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シェレンベルガーから秋山和慶へ、新時代に突入する岡山フィル(その1) [岡山フィル]

 前回のエントリーで岡山フィルの首席指揮者:シェレンベルガーの退任と、その後を受けて秋山和慶のミュージック・アドバイザーへの就任のニュースに触れたが、楽団からも9月25日に正式なコメントが発表さた。

 シェレンベルガーへの熱い感謝の気持ちが込められ、あと半年間、3回の共演を「マエストロの指揮とともに、五感に刻みつけてくだされば」というコメントに心が動かされるものがあった。

 このニュースに接したときは、秋山&岡フィルの新時代の期待よりも、シェレンベルガーの退任への落胆の気持ちが強くて、少々落ち込んでいたが、楽団からのコメントや、SNSなどでの音楽鑑賞仲間からの励ましで、事実を受け入れる気持ちになった。

 特に仲間からの「タイプの違う常任指揮者に切り替ることは(運営がしっかりしているのであれば)とても有益なこと」というメッセージは心に響いた。確かに成長しているオーケストラを思うとき、前の指揮者と次の指揮者、持っているもの全く違う人が継ぐことによって、飛躍的に発展した例は多くあることに気付かされた。


 今年の春頃、岡山フィルの首席指揮者が交代する可能性を知り、シェレンベルガーにどうしても続けてほしかった私は、こんな記事を書いた。



 その中でも、なぜシェレンベルガーの続投が必要なのか、その理由を自分の中でまとめてみた結果

①オーケストラビルダーとしての卓越した能力

②楽団員と向上心を共有した良好な関係を築いている

③聴衆の圧倒的な支持

④シェレンベルガーと開拓すべきレパートリーがまだまだ存在する

⑤国内のオーケストラのヒエラルキーに属さない個性・独自性


 この5つの理由を挙げた。


 今から読むと、まあ、生意気な・・・不遜な記事を書いたものだなあと我ながら呆れ返っているところなのだが、実は頭の中には何人か候補を想定して書いたものだ。海外で経験を積んで、国内のオーケストラのシェフをやった経験があって、でも現在国内オーケストラのポストからは外れていて、だから「岡山フィルの仕事を引き受けてやろうか」という動機を持てる方。


 しかし、蓋を開けてみると秋山和慶がミュージック・アドヴァイザーを引き受けてくれるという。完全に私の想像を超えた結果になった。前回のエントリーでも書いたとおり、80歳になるマエストロは国内オーケストラからひっぱり凧で、とても岡山フィルの常任の指揮者を引き受ける余地はないだろうと思っていたからだ。

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※試しに「ぶらあぼ」で検索して見ると、出るわ出るわ・・・傘寿にして日本で一番忙しい指揮者じゃないかしら。よく岡山フィルの仕事を引き受けてくれたと思う。


 オーケストラ・ビルダーとしての実績は申し分なし。楽団員との関係やトレーナーという面では、シェレンベルガーが超一流の現役器楽奏者である「プレイングマネージャー」型の指揮者で、それゆえにソロや室内楽などの音楽演奏の中で自らの音楽性を伝える術がある点は、秋山さんには無い利点だったとは思う。


 海外の音楽シーンとのコネクションは、バンクーバー交響楽団の桂冠指揮者として毎年、カナダでの演奏会のタクトを振っていて、バンクーバーのご自宅には故人ではアラウ、ワッツ、アシュケナージ、ハレル、現役ではパールマン、エッシェンバッハ、ズーカーマン、ヨーヨー・マらが遊びに来たという。アルゲリッチ、藤村実穂子、マイスキーらが広響で共演したのも記憶に新しい。


 レパートリーに関しては、恐らく国内ナンバーワン、世界的に見ても秋山さんを超えるレパートリーを持つ指揮者は少ないだろう。



 秋山さんの就任によって、国内オーケストラにおける岡山フィルの知名度や地位は間違いなく向上するだろう。一方で、精彩のない演奏になった場合「秋山和慶が振って、この程度なのか」という評価になる可能性がある。シェレンベルガーが開拓した県外からの聴衆を繋ぎ止めるには、秋山さんがポストを持っている広響やセンチュリーに聴き劣りしない演奏を岡山フィルが聴かせる必要があり、これは相当ハードルが上がる。


 岡山フィルにとって、もっとも大きな利点は、秋山さんが最高のオーケストラ・ビルダーであり、東京交響楽団など破綻寸前まで追い込まれた楽団を再建する、あるいは岡山フィルと同じオーケストラ連盟準会員の中部フィルの育成などの経験で培われた具体的な問題解決策を持っていることと、全方位・全時代的にレパートリーの拡大が見込めることだろうと思う。


