So-net無料ブログ作成
クラシック雑感 ブログトップ
前の10件 | -

倉敷市児島の名曲喫茶「時の回廊」 [クラシック雑感]

 今月の上旬に、倉敷市児島にある、名曲喫茶「時の回廊」に伺い、ゆったりとした時間を過ごしました。
 ここ、場所がとてもわかりにくいんです(笑)。ナビに案内させると、田ノ浦から大畠へ抜けるトンネルの中で「目的地周辺に到着しました」と言われます(笑)。実際の場所はこのトンネルの上にあるのですが、そこにたどり着くのはちょっとコツが要ります。岡山市内から行く場合、鷲羽山ハイランドのボウリング場「VIVAハイランド」を目指して、その先のトンネルを抜け左折し、旧鷲羽山スカイラインの県道を降りて行き右手に海鮮料理の「ふく仙」が見えたら、150mほど先の陸橋のある交差点を左折し、細い道を突き当たり(瀬戸中央道の擁壁)まで行き、そこで車を留めます。口で説明すると、このようにたいへん複雑です(笑)
DSC_1153.JPG
こんな看板が見えるので、それに従って・・・
DSC_1154.JPG
こんな上り坂を登っていき、道なりに左にまがると到着します。
DSC_1157.JPG
 マスターはまだ30代の若さで、この名曲喫茶はマスターの夢の世界そのもの。
 元々、喫茶店巡りがご趣味だったとのことで、東京に住まわれていた時に友人に連れられて入った高円寺の「ネルケン」という名曲喫茶がきっかけで、名曲喫茶の世界の虜になってしまい、ついに自分でお店を作ってしまった、ということのようです。
DSC_1158.JPG
DSC_1160.JPG
DSC_1159.JPG
DSC_1161.JPG
 スマホのカメラなので、見づらいのはご容赦ください。
 この瀬戸大橋のたもとの物件の購入・店の改装・店内の家具や調度品、オーディオ装置の購入、レコードの収集・・・と、このお店の開店のためにどれだけの投資と労力がかかったのだろうかと想像すると、ただただ凄いとしか言えません。ビジネスモデルとして名曲喫茶という形態も、当然儲けが出るものとは言えず、だからこそ平成に入ってから数々の名曲喫茶の名店がどんどん閉店していったのだろうと思いますが、そんな世の趨勢もなんのその。
 
 マスターの夢の実現に対する強い思いがないと、この空間はここに存在しなかった。そして、ここにはマスターの夢の世界でもあると同時に、ここに入店した客人も、このマスターの夢の世界の一部になれる。ここでかかるレコードも音盤が喜んで音を紡いでいるような瑞々しさに満ちています。
 私がこれまで行った名曲喫茶には、二通りあって、集中して音楽鑑賞に没頭できるよう、私語はおろか物音を立てる行為も厳禁という「名曲喫茶原理主義」タイプと、リラックスした雰囲気で音楽を楽しむ空間を提供する「居心地重視」タイプ。僕がこれまで行った名曲喫茶でいうと、神戸の花隈にあった「フルトヴェングラー」や京都の出町柳の「柳月堂」が前者のタイプ、後者は神戸の元町商店街の「アマデウス」(初代オーナー時代)になるでしょうか(岡山の田町にあった「高級喫茶 東京」の2階のオーディオルームも居心地重視タイプかな)。
 「時の回廊」は、前者のような堅苦しさは無く、ディープなクラシック音楽ファンではなくても、ゆっくりとした時間を過ごせるという点では後者に近いかもしれませんが、内装や家具調度品へのこだわり、作り込みは、あらゆる名曲喫茶の世界観を包摂する「ザ・昭和の名曲喫茶ワールド」です。その意味では超原理主義的名曲喫茶かも知れません。
DSC_1163.JPG
 外は気温36度を超える猛暑日でありながら、空調のよく効いた昭和の名曲喫茶で聴くシベリウスの5番は格別でした。「時の回廊」の売りは『クラシックの名曲に世界一合う自家焙煎珈琲』なのですが、僕は珈琲が飲めないので紅茶をいただきました(紅茶も美味しかったです)。珈琲は通販もされれいるので、クラシックを聴きながら珈琲を飲まれる方は、ぜひご賞味あれ。
DSC_1156.JPG
DSC_1167.JPG
 建物の横には瀬戸内海の絶景が楽しめるテラス席もあります。季節の良い時期には、自家焙煎珈琲を片手にこの絶景を鑑賞するという楽しみ方もできますね。
 大音量の名曲の世界から外に出ると、そこは瀬戸内海の多島美の絶景が待ち受ける。こんな絶景の場所にあるのに、窓という窓を塞いで名曲喫茶の空間を作る、という倒錯的な(笑)ところも堪らないです。
DSC_1169.JPG
 こちらは駐車スペースの先の瀬戸中央道の高架下を抜けた先の絶景
名曲喫茶「時の回廊」
倉敷市下津井田之浦1−16−22

nice!(2)  コメント(5) 
共通テーマ:音楽

広響からクリスマスカードが届く [クラシック雑感]

