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国内オーケストラ業界の研究:番外編 「クラシックコンサート市場が成長しているこれだけの証拠」 [オーケストラ研究]

 タイトルが、あやしいネット記事みたいになっているが(笑)今回は、このコロナ禍の中で、多大な影響を受けている業界の一つ、クラシックのコンサートの動員力について、コロナ以前の数字にはなるが明るい話題を提供できればと思ってエントリーした。

 実は、この記事ははじめからその意図を持って書き始めたわけではなく、2023年開館予定の岡山芸術創造劇場についてのシリーズ記事の情報収集の一環で、舞台芸術や音楽コンサートをはじめ、スポーツ興業や映画に至るまで、日本人の中でどの程度の割合の人が趣味として楽しんでいるかを調べているうちに、私自身も驚くほどクラシック・コンサートが動員力のあるイベントであることが解ったことがきっかけ。


 以前の記事でも、クラシック・コンサートの中のオーケストラ・コンサート市場が成長していることを裏付けるデータを紹介した。


以前の連載記事:

国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究 目次


急成長するオーケストラコンサート市場について言及した記事



 では早速、今回調べたデータの中から、まずは文化庁の文化芸術関連データ集から「実演芸術(分野毎の公演回数)」を見てみよう。

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 まず、 オペラ公演については2006年までは急成長を遂げていたが、ここ10年はやや減少傾向に入っているようだ。演劇は公演数・団体数ともに衰退傾向にあることがわかる。最盛期の2004年と直近の2015年のデータを比較すると、36%もの落ち込みで、10年余りで2/3になっていたのだ。これを見ると岡山芸術創造劇場の主要コンテンツとして想定される演劇については、将来性のある分野とは思えない現実が浮かび上がる。

 一方で、オーケストラ公演数を見てみると、 こちらは2014年と比較すると46%増、1999年と比較すると59%もの伸びを見せている。
 2003年のシェレンベルガー就任以降の岡山フィルの集客の伸びは、もちろん岡山フィルという楽団の頑張りよるものが大きいのだが、業界全体を俯瞰した場合でも、国内全体のオーケストラ公演の集客の急速な伸長という追い風にも乗っていたことが解る。

 上記のデータは団体数や公演数のデータしか解らないので、具体的な観客動員を時系列で追えるものを探していると、「社会生活基本調査」という調査に行き当たった。

 社会生活基本調査は、国民の生活時間の配分や余暇時間における主な活動の状況など、国民の社会生活の実態を明らかにするための調査で、趣味やスポーツについて抽出調査した項目もある。
 以下に挙げる表の数字はすべて%で、国民全体の中で当該項目を趣味と考えている人で、かつ年に1日以上の活動回数を回答した人の割合を表している。

 そしてなんと、社会生活基本調査には「音楽会などによるクラシック音楽鑑賞」という項目があるのだ。これには少々驚いた。

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 この数字をみて、皆さんどうお感じになるだろうか?私は驚くのは「クラシック公演を趣味としている」割合の多さだ。調査票を見ると、年に1回以上足を運んでいれば項目に含まれるそうなので、年に数十回足を運ぶコンサートゴーアーから、年に1度しかいかないライトな層までを含んでの話にはなるが、10歳以上の国民の10.1%、約1100万人程度の人がクラシック公演を楽しんでいることになる。


 私は上記でも紹介した「国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その2:オーケストラは国民的娯楽!?)」の記事の中で、「連盟加盟オーケストラだけで423万人の動員がある。非加盟団体や海外オーケストラ、ピアノ独奏や室内楽、声楽やオペラ公演まで含めると、クラシック音楽の鑑賞人口は1000万人を突破するかも知れない」と書いたのだが、この社会生活基本調査のデータは、その予測を裏付けてくれる数字になった。


 さらに、オーケストラ公演でも見られたように、トレンドとして集客も伸びていることも見て取れる。年代別で見ると、この30年間で40〜50代で倍増、60代以上では5〜8倍増という驚異的な伸びを見せている。
 よく「クラシックのコンサートに行くと高齢者ばかりで、これでは将来が危うい」という業界の嘆きが聞こえるが、データを見ると、それは単なる印象論に過ぎないことが解る。若年層のすべての年代で堅調に伸びを見せていたのだ。これは驚くべきことで、下に紹介するスポーツ観戦やポピュラー音楽のライブ・コンサートでは若年層が軒並み減少傾向にある、そんな中でこのクラシック・コンサートの数字はかなり健闘している。


 世の音楽家の皆さんに言いたい、今はコロナ禍で大変な苦境に喘いでおられるかも知れないが、皆さんの活躍によって、この市場はこれほどの成長を見せているのだということ。コロナが収束し世の中の雰囲気が変われば、再びこの業界は活況を呈すると信じています。


 クラシックコンサート以外の趣味・娯楽のデータもある。まず、スポーツ観戦を見てみよう。

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 意外なことに、スポーツ観戦の割合は高年齢層では増加傾向にあるが、10代後半から20代は明確に減少傾向にある。


 では次にポップスなどのライブ・コンサート

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 これも意外なことに、10代後半〜20代前半はかなりの落ち込みを見せている。しかし全体としては高年齢層の爆発的増加が全体を押し上げている。クラシックコンサートは10.1%だったから、ポップス等のコンサートとは3.6ポイントぐらいしか違わないというのも驚きだ。ボリュームで言えばクラシック・コンサートの市場はポピュラー音楽のコンサート・ライブの市場の3/4ぐらいの規模にまで成長しているのだ。

 では、今の若者の支持を集めている趣味・娯楽はなにか?

 まず、映画館は一貫して好調だ
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 若者の支持も集めているし、高年齢層も爆発的な伸びを見せている。

 次に、映画館以外での映画鑑賞、古くはレンタルビデオ、現在はネット配信ということになろうか。若者から高年齢層まで、絶対的な支持を集めている。

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 そして、予想された方も多かったのでは?「テレビゲーム・パソコン・ゲーム」は、全世代に渡って国民的娯楽として確固たる地位を築いている。
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 意外でもあり「なるほど」という納得感もあるのが「写真撮影」。デジカメが一般化し始めたのは2000年頃だと思うが、デジカメの登場によって、気軽に誰もがカメラマンになる時代になった。SNSの普及により、2021年の調査ではもっと伸びているだろう。
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 若者の動きを見ると、スポーツ観戦やポピュラー音楽のライブなど、実演・実技の生体験は軒並み数字を下げている。その一方で、日時や場所の制約のハードルが低い映画鑑賞や、自宅で楽しめるゲームや動画配信などが急速に伸びている。そんな中でも若者聴衆が増加傾向にあるクラシックコンサートはかなり頑張っている方だと思う。


 社会生活基本調査の中の演劇・舞台芸術については、また「2023年開館!岡山芸術創造劇場について」シリーズにおいて見ていきたいと思う。


 こうした実際の数字を見ればクラシック・コンサートの市場が成長軌道にあり、インドア化する若者の行動傾向のなかでも、クラシックのコンサートは若い世代も伸びを見せているのに、「聴衆の高齢化」などを理由に将来を悲観する向きがなぜあれほど多いのだろうか。


 私も色々考えてみたが、理由としてはこんなところかな?


①過当競争説

 市場全体としては伸びているが、オーケストラの数も音楽家の人数も増加していて過当競争に陥っているため、個々の団体や音楽家からみると市場の成長が感じられていない。


②自転車操業説
 オーケストラ公演などが該当するが、元々王侯貴族やブルジョワ階層がパトロンとなって発展してきた業界・業態だけに、常に資金難の問題を抱えて自転車操業の状態にあるため、市場全体の成長を構造的に実感しにくい。


③聴衆の選民思想

 クラシック音楽ファンの間に見られる傾向だが、自分が趣味としているクラシックのコンサートは、自分のような少数派にしか理解されないと思っている=いわば選民思想があり、そうした思想を裏付けるためにはクラシックのコンサート市場が拡大している=大衆化の事実は認めたくない。余談になるが、そうした選民思想に陥っているマニアほど、クラシックの枠を超えて国民的人気となった音楽家を叩いたりするのではないか?


④戦略的「危機感」演出説

 上記②の変形型(?)で、もしこれが当たっていたらすごいと思うのだが、「クラシック音楽の未来が危ない」「高齢化が著しく、もっと若者に来てほしい」と危機感を煽ることで、様々な分野からの支援が得られやすく、特に構造的に採算性が得られにくいオーケストラは資金集めがしやすくなる。


⑤単に数字を見ていない説

 でも、実はこの説が一番真実に近いと思っているのだが、こういう客観的数字を見ることが出来ておらず、先入観や感覚で判断しているので、悲観的シナリオが定着してしまった。

 例えば聴衆が集まらなければ、そのプログラムや戦略が間違っているのか、①で挙げた過当競争に陥っているのか、などの分析的な判断が必要になってくるだろう。


 こういったところかな。私自身も、スポーツ観戦やポップスのライブ・コンサートが若い世代の支持を失っている中で、若い世代も堅調な伸びを見せていることに驚き、いかに先入観を持っていたかが解った。


 ではなぜ、クラシック・コンサート市場が成長しているのか?これはデータに基づかない私の仮説なのだが、まず1つ目は国内のオーケストラや音楽家の演奏レベルが急速に上がっているのだと思う。いい演奏に接すれば、また次回も行きたくなる、この好循環が業界を成長させているのではないだろうか。


 もう一つは数年おきにやって来たクラシック音楽のブームによって、クラシック音楽に接触した人が、この市場に取り込まれてきたという仮説。古くはブーニン、朝比奈隆、モーツァルト生誕300年、のだめ、辻井伸行、ピアノの森、蜜蜂と遠雷などなど、大小様々なブームでクラシック音楽に接触した人が少しづつこの市場の支え手になっている、という説だ。


 結論としては、クラシック音楽の未来は決して暗くはない! ということである。

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オーケストラが拓く『創造都市』(その3:『創造都市』とは何か) [オーケストラ研究]

 月1回更新を目指して始めたこの「オーケストラが拓く創造都市」シリーズ。今回はなんとか10月中のアップが出来ましたが、調べていくと色々と面白いことが判って、その分、色々と目を通す資料が増えてしまい、更新速度の確保が難しくなりそうです。ただ、アクセス数がやはり他の記事よりも多く、書き甲斐はあります。ぼちぼち更新しますので気長にお付き合いを。
 ※前回までの記事へのリンク
 ※2018年に連載した「オーケストラ研究」シリーズの目次へのリンク
 私が『創造都市』という言葉に初めて接したのは、2008年頃。橋下徹大阪府知事による大阪センチュリー響や大阪フィル、文楽などの文化芸術団体への補助金廃止問題が持ち上がった頃、『創造都市』の観点から府知事の方針に反論しているtweetを見つけたことが最初だった。