 秋山さんが来ることによって岡山フィルは、どのように変わっていくのか?ついては、また次回移行のエントリーでじっくり考えてみたい。

 この時期に発表されたことによって、一番大きいのはシェレンベルガー首席指揮者のファイナル興行が盛り上がるということ。

 しかし、それにあたってはシェレンベルガーが並々ならぬ意気込みと犠牲を払っていることを忘れてはならない。まず、2週間の隔離待機。期間が10日間に減少するという話も出ているが、それでもこの10日〜2週間を異国で閉じ込められた生活を強いられるのは、一流の音楽家にとっては大変な犠牲だと思う。
 10月の定期演奏会と同じ時期に予定されていた、シェレンベルガーが審査委員長を努めている国際オーボエコンクールは中止され、また、(シェレンベルガーのHPに掲載されていた)兵庫PACの定期演奏会も正式発表前にプログラムが差し替えられ、10月は岡山フィルとのたった1日の定期演奏会のために隔離待機を厭わず来日することになるようだ。その意気込みや岡山フィル・聴衆への思いを感じながら聴きたいと思う。

 12月の特別演奏会(第九中止に伴う代替公演)のプログラムからもシェレンベルガーの思いが伝わってくる。このコロナ禍によって岡山フィルとの共演だけでなく、岡山大学Jホールでの室内楽シリーズなど、シェレンベルガーのオーボエ演奏を聞く機会を奪われてしまった。そんな岡山の聴衆のために、シェレンベルガーが岡山フィルとの初共演で取り上げた思い出深いモーツァルトのオーボエ協奏曲を取り上げる意図は、岡山の聴衆への気持ちを現してくれていると思うのだ。

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 メインの「ジュピター」交響曲は2019年のニューイヤー・コンサートでも指揮しているが、期間を開けずに再び取り上げたのは何か意味があるに違いなく。私はこの曲の第4楽章の、延々と続くような「ド・レ・ファ・ミ」のフーガの重なりに、岡山フィルが今後も永続的に発展していくように、との願いが込められていると思う。

 最後の3公演で「シェフ」としてのお別れをする機会が得られたことは、ベルリンでの新しい仕事に打ち込むシェレンベルガーにとっても、秋山さんを迎えて新しいステージに向かおうとする岡山フィルにとっても、いい形でマイルストーンを置くことが出来る。岡フィルのシェフとしてのマエストロとの時間を、それこそ「五感に刻みつける」べく、楽しみにしたいと思います。



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岡山フィルのミュージック・アドバイザーに秋山和慶氏、シェレンベルガーは名誉指揮者に [岡山フィル]

 今朝の山陽新聞でついに発表されました。

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 岡山フィルの首席指揮者がシェレンベルガーから交代する可能性については、以前のエントリーで述べていて、その後も色々と自分なりに予想を立てていました。「あの人かな?この人かな?う~~~ん、それやったらシェレンさんの方がええよな~、う~ん」と。

 秋山さんの顔もちらっと浮かびましたが、「いや、無理やな」と除外していたんです。



 そらそうです。秋山御大は多忙を極めている。まず、広響と東響の(名誉職ではない実質的な首席客演指揮者のような)桂冠指揮者として年に複数回指揮をして、中部フィルの芸術監督/首席指揮者、日本センチュリー交響楽団のミュージック・アドバイザーとして、かなりの回数のコンサートと楽団運営に携わっており、特に中部フィルは岡山フィルと同じようなポジションのオーケストラで、日本オーケストラ連盟準会員から正会員(常設楽団)への改革の真っ最中。他にも全国のオーケストラからの客演の依頼は殺到し、それに加えて去年はコロナ禍による指揮者変更で秋山さんが呼ばれることが多かったはず。海外の著名指揮者の代役が務まる実力と格を兼ね備えた指揮者は、そうは居ないからです。そんな中で、とても岡山フィルのポストなど引き受ける余地はないだろうと思っていたところの、このニュース。驚きました。「まさか・・・」でした。


 一方で、シェレンベルガーは首席指揮者を退任し、名誉指揮者に就任されるということで、覚悟していたとはいえ、寂しさは募ります。今の岡山フィルは名実ともに「シェレンベルガーのオケ」でしたから。

 ただ、私が一番心配していた、この9年間のレガシーが受け継がれるかどうか、また「世界に開かれた窓」としての存在は維持される処遇は行ったことは良かった。コロナ禍の完全収束はなかなか見通せませんが、名ばかりの名誉職の「名誉指揮者」でとどまらせず、シェレンベルガーさんが来日した際には必ず岡山フィルを振りに来てくれる関係を築いて行って欲しいと思います。まずは首席指揮者として最後のコンサートとなる3月定期演奏会は、お別れのコンサートではなく、「岡山フィル名誉指揮者就任披露公演」として盛り上げたいですね。


 秋山さんは、実は僕が現在オーケストラのコンサートに足繁く通うようになった源流となる経験をさせてくれた思い入れのあるマエストロなんです。大フィルの定期演奏会にはじめて足を運んだのは、朝比奈御大ではなく、当時は首席指揮者だった秋山さんによるシェエラザード@旧フェスティバルホールでした。地元の熱い聴衆に支えられて、凄い演奏をしたときの会場の熱気、そして今でも魅了されてやまない「大フィル・サウンド」の迫力と美しさは。あのコンサートには国内のオーケストラの演奏を聴く醍醐味が詰まっていた。


