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岡山フィル ベートーヴェン”第九”演奏会2023 指揮:飯森範親 [コンサート感想]

岡山フィル ベートーヴェン”第九”演奏会2023 指揮:飯森範親


ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調『合唱付き』


指揮:飯森範親

ソプラノ:森野美咲

メゾソプラノ:金子美香

テノール:中島康博

バス:大西凌

合唱:岡山”第九”を歌う会


2023年12月10日 岡山シンフォニーホール


20231210_001.jpg


・典型的な瀬戸内地方の小春日和。長袖シャツにジャケット1枚を羽織って自転車をチャリチャリ漕いで出かけるにふさわしい気候。

・客席は8割位の入り、久しぶりに3階席に座ったが、合唱の音もオケの音もビンビンに飛んでくる。舞台から遠いことを除けばここは最高の音で聴けるんだよなあ。

・オケの編成は1stVn12-2ndVn10-Vc8-Va8 上手奥にCb6の2管編成。木管の後ろが合唱団のひな壇。ティンパニやバスドラムほか打楽器群、トランペット、ホルンは下手側、トロンボーンは上手側に配置。合唱団はコロナ前よりも間隔を開けて(といってもソーシャル・ディスタンス配置ほどは距離を取らない)いる。ステージは張出しは無いのでギッシリである。

・岡山フィルは10月にホルン、ファゴット、トロンボーンの首席奏者オーディションがあったはずで、今回から試用期間に入るかも、と期待していたが、ホルン首席は京響の名手:柿本さん、トロンボーンは日フィル首席の伊藤雄太さん、ファゴットは元OEKの柳浦さんということで、お披露目は無かった。そうそう、クラリネットが西﨑さん降り番の代役で、なんと京響の小谷口さんが座っていた。小谷口さんのムードメーカーっぷりは岡フィルでも発揮されていて、フルートの畠山さんとも打ち解けている様子を見てニンマリ。

・第九だけでは早く終わりすぎる事もあって(今回はベーレンライター版を採用したため、1時間強ぐらいか)飯森さんのプレトーク。一番印象に残ったのが「第1〜3楽章と第4楽章とのあいだに、断絶がある」という話が印象的。

・第1〜第3楽章の経過を第4楽章は全て否定する。ここまでは今までも聞いてきた話だったが、飯森さんは一層踏み込んで、「だから、第4楽章の大団円の気配を感じさせる合唱団や歌手は、第3楽章が終わるまではステージに居てはいけないんです」とのことで、合唱の入場は第3楽章のあと。なので、皆さん、合唱団が入場しても拍手しないでね、と。

・最近は第2楽章のあとに入場し、第3楽章から第4楽章はアタッカで繋ぐことで、安らかで幸福感のある音楽から奈落の底に突き落とすような効果を狙った解釈が多かったように思う。今回の飯森さんの解釈は初体験だ。

・第1楽章、冒頭の6連符から繊細かつ明確に鳴らす。提示部の繰り返しはなし。ベーレンライター版や新ブライトコプフ版の特徴の、いわゆる「81小節問題」は、木管の音の跳躍を容れた解釈を取ったが、私にはやはり「慣れの問題」もあり非常に違和感がある。飯森さんと同年代の藤岡幸夫さんは音の跳躍は容れない立場のようだ

 ベーレンライター版を採用していたシェレンベルガーとの第九も音の跳躍は採用していない
 もっともこれは慣れの問題かも知れない。例えばエロイカの第1楽章の658小節問題、楽章の最後の方でトランペットが主題を2回目吹くパターンから、2回吹かずに木管のタンギングが前面に出るパターンに変わった時も、はじめは「なんじゃこりゃー」だったが、今では全く違和感が無い。やはり慣れの要素は大きい。


