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岡山フィル第78回定期演奏会 指揮:秋山和慶 Vc:佐藤晴真 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第78回定期演奏会

ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲
シベリウス/交響曲 第2番ニ長調

指揮/秋山 和慶
チェロ/佐藤 晴真
コンサートマスター/藤原浜雄
2023年10月22日 岡山シンフォニーホール

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・今回、明らかになったこと。岡山フィルは再び好調期に入った。シェレンベルガー時代の2018年~19年ごろ、飛躍的に良くなっていた勢いがコロナ禍で気勢を削がれてしまっていた。秋山さんの就任で態勢を立て直し、ここへきて回を重ねるごとにアンサンブルが研ぎ澄まされ、音色は輝きを増している。

・会場は75%ぐらいの入り。悪くはないが、もう少し入って欲しいなという印象。もしかしたら去年までの15時開演の時のほうが入りが良かった気がするが・・・。

・編成は1stVn12-2ndVn10-Vc8-Va8 上手奥にCb6の2管編成。まず確認したのはティンパニとトランペットの席で、そこに特別首席の近藤さんと首席の小林さんの名前を見て期待が膨らむ。客演奏者はホルン首席に水無瀬さん(京響)、トロンボーンの伊藤雄太さんは日本フィル首席だそうだ、ファゴットの柿沼さんはシェレンベルガー時代にも何度か乗っていた方で今は千葉響在籍のようだ。チューバは大フィルの岩井さん。



シベリウス/交響曲第2番
・最初に後プロのシベリウスの感想を書くことをお許しいただきたい。今回のシベ2は私にとって岡山フィルの演奏のベスト3に入る演奏で、なかなか書く時間が取れない中、早くアウトプットしていまいたい(といいつつ11/4にようやく書き上げました)。

・聴いている最中「これがいつも聴いている岡山フィルなのか?」と信じられなくなるほど感動する瞬間があまたあったのだ。第2楽章から涙腺が崩壊しはじめ、第4楽章の有名な第1主題の繰り返し2回目の場面でハンカチ無しではいられない状態になってしまった。

・秋山さんのミュージックアドバイザー就任から一年半が経ったが、岡フィルメンバーに秋山さんの意図が浸透してきているのも大きい。去年の5月の秋山ミュージックアドヴァイザー就任披露公演(「火の鳥」)では、秋山さんのタクトの一挙手一投足に息を詰めて合わせるような窮屈さがあり、音楽の造形や流れの弱さに少々不満を持った。

・ところが今回の定期では秋山さんのタクトに深い呼吸と共鳴をもって反応し、音楽の流れが壮絶に力強くなった。全体の力強さだけでなく、細密画を描くような繊細で芸術的なタクトに柔軟に反応。ディテールの表現も見事で、この曲のキモの一つでもある弱音部(特に弦)での音色の変化に惚れ惚れした。

・この曲はシベリウスのシンフォニーの中でも、わかりやすいメロディのオンパレードで、それが人気の理由にもなっているが、秋山&岡山フィルの緻密な表現でわかりやすさの偽装が剥がされ、20世紀初頭に作曲されたこの曲もやはり現代音楽に片足を突っ込んだ複雑な曲であることがよく解った。

・個々の奏者では、まずは何といってもティンパニである。特別首席の近藤さんはご著書で、ティンパニストにとって最もやり甲斐のある作曲家としてブルックナーとシベリウスを挙げていて、トレモロの響きのパレットの多彩さについてページを割いて力説されている。まさにご著書で解説された通りの名人芸に酔いしれた。詳細は楽章ごとの感想にて。

・次にトランペット首席の小林さん、小林さんの元々の音色が、シベリウスのシンフォニーに要求される、澄んだ冷涼な空気を突き抜けるような抜けのいい音そのものだったこと、そして終始トランペットが出ずっぱり、しかも強奏から弱奏まで目立つ場面の連続になる曲なのだが、次々に訪れる場面の変化に最適な音色をチョイスできるパレットの多彩さや衰えないスタミナに、改めて凄いトランペッターだなと。もはやトランペットが体の一部になっている。

