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レコード芸術の休刊への雑感 [クラシック雑感]

 1ヶ月以上前のことになるが、レコード芸術の休刊のニュースに接した。これについて書こうと思いつつも、バタバタしているうちに時間が経ってしまった。




 SNSやブログなどでも事実上の廃刊を惜しむ声が多かったが、殆どの方々が「最近はあまり買っていなかった」と告白しているのが印象に残った。

 私はと言うと、もともと良き読者ではなかったが、イヤーブックが付いてくる1月号とリーダーズチョイスが掲載される2月号を毎年買っていた。


 ただ、「この音源の評価を読みたい」「この評論家の記事を読みたい」(大阪のFMの番組などで馴染んでいたでーやんこと出谷啓、黒田恭一の評論が好きだった。父は志鳥栄八郎を参考にしていた)という動機は強く持っていて、なんだかんだと図書館で借りていたように思う。岡山では県立図書館には置いてないが、市立の中央図書館と幸町図書館の2館に置いてあり、借りやすかったことも大きい。CDがまだ高く小遣いやバイト代のやりくりが必要だった大学時代は、「ババ」を掴みたくなくてレコ芸の記事が購入の決断の重要な材料だった。

 そして、実はここ2年はかつてないほど頻繁に買うようになっていた。おそらく珍しいパターンの読者だったと思う。理由は2020年11月号から電子書籍版が出るようになったことが大きい。以前のエントリーにも書きましたが、レコード芸術を購入する気になれなかった最大の理由は保管する場所が無いことだった。電子書籍で問題は解消され、今後はそこそこいい読者になれる・・・はずだったのだが・・・

 最近はCDを買うことが少なくなり、NMLやSpotifyなどのサブスク音源が鑑賞の中心で、気に入ったものはハイレゾ音源を購入する、という流れだったのだが、ストリーミングやハイレゾ音源にはライナーノートがついておらず、いつ・どこで・どういうメンバーで録音されたかの基礎的データが不足している。その点、電子書籍化されたレコード芸術は基礎的なデータが揃っている上、鑑賞上のスパイスとして重要なアーティストの声やバックグラウンドの「物語」を知ることも出来る。私にとってはストリーミングで取っ替え引っ替え聴くことが出来る現代だからこそ、必要性が増した媒体として非常に重宝していた。

 ただ、私のような活用の仕方は、この雑誌のスポンサーにとってはいい顧客ではなかっただろうし、伝統的スタイルに親和性がある従来の読者にとってはDXを見据えたドラスティックな改革を受け入れることは難いかっただったろう。

 「音楽の友」誌がBPhのデジタルコンサートホールを嚆矢とした欧米一流アーティストのストリーミングサービスの記事を充実させていたが、レコード芸術も「クラシック版インターネット配信音源ガイド」やオーディオコーナーでの音楽配信サービス、ハイレゾ音源、4Kの動画配信などを取り上げるなど、音楽鑑賞のスタイルの変化をキャッチアップへの取り組みはあったのだが、雑誌としてのぱっと見のフォーマットは変化が見られなかったため『旧態依然』な印象を与えていたのが惜しまれる。

音楽の友社のプレスリリースには

『レコード芸術』として70余年にわたり培ってきた財産をどのようにして活用していくべきか、音楽之友社として鋭意研究してゆく所存です。

とある。一度休刊してしまえばデジタル化への改革へのハードルも下がるだろうから、例えば評論記事をデータベース化して、私のようなサブスク中心のリスナー向けに読みたい記事の切り売りや、定額化するなどすれば活路を見いだせるのではないか。雑誌としての復活は難しいだろうが、ナレッジデータベースとしての存続を模索してほしいと思う。

 少しだけ雑感を書くつもりが長々とした文章になってしまった。自覚はなかったが喪失感がそれなりにあるのかもしれない。毎号欠かさず買っていた方は落胆も大きいのではないだろうか。

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10年後に「あのコロナ騒動がターニングポイントだった」といい意味で振り返るようになって欲しい [クラシック雑感]

 岡山フィルの第63回定期演奏会の中止が決定となり、岡山でのクラシックの主要なコンサートは全滅・・・となった。
 
 払い戻しとなったチケット代は今年の賛助会員の会費に充てさせていただきます。
 岡山フィルは近年目覚ましい演奏成果を出しており、組織面でも充実させている途上だっただけに、定期演奏会を始めとしたコンサートの中止は大打撃だろう。それ以上に「リーマンショック以上」と危惧されている経済不況が現実化すれば、賛助会員企業の岡山フィルへの支援にも陰りが出るかもしれない・・・。これは全国のオーケストラやクラシック音楽家、ひいては音楽業界全体にも言えること。
 とはいえ、現時点での憶測で悲観的な話題ばかりしていても仕方がない。明るい材料を探すことにします。
 先週末は東西で中止公演がストリーミング配信され、クラシック音楽ファンのみならず、一般のニュースにも話題に登った。
 一つは『びわ湖リング』の締めくくり公演となるはずだった、ワーグナー『神々の黄昏』の無観客生演奏のYOUTUBEでの配信。
 僕はリアルタイムで見ることができなかったが、夜8時まで追っかけ再生が出来たので、ブリュンヒルデの自己犠牲の部分の一部だけ見ることが出来た。定点カメラのみの映像だったが、歌とオーケストラの迫力は胸に響いた。DVDが出たら買いたいと思っている。
 
 東ではミューザ川崎での東京交響楽団による第155回名曲全集の無観客生演奏のニコニコ生放送での配信。こちらは定点カメラ・ヴァージョンとカメラの切り替わるヴァージョンの2チャンネルでの配信となった。
 「びわ湖リング」の記録用映像のための機材を急遽ストリーミングに転用した設備とは異なり、ニコニコ動画はカメラワークやカット割りなど、周到な準備での配信のように感じた。楽団や指揮を努めた大友直人さんも手応えを感じているようだ。
 リアルタイムで10万人のリスナーが見た、というのは凄いことだ。クラシック音楽界には聴衆の現象と高齢化など、先行きを悲観する見方が固定化している。それに対して、過去に拙ブログでは過去にこんな記事を書いたことがある。

国内オーケストラ業界と岡山フィル発展への研究(その2:オーケストラは国民的娯楽!?)