 今となってはそのときに見たテキストがネットの海の中から見つけられないのだが、当時のメモを頼りに復元してみると、こういう内容だったと思う。

「ポスト(規格大量生産型の)工業国家における都市のモデルとして、最も有力なのが『創造都市』のモデル。オーケストラは大阪の産業経済にイノベーションを起こすアクターになる可能性を秘めている。そんな財産を存続の危機に晒すなどあまりにも馬鹿げている。
 産業業空洞化と財政危機に直面した欧米諸都市は、芸術文化が持つ創造的なパワーを原動力に、産業を再生させてきた。大阪も含めた日本では、都市の中での文化芸術部門を、コストセンターとして捉えている。しかし創造都市モデルではプロフィットセンターになり得る。そんな都市政策の潮流を見誤る為政者は改革者とは言えない。」

 当時の私には『創造都市』モデルについての知識がなく理解も出来ていなかったが、今から思えば、オーケストラへの支援の打ち切りに抗する有力な論拠になり得たかも知れず、勿体なかったなと思う。当時は、「文化芸術に対して行政が支援をするのは当然、あまりに理解がなさすぎる」という主張と、「一部の受益者しか居ない事業に税金を投入することはまかにならん。そんなに大事なら自分でお金をだせ」という主張が対立し、感情的な分断が起こり、それこそ、当時の大阪維新支持勢力の思うつぼになってしまった。

 次に私が『創造都市』というワードに触れたのは2016年に開催された、岡山芸術交流という国際現代芸術祭だった。岡山芸術交流はマスコミ、特にアート系の媒体への露出が多く、海外ではスペインのビルバオやスコットランドのグラスゴー、国内では横浜や金沢など、現代芸術が都市の産業や文化を再生させてきた経緯を知る機会が多くなった。
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 そして、岡山でも明らかに『創造都市』を意識した都市の成長戦略が動き出した。一番明確な形で現れたのは、岡山市民会館の移転新築計画の具体化だろう。新しい市民会館は「岡山芸術創造劇場」という名前が付き、岡山フィルや岡山シンフォニーホールを運営する公益財団は『 岡山文化芸術創造』に名称変更するなど、やたらと『創造』というワードが使われるようになった。
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※2022年度に開館予定の『岡山芸術創造劇場』の完成イメージ(岡山市HPから)
 岡山における『創造都市』への動きについては、いずれ詳しく考察したい。
 
 それでは創造都市とは何ぞや?ということを、各論客のパッチワーク的ではあるが、自分なりにまとめてみようと思う。

 まず国内において『創造都市』を提唱し続けている佐々木雅幸氏の、「創造都市」の定義を見てみよう。
 『創造都市とは、市民の創作活動の自由な発揮に基づいて、文化と産業における創造性に富み、同時に、脱大量生産の革新的で柔軟な都市経済システムを備え、グローバルな環境問題やローカルな地域社会の課題について、創造的問題解決を行えるような『創造の場』に富んだ都市である』

 具体的には、文化芸術の力によって、付加価値の高いもの、感性を刺激するもの、デザイン性の高いものをその都市の経済の中にビルトインしていくことによって、その都市の産業のイノベーションを誘発する、ということになるようだ。

 本場のヨーロッパでは、リチャード・フロリダが『創造階級集積論』という、ちょっと刺激的な理論を展開している。

技術中心主義は地域経済を救えない企業を超えた創造的階級集積の勧め リチャード・フロリダ INTERVIEW DIAMOND ONLINE

 ポスト工業国家の産業を中核人材となる、科学・技術・建築・デザイン・教育・芸術・音楽・アート・娯楽などの活動に従事し、新しいアイデアを作り出す人々を『創造的階級』と称し、事実、アメリカではこの『創造的階級』に属する人々は全従業者の30%、約3900万人にあたり、アメリカの産業経済を支えているそうだ。
 「階級」という言葉は少々選民意識の刺激臭が強すぎて日本にはなじまないが、おそらく創造的人材「集積」と考えて間違いはないと思う。
 20世紀の工業国家では、技術力とそれを理解する知的水準の維持が必要であって、個々人の創造性・価値観の多様性は大きな比重を占めなかった。しかし、ポスト工業都市としての産業の活性化のためには、個人の自由な創作活動を保証し、宗教・人種・国籍・性的価値観が多様な創造的人材をどのように集積出来るかが鍵を握っている、というのだ。

 イギリスの都市計画家のチャールズ・ランドリーは、芸術文化が持つ3つの力として、
①人材を集積する力
②社会問題を解決する力
③産業構造を転換する力
 を挙げており、産業空洞化と財政破綻の中で文化や芸術を生み出す過程での『創造力』こそが、最終的な国家の財政的支援から独立して都市や地域を蘇られせる原動力となる、としている。産業構造転換の中で生み出されるビジネスへのアイデアは、全くゼロから生み出されるものではなく、都市の文化や伝統というベースの中から「過去との対話」の中で生み出されるものであり、文化と創造は相互に影響し合うプロセスであるとしている。
 岡山において、やたらと『創造』の言葉が多用されるようになってきたのは、恐らくこの『創造都市』モデルを意識していると考えて間違いないと思うが、都市の文化芸術の方向性の基本計画となる岡山市の芸術文化振興ビジョンには、『創造』という言葉が17回も使われている一方で、『創造都市』については不思議と一度も触れられていない。

 一方で、これらの『創造都市』の考え方を、国内のある都市は文化振興プランに盛り込んで、鮮明に打ち出している。
 その都市とは、前回のラ・フォル・ジュルネの開催都市として名前が上がった新潟市である。
※次回に続く

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オーケストラが拓く『創造都市』(その2:ラ・フォル・ジュルネと『創造都市』) [オーケストラ研究]

 前回から始まった「オーケストラが拓く創造都市」と題したシリーズ。第1回目の前回は「漏れバケツ理論」について触れてみた。
 ※2018年に連載した「オーケストラ研究」シリーズの目次へのリンク
 岡山フィルを含めた地方諸都市のオーケストラの発展を考えるとき、前回で「漏れバケツ理論」と「都市の文化芸術の生態系」について考えることがポイントになると述べたが、「都市の文化芸術の生態系」については次々回以降に触れるとして、今回と次回のエントリーでは芸術文化の力で人口急減社会・経済の低成長時代に生き残ろうとする(岡山市も含めた)地方諸都市が目標に見定めている『創造都市』について考えてみたい。
 クラシック音楽の視点から『創造都市』について考える材料として、最適な材料がある。それは東京を皮切りに、金沢、びわ湖、新潟、鳥栖と全国に拡大して開催された「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」だ。
 この音楽祭の歴史について、ラ・フォル・ジュルネ東京のHPから引用すると、
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ラ・フォル・ジュルネは、1995年、フランス西部の港町ナントで誕生したクラシック音楽祭。「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」のネーミングそのまま、ヨーロッパの数ある音楽祭の中で最もエキサイティングな展開を見せています。 毎年テーマとなる作曲家やジャンルを設定。コンベンションセンター「シテ・デ・コングレ」の9会場で、同時並行的に約45分間のコンサートが朝から夜まで繰り広げられます。演奏者には旬の若手やビッグネームが並び、5日間で300公演!を開催。好きなコンサートを選び、1日中、音楽に浸ることができます。

しかも、入場料は6〜30EURO(700円〜3,000円)という驚きの低価格。「一流の演奏を気軽に楽しんでいただき、明日のクラシック音楽を支える新しい聴衆を開拓したい」というルネ・マルタン(アーティスティック・ディレクター)の意向によるものです。来場者の6割をクラシックコンサート初体験者が占め、たくさんの子どもたちも参加しています。

ユニークなコンセプトで展開されるラ・フォル・ジュルネの人気は国外へも拡がり、2000年からポルトガルのリスボン、2002年からはスペインのビルバオ、2005年からは東京国際フォーラムで開催。2008年には金沢とブラジルのリオ・デ・ジャネイロ、2010年には新潟、びわ湖、ワルシャワ、2011年には鳥栖、2015年にはロシアのエカテリンブルクで開催され、いずれも大成功を収め、クラシック音楽界にセンセーションを巻き起こしています。

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 フランスのナント市から2005年に日本にやってきたこの音楽祭は、観客動員面ではまさにお化けイベントである。開催3〜4年目には100万人(無料コンサート含む)を超え。その中の約6割がクラシック音楽のコンサートを初めて聴きに来た観客だったという。これはクラシック音楽のイベントとしては空前の数字だろう。

 その爆発的な動員力から国内各都市の誘致合戦が沸騰。一時は国内5都市でGWに同時開催されるまでに至った。
開催都市にとって、このラ・フォル・ジュルネは動員力だけが魅力だった訳ではない。特に金沢や新潟がこの音楽祭を開催する契機になったのが、フランスのナント市が『創造都市』であり、このラ・フォル・ジュルネこそがナント市を『創造都市』のトップランナーに押し上げたイベントだったからだ。
 まず創造都市とはなにか?『創造都市ネットワーク日本』のHPから引用する。
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創造都市とは

創造都市(Creative City)とは、グローバリゼーションと知識情報経済化が急速に進展した21世紀初頭にふさわしい都市のあり方の一つであり、文化芸術と産業経済との創造性に富んだ都市です。

産業空洞化と地域の荒廃に悩む欧米の都市では、1985年に始まる「欧州文化首都」事業など「芸術文化の創造性を活かした都市再生の試み」が成功を収めて以来、世界中で多数の都市において行政、芸術家や文化団体、企業、大学、住民などの連携のもとに進められています。

世界の動き
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)も、文化の多様性を保持するとともに、世界各地の文化産業が潜在的に有している可能性を都市間の戦略的連携により最大限に発揮させるための枠組みとして、2004年より「創造都市ネットワーク」事業を開始し、7つの分野で創造都市を認定、相互の交流を推し進めています。 日本では、神戸市(デザイン)、名古屋市(デザイン)、金沢市(工芸)、札幌市(メディアアート)、鶴岡市(食文化)、浜松市(音楽)、篠山市(工芸)の7都市が認定を受けており、他にも多くの都市が認定に向けて活動を行っています。

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 正直、僕には上の説明だけでは「『創造都市』とは何ぞや?」の答えになっていないと思うので、それについては次回掘り下げたい。

 話をラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)と『創造都市』との関係性に戻すと、日本版ラ・フォル・ジュルネの開催都市だった金沢市はユネスコから創造都市の認定を受けており、実は新潟市も「食文化」の分野で認定を受けている。新潟市はナント市とは姉妹都市の関係にあり、ラ・フォル・ジュルネについては「うちがやらなくてどうする!」というポジションだった。

