目を閉ざしてきたのです』
 
 今年の夏ごろにちょうど読んだ本で、この芸術交流の展示を見た後、もう1回読んでもテキストではやっぱりよく解らなかった(笑)
 しかし、一方で思弁的実在論のいろいろなテキストを読んでも意味がわからなかったものを、こうしてアート作品を見て見ると、イメージが湧いてくるというか・・・まあこれも気のせいかも知れないが、自分が生きている時代がどういう時代なのかを感じることが出来たのは事実だ。

 今回の展示内容は、第1回の岡山芸術交流よりもさらに難解で、「インスタ映え」的な鑑賞者へ媚びる要素は皆無だった。「ハードコアな展示」に磨きがかかっていたと思う。確かにミカ・タジマの「ネガティブ・エントロピー」(オリエント美術館の古代オリエント関係の展示に、見事に馴染んでいた)や「ニュー・ヒューマンズ」など、ひと目見て「美」や「面白さ」を感じる展示もあり、そういう作品に出会うと正直ホッとした(笑)

 私が芸術を理解するよすがは、クラシック音楽しか無いので、それに当てはめてみると、海外のオーケストラやアーティストを呼び、ひたすら前衛的な音楽を演奏する音楽祭、クラシック音楽に置き換えるとそんな感じ。今日はシュトックハウゼン、明日はペンデレツキ、来週は少し馴染みやすいかな?と思っても、フィリップ・グラスやジョン・アダムス。そんなプログラムに、全国のコンテンポラリーのファンが大挙して押し寄せる。しかし岡山市民はなかなか着いて来れない・・・。そんな図が浮かぶ。

 クロージングイベントでも議論されたように、全国的に現代アートの芸術祭が乱立する中で、あえて岡山で開催する意義を問いかけ、世界的に評価される芸術祭に育てていくためにこういった尖った路線を突き進んでいるということは理解できるのだが。
 せめて、世界の美術史や芸術史、あるいはデュシャン登場後の現代芸術の流れの中で、岡山の芸術祭で展示されているものがどのような位置づけになるのか?あるいは今回の作品が現代の哲学の潮流にどのような影響を受けているのか、そうした説明がもっとなされてもいいのではないかと思う。「そんなの知らなくても、自分の感性で鑑賞したい」という人も要るだろうから、例えば美術展のイヤホンガイドのようなものをアプリで販売できないのだろうか?と感じた。

 「考えるのではなく感じるものだ」という説明は真理であるけれども、クラシック音楽を40年以上聴いてきて思うのは、例えば現代音楽を聴く際には、少なくともバッハ以来のクラシック音楽の系譜や、主要な楽曲を知っていればより面白く聴け、理解も深まるのは間違いないことで、「最先端のアート作品から感じ取ってほしい」と突き放すだけでなく、そうした一般市民にもわかりやすいレクチャーは必要だろうと思う、そうでなければ、この国際芸術展は岡山市民からどんどん距離が離れていき、ついには開催困難になっていくのではないかと思ったりする。
 最後に良かったなと思うのが、クロージングイベントが無事開催されたこと。
 クロージングイベントは「国際展と芸術祭の隆盛 〜その課題と可能性」という興味深いテーマで、芸術批評家、アートジャーナリストやアートディレクターの方々によるディスカッションが開催されたようだ。その中にあいちトリエンナーレ2019の芸術監督を務めた津田大介さん名前もあり、無事開催されるのか関係者の間では緊張が走っていたようだが、山陽新聞の記事を見ると大きな妨害などもなく活発な議論が交わされたようだった。
 津田さんが参加するイベントは札幌や神戸では中止されていた。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/342237
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201908/0012592817.shtml
 特に札幌に至っては抗議や苦情が1件も来ていないのに中止されたとのこと。背後に政治的な力が働いたのではないかと思う。
 岡山県知事ははっきりとあいちトリエンナーレの補助金交付取り下げを批判していたし、岡山市長もこの芸術祭に力を入れていることもあって、このイベントをするにあたって、私が想像する以上に両首長の腹が座っていたのを見て、岡山も精神的な部分で「都市」になったのだな、と感じた。
 そもそも札幌も神戸も岡山も、あいちで展示されたような政治的にきわどい展示は無かったし、コンセプトも全く異なるのだから津田さんが招かれたイベントを中止するいわれはまったく無いのだが、開催された都市と中止した都市で、特にアート界の人々の心証や評価は異なってくるだろう。面白いのは岡山での展示内容を見ると、人類滅亡後の世界を想起させるような展示もあり、人類が滅亡すれば愛国心もナショナリズムも表現の自由も意味をなさなくなってしまうのだが、「人類滅亡をテーマにした展示をするなんて、神の国である日本への冒涜だ!」という批判は聞かれない(笑)。人の自尊感情や批判精神というのは、人間の想像力の限界を超えたところでは起こり得ないということを証明しているようにも思う。
(終わり)

