矢崎彦太郎 著 「指揮者かたぎ」 春秋社 [読書(音楽本)]
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- 価格: 1,980 円
よく海外で活躍する日本人指揮者を「世界的指揮者」などと形容されるが、この著書を読んでみると、フランス・オーストリア・イギリスなどのヨーロッパを中心に、中近東から東南アジア、北米南米に至るまで、まさにこれこそが「世界的指揮者」と言えるキャリアを重ねられている。
読んでみてもっとも印象深いのは、その文章の美しさだ。矢崎さんが赴いた土地土地の情景描写は、まるで美術館に展示している風景画に対峙したときのように、読者の空想をかき立てる。
あるとき、飛行機の機器トラブルで胴体着陸するという絶体絶命のピンチを迎え、無事着陸に成功するくだりでのスチュワーデスさんとの会話。
「こんなに怖い思いをしたことはなかった」
「それはそうよ、これより怖い思いをした人は、もうこの世にいないもの」
矢崎さんの御尊父は出版社に勤めていて、吉川英治や大佛次郎とは家族ぐるみの付き合いだったそうで、「彦太郎」の名前も大佛次郎の命名だそうだ。そういう環境が、矢崎さんの文章に骨格を形成しているのかも知れない。
そうかと思えば、数学の研究経験を生かして、分析的な記述に唸らされる部分もある。
経歴を見ると、上智大学理工学部数学科に入学後に中退して、なんと東京芸大の指揮科に入学するという、典型的な「何でも出来てしまう天才青年」。
そういえば、我らが岡山フィル首席指揮者のシェレンベルガーもミュンヘン工科大学の数学科出身でもあった。音楽と数学は、遠いように見えてじつは切っても切り離せない関係にある故かも知れない。
ガラ・コンサートに登場するソリストとの共通点もある。矢崎さんはウィーン、ローザンヌ、ロンドン、パリなどに居住されていたそうだが、森野美咲さんはウィーン在住、福田廉之助くんはローザンヌ音楽院在学(住んでいるのはローザンヌから少し離れたシオンという街のようだ)ということで、休憩時間にはそれぞれの街の話題に花が咲くのだろう。
冒頭では「フランス音楽のスペシャリスト」と書いたが、00年代の東京シティ・フィルでの仕事(ドイツ音楽の飯守泰次郎、フランス音楽の矢崎彦太郎、という2毎看板で話題だった)からそういう印象を持っていたが、レパートリーは幅広い。このガラ・コンサートのみどころはソリストのみにあらず。矢崎さんのタクトにも注目だ。
『レコード芸術』誌が電子書籍でも販売 [読書(音楽本)]
レコード芸術 2020年12月号 (2020-11-20) [雑誌]
- 出版社/メーカー: 音楽之友社
- 発売日: 2020/11/20
- メディア: Kindle版
クラシックコンサートをつくる。つづける。 平井滿・渡辺和 /共著 水曜社 [読書(音楽本)]
平井滿・渡辺和 共著 水曜社
音楽ジャーナリストの渡辺和さんのブログで、時折、編集過程について紹介されていた本書。長年、地域主催者をなさっている平井滿さんとの共著で、ついに日の目を見たということで早速購入。
人々がバブルに翻弄されていた時代、華やかさとは正反対の手法でクラシック音楽の命脈を保ってきた人々がいる。
高いレベルの演奏を手頃な料金で成立させる企画力、音楽ホールもピアノも無い中での運営など北海道から沖縄まで、地域に根ざしたクラシックコンサートをつくってきた団体を紹介し、新しい時代の文化事業のあり方とまちづくりを提言する。
【目次】
1章 あるプロデューサーの取り組み
鵠沼サロンコンサート、横浜楽友会、海老名楽友協会
2章 座談会 活動20 年・会員500 名に育まれるコンサートづくり
葉山室内楽鑑賞会
