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岡山フィル第62回定期演奏会 指揮:シェレンベルガー Pf:ジャン・チャクムル [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第62回定期演奏会
ショパン/ピアノ協奏曲第1番 
ブルックナー/交響曲第4番「ロマンティック」

指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ピアノ独奏:ジャン・チャクムル
2019年10月20日
岡山シンフォニーホール
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 5月定期のブラームスの交響曲第3番の演奏を聴いて、「これは10月定期のブルックナーも、かなり期待できるかもしれない」と思う一方で、このオーケストラとしては初めてのブルックナーということで、そこまで期待しないほうがいいかもしれないとも思ったりしましたが、予想をはるかに上回る、もうこれぞブルックナーだ!という満足に浸った素晴らしい演奏になった。これは、ブルックナーの日本国内での聖地:大阪に持って行ってもいい勝負になると思う。
 
 シェレンベルガーらしい、拍節感が明確なそれでいてずっしりとした重量のある演奏である一方で、この曲の持つ最大の魅力である明るい生命力あふれる世界観を、音楽の中の鼓動と息づかいを通じて見事に表現されていた。まるで中世の森の中に招かれたようなリアルな手応えがあった。
 そして、第1楽章冒頭・終結部、あるいは第4楽章冒頭のような場面での大山脈が眼前に迫ってくるような壮大でパースペクティブな表現は、いつも聴いているはずの岡山シンフォニーホールがとても広く感じたほど。
 トウッティでは終始、大迫力のブルックナー特有のオルガン・サウンドで客席にずっしりとした音の塊が迫ってきて、バルコニー席全体がビリビリと震える感じがあり、なお面白いことに電源を切っているはずの私のスマホのバイブレーションが「ブルブル」共鳴していた(一瞬、「電源切り忘れたのか!」と焦りました)。
 ここの奏者では、まずはホルン主席の梅島さん(やはりハイレベルに安定したホルンを聞かせてくれた)、ティンパニ客演の近藤高顕さん(今回の名演の影の指揮者だと思う、この方の著書、むちゃくちゃ面白いです)、七沢さん率いるヴィオラ部隊に最大の賛辞を!
 前半のショパンの印象は、ブルックナーの圧倒的な演奏と、夜のラグビーの日本代表の試合の敗北にかき消された感があり。。。ブルックナーの詳細な感想も含めて後日更新しようと思う。
 最後になりましたが、10月12日〜13日の台風19号で被災された方々へ、心よりお見舞い申し上げます。自分にできることとして、岡山シンフォニーホールでのコンサートに行った際は、祈りを捧げるとともに、友の会や定期会員の割引分を募金箱に募金しようと思います。

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武蔵野音楽大学管弦楽団 岡山公演 2019 [コンサート感想]

武蔵野音楽大学管弦楽団 岡山公演 2019
※後半のみ鑑賞
(チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 ソリスト:高橋七海(本学学生オーディション合格者))
プロコフィエフ/交響曲第5番変ロ長調
指揮:末廣 誠
2019年9月14日 岡山シンフォニーホール
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 色々と予定が噛み合わず、後半のプロコフィエフのみの鑑賞となった。
 会場は満席で、入った瞬間「座る席があるかな・・・」と心配したほどの埋まり方だった。
 念願のプロコフィエフの交響曲第5番を生演奏で、しかも岡山シンフォニーホールで聴けたことは何よりも僥倖。やはりこのホールはパーカッションや管楽器が活躍する楽曲との相性が抜群によく。ずっと家のスピーカーで聴いてきた曲ではあったが、生演奏で聴くとやっぱりすごい曲だ。プロコフィエフのセンスが光る研ぎ澄まされた躍動的なフレーズが、色彩豊かなオーケストラーションの中で立体的に響き合い、本当に濃密な音楽を形成していた。第4楽章の最後の5分間は『宝石箱を引っくり返した』という陳腐な表現では伝わらないような、体験したことがない音楽が展開されクラクラと目眩がしそうだった。(楽器の)ピアノの音がとても印象的で、ショスタコヴィチも交響曲第5番で不吉なシーンを演出しているけれど、この曲ではとても『運命的』とでもいうのだろうか、こういう効果を狙って使っていたのか、というのは発見だった。
 この曲の面白さを再認識できたのも、このオーケストラの見事な演奏のお陰であり、特に各パートのトップ奏者のレベルは高く、演奏家としてメシを食っていかれる人たちなのだろうな、と感じた。
 プロコフィエフは、よく「20世紀のモーツァルト」などと言われたりするが、まさに言い得て妙で、一番僕が感じるのは、頭のなかで泉のように湧いてくる音楽やアイデアに、筆が追いついていかないような天才性を感じる。それでいて、不協和音の連続なのに不快な音楽ではなく、そこここに美しさすら感じる。
 ホールを出た後も第2楽章中間部と、第4楽章終結部のリズムと音型が頭のなかでずっと鳴り響いている。