・岡山フィルの金看板のチェロ・コントラバス隊にも賛辞を。特に自然や内面の闘争を思わせる、第一楽章中間部や第二楽章、そして第四楽章はパワフルな金管陣やティンパニを向こうに回し、見事な瞬発力と厚みで大立ち回りを展開。


(11月4日追記)


・第一楽章はゆったりしたテンポ。私がシベリウス2番を直近で聞いたのがロウヴァリ&タンペレ・フィル。それは昨今流行りのラディカルな解釈と奇抜なアーティキュレーションを採用していたが、秋山さんはそうした演奏とは一線を画しており、私がこの曲に夢中になった70年~90年代の録音の延長にある解釈を取る。

・なんの気取りもないヴァイオリンの序奏、笑みを浮かべて左右に揺れながらタクトを振るう秋山さんに導かれ木管とホルンが4分の6拍子で自由に飛び跳ねるように歌い上げる。そこに弦のピチカートが華を添える。休符の「間」をじっくり取りながら、第一主題の登場。濁りのないヴァイオリンのユニゾン。シベリウスの世界が眼前に拡がる。もうこの時点で身体がゾクゾクするような感動を覚え、心がぎゅーっとなる。全曲を通して透明感のあるヴァイオリン・ヴィオラの音色が素晴らしかった。

・この曲はイタリア旅行の時に着想を得た曲なのだが、イタリアっぽさの全くない、フィンランドの冷涼な空気と雄大な自然を表すようなヴァイオリン、日本人の私達が見たことが無いような草花や鳥たちを表す木管、そこに角度の低い高緯度地域の日差しを表すようなトランペット。そしてそよ風からつむじ風、さらに淡い空の色や深い湖の色まで表現する多彩なティンパニのトレモロ。弦のピチカートはまるで湖を飛び立つ白鳥の羽音のよう、どこを切り取っても北欧・フィンランドの香りがする。

・私が思うに、第1楽章はそれ自体が完成された一つの交響詩なのだ。実際、シベリウスは作曲開始当初は他楽章交響詩として着想していたらしい。じっくりと間を置きながらオーボエ、フルート、ヴァイオリンらが散文詩を紡ぎ出すように饒舌に語る。

・展開部に入って徐々に雲行きが怪しくなる、デジャヴのようなものを感じたと思ったら、これは5月定期で聴いたベートーヴェンの田園の第4楽章のようだ。

・ティンパニが主導する嵐を、右手で繊細なタクトを振りつつ、握りしめた左拳(ひだりこぶし)をステージへ向けて突き上げながら傘寿を超えても鬼気迫る秋山さんのタクトに呼応する岡山フィル。主題が高らかに登場するとき、これ以上無いバランスで金管が素晴しいアンサンブルで自然賛歌を謳い上げる。

・全休符が多用されるこの曲、ホールの残響に響き渡るオーケストラのサウンドが本当に美しかった。その度に天井を見上げながら消えゆく美しい残響を満喫した。

・音楽も良かったが、奏者も深い呼吸を取りながら大きくスイングされていた。以前は大フィルや広響と比べると岡山フィルはスイングが少なく、それが岡山フィルのカラーかも、と思ったりしたが、秋山さんの呼吸に導かれて、今は大いにスイングするようになっている。

・第2楽章は急激なクレッシェンドとその先に頂点とするスフォルツァンド、この連続は何か尋常でないものを感じずには居られない。シベリウス自体は否定するけれど、ロシアの圧政と軍事的圧力に対するマグマの様な怒りを感じずには居られない。今このようなご時世だから尚のこと。

・それだけに中間部:アンダンテ・ソステヌートの穏やかな場面が、天から差し込む救済の光のように感じる。岡山フィルの弱音での処理が本当に素晴らしい。シベリウスは弦の響きに雑味や濁りがあったら興ざめになる場面が多いが、そういったことは全くない今の岡山フィルの弦が頼もしい。