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岡山芸術交流2019を見て(その2) [展覧会・ミュージアム]

 岡山芸術交流の感想の3回シリーズ、前回(その1)はこちら。なんとか年内に更新できるかな(笑)
 今回は、岡山芸術交流2019のテーマ。「If the snake」について考えてみたい。
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パメラ・ローゼンクラツ 「癒すもの(水域)」
 前回もそうだったが、この現代芸術展はテーマにそって作品が制作・展示されているが、テーマ自体が暗示的で、作品を強くつなぐような関係性は明確な形では見られない。それは鑑賞者の創造の余地を大きくして、作品を見れば見るほど空想を広がり、また鑑賞者個人の潜在意識の中へ旅をするような面白さがあった。
 私自身の中での「蛇」へのイメージは、あまりお目にかかりたくないもの、気持ち悪いもの、その一方で祖母が生前に「蛇はその家の守り神やから、殺したり追い返したりしたらあかんよ」と教えられたことなどを思い出す。
 岡山も含む中国地方では「蛇」は自然災害と密接に関係している。出雲神話に出てくるヤマタノオロチ(八岐の大蛇)は、恐らく土石流のことだろう。
 中国山地の真砂土は脆く崩れやすい。ここ数年は土石流に苦しめられてきた。土石流の後は、まるで巨大なおろち(大蛇)が暴れまわったかのような痕跡を残す。古代の人々にとっては自然災害という説明よりも、おろち(大蛇)の仕業だと考える方が自然だっただろう。そして先進土木技術で土砂災害を復旧し、防災に取り組んだのが須佐之男命だったのではないか?
 岡山の温羅伝説にも、温羅が鬼ノ城から巨大な岩を投げる場面があるが、これも土石流のことではないかと思う。
 備中神楽も石見神楽も大蛇を退治するシーンんがハイライトとして描かれている。
 岡山や中国地方の人々にとって、蛇は一瞬にして生活を破壊する自然災害の象徴でもあり、この郷土に住む限り、付き合っていかねばならない存在とも言える。
 一方で、西洋ではよりポジティブなイメージが強いようだ。
 ギリシャ神話に出てくる医学の神様:アスクレピオスが持っている杖には、蛇が絡みついている。アスクレピオスは死者をも蘇らせる医術を持ち。神様になった。
 WHO(世界保健機関)の旗や、アメリカ合衆国医師会のシンボルマークにもなっているとおり、生命力の象徴という非常にポジティブなイメージを持っている。
 もう一つ蛇から連想するのがウロボロス。2匹の蛇がお互いの尻尾を食い合う様を図案化したもので、不老不死や死と再生の象徴になっている。死と再生の概念はキリスト教文化圏にとっては重要な意味を持ち、私の愛する西洋クラシック音楽にも「死と再生(復活)」をテーマにした楽曲が本当に多い。
 それに加えて、日本人にも星占いでお馴染みの12星占術は、実はへびつかい座も含めて13星占術とする流派もあるようだ。
 へびつかい座は黄道を通過しており、科学的には黄道13星座とするのが正しいようだ(nasaも公式に認定している)が、西洋において13は不吉な数字であり、12のほうが1年の月数にも合致し座りがいいことから、へびつかい座は弾かれてしまっている。
 今回の旧内山下小学校会場のパメラ・ローゼンクランツによる「癒すもの<水域>」の土俵の俵自体がウロボロスに見えてくる。その中でさまようロボットの蛇は、居場所を求めて動き回っているようにも見える。
 こんな感じで空想はどんどん広がっていくが、「If the snake」が含蓄するイメージには、まず西洋的な「死と再生」と「さまよい」が含まれていて、それに加えて岡山や中国地方の人々が持つ、自然への畏怖や人間の存在の儚さのようなものを含んでいるのだろうと思う。
(その3へつづく)