 金沢市も新潟市、そして他の開催都市も、このラ・フォル・ジュルネの開催によって、音楽文化の活性化や交流人口の増加だけでなく、地域の経済や産業への好影響も期待して開催したはずである。
 しかし、2011年から参加した鳥栖市が2013年をもって開催中止、ついで東京とともに日本におけるこの音楽祭の車の両輪の片方を担っていたといっても過言ではない金沢市が2016年をもって終了し、翌2017年からは「いしかわ金沢風と緑の楽都音楽祭」を立ち上げて袂を分かった。大津もラ・フォル・ジュルネから離脱し、2018年から「びわ湖クラシック音楽祭」を立ち上げる。同じく2017年をもって中止した新潟では後継の音楽祭の開催を検討したものの実現には至っていない。

 一方で東京で開催されるラ・フォル・ジュルネは文字通り熱狂を保ったまま、(2020年にはコロナ禍のために中止になったものの)引き続き開催され続けてる。

 なぜ、本場の『創造都市』のイベントの熱狂の誘致に成功しながら、開催諸都市で継続されなかったのか・・・。

その分析のためには、まずは「『創造都市』とは何ぞや?」というところから掘り下げる必要がある。

次回の記事へのリンク

オーケストラが拓く『創造都市』(その3:『創造都市』とは何か)


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オーケストラが拓く創造都市(その1:『漏れバケツ理論』について) [オーケストラ研究]

 コロナ禍の影響で、国内経済も大打撃を受ける中、地方の実体経済への影響も徐々に深刻化している。そして国内諸都市のオーケストラの経営にも、イベント中止やチケットの売上激減、企業協賛や個人賛助会員の現象などの形でかなりの影響が出ると思われる。
 2年前に、国内のオーケストラの経営状況を自分なりに分析し、岡山フィルの将来について考察する連載をエントリーしていた。その後、放置状態になっていたが、最近確認してみるとユニークアクセスが軒並み1000PVを超えるアクセス数を記録していたことに驚き、再び書く意欲に火がついた。そして、コロナ禍と2022年に開館予定の「芸術想像劇場(新市民会館)」の開館など、大きな転換点を迎えようとしている岡山フィルの未来について考えてみたい。
 ※前回までの記事へのリンク
国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その4:安定財源を失った先にあるもの)
 上記の過去記事の(その4)で、オーケストラはコスト削減の余地が極めて小さい興業である一方で、寄付的財源(売り上げとは関係のない、履行義務や債務の生じない財源)=民間スポンサーや公的補助、の大きさで、事業展開が可能な規模が、ほぼ決まってしまう。計算式で表すと
 演奏収入 + 寄付的財源 = 楽団人件費 + その他諸経費
 となり、演奏収入には限界値があり、その他諸経費を極限まで効率的に執行したとすると、楽団人件費は寄付的財源(民間スポンサーの寄付額や公的補助金)の規模に依存する。こういう財務体質となる宿命を負っている。
 このような事を書いた。
 岡山フィルが最終目標とする「楽団の常設化」と、岡山の人々の誇りになるようなオーケストラに成長するためには「寄付的財源」をいかに確保し、安定させるか、これに尽きる言っていい。
 しかし、オーケストラ経営にとって寄付的財源の安定化は洋の東西・規模の大小を問わず、常に難題として立ちはだかってきた。行政にしろ民間企業・個人にしろ、支援を依頼するためには理論的な裏付けと説得力が欠かせない。その説得力ある理論の有力候補として、2つのキーワードに注目したい。
 それは『漏れバケツ』理論と『文化芸術の生態系』だ。
 
 『漏れバケツ理論』は近年、地方経済の活性化のキーワードとして脚光を浴びている。理論といってもそれほど難しい概念は必要ない。例えば国からの補助金や観光客誘致、特産品の販路拡大など、地方は「外貨」を稼ぐために心血を注いできた。しかし地域はいっこうに豊かにならない。それはなぜか?
 その原因をわかりやすく可視化するモデルが『漏れバケツ理論』である。せっかく稼いだお金が、穴の開いたバケツから水が漏れるように、あっという間に出ていく。その穴の所在を明らかにし、バケツに空いた穴をふさぎ、地域内でいかに循環させていくかという視点で地域経済を考えようとする取り組みだ。
 元々イギリスのロンドンに本部のあるニュー・エコノミクス・ファンデーションという団体が提唱した考え方で、一見、簡単で当たり前のように見えるが、突き詰めていくとけっこう奥が深い。
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 漏れバケツ理論は『地元経済を創りなおすー分析・診断・対策』(枝廣淳子/岩波新書)に詳しい。
 この本で挙げられた、バケツから漏れる水・・・そんな事例は岡山もたくさんあることに気づく。
◯岡山市内でイベントが開催された。外から人がやってきて一時的に地域にお金は落ちており、一定の経済波及効果はあるが、そのイベント自体のマネジメント・オペレーションは東京の事業者が仕切っていて、利潤の大部分は東京に持っていかれている。
◯市内中心部に西日本最大級のショッピングモールが出来、これまで神戸や大阪まで行かないと買えなかったものが岡山でも買えるとあって、モールは大賑わい。モールの周辺地域や駅からの導線上もたいへんな賑わいで地域が潤っているように見えるが、モール内に出店している店舗の多くが東京や関西に本部があり、最終的な利益の大部分が地域外に流出。
◯ダムの建設にあたり、国から莫大な補助金が支給され、誘致に貢献した政治家も胸を張った。しかし発注したのは東京や大阪に本社のある大手ゼネコン数社のJV。地元の建設業者は下請け・孫受けで仕事にはありつけたが、利益の大部分は地域外へ流出。
 これまでは「いかに地域にお金を持ってくるか」ばかりに目が行き、「いかに地域から出ていくお金を減らすか」はあまり考えられていなかった。実際に漏れバケツの穴を塞ぐ政策を実施している自治体の実例を見ると、地域内に入ってきたお金がどういう動きをしているのか、都道府県レベルではデータがあるが、市町村レベルではデータが無く、そもそも詳細な分析が出来るだけのデータの掘り出し作業から始めなければならなかったようだ。
 もちろん、この『漏れバケツ理論』は、自給自足や孤立主義を推奨しているわけではない。地域経済活性化のためには、地域間の経済的交流は必要不可欠なのは大前提としてある。しかし、これまで地域活性化としてやってきたことが、資本の流れをじっくり見ていくと、実は内へ資本を呼び込むどころか外へ流出する結果に終わっていることが多いのではないか?
 そうしたことを検証するために、象徴的な『漏れバケツ』という言葉で住民みんなで検証していこうというのが本来の趣旨。
 例えば、最近はブームが収まったものの、「ゆるキャラ」によるプロモーションがある。初めは自治体の担当者や住民有志が地元愛や地域外へのPRのアイコンとして開発したキャラクターが、「ひこにゃん」や「くまモン」のヒットを契機に、全国の多くの自治体がこぞってアピールするようになり、近年では大手広告代理店からの企画提案に乗る形で、何千万円もの予算を注ぎ込んでPR合戦に参戦する自治体も多いと聞く。しかしこれでは地域にお金が落ちるどころか、東京の広告代理店が儲かるばかり。
 他にも「魅力度ランキング」のように、都市や都道府県のイメージランキングの順位を上げようと、様々なPR政策を展開。しかしこれも大手メディアの広告枠とノウハウを独占する大手の広告代理店に頼るケースが多く、その報酬がどんど東京へ流出している。
 しかし、そもそもこの「魅力度ランキング」自体が、某大手出版社の影響下にあり、そこの上得意様に大手広告代理店がある。言葉は悪いが実態はマッチポンプといってもいいのではないか。魅力度ランキング自体、上位に入っている神戸市や函館市は、実は全国の中で最も人口減少問題が深刻である、というのがこうしたランキングの限界をよく表している。
 このように、地元に資本を呼び込むために行った事業が大規模化すると、企画・設計・マーケティングという高度な知識労働部分を東京が担わざるを得ず、岡山では、その手足となって動く部分のみを請け負っているため、構造的に岡山の外へお金が流出してしまう。政府が「地方創生」を標榜し資金を地方に投入しても、一瞬で東京へ舞い戻ってしまっていては政策目的が達成されているとはいい難く、最終的には社会全体でそのツケを負うことになってしまう。
 とはいえ、量的データで見ると最終的には東京に富(人材・資金)の大部分が集中する構造はおいそれとは変えることは出来ず、地域内に循環する資本の質の部分に着目し、「漏れバケツの穴」を塞いでいく作業を続けることで、少しづつ地域に潤いを戻していく、そんな地道な作業になってくる。
 この『漏れバケツ理論』が岡山においてどれだけ浸透しているのかは不明だが、「外からお金や人を呼び込むだけでは地域は潤わない」というのは、地元行政や経済界もよく分かっていて、岡山市の昨今の政策展開は「漏れバケツ理論」という視点から見てみると一本筋が通っているように思う。
 例えば、郊外の大型ショッピングモールの出店を抑制し、中心市街地の活性化策を模索しようとしているのも、『漏れバケツ』を意識した政策といえる。
 京都大学の藤井聡教授が京都市で行った調査によれば、1万円の買い物をする場合、地元商店街での買い物は5300円が地域に戻って来る一方で、全国チェーンのショッピングモールの場合はわずか2000円しか戻ってきていないそうだ。
 そして岡山フィルへの支援策の強化も、この『漏れバケツ理論』にある(やっと、このブログのテーマに戻ってきました!!)。
 
 次回以降は、地方都市が目指す理想像:『創造都市』について掘り下げてみようと思う

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オーケストラが拓く創造都市 シリーズ目次 [オーケストラ研究]

 2年前に、国内のオーケストラの経営状況を自分なりに分析し、岡山フィルの将来について考察する連載をエントリーしていた。その後、放置状態になっていたが、2020年に直面したコロナ禍と2023年に開館予定の「芸術想像劇場(新市民会館)」の開館など、大きな転換点を迎えようとしている岡山フィルの未来について、『創造都市』『漏れバケツ理論』『文化芸術の生態系』をキーワードに考えてみたい。

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国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その7:岡山フィル支援の機運の盛り上がりの背景) [オーケストラ研究]