 今年度から広島交響楽団の「福山定期会員」になりましたが、会員あてのクリスマスカードが届きました。
hirokyo1.jpg
 こういうカードは貰うと素直にうれしいですね。文面を見て、今年は西日本豪雨でたいへんな年だったなあ・・・と思い返していました。私自身は被災者ではなかったのですが。
 はがきの裏には、楽団員さんのメッセージが添えられています。それも丁寧な思いのこもった直筆で3行ものメッセージ。
 福山定期演奏会って、以前にも書いたとおり年に1回だけの定期演奏会のためのマイシート会員なんです。それでもここまでやるんだなあ、と感じ入りました。
hirokyo2.jpg
 岡山出身の楽団員、Iさんのメッセージです。文面は伏せます。Iさんは岡山でもよくコンサートをしてくださってて、以前は「カンマーフィルハーモニーひろしま」のクリスマスカードをくださったこともありました。
 こういう心のこもったメッセージを頂くと、来年も応援したい、福山定期会員も更新していこう、そう思うようになりますね。
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックコンサート・演奏会感想へ
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岡山県情報へ

nice!(1)  コメント(1) 

「三浦文彰 ヴァイオリン・リサイタル」の感想の前に [クラシック雑感]

 昨日、三浦文彰さんのヴァイオリン・リサイタルを岡山シンフォニーホールへ聴きに行きました。その感想を書こうと思っていたんですけど、演奏そのものとは関係のない、運営面で腹の立つことが多くて、いったんそのことについて書き散らして、頭の中から追い払ってから三浦さんの演奏については、また後日書きたいと思う。
 
 私は音響の素晴らしい岡山シンフォニーホールを愛している、このホールは音が素晴らしいだけではなく、主催公演のスタッフの教育が行き届いている。サントリーホールのように全員がプロのホールスタッフというわけではなく、ボランティアのスタッフが大半を占めるが、彼らに対する教育が行き届いていて、「何を差し置いても音楽が主役であること」という思想が徹底されているし、「その存在を忘れるぐらい、さりげなくもしっかりと仕事はするスタッフ」を送り出している。岡山フィルの定期演奏会をはじめ、彼らの働きに毎回敬意を表するものである。
 
 しかし、ホールが主催しない、いわゆる貸館公演の場合は、その事業主催者が会場運営を行うのだが、岡山はその質が概してよくない。
 
 昨日のコンサートは、バイトくんのスタッフだけがやたら多かった。その割に印刷されたプログラム(有料も含めて)が配布されておらず、まあ、三浦さんがマイクを取ってプログラムについて説明してくれたからよかったようなものの、その日のコンサートへの思いやプログラムの意図をくみ取る重要な手がかりがなかった。せめてモノクロでもいいから楽章構成ぐらいは書かれたプログラムが必要だろう(イマドキ、たとえコンサート当日でもオルフィスで印刷すれば、700枚のプログラムなんてあっという間に出来るだろう)。前半のモーツァルトとR.シュトラウスのソナタでは毎楽章拍手が起こって間延びしてしまった。
 
 それぐらいはよいとしましょう。問題なのは、そのバイトくんとマネージャーか社員さんたちが、会場の入り口からホールのロビーに至るまで(あえて言いましょう)ムダに動き回って「携帯の電源を切れ」だの「カメラの撮影は見つけたらしょっぴく」だのと、常に声を張り上げている。コンサート前の非日常の時間が台無しだ。
 こちらも気になりだしたらだんだん腹が立ってくるもので、マネージャーっぽい人物が若いバイトの兄ちゃんを集めて何やら指示をだしているのだが、そこ、思いっきりホール内への出入り口の導線に被ってるから!一番偉そうなあんたが一番、客の邪魔だから!もうちょっと、人目を引かないところで集合をかけろよ!誰にアピールしてるんだ!?などと、だんだん腹が立ってくる。
 逆にバイトくんが「俺たち、邪魔になってるんじゃないかな~」と、通路に目線をおくっていたのが印象に残る。
 演奏が始まると、バイトくんは起立してドアの前に立っている。ここで嫌な記憶がよみがえる、4年ほど前に佐渡裕&兵庫PACオケの岡山市民会館でのコンサートで、会場見張りのバイトくんがじっとしていられなく、ずっとそわそわしていて、聴き手のこちらも気になって集中できなかったこと、あのコンサートも同じ主催者だっけなぁ。
 でも、この日の会場見張りの二人のバイトくんは偉かった。直立不動、微動だにせず、仕事を全うしていた。でも、岡フィル主催のコンサートみたいに会場見張りの子は椅子に座らせましょう。岡山シンフォニーホール主催のコンサートの運営を見て勉強していないのか?マネージャーさん。