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岡山芸術交流2019を見て(その1) [展覧会・ミュージアム]

   なかなか更新する時間がなかったのだが、9月27日から11月24日まで開催された岡山芸術交流の感想を、何回かに分けて書いてみようと思う。
 いきなり脱線。
 私が岡山に引っ越したのは18歳のとき。人文科学系の勉強をしたくて大学に入ったので、まずは本屋チェックをした。
 大手では紀伊国屋と丸善があるということで、当時はビル1棟まるごと本屋だった紀伊国屋に行った後、丸善の入る岡山シンフォニービルを見た瞬間、その奇抜な色彩と個性的なシルエットが目を引いた。円筒形のビルは大阪のマルビルぐらいしか見たことがなく、その奇抜なデザインに驚いたのだった。現在は周囲に20階以上のマンションが林立し、ライオンズタワーマンションのデザインがシンフォニービルの色彩に似せてきているので周囲に溶け込んでいる感すらあるが、90年代前半では相当に目立つ存在だった。国内初の都市型巨大イオンモールが出来るまでは岡山クレドとともに岡山市民のランドマークとして存在感を放っていた。
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※内山下小敷地内にある岡山城西手櫓と岡山シンフォニービル
 ビルのテナントも90年代ごろは備前焼などの岡山の伝統工芸品を扱う店舗や観光案内所が入っていて、機能面でもランドマークな存在だったのだが、表町の衰退と歩調を合わせるように1~2階のテナントが撤退・入居・撤退が繰り返され、今は1階にコンビニが入る、どこにでもあるようなビルになっってしまい、1階のイベントスペースもコンサートのない日は閑散としている。
 しかし、岡山芸術交流の屋外インスタレーションの登場によって、この岡山シンフォニービルのデザインの特異性が再度注目を浴び始めた。地下空間への採光のための塔を大胆に彩色したリアム・ギリックの「多面的開発」とセットでインスタグラムに投稿され、今回のメイン会場となった旧内山下小学校から眺める岡山シンフォニーホールにも注目が集まった。私にとってはシンフォニーホールが入るこのビルには強い愛着があり、再び岡山の奇抜な建築デザインが注目を浴びるのは嬉しい。
 
