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岡山フィル第78回定期演奏会 指揮:秋山和慶 Vc:佐藤晴真 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第78回定期演奏会

ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲
シベリウス/交響曲 第2番ニ長調

指揮/秋山 和慶
チェロ/佐藤 晴真
コンサートマスター/藤原浜雄
2023年10月22日 岡山シンフォニーホール

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・今回、明らかになったこと。岡山フィルは再び好調期に入った。シェレンベルガー時代の2018年~19年ごろ、飛躍的に良くなっていた勢いがコロナ禍で気勢を削がれてしまっていた。秋山さんの就任で態勢を立て直し、ここへきて回を重ねるごとにアンサンブルが研ぎ澄まされ、音色は輝きを増している。

・会場は75%ぐらいの入り。悪くはないが、もう少し入って欲しいなという印象。もしかしたら去年までの15時開演の時のほうが入りが良かった気がするが・・・。

・編成は1stVn12-2ndVn10-Vc8-Va8 上手奥にCb6の2管編成。まず確認したのはティンパニとトランペットの席で、そこに特別首席の近藤さんと首席の小林さんの名前を見て期待が膨らむ。客演奏者はホルン首席に水無瀬さん(京響)、トロンボーンの伊藤雄太さんは日本フィル首席だそうだ、ファゴットの柿沼さんはシェレンベルガー時代にも何度か乗っていた方で今は千葉響在籍のようだ。チューバは大フィルの岩井さん。



シベリウス/交響曲第2番
・最初に後プロのシベリウスの感想を書くことをお許しいただきたい。今回のシベ2は私にとって岡山フィルの演奏のベスト3に入る演奏で、なかなか書く時間が取れない中、早くアウトプットしていまいたい(といいつつ11/4にようやく書き上げました)。

・聴いている最中「これがいつも聴いている岡山フィルなのか?」と信じられなくなるほど感動する瞬間があまたあったのだ。第2楽章から涙腺が崩壊しはじめ、第4楽章の有名な第1主題の繰り返し2回目の場面でハンカチ無しではいられない状態になってしまった。

・秋山さんのミュージックアドバイザー就任から一年半が経ったが、岡フィルメンバーに秋山さんの意図が浸透してきているのも大きい。去年の5月の秋山ミュージックアドヴァイザー就任披露公演(「火の鳥」)では、秋山さんのタクトの一挙手一投足に息を詰めて合わせるような窮屈さがあり、音楽の造形や流れの弱さに少々不満を持った。

・ところが今回の定期では秋山さんのタクトに深い呼吸と共鳴をもって反応し、音楽の流れが壮絶に力強くなった。全体の力強さだけでなく、細密画を描くような繊細で芸術的なタクトに柔軟に反応。ディテールの表現も見事で、この曲のキモの一つでもある弱音部(特に弦)での音色の変化に惚れ惚れした。

・この曲はシベリウスのシンフォニーの中でも、わかりやすいメロディのオンパレードで、それが人気の理由にもなっているが、秋山&岡山フィルの緻密な表現でわかりやすさの偽装が剥がされ、20世紀初頭に作曲されたこの曲もやはり現代音楽に片足を突っ込んだ複雑な曲であることがよく解った。

・個々の奏者では、まずは何といってもティンパニである。特別首席の近藤さんはご著書で、ティンパニストにとって最もやり甲斐のある作曲家としてブルックナーとシベリウスを挙げていて、トレモロの響きのパレットの多彩さについてページを割いて力説されている。まさにご著書で解説された通りの名人芸に酔いしれた。詳細は楽章ごとの感想にて。

・次にトランペット首席の小林さん、小林さんの元々の音色が、シベリウスのシンフォニーに要求される、澄んだ冷涼な空気を突き抜けるような抜けのいい音そのものだったこと、そして終始トランペットが出ずっぱり、しかも強奏から弱奏まで目立つ場面の連続になる曲なのだが、次々に訪れる場面の変化に最適な音色をチョイスできるパレットの多彩さや衰えないスタミナに、改めて凄いトランペッターだなと。もはやトランペットが体の一部になっている。

・岡山フィルの金看板のチェロ・コントラバス隊にも賛辞を。特に自然や内面の闘争を思わせる、第一楽章中間部や第二楽章、そして第四楽章はパワフルな金管陣やティンパニを向こうに回し、見事な瞬発力と厚みで大立ち回りを展開。


(11月4日追記)


・第一楽章はゆったりしたテンポ。私がシベリウス2番を直近で聞いたのがロウヴァリ&タンペレ・フィル。それは昨今流行りのラディカルな解釈と奇抜なアーティキュレーションを採用していたが、秋山さんはそうした演奏とは一線を画しており、私がこの曲に夢中になった70年~90年代の録音の延長にある解釈を取る。