 休憩時間中にはいり、いつもならロビーに出るのだが、「ロビーに出たら、また『携帯の電源を切れ』だのとオッサンが声を張り上げてるんやろうなあ・・・、そんなん、三浦さんの美音の余韻が台無しやん」と思って、ホールの中に引きこもっていたら、なんと、そのおっさんがホールの中に入ってきて、「携帯の電源を切れ、演奏が始まったら客席には入れない」と、注意をして客席を回っていた。ホンマ、首を絞めたろかと。
 失礼・・・取り乱しました。
 確かに、携帯の電源やカメラや録音禁止の注意は必要。実際、昨日も演奏中に携帯が鳴ったしね(おっさんの汚い声の注意を聴かされた上に、三浦さんの演奏中に着信音を間近で聴かされた自分、ホントに踏んだり蹴ったり・・・)。
 でも、昨日のやり方は「何を差し置いても音楽が主役」であるクラシックのコンサートでの注意喚起の方法としてどうなのか?じっくり反省をしていただきたい。くらしきコンサート主催公演では、プラカードを持って回っていたり、あるいは岡山フィルの公演では女性の声でのアナウンスで、注意喚起しています。
 おっさんの肉声で大声で叫んで回る、っていう対応は効果がないばかりか、最悪の対応の仕方だと思う。私は美しい音楽を聴きに来たんです、オッサンの声を聴きに来たんじゃないよ。前半の三浦さんの美音の余韻が台無しだわ、ある意味フライングブラボーと同じコンサート破壊行為ですよ。それを主催者が犯してどうするの?
 昨日のコンサートの主催者に告ぐ、あなたがたはイベントのプロかも知れないが、クラシック音楽のコンサート運営のプロではないよ。先にも書いた通り、プロのホールスタッフやレセプショニストは、仕事はするが存在感は消す。そして、そこで演奏される「音楽」が引き立つために、どうすればいいかを真剣に考えて行動する、そういう対応ができる人です。
 クラシックのコンサートが、なぜセットを組んだり照明演出をしないのか?オーケストラ奏者をはじめ、なぜ演奏者は燕尾服やシンプルな服装で演奏するのか?すべて主役である音楽にすべてを捧げるためです。
 コンサートが終わって、追加されたプログラムやアンコールの曲目を確認しようとロビーやエントランスを見回したが、どこにも貼られていない(僕が見落としたんでしょうか?でも、他にも「アンコールの曲目がわからない」と探しているお客さんがたくさんいました)。ホント、最後まで仕事のなっていない運営に、笑けてきました。
 それに対比して、普段のシンフォニーホールの仕事がいかに素晴らしいかもよく解った。頼むから、今後は岡山シンフォニーホールのプロの仕事に準拠した会場運営をしてください。よろしくお願いします。

nice!(2)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽

音楽の友2017年2月号から大阪のオーケストラ界の現状を憂う [クラシック雑感]

 音楽の友の2月号は(9月号とともに)毎年購入しています。前年度のコンサートや、国内全体の演奏会の状況を振り返る「コンサート・ベスト10」「地方各地の音楽状況」は毎年興味深く読んでいます。

音楽の友 2017年2月号

音楽の友 2017年2月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 2017/01/18
  • メディア: 雑誌