 シェレンベルガーさん、秋山和慶さんに対する思いは、また記事を改めて書きたいと思います。



 今回はニュースを受けて、ひとまずのエントリーということで。

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※山陽新聞一面の主要トピック欄にも、堂々と記事が掲載されていた。岡山フィルの指揮者人事は地域にとっても重要なニュースになったんですね。

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東京都交響楽団 岡山公演 小林美樹(Vn) 下野竜也 指揮 [コンサート感想]

オーケストラキャラバン 東京都交響楽団 岡山公演

グリンカ/歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調op.64
チャイコフスキー/交響曲第5番 ホ短調

指揮:下野 竜也
ヴァイオリン:小林 美樹
コンサートマスター:矢部達哉


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・岡山での緊急事態宣言明け初日(ただしまん延防止措置に移行)のコンサートとなった。8月末のN響岡山公演をパスせざるを得なかった私にとっては今年初めての岡フィル以外のオーケストラ公演になる。

・都響の岡山公演は新聞情報では17年ぶりらしいが、実は岡山シンフォニーホールと都響は縁が深い。都響の芸術主幹の方は岡山シンフォニーホールの元プロデューサーで、逆に岡山フィルの音楽主幹の方も元都響のホルン奏者。その縁もあり都響は岡山フィルによく奏者を派遣してくれていた。恐らく岡山フィルが日本オーケストラ連盟に加入したときも都響の推薦があったのではないかと思う(加入条件に正会員からの推薦が必要)。一方で都響そのものが岡山に来ることは少ない。

・都響は国内トップのオーケストラでありながら、東京都という地方自治体の管理下にあるコミュニティ・オーケストラの側面を持つ、2,3年に1度のペースで岡山に来てくれるN響や、5年に1度のペースで来てくれる新日本フィルに比べると地方公演に対するウェイトが低くなるのはやむを得ないか。

・twitterで #オーケストラ・キャラバン で検索すると、今まさに全国で色々なオーケストラが散らばって公演している様子が見て取れる。都響が引っさげたプログラムは名曲プロだが、指揮者に下野竜也、ソリストに小林美樹というのは、その中でも最高の陣容だろう。

・オーケストラの編成は1stvn14→2ndvn12→Vc8→va12、上手奥にCb6という、本っっっ当に久しぶりの巨大編成の弦部隊は壮観だった。管楽器は2管編成。お客さんの入りは3階席閉鎖の状態で6割だから1000人ぐらいだろうか?高校生の姿が目につく。

・さて、1曲目の「ルスランとリュドミラ序曲」。いやー、やっぱり都響、上手いわー。技術だけじゃなくて、舞台上から最高のバランスの音が、つむじ風に乗って届いてくる感じ。もう、あまりの美味すぎる演奏に、横隔膜が勝手にヒクヒクして笑いがこみ上げてくる。凄い現象に直面したときは、もう笑うしか無いことを実感した。

・そんな凄い演奏を奏でる都響はわりと涼しい顔で演奏している。70%ぐらいの力加減だ。これは批判しているのではなくて、欧米の一流オーケストラの来日公演でも感じることなのだが、実力のレベルが高すぎて、競馬に例えれば(なんで競馬?、いや、自分の中ではこれが解りやすい)、第4コーナーを鞭を全く入れずに馬なりで先頭に立って、そのままぶっちぎりで5馬身差でゴールするようなもの。

・都響のつむじ風のような音圧に負けじと、客席の拍手も熱い。わずか5分程の1曲目への拍手にカーテンコール起こった。都響の演奏がすごかったこともあるが、みんなこういうナマの音楽に飢えているんだな。まるで1週間餌をやらなかったワニ園の池に肉を放り込んだみたいな熱さ。

・2曲目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。オーケストラは10型に刈り込んでいる。ソリストは小林美樹。美しくエレガントな音。第2楽章の演奏は、これが夢心地というのだな、というような麗しい音楽。テクニックも素晴らしく、とりわけ音程の正確さが印象に残った。ハイトーンに対し麗しい音で全くブレることなく、正確に当てていく。

・正直、メンデルスゾーンのコンチェルトでは、そのテクニックを持て余している感じがするほどの余裕が感じられる演奏だった。前日の福田廉之助くんの、まさに身を削るような演奏が記憶に残る聴衆としては、少々食い足りなさが残ったが、このコロナ禍の最中に。このレベルのソリストを同じホール、ほぼ同じ座席で連日聴けたのは奇跡というほかない。

・メインはチャイコフスキーの交響曲第5番。たぶん下野さんのチャイコフスキーを聴くのは、これが初めてじゃないかな。指揮者もオーケストラもとにかく凄い熱量で、鉄壁のアンサンブルを聴かせてくれた。

