「オーケストラ福山定期」爆誕! ①リーデンローズと広響・京響のねらい [オーケストラ研究]
『オーケストラ福山定期は、“音楽で心を育む街”、“文化都市福山”として福山市の国内外での知名度向上、住み易い魅力的な創造都市の形成を目指し実施されるものです。年10回の公演のうち、4公演は福山・府中圏域内の中学生2年生を全員招待公演となります。』
東京交響楽団の新潟定期演奏会のように、大都市のオーケストラがフランチャイズ契約を結んで継続的に出演するという例はこれまでもあったが、2つのオーケストラが一つの会場・企画に競い合うように出演する、というのは前代未聞。広響、京響ともによく引き受けたなと思う。
リーデンローズに限らず、地元にプロ・オーケストラを持たない地方都市では公演の絶対数が少ない上に、プロ・オケの地方公演はベートーヴェン・チャイコフスキー・ブラームス・ドヴォルザークなどのごく限られた楽曲でプログラムが組まれ、練習期間も1〜2日程度で仕上げられる。もちろんプロだから水準以上の演奏は聞けるが、私の経験上この手のコンサートは本拠地定期演奏会に比べると「これは途轍もないものを聴いた!」という経験は正直言って少ない。
プロ・オーケストラの本拠地で主催公演として実施、する『定期演奏会』は特別な意味を持つ。定期演奏会には評論家や、長年、そのオーケストラを支えている耳の肥えた聴衆が聴きに来る。彼ら満足させるために本格的なプログラムを練り上げ、時間をかけて仕上げられ(初めて演奏するような曲は、何か月も前から個人練習を重ね、オーケストラが集まっての練習は3日間みっちり行うのが通例)、文字通りそのオーケストラの評価を賭して全精力を傾けて演奏される。その定期演奏会をリーデンローズ側が「興行リスクは被るから、とにかく本拠地定期演奏会と同じものを市民に聴かせてやってくれ!」と、大都市との「本物体験の格差」を一気に埋めにかかったことが極めて画期的なのだ。
リーデンローズ側も、赤字リスクを一方的に背負っているかと言えば、決してそうでは無い。本拠地定期の引っ越し公演の招聘には「本物体験の格差を一気に埋める」という最大のメリット以外にも、コスト面・興行面でもメリットがある。
例えば東京のオーケストラを招聘して名曲で固めたような【よくある地方公演】を福山で実施すると仮定する。
何十回と演奏してきた名曲と言っても、ソリストとの合わせや、指揮者の意図する音楽を表現するために、リハーサルは最低で1日は必要だろう(リハ1日は、かなりやっつけ感が強いが・・・)。前日からホールに入ってリハーサルを行うことになるから宿泊費もかかる。
ここで【よくある地方公演】のコストを計算してみよう。想定はチャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲+交響曲第5番。
楽員・スタッフの宿泊料:60人×1.2万円=72万円
人件費(平均を1日一人3万円として)
:60人×3万円×2日で360万円
旅費:60人×4万円=240万円
楽譜など諸経費:30万円
チラシやプログラム等の販促費:30万円
指揮者+ソリストのギャラ:100万円
運搬・セッティング費:30万円
しめて総額860万円程度の経費がかかる。
平均3000円のチケット代で、リーデンローズの普段の集客力=1200人だと、チケット収入は360万円。したがって差し引き500万円の赤字になる。
これが広響・京響による≪本拠地定期引越し公演≫のパターンだと、本拠地定期演奏会の段階で既に演奏は完成されているからリハーサルは不要。広響は当日移動が可能、京響も開演時間をわざわざ16:00にしているので、午前中に各自で京都から移動し、本番前ゲネプロは12:00開始ぐらいでやるのだろう、したがって広響と同じく宿泊費は不要。
本拠地定期と同一プロの翌日公演だから、リーデンローズ側が負担すべき楽員・スタッフの拘束日数は1日のため人件費も1日分で済む。
ざっくり計算して≪本拠地定期引越し公演≫は【よくある地方公演】に比べて、意外にもにも370万円ほどの経費が浮く。
アルプス交響曲やショスタコーヴィチなどは、編成も巨大で人件費のみならず特殊楽器のレンタル料や運搬料などもかかってくる、指揮者やソリストの実績やネームバリューによっては報酬は100万円単位で高くなるだろう。それを加味しても【よくある地方公演】と同程度のコストで回すことは充分に可能であり、世界一流レベルのソロ演奏や巨大管弦楽による大スペクタクルの特別な体験として聴衆に還元される。