 恒例の「39人の音楽評論家・記者が選ぶコンサート・ベストテン」では、ここ数年、海外オーケストラの来日公演のウェイトが減少してきています。上位を占めるのは確かにバイエルン放送響やドレスデン・シュターツカペレなどの海外一流オーケストラだが、逆に、ウィーン・フィルを選んだ評論家がわずかに3名となるなど、厳しい評価が下されるオーケストラも多い。
 その一方で、国内オーケストラは、在東京のオーケストラを中心に、東京フィル17人、日フィル16人、N響16人、読響12人、都響12人など、海外オーケストラと並ぶ評価をする評論家も多い。
 東京在住の評論家が多いため、他都市のオーケストラが取り上げられにくいが、それでも、OEK1人、京響1人、群響1人、札響1人、仙台フィル1人、広響1人と昨今評価の高いオーケストラが取り上げられている。
 そんな中でショッキングだったのは、大阪のオーケストラを誰も選ばなかったことだろう。39名の評論家には関西に拠点を持つ人も含まれているだけに、関西6オケの中から選ばれたのが京響のみ、という結果には驚きを隠せません。
 「地方各地の音楽状況」を見ても、「札響の充実ぶりに触れなくてはならない」「仙台フィルの定期は相変わらず驚くようなプログラミングで聴衆を喜ばせてくれた」「(名古屋フィル)シェフと奏者の絆は深まり充実した演奏が展開された」「(京都市交響楽団)好調を維持している」「(広響)下野音楽総監督に集まる期待」「(九響)小泉体制4年目で管楽器陣パワーアップ」など、わくわくするような話が踊る一方で、大阪の4オケについては…
「(東京に比べると)関西は以前と比べてもずいぶんきんびしい状況になった印象が強い」

「経済的基盤の弱さを反映するかのように、内容にも集客にも陰りがみられる」

「このままでは縮小再生産の道を歩むだけ」

 との極めて厳しい指摘が展開されている。
 もともと音楽の友という雑誌は、故宇野功芳氏に代表される、レコード芸術の評論家陣に比べると、よく言えば前向きでソフト路線、悪く言えば提灯記事(失礼!)のきらいがあった。オーケストラ団体が演奏会の広告を掲載するなど、スポンサーとなっている性格上、そこまで厳しい記事はほとんど見たことが無かった。
 それなのに、この書かれようはほとんど「酷評」といってもいい内容だ。
 もっとショックだったのは、「データで見る日本の音楽状況2016」の「演奏会回数の動向」の記事。
 2016年は演奏会回数で、大阪が名古屋に抜かれていたのである。
 2010年には大阪:名古屋は、8.1%と6.1%で、つごう2%もの開きがあったが、2015年にはともに6.9%で追いつかれ、2016年には6.6%と7.1で0.4ポイントの差をつけられて追い抜かれてしまった。
 もっともデータは音友のコンサーガイドに掲載された演奏会であるため、実数を反映していないかもしれないが、6年前には大阪の3/4程度の回数だった名古屋に一気に抜かれたことを鑑みるに、大阪と名古屋の経済の勢いの差、といったものを感じざるを得ないですね。
 一方、我らが岡山フィルは「各地の音楽状況」に取り上げられています。シェレンベルガー氏が就任前には、「音楽の友」誌からは、全く「無視」されていたことを考えると、隔世の感があります。

nice!(1)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

指揮者とオーケストラに関する雑感 [クラシック雑感]

 今日は、ある指揮者の方(仮にZ氏とします)が書かれたブログについて、思うところがあったので記事にしました。事情を知っている方は「ああ、あのことか」とわかると思いますが、混乱に拍車をかけるのは本意では無いので、知らない人は「なんのことやら」という記事になっていますがご容赦ください。

 話は、財政面で窮地に追い込まれた『オーケストラX(以下Xオケ)』が、もっと集客を伸ばして収益構造を改善するために、指揮者Z氏が任命されたところまでさかのぼります。

 それまでX市に多大なる貢献をしてきたXオケ。事実、市民が気軽に参加できるまちかど音楽祭でクラシック音楽のイベントとしては空前の5万人以上を集客し、街の人々を彼らの磨き抜いた技で魅了し、また野外演奏会では雨の中でも必死で演奏するXオケのメンバーに胸を打たれた市民は多く居た。

 しかし、政変が起こり、政変を支持する熱狂的な市民たちが、「彼らの仕事は公(おおやけ)のお金を投入する価値なし」との暴論に同意し、Xオケを経済的に追い詰めると同時に、楽団員たちは自分たちの仕事が認められないことに落胆し自信を失いつつあった。

 そんな逆境のなか指揮者Z氏が就任。Z氏がすべき仕事は、①彼らの仕事の価値は他には代えられないものであり、自信を取り戻させ前指揮者の全盛の時代の勢いを取り戻すこと。➁楽団創設者が手塩にかけて築いてきた歴史と伝統を継承し、オンリー・ワンの存在を維持すること。この2つだと私は思っていた。

 しかし、Z氏が行ったのは、楽団員のプライドをズタズタに引き裂くような演奏批判と伝統の奏法の否定だった。しかもネット上に晒すという方法で。
 それでも楽団員は批判を真摯に受け止めた一方で、ある楽団員は「ネットに書くのではなく直接言ってほしい」との意見表明をした。楽団創設以来の危機の苦境の中、ともに頑張っていくはずのリーダーが、後ろから鉄砲で打ちかけた。こんな状態では両者に真の信頼関係は生まれ得ないだろう。書き込みは1日で消去されたことも謎として残った。