3章 全国の小規模民間主催者たち
〈その1〉 楽友協会
NPO 法人えべつ楽友協会/ 木更津音楽協会/ 茅ヶ崎市楽友協会/静岡音楽友の会/ 浜松音楽友の会
〈その2〉 いまに生きるサロン
ジョンダーノ・ホール/ 西方音楽館/ アートスペース・オー/ 宗次ホール/ ながらの座・座
〈その3〉 労音の挑戦
米子勤労者音楽協議会/ 人吉勤労者音楽協議会
〈その4〉 市場をにらんだ運営
有限会社神奈川芸術協会
〈その5〉 コンサート制作のプロができること
いわき室内楽協会/ くらしきコンサート
番外編:ホノルル室内楽協会
地方民間主催者・サロン・小規模ホールリスト
サートを主宰する楽友協会的な形態、次に個人がサロンに人を呼ぶような形態で運営しているもの、あるいはごく小規模(100人前後)の空間でコンサートを開催するライヴハウスのような小規模民間ホール。そして、バブルの荒波を生き抜いた地方の労音組織。
本書の特徴的な眼差しとして挙げられるのが「つくる。」だけではなく、「つづける。」という視点を重視している、ということ。バブルのころに、地方自治体のあり余る公的資金をバックにした運営主体が、バブル崩壊後に潮を引くように撤退。その間に全国にあった小規模な民間主催者がズダズダにされてしまった。平井さんは、その罪について強く断罪する。
地域文化を創造していくためには「つづける。」ことも重要。お金があるから始め、資金が続かなくなったらやめちゃう、公共部門がそんな無責任な運営をしてきたこの国の実態。色々考えさせられますね。
それと、こうした小規模門間主催者によるコンサートを支えているのは、旺盛な供給側(演奏者側)の欲求。演奏家はどんなに小さな会場でも、自分の音楽に真剣に耳を傾ける熱心な聴衆がいるところで、演奏したいという欲求があること。
コンサート」に行ってきたこともあり、興味深く読みました。『山陽型ノブレス・オブリージュ』として紹介された「くらしきコンサート」や「大原美術館ギャラリーコンサート」を主宰する「三楽」は、クラボウ創始者の大原一族によって運営され、倉敷に所有する土地の地代などが運営費に充てられている、ということは地元では知られていたが、主宰者の大原れいこさんが強調されていたように(!)、クラボウやクラレは一銭のお金も出していないことは初めて知りました(むしろ、ベネッセなどの他の地元企業が支援しているとのこと)。資金面だけではなく、自治体系の主催者との棲み分けなど、これほどご苦労されているんだな、ということを改めて認識したしだい。
「カフェ・モンタージュ」についての記事も興味深い。あの柱のないライヴ空間は中古物件だったそうで、カフェ&ライヴ会場になる前は、なんとも京都らしい、ある商売のお店だった、とか、京都在住のチェリストに「東ベルリンの有名な地下の音楽キャバレーのノリが、ここにはある」と言わしめたり、従来の「クラシック音楽が聴けるサロン」のイメージとはかなり異なった、尖った空間について書かれています。
一般のクラシック音楽ファン向けに書かれた本ではありませんが、小さい会場でのコンサートや室内楽のコンサートなどによく足を運ぶ方なら、興味深い記事ばかりでしょう。絶対に読む価値アリです。巻末に『地方民間主催者・サロン・小規模ホールリスト』が付いているのも魅力です。
蜜蜂と遠雷 恩田陸 幻冬舎 [読書(音楽本)]
音楽を聴きながら読書に没頭…至福の時間でした。
恩田陸の小説は、20代の頃に本当によく読んだ作家さんです。「六番目の小夜子」「夜のピクニック」を皮切りに、「理瀬」三部作に大いにハマりました。最近も演劇を舞台とした「チョコレート・コスモス」を読んで、恩田ワールド健在と感じたところ。
