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オーケストラが拓く『創造都市』(その3:『創造都市』とは何か) [オーケストラ研究]

 月1回更新を目指して始めたこの「オーケストラが拓く創造都市」シリーズ。今回はなんとか10月中のアップが出来ましたが、調べていくと色々と面白いことが判って、その分、色々と目を通す資料が増えてしまい、更新速度の確保が難しくなりそうです。ただ、アクセス数がやはり他の記事よりも多く、書き甲斐はあります。ぼちぼち更新しますので気長にお付き合いを。
 ※前回までの記事へのリンク
 ※2018年に連載した「オーケストラ研究」シリーズの目次へのリンク
 私が『創造都市』という言葉に初めて接したのは、2008年頃。橋下徹大阪府知事による大阪センチュリー響や大阪フィル、文楽などの文化芸術団体への補助金廃止問題が持ち上がった頃、『創造都市』の観点から府知事の方針に反論しているtweetを見つけたことが最初だった。

 今となってはそのときに見たテキストがネットの海の中から見つけられないのだが、当時のメモを頼りに復元してみると、こういう内容だったと思う。

「ポスト(規格大量生産型の)工業国家における都市のモデルとして、最も有力なのが『創造都市』のモデル。オーケストラは大阪の産業経済にイノベーションを起こすアクターになる可能性を秘めている。そんな財産を存続の危機に晒すなどあまりにも馬鹿げている。
 産業業空洞化と財政危機に直面した欧米諸都市は、芸術文化が持つ創造的なパワーを原動力に、産業を再生させてきた。大阪も含めた日本では、都市の中での文化芸術部門を、コストセンターとして捉えている。しかし創造都市モデルではプロフィットセンターになり得る。そんな都市政策の潮流を見誤る為政者は改革者とは言えない。」

 当時の私には『創造都市』モデルについての知識がなく理解も出来ていなかったが、今から思えば、オーケストラへの支援の打ち切りに抗する有力な論拠になり得たかも知れず、勿体なかったなと思う。当時は、「文化芸術に対して行政が支援をするのは当然、あまりに理解がなさすぎる」という主張と、「一部の受益者しか居ない事業に税金を投入することはまかにならん。そんなに大事なら自分でお金をだせ」という主張が対立し、感情的な分断が起こり、それこそ、当時の大阪維新支持勢力の思うつぼになってしまった。

 次に私が『創造都市』というワードに触れたのは2016年に開催された、岡山芸術交流という国際現代芸術祭だった。岡山芸術交流はマスコミ、特にアート系の媒体への露出が多く、海外ではスペインのビルバオやスコットランドのグラスゴー、国内では横浜や金沢など、現代芸術が都市の産業や文化を再生させてきた経緯を知る機会が多くなった。
DSC01494.JPG
 そして、岡山でも明らかに『創造都市』を意識した都市の成長戦略が動き出した。一番明確な形で現れたのは、岡山市民会館の移転新築計画の具体化だろう。新しい市民会館は「岡山芸術創造劇場」という名前が付き、岡山フィルや岡山シンフォニーホールを運営する公益財団は『 岡山文化芸術創造』に名称変更するなど、やたらと『創造』というワードが使われるようになった。
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※2022年度に開館予定の『岡山芸術創造劇場』の完成イメージ(岡山市HPから)
 岡山における『創造都市』への動きについては、いずれ詳しく考察したい。
 
 それでは創造都市とは何ぞや?ということを、各論客のパッチワーク的ではあるが、自分なりにまとめてみようと思う。

 まず国内において『創造都市』を提唱し続けている佐々木雅幸氏の、「創造都市」の定義を見てみよう。
 『創造都市とは、市民の創作活動の自由な発揮に基づいて、文化と産業における創造性に富み、同時に、脱大量生産の革新的で柔軟な都市経済システムを備え、グローバルな環境問題やローカルな地域社会の課題について、創造的問題解決を行えるような『創造の場』に富んだ都市である』