 今の世の中、「言いたいことを言うことが正義」「自分の意見を押し殺して言いたいことを言わないのはバカ」、そんな価値観が大手を振ってまかり通っている。
 私に言わせれば、こういう主張をする手合いは『子供』なのだ。彼らは「リスクを取って自己責任で自分の意見を言う」ことが、なれ合いのムラ社会の日本を変えるのだ!などと思っているが、ほとんどの場合、彼らは自分が起こした混乱を自分で収拾することがはない。

 少し話はそれるが、私の友人にX市で教師をしている者が居るが、「言いたいことを言うことが正義」の政治家どもが、何の考えも無しに導入した公募校長が不祥事で辞職した後、子供や地域や親の信頼回復のために、砂を噛むような思いをしながら事態を収拾したそうだ。
 その政治勢力は大変な思いをしながら事態を収拾して回っている、真面目で善良な人々をバカにし。逆に「またムラ社会のやり方で根回しをしている」と吹聴して混乱を煽る。人心は荒廃し様々な分野で優秀な人材ほど流出していく。オーケストラ業界もその例に漏れない。

 話を元に戻す。Xオケは500回の記念定期演奏会を迎えた。その際もZ氏は「500回という数字に意味は無い」と言った。関係者は逆境にある楽団の中でも目出度い節目を盛り上げようと、様々な企画を行った。採算を度外視し、長年のファンのために特別記念誌まで作った、そんな関係者の努力と汗に思いをはせることが出来る人間なら、あえて言わなくてもいい「格好付け」「自己演出」の言葉は言わないはず。Z氏は要するに『子供』なのだ。

 今回、記事を書いた理由はZ氏がまたネットにXオケの内情を暴露したからだ。今回は確かに悪口は書いていない、しかし「Xオケは良くなった」と単純に書けばいいのに、以前の演奏批判を蒸し返し、挙げ句、1日でその記事が削除されたのは、「事務局長に口止めされた」と暴露した。要するに自分が良くした、ということを強調したいのだろう。これを見て「これではXオケの楽団員さんたちの立場が無い」と心底心配する。

 私はXオケのコンサートの席でZ氏が他の指揮者の演奏批判をするのを聴いて、「音楽を聴きに来たのに、なんでこんな不愉快な思いをせなあかんのか」と思い、Z氏の出るXオケのコンサートには行っていない。だから、彼がどこまでXオケを良くしたのかの物差しを持たない。
 
 しかし、こんな言動をするリーダーに誰がついていきますか?前指揮者はXオケの悪口を一切言わなかった。それどころか創立指揮者の音楽作りに感服し、「世界中探してもどこにも無い音」と言った。
 僕が忘れられないのは、前指揮者がドイツの楽団を率いてX市に来た際、楽屋裏でのファンとの会話の中で、あるファンが「ドイツのオーケストラは、Xオケとは違いますね。凄い音ですね」と言ったとき、「Xオケだって凄いですよ、あんな音を出せるオーケストラはドイツにも無い。もし、物足りなかったとしたら僕の指揮が下手なんです」と真剣な目をして話していた。
 オケを一切批判せず「自分の指揮が下手」と全責任を負う指揮者、ネットに何度も批判を展開し、周囲の努力と汗を自己演出の薄っぺらい言葉で無にする指揮者。僕は後者を支持することは出来ない。

 Xオケの歴史と伝統に根差した独特のサウンド、あの魅力は抗いがたいものがある。これからもずっとあの音楽を聴かせてほしいし、そのための応援は惜しまないが・・・Z氏にこのまま期待して、願いを託していいのか?僕は今、ジレンマの中にいる。


nice!(1)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

岡山シンフォニーホールでの3階席閉鎖公演について [クラシック雑感]

 前回、「もう一つの要望」と書いてから時間が経ってしまいましたが、ブルノ・フィルのコンサートで感じたこと。それはタイトルの通りです。
 当日のコンサートでは、チケットの売れ行きが芳しくないことを事前に予測されていたようで、3階席を閉鎖していました。このホールではよくあることなんですが、そうすることによって主催者への貸館料をディスカウントすることができるようです。しかし、このことがコンサートを楽しむ上での大きな欠陥を生み出していることをホールの関係者はご存知なのだろうか?