リーデンローズ側だけでなく、オーケストラ側にもメリットはある。京都市交響楽団は 2008年の広上淳一常任指揮者就任以来、定期演奏会2日連続公演の完全実施を悲願としてきた。日程が2日間あると、聴衆も都合がつけやすいし、何より『本番』を2日経験することによるオーケストラの演奏能力の向上というメリットは大きい。私も京都観光を兼ねて、土日の2日とも京響の定期演奏会に足を運んだりしていたが、2日目の公演で、演奏内容の次元が一段上がるような体験をしたことも多い。
2019年の事務局さんのインタビューでは
「いずれは定期演奏会全てを2日公演にしたいのですが、現在は偶数月が1日、奇数月が2日公演と決めています。集客を考えて、出演者やプログラミングに工夫をしてはいますが、2日公演をいっぱいにするのは大変なことが多いのが現状です。しかし、ここで1日に戻してしまえば、今、キャパ1800を超えてご来場くださっているお客様に聴いて頂けなくなります。まだまだ大変な道のりですが、2日公演3600の客席をいっぱいに出来るように、今が踏ん張りどころだと思っています。」
とのコメントを出している。
しかし、コロナ禍で状況が一変し、京都コンサートホールの立地の悪さ(大阪から1時間以上かかる)も災いして集客力が低下。そのため日曜日公演を廃止し、金・土連続公演の場合は金曜日公演を『フライデーナイトスペシャル』と称し、プログラムを土曜日公演よりチケット代を1500円ほど安くする戦略に転換していた。
来年度からの福山定期5公演(一般公演3公演+中学生招待2公演)の参入によって、変則ではあるが定期演奏会2日連続公演の完全実施に一気に近づくことになったわけだ。
広響も、『プレミアム定期』や大阪・東京公演などを除いて、定期演奏会は原則1日しかないが、年に5回も2日連続公演が組まれるようになれば、演奏力が向上する足掛かりになるだろう。
次に考察するのは、リーデンローズだけでなく、それをバックアップする福山市の狙いである。
年間10回のプロ・オケの本拠地定期引越し公演、しかも4回はチケット代を取らない中学生招待公演となれば、4000万円~5000万円の補助金が必要になるだろう。これは岡山市が岡山フィルに対して支出する補助金を軽く凌駕する。
ここまでの予算を組むメリットはどこにあるのか?冒頭にも掲載した、リーデンローズからの公式発表の中に、重要な言葉があった。
『オーケストラ福山定期は、“音楽で心を育む街”、“文化都市福山”として福山市の国内外での知名度向上、住み易い魅力的な創造都市の形成を目指し実施されるものです。年10回の公演のうち、4公演は福山・府中圏域内の中学生2年生を全員招待公演となります。』
拙ブログを以前からお読みいただいている方はピンときたのではないですか?
続きは記事を改めます。
国内オーケストラ業界の研究:番外編 「クラシックコンサート市場が成長しているこれだけの証拠」 [オーケストラ研究]
国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究 目次
まず、 オペラ公演については2006年までは急成長を遂げていたが、ここ10年はやや減少傾向に入っているようだ。演劇は公演数・団体数ともに衰退傾向にあることがわかる。最盛期の2004年と直近の2015年のデータを比較すると、36%もの落ち込みで、10年余りで2/3になっていたのだ。これを見ると岡山芸術創造劇場の主要コンテンツとして想定される演劇については、将来性のある分野とは思えない現実が浮かび上がる。
一方で、オーケストラ公演数を見てみると、 こちらは2014年と比較すると46%増、1999年と比較すると59%もの伸びを見せている。
2003年のシェレンベルガー就任以降の岡山フィルの集客の伸びは、もちろん岡山フィルという楽団の頑張りよるものが大きいのだが、業界全体を俯瞰した場合でも、国内全体のオーケストラ公演の集客の急速な伸長という追い風にも乗っていたことが解る。
上記のデータは団体数や公演数のデータしか解らないので、具体的な観客動員を時系列で追えるものを探していると、「社会生活基本調査」という調査に行き当たった。
社会生活基本調査は、国民の生活時間の配分や余暇時間における主な活動の状況など、国民の社会生活の実態を明らかにするための調査で、趣味やスポーツについて抽出調査した項目もある。
以下に挙げる表の数字はすべて%で、国民全体の中で当該項目を趣味と考えている人で、かつ年に1日以上の活動回数を回答した人の割合を表している。
そしてなんと、社会生活基本調査には「音楽会などによるクラシック音楽鑑賞」という項目があるのだ。これには少々驚いた。