・冒頭でも触れたとおり、この楽章の肝はティンパニとトランペット。近藤さんの決然と叩かれるティンパニは「音を出す指揮者」のようだ。トランペットのあえぎ叫ぶような音を強めに吹かせ、それを支えるトロンボーン・チェロ・バス・ティンパニが場面の深刻さに拍車をかける。

・第3楽章は35年前に秋山さんの指揮を見た時から全く変わらない、カミソリのような切れ味抜群のタクト。昨今の演奏はこれより速いテンポを取ることが多いが、ディテールをおろそかにしない、一音一音の粒が立ったヴィヴァーチェッシモはお見事。

・場面転換でじっくり間を置きながら、オーボエ・フルートに導かれる美しすぎるトリオは、そこから硬質マレットに持ち替えたティンパニが安らぎを突き破る。これって何かに似ているなと思ったが、あとでマーラーの復活の第五楽章にプロットが似ていると思った。

・2回目の美しすぎるトリオから一気に第4楽章へなだれ込んむ。この曲の中でしばしば見られる「繰り返し」の場面は、2回目に頂点を突き抜ける演奏設計にしている。第4楽章へ抜ける時間は、いやー、岡山シンフォニーホールに30年近く通い続けた自分が初めて聞くようなサウンド・・・それは言葉では言い表せない。無秩序であるが何かから「抜けた」感覚がするサウンド・・・まずここが圧巻。

・第4楽章でも、それは同様。この曲で一番有名なこの楽章の第1主題の繰り返し2回目へ向かう場面で益々秋山さんのタクトが冴えわたる。チューバら金管をホールを震撼させながら、急速にテンポを落とし、第1主題の場面へなだれ込む。あまりの巨大なエネルギーに「おいおいまだまだ先は長いのに、この先どうなるんや!」状態まで私は追い込まれている。頂点の場面では、音楽的に不自然にならない限界まで『溜め』を作り、そこから一気になだれ込むようなサウンドに身もだえするような感動が襲う。

・ピークを越えた後、第2主題に移る前の第1主題の変形の場面でのシベリウス独特のどこまでも澄み切った弦の音にますます磨きがかかる。ここでも間を存分に取り第2主題へ。

・ここからフィナーレまでは、巨匠の体が発するパワーに感化し、オーケストラが美しさを保ちながら徐々に徐々にラストへと盛り上がっていく。ティンパニのロールによるオスティナート、低音弦のピチカート、上昇下降を繰り返す木管。まだ余力があったのかと感嘆するしかない弦は物凄い倍音を響かせながら長い長いクレッシェンド。その密度の濃さにちょっと息苦しくなるほどだ。

・コーダに入った後は、特別な体験だった。満を持して登場したトランペットのファンファーレに涙が止まらん。ステージ全体に後光が差すような、聴き手も含め光に包まれるような感覚になった。

・こういう感覚になったことは過去にもある。それはマーラーの復活を聴いた時だった。大いなる、何か、の光に包まれるような体験。まさかまさかシベリウスのシンフォニーでそれが降りてくるとは・・・巨匠:秋山さん、恐るべしである。

・シベリウスは最愛の娘を失って、その状態を心配したパトロンの支援の下、家族と一緒にイタリアに向かった。しかしその滞在中も失踪するなど精神が不安定な状態が続いたという…。この日の秋山&岡フィルで見た光はシベリウスが苦悩の先に見えた光そのものだったのだろうか?