国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その7:岡山フィル支援の機運の盛り上がりの背景)
 岡山フィルの将来について勝手に語るシリーズ。今回はちょっと脱線する。
 前回の(その6)で予告していたように、今回は岡山フィルの経営の展望について触れるつもりで財源や体制整備について他のオーケストラの事例を踏まえながら途中まで書いていたのだが、昨今の岡山フィル支援に関する活発な動きを見て、掲載するのを記事にエントリーするのを保留にしていた。
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※岡山シンフォニーホールと城下交差点の夜景
この1年間の岡山フィルの体制整備に関するニュースは大きなものだけでも3つあり、
 ①市当局の支援強化の方針表明
 ②10月に地元行政・財界・オーケストラの支援者らが「育てる会」を発足
 ③山陽放送など地元マスコミでの露出の劇的な増加、
 などがそうだ。加えて2019/2020シーズンには定期・特別演奏会が年に6回となり、プロのオーケストラとしてのプログラムの充実も着々と進められている。今、ここで筆者が下手なことを書くのではなく、しばらくは事態の進展を見守ることに決めた。
 今回は岡山フィルの今の取り組みに最大の敬意を払いつつ、ではなぜ今、事態がこれほど急速に進展しているのか?そのことについて筆者が思う背景を整理しておきたい。
過去の失敗に学んだ岡山フィルの体制整備
 今年発足した岡山フィルを支援する民間組織である「岡山フィルを育てる会」は過去にも存在し、2005年ごろには小泉和裕氏をミュージック・アドヴァイザーとして招聘し、年間5回の定期演奏会を組むなどの体制充実を行っていたが、筆者の記憶では、個々のコンサートでは大いに盛り上がることはあっても、現在ほど岡山の街全体を巻き込まんとするような盛り上がりは無かったように思う。
 今から思えば、定期演奏会を一気に5回に増やすための聴衆層が形成されていなかったし、楽団は在東京や在阪のオーケストラからの助っ人に頼っていて、コンサートマスターをはじめ首席奏者のメンバーが演奏会ごとに変わり、いわば「岡山フィルの看板」を背負って立つ人が居なかった。ここが失敗の原因だったと考えられる。 
シェレンベルガーが岡山フィルのディレクターで居てくれることの奇跡
 現在の盛り上がりの起爆剤がシェレンベルガー氏の岡山フィル首席指揮者就任なのは間違いない。その衝撃は例えばサッカーでいえば、ジネディーヌ・ジダンやフランチェスコ・トッティーがJ2ファジアーノ岡山の監督に就任するようなものだ。
 シェレンベルガーが就任して岡山フィルの音はたった5年で激変した。自らも世界屈指のオーボエ奏者として名を馳せ、古稀を超えた現在でもその技術を維持し、岡山の聴衆を魅了する器楽奏者であると同時に優れたオーケストラビルダーでもある。スポーツで言えばプレイングマネージャーを見事にこなしていて、音楽づくりも着実に成果を上げる・・・よくこんな凄い人が岡山に来てくれたと思う。これは奇跡としか言いようがない。
 楽団員のモチベーションも非常に高く、定期演奏会での演奏内容が回を追うごとに充実していったことで、観客が増加し、定期・特別演奏会の回数は3倍に増加したにもかかわらず、毎回8割5分以上は客席が埋まる盛況だ。
 演奏面だけでなく首席コンサートマスターの就任、楽団専属の首席奏者の採用、それを受けての日本オーケストラ連盟に準会員として加盟し、名実ともにプロフェッショナルのオーケストラとしてのスタートを切った。
 以前ブログにおいて「日本オーケストラ連盟に加入し、行政を巻き込む」との提案を行ったのが2015年の8月だった。3年後に岡山フィルがここまで発展しているとは、筆者は思いもしていなかった。
 この背景には資金面での充実も大きい。常設オーケストラへの道は険しいが、岡山フィルのホームページには協賛企業のロゴでビッシリと埋まり、個人の賛助会員も倍増した。この岡山フィルの体制充実の背景に、何が起こっているのだろうか?
 私は2つの組織に注目をした。一つ目は「育てる会」の幹事企業であり、地元経済会のけん引役である中国銀行。もう一つは 岡山シンフォニーホールと連携協定を結び、学内のホールでコンサートシリーズを展開している岡山大学だ。
 この番外編(上)では、中国銀行を中心とした地元財界について考えてみたい。

背景に存在する『人口減少社会の中で岡山という街が生き残っていけるのか?』という危機感
 「人口減少社会の中での岡山の街の生き残り」というテーマは、一見岡山フィルとは関係の無いように見えるが、岡山フィルの未来と岡山地域の未来は一蓮托生。人口が減るということは若者が減り、働く現役世代(生産年齢人口)も減る。当然、県内GDPも減少し、ありとあらゆる業界で需要が減少する。これはたいへんな時代であり、大阪の為政者がヒステリックに叫んでいた「オーケストラじゃあ飯は食えない」という論調がますます力を持ってくる。岡山フィルは人口減少と、それに伴う経済衰退の時代にどのように存在意義を発揮できるか?が強く問われることになる。

 少し前の新聞記事になるが、11月1日の山陽新聞にこんな記事が掲載されていた。
〇岡山県人口減少、190万人割れ 33年6カ月ぶり、毎月流動調査: 山陽新聞デジタル|さんデジ
 岡山県の人口は減少し続け、社人研(国立社会保障・人口問題研究所)の予測では2040年には161万人にまで減少する見込みだ。
 他にも、11月6日にはこんな記事も。
〇地銀や路線バスの統合 制約緩和へ 未来投資会議/朝日新聞デジタル

 すでに、地元の金融機関ではこんなことも起きている。
〇第1部 膨張都市(1)相続マネー 東京潤い、地方はジリ貧: Lの時代へ 歪みを超えて:(2017年1月23日 山陽新聞)

 これらの記事は、これまで都道府県単位で維持されてきた、金融機関や地域交通の経営が全国的に行き詰まっている事を示している。
 特に3つめの記事『(1)相続マネー 東京潤い、地方はジリ貧』の内容は「人口減少ってこんなことも引き起こすのか・・・」と筆者は大きな衝撃を受けた。岡山から東京へ働きに出た「金の卵」の世代の資産を、子供の世代が相続した際、不便な地方銀行の口座を解約し、都市銀行などに預金を移す。それにより今後20年程度の間に51.4兆円もの資金が地方から東京へ移転する。実際に岡山県内の信用金庫では年間1億円ペースで東京の都市銀行へ預金が流出している。
 人が減り需要が減り、地方の経済が疲弊していくところへ、追い打ちをかけるように、「経済の血液」である投資資金が枯渇しかねないという状況がすでに深刻になっている。
 銀行同士の合併は独占禁止法により厳重に監視されているが、地方都市では金融機関同士の競争どころか、地域に投資資金を回していく原資すら東京へ流出していく。地方銀行同士の統廃合が容認されたことも、こうした状況も背景にあると思われる。
 すでに銀行については、地方の業界再編が進み始めている。
〇九州の地銀再編は、新たな段階に突入した ~十八銀・FFGの統合が意味するもの~(東洋経済オンライン)
 
 人口減少社会が次のステージに移ったとき、岡山の人口や経済活動の状況によっては、広島や関西の金融機関との統廃合の可能性は捨てきれない。中国銀行が広島や兵庫の銀行と経営統合ということになれば、地元経済の資本循環だけでなくシンクタンク機能もまるごと影響を受け、地域経済のイニシアチブが岡山の街から失われかねない。
 
  新聞や放送局についても、購読者・視聴者が物理的に減少するわけで、収入の屋台骨である広告収入が揺らぐことになる。地方マスコミ業界は新聞・放送局をグループで一体経営している形態が多く、少しのほころびで地方マスコミ業界全体の再編へ一気に加速する可能性が十分にある。
 今後は、金融機関を皮切りに、放送局や新聞社、ひいては国立大学に至るまで統廃合の嵐の時代に入るだろう。岡山が50年後にその独自性を保ったまま生き残っていくためには、銀行やマスコミ、大学といった『知識労働層の受け皿』を死守することが必要不可欠になって来る。
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※移転により役割を終える岡山市民会館から岡山シンフォニーホールを望む
 もちろん、新しい産業を興し、企業を誘致し、観光客や移住者を呼び込むことが直接の解決策になることは間違いないが、高度経済成長時代や人口ボーナス(増加)期ならいざ知らず、全国的に急激な人口減少が進む中で、産業構造を転換していくことは容易ではない。
 そうすると、地域の中に蓄積された富や資本を地域の中でどう循環させて、他の地域にはない付加価値を創っていくか?そして付加価値型産業を支える人々をどう呼び込み、付加価値の高い『本物』を創る人材をどう呼び込んでいくか?さらに岡山の人々が付加価値を生み出す文化を循環させる社会をどう回していくか(その6で述べた『文化芸術資本が循環する社会』をどう創っていくか)が重要になってくる。その先に、岡山の人々が自分の街に誇りを持ち、規模は小さいかもしれないが、光り輝くような付加価値を生み出す文化的土壌が育っていくことが理想である。
 今年の10月に就任した首席奏者たちは、とても実力を持った奏者が揃って、見事な演奏を聴かせてくれている。つまりは『付加価値の高い『本物』を創る人材』を岡山フィルが呼び込めたのだ。岡山が関西や広島などの大都市に飲み込まれず・吸収されずに独自のアイデンティティを保有して生き残っていくための一つの処方箋が見えた瞬間のように筆者には思える。
 岡山の地域の経済の血液を回す中国銀行も、岡山の経済を支える地場産業企業からなる財界も、そして山陽新聞や山陽放送などの地元マスコミも、例えばトヨタやユニクロのように「岡山を捨ててもっと儲かるところで商売をしよう」という訳にはいかないのだ。
 こうした地場の企業が岡山フィルに注目し始めているのも、人口減少という厳しい未来の中で、岡山フィルという芸術を創造する集団に明るい未来を見出そうとしているのではないだろうか。
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国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その6:岡山を文化デフレ社会から、文化芸術資本が循環する社会へ) [オーケストラ研究]

 これまでのエントリーは、できるだけ先入観を排して、データを読み解くことを重視してきました。今回の記事は、大部分が筆者の主観によるものであることを、はじめに断っておきます。
 今回からいよいよオーケストラは育むための、岡山という街の『土壌』について考えていきたいと思います。
地方都市でオーケストラが生き残っていくためには、色々な政策的テクニック論があると思いますが、このシリーズを打っていて、「これはどうしても述べておきたい」と思うに至ったことを今回は触れていこうと思っています。

 これまでのエントリーで、オーケストラが「独立採算」で存立可能なのは莫大な「富の集積」がある東京圏のみ。地方においてオーケストラを維持するためには多額の「安定財源」が必要で、その多くが自治体による公的資金、それにプラスして地元財界を中心とした民間の資金援助が必須であることを述べた。つまりはその街の「総合力」が試されるわけで、岡山フィルの今後を考えるということは、その本拠を置く岡山という街そのものについて考えることにも繋がっていく。

 今回のエントリーのキーワードは、「文化資本デフレ社会」からの脱却と「文化・芸術資本が循環する社会」へ。


芸術家が集まらない街:岡山


 岡山市の文化芸術振興ビジョンによると、市の全就業者数に占める芸術家の割合は、全国平均の0.63%を下回る0.53%で、全国平均を下回り政令指定都市としてはかなりさみしい数字(下位グループに位置)であり、文化芸術のマンパワーが決定的に不足している状況が見て取れる。