この数字をみて、皆さんどうお感じになるだろうか?私は驚くのは「クラシック公演を趣味としている」割合の多さだ。調査票を見ると、年に1回以上足を運んでいれば項目に含まれるそうなので、年に数十回足を運ぶコンサートゴーアーから、年に1度しかいかないライトな層までを含んでの話にはなるが、10歳以上の国民の10.1%、約1100万人程度の人がクラシック公演を楽しんでいることになる。
さらに、オーケストラ公演でも見られたように、トレンドとして集客も伸びていることも見て取れる。年代別で見ると、この30年間で40〜50代で倍増、60代以上では5〜8倍増という驚異的な伸びを見せている。
よく「クラシックのコンサートに行くと高齢者ばかりで、これでは将来が危うい」という業界の嘆きが聞こえるが、データを見ると、それは単なる印象論に過ぎないことが解る。若年層のすべての年代で堅調に伸びを見せていたのだ。これは驚くべきことで、下に紹介するスポーツ観戦やポピュラー音楽のライブ・コンサートでは若年層が軒並み減少傾向にある、そんな中でこのクラシック・コンサートの数字はかなり健闘している。
では次にポップスなどのライブ・コンサート
では、今の若者の支持を集めている趣味・娯楽はなにか?
まず、映画館は一貫して好調だ
若者の支持も集めているし、高年齢層も爆発的な伸びを見せている。
次に、映画館以外での映画鑑賞、古くはレンタルビデオ、現在はネット配信ということになろうか。若者から高年齢層まで、絶対的な支持を集めている。
そして、予想された方も多かったのでは?「テレビゲーム・パソコン・ゲーム」は、全世代に渡って国民的娯楽として確固たる地位を築いている。
意外でもあり「なるほど」という納得感もあるのが「写真撮影」。デジカメが一般化し始めたのは2000年頃だと思うが、デジカメの登場によって、気軽に誰もがカメラマンになる時代になった。SNSの普及により、2021年の調査ではもっと伸びているだろう。
オーケストラが拓く『創造都市』(その3:『創造都市』とは何か) [オーケストラ研究]
今となってはそのときに見たテキストがネットの海の中から見つけられないのだが、当時のメモを頼りに復元してみると、こういう内容だったと思う。
「ポスト(規格大量生産型の)工業国家における都市のモデルとして、最も有力なのが『創造都市』のモデル。オーケストラは大阪の産業経済にイノベーションを起こすアクターになる可能性を秘めている。そんな財産を存続の危機に晒すなどあまりにも馬鹿げている。
産業業空洞化と財政危機に直面した欧米諸都市は、芸術文化が持つ創造的なパワーを原動力に、産業を再生させてきた。大阪も含めた日本では、都市の中での文化芸術部門を、コストセンターとして捉えている。しかし創造都市モデルではプロフィットセンターになり得る。そんな都市政策の潮流を見誤る為政者は改革者とは言えない。」
当時の私には『創造都市』モデルについての知識がなく理解も出来ていなかったが、今から思えば、オーケストラへの支援の打ち切りに抗する有力な論拠になり得たかも知れず、勿体なかったなと思う。当時は、「文化芸術に対して行政が支援をするのは当然、あまりに理解がなさすぎる」という主張と、「一部の受益者しか居ない事業に税金を投入することはまかにならん。そんなに大事なら自分でお金をだせ」という主張が対立し、感情的な分断が起こり、それこそ、当時の大阪維新支持勢力の思うつぼになってしまった。
次に私が『創造都市』というワードに触れたのは2016年に開催された、岡山芸術交流という国際現代芸術祭だった。岡山芸術交流はマスコミ、特にアート系の媒体への露出が多く、海外ではスペインのビルバオやスコットランドのグラスゴー、国内では横浜や金沢など、現代芸術が都市の産業や文化を再生させてきた経緯を知る機会が多くなった。
そして、岡山でも明らかに『創造都市』を意識した都市の成長戦略が動き出した。一番明確な形で現れたのは、岡山市民会館の移転新築計画の具体化だろう。新しい市民会館は「岡山芸術創造劇場」という名前が付き、岡山フィルや岡山シンフォニーホールを運営する公益財団は『 岡山文化芸術創造』に名称変更するなど、やたらと『創造』というワードが使われるようになった。
岡山における『創造都市』への動きについては、いずれ詳しく考察したい。
それでは創造都市とは何ぞや?ということを、各論客のパッチワーク的ではあるが、自分なりにまとめてみようと思う。
まず国内において『創造都市』を提唱し続けている佐々木雅幸氏の、「創造都市」の定義を見てみよう。
具体的には、文化芸術の力によって、付加価値の高いもの、感性を刺激するもの、デザイン性の高いものをその都市の経済の中にビルトインしていくことによって、その都市の産業のイノベーションを誘発する、ということになるようだ。