 
1.オーケストラコンサートの致命傷になりかねない「エコー現象」が生じる、3階席全面閉鎖の措置は、即刻やめるべき
 以前にも指摘したことがあるんですが、広大な三階席の空間に反響音が滞留して、「エコー」現象が起きているんです。
 エコーとは「やまびこ」という名のとおり、全体の反射音とは分離し時間差で音が聞こえてくる音響障害で、音が1~2秒の時間をかけて徐々に減衰する、いわゆる「残響」とは違います。
 実際、どのような現象が起きていたかというと、バルコニー席で聴いているとよくわかるんですが、ステージで鳴っている音が、そのままコンマ5秒遅れの時間差で3階席の空間からも聞こえてくる。一番しんどいのは大音量のトゥッティーがバシッと決まり、繊細な弱音に移っても、まだ大音量のトゥッティーが3階席でこだましているんです。これは聴き手にとっては興ざめなことです。
 もともと岡山シンフォニーホールの音響は、ほとんど非の打ちどころの無い素晴らしいもので、故サヴァリッシュ氏やブロムシュテット氏をはじめ、著名な音楽家の絶賛を浴してきました。音響設計は、世界的に評価の高い永田音響設計が手掛け、多目的に使える(完全なクラシック専用ではない)ホールの中での永田音響の傑作の一つに数えられています。
 しかし、これは各階にある程度のお客さんが着席している状態で理想の音響となるように設計されているもので、3階席をまるまる空席にした状態なんていう使い方でカスタマイズされているわけではない。
 3階席を空席にするのは、お客さんの立ち入りを禁止することによって①ホール内・フロア・トイレなどの清掃コスト、あるいは、②イスや床などの摩耗コスト、これらがかからない、という名目によって、貸館料をディスカウントするためのものだと思われます。
 しかし客を立ち入り禁止にすることによる摩耗やコストなんて微々たるもの、それによってせっかくの一期一会の音楽体験が、防止可能な音響障害によって台無しになるのは本末転倒ではないでしょうか?
 

2。貸館料の関係で、使用席数の制限を掛ける時は、徹底的に顧客目線に立って、音の悪い席から閉鎖し、音の良い席は開放すべき
 もし座席制限でディスカウントをするなら音響や視覚的にハンデのある
 ・2階席後方ブロック
 ・3階席後方ブロック
 ・1階バルコニー席2列目
 を使用禁止にしてディスカウントすればいいんです。今回、皮肉にも、このホールで唯一音が届きにくい(僕ならまず選択しない)2階後方ブロックが一番席が埋まっていたんですよね(1番価格が安いB席に指定されていますから)。
 逆に、閉鎖されていた3階席の前3列は、よくブレンドされた音が上がってきて、非常に良質な音響で聴ける席なんです。音の悪い2階の後方席に押し込められた人が、もしブルノ・フィルの柔らかいハーモニーを3階席前列で聴くことが出来れば、このコンサートの満足度はもっと向上したことでしょう。
 ホールの関係者の皆様、ぜひご検討を!

nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

クラシックソムリエ検定 [クラシック雑感]

 クラシックソムリエ検定。初めて岡山で開催されるそうですね。(かなり限られた)自分の周りでも少し話題になっています。

 岡山では「エントリークラス」と「シルバークラス」が受験できるそうです。以前、問題を解いてみたことがあるのですが、エントリークラスは対策なしで合格できそうでしたが、シルバークラスはなかなか難しい。オペラのストーリーが分かっていないと解けない問題とか、ショパン、リストなど、自分から進んでは聴かない作曲家のエピソードとかになると全然・・・。

 自分の狭い世界から、少し視野を広く取るにはいい機会かも?と思ったんですが、試験日のある11月8日(日)は仕事の行事があるので受けられないことが判明・・・

 受験者が少ないと、岡山ではもう開催されないかも知れないので、ご興味のある方は受けてみられては?

 なお、11月8日は、このイベントも開催されます。市内の交通は麻痺するのは必至!!ですのでご注意を。私も仕事で大迷惑を被るクチなので、対策に今から頭を抱えています。


nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

コンサートの『場』 [クラシック雑感]

 先日聴いた、長岡京室内アンサンブルの舞台配置について、何度も「奇抜な」と繰り返してしまいましたが、「百聞は一見に如かず」ということで、チェリストの金子鈴太郎さんのブログにリハーサルの写真が載っていましたので、自分への覚え書きの意味でもリンクを貼らせて頂きます。

http://ameblo.jp/rintaro-kaneko/



 あと、改めてルネスホールという空間はいい『場』になっているなぁ、と思います。なんというか・・・観客が一観客としてふんぞりかえって聴くことを許さないというか、平たく言えばライブハウスの雰囲気なんですよね。