「オーケストラの聴衆は年間400万人でサッカーJ1リーグに迫ろうかというボリュームがあり、J2リーグやバレーボールのVリーグを凌駕する動員がある。まずはその凄い現実の数字を踏まえて未来を考えよう」と訴えてきた。その記事を書いた私でさえ、このニコニコ生放送の10万人という視聴者数は予想外だった。
 まず、「観客のいない音楽会」というネーミングがキャッチーだった。そしてプログラムが秀逸だった。
ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
ラヴェル/ピアノ協奏曲ト長調
サン=サーンス/交響曲第3番「オルガン付き」
 という、初めて聴く人にも魅力が伝わる力のある楽曲が揃ったことが大きい。
 しかし、一番の成功の理由は、ライヴ配信を見ながら、視聴者がコメントで盛り上がれたということだろう。
 いい演奏のあとには楽章間でも「88888888(拍手)」の『弾幕』が流れ、サン=サーンス3番の第2楽章後半の、スポットライトに照らされたオルガンが鳴り響く場面では「ラスボス登場!」「まさにラスボス」とオルガンをキャラ化して楽しむ雰囲気はニコ生ならではだった。
 これまでの年末のベートーヴェン交響曲全曲演奏や、金聖響&神奈川フィルが推し進めたU-STREAMでのライヴ配信など、クラシック音楽界も生演奏のライヴ配信の試みはあったが、このニコ生の配信は新しい地平を見た思いがする。
 「気持ちいい」「脳が溶ける」「心震える」「涙が出てくる」「こんな上質な世界があったとは」という、クラシックに馴染みのないニコ生民の声に、「これ、ホールで聞いたら体全体が震えるからね」「ミューザは上から降ってくるよね」「現場で聞いたら鳥肌ものよ」とコンサートゴーアーたちが答える。
 
 「絶対コンサートに行く」「ふらっとコンサートに行ってみたいんだけど、次はどんなのがあるかな」「東京だと毎日何かやってるよ」「そんなに頻繁にやってるものなのか」
 といったやり取りを見ると(話半分に評価したとしても)聴衆層の拡大の可能性を感じる。オーケストラ音楽そのものの魅力に開眼した人たちがこれだけ存在することが可視化された瞬間だった。
 余談だが、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」は来年3月の岡山フィル定期演奏会でも取り上げられる。今回のニコ生で色々な人の鑑賞ポイントを知ることが出来て、生演奏で聴くのが楽しみになった。
 閑話休題
 これまでも2ちゃんねる(現5ちゃんねる)でN響の生演奏を見ながら「実況番」と言われる掲示板でのやりとりや、twitterでのリアルタイムでのコミュニケーションなどはあったが、クラシック音楽の愛好家が敷居を上げすぎているきらいがあり、音楽からどう感じるかよりも、クラシック音楽に関する知識や鑑賞経験が豊富な者の発言権が強く、このニコ生のようなフラットなコミュニケーションは見られにくかった。
 ラヴェルのピアノ協奏曲の第2楽章が始まる前に「ハンカチの用意を」、あるいは「オルガンが入る30秒前に教えて」に対して「そろそる来るよ」「くるぞくるぞ」「そわそわ」といったやり取りや、「只今、開演五分前です。お席にお着きください」の会場放送に、「はーい」「はーい」「急げ〜」と何十人も答えている、そんな、ほのぼのとした居心地の良さがあった。
 東京交響楽団の演奏は本当に素晴らしく、休憩時間中には何万人もの人が生放送を見ていることが伝えられたようで、サン=サーンスの演奏は燃えに燃えていた。姿が見えない10万の聴衆を意識した熱演、と言ってもいいと思う。
 僕は、夜にタイムシフト再生で見たので、コメントは書き込めなかったが(笑)、いい音楽に接し、その演奏に感動する喜びは、等しく共有できるという大切なことを、改めて実感できた時間だった。
 古瀬幸広さんのブログ「クラシック界に変革がやってきた」が面白いです。
 新しい職業としての「クラシックのライブ解説者」が誕生したら面白い。NHKもやろうと思えば明日にでもできそうだけれど。
 出来れば他のオーケストラの奏者が、別のオーケストラの演奏を聴いて。「ここは簡単そうに見えて実はとてもむずかしい」とか「第1ヴァイオリンは内側と外側で別の音符を弾くんです」、あるいは「透明感のあるいいアンサンブルですね、ウチのオーケストラは濃厚な音が特徴ですが、こういう透明感も出していきたいですね」みたいなコメントがあったらめちゃくちゃおもしろいかも。
 そんな妄想を、ちょうど今、山形交響楽団のストリーミングを聴きながら書いている。神尾真由子の生演奏がストリーミングで聴けるとは・・・。山響の伴奏も素晴らしい、本当に聴いていて気持ちいいいアンサンブル。シューマンでは(我が家のネット環境の問題なのか)途切れ途切れになる場面があり、それに伴って視聴者数が減っていったのが残念だった。この山響のストリーミングを手掛けたカーテンコールというストリーミングサービスは2020年の4月から本格開始されるそうなので、それまでに問題点を潰していっていただければと思う。