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「岡山市文化振興ヴィジョン H29~33」より
 岡山で芸術家の割合が低迷しているのはなぜか?芸術作品に対する需要の不足、芸術家を支えるマネジメントや人的ネットワークの不足など、様々な問題点が指摘されているが、私がこの街で四半世紀近く生活してきたうえで「これでは芸術家やクリエイターが育たない」と感じるはっきりとした原因があると思っている。それは芸術家やクリエイターの仕事に対する正当な対価が払われる文化・土壌が少ない、あるいはそうした意識が弱い、『文化資本デフレ社会』であるということだ。

文化資本デフレ社会:岡山の問題点

 この『文化資本デフレ社会』は、岡山に限ったことではなく、地方都市の大部分が抱えている現象だと思う。
 岡山を含む多くの地方都市と、大都市・文化都市と言われる街との大きな違いは、人の手が入ったクオリティの高い仕事への対価に対する態度の違いである。大都市・文化都市には値段が高いものに対して、どれだけの技術や優れたデザインが盛り込まれているか?それを推し量る審美眼を持った人(目利き)が多く、本当にいいものなら少々高くても売れていく。
 しかし岡山も含めた地方の中小都市の現状を見ると、デザインやマーケティングといった付加価値を生み出すクラスターの職業人が不足しており、岡山発のデザインやアイデアに対して十分な対価が支払われるマーケットが育っていない。
 その一方で「東京で話題になっている・流行っている」モノ・サービスや、東京から派遣されたプロモーターが手掛けるイベントに関しては、少々高くても売れていく。地元のクリエイター達が渾身に作り込んだものが売れず、地元経済がデフレ化する一方で、東京資本のモノやサービスは活発な取引がある。結果、売上金はどんどん東京へ流出する。
文化デフレ社会=悪貨が良貨を駆逐する社会の犯人

 岡山が本気で「芸術・文化都市」を目指し、「岡山」のブランディングを向上しようと思っているのなら(岡山の「ブランド向上のために」、文化・芸術に力を入れる、という考え方は飛躍があるのだが、それにつてはのちほど・・・)、この地域内で文化・芸術資本の循環が充分でない現状について議論されるべきだろうと思う。

 話は逸れるが、しかし文化資本デフレを助長する傾向は岡山市や岡山県など公共セクターが発注する仕事にも顕著に見られる。単価が数%高いだけで、優れたデザインや企画が生き残れず、安かろう悪かろうが生き残ってしまう。
 発注者が価格以外の評価基準(デザイン性や芸術性)で良質な仕事をするクリエイターと契約する判断ができるようになれば、交通の要衝に位置するこの岡山でクリエイターの小さなクラスターを形作っていくことは可能なのではないだろうか。

 私は、公共セクターが財政難を理由に、クリエイターや芸術家の生活への影響を鑑みること無く、芸術や文化への予算を容赦なく削減し、芸術家やクリエイター達の「作品」への報酬や対価を買い叩いている話を耳にし、当事者の嘆きもよく聞いてきた。

 一方で、そうした公共セクターだが、東京資本の文化マネジメント組織や代理店に対しては、あっさりと財布の口を開いてしまう。本来であれば地元で頑張っているクリエイターや芸術家の中で回転することができる資金を、東京にかっさらわれているのだ。

そのモノが持つ価値は、「東京で話題になっていること」ではない

 岡山という街にクリエイター・芸術家が集まり、彼らの創作活動や演奏活動が街の活力となっていくためには、まずは「技術と芸の粋を集めた作品・演奏」に対して、きちんと価値を評価し、身銭を切ってそれらを手に入れる、体験する、という文化が育つことが必要不可欠だと思う。
 一人一人が目利きとして育っていく無しに、岡山の土壌から良質なモノが続々と生まれ、芸術家が集まる街になることは決してないだろうと思う。

 岡山フィルについて言うと、例えば、スクールコンサートのギャランティとして県や市から出ているお金は正当な価格なのか?現在でも岡山フィルの演奏技術は向上しているし、首席奏者が整備されれば演奏水準も上がる。当然、出演料も値上げされるべきだろう。
 確かに東京のクリエイターや芸術家に比べると、まだまだ岡山で作られる作品には物足りない部分もあるかも知れないが、最近の岡山フィルの定期演奏会での演奏のように、キラリと光るものだってある。
 オーケストラ演奏を例に取れば、確かにN響や読売日響の個々の団員の技量と岡山フィルの団員の技量に差があるのは認めざるを得ない。会社経営を例にとっても、給料と待遇の厚い企業に(個人としての)能力の高い人材が集まりやすい。
 一方で、これも会社経営と同じく、優秀な社員をかき集めれば業績が残せるのかというと、これはまた別の話だろう。自分の仕事が評価され、経営者が個々人の能力を伸ばせるようなシステムを作り、チームワークが良い会社のほうが業績を伸ばせる、といった事例は掃いて捨てるほど存在する。
 オーケストラも同じであるといえる。超一流の楽団のコンサートに、さほど感動を覚えないことはザラにあるし、地方都市において地元のプロ・オーケストラの演奏から、筆舌に尽くしがたい感動や感銘を得られることもある。
 話は逸れるが、文化芸術資本の地域循環やクリエイターへの対価という観点で一つ例を挙げる。
 京都に「門掃き」という習慣がある。早朝に自分の家や店の前の道を掃除する習慣のことだが、この門掃きに使われる箒を専門に売っている店が京都市内に存在する。1本1万円近い箒がコンスタントに売れていくそうだ。京都の人は本心を隠して「ホームセンターで売ってる安物の箒なんか、恥ずかしくて門掃きに使われへんわ」と理由を述べるのだが、本当のところは、やはり値段の高い箒は長持ちで掃き心地もが良く、塵が飛び跳ねにくいなど、機能面でも優れている。箒一本についても目利きを利かせて、朝一番に行う仕事を気持ちよく行うために「1万円は払うても惜しない」、それが京都の人々の本心なのだろうと思う。
 京都には、こうした専門店が何百年と続いている。扇子専門店から月見の時期だけに使う三方の専門店、茶筒の専門店なんて言うのもある。京都の骨董屋の目利きも日本一だと聞く。モノの価値を見る目を大事にし、ややもすればそうした素養の無い人は軽蔑さえ受けてしまう。そんな京都は、文化資本デフレとは無縁の街に見える。 
  

『「岡山都市ブランド」を育てるために、オーケストラを育てる、という発想への違和感

 岡山市の様々なビジョンにかかれている。「岡山の都市ブランド向上のために」オーケストラを育てるという発想
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「岡山市文化振興ヴィジョン H29~33版」より
 以前には無い発想であったから、私は一定の評価はをしたのだが、よくよく考えてみるとこの発想には、どうしても違和感が付きまとう。その違和感は「異性にモテたいから流行の服を買う」という発想に通じる違和感と疑問。その間に数段階飛ばしている大事なものがあるのではないか?都市ブランドの向上って、そんなに簡単なものなのか?
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「岡山市文化振興ヴィジョン H29~33版」より
 この図を見てみると、違和感の正体がはっきりする。岡山市は文化芸術が「岡山が人を惹きつける 多様な価値を提供」し、すぐに「都市のイメージアップ」につながると考えているようだ。そんなに簡単なわけはない。    
 文化・芸術が都市のイメージアップに貢献するためには、文化・芸術に関する行政・市民の地道な努力と、大胆な「投資」があって、(シェレンベルガーのような)プロのアーティストを呼び込み、例えば音楽では、岡山フィルが全国でも評価されるような楽団になり、しかし、そのためには街の人々が一流の芸術へアクセスし、人々もそれに対して対価を払う土壌ができ、文化資本が循環する社会になって、「新たな価値を創造」し「多様な芸術家などの人材が集ま」って、その結果、もしかしたら都市のイメージがアップする、かもしれない。実際には、途方もないプロセスを間に挟んでこそ起こることだろう。
 この表からは、単に「岡山フィル」というオーケストラが、現状のままでも都市のイメージアップにつながっていくような短絡的な発想をしているように感じる。現在、岡山という街が陥っている「文化資本デフレ社会」に対する現状認識すらないのだ。
 岡山という街がオーケストラを抱えることによって得られる、真の意味とは何なのか?という問いとしては、違和感を感じざるをえない。

 オーケストラは、お金がかかる。楽器演奏と音楽表現に文字通り人生を賭けた50名もの職人集団である。お金がかかるのは当然。岡山が「文化資本デフレ社会」から脱却するために、岡山の人々の価値観を転換し、最高レベルの技と芸術性に対し、正当な対価を払うという豊かな文化都市へ舵を切りなおすために、オーケストラを育てるという「敢えて困難な事業に立ち向かう」ことに意義があるのだと思う。

 オーケストラがあることによる数値的な効果の分析は、次々回のエントリーに譲るとして、その機能面での利点は、社会・文化資本としてとても優れた機能を有することだと思う。オーケストラとしての再現芸術を市民に聴く機会を与え、シェレンベルガーのような「本物」の芸術を持った人々との交流の機会を与えることが出来る。個々の奏者もプロの音楽家として、ソリストから室内楽まで様々な需要に対応した音楽演奏を提供でき、指導者として子供の音楽体験を導くことも出来る。オペラやミュージカル、バレエ、演劇、映画に至るまで、生演奏で伴奏を行うことも出来る。今後はジャズやポピュラー音楽のアーティストとの共演も増えていくだろう。このように、オーケストラは万能の文化インフラなのだ。
 岡山市内に限らず、学校や病院、福祉施設にも出向いていける機動性もあるし、大阪や東京、あるいは海外に出て岡山のアピールのための演奏旅行に行くことも出来る。
 社会文化資本としてのオーケストラの役割は、今後、いっそう重要性を増してくる。オーケストラの「場」を作ることが出来る機能は、人口減少社会の行きつく先の「コミュニティの再編」局面での重要な役割を果たすだろう。


「本物」の体験は、自然体験だけでは足りない

 これは平田オリザさんの主張されていることのなのだが、文化資本、とりわけ「値打ちがあるものかどうか」を見分けるセンスや立ち居振る舞いなどの文化資本は、おおよそ20歳ぐらいまでに決定されるそうだ。子供のころの読書体験が言語的資本を培っていくのと同じように、この文化資本を培うためには、「本物」に多く触れていく、これ以外に方法は無い。「本物」に多く触れることで、偽物を直感的に見分ける能力が育ち、国際社会に出ていった時の自分自身のアイデンティティの確立にも資する。東京や関西圏など大都市には本物の文化資本に触れる機会が多く、岡山のような地方都市の子供たちは圧倒的に不利な状況に置かれている。