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岡山フィル第61回定期演奏会 指揮:園田隆一郎 Sax:上野耕平 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第61回定期演奏会
ドビュッシー/小組曲
イベール/アルト・サクソフォーンと11の楽器のための小協奏曲
 〜 休 憩 〜
ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/組曲「展覧会の絵」
指揮:園田 隆一郎
アルト・サクソフォン独奏:上野 耕平(小協奏曲および「展覧会の絵」の『古城』)
コンサートマスター:高畑 壮平
2019年7月21日 岡山シンフォニーホール
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 会場は9割り近い入り、気鋭のサックス奏者の上野耕平の登場ということで、3階席には吹奏楽部の高校生が多く入っていたので、学生券がかなり出たものと思う。
 当日は、特に弦楽器奏者にとっては鬼門の蒸し暑い気候となったが、岡山フィルは3つの曲、それぞれの曲調に合った音を見事に奏き分けていた。
 プレトークの園田さんの説明では、展覧会の絵もさることながら、ドビュッシーの小組曲も、まるで4枚の絵のように情景豊かな音楽なので、今回は上野さんの見事なソロを挟んで、14枚の音楽で奏でる絵を堪能してほしい、という説明。
 1曲目のドビュッシーの小組曲は岡大オケがよく演奏するのだが、プロの演奏で聞くのは意外にも初めてかもしれない。編成は1stVn:10-2ndVn:8-Va:6-Vc:5-Cb:4のストコフスキー(ステレオ)配置の2管編成。
 園田さんの棒が、まるで本当に空中に絵を描いているように優美で美しく、岡山フィルから淡いパステル調の色彩の音を引き出していた。弦もとても良かったが、岡山フィル自慢の管楽器首席陣たちの演奏も見事だった。フルートの畠山さんのソロからしてもう素晴らしくこの方の音はフランス音楽が最も合うかもしれない。いつか、「牧神の午後への前奏曲」も取り上げてほしいなあ。
 今回のコンサートの主役は、何と言っても上野耕平さんだっただろう。上野耕平さんを知ったのは、いつも楽しみに読んでいる24hirofumiさんの「音楽徒然草」がきっかけで、「生演奏で聴いたらどんな感じなんだろう」という興味が湧き、続いてNHKの「鉄オタ選手権」という番組に鉄道オタクの一人として出演されていて、阪急電車の駅でかかるメロディーをSAXで再現するという、才能の無駄遣いを笑顔でやってのける姿に、勝手に親近感を持ってしまっていた(笑)
 イベールの小協奏曲でのソロ演奏は、物凄いテクニックを披露してくれているのだが、まるで何でもないように吹いているのが印象に残った。そしてテクニック以上に印象的だったのは、その聴く者の心を打つ多彩な音だ。天を翔るような軽やかで爽快な第1楽章、第2楽章前半のラルゲットでの心に染み入る音に目頭が熱くなる。アニマート・モルトに入ってからも超絶技巧の連続なのだが軽妙洒脱に音と『遊んで』いく。
 岡山フィルの伴奏もキレキレの演奏だった。1stVn:6-2ndVn:5-Va:4-Vc:3-Cb:2の管楽器は1管編成というシンフォニエッタ・サイズの編成で、このサイズになると、特に弦5部は選抜チームと言ってよくて、スピード感あふれる純度の高い音を聴かせてくれた。管楽器も素晴らしく、クラリネットの西崎さん、トランペットのソロも上野さんと渡り合っていた。トランペットの横田さんは首席ではないが、在阪オーケストラでの経験も豊富で流石の貫禄の演奏だった。
 アンコールはニュー・シネマ・パラダイス。いやあ・・・これは涙なしでは聴けないよ。しっかりとしたテクニックに、自らの思いを音に昇華する・・・まだまだお若いのにこんな音が出せるなんて素晴らしすぎる。 
 この上「展覧会の絵」の『古城』でもソロを聴かせてくれるという大サービスまであった。通常、ソリストは前日ぐらいに入って、コンチェルトのリハだけ出ればいいはずが、おそらく「展覧会の絵」のオーケストラ・リハーサルも出て準備をされておられた筈で、それだけ時間も労力を割いてくださってることに、「本当に音楽が好きな方なんだなあ」と感激した。
 後半の「展覧会の絵」は1stVn:12-2ndVn:10-Va:8-Vc:8-Cb6の3管編成。パーカッションも多彩で舞台狭しと楽器が並ぶ。この曲でも(上野さんも加わった)管楽器の充実ぶりは 最高潮に達した。打楽器も素晴らしくラヴェルの魔術的なオーケストレーションを隙の無い演奏で表現。トランペットの小林さんを始め、客演のファゴット首席の方、前回に引き続いて協力なチューバ&トロンボーン隊がぐいぐい牽引。
 園田さんのタクトは、流石にオペラ劇場叩き上げの指揮者と思わせる、ドラマチックな音楽づくりだったが、響きが混濁することが一切無い、各楽器の音が緊密に連携しながら様々な色彩を帯ながら響かせるような、研ぎ澄まされた音楽を引き出した。各楽器に明確なキューは出さないが、タクト捌きに全く無駄がないので、奏者も入りやすかっただろうと思う。「古城」での上野さんのソロはたっぷり余韻を聴かせたりと、なかなかニクい演出もあった。
 トランペットとホルンのトウッティ奏者に、それぞれナエスさんと垣本さんという、国内有数のブラスセクションを誇る京響の首席が入っている姿を見たからそう感じたのかも知れないが、バーバ・ヤガーでの鉄壁で堅牢なブラスのサウンドは、京響を彷彿とさせるものがあった。
 弦5部は、最初のプロムナードからして、暖かみと煌めきのある「岡フィル・サウンド」を響かせ、小人での半音進行で下がっていくユニゾンで、聴き手のこちらが酔いそうな程のうねりを起こし、「ビドロ」や「バーバ・ヤガーの小屋」では、重心の低い厚みと迫力のあるサウンドを展開。この曲の本籍がロシア音楽である事を存分に感じさせてくれる重量感だった。
 ただ、例えば僕の一番好きな「リモージュの市場」で、多少アンサンブルの乱れがあったり、「死せる言葉による死者への呼びかけ」でピッチに疑問符が付く場面があったり(バルコニー席では誰がどんな音を出しているのか、一「聴」瞭然なのだ)、もう少し頑張ってほしいと思ったのも事実。イベールで聴かせたキレキレのアンサンブルや、前回の定期での全く隙の無い素晴らしいアンサンブルからすると、若干の不満は残った。
 でもねえ、最後のキエフの大門での絢爛豪華なサウンドを聴いてしまったら、最後は大いに満足させられてしまったのですよ。チューブラベルが鳴って弦のトレモロが入ってくる辺りからの天から光が射して何かが降臨してくるかのようなきらめくサウンド、そしてラストへ向けての宝石を散りばめたような世界に陶然とせずにはいられない。「岡フィルサウンド」というもの形になってきていると感じた。カーテンコールがいつまでも止まなかったのは当然だろう。
 さあ、次回の定期は岡山フィル史上初めてのブルックナー。非常に楽しみにしています。

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テッド・ローゼンタール・トリオ × 岡フィル [コンサート感想]

テッド・ローゼンタール・トリオ × 岡フィル

バーンスタイン/キャンディード序曲(オーケストラのみ)
ガーシュイン/サマータイム
  〃   /Someone to watch over me ~優しき伴侶を~
  〃   /They can't take that away from me
  〃   /Fascinatin' Rhythm(トリオのみ)
 ~ 休 憩 ~
ガーシュイン/パリのアメリカ人(オーケストラのみ)
  〃   /ラプソディ・イン・ブルー
指揮:山本祐ノ介
共演:テッド・ローゼンタール・トリオ
  ピアノ:テッド・ローゼンタール
  ベース:植田典子
  ドラム:クインシー・デイヴィス
コンサートマスター:高畑壮平
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 テッド・ローゼンタール・トリオ、圧巻の演奏だった。岡山フィルのファンを自称する私をしても、この日のハイライトはどこかと言われると、トリオのみ(オーケストラ抜き)で演奏されたFascinatin' Rhythmだった、と言わざるを得ない。それぐらいこのトリオの演奏は圧巻!

 岡山フィルも頑張っていたのは間違いないが、今回はジャズの世界的トッププレイヤーたちと、クラシックではなくジャズの土俵で勝負するわけだから、このトリオにおいしいところを全部持っていかれるのは仕方がない。しかしオーケストラのみで演奏される「パリのアメリカ人」でも、演奏そのものは悪くなかったが、どこか余裕がない、全体的に硬い感じがして、いつもの岡山フィルらしく無い感じがあったのは、トリオの圧倒的な存在感を前に、肩に力が入ってしまったのだろうか?
 これが、例えばブラームスのピアノコンチェルトで勝負!という舞台設定だったら、オーケストラがジャズメンたちを飲み込んでしまうかもしれない。いや、やっぱりこのトリオの前には返り討ちにあってしまうかな。
 私も含めたクラシック音楽ファンの中には「ジャズのライブに行ってみようかな・・・」と思った人は多数いたはず。ジャズ音楽ファンの人達が「岡山フィルもなかなかやるわい。クラシックのプログラムのコンサートに行ってみようかな」と思っているかどうか、私には分からないが(ぜひ、そうあってほしいと思うが・・・)、岡山フィルのベスト・コンディションではなかったことは書いておこうと思う。
 クラシックの土俵で演奏させたら、今の岡山フィルは相当すごいんだよ。(まだ感想を書ききれていないけれど)5月の定期演奏会でのモーツァルトやブラームスでの音楽づくりは、そりゃーもうすべての音楽ファンが聞いても唸らせるような凄い演奏だったのだから。今回、テッド・ローゼンタール・トリオ目当てで会場に足を運んだ人も、騙されたと思って、ぜひ岡山フィルのコンサートにも来てほしいと思う。