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最高のマエストロ、マリス・ヤンソンス氏の死去 [クラシック雑感]

 昨日、マリス・ヤンソンスさんの訃報に接しました。
 私が実演を聴いた指揮者の中で最高の音楽を聴かせてくれた指揮者でした。
 ちょうど10年前になるんですね。2009年に倉敷で聴いたチャイコフスキーの交響曲第5番は、今でも忘れることができない名演奏でした。
 昨日はショックが大きかったですが、1日経ってみて、寂しさが募ります。2000年代に3度の実演を聴きましたが、自分自身がけっこう苦しい時期だったので、ヤンソンスの作り出す、悪いことも苦しいことも忘れさせてくれる素晴らしい音楽に接することができた時間は、生きる糧になっていたと思います。
 残された録音も素晴らしいものばかりですが、それを聴いて追悼出来るようになるのも時間がかかるかな・・・そんな心境です。
 ご冥福をお祈りします。

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瀬戸内アートリージョンをクラシック音楽界にも [クラシック雑感]

 少し時間が経っていて恐縮ですが、10月16日の山陽新聞の備後地域面にこんな記事が掲載されていた。
 
 この記事の中に、湯崎広島県知事(なんと、伊原木岡山県知事とはスタンフォード大学の学友だったらしい)が
岡山、香川県を舞台とする「瀬戸内国際芸術祭」、岡山市中心部での「岡山芸術交流」と積極的に連携していく考えを示し、「二つの芸術祭とともに、瀬戸内アートリージョンの一翼を担いたい」と述べた。
 とある。
 
 瀬戸内アートリージョンについては、岡山芸術交流の総合プロデューサーの石川さんが提唱していて、まだまだ構想段階なのかな?と思っていたが、ここへ来て中国地方の中心県の広島県知事が意欲を示したことで、行政の垣根を超えてアートを通じて強力に連携していこうという動きが加速し始めた。
 岡山県と広島県との県境は峠や大河川と言った地理的な障壁は全く無く、民間レベルの経済活動では県境を感じさせることは少ないが、県という行政区画上の障壁は存在し、例えば許認可が絡む業界はマーケットが分断され、ビジネス面での成長が阻害されてきた面がある。例えば、笠岡に住む私の知人などは、「地デジになって広島の放送が見れなくなって、よく行く福山のお店の情報が入らなくなった」(アナログ時代は岡山&香川と広島の両方の情報番組が見れていた)とか、「笠岡に本社があると、福山の公共事業に食い込めない。民間発注の事業の売上は福山のほうが多いにもかかわらず・・・」などといったことが起こっており、まさに県境が経済活動を阻害している要因になっている。
 今回はアートの世界の話ではあるが、広島県西部から岡山・香川にかけての地域が行政区画の足枷から自由になって瀬戸内地域として一体になれるきっかけになって欲しい。歴史的にも文化的にも共通点が多いので、アートを通じて交流人口や経済を活性化していくと面白いと思う。
 
 瀬戸内地域のアート界では、本四高速が力を入れて取り組んできた『瀬戸内美術館ネットワーク』があり、そういった連携の取り組みが素地になっているものと思う。
 ここからが今回の本題。
 この瀬戸内アートリージョンの取り組みを、クラシック音楽界にも行かせないだろうかと思うのだ。
 少し話は飛ぶが、先日の岡山フィルの定期演奏会で、びっくりしたことがあった。それは入場口でプログラムとともに配布されるチラシの数の多さ。ほんの5年前は5枚ぐらいのチラシがプログラムに細々と挟まれているに過ぎなかったのが、今月は30枚ぐらいのチラシがドサッと袋に入って渡され驚いた(笑)この分量は神戸・京都や広島のコンサートで貰う量に匹敵する。
 要因の一つは岡山フィルの活動が活発になって、岡山フィルの団員さんをはじめ、ソロや室内楽のコンサートなどが盛んになってきていることがあるが、もう一つの要因は福山や高松、松江など、周辺地域(松江は「周辺地域」ではないかも知れないが・・)のコンサートのチラシも入るようになってきてること。
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 ただ例外があって、福山リーデンローズや三原ポポロなどの行政運営系の公共ホール主催のチラシが無いんだよなあ。
 
 民間のイベント主催者は福山〜岡山・香川の交流人口の多さに敏感に反応し、岡山フィルのコンサートにチラシを入れれば岡山から離れていても集客に繋がることが分かっているが、福山リーデンローズなどは、主催事業の集客に苦労していて、(私が見る限り)客席がギッシリ埋まっているのをほとんど見たことが無いのだが、「広島県」という行政区画が足枷になっているのか、岡山シンフォニーホールのコンサートにチラシを入れるという発想自体が存在しないかのようだ。(逆に岡山フィルのチラシは福山ローデンローズのコンサートに入っていて、このあたりを見ても岡山フィルの近年の頑張りが見て取れる)。
 
 熱心な聴衆や民間の事業主催者は、県境や各都市の枠を超えてどんどん交流しているのに、一番大きなパイを持っている公共ホールが行政の境界に囚われている。これって非常にもったいない。
 
 美術の世界が「瀬戸内アートリージョン」をすすめるならば、クラシック音楽界もそれに乗っかるぐらいの厚かましさが必要なのでは?
 理想は備後・岡山・香川の公共ホールや民間事業者が連合を組んで、「瀬戸内パフォーミング・アーツ・リージョン」(ま、名前はなんでもいいんですけど)を一体的に運営する。
 