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 他にもこの芸術交流は、今回で言えば、岡山出身の横綱、常の山が寄贈した土俵が内山下小学校にあったことを初めて知ったし、石山公園におかれたフリーの屋外インスタレーションを見に来た観光客が、岡山で知らない人はいないが県外の人には知られていなかった後楽園の森と旭川の美しい景色に感激したりといったことがあった。
 前回は前川國男建築(県庁舎、天神山文化プラザ、林原美術館)にも注目が集まったことで、例えば「県庁はボロいので早く建て替えたほうがええ」と言う人が少なくなったし(笑)
 しろちかから聳え立つコンクリートのタワーは、「太陽光採光システムひまわり」という、太陽光を地下空間の照明に取り入れる大掛かりなシステムだった。
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 この塔が何のための塔なのか、20年以上岡山に住んでいても知らなかったし気にも留めていなかったのだ。おそらく岡山の人々の殆どはそうだったと思う。
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 しろちかの広場の中にあるサボテン畑の存在は知っていても、これが太陽光を地下空間に採り入れる装置で育成していることを知っている人は少ない。
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 ほかにも何気ない風景が、現代アート作品を見た後だと、どれもアートに見えてきてしまうのが不思議だった。この感覚は岡山に住んでいて、あらゆる風景が見慣れたものになっている岡山の人々こそが味わえた愉悦だったのではないだろうか?
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ただの自転車置き場も、現代アート作品を見た後の脳で見ると、アート作品に見えた
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校歌の碑もなかなかにアートだ
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校庭に隣接する年季の入ったビル、なかなかに味わい深い
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「S44.8.6」と銘記されたオブジェ、これはアートそのもの
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中庭にあったコンクリートの築山、もうアート作品にしか見えない
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プール越しの市民会館と山陽放送社屋、もう4年後には見られない
 このイベントによって、全国で見ても極めて稀な財産である岡山カルチャーゾーン」という、文化施設の集積区域を徒歩で回って感じてもらうことで、全国のアートファンに認知された。ボランティアの方から聞いた話では、県立博物館・県立美術館・市立オリエント美術館・林原美術館・県立図書館・ミニシアターのシネマクレールに加え後楽園・岡山城がすべて徒歩県内で回れるという事実に驚きの声が上がり、「岡山の人が羨ましい」とまでいってくれる人も居たそうだ。
 次回の芸術交流は2022年。ちょうど現在の市民会館が役割を終える頃。もしかしたら、その市民会館の建物を使った展示が見られるのでは?と勝手に予想して楽しんでいる。
(その2につづく)

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竹中大工道具館 [展覧会・ミュージアム]

  先月の連休に実家の用事で関西に帰省。その帰りに、新神戸にある「竹中大工道具館」に行って来ました。以前、日曜美術館で紹介されて、展示もさることながら、建物が見事で日本庭園もあるというので行ってみたかったんです。
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竹中大工道具館HPから
 
大工道具は、品質のよいものほど摩耗するまで使われ、消滅するという厳しい宿命をもっています。また、戦後の高度成長を経て機械製材と電動工具が広まり、今日ではテクノロジーの発達とともに、手道具を使う職人は急激に少なくなってきました。
消えてゆく大工道具を民族遺産として収集・保存し、さらに研究・展示を通じて後世に伝えていくことを目的に、1984年、神戸市中山手に設立されたのが日本で唯一の大工道具の博物館「竹中大工道具館」です。
今日までに収集した資料は35,000 余点に上ります。古い時代の優れた道具を保存することはさることながら、「道具」を使いこなす「人」の技と知恵や心、そこから生まれる「建築」とそれを取り巻く木の文化について、様々な企画展や講演会、セミナー、出張授業、体験教室などのイベントを定期的に開催してきました。
そして2014年秋。新神戸駅近くの竹中工務店ゆかりの地へと移転して、新たな一歩を踏み出しました。
日本はものづくりの国です。大工道具には、日本人ならではの美意識や心遣いが秘められています。ものづくりの国に生きる楽しさ、素晴らしさ。新しい気づきに満ちた道具との出会いの場となり、伝統のものづくりに新たな刺激を与えるような存在でありたいと考えます。
 