ウェーバー/「魔弾の射手」序曲
・さて、仕切り直して一曲目の感想。ホルンが不安定だったものの、瑞々しくも丁寧な演奏は、この日の演奏の成功への期待を抱かせるものだった。

ドヴォルザーク/チェロ協奏曲
・一ヶ月前の日本センチュリー交響楽団福山公演でも佐藤晴真さんのソロで同曲を聴いている。せっかくなので両コンサートの比較を交えながらの感想を。

・センチュリー響が高性能オケとしてのハイレベルな機能美を打ち出した演奏なら、岡山フィルはこれぞ「王道」というに相応しい堂々たる演奏。まずオーケストラが緊張感を孕みながら、じっくりとしたテンポを取りつつ重厚に奏で、満を持してソリストの登場を待つ。

・佐藤さんのソロもまさに王者の風格。センチュリー響との共演では、旅立ちを前にした若者の無垢な心情を表したような爽やかな演奏に感じ入ったが、それとはまた違う、特に第2楽章での巨匠の風格漂うソロに酔いしれた。

・印象的だったのは西崎首席のクラリネット。冒頭からしてクラリネットで始まるこの曲に活躍箇所は多いが、力強さと繊細さを使い分け、ドヴォルザークの印象的なフレーズを一層際立たせていた。

・第三楽章での佐藤さんとコンマス:浜雄さんが絡む箇所も素晴らしく、その後に続く美メロディのオンパレードもまさに王道、素晴らしかった。

・改めて感じ入ったのは秋山さんのタクト。この曲をこれほど重厚かつ繊細かつロマン的に響かせる指揮は他では聴けないだろう。全てのフレーズに表情があって輝いている。おそらく時間が少ないはずのコンチェルトのオーケストラパートをここまで作り込めるな、と。

・アンコールはカタルーニャ民謡(カザルス編)/鳥の歌。先月のセンチュリー響福山公演と同じ曲

・コンサートから帰ってきて、チケットをファイリングする際、ふとこの日のコンサートのチラシを見てみると、ドヴォルザークがこれでもか!と言うぐらいアピールしていたのに対し、シベリウスの名前は最低限の情報しか載っていない(笑)

・岡山では一般的には「シベリウスって誰??」状態なんやろうなあと。東京・関西などの大都市や山形・金沢・高崎のようなオーケストラ文化が根付いた都市ならばシベリウス2番は「ド名曲プログラム」だが、岡山はまだまだそこまで行っていない。今回も含め最近のクオリティと感銘度の高い演奏を続けて行けば、少しづつレパートリーの拡大が受け入れられていくと思う。

・秋山さんのもとで岡山フィルはもっと凄いオーケストラになる、そう確信した時間だった。それだけにこんな素晴らしい世界が体験できるコンサートにもっと足を運んでほしいと思う。特に学生さん、この演奏が1000円で聴けるなんて本当に羨ましい。私が学生席に座っていたころの岡山フィルはまだまだ手探り状態だったもの。

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読売日本交響楽団 倉敷市特別演奏会 指揮:藤岡幸夫 Pf:清塚信也 [コンサート感想]

オーケストラキャラバン 読売日本交響楽団 倉敷市特別演奏会

藤岡&清塚のトーク(ピアノ演奏付き)
グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
チャイコフスキー/交響曲第4番 ヘ短調 作品36

指揮:藤岡幸夫
ピアノ独奏:清塚信也
コンサートマスター:長原幸太
2023年10月3日 倉敷市民会館

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・コンサート当日から3週間も経ってしまったが、詳しい感想を更新。当記事のアクセス数が普段の当ブログの5倍以上(普段400→当記事2000!)になっており、改めて清塚さんの影響力を実感。

・火曜日の夜公演なのに満席に近い入り(9割ぐらい?)。清塚さんの追っかけの方々も居られるようだったが、大部分は地元のファンが多かったのでは?清塚さん&藤岡さんの集客力をまざまざと見せつけると同時に、「くらしきコンサート」解散後も旺盛な倉敷市民のコンサート需要を感じさせた。

・編成は1stVn14→2ndVn12→Vc8→Va10、上手奥にCb6の2管編成。普段聴いている岡山フィルは10型か12型だから、久しぶりに聴くフル編成の弦五部の音の渦に溺れた。

・1曲目は序曲・前奏曲、の代わりとして、清塚さんと藤岡さんのトークで幕を開けた。チラシに記載された

『藤岡&清塚のトーク(ピアノ演奏付き)~会場を爆笑の渦に!お楽しみに』

の表記に違わない爆笑トーク(笑)どうやらこのチラシの宣伝文句は藤岡さんと清塚さんが気づいた時にはこうなっていたそうだが(笑)