 海外オーケストラの招聘コンサートや、岡山フィルや瀬戸フィル、広響を『瀬戸内3オケ』としてこの地域を聴衆が自由に行き来する環境を整備するのだ。クラシックに限らず演劇などの舞台芸術全般に広げてもいい。
 福山・倉敷&岡山・香川、それぞれ単体で運営している現在は、聴衆のボリュームも予算規模も充分でないために、お金のかかる大曲・豪華演目や、出演料が高い一流アーティストの招聘が難しい。しかし、この地域全体で各地域のリソースを持ち寄って、瀬戸内地域全体で回すようにすれば「広島か大阪に出ないと超一流の舞台が見れない」という状況を変えるきっかけになるんじゃないだろうか?
 岡山から広島・大阪に出ようと思えば交通費だけで1万円かかる、高松からだともっと出費を強いられるだろう。これが瀬戸内地域内の往来ならば少なくとも半額以下で済む。
 
 当ブログにも関西や香川から岡山フィルのコンサートに来ている方からコメントを頂くし、某SNSのクラシック音楽コミュニティを見ても、岡山フィルのコンサートに香川や愛媛から通っていたり、逆に香川のコンサートに備後や岡山から通ったりしている様子が見られる。それこそ各ホールはチケット販売データやアンケートなどで集客地域のデータは持っているだろうから、この傾向は掴んでいるはず。
 まずは第1段階として、
◯各ホール主催公演のチラシの挟み込みをバーターで無料化する。
◯各ホール主催公演の共通リーフレットの作成。
◯瀬戸内地域内の主要コンサートが、各ホールで購入できる体制をつくる
主催公演の日程が被らないように調整する
 などは、比較的手がつけやすいのではないか。特に福山リーデンローズの公演は岡山県内のホールの聴衆へ積極的に広報すれば、かなり客足が伸びそうだ。

 次の段階には、
◯チケット販売システムの共通化で各ホール会員が瀬戸内地域内の公演のチケットを買えるようにする
◯各ホール会員になれば瀬戸内地域全体の公演割引制度を適用する
◯海外オーケストラ公演・一流演奏家の公演を持ち回りで招聘し、地域内でコンスタントに一流の舞台が見れるようにする。
 などが進めば、いっそう聴衆の交流人口は増加しそう。
 瀬戸内美術館ネットワークが本四高速会社がスポンサーなら、クラシック音楽界はJR西日本・JR四国に支援をお願いする。各地域の交流人口の増加は、鉄道会社にとってもメリットがある。

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倉敷市児島の名曲喫茶「時の回廊」 [クラシック雑感]

 今月の上旬に、倉敷市児島にある、名曲喫茶「時の回廊」に伺い、ゆったりとした時間を過ごしました。
 ここ、場所がとてもわかりにくいんです(笑)。ナビに案内させると、田ノ浦から大畠へ抜けるトンネルの中で「目的地周辺に到着しました」と言われます(笑)。実際の場所はこのトンネルの上にあるのですが、そこにたどり着くのはちょっとコツが要ります。岡山市内から行く場合、鷲羽山ハイランドのボウリング場「VIVAハイランド」を目指して、その先のトンネルを抜け左折し、旧鷲羽山スカイラインの県道を降りて行き右手に海鮮料理の「ふく仙」が見えたら、150mほど先の陸橋のある交差点を左折し、細い道を突き当たり(瀬戸中央道の擁壁)まで行き、そこで車を留めます。口で説明すると、このようにたいへん複雑です(笑)
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こんな看板が見えるので、それに従って・・・
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こんな上り坂を登っていき、道なりに左にまがると到着します。
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 マスターはまだ30代の若さで、この名曲喫茶はマスターの夢の世界そのもの。
 元々、喫茶店巡りがご趣味だったとのことで、東京に住まわれていた時に友人に連れられて入った高円寺の「ネルケン」という名曲喫茶がきっかけで、名曲喫茶の世界の虜になってしまい、ついに自分でお店を作ってしまった、ということのようです。
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 スマホのカメラなので、見づらいのはご容赦ください。
 この瀬戸大橋のたもとの物件の購入・店の改装・店内の家具や調度品、オーディオ装置の購入、レコードの収集・・・と、このお店の開店のためにどれだけの投資と労力がかかったのだろうかと想像すると、ただただ凄いとしか言えません。ビジネスモデルとして名曲喫茶という形態も、当然儲けが出るものとは言えず、だからこそ平成に入ってから数々の名曲喫茶の名店がどんどん閉店していったのだろうと思いますが、そんな世の趨勢もなんのその。
 