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  この博物館、新神戸駅から本当に近い。
  新神戸駅1階のタクシー乗り場を駅の高架沿いに行くと館への近道になるスロープがあり、
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 駅からものの3分で到着します。
 しかし、館の門をくぐると静かで落ち着いた空間が広がります。かすかに新神戸駅の「銀河鉄道999」の発車ベルが聴こえてくる。
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 建物は一見、平屋のモダンな和建築ですが、展示空間は地下2階まであり、じっくり見ていくと2時間ぐらいかかります。
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シンプルな庭も見事
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館内は撮影OK
この時期は「木組 分解してみました」と題して、木材同士の継手、仕口などの実物展示がありました。
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目を奪われたのは組子細工、凄いの一言!
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 日本建築の歴史に関する展示。最古の大工仕事と言える法隆寺。その建立に使われた大工道具も見られます。
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 室町〜安土桃山時代の茶室の実物大スケルトン(?)構造模型。中にも入れます。人が多くて一番少ない時間を狙ったのですが。
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 地下1階〜2階の吹き抜け空間を占拠する、唐招提寺金堂組物の実物大模型。その巨大さに目を奪われるが、構造はとても精巧。奈良時代にこんなものを作ったなんて。。。
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「展示」だけでなく、大工仕事の「継承」の展示も。棟梁の言葉とともに。
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大工さんの技術についての動画も見ることが出来る。
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まるで古代出雲歴史博物館の荒神谷出土の鉄器のような展示。道具としてだけでなく、機能性を追求すると美しくなるんだなあ。
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かんなで削った杉やヒノキ、栗や楢の木などを触って見ることが出来ます。匂いや感触など、それぞれのきの特徴がよく分かる。
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木工の体験コーナーも。子供が大きくなったら連れてきたいですね。
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展示棟の奥には庭が会って、祠が祀ってあります。奥に休憩所もある。「本当に、ここ、新神戸?」と思うようなロケーション。
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でも振り返ってみると、やはり神戸の都心部の景色が広がる。
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この休憩所も素晴らしかった。木の香りがする落ち着く空間。
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もし、新幹線待ちなどの時間つぶしが必要になっても、入館料500円を払って、ここでほっこりする、という使い方も出来る。
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 1時間ちょっとぐらいで回る予定が、展示のボリュームがあり、動画なんかをじっくり見ていたら、2時間半も長居してしまいました。

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瀬戸内シティガイド 建築、アート、ローカルフードを巡る旅 Casa BRUTUS特別編集 [展覧会・ミュージアム]

 この連休前半は神戸の実家に帰省しているのだけれど、実家に近い書店で、この本が平積みされていて、ついつい手に取ってしまいました。ついでに言うと、実家の目の前のセブンイレブンにも置いていて、50アイテムぐらいしか置けないコンビニの棚に置いているということは、結構売れているということだと思います。
Casa BRUTUS特別編集 瀬戸内シティガイド (マガジンハウスムック)

Casa BRUTUS特別編集 瀬戸内シティガイド (マガジンハウスムック)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2019/09/27
  • メディア: ムック
   「岡山芸術交流2019」と「瀬戸内国際芸術祭2019」の2つの現代芸術祭を軸に、岡山からしまなみ海道。香川から愛媛にかけての瀬戸内のアートスポットを網羅している。僕の記憶では、岡山市内のスポットがこれほど詳しく紹介されているガイドブックを見たことがなかったです。だいたい倉敷や尾道にスポットライトが当たって、岡山は後楽園以外、さしたるスポットも無く・・というパターンが殆どだった。
 岡本仁さん(BRUTUSの元編集長)の巻頭言に「ある日、ようやく気づいた。岡山あたりを起点にして好きな街すべてをぐるりと回ればいいのだと」「おいしい食べ物、美しいアート、目を見張るような建築が集う瀬戸内の、どれかひとつを目的地にして往復するなんて、あまりにももったいなく非効率的だ。ルートを考えながら、円を描くようにつなげればいい」とあり、岡山が瀬戸内アート地域のハブとして存在感を増してきていることがわかる。
 オリエント美術館や林原美術館も新鮮な切り口で取り上げているし、天神山文化プラザや岡山市民会館が「見るべき建築」として、その美しさが光を放ち、ノートルダム清心女子大のホール(岡山人は、ここの卒業式のニュース映像を見て、春の訪れを感じるのだ)が、期間限定ながら見学出来るのを初めて知りました。
 岡山芸術交流のガイドブックも付属していて、たぶんこれを見て岡山に来ている観光客も相当いるのだろうな。なるほど、今回の芸術交流に来る人々のボリュームの大きさはこういうところにもあったのか、と思う。
 しまなみ地域にも魅力的なアートスポットがいっぱいあるんですね。伊予大島の隈研吾建築の「亀老山展望台」、大三島の「伊東豊雄建築ミュージアム」、福山市沼隈町の「神勝寺 禅と庭のミュージアム」などなど。
    親戚や友人を招待・案内するときに、すごく参考になるだけでなく、自分も瀬戸内の魅力を再認識した一冊です。