・藤岡さんやお客さんと掛け合いをしたりしながら、会場の空気がどんどん温まっていく。あの藤岡さんが清塚さんのトーク力に圧倒されていましたからね(笑)途中から遅れて入ってきたお客さんを、「あっ、ゆっくり入ってくださいね~、安心してください、まだ1音も演奏されていませんから!」といじるなど、ご高齢のお客さんが慌てて入ってこないような優しさも感じられて、こういうところで人気が出るんだろうなと感じた。

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・で、チラシの(ピアノ演奏付き)は、ショパンの名フレーズをジャズ風にアレンジしたものだったのだが、軽妙でニュアンスたっぷりで、これが凄くよかった。ノクターン2番から始まり、途中、別れの曲を演奏していると思ったらいつの間にか大きな古時計に変わっていたり(この2曲、よく似ているんですね)最後は英雄ポロネーズ。

グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調
・ええ感じに暖まった会場に鳴り響いたグリーグのあの音型。清塚さんの生演奏は初めて聞いたが、強靭な音にまず驚く。それもダンパーペダルを作用をあまり使わずに、である。あの巨大なフェスティバルホールでもリサイタルされるのだから、倉敷市民会館ぐらいの空間は余裕を持って響かせる感じ。それに加えて粒立ちの良い音、ペダルを繊細に使って音の輪郭を明瞭に響かせているのが印象的。トークで「この曲って、バラエティとかで『やっちまったー』っていう時に使われたりするんだけれど、北欧の凍てつく空気・雄大な自然を表しているんです」との言葉通り、スケールの大きな風景を現出させていた。

・何よりも、藤岡さん&読響と清塚さんが盛んにアイコンタクトをはじめ、コミュニケーションを取っている。
カデンツァでは圧倒的な存在感を示しつつも、協奏する場面では、一緒に音楽しよう!と言わんばかりに密にコミュニケーションを取って、音楽を創っていく・・・例えばオーケストラの奏者が見事なソロを披露すると、そこに自己主張を控えめにしたピアノが寄り添っていったり・・・ソリストにオケが「合わせる」タイプの協奏曲とは全く違うものが出来上がっていき、「この部分いいよね」「こういうのどう?」「いいね!ここは心震えるよね」といったかんっじで、情感や情景を舞台上の全員が共感し合いながら音楽に載せて聴衆を陶酔に導いていた。

・コンチェルトが終わった後の読響の楽員さんが満たされた表情をしていたのが印象的、オーケストラを従える孤高のソリストの魅力も抗えないものがあるが、清塚さんのようなタイプのソリストは少ない、第3楽章なんてソリストもオケもどんどんノリが過熱していって、この曲の新たな魅力を発見した思い。

・休憩時間中に素敵女子に声をかけられて、ドギマギしていると、大学時代の友人だった。中学生のお嬢さんが清塚さんのファンとのこと。清塚さんがステージから去るとき、熱烈に手を振ってるおっさんがおるなあ、と思っていたら「あれはヒロノミンじゃが!」と気づいたようで・・・いやいやお恥ずかしい。

・一点、大事なことを書き残して置きたい。この協奏曲や後半のチャイコフスキー4番でも楽章間の拍手が起きた。その際、藤岡さんが客席側を少し振り返ってお礼の会釈をされたあと、オーケストラに向かって笑顔で頷いて楽団員も表情が少し笑顔になったように見えた。藤岡さんは楽章間の拍手は「クラシックになじみのない人が来ているサイン」と感じており、うれしくなると同時に気合も入るようだ。


チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調
・読響のアンサンブルが凄すぎて・・・。この曲なんて、目を瞑っていても演奏できる曲だろうが、ルーティン感を全く感じさせない、鉄壁のアンサンブルを聴かせてくれた。