 マスターの夢の実現に対する強い思いがないと、この空間はここに存在しなかった。そして、ここにはマスターの夢の世界でもあると同時に、ここに入店した客人も、このマスターの夢の世界の一部になれる。ここでかかるレコードも音盤が喜んで音を紡いでいるような瑞々しさに満ちています。
 私がこれまで行った名曲喫茶には、二通りあって、集中して音楽鑑賞に没頭できるよう、私語はおろか物音を立てる行為も厳禁という「名曲喫茶原理主義」タイプと、リラックスした雰囲気で音楽を楽しむ空間を提供する「居心地重視」タイプ。僕がこれまで行った名曲喫茶でいうと、神戸の花隈にあった「フルトヴェングラー」や京都の出町柳の「柳月堂」が前者のタイプ、後者は神戸の元町商店街の「アマデウス」(初代オーナー時代)になるでしょうか(岡山の田町にあった「高級喫茶 東京」の2階のオーディオルームも居心地重視タイプかな)。
 「時の回廊」は、前者のような堅苦しさは無く、ディープなクラシック音楽ファンではなくても、ゆっくりとした時間を過ごせるという点では後者に近いかもしれませんが、内装や家具調度品へのこだわり、作り込みは、あらゆる名曲喫茶の世界観を包摂する「ザ・昭和の名曲喫茶ワールド」です。その意味では超原理主義的名曲喫茶かも知れません。
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 外は気温36度を超える猛暑日でありながら、空調のよく効いた昭和の名曲喫茶で聴くシベリウスの5番は格別でした。「時の回廊」の売りは『クラシックの名曲に世界一合う自家焙煎珈琲』なのですが、僕は珈琲が飲めないので紅茶をいただきました(紅茶も美味しかったです)。珈琲は通販もされれいるので、クラシックを聴きながら珈琲を飲まれる方は、ぜひご賞味あれ。
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 建物の横には瀬戸内海の絶景が楽しめるテラス席もあります。季節の良い時期には、自家焙煎珈琲を片手にこの絶景を鑑賞するという楽しみ方もできますね。
 大音量の名曲の世界から外に出ると、そこは瀬戸内海の多島美の絶景が待ち受ける。こんな絶景の場所にあるのに、窓という窓を塞いで名曲喫茶の空間を作る、という倒錯的な(笑)ところも堪らないです。
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 こちらは駐車スペースの先の瀬戸中央道の高架下を抜けた先の絶景
名曲喫茶「時の回廊」
倉敷市下津井田之浦1−16−22

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広響からクリスマスカードが届く [クラシック雑感]

 今年度から広島交響楽団の「福山定期会員」になりましたが、会員あてのクリスマスカードが届きました。
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 こういうカードは貰うと素直にうれしいですね。文面を見て、今年は西日本豪雨でたいへんな年だったなあ・・・と思い返していました。私自身は被災者ではなかったのですが。
 はがきの裏には、楽団員さんのメッセージが添えられています。それも丁寧な思いのこもった直筆で3行ものメッセージ。
 福山定期演奏会って、以前にも書いたとおり年に1回だけの定期演奏会のためのマイシート会員なんです。それでもここまでやるんだなあ、と感じ入りました。
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 岡山出身の楽団員、Iさんのメッセージです。文面は伏せます。Iさんは岡山でもよくコンサートをしてくださってて、以前は「カンマーフィルハーモニーひろしま」のクリスマスカードをくださったこともありました。
 こういう心のこもったメッセージを頂くと、来年も応援したい、福山定期会員も更新していこう、そう思うようになりますね。
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「三浦文彰 ヴァイオリン・リサイタル」の感想の前に [クラシック雑感]

 昨日、三浦文彰さんのヴァイオリン・リサイタルを岡山シンフォニーホールへ聴きに行きました。その感想を書こうと思っていたんですけど、演奏そのものとは関係のない、運営面で腹の立つことが多くて、いったんそのことについて書き散らして、頭の中から追い払ってから三浦さんの演奏については、また後日書きたいと思う。
 
 私は音響の素晴らしい岡山シンフォニーホールを愛している、このホールは音が素晴らしいだけではなく、主催公演のスタッフの教育が行き届いている。サントリーホールのように全員がプロのホールスタッフというわけではなく、ボランティアのスタッフが大半を占めるが、彼らに対する教育が行き届いていて、「何を差し置いても音楽が主役であること」という思想が徹底されているし、「その存在を忘れるぐらい、さりげなくもしっかりと仕事はするスタッフ」を送り出している。岡山フィルの定期演奏会をはじめ、彼らの働きに毎回敬意を表するものである。
 
 しかし、ホールが主催しない、いわゆる貸館公演の場合は、その事業主催者が会場運営を行うのだが、岡山はその質が概してよくない。
 
 昨日のコンサートは、バイトくんのスタッフだけがやたら多かった。その割に印刷されたプログラム(有料も含めて)が配布されておらず、まあ、三浦さんがマイクを取ってプログラムについて説明してくれたからよかったようなものの、その日のコンサートへの思いやプログラムの意図をくみ取る重要な手がかりがなかった。せめてモノクロでもいいから楽章構成ぐらいは書かれたプログラムが必要だろう(イマドキ、たとえコンサート当日でもオルフィスで印刷すれば、700枚のプログラムなんてあっという間に出来るだろう)。前半のモーツァルトとR.シュトラウスのソナタでは毎楽章拍手が起こって間延びしてしまった。
 
 それぐらいはよいとしましょう。問題なのは、そのバイトくんとマネージャーか社員さんたちが、会場の入り口からホールのロビーに至るまで(あえて言いましょう)ムダに動き回って「携帯の電源を切れ」だの「カメラの撮影は見つけたらしょっぴく」だのと、常に声を張り上げている。コンサート前の非日常の時間が台無しだ。
 こちらも気になりだしたらだんだん腹が立ってくるもので、マネージャーっぽい人物が若いバイトの兄ちゃんを集めて何やら指示をだしているのだが、そこ、思いっきりホール内への出入り口の導線に被ってるから!一番偉そうなあんたが一番、客の邪魔だから!もうちょっと、人目を引かないところで集合をかけろよ!誰にアピールしてるんだ!?などと、だんだん腹が立ってくる。
 逆にバイトくんが「俺たち、邪魔になってるんじゃないかな~」と、通路に目線をおくっていたのが印象に残る。
 演奏が始まると、バイトくんは起立してドアの前に立っている。ここで嫌な記憶がよみがえる、4年ほど前に佐渡裕&兵庫PACオケの岡山市民会館でのコンサートで、会場見張りのバイトくんがじっとしていられなく、ずっとそわそわしていて、聴き手のこちらも気になって集中できなかったこと、あのコンサートも同じ主催者だっけなぁ。
 でも、この日の会場見張りの二人のバイトくんは偉かった。直立不動、微動だにせず、仕事を全うしていた。でも、岡フィル主催のコンサートみたいに会場見張りの子は椅子に座らせましょう。岡山シンフォニーホール主催のコンサートの運営を見て勉強していないのか?マネージャーさん。