・今から6年ほど前、ブログやSNS上でインバルとのマーラー・サイクルの録音が話題になっていて、自分も5番のSACDを購入して聴いて、文字通り度肝を抜かれた
 自分の中でマーラー録音のベンチマークの一つとなっていた、インバル&フランクフルト放送響との録音より、明らかに優れている。特に弦楽器の厚みとアンサンブル能力は都響が圧倒していた。「日本のオーケストラもここまで来たんだ!」と感動して、何十回と繰り返し聴き、頭の中に『都響サウンド』がインプットされてしまった。曲目は違えど、この日の下野&都響のチャイコフスキーは、間違いなくあの『都響サウンド』を、私にとってのホームの岡山シンフォニーホールに現出してくれた。

・金管がどれだけ鳴っても、それをものともしない弦の強靭な音が客席に迫ってくる。このホールで演奏されたチャイコフスキーを思い出して見ると、これほどパワフルな弦はサンクトペテルブルグフィルを聴きた時以来だ。

・その弦はここぞという時の「泣き」が凄い。第1楽章の長調に転調した後の第2主題が盛り上がる場面しかり、第2楽章の第2楽章がどんどん音階上昇で盛り上がる場面(昭和の関西ローカルCMネタで言うと、「エスモンパワー!」で有名な部分ww)の弦楽器が主導する音のうねりと「泣き」は壮絶だった。下野さんのタクトも燃えに燃えていた。オーケストラの奏者たちも額に汗を浮かべて顔を紅潮させながら必死に演奏している。演奏技術だけじゃなくて、音楽の世界への没入度合いも深いんだな。

・第3楽章のワルツに心踊る。ずんぐりむっくり(失礼!)な感じの下野さんが、つま先で踊るような軽快なタクト(ほんと、この方って身体の使い方のセンスが抜群に上手いんだよなあ)に呼応して本当に軽やか。聴き手の心も踊り、めっちゃ愉しい!!

・でも、中間部の16分音符の部分に入ると、深い影が差す。この心踊るワルツは、マスク必須の見えない敵に怯えて他人との接触を避けて暮らさあるをえない世界にいる我々から、マスク無しでコンサート・舞台を見にぎゅうぎゅうに満員のホールに足を運んだり、パーティーや飲み会で気勢を上げて騒いだりしていたかつての世界を見て、心の穴に気づいたときの寂しさを現しているようだ。間には見えない仕切があって、かつての世界には戻れない・・・。この楽章のワルツをこんな複雑な気持ちで聴くことになるとは。。。

・第4楽章の推進力、鋼のアンサンブルは我が地元のホールを震撼させ、音の振動に包まれる感動を味あわせてくれた。このオーケストラは奏者全員が、瞬間瞬間に変化していく音楽を、どの瞬間も最適なポイントに力を凝集することができ、2倍3倍にも増幅されたパワーにすることが出来る。

・第4楽章での通奏低音を担うコントラバスの音が、客席に風を運ぶようにドッドッドッドッ、と鳴る。やがてそれはホールの聴衆の拍動と重なり、この場に居る者を一つにするようだ。低音なのに下から鳴るというよりも、ホール壁や天井が呼吸をするように鳴る。こんなベースの音があるんやね。

・指揮者の意図に対する理解も深いのだろう。オーケストラに全く迷いがなく、あまり経験のないはずの遠征公演のホールでも持ち味のサウンドの響かせ方を知っているようだ。

・弦を中心としたオーケストラの鋼のアンサンブルばかり取り上げてしまったが、第2楽章でのホルン、オーボエ、第3楽章のクラリネット、ファゴット、あるいは第4楽章最後のトランペットなど、管楽器のソロも柔らかく美しくて、強奏でなお輝きを増すような音にも感動した。

・アンコールはメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」から第3楽章。下野さんらしい粋な選曲。そうそう、演奏後に「この東京居交響楽団には全国から音楽家が集まっています。岡山出身の方もおられます。フルートの小池さんです」と、地元出身の奏者を紹介された。これも下野さんらしい粋な演出だった。

・コロナ禍が無ければ、東京オリンピックの前後に海外から沢山の観光客が訪れ、1964東京オリンピックのレガシーとして発足した都響の素晴らしい演奏を世界各国の人々が聴くはずであっただろう。開会式の入場行進での演奏は話題にはなったが、そういった鬱憤もあったかもしれない。

・意外だったのは、インターミッション中やカーテンコールの間の楽員さんの雰囲気が思いの外、気さくな感じだったこと。都響にたいして自分は、クールなイメージを持っていたが、真逆だった!1曲めから2曲めの舞台転換の時は、ヴァイオリンみんなで椅子を動かして転換作業に協力したりしていて(オーケストラによっては、楽員さんが一切手を出さないところもあるので)、「へええ、こういう雰囲気なんだ」と思ったのだ。

・また、このオーケストラの演奏を聴けることを願って、帰路についた。マスクをして飛び出した外の空気は2年前と変わらない。

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スペシャル・ガラ・コンサート 中桐望(Pf)、森野美咲(Spo)、福田廉之助(Vn)、矢崎彦太郎&岡山フィル [コンサート感想]

岡山シンフォニーホール開館30周年記念 スペシャル・ガラ・コンサート

I am a SOLOIST から世界にはばたくヴィルトゥオーゾたちの饗演

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グリーグ/ピアノ協奏曲(※1)