本場のヨーロッパでは、リチャード・フロリダが『創造階級集積論』という、ちょっと刺激的な理論を展開している。
技術中心主義は地域経済を救えない企業を超えた創造的階級集積の勧め リチャード・フロリダ INTERVIEW DIAMOND ONLINE
ポスト工業国家の産業を中核人材となる、科学・技術・建築・デザイン・教育・芸術・音楽・アート・娯楽などの活動に従事し、新しいアイデアを作り出す人々を『創造的階級』と称し、事実、アメリカではこの『創造的階級』に属する人々は全従業者の30%、約3900万人にあたり、アメリカの産業経済を支えているそうだ。イギリスの都市計画家のチャールズ・ランドリーは、芸術文化が持つ3つの力として、
①人材を集積する力
②社会問題を解決する力
③産業構造を転換する力
を挙げており、産業空洞化と財政破綻の中で文化や芸術を生み出す過程での『創造力』こそが、最終的な国家の財政的支援から独立して都市や地域を蘇られせる原動力となる、としている。産業構造転換の中で生み出されるビジネスへのアイデアは、全くゼロから生み出されるものではなく、都市の文化や伝統というベースの中から「過去との対話」の中で生み出されるものであり、文化と創造は相互に影響し合うプロセスであるとしている。
一方で、これらの『創造都市』の考え方を、国内のある都市は文化振興プランに盛り込んで、鮮明に打ち出している。
オーケストラが拓く『創造都市』(その2:ラ・フォル・ジュルネと『創造都市』) [オーケストラ研究]
ラ・フォル・ジュルネは、1995年、フランス西部の港町ナントで誕生したクラシック音楽祭。「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」のネーミングそのまま、ヨーロッパの数ある音楽祭の中で最もエキサイティングな展開を見せています。 毎年テーマとなる作曲家やジャンルを設定。コンベンションセンター「シテ・デ・コングレ」の9会場で、同時並行的に約45分間のコンサートが朝から夜まで繰り広げられます。演奏者には旬の若手やビッグネームが並び、5日間で300公演!を開催。好きなコンサートを選び、1日中、音楽に浸ることができます。
しかも、入場料は6〜30EURO(700円〜3,000円)という驚きの低価格。「一流の演奏を気軽に楽しんでいただき、明日のクラシック音楽を支える新しい聴衆を開拓したい」というルネ・マルタン(アーティスティック・ディレクター)の意向によるものです。来場者の6割をクラシックコンサート初体験者が占め、たくさんの子どもたちも参加しています。
ユニークなコンセプトで展開されるラ・フォル・ジュルネの人気は国外へも拡がり、2000年からポルトガルのリスボン、2002年からはスペインのビルバオ、2005年からは東京国際フォーラムで開催。2008年には金沢とブラジルのリオ・デ・ジャネイロ、2010年には新潟、びわ湖、ワルシャワ、2011年には鳥栖、2015年にはロシアのエカテリンブルクで開催され、いずれも大成功を収め、クラシック音楽界にセンセーションを巻き起こしています。
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創造都市(Creative City)とは、グローバリゼーションと知識情報経済化が急速に進展した21世紀初頭にふさわしい都市のあり方の一つであり、文化芸術と産業経済との創造性に富んだ都市です。
産業空洞化と地域の荒廃に悩む欧米の都市では、1985年に始まる「欧州文化首都」事業など「芸術文化の創造性を活かした都市再生の試み」が成功を収めて以来、世界中で多数の都市において行政、芸術家や文化団体、企業、大学、住民などの連携のもとに進められています。
世界の動き
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)も、文化の多様性を保持するとともに、世界各地の文化産業が潜在的に有している可能性を都市間の戦略的連携により最大限に発揮させるための枠組みとして、2004年より「創造都市ネットワーク」事業を開始し、7つの分野で創造都市を認定、相互の交流を推し進めています。 日本では、神戸市(デザイン)、名古屋市(デザイン)、金沢市(工芸)、札幌市(メディアアート)、鶴岡市(食文化)、浜松市(音楽)、篠山市(工芸)の7都市が認定を受けており、他にも多くの都市が認定に向けて活動を行っています。