 具体的には、文化芸術の力によって、付加価値の高いもの、感性を刺激するもの、デザイン性の高いものをその都市の経済の中にビルトインしていくことによって、その都市の産業のイノベーションを誘発する、ということになるようだ。

 本場のヨーロッパでは、リチャード・フロリダが『創造階級集積論』という、ちょっと刺激的な理論を展開している。

技術中心主義は地域経済を救えない企業を超えた創造的階級集積の勧め リチャード・フロリダ INTERVIEW DIAMOND ONLINE

 ポスト工業国家の産業を中核人材となる、科学・技術・建築・デザイン・教育・芸術・音楽・アート・娯楽などの活動に従事し、新しいアイデアを作り出す人々を『創造的階級』と称し、事実、アメリカではこの『創造的階級』に属する人々は全従業者の30%、約3900万人にあたり、アメリカの産業経済を支えているそうだ。
 「階級」という言葉は少々選民意識の刺激臭が強すぎて日本にはなじまないが、おそらく創造的人材「集積」と考えて間違いはないと思う。
 20世紀の工業国家では、技術力とそれを理解する知的水準の維持が必要であって、個々人の創造性・価値観の多様性は大きな比重を占めなかった。しかし、ポスト工業都市としての産業の活性化のためには、個人の自由な創作活動を保証し、宗教・人種・国籍・性的価値観が多様な創造的人材をどのように集積出来るかが鍵を握っている、というのだ。

 イギリスの都市計画家のチャールズ・ランドリーは、芸術文化が持つ3つの力として、
①人材を集積する力
②社会問題を解決する力
③産業構造を転換する力
 を挙げており、産業空洞化と財政破綻の中で文化や芸術を生み出す過程での『創造力』こそが、最終的な国家の財政的支援から独立して都市や地域を蘇られせる原動力となる、としている。産業構造転換の中で生み出されるビジネスへのアイデアは、全くゼロから生み出されるものではなく、都市の文化や伝統というベースの中から「過去との対話」の中で生み出されるものであり、文化と創造は相互に影響し合うプロセスであるとしている。
 岡山において、やたらと『創造』の言葉が多用されるようになってきたのは、恐らくこの『創造都市』モデルを意識していると考えて間違いないと思うが、都市の文化芸術の方向性の基本計画となる岡山市の芸術文化振興ビジョンには、『創造』という言葉が17回も使われている一方で、『創造都市』については不思議と一度も触れられていない。

 一方で、これらの『創造都市』の考え方を、国内のある都市は文化振興プランに盛り込んで、鮮明に打ち出している。
 その都市とは、前回のラ・フォル・ジュルネの開催都市として名前が上がった新潟市である。
※次回に続く

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ありがとう!初代岡フィル首席ホルン奏者、梅島さん [岡山フィル]

 すでに一部の岡フィルファンの間でも話題になっていますが、岡山フィルの首席ホルン奏者の梅島洸立さんが退団し、現在は山形交響楽団の首席ホルン奏者として活躍しています。

 彼が首席奏者の試用期間中に演奏したチャイコフスキーの交響曲第5番の演奏を聴いて、「こんなに腕がある人が岡山フィルに来てくれるんだ」と思い、また、同じ年の第九での多彩な音色を操りながらの安定した演奏に「これほどの達者な奏者、いずれ他の有力オーケストラに移籍するだろうな」と、別れが遠くないことを予感し、限られているであろう彼のホルンを聴く機会を大事に聴いてきました。

 岡山フィルはコンサートの都度、演奏報酬を支払う形態で、常勤雇用ではありません。芸大大学院を卒業したての若者が充分な自己投資の資金を確保しつつ生活していくには厳しい環境でしょうね。ましてや、彼ほどの若い実力のある音楽家は、それに見合う報酬(月給)と待遇のもとで実力を発揮するべき。だから、彼が国内有数の評価を得ている山形交響楽団へ常勤雇用で採用されたことは、寂しくはあるけれども、心から良かったと思っています。