モーツァルト/モテット「Exsultate Jubilate」(※2)
プッチーニ/歌劇「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父様」(※2)

山田耕筰/からたちの花(※2)

〜 休 憩 〜

ブラームス/ヴァイオリン協奏曲(※3)


指揮:矢崎 彦太郎
ピアノ独奏:中桐望(※1)

ソプラノ独唱:森野美咲(※2)

ヴァイオリン独奏(※3)

管弦楽:岡山フィルハーモニック管弦楽団
コンサートマスター:高畑壮平


2021年9月12日 岡山シンフォニーホール


 このガラ・コンサートと、都響の岡山公演が2日連続するという、盆と正月がいっぺんにやってきた状態だが、今は自由時間が30分ぐらいしか取れないので、徐々に更新していこうと思う。よろしければ気長にお付き合いを。


 今回も箇条書きにします。


・このコンサートも緊急事態宣言にかかってしまったため、3人の故郷が生んだスターによる折角の凱旋公演ではあったが、発令と同時にチケット売止、会場は1200人ぐらいだったかな。


・今回のコンサートは、岡山シンフォニーホールの開館30周年の記念行事でもあり、記念品(ボールペン)も頂いた。プログラムはこの30年のあゆみを簡単に振り返る記事もあった。「いらんこと言い」の自分としては、小泉和裕ミュージック・アドヴァイザーに関する記述が一切無いのはどうなのか?と言いたくはなったが・・・。


・今回も「コロ中の中でのコンサート参加自粛の自己基準」により、リスク計算を実施。

直近一週間の新規感染者数の平均値:82人

来場予想者数:1400人       以上の想定で計算。
82人✕0.2(無症状感染者割合)✕10(日数)=164人
82人✕3日(発症前でウイルス放出状態)=246人
(164+246)/1,900,000(岡山県の人口)=0.022%
1400人✕0.022%=0.31(人)
 ということで、無症状でコンサートに来てしまう人は0.31人ということで、かなりリスクは低いと判断した。


・今回はピアノ協奏曲があるので、中央より左側に人が集中すると読んで、あえて右側の座席をとったところ予想は見事に的中。隣に人が居ない状態で落ち着いて見ることができた。ピアニストの手元は見えなかったが、中桐さんの表情がよく見えて、充分に楽しめた。よくよく考えてみたら、自分はピアノが弾けるわけでもないので、鍵盤視認席にこだわる必要は無いなと(笑)


・ホールに入った瞬間、元大フィルの名ハープ奏者の今尾さんがステージ上で音出ししている様子が目に入った。ハープが登場する曲はプッチーニの1曲だけで、なんと贅沢なことか。オーケストラは1stVn10→2ndVn8→Vc6→Va6→上手にCb4の10型2管編成。弦五部は東京・関西組の首席奏者が勢揃い。管楽器は客演首席が多かったが、グリーグで大活躍するフルートは畠山さん、ブラームスで大活躍するオーボエは工藤さんが乗っておられ、岡山フィルらしいサウンドは健在だった。

 

・1曲めのグリーグのピアノ協奏曲。このホールの響かせ方を熟知している中桐さんだけあって、雑味のない力強い音を存分に響かせていた。オーケストラと一体になって音楽を構築していく感じで、この曲のシンフォニックな面を再発見した快演だった。


・オーケストラも、特に弦五部が良かったなー。とりわけこの日はヴァイオリン隊の音がいつもよりも洗練されていてとても良かった。瞬間瞬間でニュアンスたっぷり、情感たっぷりに聴かせてくれ、中桐さんの澄み切った力強い音と融合しながら大きなうねりを作り出していた。まるで絵画を次々に見ていくように瞬間瞬間が輝くような心に残る景色を見せてくれた。


・過去にグリーグのピアノ協奏曲を聴いたコンサートを思い返してみると、時間配分的に座りがいいためかブルックナーなどの重厚長大な交響曲の組み合わせで聴くことが多く。正直、この曲の演奏の印象が薄れがちな経験が多かったのだが、改めていい曲やなー。と感じ行った次第。


・白眉だったのは第3楽章のノルウェー舞曲風の場面。指揮者がヴァイキングの躍動を描くようにオーケストラをかなり鳴らしているにも関わらず、それに負けない強靭なピアニズムで中桐さんが応える。昨年の2台のピアノによるアンサンブルで聴かせたバーンスタインのウェスト・サイド・ストーリーでも思ったのだが、リズムに宿る叙情性や悲劇性を表現させると聴き手の心に迫ってくるような演奏になる。腕二本で劇的なドラマを作れるピアニスト。彼女の演奏でまたコンチェルトを聴きたいな(岡フィルさんお願いしまッサ)。