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正直、僕には上の説明だけでは「『創造都市』とは何ぞや?」の答えになっていないと思うので、それについては次回掘り下げたい。
話をラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)と『創造都市』との関係性に戻すと、日本版ラ・フォル・ジュルネの開催都市だった金沢市はユネスコから創造都市の認定を受けており、実は新潟市も「食文化」の分野で認定を受けている。新潟市はナント市とは姉妹都市の関係にあり、ラ・フォル・ジュルネについては「うちがやらなくてどうする!」というポジションだった。
金沢市も新潟市、そして他の開催都市も、このラ・フォル・ジュルネの開催によって、音楽文化の活性化や交流人口の増加だけでなく、地域の経済や産業への好影響も期待して開催したはずである。
しかし、2011年から参加した鳥栖市が2013年をもって開催中止、ついで東京とともに日本におけるこの音楽祭の車の両輪の片方を担っていたといっても過言ではない金沢市が2016年をもって終了し、翌2017年からは「いしかわ金沢風と緑の楽都音楽祭」を立ち上げて袂を分かった。大津もラ・フォル・ジュルネから離脱し、2018年から「びわ湖クラシック音楽祭」を立ち上げる。同じく2017年をもって中止した新潟では後継の音楽祭の開催を検討したものの実現には至っていない。
一方で東京で開催されるラ・フォル・ジュルネは文字通り熱狂を保ったまま、(2020年にはコロナ禍のために中止になったものの)引き続き開催され続けてる。
なぜ、本場の『創造都市』のイベントの熱狂の誘致に成功しながら、開催諸都市で継続されなかったのか・・・。
その分析のためには、まずは「『創造都市』とは何ぞや?」というところから掘り下げる必要がある。
次回の記事へのリンク
オーケストラが拓く『創造都市』(その3:『創造都市』とは何か)
オーケストラが拓く創造都市(その1:『漏れバケツ理論』について) [オーケストラ研究]
オーケストラが拓く創造都市 シリーズ目次 [オーケストラ研究]
国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その7:岡山フィル支援の機運の盛り上がりの背景) [オーケストラ研究]
背景に存在する『人口減少社会の中で岡山という街が生き残っていけるのか?』という危機感
少し前の新聞記事になるが、11月1日の山陽新聞にこんな記事が掲載されていた。
すでに、地元の金融機関ではこんなことも起きている。
これらの記事は、これまで都道府県単位で維持されてきた、金融機関や地域交通の経営が全国的に行き詰まっている事を示している。
国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その6:岡山を文化デフレ社会から、文化芸術資本が循環する社会へ) [オーケストラ研究]
これまでのエントリーで、オーケストラが「独立採算」で存立可能
今回のエントリーのキーワードは、「文化資本デフレ社会」からの脱却と「文化・芸術資本が循環する社会」へ。
芸術家が集まらない街:岡山
岡山市の文化芸術振興ビジョンによると、市の全就業者数に占める
文化資本デフレ社会:岡山の問題点
岡山が本気で「芸術・文化都市」を目指し、「
話は逸れるが、しかし文化資本デフレを助長する傾向は岡山市や岡山県など公
私は、公共セクターが財政難を理由に、クリエイターや芸術家の生活への影響を鑑みること無く、芸術や文化への予算を容赦なく削減し、芸術家やクリエイター達の「作品」への報酬や対価を買い叩いている話を耳にし、当事者の嘆きもよく聞いてきた。
一方で、そうした公共セクターだが、東京資本の文化マネジメント組織や代理店に対しては、あっさりと財布の口を開いてしまう。本来であれば地元で頑張っているクリエイターや芸術家の中で回転することができる資金を、東京にかっさらわれているのだ。
そのモノが持つ価値は、「東京で話題になっていること」ではない
岡山という街にクリエイター・芸術家が集まり、彼らの創作活動や
岡山フィルについて言うと、例えば、スクールコンサートのギャラ
『「岡山都市ブランド」を育てるために、オーケストラを育てる、という発想への違和感
岡山市の様々なビジョンにかかれている。「
オーケストラは、お金がかかる。楽器演奏と音楽表現に文字通り人生を賭けた50名もの職人集団である。お金がかかるのは当然。岡山が「文化資本デフレ社会」から脱却するために、岡山の人々の価値観を転換し、最高レベルの技と芸術性に対し、正当な対価を払うという豊かな文化都市へ舵を切りなおすために、オーケストラを育てるという「敢えて困難な事業に立ち向かう」ことに意義があるのだと思う。