 ここ数年はシェレンベルガーのもと、ドイツ音楽の低音弦を隙間なく響かせ、それを土台に旋律楽器を歌わせる、という音楽づくりをしてきたから、カーシュインのように、弦楽器が重厚な土台を作るのでは無い、音の行間にニュアンスや色気・ウィットを漂わせる、というのは、なかなかに勝手が違った、ということもあるだろう。ラプソディ・イン・ブルーも、テッドの編曲によるもので、何度かこの曲を演奏しているオーケストラにとっても、一筋縄でいかない、想定よりも手間ががかかったプログラムだったと思われる。それでも、弦楽器は8→6→4→4→3という小ぶりな編成ながら、その編成を活かして、特にささやくような甘い場面での表現は見事だったし、管楽器のソロの部分は「そう好きにさせるか」と言わんばかりに、ジャズメンからの煽りや挑戦に対し、時に見事に対峙し、時に溶け込み、時に玉砕し・・・。でも、気持ちは伝わってくる演奏だった。そんな中で高畑コンマスのソロは、流石の一言で、場数を踏んだプロの音楽家の経験値がものを言っている気がする。
 と、まあ、ジャズVSクラシックという軸で聴くとこういう感想になってしまうが、何よりも両者の波長がシンクロする瞬間が、この日の一番のごちそうだったかもしれない。Someone to watch over me でのテッドの繊細なタッチとクインシーの聴き手の脳をほぐしてくれるようなブラシでなぞるスネアの音の輪に入ってくる弦五部の色気のある音、あるいはラプソディ・イン・ブルーの中間部の、あの有名なメロディーが流れる時間の、愛しいほどの美しさ。見せ場では、山本祐ノ介さんが、父:直純さんを思い起こさせるような、思いがはち切れんばかりのタクト。
 全体的には、とても素敵な時間だったと思う。
 このトリオは何とも言えない気品を湛えていて、オーケストラのサウンドに本当に見事に付けていってくれる。共演2回目だそうだが、アンサンブル・ウィーン=ベルリンとの共演で、岡山フィルのアンサンブルのステージが1段上がったように、今回の共演もいいきっかけになるんじゃないかと思う。
 ラプソディ・イン・ブルーは本当に「名曲」だ。このトリオに掛かると、この曲には人生の機微のすべてが詰まっているように思わされる。例えば、ベートーヴェンやマーラーの交響曲に人生のすべてが詰まっているように・・・。
3回目の共演があるとしたら、岡山フィルのメンバーがどこまで食い下がれるか、見てみたい。そして、ジャズに限らず、こういうコンサート、関西フィルの「サマー・ポップス・コンサート」みたいに、恒例行事に育ててほしい。

 会場はクラシック畑の聴衆6割、ジャズ畑の聴衆4割といった割合だった。なんでその割合が分かったかというと、ベースやドラムのカデンツァ(ってジャズではなんていうんやろう?)の後に拍手をしていた割合で分かった。私のようにクラシック畑の聴衆は、やはり演奏中に拍手をするのは躊躇してしまうが、ジャズ畑の聴衆は絶妙の間で拍手を入れてくるので、感心する。

 惜しむらくは、もう少しお客さんが入ってほしかったこと。5割を切っていた(1000弱ぐらい?)かもしれない。それでも平日夜のコンサートとしては入っていたほうだったが・・・。

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岡山フィル第60回定期演奏会 指揮&ob独奏:シェレンベルガー [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第60回定期演奏会
〜シェレンベルガーが届けるウィーンの香り〜
モーツァルト/交響曲第38番ニ長調「プラハ」
R.シュトラウス/オーボエ協奏曲ニ長調
 〜 休 憩 〜
ブラームス/交響曲第3番ヘ長調
指揮・オーボエ独奏:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ゲストコンサートマスター:戸澤哲夫
2019年5月26日(日) 岡山シンフォニーホール
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 指揮にオーボエ独奏に、獅子奮迅の活躍を見せたシェレンベルガー、当然、今回のコンサートの主役ではあるのだが、オーケストラの奏でる音も本当に素晴らしかった!

 シェレンベルガーさんが岡山フィルの首席指揮者に就任したとき、「私の経験をすべて、この岡山のオーケストラに注ぎたい」と仰っていて、シェレンベルガーと岡山フィルの6年間の足跡を見てきたファンとしては、まさに有言実行をしてくれていることは重々、わかっていたのだが、今日は、シェレンベルガーという偉大な音楽家が、岡山フィルに情熱を注いで、それが花開こうとしていることに、心の底から感動を覚えた瞬間だった。

 

 会場は7割ぐらいの入りだろうか。今回はいつもより若干少ない印象。配置は、1曲めのモーツァルトは、10-9-8-6-5のストコフスキー(ステレオ)配置。ティンパニはチェロの後ろに付ける密集隊形。アンサンブルの一体化を狙っての配置だろう。


 1曲めのモーツァルトの「プラハ」は、個人的に思い入れが深い曲。僕がはじめてヨーロッパの一流オーケストラを聴いたのがこの曲で、そのオーケストラというのが、全盛期の最後の時代(ノイマン時代)のチェコ・フィルだったのだけれども、その美しくも官能的で、なんとも言えない味わいのあるサウンドを聞いた瞬間、背筋から額にかけて、電気のような衝撃が走ったことを、今でも鮮明に覚えている。


 シェレンベルガーのモーツァルトの交響曲は40番、41番に続いて3曲目になるが、40,41番がベートーヴェンやブラームスへとつながる 絶対音楽としての交響曲の雰囲気があるのに対し、39番までの交響曲は、まるで声楽なしの「シンフォニック・オペラ」といってもいいような雰囲気で、同じシェレンベルガーの指揮で生演奏で聞き比べて、その思いを一層強くした。これぞオーケストラの会員としてコンサートに通う愉しみの一つだと思う。

 その、第1楽章は、オペラの序曲やバロック時代のシンフォニアを思わせる。冒頭のブルルン、というグリッサンドの音からして、魅力的だった。これはもう中欧のオーケストラの響きだ。テンポは早め(といっても昨今の演奏のトレンドは、このぐらいのテンポかも)。通常、のっけからシンフォニーだと、暖機運転のような演奏になってしまいがちだが、はじめからとてもいい音が出ているし、奏者も指揮者もノッている。表現としてはシェレンベルガーらしい、音の切れ味を重視したキビキビとした表現が主体。中間部のフーガの掛け合いの部分を聴いていると、「楽章単位で聴くと、モーツァルトの交響曲の中でも41番の第4楽章に並ぶ最高傑作だ」との思いを強くする。そんな切れ味するどい中にも、歌わせる場面ではレガート気味に歌わせる。木管のアンサンブルもとても良い。ああ、聴いていて心地が良い。

 驚いたのは、楽章最後のオクターブが上がって、ヴァイオリンが奏でる「泣き」が見事だったこと。その瞬間、シェレンベルガーがヴァイオリン・パートの方を見て、笑みを浮かべていたのを僕は見逃さなかった。「いったい、いつから岡山フィルはこんな音を出せるようになったのか」と感じ入った瞬間。


 第2楽章はまるで舞台の左右から歌手が出て来て第一幕が始まりそうな雰囲気だ。シェレンベルガーは、オペラの演奏会形式を岡山フィルの重要なレパートリーとして取り組んでいるが、そういった思想がこの指揮から感じられる。楽器の歌わせ方や間のとり方が絶妙で、様々なニュアンスを表現するオーケストラも見事。