・なんの気取りもないヴァイオリンの序奏、笑みを浮かべて左右に揺れながらタクトを振るう秋山さんに導かれ木管とホルンが4分の6拍子で自由に飛び跳ねるように歌い上げる。そこに弦のピチカートが華を添える。休符の「間」をじっくり取りながら、第一主題の登場。濁りのないヴァイオリンのユニゾン。シベリウスの世界が眼前に拡がる。もうこの時点で身体がゾクゾクするような感動を覚え、心がぎゅーっとなる。全曲を通して透明感のあるヴァイオリン・ヴィオラの音色が素晴らしかった。

・この曲はイタリア旅行の時に着想を得た曲なのだが、イタリアっぽさの全くない、フィンランドの冷涼な空気と雄大な自然を表すようなヴァイオリン、日本人の私達が見たことが無いような草花や鳥たちを表す木管、そこに角度の低い高緯度地域の日差しを表すようなトランペット。そしてそよ風からつむじ風、さらに淡い空の色や深い湖の色まで表現する多彩なティンパニのトレモロ。弦のピチカートはまるで湖を飛び立つ白鳥の羽音のよう、どこを切り取っても北欧・フィンランドの香りがする。

・私が思うに、第1楽章はそれ自体が完成された一つの交響詩なのだ。実際、シベリウスは作曲開始当初は他楽章交響詩として着想していたらしい。じっくりと間を置きながらオーボエ、フルート、ヴァイオリンらが散文詩を紡ぎ出すように饒舌に語る。

・展開部に入って徐々に雲行きが怪しくなる、デジャヴのようなものを感じたと思ったら、これは5月定期で聴いたベートーヴェンの田園の第4楽章のようだ。

・ティンパニが主導する嵐を、右手で繊細なタクトを振りつつ、握りしめた左拳(ひだりこぶし)をステージへ向けて突き上げながら傘寿を超えても鬼気迫る秋山さんのタクトに呼応する岡山フィル。主題が高らかに登場するとき、これ以上無いバランスで金管が素晴しいアンサンブルで自然賛歌を謳い上げる。

・全休符が多用されるこの曲、ホールの残響に響き渡るオーケストラのサウンドが本当に美しかった。その度に天井を見上げながら消えゆく美しい残響を満喫した。

・音楽も良かったが、奏者も深い呼吸を取りながら大きくスイングされていた。以前は大フィルや広響と比べると岡山フィルはスイングが少なく、それが岡山フィルのカラーかも、と思ったりしたが、秋山さんの呼吸に導かれて、今は大いにスイングするようになっている。

・第2楽章は急激なクレッシェンドとその先に頂点とするスフォルツァンド、この連続は何か尋常でないものを感じずには居られない。シベリウス自体は否定するけれど、ロシアの圧政と軍事的圧力に対するマグマの様な怒りを感じずには居られない。今このようなご時世だから尚のこと。

・それだけに中間部:アンダンテ・ソステヌートの穏やかな場面が、天から差し込む救済の光のように感じる。岡山フィルの弱音での処理が本当に素晴らしい。シベリウスは弦の響きに雑味や濁りがあったら興ざめになる場面が多いが、そういったことは全くない今の岡山フィルの弦が頼もしい。

・冒頭でも触れたとおり、この楽章の肝はティンパニとトランペット。近藤さんの決然と叩かれるティンパニは「音を出す指揮者」のようだ。トランペットのあえぎ叫ぶような音を強めに吹かせ、それを支えるトロンボーン・チェロ・バス・ティンパニが場面の深刻さに拍車をかける。

・第3楽章は35年前に秋山さんの指揮を見た時から全く変わらない、カミソリのような切れ味抜群のタクト。昨今の演奏はこれより速いテンポを取ることが多いが、ディテールをおろそかにしない、一音一音の粒が立ったヴィヴァーチェッシモはお見事。

・場面転換でじっくり間を置きながら、オーボエ・フルートに導かれる美しすぎるトリオは、そこから硬質マレットに持ち替えたティンパニが安らぎを突き破る。これって何かに似ているなと思ったが、あとでマーラーの復活の第五楽章にプロットが似ていると思った。

・2回目の美しすぎるトリオから一気に第4楽章へなだれ込んむ。この曲の中でしばしば見られる「繰り返し」の場面は、2回目に頂点を突き抜ける演奏設計にしている。第4楽章へ抜ける時間は、いやー、岡山シンフォニーホールに30年近く通い続けた自分が初めて聞くようなサウンド・・・それは言葉では言い表せない。無秩序であるが何かから「抜けた」感覚がするサウンド・・・まずここが圧巻。

・第4楽章でも、それは同様。この曲で一番有名なこの楽章の第1主題の繰り返し2回目へ向かう場面で益々秋山さんのタクトが冴えわたる。チューバら金管をホールを震撼させながら、急速にテンポを落とし、第1主題の場面へなだれ込む。あまりの巨大なエネルギーに「おいおいまだまだ先は長いのに、この先どうなるんや!」状態まで私は追い込まれている。頂点の場面では、音楽的に不自然にならない限界まで『溜め』を作り、そこから一気になだれ込むようなサウンドに身もだえするような感動が襲う。