 彼の演奏の一番の思い出は、岡山フィルが初めて演奏したブルックナーでの演奏。

 冒頭の安定したソロ、第1楽章終結部のホルン隊を率いての高らかに響き渡ったフォルテのホルンの合奏。あるいは第3楽章、第4楽章での熱演。
 30年近くこのオーケストラを聴いてきて、ようやくブルックナーが定期演奏会で取り上げられた。彼のホルン無しには、「岡フィル初めてのブルックナー」があれほど印象深い演奏になることはなかっただろう。

 梅島さん、本当にありがとう。出来ることならばコロナ禍がない状態で、彼のホルンの音をもう1回聴きたかったなあ。

 移籍先の山形交響楽団では、早速地域密着の活動を始められているようです。

 岡山の山陽放送でのドキュメンタリー番組でも、彼の愛嬌のある、でも音楽に真っ直ぐに向き合う姿が描かれていて、あの番組がきっかけで岡山にも彼のファンがたくさんいたんですよね。山形の人々に絶対可愛がられるでしょうねぇ。
 いつか、落ち着いた時期に岡山に演奏に来てください。

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岡山フィル第66回定期演奏会 指揮&Vn独奏:郷古廉 指揮:熊倉優 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第66回定期演奏会
ヴィヴァルディ/「和声と創意への試み」作品8から『四季』
        第4番『冬』→第1番『春』→第2番『夏』→第3番『秋』
       (指揮・ソロヴァイオリン:郷古 廉)
 〜 休 憩 〜
シューベルト/「ロザムンデ」から間奏曲第3番
  〃   /交響曲第7番ロ短調「未完成」
       (指揮:熊倉 優)
ゲストコンサートマスター:福田悠一郎
2020年10月18日 岡山シンフォニーホール
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 岡山フィルが帰ってきた。しかも、よりアグレッシヴに、そしてパワフルに。
 前半のヴィヴァルディは、郷古さんの弾き振り。この郷古さんの描き出す音楽の世界観がアグレッシヴにして壮大!緊張と安堵、激しさと優しさの入れ替わり、それは荒ぶる自然と生命力、その中で息づく人間の暮らしへの温かい眼差しを表しているようだ。
 先月末に、7ヶ月のブランクを経てフルオーケストラでの活動をようやく再開した岡山フィル。定期演奏会は実に9ヶ月ぶりの開催となったが、郷古さんの壮大でアグレッシヴで、かつ愛情にあふれた世界観を見事に描き出していた。変化するテンポや間合い、ダイナミクスやアーティキュレーションの変化にも拘る郷古さんのディレクションに対し、躊躇を微塵も感じさせず突っ込んでいく演奏に感動した!郷古さんとオーケストラが同じヴィジョンを共有し、音楽生命体として一体化していた。郷古さんも凄いが、さすがは我ら岡山の人々が誇るのオーケストラだ。
 後半のシューベルトは熊倉優さんの指揮。前半に比べると派手さは無いが、彼独特のセンス・感性なのだろう。岡山フィルの持っている温かいサウンドを引き出しつつ、特に第2楽章に入ってからの滑らかな質感の音を重ねて、この上ない和音の美しさを巧みに引き出していた。今回は35分程の共演に終わったが、岡山フィルとの相性はいいのではないだろうか?
(10月22日追記)
 思えば異例ずくしのコンサートだ。9ヶ月ぶりの定期演奏会、座席は市松模様の配置で奏者もSD(ソーシャル・ディスタンス)を取った配置。指揮者と首席コンマスはドイツから日本に来られず、9月の初旬に指揮者はシェレンベルガーから熊倉優さんに交代が告げられる。当日プログラムを開けてびっくり、前半はヴァイオリン独奏の郷古廉さんの弾き振りとなった。