 第3楽章は、丁寧さんの中にもとても勢いのある演奏。この楽章に限らないが、低音弦の切れ味がモーツァルト独特の疾走感を演出する。谷口さんはじめコントラバスセクションがいい仕事をする。

 まったく1曲めから見事な演奏になった。


 R.シュトラウスのオーボエ協奏曲は、6-5-4-4-2に刈り込んだ編成。プレトークでは「この曲は指揮者が居なくても演奏できる」とシェレンベルガーさんは仰っていたけれども、いやあ、偉大なるマエストロに物申すわけではないが、この曲、アンサンブルを創っていくのは相当難しいじゃないかと思う。特にソロを取ってオーボエ独奏に絡んでくる木管は相当に難しい。

 まずもってシェレンベルガーの独奏が美しすぎて美しすぎて、そして美しいだけでなく、なんと心に響く音だろうか。この曲自体、ロマン派の最後の黄昏の瞬間の輝きとも言うべき独特の美しさを持っているが、いやあ、これはもうこの世のものとは思えない世界だ。何度も目頭をハンカチで拭った。

 オーケストラの伴奏も素晴らしかった。シェレンベルガーとの協奏曲演奏の中でダントツに良かった。クラリネットの西崎さんを始めとした、オケ・メンバーとの掛け合いを、会場皆が楽しんでいる光景。ああ、いいなあ。こういう雰囲気。


 そして、メインは演奏時間こそ短いものの、ロマン派の王道にして、彫りの深い表現が求められるブラームスの第3交響曲。自分にとっては中学生の時に特によく聴いていた曲で、悩みの多かった時期に寄り添ってくれる曲だと思っていた。ところが不惑を越えた今でも、とても味わい深く、勇気づけ、寄り添ってくれる曲だと感じる。


 12-10-8-6-6という編成で、トロンボーンセクションは岡山フィルは未整備のため客演に頼る。曲の入り方はシェレンベルガー流。この曲は生演奏で、10回は聴いてきたと思う。冒頭の2音のあとの下降音階のテーマで力を込める演奏(時には、この冒頭でマックスのテンションの演奏もあり)が多い。数年前、同じ岡山フィルで三ッ橋さんが振ったときもそうだったが、そうなると往々にして、この楽章が持っているしなやかさや内省的な一面がスポイルされる結果を招くことが多い。しかしシェレンベルガーはそういったアプローチを取らず、冒頭はあくまで提示部としてとらえ、オーケストラから力みの無いしなやかな音を引き出す。このアプローチはベートーヴェンの5番交響曲の時もそうだった。

 曲が進んでいくなかで自然な流れの中に、重心の低い音楽がうねるように展開していく。劇的なドラマと、ブラームス独特の寂寥感・翳りを内包しながら、各パートの掛け合いによって力強い推進力で有機的に昇華していく。管楽器の充実っぷり、そしてそれが弦楽器と掛け合い、溶け合っていく。第2楽章は切ないほどの美しさだった。楽章が終わっても余韻が漂い、この静寂をも演奏の一部にしてしまうのは、もうこれは本物だと思った。

 第3楽章は過度にロマンティシズムに酔うようなことはなく、スッキリとした、それでいて深く味わえるような音楽に仕上げた。中間部の訥々とした語りっぷりが印象に残る。ここ数年で弱音の場面の表現が巧みになったと感じる。キモとなるホルンとオーボエの掛け合いも見事。ホルンの梅島さん、山陽放送のドキュメンタリーでは、愛嬌のあるニクめない性格で、失敗を重ねながら温かく見守られるキャラとして描かれていたが、彼は相当に腕の立つ奏者だ。技術が安定していて安心して聴ける。演奏が難しいこの楽器は、プロでもハラハラするような危なっかしさを感じることもあるが、そうした心配は彼には無用だ。

 第4楽章こそ、シェレンベルガーが火の玉となって導き、この曲で最高の見せ場を見せてくれた。木管陣は、まるで10年ぐらいアンサンブルを組んでるんじゃないかと思うほど緊密に連携し、トランペット。トロンボーンはかなり協力に鳴らした。迫力は相当なもので、ホール一杯にゲルマンの血が騒ぐような激しくも整ったアンサンブルを響かせた。

 それにしてもトロンボーン陣はかなり強力だった。


 シェレンベルガーの首席指揮者としての3期目の最初のコンサートだったが、この調子で演奏改革が進み、楽団の体制強化が図られれば、20年後には国内有数のオーケストラになるのも夢ではないと、本気で思わされる。そんなとても充実したコンサートだった。


 岡山フィルの演奏は、どの曲もよく作り込まれていて、オーケストラの実力が相当ついてきていることを実感させる。山陽新聞に後日掲載された記事によると、フォアシュピーラーに座っていたコンミスの近藤さんの声として、楽団員もとても手応えを感じたコンサートだったようだ。


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広島交響楽団第25回福山定期演奏会 指揮:小泉和裕 Pf:小川典子 [コンサート感想]

広島交響楽団第25回福山定期演奏会
モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
リスト/ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
 〜 休 憩 〜
ブラームス/交響曲第1番ハ短調
指揮:小泉和裕
ピアノ独奏:小川典子

コンサートマスター:佐久間聡一

2019年2月17日 福山リーデンローズ大ホール
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 広響の福山「定期会員」になってからの初めて自分の「定期会員席」で聞くコンサート。天井桟敷ではなく、1階のど真ん中の席で聴く。来年度からは4200円のこの席を3500円で聴けるようになる。お客さんの入りは、2、3階席の様子は把握できていないが、恐らく6割ぐらいの入りだろうか。

 ブログには何度も書いてるが、岡山シンフォニーホールでのコンサートにもチラシを配ったらどうだろうか?公立ホールで県域の違うお客さんに広報するのが難しいのかもしれないが、今回のコンサートには岡山フィルの3月定期のチラシは入っている訳で、その逆が出来ないのは、ちょっと解せない。


 オーケストラの編成は1stVn12→2ndVn10→Vc8→Va8、上手奥にCb6の12型ストコフスキー配置。


 1曲目のドン・ジョヴァンニ序曲。広響がこのホールで演奏する時の1曲目の演奏の際によく感じるのだが、普段は極めデッドなホールを本拠地にしていることもあるのか、残響に手こずっているような、フォーカスが微妙に合わない感じのある演奏。もっとも、このリーデンローズの残響豊富な音響に聴き手の自分が慣れるのに時間がかかることもあるだろう。


 リストのピアノ協奏曲は実は苦手。ピアノ独奏部分は魅力的だが、オーケストラ・パートが(リスト愛好家の方々には申し訳ないが)どうにもイモっぽいというか、こんなに魅力的なピアノ独奏を書けるのに、このオーケストレーションはなんなんだ?との思いを持ってしまう。

 リストのコンチェルトのソリストは小川典子さんで、前回聴いたのが10年ぐらい前の京響と共演した、ラフマニノフのパガニーニ・ラプソディ。その時の感想は『まさに円熟のピアニズム。脂の乗り切った演奏を大いに堪能した』という趣旨のことを書いていたが、その時の印象よりも、ますます表現の円熟味を堪能させてもらった。

 小泉さんの指揮は、ソリストへ挑んだり煽ったり、ということは無く、ときどきそれが物足りないと思うこともあるのだが、今回の演奏は、小泉さんの職人芸と小川さんの会場を巻き込むような存在感と、グイグイと音楽を手動する力が相まって、指揮者・ソリスト・オーケストラの関係性の妙を堪能できた。「ああ、リストのコンチェルトって、こういう風に聞くととても面白い」という説得力に満ちた演奏だった。