 『いやいや、岡山には自然がある。自然の中でも「本物」の体験ができる』という意見があるかも知れない。確かに、自然の中でも体験も、「本物の体験」だろう、そこに異論の余地はない。しかい、関西で生まれ育ってきた私が断言するのは、都市部でも「本物の自然体験」は豊富に出来るということだ。都市部では鉄道などの公共交通が発達しているので、例えば私の実家があるところは渓流遊びや滝遊びができるようなところ(六甲山系)だったが、休日には関西一円からそうした自然を求めてファミリー層が集まって来ていた。私の実家から神戸や大阪への通勤時間は1時間を切っていたから、昼間は渓流遊びをしている子供が、夜には劇団四季を見たり、大フィルのコンサートに行ったり、ということが日常的に出来る(実際は、そんなに頻繁には連れて行ってもらっていないが、関西に住んでいたからこそ「生」の様々な舞台芸術を体験できたことは事実だ)。
 もちろん都心部在住では本物の自然体験は量的には少なくなるかもしれないが、交通機関が発達した都市圏の住民は、岡山の人々よりもアクティブなのは間違いないと思う。関西だと姫路から琵琶湖まで身近なレジャーを楽しめる、「明日は琵琶湖に行こうか?姫路城に行こうか?」という行動範囲で『本物体験』ができる。
 閑話休題
 こうした地方都市の子供にとって不利な状況は、オーケストラという窓口を持てば、19世紀以来の近代芸術最高の再現芸術にアクセスする手段を保有し、シェレンベルガーに代表される世界的な「本物」のアーティストと音楽を通じての会話体験によって、「本物」のシャワーを子供たちに浴びせることも可能になる。


プロの技を披露する人、プロを目指す人、聴く人見る人、応援する人、それらが岡山という地域の中で循環する社会

 私も含めた働き盛り世代は本当に忙しい。少ない余暇時間も、仕事のためのスキルアップのために費やされ、美術館に行ったりオーケストラをはじめとする舞台芸術を観たり、プロスポーツの観戦にいったりする時間が取れない。そんな人がほとんどではないだろうか?
 そして、岡山は都市としての吸引力が弱く、中心市街地で働いている人口が少ない。クラシックのコンサートでは土日はそこそこ観客が入るのに、平日の18:30開演のコンサートは大概がガラガラである。僕は今まで「そんな時間に設定している主催者が悪い」と思ってきたが、「働き方改革」が叫ばれる今、「18:30開演のコンサートに、たまにでも行けないような働き方こそが変わっていくべきなのではないか?」と考えを改めた。
 日本人はこれほどに働いているのに、労働生産性は低いままで、国際競争力も長期的には低下の一途をたどっている。「規格大量生産の時代は終わった。これからは付加価値を生み出し、高いモノでも買ってもらえる製品・サービスを売っていくことが必要だ」と、20年前から言われているが、過重労働で平日夜のコンサートにも行けないような働き方で、付加価値が生み出せるだろうか?
 岡山ではJ1リーグへの昇格を目指す、ファジアーノ岡山への応援熱が盛り上がっている。私の会社ではファジの試合がある水曜日はなるべく定時(17:30)で帰ろう、という文化が育ち始めている。水曜日にはユニフォームやタオルを持って出勤してくる人も見えるようになった。
 ファジアーノがJ1リーグに昇格してくれれば、これほどうれしいことは無いが、僕が一番良かったと思うのは、ファジアーノがこうした岡山の「アフター5」の文化を変えつつあることだ。試合を見に行く人は、残業することよりも、ファジのサポーターとして観戦に行く時間に価値を置いている、それに加え周囲の人も、ファジのサポーターの観戦に費やす時間の価値を認め、応援してスタジアムに送り出している。社会・文化資本が地域の中で尊重され、循環し始めていると感じる。


目指すのは、「文化デフレ社会」から脱却し、『文化・芸術資本の循環する社会』を創ること。
 このように市民の間にプロのスポーツチームを応援する、あるいはプロの芸術家の技に触れる、プロフェッショナル達が尊敬され、作品やパフォーマンスが正当に評価され、創作が喚起され、人々の居場所を作り、感動を呼び起こし、正当に評価された対価がプロフェッショナルの間に還流するという、『文化・芸術の循環する社会」を築く、それが岡山の街の目指すべき姿である。その大きな波が起これば、岡山フィルの地位向上や資金の問題の解決、その結果としての岡山独自のオーケストラ文化の隆盛と楽団の実力向上への道が、おぼろげながら見えて来る。

 少し脱線するが岡山フィルの定期演奏会で毎回募集する「市民モニター」と称するコンサートのタダ券の配布。これもやめるべきだろう。1000円でもいいから身銭を切ってもらうべきなのだ。タダで聞きに来た客が(1階席の四隅の席が充てられるのですぐに分かる)コンサートが始まってまもなく、演奏の最中に席を立って扉を開けて帰ってしまうという現象を何度も目撃しているが、これは「タダで聴きに来ている行為そのものに駆動された行動」であるといえる。人がお金を払うという行為には、購入する物に対する敬意も含まれており、無償のモノには価値を見いだすことは心理的に難しいからだ。

岡山のロス・ジェネ世代が生み出してきた、「衣」「食」「住」の「本物志向」
 芸術・文化面では、まだまだこれからだが、ファジアーノに続いて「衣」「食」や「住」の消費社会では流れは変わってきている。2000年代後半ごろから、都心回帰へと人々の住まい方が変化したのと同時に、1970~80年代生まれの、バブル崩壊後に社会人になった、いわゆる「ロス・ジェネ」 世代を中心とした「本物志向」の消費に牽引され、空洞化していた市街地中心部や「役割を終えた街」の筈だった問屋町に雑貨やインテリア、ファッション関係の店舗が増え、職人の技術や仕事の価値を認めようという動きが拡がってきている。
 この世代はバブルまでの大量消費社会の洗礼を浴びておらず、青年期に価値観の180度転換を迫られた「バブル崩壊」「阪神大震災」「地下鉄サリン事件」を見てきた。流行に対して懐疑的で、自分が本当に気に入ったものしか信じないという消費傾向を持つ。岡山で言えば、アカセ木工の家具がこの世代に売れ、油亀を始めとしたアートスペースが活気づいているのは、この世代がこうしたこだわり消費を牽引しているからだと思われる。

 そこに、2011年の震災以後の、東日本を中心とした移住者の急増や、ロス・ジェネ世代が消費者の中心としてイニシアチブを握る時代に入り(同時に岡山フィルの首席指揮者にシェレンベルガーが就任し、岡山フィルの快進撃が始まった時期とも重なる)、少しづつではあるが、「価値のあるものに対してはしっかり対価を払う」あるいは、価値があるかどうか自分では分からないものに対しても、「その価値が分かるように感性を磨きたい」という風に考える人々が急速に増えてきたと感じる。

 しかし、課題がないわけでは無い。

 これらの世代が読んでいる「オセラ」という雑誌がある。
オセラ2018年3-4月号 92号

オセラ2018年3-4月号 92号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ビザビ
  • 発売日: 2018/02/25
  • メディア: 雑誌


 「おとな、暮らし、ときどきプレミアム」を合言葉に、上質な大人のライフスタイルを提案している雑誌で、いわゆる従来の「タウン情報誌」から一線を画した誌面になっている。
 しかし、この雑誌には音楽文化、美術、アートなどの芸術・文化に関する記事が極めて少ない(ほとんど見たことがない)。
 雑誌の誌面は、その雑誌の読者層の鏡だ。岡山の「本物」消費を牽引している世代にとっても、芸術やアートを消費するハードルはまだまだ高いのだと思うが、やはり心の養分となる芸術・アートへの消費の高まりがなければ、なんとなく外側だけの本物志向に陥ってしまうのではないだろうか。「文化・芸術の循環する社会」への移行は、この世代の消費の広がりが不可欠である。 


『後楽園』を受け継いできた岡山だからこそ、「本物」を創造することは可能

 岡山フィルが、そんな文化資本の循環する社会の中で、次の世代に受け継がれていく、そんな姿が僕の夢だ。受け継いでゆく文化があるというのは素晴らしいことだ。自分たちが大事に育ててきたものが次世代に引き継がれ、自分が死んだ後も脈々と生き続ける。街の人々の精神安定作用にどれほど貢献することだろうか。岡山には、天下の名勝:後楽園を受け継いできた歴史があるのだ。


 次に、「文化・芸術の循環型社会」の中核となる、岡山フィル自身に必要なものは何か?について考えてみようと思う。


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国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その5:安定財源のもたらす圧倒的な果実) [オーケストラ研究]

 このシリーズ記事、4か月ほど更新をサボっていましたが、先日、N響のコンサートを聞いたことにも触発されて、今回は第5回ということで「安定財源のもたらす圧倒的な果実」を見ていきます。
 第4回までのエントリーで、バロック・古典派からロマン派の主要な楽曲をカバーできるサイズ=4管編成のオーケストラを維持するためには、事業規模10億円が一つのラインであり、東京以外の地方都市において4管編成を維持しているオーケストラは、数億円規模の地方自治体支援により支えられていること。老舗の大阪フィルが地方自治体支援という屋台骨を失ったことで、大都市オーケストラの標準サイズである4管編成はおろか、3管編成すらも維持が厳しい状況に陥っていることなど、オーケストラ経営には安定的な財源が必須であることが分かった。
 民間支援の可能性が大きい大阪のような大都市圏でオーケストラでさえも、公的支援無しでは2管編成の維持がやっとの状態になってしまう。大阪では新自由主義的な競争原理が持ち込まれ、それは一定の合理性を有するため、市民の大勢に受け入れられた。しかし、結果は大都市としての品格・風格を体現し日本を代表するオーケストラでもあった大フィルの経営的な凋落を招き、『損益分岐点』である2管編成のオーケストラへと縮小均衡、その結果、将来的には大阪では同じようなサイズのオーケストラ4つがせめぎ合うという構図になることを予想した。3~4管編成の維持には莫大な初期コスト(=人件費)がかかる以上、致し方のない帰結と言える。

 今回は「安定した財源」を持つオーケストラの経営数値を見てみようと思う。私が注目したのはオーケストラ楽曲のほとんどすべてのレパートリーをカバーできる規模である4管編成のオーケストラ。
 ここで取り上げるのは日本を代表するオーケストラ、誰もが知っている「N響」こと、NHK交響楽団だ。

 言うまでも無く、N響はNHKからの補助金が主な財源となっているが、その額はなんと14億円!!(2015年度実績)
 資金難に瀕する大フィルなどからすると「そのうち1億円くらいわけてくれてくれい!」といいたくなる額だ。

 しかし、N響の財務面での強さはそれだけではない。経営数値をもっと詳しく見ていくと、N響がNHKからの補助金に依存しているだけのオーケストラでは無いことが分かる
 2015年度の演奏収入ランキング