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※変更前、変更後のチラシ
 岡山フィルは10年ほど前までは年に2回程度(年に1回の年もあった)しか定期演奏会は開催されていなかったから、9ヶ月というブランクは、以前にも見られたこと。しかし、今の2ヶ月に1回のペースに慣れてしまうと、やっぱり9ヶ月は長かったなー。再開一発目の定期は泣いてしまうんじゃないかと思ったが、結果は久しぶりにのオーケストラの音に感動の涙を流す暇なんて無かった。特に前半のヴィヴァルディは夢中になって聴いた。
 ヴィヴァルディは1stVn5→2ndVn-5→Vc3→Va4、上手奥にCb2という室内アンサンブルサイズの編成で、チェロ以外は椅子を使わないスタンディング・スタイルでの演奏。
 郷古さんのアイデア・解釈が非常に個性的。いや、個性的というのは違うな、独自の世界観を持っていて、既存の演奏とは一線を隠しているから、耳にタコが出来るほど聴いてきた曲なのに、3秒先に何が起こるのか全く読めないのだ。この曲の生演奏を、こんなドキドキ・ワクワク・手に汗握りながら聴いたことは無かった。そしてその音色も研ぎ澄まされている。鋭利な刃物のような音・鳥がさえずるような音・嵐の風の音・・・・いろいろなイメージを聴き手に持たせてくれる。
 当日の演奏を反芻するために、色々な音源を聴きながら書いているのだけれど、どの演奏も生ぬるく感じる、それぐらい郷古さんと岡フィルの演奏は良かった。特に各パートの首席が絡んでいくところは郷古さんの挑発を楽しみながセッションしているし(チェロの松岡さん、2バイオリンの釈さんが若い郷古さんと真剣の殺陣でもやっているかのような火花散る演奏に「カッケー!」と鳥肌が立った)、ゲストコンマスの福田さんがこれまた切れ味抜群の演奏で郷古さんとの相性もバッチリだった。
 演奏順を『冬』から始めるという異例の順序によって、『春』から始まる通常の演奏に比べて、この曲が持つ緊張感や激しさが一層浮き彫りになった。冒頭から驚くような仕掛け。最初「えっ音が外れてる」と思ったが、クレッシェンドの先に現出した不協和音の嵐への助走だった!極端な不協和音の中から背筋がゾクッとする鋭い郷古さんのソロ・ヴァイオリンが入ってくる。
 『春』で同じフレーズが繰り返す場面で、ボウイングを変えるたり強弱を強調したりして、飽きさせない。『春』の第2楽章冒頭では物憂げなヴァイオリンソロに絡んでいくヴィオラの七沢さんが、ヴァイオリンソロをかき消すような、かなり強い2つの音で応えるという他の演奏では考えられない解釈だった。
 『夏』も冬に負けないような迫力だった。強弱の変化もかかり極端で、郷古さんの音は突き抜けてはいたが、岡フィルも郷古さんと一体となった見事なアンサンブルを聴かせた(これ、ほんまにyoutubeで出して欲しい!)。
 先週の「THE MOST」が12人でホールいっぱいに豊かな音を鳴らしていることに驚いたが、ここを本拠とする岡フィルも負けていない。この人数では考えられないぐらい弦の音は響いていた。  
 指揮者交代の末に弾き振りという決断をしたこともさることながら金・土の2日(郷古さんは木曜日になんと日本センチュリー定期でベートーヴェンの協奏曲を弾いた後に、この四季のパワフルな演奏をしてくれた)でソリスト&ディレクターとしてここまで仕上げた郷古さんには感謝しか無い。
 オーケストラも凄い集中力だ。何度もこの曲を演奏しているとはいえ、郷古さんの解釈はこれまでの四季とは全く勝手が違っただろうプロの演奏家たちが本気になったらこんな凄い演奏をする。そのプロ集団が岡山にある。そのことを噛み締めた演奏だった。
 