 作曲家の新垣さんがプログラムにこんなことを書かれていました

「弦楽器という謎に満ちた楽器に潜む多様な音の可能性(もちろんそこにはそれを生み出す奏者の、長い厳しい修練の歴史が刻まれている)、そしてその集合体といった、私にとっては目が眩み途方に暮れるほどの媒体を目の前にして・・・・」

 岡山シンフォニーホールもいいホールですが、どうしても観客は「お客さん」の位置から抜け得ないんですよね。①舞台に立つ奏者がどれほどの訓練を積んで、そこに立っているのか?②星の数ほどもある楽曲の中から、奇跡的に(まさに霊的な力を纏って)生き残ったその楽曲を演奏する、というクラシック音楽のまさに醍醐味までもマイルドにしてしまう。
 ルネスホールぐらいの空間だと、その2つの事実のグロテスクさがバチンと自分のほっぺたをひっぱたくような感じがあるんですよ。この感覚は、最近まで全くクラシックに触れてこなかった僕の相方も感じていることなんで、多くの方と共有できる感覚だと思う。大原美術館のギャラリーもそういう「場」の力がありますね。

 オーケストラの規模のホールでいうと、もしかすると岡山シンフォニーホールよりも倉敷市民会館の方がその「場」の力が強いかもしれない。あくまで僕の感覚ですが。

 そうなると、岡山フィルが今、プレゼンスを上昇させているのは、シェレンベルガーという「場」の力を創る力が強い人が率いているからだ、と言える。
 それは僕の勝手な印象ではなく、実際に奏者のポテンシャルを引き出しているのは間違いのない事実であるし、「ベートーヴェンの音楽とは何か」「ブラームスの音楽とは何か」ということをこれほど岡山フィルのコンサートで体現した音楽家は居なかった(語弊を覚悟でいうなら、シェレンベルガーという人の体に染みついたものを発揮するだけで、それが叶うような圧倒的な力)から。

 客席で「他人事のような顔をして聴いている聴衆」に対して、舞台上のパフォーマーの力と、楽曲そのものの霊的ともいえる生命力でもって、そのほっぺたをひっぱたくということ。すなわち岡山の人々の心に岡山フィルの音楽という存在を植えつける。そのためには、岡山シンフォニーホールという整えられた近代装置の心理的な大改造が必要じゃないでしょうか。

 シンフォニービルは間違いなく岡山の旧市街のランドマークになっているけれども、あの長いエスカレーターを登って、3回の入り口をくぐってまたエスカレーターに昇って、という空間は、どうしてもなじみのない人にとってはとてつもなく敷居を挙げている。
 中に入れることに成功したとしても、整然とした座席と理想的な音響に鳴り響く綺麗な音を聴いていると、高尚な癒しの空間。でも日常ではないよね、という感じになってしまいそう。

 すんません。頭の中で思いつくまま書きましたので、支離滅裂な文章になっています。また、これについては後日に書きたいな?と思います。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

牛窓シーサイドホールの閉館 [クラシック雑感]

 牛窓の豪商だった東服部家の米蔵を改造して2011年にオープンした牛窓シーサイドホールが、11月1日をもって閉館したというニュースに接しました。

 土足ではなく靴を脱いで上がるというスタイルや、見事な柱と梁の建物に床にも木材をふんだんに使ったホールは、非常に居心地がよく(満席の際は補助席・・・ではなく、座布団が出て席を増設する、というのも印象的でした)、音の響きについても特にヴァイオリンが素晴らしい伸びのある音を響かせていて、本当にいいホールが出来たなあ、と思っていた矢先でした。

 地元出身の2人のピアニストを中心に、岡山の様々なプロの演奏家が登場したマンスリーコンサートなどの意欲的な企画が光っていたし、ここで演奏した舘野泉さんが「牛窓で音楽祭を」との提言などもあって、まさか閉館に追い込まれるまで経営的に厳しい状態だったとは思いませんでした。

 今更悔やんでも仕方ないんですが、私が足を運んだのはたった2度ということで、偉そうなことは言えませんが・・・

 こういう民間のホールは、地方ではほとんど成功例がありません。それを思えば、3年余りでの閉館は早すぎるとはいえ覚悟すべき結果だったかもしれません。しかし、もう少し前の段階で音楽マネジメントの専門家に入ってもらって、文化庁の予算を引っ張って来るとか、地元の瀬戸内市が支援したりできなかったものなのか?と思ったりもします。地元の瀬戸内市も、この全国的に見ても本当に街の歴史や景観に見事にマッチし、音響的にも優れる貴重なホールという『宝石』に気づかなかったんでしょうか?「セットちゃん」なんていうゆるキャラにお金と人的リソースを投入している場合ではないですよ。ホントに。