・第2楽章で特徴的だったのはティンパニ「タン・トトン」5連発、一回目は同じ強さ(5回目に音を落とさい)、2回めはだんだん弱く。このパターンもはじめて聴いた。

・第1楽章〜第2楽章の飯森さんのエネルギーは凄まじい。それに応える岡山フィルの燃焼っぷりもまた激しいものがあった。ティンパニが終始硬質のマレットで叩き上げ、金管を中心にバリッとした質感で引き上げるので、大音量トゥッティの場面では雷鳴の鳴り響く嵐の中、といった感じになる。一方で落ち着いた場面では弦や木管賀しっとりとした音を奏で、両場面の対比が明瞭。

・この日の白眉の一つが第3楽章。磨き抜かれた弦の音にふくよかな木管・ホルンの天国的な音が溶け合い、彼岸を感じずには居られない麻薬的な美しい世界。特にクラリネット客演首席の小谷口さん(京響)の演奏が本当に素晴らしかった。私が一時期、京響に足を運んでいた理由の一つご彼女のクラリネットを聴くことだった。岡山シンフォニーホールではこんな風に響くのか〜、と感嘆するばかり、最高に幸せだった。

・飯森さんのプレトークでは、この第3楽章はベートーヴェンが厳しさから目を背ける「現実逃避」として描いたという面があるようだ。ベーレンライター版としては、冒頭はかなりゆっくりとしたテンポだったが、途中からテンポを少し上げていた。なんだか、この楽章でコンサートが終わってもおかしくない雰囲気。それは前3楽章と巨大な最終楽章との断絶を意味する。

・少し間を起き、合唱団が静寂の中、入場しひな壇に座る。飯森さんのプレトークでのお願いを、皆、律儀に守り、拍手は起きない。3〜4分ぐらいの間が置かれたため、オーケストラはチューニングから開始。

・慣れないやり方だからか、第4楽章冒頭はオケが息が合わない。ところがチェロ・バスのレチタティーヴォが始まった瞬間。ガラッと空気が変わった。

・第1楽章〜第3楽章までは、様々な困難に「翻弄される人間」または「癒やされる人間」というような受動的な存在として描かれているが、この楽章のチェロ・バスの音をきくと、明らかに主客逆転して「我々」が決然と語りだす。飯森さんの今回の解釈?演出?は、それを強調する効果を生んでいる。

・合唱団はコロナ前のような公募の方法に戻ったそうだが、やはり人数は少なめ。特にテノール、バスの男声合唱が少ない。コロナ前からそういう傾向はあったが・・・

・となると、やはり男声パートが女声パートに押されるのは仕方がないが、行進曲手前の決め台詞のGottの場面では人数を感じさせない迫力!

・前回聞いた秋山さんのタクトでの第九は、合唱指揮のホリヤンの指導で、声を張り上げるような合唱だった。それはそれで壮絶だったが・・・。今回は声の質感重視で、男声合唱が目立つ部分の出し入れや、二重フーガでの合唱とソリスト、オーケストラの音の溶け合い方は、これまで聴いた第九のなかでも群を抜いて素晴らしかった。

・そうそう歌手陣の舞台への登場は、オーケストラだけの歓喜の歌で自然にかつ堂々と入ってこられた。歌もみなさん良かったが、(あくまで3階席前列での話だが)森野さんと他の歌手の歌の聴こえ方/響き方が違った。他の3方が音源(歌手の身体)から飛んてきた歌を受け止める感じなのに対し、森野さんはホール全体の空気の共鳴を浴びる、という感じ。もちろん森野さんにとっては「実質的なホームでの勝手知ったる」ということもあろうが、彼女だけがオーケストラや合唱団に声が埋もれなかったこともまた事実である。

・飯森さんも還暦かー。岡山シンフォニーホールのこけら落としオペラ「ワカヒメ」で指揮したことや、その「ワカヒメ」で吉備上道田狭の兄君役で出演したテノール歌手のご令嬢が、今回のソプラノの森野美咲さんであることなどをプレトークでお話しされていた。「私も歳を取るわけですね」と。

・とにかく余韻が半端ない第九だった。帰宅途中の旭川の川原で10分だけこの余韻を味わって、日常に戻った。

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