 去年の7月定期で上野耕平さんと共演したイベールの小協奏曲も、室内アンサンブルのサイズの演奏で、光る演奏を聴かせた岡山フィル。恐らくシェレンベルガーさんがこの曲を取り上げた狙いも、小編成の弦楽アンサンブルに磨きをかけ、また聴衆にもこのサイズの演奏の魅力に気付いてもらう目的だったはずで、その目的は充分に達成されたと思う。これは今後のプログラム展開にとっても大きな手応えを得られたのではないだろうか。
 郷古さんのアンコールのバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番の第3楽章も良かった。郷古さんのバッハの無伴奏、全曲で聴きたいねえ。
 休憩後はシューベルトの劇音楽「ロザムンデ」から間奏曲第3番。熊倉さんの選曲かな?この選曲が絶妙で、前半に出番のなかった木管が解き放たれたように朗々と歌い上げる。岡フィルの木管はやっぱりいいですね。
 この日のメインはシューベルトの未完成交響曲。後半からは座席に座って弦は1人1プルト、1stVn8→2ndVn6→Va4→Vc4、上手奥にCb3、1.5m程度離してのSD配置。木管金管は前後に充分スペースを取りつつ、客席と同じように市松模様状の配置。
 第1楽章は、タメやテンポの揺らしなど外連味を一切排し、淡々と進む印象で、正直、前半の四季の演奏と比較すると物足りなく感じていた。
 第2楽章に入って、暖かみのあるハーモニーにハッとする瞬間が次々に訪れ、熊倉さんの音色や音の質感への拘りに気付いてからは、心も体も開いて、岡フィルサウンドに陶然と聴き入った。
 「さあ、N響のパーヴォ・ヤルヴィのアシスタントをきっかけに各地の有力オケから引っ張りだこの期待の若手指揮者、どんな仕掛けをやってくるか?」といった期待をして聴き始めたため、第1楽章での熊倉さんの音づくりに耳が行かなかったのが悔やまれる。
 この完成しなかった交響曲、しかも緩徐楽章でコンサートを締めくくる、というのはとても難しいプログラムだろう。通常は前半に置く楽曲だからねぇ。熊倉さんは第2楽章後半の盛り上がる場面にエネルギーをピークに持ってくる演奏設計だったのだろう。それが奏功して、聴き終わった後には非常に満足感があった。
 熊倉さんは自分の音楽の個性を強く打ち出すタイプではなく、そのオーケストラの特徴や美点を引き出しつつ、自分のアイデアやイメージを入れて音楽を纏め上げていくタイプなのではないかと感じた。各楽器が歌う場面では奏者に気持ちよく演奏させる。この日はクラリネットの西崎さんのソロが良かった。作り出す音は違うがシェレンベルガーも同じ方向性で岡山フィルを引っ張っていくタイプなので、このオーケストラとは相性がいいのではと思う。SD配置という制約の中で、木管・金管と弦楽器の響きが溶け合い、惚れ惚れするような輝きと暖かみのある「岡フィルサウンド」を現出させた。客演指揮者でこれほど見事に引き出した指揮者は居なかった。
 演奏後は、岡山の聴衆にとって待ちに待った岡フィル定期演奏会ということもあって、カーテンコールが止まなかった。最後は熊倉さんが弦の1列目奏者と肘タッチで締めくくってお開きとなった。
 終演後は大阪から来られていたコンサートゴーアーのぐすたふさんと、久しぶりのアフターコンサート(SDに気を付けて、駅前のホテルのカフェにて)で、盛り上がりましたが、この9日間で三度も郷古さんのコンサートを聴いたぐすたふさんと「やっぱり郷古廉は凄い」「岡山まで来た甲斐があった」と讃えあい、岡山フィルのことも「あんな前のめりで演奏される四季は、大阪でもなかなか聴けるものじゃない」「前回(第47回定期)聴いた時から音が変わった、暖色系のとても魅力のあるアンサンブルだね」と、仰ってくださいました。毎回聴いてると、アンサンブルが良くなった事は解っていても、そこまで音が変わっていることに気づかない。岡山フィルシェレンベルガーのもとで、本場の音楽をエッセンスを入れつつ、瀬戸内岡山のオーケストラとして独自の音を獲得しつつあることに確信が持てました。
 今回の『復活定期演奏会』は地元メディアも注目していて、山陽新聞の一面に掲載されたのには驚いた。
oka_phil_3.JPG
 記事のよると今回はSD配置のため900席完売だったそう。来れなかった人も多かっただろうな。
 NHKでも夕方のニュース番組で5分以上に渡って取り上げられていた。その様子の動画を見ることが出来る。
待ってた岡フィル演奏会|NHK 岡山県のニュース https://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/20201019/4020006832.html
 シェレンベルガーさんと高畑コンマスが復帰して、シェレンベルガーさんが指揮台で構えたときのホールの緊張感。ここぞというトッティでのゲルマンの血がたぎるような迫力・・・あの感じがやっぱり恋しい。