直木賞受賞は遅すぎる受賞でしたが、この「蜂蜜と遠雷」は、ここ数年の受賞作の中でも燦然と輝く名作。
ピアノコンクールに出場するコンテスタント(演奏者)、審査員、記者など様々な人々が、「優劣を付け難いピアノ演奏に順位を付けて行く」というコンクールの残酷な一面に苦悩し音楽を通して突きつけられる自分の内面に立ち向かいながら、最後は各自が答えを出していきます。
主人公の栄伝亜夜、風間塵だけでなく、登場する人物みな魅力的。「ピアノコンクール」を舞台にしたコミックならいくつか読んでいるが、この小説が秀逸なのは例えば審査員を悪者にして、ストーリーに起伏を付けるといった手法を全く取っていないこと。それによって音楽を演奏する喜び、音楽を聴く・感じる喜びが文間から伝わってきます。恩田さんも「チョコレートコスモス」を読んだ時にも思ったのだけれど、その(クラシック音楽界という)独特の世界を細部にまで取材し、演者の心情に寄り添うタッチは本当に引き込まれます。
何よりも、この作品の醍醐味は、音楽を聴きながら読めば楽しさ100倍なところ。巻頭には、主要登場人物のコンクールでの演奏曲がリスト化していて、さながら「プレイリスト」のよう。
ナクソス・ミュージック・ライブラリーには、「恩田陸 監修 蜂蜜と遠雷プレイリスト」があるので、会員の方はこれを利用すると楽です。
音楽を聴きながら読むと、コンテスタントらのキャラクターやセリフもいっそう輝きを増して感じられます。
なお、舞台となった「芳ヶ江国際ピアノコンクール」のモデルは「浜松国際ピアノコンクール」だと思われます。通称「浜コン」からは、上原彩子(チャイコフスキーコンクール優勝)を皮切りに、アサクサンダー・ガヴリリュク、ラファウ・ブレハッチ(ショパン・コンクール優勝)、チョ・ソンジン(ショパン・コンクール優勝)ら、現在綺羅星のごとく輝く一流ピアニストたちが巣立っています。
「ところで、きょう指揮したのは?」秋山和慶回顧録 [読書(音楽本)]
誰がどう読んでも波瀾万丈の秋山さんの半生、それを秋山さんらしい上品で優しい語り口で、淡々としながらも生き生きと語っておられます。あまりに淡々と語っておられるので、著者の冨沢さんがのフォローの文章を挟んでおられるのが印象的。
薄氷を踏むようなギリギリの経営をしていた東響は、運営母体のしっかりしている楽団の連中(N響と読売日響、都響のことでしょう)から、ゴミあさりオケ=なんでも仕事を引き受けて、馬車馬のように演奏会をこなしてギャラを稼ぐ=と侮蔑をもって呼ばれていたとのこと(ひどい言われようやなあ・・)。事実、スポンサーの要望でどんなプログラムでもこなした。
『音楽で名声を得ようとしてはならない』
この言葉が、秋山さんの生きざまのすべてだと感じます。
吉松隆と西村朗のクラシック大作曲家診断 [読書(音楽本)]
日本を代表する作曲家のお二人が独断と偏見で、ホンマに好き放題語ってます(笑)
「ショスタコーヴィチは政治に巻き込まれて苦悩していたらしいんだけど、実際はどうかわからないね」
「マーラーは悩んでいるふりをしているだけで悩んでいないね、あれは」
もう(笑)しか出ない、一刀両断っぷり。
以前読んだ金聖響さんの本にも、「マーラーは神経症なんかじゃない!心身ともに健康でバイタリティが無ければ、ウィーン国立(宮廷)歌劇場の指揮者をしながら、あれほどの大曲を作曲できるわけがない」と書いてありました。マーラーの楽譜を通してその人物像に肉薄できる人ほど、そういう人物像を持っているというのは面白いと思う。
ちょっと意外だったのは、西村・吉松両氏とも、モーツァルトをあまり評価していない。それどころか、この程度の曲を書ける作曲家は、同時代には何人も居た。という手厳しい評価になっています。
じゃあ、二人がともに評価する作曲家は?