 休憩時間中にはいり、いつもならロビーに出るのだが、「ロビーに出たら、また『携帯の電源を切れ』だのとオッサンが声を張り上げてるんやろうなあ・・・、そんなん、三浦さんの美音の余韻が台無しやん」と思って、ホールの中に引きこもっていたら、なんと、そのおっさんがホールの中に入ってきて、「携帯の電源を切れ、演奏が始まったら客席には入れない」と、注意をして客席を回っていた。ホンマ、首を絞めたろかと。
 失礼・・・取り乱しました。
 確かに、携帯の電源やカメラや録音禁止の注意は必要。実際、昨日も演奏中に携帯が鳴ったしね(おっさんの汚い声の注意を聴かされた上に、三浦さんの演奏中に着信音を間近で聴かされた自分、ホントに踏んだり蹴ったり・・・)。
 でも、昨日のやり方は「何を差し置いても音楽が主役」であるクラシックのコンサートでの注意喚起の方法としてどうなのか?じっくり反省をしていただきたい。くらしきコンサート主催公演では、プラカードを持って回っていたり、あるいは岡山フィルの公演では女性の声でのアナウンスで、注意喚起しています。
 おっさんの肉声で大声で叫んで回る、っていう対応は効果がないばかりか、最悪の対応の仕方だと思う。私は美しい音楽を聴きに来たんです、オッサンの声を聴きに来たんじゃないよ。前半の三浦さんの美音の余韻が台無しだわ、ある意味フライングブラボーと同じコンサート破壊行為ですよ。それを主催者が犯してどうするの?
 昨日のコンサートの主催者に告ぐ、あなたがたはイベントのプロかも知れないが、クラシック音楽のコンサート運営のプロではないよ。先にも書いた通り、プロのホールスタッフやレセプショニストは、仕事はするが存在感は消す。そして、そこで演奏される「音楽」が引き立つために、どうすればいいかを真剣に考えて行動する、そういう対応ができる人です。
 クラシックのコンサートが、なぜセットを組んだり照明演出をしないのか?オーケストラ奏者をはじめ、なぜ演奏者は燕尾服やシンプルな服装で演奏するのか?すべて主役である音楽にすべてを捧げるためです。
 コンサートが終わって、追加されたプログラムやアンコールの曲目を確認しようとロビーやエントランスを見回したが、どこにも貼られていない(僕が見落としたんでしょうか?でも、他にも「アンコールの曲目がわからない」と探しているお客さんがたくさんいました)。ホント、最後まで仕事のなっていない運営に、笑けてきました。
 それに対比して、普段のシンフォニーホールの仕事がいかに素晴らしいかもよく解った。頼むから、今後は岡山シンフォニーホールのプロの仕事に準拠した会場運営をしてください。よろしくお願いします。

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音楽の友2017年2月号から大阪のオーケストラ界の現状を憂う [クラシック雑感]

 音楽の友の2月号は(9月号とともに)毎年購入しています。前年度のコンサートや、国内全体の演奏会の状況を振り返る「コンサート・ベスト10」「地方各地の音楽状況」は毎年興味深く読んでいます。

音楽の友 2017年2月号

音楽の友 2017年2月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 2017/01/18
  • メディア: 雑誌

 恒例の「39人の音楽評論家・記者が選ぶコンサート・ベストテン」では、ここ数年、海外オーケストラの来日公演のウェイトが減少してきています。上位を占めるのは確かにバイエルン放送響やドレスデン・シュターツカペレなどの海外一流オーケストラだが、逆に、ウィーン・フィルを選んだ評論家がわずかに3名となるなど、厳しい評価が下されるオーケストラも多い。
 その一方で、国内オーケストラは、在東京のオーケストラを中心に、東京フィル17人、日フィル16人、N響16人、読響12人、都響12人など、海外オーケストラと並ぶ評価をする評論家も多い。
 東京在住の評論家が多いため、他都市のオーケストラが取り上げられにくいが、それでも、OEK1人、京響1人、群響1人、札響1人、仙台フィル1人、広響1人と昨今評価の高いオーケストラが取り上げられている。
 そんな中でショッキングだったのは、大阪のオーケストラを誰も選ばなかったことだろう。39名の評論家には関西に拠点を持つ人も含まれているだけに、関西6オケの中から選ばれたのが京響のみ、という結果には驚きを隠せません。
 「地方各地の音楽状況」を見ても、「札響の充実ぶりに触れなくてはならない」「仙台フィルの定期は相変わらず驚くようなプログラミングで聴衆を喜ばせてくれた」「(名古屋フィル)シェフと奏者の絆は深まり充実した演奏が展開された」「(京都市交響楽団)好調を維持している」「(広響)下野音楽総監督に集まる期待」「(九響)小泉体制4年目で管楽器陣パワーアップ」など、わくわくするような話が踊る一方で、大阪の4オケについては…
「(東京に比べると)関西は以前と比べてもずいぶんきんびしい状況になった印象が強い」

