SSブログ

オーケストラが拓く『創造都市』(その3:『創造都市』とは何か) [オーケストラ研究]

 月1回更新を目指して始めたこの「オーケストラが拓く創造都市」シリーズ。今回はなんとか10月中のアップが出来ましたが、調べていくと色々と面白いことが判って、その分、色々と目を通す資料が増えてしまい、更新速度の確保が難しくなりそうです。ただ、アクセス数がやはり他の記事よりも多く、書き甲斐はあります。ぼちぼち更新しますので気長にお付き合いを。
 ※前回までの記事へのリンク
 ※2018年に連載した「オーケストラ研究」シリーズの目次へのリンク
 私が『創造都市』という言葉に初めて接したのは、2008年頃。橋下徹大阪府知事による大阪センチュリー響や大阪フィル、文楽などの文化芸術団体への補助金廃止問題が持ち上がった頃、『創造都市』の観点から府知事の方針に反論しているtweetを見つけたことが最初だった。

 今となってはそのときに見たテキストがネットの海の中から見つけられないのだが、当時のメモを頼りに復元してみると、こういう内容だったと思う。

「ポスト(規格大量生産型の)工業国家における都市のモデルとして、最も有力なのが『創造都市』のモデル。オーケストラは大阪の産業経済にイノベーションを起こすアクターになる可能性を秘めている。そんな財産を存続の危機に晒すなどあまりにも馬鹿げている。
 産業業空洞化と財政危機に直面した欧米諸都市は、芸術文化が持つ創造的なパワーを原動力に、産業を再生させてきた。大阪も含めた日本では、都市の中での文化芸術部門を、コストセンターとして捉えている。しかし創造都市モデルではプロフィットセンターになり得る。そんな都市政策の潮流を見誤る為政者は改革者とは言えない。」

 当時の私には『創造都市』モデルについての知識がなく理解も出来ていなかったが、今から思えば、オーケストラへの支援の打ち切りに抗する有力な論拠になり得たかも知れず、勿体なかったなと思う。当時は、「文化芸術に対して行政が支援をするのは当然、あまりに理解がなさすぎる」という主張と、「一部の受益者しか居ない事業に税金を投入することはまかにならん。そんなに大事なら自分でお金をだせ」という主張が対立し、感情的な分断が起こり、それこそ、当時の大阪維新支持勢力の思うつぼになってしまった。

 次に私が『創造都市』というワードに触れたのは2016年に開催された、岡山芸術交流という国際現代芸術祭だった。岡山芸術交流はマスコミ、特にアート系の媒体への露出が多く、海外ではスペインのビルバオやスコットランドのグラスゴー、国内では横浜や金沢など、現代芸術が都市の産業や文化を再生させてきた経緯を知る機会が多くなった。
DSC01494.JPG
 そして、岡山でも明らかに『創造都市』を意識した都市の成長戦略が動き出した。一番明確な形で現れたのは、岡山市民会館の移転新築計画の具体化だろう。新しい市民会館は「岡山芸術創造劇場」という名前が付き、岡山フィルや岡山シンフォニーホールを運営する公益財団は『 岡山文化芸術創造』に名称変更するなど、やたらと『創造』というワードが使われるようになった。
hall_image2.jpg
※2022年度に開館予定の『岡山芸術創造劇場』の完成イメージ(岡山市HPから)
 岡山における『創造都市』への動きについては、いずれ詳しく考察したい。
 
 それでは創造都市とは何ぞや?ということを、各論客のパッチワーク的ではあるが、自分なりにまとめてみようと思う。

 まず国内において『創造都市』を提唱し続けている佐々木雅幸氏の、「創造都市」の定義を見てみよう。
 『創造都市とは、市民の創作活動の自由な発揮に基づいて、文化と産業における創造性に富み、同時に、脱大量生産の革新的で柔軟な都市経済システムを備え、グローバルな環境問題やローカルな地域社会の課題について、創造的問題解決を行えるような『創造の場』に富んだ都市である』

 具体的には、文化芸術の力によって、付加価値の高いもの、感性を刺激するもの、デザイン性の高いものをその都市の経済の中にビルトインしていくことによって、その都市の産業のイノベーションを誘発する、ということになるようだ。

 本場のヨーロッパでは、リチャード・フロリダが『創造階級集積論』という、ちょっと刺激的な理論を展開している。

技術中心主義は地域経済を救えない企業を超えた創造的階級集積の勧め リチャード・フロリダ INTERVIEW DIAMOND ONLINE

 ポスト工業国家の産業を中核人材となる、科学・技術・建築・デザイン・教育・芸術・音楽・アート・娯楽などの活動に従事し、新しいアイデアを作り出す人々を『創造的階級』と称し、事実、アメリカではこの『創造的階級』に属する人々は全従業者の30%、約3900万人にあたり、アメリカの産業経済を支えているそうだ。
 「階級」という言葉は少々選民意識の刺激臭が強すぎて日本にはなじまないが、おそらく創造的人材「集積」と考えて間違いはないと思う。
 20世紀の工業国家では、技術力とそれを理解する知的水準の維持が必要であって、個々人の創造性・価値観の多様性は大きな比重を占めなかった。しかし、ポスト工業都市としての産業の活性化のためには、個人の自由な創作活動を保証し、宗教・人種・国籍・性的価値観が多様な創造的人材をどのように集積出来るかが鍵を握っている、というのだ。

 イギリスの都市計画家のチャールズ・ランドリーは、芸術文化が持つ3つの力として、
①人材を集積する力
②社会問題を解決する力
③産業構造を転換する力
 を挙げており、産業空洞化と財政破綻の中で文化や芸術を生み出す過程での『創造力』こそが、最終的な国家の財政的支援から独立して都市や地域を蘇られせる原動力となる、としている。産業構造転換の中で生み出されるビジネスへのアイデアは、全くゼロから生み出されるものではなく、都市の文化や伝統というベースの中から「過去との対話」の中で生み出されるものであり、文化と創造は相互に影響し合うプロセスであるとしている。
 岡山において、やたらと『創造』の言葉が多用されるようになってきたのは、恐らくこの『創造都市』モデルを意識していると考えて間違いないと思うが、都市の文化芸術の方向性の基本計画となる岡山市の芸術文化振興ビジョンには、『創造』という言葉が17回も使われている一方で、『創造都市』については不思議と一度も触れられていない。

 一方で、これらの『創造都市』の考え方を、国内のある都市は文化振興プランに盛り込んで、鮮明に打ち出している。
 その都市とは、前回のラ・フォル・ジュルネの開催都市として名前が上がった新潟市である。
※次回に続く

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。