・例えば最終楽章ラストの大爆音乱痴気騒ぎに見える場面で鬼のように明確なアクセントが入ってて戦慄!!。第1楽章での強奏部分では弦の音がうねりにうねって、広大な倉敷市民会館の空間をぎっしりと満たす感じ。全てにおいて神経が行き届いていて、それは統率された凄さではなく、個々の音楽を創造する能力が桁違いなのだと実感する。

・管セクションと弦セクション間の音の溶け合い方も見事で、第2楽章のゆったりとしたフレーズでは、まるでブルックナーのシンフォニーのような響きを感じた。

・あまり意味のない比較とは分かりつつも、演奏の迫力・音圧という面では同じホールで聴いた新日本フィルやNHK交響楽団を凌駕していたのではないか?海外の一流オーケストラのような椅子に押しけられるような圧倒的な音圧を感じた。

・藤岡さんのチャイコ4番は3回目だと思うけど、聴くたびに陰影が深くなる。帰りの車のカーステレオは何もかけずに無音で余韻を楽しんだ。

・読響のハイレベルな熱演に対して、久しぶりにこのホールで聞いたブラボーと嵐。読響団員さんが全員履けるまで熱烈な拍手。「くらしきコンサート」が帰って来たって感じがしたなぁ。倉敷の聴衆は熱い!

・余談というか覚書。藤岡さんがプレトークで岡山の縁について語った時に、「倉敷の北のほうに津山というホントに美しい街があるんだけれども、祖先に箕作阮甫っていう蘭学者がいて・・・母方のご先祖様なんですよ」と、いきなり岡山が産んだ幕末明治の知の巨人の名前が出てきてびっくりした。津山って秋山和慶さんの母方のルーツでもあるようだし、いやはや凄い街ですね。

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民音名曲コンサート 岡山フィル 指揮:太田弦 Vn:黒川侑 [コンサート感想]

民音クラシック名曲コンサート ベートーヴェン&メンデルスゾーン 珠玉の響き

メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」Op.26
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
ベートーヴェン/交響曲 第7番 イ長調 Op.92

指揮:太田 弦
ヴァイオリン独奏/黒川 侑
管弦楽:岡山フィルハーモニック管弦楽団
コンサートマスター:福田悠一郎


2023年10月1日 岡山シンフォニーホール大ホール

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・民音主催とあって安定した集客が見られ、客席は7割ぐらいの入り。定期演奏会とは明らかに客層が違い、中高年の女性のグループが多い印象。

・編成は1stVn10-2ndVn8-Vc6-Va6 上手奥にCb4の2管編成。客演奏者はホルン首席に柿本さん(京響)、クラリネット首席に高尾さん(広響、以前は岡山フィルに頻繁に乗ってらっしゃった)、他にもセカンド首席とヴィオラ首席も客演の方。

・コンサートマスターは福田悠一郎さん。私は別の方と見間違えてしまい、twitterに投稿してしまった。コロナ禍でシェレンベルガーさんも高畑さんも来日出来ない時期にコンマスとして何度も記憶に残る演奏を披露してくれた方(ホンマ恩知らずですみません)。



メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」
・「音の風景画家」メンデルスゾーンの音楽に花を添える木管、弦楽器群の音も素晴らしい。序曲からこのクオリティでの演奏は、やはり岡山フィルの演奏は誠実だ。



メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調
・このコンサートのチケットを買った時の最大のお目当ては、黒川侑さんのメンデスルゾーンの協奏曲だ。今年の3月定期で演奏されたベートーヴェンの協奏曲が素晴らしすぎて・・・・。彼の音は特別なんですよね。まろやかで温かくて、琥珀の輝きがあって、そして芯が強い。

・メンデルスゾーンの協奏曲は、チャイコフスキーやパガニーニのような特別なヴィルトゥオージティが必要な曲には見えない(適切な音程を取るのはプロでも難しい・・・とは聞くけれど)、その分ソリストの「音色・質感」そのものがさらけ出される曲のように思う。