「経済的基盤の弱さを反映するかのように、内容にも集客にも陰りがみられる」

「このままでは縮小再生産の道を歩むだけ」

 との極めて厳しい指摘が展開されている。
 もともと音楽の友という雑誌は、故宇野功芳氏に代表される、レコード芸術の評論家陣に比べると、よく言えば前向きでソフト路線、悪く言えば提灯記事(失礼!)のきらいがあった。オーケストラ団体が演奏会の広告を掲載するなど、スポンサーとなっている性格上、そこまで厳しい記事はほとんど見たことが無かった。
 それなのに、この書かれようはほとんど「酷評」といってもいい内容だ。
 もっとショックだったのは、「データで見る日本の音楽状況2016」の「演奏会回数の動向」の記事。
 2016年は演奏会回数で、大阪が名古屋に抜かれていたのである。
 2010年には大阪:名古屋は、8.1%と6.1%で、つごう2%もの開きがあったが、2015年にはともに6.9%で追いつかれ、2016年には6.6%と7.1で0.4ポイントの差をつけられて追い抜かれてしまった。
 もっともデータは音友のコンサーガイドに掲載された演奏会であるため、実数を反映していないかもしれないが、6年前には大阪の3/4程度の回数だった名古屋に一気に抜かれたことを鑑みるに、大阪と名古屋の経済の勢いの差、といったものを感じざるを得ないですね。
 一方、我らが岡山フィルは「各地の音楽状況」に取り上げられています。シェレンベルガー氏が就任前には、「音楽の友」誌からは、全く「無視」されていたことを考えると、隔世の感があります。

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指揮者とオーケストラに関する雑感 [クラシック雑感]

 今日は、ある指揮者の方(仮にZ氏とします)が書かれたブログについて、思うところがあったので記事にしました。事情を知っている方は「ああ、あのことか」とわかると思いますが、混乱に拍車をかけるのは本意では無いので、知らない人は「なんのことやら」という記事になっていますがご容赦ください。

 話は、財政面で窮地に追い込まれた『オーケストラX(以下Xオケ)』が、もっと集客を伸ばして収益構造を改善するために、指揮者Z氏が任命されたところまでさかのぼります。

 それまでX市に多大なる貢献をしてきたXオケ。事実、市民が気軽に参加できるまちかど音楽祭でクラシック音楽のイベントとしては空前の5万人以上を集客し、街の人々を彼らの磨き抜いた技で魅了し、また野外演奏会では雨の中でも必死で演奏するXオケのメンバーに胸を打たれた市民は多く居た。

 しかし、政変が起こり、政変を支持する熱狂的な市民たちが、「彼らの仕事は公(おおやけ)のお金を投入する価値なし」との暴論に同意し、Xオケを経済的に追い詰めると同時に、楽団員たちは自分たちの仕事が認められないことに落胆し自信を失いつつあった。

 そんな逆境のなか指揮者Z氏が就任。Z氏がすべき仕事は、①彼らの仕事の価値は他には代えられないものであり、自信を取り戻させ前指揮者の全盛の時代の勢いを取り戻すこと。➁楽団創設者が手塩にかけて築いてきた歴史と伝統を継承し、オンリー・ワンの存在を維持すること。この2つだと私は思っていた。

 しかし、Z氏が行ったのは、楽団員のプライドをズタズタに引き裂くような演奏批判と伝統の奏法の否定だった。しかもネット上に晒すという方法で。
 それでも楽団員は批判を真摯に受け止めた一方で、ある楽団員は「ネットに書くのではなく直接言ってほしい」との意見表明をした。楽団創設以来の危機の苦境の中、ともに頑張っていくはずのリーダーが、後ろから鉄砲で打ちかけた。こんな状態では両者に真の信頼関係は生まれ得ないだろう。書き込みは1日で消去されたことも謎として残った。

 今の世の中、「言いたいことを言うことが正義」「自分の意見を押し殺して言いたいことを言わないのはバカ」、そんな価値観が大手を振ってまかり通っている。
 私に言わせれば、こういう主張をする手合いは『子供』なのだ。彼らは「リスクを取って自己責任で自分の意見を言う」ことが、なれ合いのムラ社会の日本を変えるのだ!などと思っているが、ほとんどの場合、彼らは自分が起こした混乱を自分で収拾することがはない。

 少し話はそれるが、私の友人にX市で教師をしている者が居るが、「言いたいことを言うことが正義」の政治家どもが、何の考えも無しに導入した公募校長が不祥事で辞職した後、子供や地域や親の信頼回復のために、砂を噛むような思いをしながら事態を収拾したそうだ。
 その政治勢力は大変な思いをしながら事態を収拾して回っている、真面目で善良な人々をバカにし。逆に「またムラ社会のやり方で根回しをしている」と吹聴して混乱を煽る。人心は荒廃し様々な分野で優秀な人材ほど流出していく。オーケストラ業界もその例に漏れない。

 話を元に戻す。Xオケは500回の記念定期演奏会を迎えた。その際もZ氏は「500回という数字に意味は無い」と言った。関係者は逆境にある楽団の中でも目出度い節目を盛り上げようと、様々な企画を行った。採算を度外視し、長年のファンのために特別記念誌まで作った、そんな関係者の努力と汗に思いをはせることが出来る人間なら、あえて言わなくてもいい「格好付け」「自己演出」の言葉は言わないはず。Z氏は要するに『子供』なのだ。