 隣県の兵庫・島根・広島などに比べると(わが地元岡山市を含めて)、県庁を筆頭に文化振興に対する考え方が10年以上(兵庫に比べると20年以上は)遅れていて、本当に支援が薄い。それでいて、国体や国民文化祭、ゆるキャラやB級グルメ、その上都市型マラソンまで開催する、よそでもやっている似たようなイベントにばかりお金と労力を掛けるのは、もういいかげん辟易します。

 更新されなくなったホールのホームページには、まだホール紹介の文章が残っています。

『クラッシックやジャズなど幅広い音楽を通して歴史とロマンにあふれた牛窓を世界に発信したいというのがホールの夢です。』

 こういったホールが維持できないという脆弱な文化的な土壌であるというのが本当に残念です。
 

P9181758-b51ba.jpgP9181764-d6ad1.jpg

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

大阪版「マエストロ、それはムリですよ」になるのか!? [クラシック雑感]

 大阪府立のオケから民営オケとして経営再建と自立の道を目指している日本センチュリ交響楽団の来季プログラムが発表されましたが・・・

 なかなかぶっ飛んでます。曲目的にはしごくオーソドックスなんですが

 なんと年8回のザ・シンフォニーホールでの定期を2日連続公演に!
 

 まさに各方面から「マエストロ、それは無理ですよ!」との声が殺到しているであろう、この一見無謀な方針。果たしてマエストロ飯森に勝算はあるのでしょうか?

 実はこれには色々仕掛けがあるらしく、まず金曜日公演のチケットを買った人には、土曜日公演のチケットが半額になる「おか割」という制度を作ったり、京響がやって大成功を収めた、いわゆる後半券の「あと割」というのも作っている。
 定期会員にも特典があって、基本、従来の定期会員は金曜日公演の会員に割り当てるらしいですが、土曜日に振り替える場合は、もう一人の会員分のチケットがついてくるらしい・・・

 ご丁寧に、金曜日と土曜日のプログラムを微妙に変えてあったり・・・

 プログラム的には全く無理をしていないですね。必ず1曲はメジャーな曲が入っている。もしシンフォニー2日公演じゃなかったら、保守的、と映ったかもしれない。

 私個人的には、これまでは木曜日固定公演だったので、センチュリーの定期演奏会にはなかなかいけませんでした。金・土両日公演だと他県民には足を運べるチャンスが格段に広がります。フェスが本拠地の大フィルや、京響とからめてコンサート鑑賞旅行なんてのも日程が組みやすいし、大歓迎です。

 でも、この定期2日体制は1年目が勝負でしょうね。単純に集客を2倍、と言っても6つのオケがひしめく京阪神のマーケットの中では、新しいファンを獲得するしか動員を増やす方法は無い。おそらくこれだけじゃなくて、二の手三の手を打って来るんでしょう。

 それからいずみホール定期は、「ハイドン・マラソン」なんですね。僕はハイドン好きですけど、関西ではあまり客が入らないと言われるハイドンをこれほどまでに推して大丈夫だろうか。
 しかし1人の作曲家を徹底的に追うというのは山響でも成功させた手法。これが成功して「関西でハイドンやらせたら、やっぱりセンチュリーやな」という評価が固まれば、50人サイズの楽団に合った強力なセールスポイントが出来るわけで、よく考えられていると思います。

 四季コンサートはセンチュリーならではの小編成の名曲をリーズナブルな価格で、というコンセプトだったのだと思いますが、他のコンサートとどう差別化されているのか?イマイチよく解らなかった。今後は京響がやっているオーケストラ・ディスカバリーや、関西フィルのmeet the classicのように、入門編・クロスオーバー系企画としての方向性を打ち出すのかな?と。

 地方特別演奏会も整理して、大阪でどっしりと腰を据えていくんですね。こういう方向で行くなら「大阪」センチュリーのままの方がよかったんちゃうか?と思いますが、大阪でのコンサートが日程的に聴きに行きやすくなれば、企画次第で大阪に人が集まって来るでしょう。今後のマエストロの「それは無理ですよ」な企画に期待します。

にほんブログ村 クラシックブログ クラシックコンサート・演奏会感想へ
にほんブログ村
nice!(1)  コメント(4)  トラックバック(1) 
共通テーマ:音楽
前の10件 | - クラシック雑感 ブログトップ