それはラヴェル。その圧倒的な才能と作曲技術に、嫉妬のあまり嫌いになってしまうほど完璧なのだそう。
お二人に共通するのは、芸術性のみを追求する作曲活動はあり得ないし、金儲けのみの作曲とも距離を置く。作曲の極意は『持てる才能のすべてを動員し、全身全霊を傾けて最も儲からない音楽を作る』ことだそうです。
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超PCオーディオ入門 小島康 著 アスキー新書 [読書(音楽本)]
今まで読んだオーディオ関連の本の中で、一番分かりやすく、PCオーディオ・ネットワークオーディオを組むためにヒントになるばかりか、携帯オーディオやピュア・オーディオを考えるうえでもシンプルかつ重要なポイントを抑えられる良書だと思います。
DACとアンプで音質激変!! 3万円からスタートできる 超PCオーディオ入門 (アスキー新書)
- 作者: 小島康
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2013/10/10
- メディア: 新書
まず、スピーカー、ケーブル、プリアンプ、メインアンプ、D/Aコンバーター、インシュレーター、それぞれの機器や道具の役割について、なぜ必要で、何をする機械でなのかをシンプルに説明されています。
特に印象に残ったのはケーブル類について「接続ケーブルは出力機器から刻一刻と送られてくる信号すべてを受け取り、それを一切変化させることなく、入力機器に送り出すこと」「ケーブルの中で音質を向上させる要素は必要ありません」「あくまでありのままを伝送することがケーブルの唯一の役割です」とスラリと言っていること。
最良のオーディオ・システムの構築のポイントとして『ボトルネックを探す』ということに触れています。音を川の流れに見立て、上流のプレイヤーから下流のスピーカーまで澱みなく信号を送ること。要は全体のバランスを考える、ということなんですが。解説が大変分かりやすく、音の信号の川の流れのボトルネックになっている場所を探す方法も伝授されています。
他にも、PCオーディオのポイントは、D/Aコンバータであること。あるいはMP3やAACなどの圧縮音源とは縁を切る。PCオーディオはまだまだ発展途上にあり、先々のつぶしが聴くフォーマットにそろえておくべき、ということです(容量の問題が出てきますが、最近は8GBのNASが1万数千円で買えたりすますしね)。
ハイレゾ音源の配信サイトの紹介や、オーディオ機器も少ないながらも紹介されていて、オーディオについて全く初心者の方にも親切ですね。
最後に自分の「耳」について述べられていることも好感が持てます。そしてその「耳」も感じ方が歳とともに変化する。だからこそ面白い。世間の評判や他人の意見にむやみに左右されず、自分の耳を信じることが大事、これはオーディオ趣味の入口の前提であり、出口の理想でもあるなあ、と思いました。
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四月は君の嘘 [読書(音楽本)]
のだめ、ピアノの森、に続く、クラシック音楽ブームを呼び込みそうな名作の予感がします。というか、僕が知らないだけで、既に注目作品だったりするのでしょうか。
月刊少年マガジン連載。現在、7巻まで出ているようです。
まず、キャラクターの設定がいい。主人公の公正は母からのスパルタ教育と、母の死の呪縛から自分のピアノの音が聞こえない。いわゆるグレートマザーの問題を抱えている。しかし、かをりとの出会いがきっかけになり、音楽に追い詰められた公生は音楽によって救われていく(のかな?)
そのヒロインの宮園かをり、幼馴染の澤部椿、渡亮太、ライバルの井川絵見、相座武士も魅力があります。そしてここでは詳しくは書きませんが、登場人物たちのセリフがいいんですよね。
コンクールに出場するシーンでは、構図や聴衆の反応の描き方に、『ピアノの森』と似過ぎている感もありますが・・・、展開的に今後はそういったシーンも少なくなりそう。
年甲斐もなく、この漫画を追いかけてみようと思います。
オペラ・チケットの値段 佐々木忠次著 講談社 [読書(音楽本)]
いやはや、これほど過激な音楽本は読んだ事が無い・・・
・日本はなぜハード(ホールや劇場の建設)にばかりお金をかけ、ソフトにはお金をかけないのか?
・海外のオペラやオーケストラ公演のチケット代が、なぜこんなに吊りあがっていったのか?