・続いて森野美咲さん。ブラームス国際コンクール優勝という、岡山の声楽界の歴史を変えた快挙の後、コロナ禍でなかなか実現しなかった凱旋公演だ。

 まずもってモーツァルトのモテットがは絶品だった!司会の山本アナウンサー(元OHK、夕方の顔だった方)の「本当に気持ちのいい歌でしたね!」というご感想に心から同意。この曲、実演で聴いてみると「夜の女王のアリア」に匹敵する難曲だ。その難曲を正面突破していく、あまりのパワフルかつ気持ちの良い歌唱に、愉悦で背筋が震えた。特に高音の伸びは本当に天に召されそうな「ほわーっ」とした浮遊感を味わうような感じになった。1曲目でカーテンコールが鳴り止まない盛り上がり、会場のみんなで「これは凄い!」という思いを共有した。


・森野さん自身もコロナ禍のなかでの凱旋公演への歓びに満ち溢れているようで、舞台上での彼女の輝きが眩しく感じられた。


・プッチーニの「私のお父さん」は、このホールでも何回か聴いているが、これほどホールを響かせた歌唱は無かったと思う。モーツァルト、プッチーニともに、矢崎さんのタクトによるものか、いつもとは違う岡山フィルの音を聴けたことも収穫だ。


・からたちの花は、ヴィブラート抑えめのピュアな声を聴かせてくれた。なんと心にしみる情感を表面上は抑えつつも心の内の熱さが感じられた。もう、こんなのを聴いてしまったら泣いてまうがな。


・休憩を挟んで、岡山の期待を一身に背負う福田廉之助くんが、いよいよブラームスの協奏曲に初挑戦する。


・休憩中にソリストの位置に椅子が置かれた。「荷物か道具を置くのかな?」と思っていたら、演奏開始の拍手の後、廉之助くんが椅子に座って出番を待つ。この光景は初めて見た。ふと、土曜日に放送された福田くんがDJを務めるラジオ番組で、「ちょっと自立神経がやられてしまったみたいで、立ちくらみの症状が出た」と仰っていたのを思い出す。ただでさえハードな曲なのに、大丈夫なんだろうか・・・という心配を他所に、期待を大きく上回る演奏を聴かせてくれた。


・この曲は、まずヴァイオリンのソロが入ってくるところが勝負所。まるで交響曲のような重厚な序奏に続いて入ってくるヴァイオリンがオーケストラに負けてしまうと、その時点で勝負ありになってしまう。しかし、やはり廉之助くんはやってくれた、オーケストラに負けないどころか、ホール全体に強靱なニコロ・ガリアーノの深みのある美音を響かせた。

・これが本当に21歳の演奏なのか?迷いが無く、初めてのこの難曲への挑戦にも関わらず何かを試す、ということも全く感じさせない、確信を持った演奏だった。一つ一つのフレーズにそれぞれ意味があって、現時点での福田廉之助のすべてを投入した演奏は鳥肌モノだった。

・第1楽章のカデンツァが圧巻だった。情熱的とか、技巧が凄いとか、そういう次元で感動したのではなくて、なんという心を打つ、人間味あふれるヴァイオリンだろうか。

・廉之助くんのブラームスは厳しい・強靱なだけではない、時折、オーケストラの方を向いて、色気のある音で挑発したり、やさしい音で語りかけたりしながら、それに触発されたオーケストラと一緒に音楽を構築していく。時には指揮者の矢崎さんと顔を突き合わせるような感じで、「今、この瞬間に生まれる世界」を意欲的に創作していく。未知のウイルスに人類が直面してまもなく2年・・・、そんな中で、今、目の前で行なわれている創造の営みがどれほど貴重で愛おしいことか・・・そんなことをしみじみと噛みしめるながら聴いていた。

・ソリストとオーケストラの共同作業は、第2楽章が見事だった。愛情あふれる表現で会場の人々の心を包み込んでいくような演奏だった。彼の演奏から岡山への思いを感じ取ったのは僕だけだろうか。それに対して見事な演奏で応えた岡フィルの木管陣も素晴らしかった。

・オーケストラの方は、特に自分第1楽章の前半は調子が出なかったように思う。第1楽章冒頭のヴァイオリン・ソロが入って来た直後、ソリストと木管を中心にしたオーケストラとの掛け合いの場面で聴いている自分も冷や汗がでるような危ない場面があった。オーケストラが止まりかけたと感じたのは僕だけか?何が起こったのかはよく解らないのだが、指揮が合わなかったのかな?廉之助くんもオーケストラも落ち着いて対応し、事なきを得た感じ。

・終演後に矢崎さんが思いのほか興奮されていたのが印象に残る。彼のキャリアの中でも廉之助くんの演奏は強い印象を残したのだろう。

・コンサートの後、オーケストラが舞台から退場後にインタビュータイムがあった。私は家族の元に戻らなければならなかったので、さわりだけ聞いて帰路についたのだが、どうやら廉之助くん、かなり体調が悪かったようで、リハーサルはずっと座って演奏をしていたそうだ。いやいや、そうは見えなかった、そんな状態であの演奏を披露したのか・・・信じられない。