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 N響は演奏収入の面でも東京フィルに次いで2位。もう少し掘り下げて、演奏収入を楽団員数で割った数値、すなわち楽団員一人当たりの収益力を見てみると、これも3位に付けている。

楽団員一人当たりの収益力(2015年)
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 この数値にはNHKからの支援は入っていないため、純粋にコンサートだけでどのぐらい効率的に稼げているかがわかる。演奏収入では1位だった東京フィルは、楽団員一人当たりに直すと、それほど効率的には稼げていない

 もう一つ民間からの支援を見てみよう。

民間支援ランキング(2015年度)
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 1位の読響は経営母体の読売新聞社からの資金が計上されているので別格としても、ここでもN響は3位の位置につけている。そういえば今月のN響の中国地方ツアーも、エネルギー関連企業がスポンサーになっていた。

 安定したNHKからの14億円もの財源で演奏能力の向上と優秀な奏者を採用し、国内随一の指揮者とソリストによる魅力的なプログラムにより、国内屈指の収益を叩き出し、かつ公共放送による露出の高さに加え、伝統とブランド力を備える。潤沢で安定した財源が投資を呼び、スポンサーも続々と集まってくる、いわば「総取り」経営が見て取れる。
 読響や都響など、財源が安定している他の在東京オーケストラも同じような状況だといえるだろう。

 いわゆる「御三家」のオーケストラだけでなく、名古屋フィル(4位)、札響(9位)や広響(10位)、京響(13位)、群響(14位)などの地方都市オーケストラも、行政からの補助金だけでは無く、民間資金も積極的に獲得している。
 市民の税金が原資の補助金を投入する過程には、納税者の理解や政治的利害調整が必要であるし、そのプロセスの中でオーケストラに公的資金を投入する意義についての議論は避けて通れない。
 公的支援に頼らない経営が理想なのは間違い無いが、一方で、地方都市では行政が補助金を出すことによってその事業の信用度や文化的投資への決意を見せることで、民間スポンサーも俄然、集まりやすくなる。逆に言えば行政がお金を出さない事業に民間もお金は出せない、というのが現実だろうと思う。

 このようにオーケストラにとって、『安定財源』の確保が経営上極めて重要であることがわかる。今回見てきたN響や大都市のオーケストラの経営数値が明らかにしているように、安定した財源(地方自治体支援など)があれば積極経営にも打って出られるし、民間からの支援も集まりやすくなる。経営の選択肢が増え、相乗効果を生み出していくことで事業規模をさらに拡大していくことが出来る。プアな財政で楽団員に際限の無いプロ根性や反骨心に期待するような経営では、やはり無理が来るのだ。

 第4回で取り上げた大フィルを例に取ると1億7万円の公的補助を出し惜しんだがために、3.7億円と48,000人の経済活動の縮小を招いている。このまま打開策が無ければ中小規模の4つのオーケストラがひしめき、かつての「大フィル」「朝比奈隆」のブランド力がそのまま大阪のブランドやアイデンティティに寄与していた状況を失ってしまうことになる。お金では換算不可能な莫大な損失だ。 

 翻って岡山の状況について考えてみると。岡山市が岡山フィルへの支援を表明しているのは心強いが・・・果たして、見通しはどうなのか?次回以降は岡山フィルの今後について考えてみたいと思います。

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国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その4:安定財源を失った先にあるもの) [オーケストラ研究]

 このシリーズ記事、前回はオーケストラの総入場者数が伸びている関西の中で、一つだけその波に乗り切れていないオーケストラがあることを述べた。
 実は、そのオーケストラこそが大阪フィルである。今回は第4回として「安定財源を失った先にあるもの」ということで、「大フィル」こと大阪フィルハーモニー交響楽団について見ていくことによって、公的支援の果たしていた役割について考えてみようと思う。
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※全体を表示するには、表をクリックしてください 金額に関する単位は千円。

 上にある表は、過去10年間の大阪フィルの経営数値である。関西全体の聴衆のパイが増える中、大フィルの総入場者数は2008年の17万4000人をピークに減少を続けている。井上道義が首席指揮者に就任し、本拠地を2500人もの収容人数を誇る新生「フェスティバルホール」に移した2014年には一時的に回復を見せるも、2015年には再び10年前の水準にまで戻っている。
 
 事業規模についても、2012年以降は「3管編成オーケストラ維持ライン」と思われる、10億円を下回る状況が続いており、事業総収入は地方自治体支援の額に連動して低下している状況が見て取れる。
 言うまでも無くオーケストラで最も経費がかかるのは人件費、単純計算で一人500万円としても、14型3管編成に必要な80人では4億円かかる。ここに首席手当や大規模編成時のエキストラ報酬も加わってくる。これが10型2管編成48名であれば2億4000万円程度に下がり、オーケストラを維持できる損益分岐点は当然、低くなる。
 「なんだ、当たり前のことじゃないか!」と思われるかもしれないが、この点はオーケストラ経営が民間企業の経営とは大きく異なる点で、民間企業は人件費をコストと考え、業務の機械化やIT化によってコストを削減する一方で、事業規模を拡大すればするほど設備や仕入れ値はロットが大きくなる分低減される。
 オーケストラは職人の技術を集約して、より芸術性の高い成果物を生産するための組織であり、人件費の削減は演奏品質の低下に直結する。演奏品質の低下はオーケストラの存在意義にかかわることで、ここは削減が難しい。それでは製品の生産コストを下げられるかというと、ホールの定員を大きくするとしてもせいぜい2500人程度までで、それ以上大きくなるとPAが必要となり、これもアコースティックなクラシック音楽としての存在意義に関わる。回数を増やそうにも年間365日は決まっており、品質を高めるためのリハーサルにも日数を取られるし、労働法上の規制もあるから、年間130日あたりが限度になるだろう。
 そう考えると、オーケストラはコスト削減の余地が極めて小さい興業である一方で、寄付的財源(売り上げとは関係のない、履行義務や債務の生じない財源)=民間スポンサーや公的補助、の大きさで、事業展開が可能な規模が、ほぼ決まってしまう。計算式で表すと
 演奏収入 + 寄付的財源 = 楽団人件費 + その他諸経費
 となり、演奏収入には限界値があり、その他諸経費を極限まで効率的に執行したとすると、楽団人件費は寄付的財源(民間スポンサーの寄付額や公的補助金)の規模に依存する。こういう財務体質となる宿命を負っている。
 これまで見てきた数値からも、大フィルがこれまで提供してきたレパートリーを維持するためには3管編成が不可欠であるが、その損益分岐ラインが10億円前後、ということになるのだ。
 ちなみに、結成以来2管編成のサイズのオーケストラである関西フィルと大阪響は、事業規模7.8億円の間で経営的には安定しており、長期的には集客も伸ばしている。
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 上の表は2015年度(岡山フィルは2016年度の数字を筆者が独自に集計)の地方自治体支援のランキングである(単位は千円)。東京以外で活動している、いわゆる地方オーケストラの中で3管編成を維持できているオーケストラには、おおむね3億円以上の地方自治体支援が入っている。大都市に必要な、「社会・文化インフラ」を維持し、都市の「格」を保っているといえるだろう。東京に行かずとも一流の音楽芸術に触れられる・・・地方都市に住む人間にとっては、これは地域への誇りや愛着、自らのアイデンティティの立脚点にもかかわる非常に大事なことである。
 逆の見方をすると、公的資金に頼らない自主運営で3管編成を保っているオーケストラは東京以外には存在しない、し得ないということだ。
 大阪フィルは2008年までは1.7億円以上の地方自治体支援を受けていた。もし、2007年と同額の地方自治体支援が、2015年まで継続されていたと仮定すると、2015年の事業規模は10億円を上回る計算になる。大フィルにとってはやはり地方自治体からの支援が打ち切られたことが、3管編成の維持という、経営の屋台骨を揺るがす契機になったと言える。
 
 地方自治体の補助金の使途は、その地域の住民が決める、これが地方自治の本旨である。補助金の打ち切りの政治判断までの流れは複雑であるが、乱暴に言ってしまうと、「一部の市民の趣味でしかなく、日本独自の文化でもないオーケストラの運営は、基本的には独立採算で賄われるべきものであり、その赤字補てんに公的補助をすることはまかにならん」というものだった。
 しかし、大フィルの歴史を辿ると、朝比奈隆が育て、大阪という都市を体現する風格と存在感を備えていた日本を代表するオーケストラであったことは否定できないだろう。西洋文化に支援は不要という理屈も首をかしげる。それであれば西洋由来のスポーツが(スポーツも人類が生み出した文化の一環)ほとんどを占めるオリンピックの開催やメダル獲得競争に何兆円もの公費を投入する理由も立たない。
 自治体補助の1.7億円がプライミングポンプとなって、民間支援の獲得や、集客の拡大、あるいはかつては「日本一CDを売るオケ」のレコーディングなどの付随事業の投資を可能にしていた。つまりは赤字事業の公的補てんという視点ではなく、12億円の規模の事業をうまく回転させ、のべ20万人近い人々に芸術性の高い(というとスノッブと受け取られかねないが、要諦は何百年という歴史のフィルターを経て生き残った一流の題材を、技能職人集団による一流の仕事で聴くことが出来る)音楽文化に触れる機会を与え、何十億円の経済波及効果を生み出していたビジネスを回転させていた。議論の中心は、プライミングポンプ(呼び水)として1.7億円が高いか安いか、に絞れらるべきだった。
 大フィルの過去10年の経営数値を見ていくと、その重要なプライミングポンプを失った後、大阪という町の凋落を象徴するように資金や人の回転・集客が悪化。このままでは堂々たる3管編成を維持することは難しくなり、中規模オーケストラへの縮小均衡の道を歩んでいるように見える。
 
 大フィルも手をこまねいていた訳ではないだろう、大阪府・大阪市の公的補助全廃の方針を受けて、様々な収入増加策を取った。定期演奏会チケットの値上げ、定期演奏会会場のフェスティバルホールへの移転、他にも僕が把握できていない対策がたくさん取られたのだろうと思う。
 しかし、経営数字を見ると状況は極めて厳しい。大フィルのファンとしては少々気が重いのだが、もう少し詳しく数字を見ていくことにする。
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 過去10年の大フィルの経営数値を再掲する(金額に関する単位は千円)。
 
 まずは「総入場者数」。2008年~2010年をピークに、長期的に下落傾向にある。2000年代後半の集客の好調さは、2006年から5年間開催された「大阪城星空コンサート」や2008年から始まり、2009年からは5万人以上をを動員する秋の一大イベントになった「大阪クラシック~御堂筋にあふれる音楽~」などのイベントを入り口として、新しい若いお客さんが大フィルに足を運んだのではないだろうか。この頃の定期演奏会の会場のロビーや終演後の楽屋(大植さんが毎回サインに応じていた)周りには若いファンや女性のファンが沢山居たことを思い出す。大阪市からの支援の打ち切りで星空コンサートが終演し、大阪クラシックも大フィルだけのイベントでは無くなったことで、徐々に大フィルのプレゼンスが弱くなってきたことが考えられる。
 