 協奏曲、というよりもオーケストラ伴奏付きの「ピアノ組曲」なのだろうな、この曲は。オーケストラ伴奏のバレエ組曲のような、そんな構成になっているのだろう。

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 後半はブラームスの交響曲第1番。これはもう小泉さんの『誰がなんと言おうと、これが普遍的なブラームスの世界なんだ』という確信に満ち満ちた演奏になった。今の時期、コンサートゴーアーの間で話題沸騰中のクルレンツィス&ムジカ・エテルナなどが、革命的な演奏を世に問うているが、僕はこの小泉さんが描く世界にも抗いがたい魅力を感じる。

 どっしりとした低音の上に音楽を構築的に積み上げていく重厚で浪漫あふれる演奏。テンポは速めだが、歌うところではじっくりしっとりと歌わせる。それでいて弛緩するところのない筋肉質で充実した音楽だった。

 第1楽章や第4楽章での、各パートが呼応しながら音楽が盛り上がっていく場面では、「そうそう、こういうブラームスが、僕は聞きたかったんだ」と、何度も頷首しながら聴き応えのある音楽を堪能したが、特筆すべきなのは第2楽章。これほど雄大な景色が目に浮かぶような、泣けるほど美しくどこまでも広がるヴィジョンを作り出せる指揮者が、今、どれほど居るだろうか?天井を見上げながらその世界に耽溺した。第2楽章でのコンマスの佐久間さんのソロ、第4楽章の中間部の倉持さんのホルンや岡本さんのフルートなど、どれも素晴らしく、他にも聴きどころはたくさんあったが、この日のコンサートはなんといっても小泉さんの音楽美学の中での出来事、という感が強く、楽団員さんの思いも恐らく同じだったようで、終演後のカーテンコールでは、3回目ぐらいの指揮者を称える「お約束」よりも前に、すでに楽団員が小泉マエストロを称える様子(特に、ヴィオラの安保さんの讃え方がカッコイイ)が印象に残った。広響のこういう雰囲気、僕は好きです。


 アンコールがなかったのも小泉さんらしい。このブラームスのあとに、余計な音楽は不要ということ。15時開演で終演は16時40分。福山駅からビミョーに距離のあるリーデンローズまでは、行きも帰りもあーと屋さんの車に乗せていただき、色々とお話も出来て感謝です。


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クァルテット・ベルリン=トウキョウ 岡山公演2019 [コンサート感想]

クァルテット・ベルリン=トウキョウ 岡山公演2019
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J.S.バッハ/3つの主題による4声のフーガ
  〃  /コラール「我が心の切なる願い」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第10番変ホ長調「ハープ」
 〜 休 憩 〜
シューベルト/弦楽四重奏曲第15番ト長調

クァルテット・ベルリン=トウキョウ
 Vn:守屋剛志
 Vn:ディミトリ・パヴロフ
 Va:グレゴール・フラーバー
 Vc:松本瑠衣子

2019年2月1日 日本キリスト教団岡山教会

 一流の技術を持った4人が、アンサンブルを磨きに磨き上げ、そして燃焼度100%の本気の演奏をしたら、こんな凄い音楽になる・・・・。守屋さんが倉敷のご出身(しかも真備だったんですね、去年の災害時は心を痛めておられたでしょうね)という縁で、こんなハイレベルのクァルテットの演奏で、室内楽の主要レパートリーを毎年のように聽かせてもらえる。そのことを教会の十字架を目の前にして、文字通り神に感謝した演奏でした。本当に、神々しいサウンドでした。

 今回の会場は日本キリスト教団岡山教会。天満屋のすぐ北というとても便利が良い場所だ。初めて中に入ったのだが、間口に比べて意外に奥行きがあり、建物2階にある礼拝堂のキャパは180人ぐらいか。ヴァイオリンの守屋さんも初めて演奏する会場とのことだった。

 

 会場は満席のうえに丸椅子の補助席まで出る状態で、220人ぐらいは入っていたと思う。舞台右手にはパイプオルガンがあり、オルガンコンサートも行われているとの事。教会と言っても躯体はコンクリートのビルなので残響は少ない。しかし、音は結構芳醇に響き、舞台と客席が近く一体感がある。ただ、空調は普通の業務用エアコンなので演奏中は空調を切らざるを得ず、足元からの冷えが少し堪える(笑)皆さんコートを足に掛けて聴いていた。

 

 カルテットの配置はヴァイオリンが向かい合う対向配置で、これまでのQBTとはヴィオラとセカンドヴァイオリンの位置を入れ替えた感じ。そして、前回、僕が聴いたときとヴィオラのメンバーが変わっていて、そのグレゴール・フラーバーさんは開演前の時間に、客席側と舞台背後でアクションカメラを入念にセッティングをセッティングをされていたのだが、その時の雰囲気がとても気さくそうな印象。


 バッハ2曲はノンヴィヴラートでの演奏。透明感のある純度の高い音が響き合いながら重なり合い、ますます輝きを増していく。まるでクリスタル細工のような、そんな輝きを放っていた。『3つの主題による4声のフーガ』は未完の作品で、バッハ特有の対位法やフーガの幾何学的な音の万華鏡が、突然終わってしまう。これは人間の死、そのもののように感じる。

 それを慰撫するように、アタッカ気味にはじまったコラール「我が心の切なる願い」の美しさと安らぎに心を完全に持って行かれる。


 死と魂の救済を感じさせる演奏の後に演奏された、ベートーヴェンの「ハープ」も素晴らしかった。

 この曲が作曲されたのは交響曲第5番や第6番「田園」、あるいはピアノ協奏曲第5番「皇帝」が作曲さされた、いわゆる「傑作の森」の時期の真っただ中で、やはりこの曲も、この時期のベートーヴェン特有の強い意志と躍動感を感じさせる曲で、バッハの2曲や後半のシューベルトの作品に感じる死の影を「死など何するものぞ」と吹き飛ばすような楽曲に感じた。

 QBTの演奏はダイナミクスの切り返しがとても鮮やかであると同時に、磨き抜かれた美しさやしなやかさを感じさせてくれ、生命力あふれる演奏だった。特に第3楽章の推進力には圧倒された。ベートーヴェンはやはり当時の最先端の音楽だったことを感じさせる


 後半のシューベルトは、輪をかけて熱気のある演奏になった。この曲、45分も要する大曲で第1楽章だけで20分近くのボリュームがあるのだが、全く長く感じない。音のダイナミクスの付け方の鮮やかさ、特に弱音部分での表現の多彩さは、神業としか思えない。それでいてとても芳醇な音楽が聞こえてくる。微に入り細に入り作りこまれていて、これはやはり世界レベルのカルテットだからこそ聴けるのだと思う。

 シューベルトの晩年(といっても30代の、そうそう、ちょうど守屋さんが「シューベルトが亡くなった年齢に、僕も達してしまった」とプレトークでお話されていました)の曲には死の影を感じる曲が多く、この曲も孤独や死の雰囲気は多分に感じるのだが、このQBTの演奏は暗い死のイメージではなく、浄化と救済のイメージに重なる。

 第3楽章のスケルツオからタランテラのリズムが印象的な第4楽章への燃焼度の高い演奏は凄いとしか言い様がないぐらいに圧倒された。決してノリや勢いだけなく、音の重なりや掛け合いすべてに計算しつくされ作りこまれた土台の上に、その場の聴衆も巻き込んで「創造」されていく。冒頭にも述べたとおり、岡山でこんなコンサートが聴けることを感謝したひとときだった。