・ヨーロッパ最高峰の音楽院で研鑽を積みつつ、日本とスイスを何度も往復して演奏活動を続け、ファースト・アルバムも出し、そのうえ、室内オーケストラを立ち上げ、財団法人も設立。そこに入国規制による隔離期間も挟まる、いやいや、廉之助くん、働きすぎやって。。。どうか身体だけは大事にせにゃーおえんよ。


・最後の会場の拍手はすごかったなあ・・・。廉之助くんは、渋野日奈子とならんで、岡山の希望の星なのだと思う。岡山の人々の夢を載せて演奏してくれている感じがある。上の世代にも守屋剛志、松本和将、川島基といったクラシック音楽界のスターが居るが、ここまでの熱狂は無かったように思う。来月には彼が心血を注ぐ「THE MOST」の2回目の公演が楽しみだ。でも、くれぐれも無理しないで欲しいものの・・・・


やはりこんな予告動画を見ると、楽しみで仕方がなくなってしまう!

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2023年開館!『岡山芸術創造劇場』について(その5 ハレノワとは対極の施設:アクリエひめじ) [芸術創造劇場]


 なぜ、アクリエひめじに注目したのか?姫路市は①山陽道の交通の要衝で都市規模・経済規模も岡山市と似ている、②ともに池田家と深い関わりがある城下町をルーツとする、など、岡山市と共通する部分も多いにも関わらず、岡山芸術創造劇場(愛称:ハレノワ、に決定!)とアクリエ姫路は、立地・整備内容など様々な面で全く逆の方向を志向している。この両施設を比較検討することで見えてくるものがあるのではないかと思い、取り上げてみようと思う。