オーケストラがあることによる数値的な効果の分析は、次々回のエントリーに譲るとして、その機能面での利点は、社会・
「本物」の体験は、自然体験だけでは足りない
これは平田オリザさんの主張されていることのなのだが、
『いやいや、岡山には自然がある。自然の中でも「本物」の体験ができる』という意見があるかも知れない。確かに、自然の中でも体験も、「本物の体験」だろう、そこに異論の余地はない。しかい、関西で生まれ育ってきた私が断言するのは、都市部でも「本物の自然体験」は豊富に出来るということだ。都市部では鉄道などの公共交通が発達しているので、例えば私の実家があるところは渓流遊びや滝遊びができるようなところ(六甲山系)だったが、休日には関西一円からそうした自然を求めてファミリー層が集まって来ていた。私の実家から神戸や大阪への通勤時間は1時間を切っていたから、昼間は渓流遊びをしている子供が、夜には劇団四季を見たり、大フィルのコンサートに行ったり、ということが日常的に出来る(実際は、そんなに頻繁には連れて行ってもらっていないが、関西に住んでいたからこそ「生」の様々な舞台芸術を体験できたことは事実だ)。
私も含めた働き盛り世代は本当に忙しい。少ない余暇時間も、仕事のためのスキルアップのために費やされ、美術館に行ったりオーケストラをはじめとする舞台芸術を観たり、プロスポーツの観戦にいったりする時間が取れない。そんな人がほとんどではないだろうか?
少し脱線するが岡山フィルの定期演奏会で毎回募集する「市民モニ
岡山のロス・ジェネ世代が生み出してきた、「衣」「食」「住」の「本物志向」
そこに、2011年の震災以後の、東日本を中心とした移住者の急増や、ロス・ジェネ世代が消費者の中心としてイニシ
しかし、課題がないわけでは無い。
これらの世代が読んでいる「オセラ」という雑誌がある。
「おとな、暮らし、ときどきプレミアム」を合言葉に、上質な大人のライフスタイルを提案している雑誌で、いわゆる従来の「タウン情報誌」から一線を画した誌面になっている。
しかし、この雑誌には音楽文化、美術、アートなどの芸術・文化に関する記事が極めて少ない(ほとんど見たことがない)。
雑誌の誌面は、その雑誌の読者層の鏡だ。岡山の「本物」消費を牽引している世代にとっても、芸術やアートを消費するハードルはまだまだ高いのだと思うが、やはり心の養分となる芸術・アートへの消費の高まりがなければ、なんとなく外側だけの本物志向に陥ってしまうのではないだろうか。「文化・芸術の循環する社会」への移行は、この世代の消費の広がりが不可欠である。
『後楽園』を受け継いできた岡山だからこそ、「本物」を創造することは可能
次に、「文化・芸術の循環型社会」の中核となる、岡山フィル自身に必要なものは何か?について考えてみようと
国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その5:安定財源のもたらす圧倒的な果実) [オーケストラ研究]
今回は「安定した財源」を持つオーケストラの経営数値を見てみよ
言うまでも無く、N響はNHKからの補助金が主な財源となってい
資金難に瀕する大フィルなどからすると「そのうち1億円くらいわ
しかし、N響の財務面での強さはそれだけではない。経営数値をも
もう一つ民間からの支援を見てみよう。
民間支援ランキング(2015年度)
1位の読響は経営母体の読売新聞社からの資金が計上されているの
安定したNHKからの14億円もの財源で演奏能力の向上と優秀な奏者を採用し、国内随一の
読響や都響など、財源が安定している他の在東京オーケストラも同
いわゆる「御三家」のオーケストラだけでなく、名古屋フィル(4位)、札響(9位)や広響(10位)、京響(13位)、群響(14位)などの地方都市オーケスト
市民の税金が原資の補助金を投入する過程には、納税者の理
公的支援に頼らない経営が理想なのは間違い無いが、一方で、地方都
このようにオーケストラにとって、『安定財源』の確保が経営上極めて重要であることがわかる。今回見てきたN響や大都市のオーケス
第4回で取り上げた大フィルを例に取ると1億7万円の公的補助を
翻って岡山の状況について考えてみると。岡山市が岡山フィルへの支援を表明し
国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その4:安定財源を失った先にあるもの) [オーケストラ研究]
※前回までの記事へのリンク