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岡山フィル第58回定期演奏会 シェレンベルガー指揮 柴山昌宣・森野美咲ほか [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第58回定期演奏会 ニュー・イヤー・コンサート
〜きらめく、モーツァルトの響き〜
モーツァルト/交響曲第41番ハ長調「ジュピター」
 〜 休 憩 〜
モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」ハイライト
指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
コンサートマスター:高畑壮平
歌劇キャスト
 アルマヴィーヴァ伯爵:片桐直樹
 伯爵夫人:柳くるみ
 フィガロ:柴山昌宣
 スザンナ:森野美咲
 ケルビーノ:川崎泰子
 マルチェリーナ:脇本恵子
 バルトロ:渡邉寛智
 バジリオ/ドン・クルツィオ:松本敏雄
構成・演出:柾木和敬
2019年1月20日 岡山シンフォニーホール
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 「フィガロの結婚」は舞台美術はなく、いわゆる「演奏会形式」でのハイライトだったが、構成・演出を担当した柾木さんのアナウンスに沿ってとてもわかり易く、しかも作品の肝は押さえた見応えのある舞台になった。
 まずもって地元出身の森野さんのスザンナがとにもかくにも素晴らしい!!フィガロの柴山さん、伯爵の片桐さんらトップクラスの名歌手のため息が出るようなバリトンも堪能。
 前半のジュピターは、シェレンベルガーさんと楽団員が一体となり、理想のモーツァルトのジュピターを作ろうという気概に燃えた演奏で、アーティキュレーションや強弱の徹底、そしてフォルテへ向かうときのドイツ語の破裂音のアクセントのような切れ味は、聴いていて胸がすく思いだった。第一楽章冒頭の提示部が鳴った瞬間、これもドイツ語の巻き舌の発音が聞こえてきたようで「やっぱりシェレンベルガーのモーツァルトは違う!」と思った。
 アンサンブルの完成度や精度は、いま一つの部分もあったけれど、安易に妥協せず、貪欲に理想の音を追求した岡フィルの演奏に胸が熱くなった。最終楽章は見事だった。
 客席はほぼ満員で3階奥に少し空席があるのみ。相変わらず客足は絶好調。
 当日は気温14度まで上がり、「大寒」とは思えない寒の緩みだったが ときおり突風が吹きすさぶ天候で、自転車ごと飛ばされそうになった。今から思えばシェレンベルガー&岡山フィルの疾風怒濤のジュピターを暗示していたのかも知れない(笑)

 プレトークで事前のチラシに書いてあった曲順を入れ替え、前半にジュピター交響曲を演奏し、後半に「フィガロの結婚」を持ってくる旨、シェレンベルガーさんから直接発表される。去年は職場から抜けられずに、魔笛の途中から入ったが、今日は余裕を持って到着できたから全く問題ない。

 編成は舞台下手から順に1stVn8、2ndVn6、Va4、Vc4、上手奥にCb3の8型2管編成のストコフスキー配置。このぐらいの編成が岡山フィルの本来のサイズだと思う。弦のメンバーを見ても精鋭が揃った感じで、シェレンベルガーも楽団員も思い切ったことが出来る。

 ジュピターの演奏は、これまで岡山フィルで聴いたどのモーツァルト演奏よりも素晴らしく、エキサイティングだった。冒頭にも書いたとおり、エッジの立ったアーティキュレーションや、ジェットコスターのような強弱の徹底。最も印象に残ったのは、ピアノからフォルテへ向かう瞬間の、突風が吹き抜けるようなアタックの強さ。まさに疾風怒濤の演奏で、この曲が作曲された18世紀末の激動の中欧の雰囲気を伝えてくれた。もし、この日、はじめてモーツァルトの生演奏に触れた人が会場にいたとしたら、世間一般に流布されている「癒やしの音楽、モーツァルト」とのギャップに、さぞかし驚いたことだろう。
 僕も冒頭の主題の提示から驚いた。編成は小型なのにブルルンと腹の底から響いてくる、弦のドイツ式のグリッサンドに痺れた。そして、まるでオペラのテノールとソプラノの二重唱を思わせるような掛け合いから、全パートが有機的に連携して壮麗な世界が拡がってゆく。疾風怒濤の激しさの中にも、シェレンベルガー&岡山フィルらしい、止め・はね・払いが徹底された形式感のある演奏だった。

 ティンパニは木のマレットでバロックティンパニのような音。弦楽器はヴィヴラートを抑え、全体的にはピリオド系の要素を取り入れた演奏。トランペットは普通のドイツ式なのに、古楽器のようなパリッとしたテイストの音を奏でていた。今回は首席の小林さんは乗っておらず、テレマン室内にもおられた横田さんがトップだったが、さすがの音色だと思った。

 第1楽章はアンサンブルが整いきれない部分もあったが、理想のモーツァルトを演奏しようという火の玉のような情熱が舞台から伝わってくる演奏に聴き手の気持ちも昂ぶってくる。岡山フィル定期演奏会でのモーツァルトのシンフォニーが取り上げられたのは、前回(10年ほど前?)のシェレンベルガーとの初顔合わせの共演以来だと思うが、そのときよりもオーケストラが数段ステージの高い音楽づくりに挑戦していて、一瞬たりとも目が離せないのだ。
 第2楽章も速いテンポで進む。ピアニッシモは「弱い音」ではなく、ちゃんと芯のある弱音が聴こえてくるのが凄い。木管は盤石だった。殆どが30代以下の若い奏者だが、味わい深い音を聽かせてくれて、とりわけファゴットは首席が決まっていないため客演首席の方だったが、(後半のフィガロの結婚も含め)とても良かった。この楽章はロマン的にゆったりと聞かせる演奏が好きだったはずが、この日の岡フィルの演奏で、「こういう弛緩することのない、それでいて優美な演奏もたまらなく美しいなあ」と思った。
 第3楽章でも木管はやはり盤石で、弦楽器の音も一層艶が出てきたところで、アタッカ気味に第4楽章へ突入した。この楽章では、それまでシェレンベルガーの細かいタクトに従って動いてきたオーケストラが、指揮者の描く酵航路図にそって自分たちで新しい世界を拓いている瞬間のように感じた。まさに光り輝く瞬間の連続で、海外のオーケストラの演奏も含め、この水準の演奏のモーツァルトをこのホールで聴いた記憶がない。ちょっと褒めすぎ?いや、でもこういう魂のこもった演奏は、地元オーケストラが命を懸けて演奏するから聴けるのだ。どんな海外の一流オーケストラであっても、強行日程のスケジュールの中でのツアー公演では、こんな演奏はなかなか聽かせてくれない。

 シェレンベルガーは、定期演奏会で一通りモーツァルト後期交響曲をやると思うが、10年後ぐらいにもう一度後期交響曲ツィクルスをやって欲しい。10年前からこれほど進化するのだ。10年後には世界に出せるようなモーツァルトを聽かせてくれるようになると思う。