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國富奎三コレクション および 「奇蹟の芸術都市バルセロナ展」 姫路市立美術館 [展覧会・ミュージアム]

國富奎三コレクション および 「奇蹟の芸術都市バルセロナ展」 姫路市立美術館
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 記事にしたいと思っていたことを、お盆休みの間に更新するつもりだったんですが、なかなか思うように作れなかったですね。まあ、ぼちぼち更新していきます。
 先月、所用で姫路に行く機会があり、昼間に自由時間が持てたため、せっかくの機会なので姫路市立美術館に足を伸ばしました。

 ちょうど「奇蹟の芸術都市のバルセロナ展」をやっているところでした。
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姫路市立美術館HPの紹介文==================
スペイン、カタルーニャ自治州の州都バルセロナは、世界遺産サグラダ・ファミリアの設計者アントニ・ガウディやパブロ・ピカソなど、多くの偉大な芸術家を生み出した「芸術」の都市として世界中の人々に愛される世界有数の国際都市です。本展覧会は都市の近代化が進んだ19 世紀後半サルダーの都市計画から、バルセロナ万国博覧会開催(1888 年)を経て、スペイン内戦(1936-39 年)に至るまでの約 80 年間に生み出された芸術文化に辿ろうとする試みです。ガウディをはじめピカソ、ミロ、ダリ―本展では彼らの仕事を核としつつ、絵画を中心に映像資料、写真、図面、家具、宝飾品、彫刻など多様なジャンルの作品を交え、当時のカタルーニャに花開き咲き誇った芸術の精華を紹介します。
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 多岐に渡る展示の中でも、やはり見ごたえがあったのはミロやピカソ、ダリなどの美術作品でした。特に作風を確立する過程でもがいていた頃のダリの初期の作品が見応えがあった。天才的な作品を残した彼の模索の時代を知ることができました。
 バルセロナといえば、サグラダ・ファミリア。この世紀をまたぐ壮大な建築物は、これだけで数百万人の観光客を呼び込む、バルセロナの偉大な財産ですが、ミールの「貧しき者の大聖堂」では、路上で暮らす貧しき市民のバックに、建築途上のサグラダ・ファミリアが描かれており、当時のこの大事業に対する冷ややかな視点を感じることができました。歴史的な事業というものの多面性を感じさせます。
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 この特別展以上に見応えがあったのが、今回の訪問の真の目的だった。國富奎三コレクション。

姫路市立美術館HPの紹介文=================================
平成6年に市内在住の國富奎三氏から寄贈を受けた、近代フランス絵画を中心とする50点の作品から、常時約30点を公開しています。このコレクションは、自然主義、写実主義を標榜したコロー、クールベから、印象派のモネやピサロ、野獣派のヴラマンクを経て、モダニズムへの指針を示したマティスまで―我々日本人にもなじみの深い、19世紀から20世紀にかけてのフランス美術が中心となっています。近代フランス美術の流れを辿ることができます。
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 今回の展示作品リストです。
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 いやあ、これが凄かった。作品群の厚みでは大原美術館やひろしま美術館には一歩譲るものの、このコレクションは個人(お医者さん)が収集したものですからねぇ。私の好きなカミーユ・ピサロの「花咲くプラムの木」と、クロード・モネの「ル・プティ=ジュヌシリエにて 日の入り」、この2つの作品の前で立ちすくんでしまいました。
 クールベの「波」も、いかにもクールベらしい作品、ユリトロの『白の時代』の「サン・メダール協会とムフタール通り」も吸い込まれるような魅力があった。
 また、娘が大きくなったら、大原美術館・ひろしま美術館とともに、ここに連れてきたいと思いました。
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 この姫路市立美術館は元々陸軍の建物だったようで、導線的には使いにくい部分があるものの(今回の特別展も、一番端まで行ったら、来た展示室を引き返す必要がある)、建物自体に見応えがあり、バックの姫路城とも不思議にマッチしています。

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