 次に事業総収入の加盟団体内でのポジションを見てみよう。
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 2007年の総事業収入と総入場者数の散布図である。より詳しい傾向を分析するため、N響・読響・東フィルは「外れ値(統計処理上、けた外れに高いなどの例外的なデータ)」として除いてある。
 2007年(12億円)の大フィルのポジションは加盟団体29団体中、7位の位置につけており、N響・読響・都響・東フィル(30~16億円)には及ばないものの、新日フィル、日フィル、東響、名古屋フィルらとともに、第2集団の位置に付けていた。僕の感覚的な楽団の演奏能力もこれらの在東京オーケストラにひけを取らない水準だったと思う。
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 次に2015年の総事業収入と総入場者数の散布図である。こちらのグラフも、N響・読響・東フィルは「外れ値」として除いてある。 
 2015年(8.3億円)の大フィルの総事業収入は、加盟34団体中14位に後退。在東京主要オーケストラの後塵をことごとく拝し、名古屋フィル(10.8億円)、仙台フィル(10.1億円)、札響(10億円)、群響(8.5億円)にも凌駕されており、九響とほぼ同等の事業規模となっている。
 
 また、楽員数37人のオーケストラアンサンブル金沢(8.2億円)や51人の日本センチュリー交響楽団(7.5億円)など、小規模編成のオーケストラと同種準の事業規模であることから、単純計算ではあるが、人件費はこの2楽団よりも相当抑え込まれていることが予想され、楽団の質の低下が懸念される危険水準にあると察せられる。
(※補足、大フィル事務局から公表されている資料によると、2016年度の総収入額は9.7億円にまで回復しているようだ)
 
 いっそう深刻なのが、演奏収入も大幅に落ち込んでいることである。
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 2007年の演奏収入と総入場者数の散布図。この年の演奏収入は6.2億円あり、業界内でもかなり高い水準だったが、この年をピークに長期低落傾向にあり、2014年の井上道義の首席指揮者就任の年には一時的に回復したものの、2012、14~15年は過去10年間での最低水準が続いている。
 2015年の演奏収入(4.3億円)を加盟団体と比較してみよう。
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 在東京オーケストラはおろか札響(5.4億円)や仙台フィル(4.8億円)などの100万都市のオーケストラにも大幅な後れを取っているばかりか、背後には同じ大阪が本拠の大阪響(4.15億円)や関西フィル(4億円)が迫ってきている状況。これを見ると、大フィルはもはや西日本の横綱とは言えず、大阪での一番手のオーケストラとしての地位さえも危うくなっている。
 演奏収入の大幅な減少の原因は、依頼公演の回数の低下にあるのは明白で、一つの原因として「大フィル」というブランド力の低下があるのではないか。じっさい、私の住む中四地方でも、関西フィルや大阪響が出演するコンサートは多いが、大フィルが登場する公演はめっきり少なくなった印象がある。2管編成の規模であれば(おそらく出演料等が安い)関フィルや大響で充分なのだから。
(※補足、大フィル事務局から公表されている資料によると、2016年度の演奏収入額は5.1億円にまで回復している)
 これらのデータを見ると、大フィルの苦境の根本的な原因は、3管編成をなんとか維持したいオーケストラ側の経営ビジョンに対し、2管編成ラインにある財務状況、この両者がかみ合っていない点にあるように思う。それを横目に関西フィルや大響などの10型2管編成の小回りのきくオーケストラと、需要の獲得競争にさらされているが、安定財源を有しないため演奏上の強みであり楽団の個性でもある3管編成の性能を発揮しきれていない展開になっている。
 
 暗い話題ばかりになってしまったので、少しでも明るい点を探すとすると、まずは会員数の増加がある。「ソワレ・シンフォニー」や「マチネ・シンフォニー」の会員が別に計上されている可能性があるが、そうだとしても大フィルを愛する熱心な会員に支えられていることが疑いようはない。
 そして、民間支援の層の厚さ。特に、2015年には前年比1.2億もの支援額の増加が見られ、新聞社の専属オケである読響に次ぐ、国内2位の民間支援額を獲得している。
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※単位は千円。

 上のデータを見る限り、大フィルは民間資金の獲得にかなり努力している。頑張っているなあ、という印象。
 
 今後は2018年度に就任する尾高忠明・新音楽監督のもと、まずは依頼演奏を増やし、演奏収入と総入場者数について大植英次音楽監督時代のピークの数字(6.2億円、17万人)にまで戻すことが至上命題になろう。そうすれば事業規模10億円台に復帰し、楽団員数を元に戻し、堂々たる3管編成オーケストラへ復活する目途が立って来る。実際、2016年度には演奏収入の回復により、9.7億円にまで回復しつつある(大フィルの公表資料から筆者が独自に集計)。
 大植時代の本拠地が、1700人キャパのザ・シンフォニーホールであったことを鑑みると、演奏収入6.5億円は目指したいところである。そうすれば在東京オーケストラの第2集団に匹敵する事業規模を展開することができ、朝比奈隆時代の4管編成に戻すことも視野に入ってくる。
 自治体の支援もなく、巨大スポンサーも存在しない=安定財源の無い自主運営のオーケストラが、どこまでやれるのか、それは大阪という町の底力が問われているように思う。大フィルの今後に注目したい。

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国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その3:集客分析 関西のオーケストラ) [オーケストラ研究]

 このシリーズ記事も今回が第3回。岡山フィルからは少し離れますが、私自身も足しげく通い、多少なりともも事情がわかる関西のオーケストラの集客についての分析してみようと思います。

これまでの記事

 大阪・関西地区は2008年の「リーマンショック」と「橋下ショック」以来、苦境に立たされていると言われてきましたが、一方で、前回記事でも取り上げたように、もはや「国民的娯楽」といってもいい動員を叩き出すオーケストラ鑑賞の需要のなかで、「南関東」と「関西」はその人口に比べるとかなり強力な動員力があることも述べました。

 皮肉なことに「オーケストラは根付いていない」と橋下氏が根拠もなく放言したこの関西こそが、全国的に見ても有数の「オーケストラの動員力がある地域」だったわけです。その大阪・関西のオーケストラの観客動員について、もう少し詳しく見ていこうと思う。
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 まずは大阪以外の関西の状況だが、この10年で劇的とも言える観客動員の伸びをみせている。2006年の19万人に対し、2015年は48万人と、2.5倍もの伸びを見せているのだ。
 これはいわゆる「橋下ショック(オーケストラに対する公的補助の打ち切り)」による大阪のオーケストラの奮起によるものでは・・・もちろん、無い!(笑)
 実際はまったくその逆で、兵庫県が潤沢な投資的資金を投入して劇場整備とソフト事業を進めたことが関係している。兵庫芸術文化センター管弦楽団(兵庫PAC管)が設立され、オーケストラ連盟に加盟が認められたこと(2008年)と、それ以後も同オーケストラの観客動員が著しい伸びを見せていることが関西全体の観客動員の増加に寄与している。定期演奏会の会員数・総入場者数とも、大阪も含めた関西の楽団の中で、ぶっちぎりのトップを走る。

 次の要因としては京響の動員数の増加があげられるが、意外にも京響は11万人(2008年)→12万5千人(2015年)と伸びは大きくない(京都市直営時代は判で押したように11万人を計上し続けているので、これがどこまで実数を把握したものかどうか…疑わしいのだが、2015年の数字は公益財団法人として決算監査を受けているので間違いはないと思う)。

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兵庫県立芸術文化センター管弦楽団の年度別数値(人数は人単位、金額は千円単位)
※全体を見るためには画像をクリックしてください

 PACの経営数値を見てみると、やはり目に付くのは地方自治体助成の金額であろう。PACは兵庫県立芸術文化センターの座付きオケであり、その兵庫芸文センターにも兵庫県からの多額の補助が入っていると聞く。私は兵庫芸文センターの無料チケット会員になっているが、毎月多彩な催し物が開催されており、なかでも海外オーケストラ公演や東京でしか見られなかったような舞台が、東京の30%~50%安い価格で見ることが出来る。     
 オーケストラの客演指揮者陣の顔ぶれも蒼々たるメンバーで、人気指揮者:佐渡裕を筆頭にフェドセーエフやマリナー、スダーンなど、西日本のオーケストラの中でも随一の顔ぶれをそろえ、アメリカのオーケストラ並みの定期演奏会同一プログラム3日連続公演を打ち、そのほとんどが完売する。劇場の充実したプログラムと、価格破壊とも言えるチケット代の安さの原資は、間違いなく兵庫県からの公的支援である。その公的資金がプライミングポンプ(呼び水)となって、総入場者数の伸びや事業規模の拡大の基盤になっている。
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 一方で大阪のオーケストラの観客動員はというと、2006年の38万人に対し、2015年には43万人と堅調な伸びを見せている。ということは数字だけを見ると兵庫PAC管にしろ京響にしろ、大阪から観客を奪っての動員増加ではなく、新しいマーケットの開拓による新規顧客の獲得によるものと見ることが出来る。じっさい、『関西+大阪』の観客動員を集計しても伸び率は57万人→92万人で、160%の伸びを見せているのだ。これほどの伸びを見せているのは、前述したとおり他の地方には無い。世界的に見ても珍しい現象かもしれない。

 北摂の交通の要衝:阪急西宮北口という立地は、繁華街やオフィス街のど真ん中ではなく、どちらかといえば住宅街に近い立地ということで、開館前はそんな住宅街に大・中・小ホールを要する巨大な箱モノを作ることにかなりの批判があった。しかし開館効果が薄れてくるころに、ちょうど団塊の世代がリタイヤした時期と重なった。以前は平日の仕事帰りにホールへ寄っていた客層が、自分の居住地からアクセスのいいこのホールの常連となった。。
 兵庫県立芸術文化センターでは、クラッシックのみならず演劇や伝統芸能などの動員も好調で、これらの背景には、戦前からの「阪神間モダニズム」と呼ばれる、文化芸術を牽引してきた地域性や、宝塚歌劇の伝統など、莫大な「生もの」需要があったのだ。阪急沿線を中心としたこの地域は、今後も関西のオーケストラにとって、重要なマーケットとなるものと思われる。

 次回は、そんな関西のオーケストラ動員の隆盛の流れに、一つだけ波に乗り切れていないオーケストラを取り上げて、オーケストラ経営の厳しさにスポットを当ててみたいと思う。

国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その4:安定財源を失った先にあるもの


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