・ピークを越えた後、第2主題に移る前の第1主題の変形の場面でのシベリウス独特のどこまでも澄み切った弦の音にますます磨きがかかる。ここでも間を存分に取り第2主題へ。

・ここからフィナーレまでは、巨匠の体が発するパワーに感化し、オーケストラが美しさを保ちながら徐々に徐々にラストへと盛り上がっていく。ティンパニのロールによるオスティナート、低音弦のピチカート、上昇下降を繰り返す木管。まだ余力があったのかと感嘆するしかない弦は物凄い倍音を響かせながら長い長いクレッシェンド。その密度の濃さにちょっと息苦しくなるほどだ。

・コーダに入った後は、特別な体験だった。満を持して登場したトランペットのファンファーレに涙が止まらん。ステージ全体に後光が差すような、聴き手も含め光に包まれるような感覚になった。

・こういう感覚になったことは過去にもある。それはマーラーの復活を聴いた時だった。大いなる、何か、の光に包まれるような体験。まさかまさかシベリウスのシンフォニーでそれが降りてくるとは・・・巨匠:秋山さん、恐るべしである。

・シベリウスは最愛の娘を失って、その状態を心配したパトロンの支援の下、家族と一緒にイタリアに向かった。しかしその滞在中も失踪するなど精神が不安定な状態が続いたという…。この日の秋山&岡フィルで見た光はシベリウスが苦悩の先に見えた光そのものだったのだろうか?


ウェーバー/「魔弾の射手」序曲
・さて、仕切り直して一曲目の感想。ホルンが不安定だったものの、瑞々しくも丁寧な演奏は、この日の演奏の成功への期待を抱かせるものだった。

ドヴォルザーク/チェロ協奏曲
・一ヶ月前の日本センチュリー交響楽団福山公演でも佐藤晴真さんのソロで同曲を聴いている。せっかくなので両コンサートの比較を交えながらの感想を。

・センチュリー響が高性能オケとしてのハイレベルな機能美を打ち出した演奏なら、岡山フィルはこれぞ「王道」というに相応しい堂々たる演奏。まずオーケストラが緊張感を孕みながら、じっくりとしたテンポを取りつつ重厚に奏で、満を持してソリストの登場を待つ。

・佐藤さんのソロもまさに王者の風格。センチュリー響との共演では、旅立ちを前にした若者の無垢な心情を表したような爽やかな演奏に感じ入ったが、それとはまた違う、特に第2楽章での巨匠の風格漂うソロに酔いしれた。

・印象的だったのは西崎首席のクラリネット。冒頭からしてクラリネットで始まるこの曲に活躍箇所は多いが、力強さと繊細さを使い分け、ドヴォルザークの印象的なフレーズを一層際立たせていた。

・第三楽章での佐藤さんとコンマス:浜雄さんが絡む箇所も素晴らしく、その後に続く美メロディのオンパレードもまさに王道、素晴らしかった。

・改めて感じ入ったのは秋山さんのタクト。この曲をこれほど重厚かつ繊細かつロマン的に響かせる指揮は他では聴けないだろう。全てのフレーズに表情があって輝いている。おそらく時間が少ないはずのコンチェルトのオーケストラパートをここまで作り込めるな、と。

・アンコールはカタルーニャ民謡(カザルス編)/鳥の歌。先月のセンチュリー響福山公演と同じ曲

・コンサートから帰ってきて、チケットをファイリングする際、ふとこの日のコンサートのチラシを見てみると、ドヴォルザークがこれでもか!と言うぐらいアピールしていたのに対し、シベリウスの名前は最低限の情報しか載っていない(笑)

・岡山では一般的には「シベリウスって誰??」状態なんやろうなあと。東京・関西などの大都市や山形・金沢・高崎のようなオーケストラ文化が根付いた都市ならばシベリウス2番は「ド名曲プログラム」だが、岡山はまだまだそこまで行っていない。今回も含め最近のクオリティと感銘度の高い演奏を続けて行けば、少しづつレパートリーの拡大が受け入れられていくと思う。

・秋山さんのもとで岡山フィルはもっと凄いオーケストラになる、そう確信した時間だった。それだけにこんな素晴らしい世界が体験できるコンサートにもっと足を運んでほしいと思う。特に学生さん、この演奏が1000円で聴けるなんて本当に羨ましい。私が学生席に座っていたころの岡山フィルはまだまだ手探り状態だったもの。

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コメント 1

サンフランシスコ人

「岡山フィルは再び好調期に入った。シェレンベルガー時代...飛躍的に良くなっていた勢いがコロナ禍で気勢を削がれてしまっていた.....」

サンフランシスコ響も岡山フィルに追いついてほしい....


by サンフランシスコ人 (2023-10-24 05:03) 

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