というような問題は、クラシックの世界にハマった人間なら一度は疑問に思う事。
ほかにも、日本のオーケストラやバレエ団体の海外公演の実態は?、文化庁の芸術振興事業のゆがんだ実態、あるいは各国の日本大使館の文化音痴ぶり、などなど、非常に厳しい批判を展開している。
特に新国立劇場の問題点に関しては、まことに辛辣。しかし、著者の現場での経験に基づくこれらの数々の批判は、悲しいかなほとんど当たっているであろうことが推測できるところが悲しい・・・
一方で、日本のオペラ黎明期の「スタッフクラブ」の活躍や、マリア・カラスを初めて見た時の衝撃など、著者の貴重な体験談には胸が躍る。が、やはり全体的には日本のクラシック音楽、オペラ・バレエの問題点の指摘にほとんどの文面が割かれており、読むごとになんだか暗い気分になってしまう・・・・
行政官僚制とそれに付随する補助金制度や、そのカネに群がる業界の構図というのが、いかに音楽芸術の真の成長の足かせになっているか・・・
例えば、『○○交響楽団は、ヨーロッパ公演を大成功させた』と報じられたとする。しかし実態は旅費などの経費は全部自分持ち、出演料もタダ、チケットもタダで配って、客席には在留邦人ばかり・・・。得られるのはヨーロッパ公演を大成功させた、という『箔』であったり。
一方で、本当に実力を認められるべく、努力している団体があっても、『日本のほかの団体はノーギャラで出演した』という負の実績が出演料のダンピングの温床になっており、いわば文化庁の補助を受けた日本の『土下座文化交流(と著者は述べている・・・)』にとことん足を引っ張られる、という・・・
(余談ですが、文化庁なり自治体の補助を受けて、例えば地方のオーケストラが例え『箔をつける』ためであっても海外公演をする事は、それなりに意義があるのではないかと思う。世界とトップレベルの実力を競い合う団体ばかりでは無く、地域に根差して活動する団体が、本場での演奏活動を通じて何かを得て帰ってくれればそれでヨシとしてもいいように思うのだ。逆の立場で言えば、「アジア・オーケストラ・ウィーク」は日本はホストの立場にあるわけだが、あのイベントだってホスト国にとっても意義のあるイベントなのであるから・・・)
また我が国を代表する実力を持つ団体(東京バレエ団のような)には補助が出ない。それはなぜか?官僚にとってうまみが無いから。一方、実力が足りない団体が文化庁の補助を得て(代わりに官僚に天下りポストを差し出して)、「我が国の代表」として海外公演を華々しく展開する・・・
薄々は解っていたけど・・・まあ、そういう実態があるようだ。著者は芸術・文化への国の補助を否定しているわけではなく、逆に欧米の名だたる劇場が、どれほどの公的補助を得ながら、一流の水準を維持しているかを力説する。要は適切なボリュームのお金を適切な方法で、適切な対象に補助をする、という当たり前の事が日本では行われていないということのようだ。
カジモトの創設者 梶本尚靖氏の自伝 [読書(音楽本)]
たいへん興味深い内容の本でしたね。
梶本音楽事務所の創設者、梶本尚靖氏の自伝です。図書館で借りました。
元々、大阪の出身という事で、大阪からその歩みが始まります。朝比奈御大の歴史にいつも必ず出てくる、野口幸助氏が当時は音楽事務所を経営しており、そこへ新入社員として飛び込んだ。その後、野口氏から事務所を受け継ぎ、東京へ進出、やがて世界のアーティストを相手に、仕事を展開していく。
ほかにも、神原音楽事務所創設者の神原世詩朗氏との出会いなど、今から見るとクラシック音楽界の一線級の方々との運命的な出会いが描かれる。それだけクラシック音楽の興行、マジメントの世界が、まだまだ成長途上にあったという事なのだろう。
昭和30年代には、庶民(労働者)のための組織的な運動(大阪労音)が隆盛を極め、クラシック音楽人口五万人と言われたそうだ。事実、1プログラムで16日連続公演すべて満員御礼という超弩級の興行が行われ、娯楽が少なかった時代とはいえ、その隆盛は今日と比べても空前絶後と思う。
※この辺の『労音』関係の歴史は、wikipediaに載っている
なんと甲子園で3楽団(関西交響楽団、近衛管弦楽団、東京交響楽団)そろい踏みの青空コンサートなども開催され、二万人の動員があったそうな・・・
大フィル桂冠指揮者(前音楽監督)の大植さんが、大阪城の星空コンサートを始めたのも、『朝比奈隆の魂を受け継ぐ』歴史の大きな流れの上にあったのかもしれない。
印象的だったのは、梶本氏が海外アーティストの招聘と同時に、日本人音楽家の『逆輸入』にこだわったこと。小澤征爾指揮サンフランシスコ交響楽団を皮切りに、同氏とボストン響、あるいは若杉弘指揮ケルン放送交響楽団など、海外で活躍する指揮者と、その手兵のオーケストラを招聘。クラシック・ファンという閉じられた趣味道楽の世界に留まらず、(少々大袈裟に言うと)日本国民全体の士気高揚に貢献し、日本の経済・文化の発展の原動力の一つとして機能していたとも言えそう。