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THE MOST のメンバーが出しているCDのリスト [THE MOST]

 先週の「THE MOST」のコンサートの興奮がまだ冷めやらない。恐らく1年後になるであろう次回のコンサートまで待てない!ということで、THE MOSTのメンバーが出しているCD・音源をリスト化してみようと思う。
・福田 廉之介
・倉冨 亮太
・小島 燎
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◇Spotify
◇Spotify
・佐藤晴真(11月に、あのDGからリリース!!)
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 Spotifyと楽天の検索で引っかかったCD音源のみピックアップしているので、他のメンバーも出しているかも知れません。
 うーん、こうしてみると、やっぱり凄いメンバーの演奏を聴いたんだなあ、という実感がじわじわくる。今のクラシック音楽マーケットは、実力があってもCDを出すのが難しい中で、これだけCDを出せているメンバーが集っているというのは、まさにSpecial Talents たちです。

 廉之介くんが合間のトークで「集まったメンバーがあまりにも凄すぎて、初回の練習のときは足が震えた」と言っていたのも解る。コンサートの感想のエントリーで「一人づつ、岡山フィルの定期演奏会にソリストで呼んで欲しい」と書きましたが、『THE MOST のスペシャル・タレントを聴く』シリーズ、ぜひやって欲しいよ。
 年内は彼らのCDを入手して、コンサート当日の演奏の記憶を思い起こしながら、充実した音楽鑑賞タイムを楽しめそうです。

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岡山シンフォニーホールのcovid-19感染防止対策 [コンサート準備]

 先週の「THE MOST」のコンサートでの岡山シンフォニーホールのcovid-19対策をメモしておきます。
・入り口にはサーモグラフィーあり、40インチぐらいの大画面に映る本格的なもので、ウチの職場にあるやつ(PCにUSB接続するやつ、すぐに固まる・・・)とは大違い。物珍しさもあって、サーモグラフィーの前で人が滞留しそうになるのを、なんとか係員さんが誘導(笑)
・チケットは自分でもぎって箱に入れる。パンフレット取りは各自で。当分はこのスタイルが続きそう。他のコンサートのチラシ挟み込みは無かった。
・カフェテリアは営業休止。館内に自販機は無いので、飲み物等は各自で用意が必要。このホールは「ホール内での飲食は固くお断りしております」のアナウンスだが、カフェテリアの前のロビースペースのテーブルでペットボトル飲料を飲むのは大丈夫っぽい。
・SD配席は分散して席が埋まるので、このホール唯一の弱点の「エコー」が発生せず、残響も満席時よりも豊富で音響的には理想的だったかも。
・係員が以前よりも大幅に増員されていて、ほぼすべての扉に配置して、入り口でアルコール消毒を確認している。スプレーポンプも係員が押してくれる。人が不必要にウロウロすることがないように、座席の位置を確認して案内してくれるが、アルバイトさんが不慣れだったのか、案内間違いが多かったようだ。このあたりは徐々に習熟していくだろう。
・退場は「前の列の方から順番にご退場ください」とのアナウンスがあったが、あんまり守られていなかった(笑)
・12月の特別演奏会から全座席を販売。事前にホールから電話があり、満席状態に不安がある人はキャンセル&返金が出来るようだ。でも、あの作曲家のイラストともおさらばすることになるのは少しさみしい(笑)

・最後にホールとは直接関係がないが、城下地下駐車場が車のナンバーを認識して、精算機で精算済みの車両は精算済み駐車券を機械に通さずに自動でバーが上がってスムーズに出られるようになっていた。