・第一音が響いた瞬間から「これこれ、メンコンはこれやわー」という説得力のある音色・表現。彼のヴァイオリンの音は、色んな意味で「格別」なんです。聴いていて「幸せだな~」「いつまでも聞いていたいな~」と感じさせられる。

・特に第2楽章は夢のような時間だった。彼にしか出せない音、その音が作り出す世界は輝きに満ちていた。そして彼のソロに付ける岡山フィルの弱音も素晴らしい。本当に弱音時の弦のアンサンブルが良くなったと思う。

・黒川さんの理想のヴァイオリニストはグリュミオーだそうだ。工藤・小栗門下からウィーンとブリュッセルで研鑽を積み、エコール・ノルマルで学んだ経歴を見ると、おそらく10代のころから彼の理想の音が明確にあって、周囲が超絶技巧の習得に躍起になるのを横目に、理想の音の体得に邁進されていたのではないだろうか。こんな音を持っている奏者は、中堅・若手どころでは彼ぐらいしか思い浮かばない(僕の中では実はもう一人いるけれど、彼女はジストニアのため、恐らく当分は聴くことは叶わない・・・)。

・いや、黒川さんは超絶技巧も超一流なのだ。それは京響とのプロコフィエフの録音を聴けば明らか。でも、彼は超絶技巧を魅せることに重きを置いていない感じがするんだよな(違っていたらごめんなさい)。人の心の琴線に触れる音楽を追い求めている感じ。

・アンコールはJ.S.バッハの無伴奏ソナタ1番のシチリアーナ。




ベートーヴェン/交響曲 第7番 イ長調
・実は、この曲に関してはさほど期待していなかった。というのも、去年の7月定期(ドヴォルザークの8番)で太田さんの指揮を聴いて、内声の見通しの良いサウンドを纏める指揮巧者との印象の一方で、なんというか引っ掛かりが無い、物足りなかったなあ、というネガティブな印象があったからだ。



・ところが、あーた!君子豹変とはこのことかと思うほど、個性的な指揮を見せてくれた。強烈なリズムと、深い叙情性あふれるベト7。さすがに30歳という若さで九州交響楽団の常任指揮者に指名された才能だなと感じさせるに十分だった。指揮の太田さんは勿論、コンマスの福田悠一郎さんも全身を使ってのリードが冴え渡っていた。



・岡山フィルのテンションも、ほとんどガチンコの定期演奏会のような熱演だったことにも感動。今回のコンサートは民音が主催してチケットを売り、岡山フィルは一定の金額のギャラを受け取るという、いわゆるお座敷の名曲コンサート。これまで岡山で開催される民音のコンサートは広島交響楽団が取っていたが、今回は初めて岡山フィルが取れた。今後のことを考えると、1,2年に一回は確実に開催されるこのコンサートの出演権を取ることは非常に重要で、楽団員の気合が入っていたのかもしれない。




・個々の奏者では第1楽章第一主題からフルートの畠山さんが華のある音を見せつけ、ティンパニの近藤さんの一貫した確信の叩きには痺れた。フルート以外の木簡も第2楽章での哀愁あふれる音、そして弦楽器は弱音の表現が磨きがかかっていた。



・岡山フィルはシェレンベルガー時代にも7番を取り上げていたが、仕事の都合で行けなかった。その私の中でのミッシングリンクを繋ぎ合わせるような演奏。これは忘れられない。

・アンコールはシューベルトのロザムンデの第三幕間奏曲。これってコロナ禍でコンサートが半年以上中止になってから再開後初の定期で演奏された曲よなあ。その時の指揮者は熊倉優さんだったから、単なる偶然かもしれないけど、あのしんどい頃に光明を指してくれた曲ということで、グッとくるものがあった。



・近席の中高年女性グループの方々が「岡山フィルって岡山の人たち?」「すごい演奏じゃったわー」「なんか汗かいたわ」と口々に絶賛されていたのが印象的。楽章間の拍手も起こっていて、普段コンサートに来ない客層に対して充分なアピールができたんじゃないだろうか?

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