 後半のフィガロの結婚は、ステージには小道具のみで勝負。
 今回の歌手陣は本当に充実していて、冒頭述べたスザンナ役の森野美咲さんの歌声に聞き惚れた。第一幕のフィガロ(柴山昌宣さん)とスザンナの二重奏からして、「おお、これは凄い!」と圧倒された。「ハイライト」と銘打ちながら、全曲75分のボリュームが有り、重要なシーンはほとんど入っている。昨年の魔笛は、オペラ・アリア集といった趣きが強かったが、今回はほとんどオペラの舞台を堪能した気分。
 僕は管弦楽や室内楽作品に比べるとオペラは本当に見る習慣がないので、舞台美術のある専用劇場での大掛かりなステージとは比べる基準は無いのだが、歌手の方々の歌と演技、そしてオーケストラの美しい伴奏だけで充分に堪能した。
 自らも地元を代表するテノール歌手であり、今回は演出・構成に回った柾木さんの、絶妙のナレーションも良かった。岡山で数多くのステージに立っている経験からか、岡山の聴衆にはどこまでナレーションで説明すれば良いのか、そして客席の反応はどうなのか?独特の残響の岡山シンフォニーホールでのナレーターはどうあるべきなのか。計算しつくされていたように感じた。

 このモーツァルトのオペラを見て思う。人生は当人たちにとっては大真面目に苦しくしんどい、欲望やプライド・メンツに縛られ、偽善や露悪に翻弄され大切なものを見失ってしまう。でも少し離れた視点で人生を見つめてみると、何事も喜劇に思えてくる。
 モーツァルトは、そんな人生喜劇を涙がでるほど美しい音楽で抱擁してしまった。そこにはモーツァルトの人間に対する暖かい眼差しがあり、この日の演奏者たちの演奏からも、その暖かさが伝わってきた。大切なものや大切な人の存在に気づいた者は幸福だ。僕にとって大切なものは、家族との時間と、こうしてこのホールで生の音楽を聞きながら過ごす時間だ。

 これまで岡山フィルは、開館記念の目玉事業のワカヒメを筆頭に、僕が思いつくだけでも結構オペラの演奏の蓄積があって、そこへシェレンベルガーが継続的に関わるようになって、ニューイヤー・コンサートでのオペラのハイライト公演が定着しつつある。今回のキャストも岡山のオペラ公演を支えてこられた方々が出演・演出に関わっていて(池田尚子さんが急病で降板されたのは残念だったけれど)、これまでの蓄積が花開いている感がある。
 来年のニューイヤーコンサートは「カルメン」を取り上げる由。こうして、岡山の「オペラ・ニュー・イヤー・コンサート」が定着したら20年後には、岡山の聴衆はオペラの主要レパートリーを一通り聴くことになる。ぜひ定着してほしい。
 なかなか記事を書く時間も取れないので、文章をシンプルにしようとは思うのだけれど、いざキーボードを叩き始めると、書き残しておきたいことがどんどんと湧いて出てくる。それだけ充実した時間だったということか。

 当日の夜には賛助会員向けのレセプションが開催されたが、今回は遠慮させてもらった。子供がまだ小さい中でコンサートには行かせてもらっているので、終わったらさっさと帰らないと行けません。出席メンバーが地元政財界の重鎮の方が多いと思うので(自分の雇い主の偉いさんも来られそうだし)、シモジモの私はビビってしまいます。しがらみの無い地元以外のこういうレセプションには図々しく出ていくんですけどね(笑)

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2018年に足を運んだコンサートのデータ [コンサート感想]

 年末にその年に足を運んだコンサートデータのまとめを記事にしていましたが、2018年は「そんなに足を運べていないし、まとめるほどでもないかな」と思っておりました。

 ところが、年末年始の休みに散乱していたプログラムなどをファイリングしていたら、25回もコンサートに行っていたことが判り(笑)それなら・・・というわけで、今更ながらまとめ記事をエントリーします。

2017年のまとめ
2016年のまとめ
2015年のまとめ
2014年のまとめ

 2017年に足を運んだコンサートは25回。年間のチケット代総額は66,360円、1回あたり平均2,654円でした。
 今年は県外(電車で45分の福山は県外に含めず)に2公演しか行っておらず、今後も当分はこんな感じなので、浮いたお金を岡山フィルの賛助会員会費に充てています。

◎ジャンル別
 オーケストラ12回、室内楽7回、器楽ソロ5回、ピアノ・ソロ1回
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◎オーケストラの楽団別
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岡山フィルハーモニック管弦楽団:4回
他はすべて1回
 シュトゥットガルト室内管弦楽団、ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル、ポーランド放送室内合奏団、釜山フィルハーモニー交響楽団、日本センチュリー交響楽団、NHK交響楽団、広島交響楽団、アマチュアオケ:1回(岡山交響楽団)

◎指揮者別
 ハンスイェルク・シェレンベルガー:2回
 以下、1回(おもな指揮者のみ)・・・準・メルクル、ステファン・ブルニエ、秋山和慶、飯森範親、高原守、村上寿明

◎ソリスト・アーティスト
2回:福田廉之介(Vn)、柾木和敬(T)、
 以下、すべて1回(おもな奏者のみ)
 内田光子/上原彩子/松本和将/梅村知世(Pf)、三浦文彰/シン・ヒョンス/戸澤采紀/福田廉之介/岸本萌乃香/(Vn)、、ワルター・アウアー(Fl)、西崎智子/橋本杏奈(Cl)、阪本清香/塚村紫/池田尚子/川崎泰子(S)、岡村彬子(A)、渡邉寛智/鳥山浩詩/山田大智(B)

室内楽団体:カルテット・ベルリン=トゥキョウ

◎プログラム曲目別
 2018年は集計せず

◎コンサートホール別
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◎会場の市町村別
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以上


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広島交響楽団第382回定期演奏会《延期公演》 準・メルクル 指揮 [コンサート感想]

広島交響楽団第382回定期演奏会《延期公演》
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細川俊夫/瞑想―3月11日の津波の犠牲者に捧げる―
メシアン/輝ける墓
 ~ 休 憩 ~
ストラヴィンスキー/バレエ「火の鳥」(1910年版 全曲)
指揮:準・メルクル
コンサートマスター:佐久間 聡一
 この公演は7月7日に開催される筈で、メルクルさんもお嬢さんを伴って広島に滞在、リハーサルも進んでいたところの7月6日に襲った西日本豪雨により中止にせざるを得なかった。