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「THE MOST」2020 岡山公演 [コンサート感想]

THE MOST in JAPAN 2020 岡山公演
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音楽監督・コンサートマスター:福田 廉之介
ヴァイオリン: 北田千尋、倉冨亮太、小島燎、小林壱成、周防亮介、竹田樹莉果
ヴィオラ:正田響子、田原綾子
チェロ:上村文乃、佐藤晴真
コントラバス 岡本潤
モーツァルト/アイネ・クライネ・ナハトムジーク K.525
バッハ/2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV1043
    1番ソリスト 第1楽章:三好逞斗、第2楽章:西江春花、第3楽章:春名夏歩
    2番ソリスト:福田廉之介
 〜 休 憩 〜
ドヴォルザーク/森の静けさ(ソリスト:佐藤晴真)
チャイコフスキー/ワルツスケルツォ(ソリスト:福田廉之介)
チャイコフスキー/弦楽セレナード
2020年10月9日 岡山シンフォニーホール
 自分にとっては実に8ヶ月ぶりのコンサートになった。
 18:30分からのプレ・コンサートを途中から聴けたが、あまりにも生演奏から遠ざかっていたので、演奏が耳からしか入ってこない。
 「あれ?コンサートってどうやって聴くんやったっけ???」という状態に陥った。
 最近は、コンサートから遠ざかっているだけでなく、音楽鑑賞もイヤホン・ヘッドフォンで聴いてばかりいたので、身体全体で聴くことを忘れてしまっていたのだ。
 しかし、プレ・コンサートのハイドンの皇帝カルテットを聴いていくうちに、身体全体で聴く感覚、身体も心も、毛穴まで開いて聴く感覚を思い出していった。
 この「THE MOST」は凄い、凄すぎる。メンバーの経歴を見て、いい演奏になりそうだとは思ったが、若くて才能があって、まさに昇龍の如き伸び盛りの音楽家が12人集まったら、想像を超える化学反応が起こった。チャイコフスキーの弦楽セレナーデは、自分の中では長岡京室内アンサンブルで聴いたものが生演奏では最高だったが、この「THE MOST」の演奏は、それを超えるものだった。
(10月11日 追記)
 この「THE MOST」というのは、岡山県赤磐市出身の福田廉之介さんが立ち上げたアンサンブル。去年から地元のメディアに精力的に福田さんが出演して意気込みを語っていて、僕は単純に「これから世に出ていく若手演奏家のプロジェクト」と思っていたのだが、メンバーが具体的に発表されて驚愕。「おいおい、これは国内トップレベルの弦楽奏者を揃えとるやないか!」と・・・。
 実際、演奏を聴くと本当にソリストレベルの奏者ばかりで、一人づつを岡山フィルの定期演奏会でソリストとして招聘して欲しいぐらい。
 しかも、この「THE MOST」は、打ち上げ花火的なイベントではなくて、クラシック音楽の普及を本気で目指していく団体になるようで、すでに5月に社団法人を設立して、福田さんが理事長として会見を行っている。
 福田さんは現在20歳。ついこないだは中学生で岡山フィルの定期演奏会に登場して、見事な演奏を聴かせてくる『神童』だったのに、一介の音楽好きのおっさんの想像をどんどん超えていくスケールのデカさに驚かされてばかりだ。
 拠点を岡山に置いて活動されるとのことで、このハイレベルの室内アンサンブルを毎回岡山でも聴くことができるのは、もう楽しみでしか無い。
 1曲目のモーツァルトを聴いて、生演奏を聴ける喜びを噛み締めた。第1楽章が終わった後に、つられて思わず拍手をしてしまった。「THE MOST」は常設のアンサンブルではないし、今回が初めてのコンサートツアーにも関わらず、細かい強弱や音色の変化、特に弱音部の質感に徹底的に拘っていて、メンバーの能力・柔軟性の高さが光っていた。
 次はバッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲。オーディションで選ばれた3人のソリストは、三好くんは小2,西江さんは小6,春名さんは中3。小学生2人は見事な技術を見せてくれ、それに福田さん以下メンバーが合わせる感じ。しかし、中学生の春名さんになると、他の12人の奏者の音を聴きながらアンサンブルの一員に参加し、自由自在な音楽を奏でていく。
 休憩を挟んでドヴォルザーク。佐藤晴真さんは、なんとミュンヘン国際コンクールの覇者。本当に美しくも叙情的なドヴォルザーク、素晴らしい!三顧の礼を尽くして岡山フィルでドヴォルザークのコンチェルトを演奏して欲しいし、彼のリサイタルを岡山でも開催してほしい!
 チャイコフスキーのワルツスケルツォは福田さんのソロ。彼は本当に聴くたびにヴィルトゥオーゾの階段を登っていく。その音に本当に惹き込まれる。ステージではなくホールの天井を見上げて聴くと、福田さんのソロと、このアンサンブルの紡ぎ出す音楽が空中で踊っているのが見えるようだ。
 最後はチャイコフスキーの弦楽セレナーデ。躍動する部分ではとにかくアンサンブルが濃密。12人で演奏しているのに、こんなに迫力のあるサウンドになるものなのか?凄いね。そして、弱音部の表現の多彩さにも。第3楽章での氷点下の冬の朝のような肌がピリピリするような空気が、第4楽章に入ると柔らかく暖かくなっていく。
 このコンサートは「THE MOST」の創立記念コンサートであると同時に、実質的に岡山シンフォニーホールでのコンサートの本格的な開始となる、いわば決起集会と言ってもいいコンサート。ホールの歴史の中でも、サヴァリッシュ&N響の杮落とし公演やシェレンベルガーの首席指揮者就任記念と並ぶ、歴史的公演として記録されることだろう。
 会場は1席飛ばしの「ソーシャルディスタンス席割り」で、85%ぐらいの入り、翌日の新聞記事によると850人入ったそうだが、最後の拍手のボリュームは満席のそれに近い熱気があった。
 開演時には、私自身がこの半年ぐらい、これだけの人が1箇所に集まっているのを見ていなかったので、正直、ちょっとギョッとした(笑)。冒頭でも書いたとおり、生演奏を聴く感触も忘れて身体全体が凝り固まっていのだが、コンサートが終わった後は心も身体もウキウキとほぐれた感じ。大げさかも知れないが、ホールに入る前には、灰色の別の世界に行っていたのが、ホールを出た後はようやく元のカラフルな世界に戻ってこれた、そんな感じだった。