 今回、記事を書いた理由はZ氏がまたネットにXオケの内情を暴露したからだ。今回は確かに悪口は書いていない、しかし「Xオケは良くなった」と単純に書けばいいのに、以前の演奏批判を蒸し返し、挙げ句、1日でその記事が削除されたのは、「事務局長に口止めされた」と暴露した。要するに自分が良くした、ということを強調したいのだろう。これを見て「これではXオケの楽団員さんたちの立場が無い」と心底心配する。

 私はXオケのコンサートの席でZ氏が他の指揮者の演奏批判をするのを聴いて、「音楽を聴きに来たのに、なんでこんな不愉快な思いをせなあかんのか」と思い、Z氏の出るXオケのコンサートには行っていない。だから、彼がどこまでXオケを良くしたのかの物差しを持たない。
 
 しかし、こんな言動をするリーダーに誰がついていきますか?前指揮者はXオケの悪口を一切言わなかった。それどころか創立指揮者の音楽作りに感服し、「世界中探してもどこにも無い音」と言った。
 僕が忘れられないのは、前指揮者がドイツの楽団を率いてX市に来た際、楽屋裏でのファンとの会話の中で、あるファンが「ドイツのオーケストラは、Xオケとは違いますね。凄い音ですね」と言ったとき、「Xオケだって凄いですよ、あんな音を出せるオーケストラはドイツにも無い。もし、物足りなかったとしたら僕の指揮が下手なんです」と真剣な目をして話していた。
 オケを一切批判せず「自分の指揮が下手」と全責任を負う指揮者、ネットに何度も批判を展開し、周囲の努力と汗を自己演出の薄っぺらい言葉で無にする指揮者。僕は後者を支持することは出来ない。

 Xオケの歴史と伝統に根差した独特のサウンド、あの魅力は抗いがたいものがある。これからもずっとあの音楽を聴かせてほしいし、そのための応援は惜しまないが・・・Z氏にこのまま期待して、願いを託していいのか?僕は今、ジレンマの中にいる。


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岡山シンフォニーホールでの3階席閉鎖公演について [クラシック雑感]

 前回、「もう一つの要望」と書いてから時間が経ってしまいましたが、ブルノ・フィルのコンサートで感じたこと。それはタイトルの通りです。
 当日のコンサートでは、チケットの売れ行きが芳しくないことを事前に予測されていたようで、3階席を閉鎖していました。このホールではよくあることなんですが、そうすることによって主催者への貸館料をディスカウントすることができるようです。しかし、このことがコンサートを楽しむ上での大きな欠陥を生み出していることをホールの関係者はご存知なのだろうか?

 
1.オーケストラコンサートの致命傷になりかねない「エコー現象」が生じる、3階席全面閉鎖の措置は、即刻やめるべき
 以前にも指摘したことがあるんですが、広大な三階席の空間に反響音が滞留して、「エコー」現象が起きているんです。
 エコーとは「やまびこ」という名のとおり、全体の反射音とは分離し時間差で音が聞こえてくる音響障害で、音が1~2秒の時間をかけて徐々に減衰する、いわゆる「残響」とは違います。
 実際、どのような現象が起きていたかというと、バルコニー席で聴いているとよくわかるんですが、ステージで鳴っている音が、そのままコンマ5秒遅れの時間差で3階席の空間からも聞こえてくる。一番しんどいのは大音量のトゥッティーがバシッと決まり、繊細な弱音に移っても、まだ大音量のトゥッティーが3階席でこだましているんです。これは聴き手にとっては興ざめなことです。
 もともと岡山シンフォニーホールの音響は、ほとんど非の打ちどころの無い素晴らしいもので、故サヴァリッシュ氏やブロムシュテット氏をはじめ、著名な音楽家の絶賛を浴してきました。音響設計は、世界的に評価の高い永田音響設計が手掛け、多目的に使える(完全なクラシック専用ではない)ホールの中での永田音響の傑作の一つに数えられています。
 しかし、これは各階にある程度のお客さんが着席している状態で理想の音響となるように設計されているもので、3階席をまるまる空席にした状態なんていう使い方でカスタマイズされているわけではない。
 3階席を空席にするのは、お客さんの立ち入りを禁止することによって①ホール内・フロア・トイレなどの清掃コスト、あるいは、②イスや床などの摩耗コスト、これらがかからない、という名目によって、貸館料をディスカウントするためのものだと思われます。
 しかし客を立ち入り禁止にすることによる摩耗やコストなんて微々たるもの、それによってせっかくの一期一会の音楽体験が、防止可能な音響障害によって台無しになるのは本末転倒ではないでしょうか?
 

2。貸館料の関係で、使用席数の制限を掛ける時は、徹底的に顧客目線に立って、音の悪い席から閉鎖し、音の良い席は開放すべき
 もし座席制限でディスカウントをするなら音響や視覚的にハンデのある
 ・2階席後方ブロック
 ・3階席後方ブロック
 ・1階バルコニー席2列目
 を使用禁止にしてディスカウントすればいいんです。今回、皮肉にも、このホールで唯一音が届きにくい(僕ならまず選択しない)2階後方ブロックが一番席が埋まっていたんですよね(1番価格が安いB席に指定されていますから)。
 逆に、閉鎖されていた3階席の前3列は、よくブレンドされた音が上がってきて、非常に良質な音響で聴ける席なんです。音の悪い2階の後方席に押し込められた人が、もしブルノ・フィルの柔らかいハーモニーを3階席前列で聴くことが出来れば、このコンサートの満足度はもっと向上したことでしょう。
 ホールの関係者の皆様、ぜひご検討を!

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