 アクリエひめじの正式名称は「姫路市文化コンベンションセンター」。大ホール(2001席)、中ホール(693席)、小ホール(164席)、さらに面積4000㎡の広大な展示場(ママカリフォーラムの4倍、コンベックス岡山大展示場よりも大きい)、大小10の会議室などを擁し、コンサート・展示会・国際会議・学術会議・イベントなど様々な催事に対応出来る。9月の開館に先立って、6月から兵庫県の大規模接種会場として、そのアクセスの良さとフレキシビリティを発揮していた。
 一番の売りはJR姫路駅から歩行者デッキで直結していることだ。
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 実はJR姫路駅から800mほど離れており「駅直結」かどうかは意見が分かれるところではある。800mというのは岡山駅からの距離に置き換えると、西川緑道公園を過ぎ柳川交差点の手前ぐらいの距離。しかも、屋根付きの歩行者デッキが整備されていて、信号なしのバリアフリーでアクセスできるのは大きいメリットで、本記事では「新幹線停車駅直結」であると認定して話を進めたい。
 シリースのその1:建設地に関する危惧で述べたように、全国のホール・劇場建設の趨勢は、都市中心の新幹線停車駅直結であり、高崎芸術劇場や山形県民文化会館を取り上げたが、それはこのアクリエひめじも同様である。
◯文化施設の新幹線停車駅からのアクセス比較
高崎芸術劇場(高崎市 2019年開館) JR高崎駅から徒歩5分  
山形県民文化会館(山形市 2020年開館) JR山形駅から徒歩1分
アクリエひめじ(姫路市 2021年開館) JR姫路駅から徒歩10分
岡山芸術創造劇場(岡山市 2023年開館予定) JR岡山駅から徒歩25分
岡山シンフォニーホール(岡山市 1992年開館) JR岡山駅から徒歩15分
倉敷市民会館(倉敷市 1972年開館) JR倉敷駅から徒歩20分
旧姫路市文化センター(姫路市 1972年開館) JR姫路駅から徒歩25分
 アクリエひめじは姫路市の文化芸術拠点であった旧姫路市文化センターの移転建て替えとして計画された。この点は岡山市民会館の移転建て替えとして建設が進められている岡山芸術創造劇場と共通している。
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※今月で閉館する姫路市文化センター
 調べてみて気付いたのだが、旧姫路市文化センターの開館は倉敷市民会館と同年。築50年未満で新耐震基準以前の竣工であるものの、そこまで老朽化している訳ではなかった。
 一方、駅からの距離は岡山芸術創造劇場とほぼ同じだ。筆者は学生時代に、旧姫路市文化センターに何度かコンサートに通い、ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィル、チェッカート指揮ベルリン・シュターツカペレ、スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団などの名演に接した。姫路まで足を運んだ理由は、民営の京阪神のホールでは設定不可能な安いチケット代が魅力だったからだ。
 このホールに行く手段として、姫路駅から歩くという発想自体がなかった(笑)1kmおきに駅がある都市部の住民にとって徒歩25分(2km弱)はかなり遠い感覚だ。
 また、手柄山公園には1000台規模の駐車場があり、親に連れられていったときは自動車一択。何年か前にブリュッセル・フィルを聴きに行った時は、山陽電車に乗り換えて手柄駅から歩いて行ったが、それでも12分程度はかかった。アクリエひめじの建設は、こうした文化センターが抱えていた微妙なアクセスの改善の意味合いもあったようだ。
 岡山市当局は、岡山芸術創造劇場の立地については、倉敷市民会館の例などから決して駅から遠過ぎることはなく、また路面電車の延伸計画によってアクセス性が改善されるため問題ないとの認識のようだが、それならば路面電車の延伸を開館に間に合わせるぐらいの対応が求められるはずなのだが、事業者との費用負担を巡って対立するという、いつものお決まりパターンに陥り、開館には間に合わないようだ。
 「アクリエ」というワードは、アーク(円の弧あるいは架け橋)とクリエーション(創造)を組み合わせた造語。奇しくも岡山芸術『創造』劇場の愛称は「ハレノワ=晴れの輪」で、両都市それぞれの施設に懸ける思いがシンクロしているような印象だ。
 アクリエひめじは舞台芸術だけでなく、音楽ホールや複合形コンベンション施設も兼ねており、ポピュラー音楽や各種イベントなど、産業・技術・エンターテイメントなど他分野に渡る「創造」を行う拠点施設になることを想定しており、趣味性の高いコミックフェスなどのサブカルやスポーツイベントも視野に入っているようだ。これは究極の新幹線直結型多目的施設になるだろう。
 大ホール・中ホールはプロセニアム形式かつ音響反射板も入っている。現にこけら落とし公演シリーズとして、ウィーン・フィルの来日公演が組まれている。
 一方で、岡山芸術創造劇場は「創造型事業」を前面に出し、舞台芸術に特化し、既存の岡山シンフォニーホールとの棲み分けのために、音響反射板すら設けないというストイックぶり。
 姫路市の文化施設の運営は、姫路市文化国際交流財団が一手に引き受けており、アクリエひめじの文化芸術事業もこの財団が担うようだ。ただ、岡山シンフォニーホールのようなクラシック音楽演奏の専門スタッフや、岡山芸術創造劇場のような舞台芸術の専門スタッフは抱えておらず、市独自事業の展開には主眼を置かずに文化芸術関係の演目を外から招聘することが主体になりそうだ。
 こうして見てみると、このアクリエヒひめじは岡山芸術創造劇場とは全く逆の方向性を持った施設だ。
             アクリエひめじ       岡山芸術創造劇場
ホールの立地       新幹線駅直結型       旧市街地(駅からはやや
                           離れている)
事業の展開        貸し館主体のホール     専門スタッフを採用した
                           創造型劇場
ホールの多目的性     舞台芸術・音楽・      音響反射板の不採用など
             コンベンションなど     舞台芸術に特化
             多目的に展開
 この2つの施設、果たして30年後にはどちらが都市の賑わいや成長に貢献する施設となるのか?それを考えたとき、「MICE都市(※1)を目指す」方向性と「創造都市(※2)を目指す」方向性という、対照的な両都市の成長戦略が見えてくる。
 姫路市も岡山市も、元をただせば池田家の城下町であり、そのルーツには共通点も多い。太平洋戦争までは白鷺城(姫路城)と烏城(岡山城)は双方とも国宝に指定されていた。戦火をくぐり抜けた白鷺城は現存する最古の城として世界遺産にも認定。国内外への圧倒的な知名度を梃子に、MICE都市(※)への飛躍を目指そうとしている。一方で烏城は岡山空襲で灰燼に帰し、1966年に鉄筋コンクリート造により外観復元が行われたが、「レプリカ」としての岡山城単体では市民の誇りとはならず、後楽園や各種博物館・美術館などの文化施設が城を取り囲むという全国でも稀な「岡山カルチャーゾーン」を発展させてきた。その延長上に創造型劇場の構想があり、それは「創造都市」の潮流の中にある
※1:MICEとは、企業等の会議(Meeting)、企業等の行う報奨・研修旅行(インセンティブ旅行)(Incentive  Travel)、国際機関・団体、学会等が行う国際会議 (Convention)、展示会・見本市、イベント(Exhibition/Event)の頭文字を使った造語で、これらのビジネスイベントの総称。
※2:創造都市とはグローバリゼーションと知識情報経済化が急速に進展した21世紀にふさわしい都市のあり方の一つ。1980年代以降に産業空洞化と地域の荒廃に悩む欧米の都市において「芸術文化の創造性を活かした都市再生の試み」が成功を収めて以来、世界中で多数の都市において行政、芸術家や文化団体、企業、大学、住民などの連携のもとに進められている。
 どちらの方向性が正しいのか?私には結論が見いだせないが、まずは、双方がその都市戦略に沿った施設運営が出来るかというのが、最初のハードルになるだろう。
 短期的な成功、あるいは住民へのプレゼンスという面では、アクリエひめじの方が有利だ。大きなメッセやイベントをいくつか成功させれば、成果が目に見える形で発揮され、交流人口の増大や宿泊・観光需要の拡大にも繋がりやすい。
 一方で、岡山芸術創造劇場の「創造型事業」の成功までには気の遠くなるほどの手間暇がかかるし、専門家や関係者の間での評価が得られても、なかなか一般市民が実感するような成果は出しにくい。
 次回のエントリーでは、この岡山芸術創造劇場の注目点として、その集客力にスポットを当てて見ていきたいと思う。

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