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プロコフィエフ/ヴァイオリン・ソナタ第2番ほか Vn:福田廉之介 [地元で聴ける演奏家の音源]

 DENONが若手有望株の演奏家を発掘して、録音を世に出している「Opus One」レーベルから、地元岡山の新進気鋭のアーティスト:福田廉之介さんの録音が出ている。
 
収録曲は
ワックスマン/カルメン幻想曲
竹内邦光/落梅集~無伴奏ヴァイオリンのために~より『古謡』
プロコフィエフ/ヴァイオリンソナタ第2番ニ長調 Op.94bis
 プロコフィエフはモーツァルトと並ぶ天才作曲家と思う。この2人の共通点は、頭の中から溢れ出てくる音楽に筆が必死で追い付こうとして書かれている感じが、その音楽から感じられること。とすれば、プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタは才能が溢れてこぼれ落ちんとするようなソリストで聴きたい。福田廉之介さんは、間違いなくそうした選ばれたソリストだ。
 ワックスマンのカルメン幻想曲は、福田さんが一生演奏を続けていく曲と決めているそうだ。この曲で自分の演奏の成長や立ち位置を把握するとのこと。この曲の演奏のタイプを乱暴に2つのタイプに分けるとすると、求道者タイプと天真爛漫タイプになるだろうか。このCDでの彼は後者のタイプで、聴くものに夢を見せてくれるような演奏だ。彼がキャリアを重ねるにつれてどういう演奏になっていくだろうか?

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