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※広響の2018年イヤーブックより
 準・メルクルさんは、祖父が生まれた街であるこの広島(初めて知りました!)のために日程を開けて、再び来広。
 会場はマスコミの取材などがあり、いつもとは違う雰囲気。
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 楽団員は燃えていたなあ・・・。メルクルさんはいつも通りの力みの無い颯爽と、そして流麗ながら打点が明晰な指揮。オーケストラもその鮮やかなタクト捌きに導かれ、変幻自在の気品あふれる美しい音楽を奏でました。
 これほどの心に強く残る演奏を聴かせてくれた広響にブラボー!いやー本当に広島まで聴きに来て良かった!
カープに負けず劣らず、広響も黄金時代に入った感があります。
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 当日は新幹線で広島に向かうが関が原での大雪により40分遅れの開演1時間15分前に広島到着。せっかく広島に来たのだから、お好み焼きを食って、クラシック音楽喫茶で少しゆっくりして会場入りしようと思ったものの。駅で昼食を取ることに。しかし駅も大変な混雑で・・・続きは感想のあとに。
 会場は一見8割5分ぐらい席が埋まっているように見えるが、そこかしこに歯抜けのような空席があり、実際には7割5分ぐらいといったところだったろう。振替公演ということもあり都合がつかなかった人が多数いたようだ
 しかし、SNSやブログの感想を見ると、結構東京や関西から聴きに来られていたようだ(熱烈にスタンディング・オベーションをしていた方が、よく関西のコンサートでお見かけする方だったし)、音楽評論家の東条碩夫さんや奥田佳道さんも来られていたそうだ。
 この年末休み時期はどこもかしこも第九だらけなので(第九を演奏する良さは確かにありますが)、こういうプログラムを好んで結構当日券が売れたのではないだろうか?
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※開演前に撮影
 編成は14型のストコフスキー配置(ステレオ配置)4管編成で、広いこの多目的ホールのステージいっぱいに配置されている。ヴィオラがアウト、チェロがイン。広響を聴くときはほとんどヴィオラが外側の配置だ。
 細川俊夫の楽曲は、同じメルクルさんの指揮によるリヨン国立管弦楽団との「循環する海」を聴いている。この「瞑想ー」は一神教ではない日本の精神世界を表すように、創造主の存在感は皆無。お鈴のような鐘の音と弦・木管が奏でる魂が浮遊するようなモチーフの展開の中で、『宇宙の鼓動』(作曲者解説による)を表す大太鼓の律動が規則的に表れる。中間部の尺八のようなバス・フルートの旋律を聴いたとき、私の心の中の何かのスイッチが押された感覚になり、本当は3.11の地震・津波の犠牲者への追悼の曲なのだが、私には今年の広島・岡山・愛媛を襲った西日本豪雨の犠牲者の追悼の曲としてしか受け止められなかった。浮遊する魂が慰撫されるように、最後は消え入るように終わる。リヨン管の時にも思ったのだけれど、やはり日本人の血が入っていることが大きいのか、メルクルさんは日本の宗教観や死生観というものに深い共感を持っていると感じた。この静かな鎮魂は四十九日やお盆の送り火の時期の街の静けさや、人々の静かな心持ちを思い起こさせてくれる。作曲者も客席にいらっしゃって、盛大な拍手を受けておられた。
 2曲目はメシアンの「輝ける墓」。戦前の作品で、トゥーランガリラ交響曲などのまばゆいばかりの色彩と比べると、この戦前の(1931年)の作品は思ったよりコンサバティブでプリミティブな印象を受ける。中低音域で執拗に繰り返される3音の音型はショスタコーヴィチを想起させるし、トゥッティーでの響きはストラヴィンスキーの影響を感じさせる。トゥッティーのあとにパウゼがある場面が多いが、いかんせんこのホールでは残響を楽しむというわけにはいかない。細川作品では思わなかったが、この曲に関しては「もう少し音のいいホールで聴きたいな」と思った。
 リズムが非常に複雑で錯綜しており、相当難しい曲だと思うが、メルクルの明晰なタクトの元、広響の演奏は緊張感の中にも安定感があり、一つの生き物のような表現に舌を巻いた。1年の最後の最後に、ハイレベルなオーケストラの凄い演奏を聴いて、前半終了時点ですでに興奮気味だった。 
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※2階ロビーからの風景
 「火の鳥」は、ダイジェスト版とも言える1945年版が演奏されることが圧倒的に多いけれど、1910年版でしか味わえない感興がある。全曲盤をオーケストラのみでの演奏を「冗長」だと言い切ってしまうのは、このメルクルの魔法のようなタクトと愛すべき広響の情熱的な演奏を聴いてしまうと。『それは早計だ!』と言ってしまいたくなる。
 特に中間部分の「王女たちのロンド」から「夜明け」「イワン王子、カッチェイ城に突入」「不死の魔王カッチェイの登場」などを経て「イワン王子とカッチェイの対決」「火の鳥の出現」「カッチェイたちの凶悪な踊り」に至るまでの部分は、誠に息詰まり手に汗握る一大スペクタクルで、1945年版だと、「王女たちのロンドから」「カッチェイたちの凶悪な踊り」にまで一気に飛んでしまうのは、ほとんどおいしい部分をすっとばしている、ということが今回のコンサートを聴いて認識を新たにした。
 メルクルは時折ステップを踏みながら、流れる様な指揮の合間にも指揮棒の先をチョンと動かすだけで、あら不思議、オーケストラから色々なニュアンスの音が湧き出してくる。オーケストラ側もとてもポジティブかつ主体的に音楽を奏でていく。「火の鳥の踊り」や「魔法にかけられた13人の王女たち」では、「いったい、メルクルが指揮しているのはオーケストラだけなのか?ステージにはバレエ団が躍っていて、僕にだけその姿が見えていないだけじゃないのか?」そう思ってしまうほどに表情豊かで生き生きとした表現だった。
 中間部分に差し掛かり「カッチェイの登場」から、オーケストラは鳴りに鳴っているが、これはまだ序の口で、音楽はぐんぐんと熱を帯びて盛り上がっていき、「カッチェイたちの凶悪な踊り」の最後の方のブラスの下降音階の場面では、自分も奈落の底へ落ちていくような感覚になり、手が汗ばむような興奮があった。
 フィナーレの「カッチェイの城と魔法の消滅」でのホルンのテーマを聴いた瞬間、ちょっと目がウルウルと来た。最後の咆哮する金管を突き抜けて聴こえて来る輝かしくもボリューム感のある弦のトレモロに鳥肌が立った。国内のプロ・オーケストラの本拠地の中で最も音響の良くないホールにも関わらず、広響がこういう演奏をしてしまうもんだから、「ああ、これだけのものが聴ければ充分だ」ということになり広島にいいホールが出来ないのでは?という逆説的な原因も考えてしまう(笑)
 今後はそうそうは県外のコンサートには行けないんだけれど、年に1回は広響を聴きに来ないと!と思ったコンサートだった。
 広響の充実ぶりはなかなか拙文では伝えきれないため、シュトイデさんの弾き振りの動画を張り付けておきます。メルクルさんとは音楽の作り方は全く違いますが、広響の積極性や音楽への感受性と表現力がよく伝わる動画だと思います。
 以下は余談。
 戦術の通り、2時間前に広島に到着するはずが、1時間15分前にずれ込み、市街地でお好み焼きを食べ、2軒ある名曲喫茶のいずれかに行って・・・などという計画が飛んでしまった。HBGホールまでは路面電車と徒歩で40分、開演15分前には着きたいので20分程度で昼食を取る必要がある。
 「新幹線名店街」へ行こうと新幹線改札口を降りてビックリ、広島駅が全面改装されていて「ekie」という、岡山の「さんステ」の3倍はあろうかという巨大駅ナカ施設に変貌している。で、お好み焼き屋街へ向かうとご覧の通りの大混雑。
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 以前の新幹線名店街は新幹線利用者しか行けない穴倉みたいなところだったのが、どうやら南北自由通路が出来たことで人の流れが変わったらしい。南口の駅ビルのお好み焼き屋街の混雑状況が解らなかったので、とりあえずアンデルセンでパンを買っておき(久しぶりのアンデルセンのデニッシュを帰りの新幹線で食べた)、南口の駅ビルに行くと、大丈夫、混んでいませんでした。広島まで来てお好み焼きを食べられないなんてさみし過ぎますから。
 あと、備忘として書くと、お好み焼き屋さんの勧めで路面電車ではなくバスに乗っていったら、なんと15分もかからずに開演40分前にホールの玄関前に着き、周辺を散策する余裕がありました(笑)以後、HBGホールに行くにはバスを使うことにしましょう(笑)
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※天気は良いですが、気温は低く寒かったです
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※駅ナカのEKIEにはもみじ饅頭の製造工場が見れます。焼きたてが食べられます。

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