SSブログ

シェレンベルガーから秋山和慶へ、新時代に突入する岡山フィル(その4:最終回) [岡山フィル]

 前回と今回は、2022年4月の秋山ミュージック・アドバイザー(以下、秋山MA)の就任後の岡山フィルについて予測してみたいと思う。予測の内容は独断と偏見によるものだが、秋山さんの広響や中部フィルでの実績や、秋山さんの回想録の記述などを根拠としている。


過去記事はこちら



シェレンベルガーから秋山和慶へ、新時代に突入する岡山フィル(その3)

 今回は秋山ミュージック・アドヴァイザー体制において、岡山フィルがどのような方向へ向かい、どのようなプログラムが取り上げるのかについて考えてみたい。

 ここでまず、秋山さん自身の人柄や考え方を知るために、回想録などからエピソードを集めてみよう。

○理想は「今日、指揮したのはだれだっけ?」
『今日は秋山がこんな風に振ってた』なんて言われるようじゃまだまだ、自分を消し、作曲家の世界をどれだけ高い純度で人々の心に届けることができるか。だから「今日、指揮したのはだれだっけ?」となるのが理想。

○音楽を利用して自分の名声を高めようとしてはならない
 斎藤秀雄からの教えであるこの言葉を自身の信念とする。だから、「有名楽団の指揮者に鳴り物入りで就任して、数年でさよならというのは、私は興味がありません」と断言する。岡山フィルの仕事を引き受けたのも、こうした秋山さんの信念によるものだろう。

○指揮者生活最高の思い出は5ルーブル銀貨
 広響のサンクト・ペテルブルグ公演の最終リハーサルの時に、楽屋裏の食堂のおばさんがつかつかやってきて、涙を滲ませながら「私はここで40年働いていて、この曲は何度も聞いたが、これほど胸を打たれたことはない」「私にできることはこれしか無いですが」と言って帝政ロシア時代の五ルーブル銀貨をくれた、それが50年の演奏活動の中で最高の思い出と語る。

○言葉をなるべく使わず指揮の動作で伝える
 オーケストラのリハーサルの際はなるべき言葉を使わず、指揮の動きで伝える。腕を振る速度、大きさ、手の表情などで、無尽蔵のニュアンスを伝えることができると断言する。秋山さんのタクトは、それ自体が芸術だ、という人も多い。

 次にオーケストラの体制整備について。秋山さんは、日本の若い奏者のレベルは年々高くなっており、世代交代すればオーケストラのレベルは上がる、との考えを持っている。広響を見ても、秋山さんの時代にも世代交代が進み、演奏レベルが飛躍的に上ったことは証明済。

 そこで筆者が注目しているのは前回エントリーで少し触れた、中部フィルで前代未聞の大改革だ。
 
 2013年に中部フィルのレベルアップのために、既存の楽団員の再オーディションを行って、10名の団員の契約の更新を見送った。
 プロのオーケストラに入るためには、当然、オーディションを経て入団している、その過去に合格したオーディションをチャラにして、やり直すというのは大変な軋轢を生んだことは想像に難くない。
 この改革は労使問題に発展し、日本音楽家ユニオンでも「争議重要問題」として取り上げられている。

 一方で「中部フィルだより15周年記念号」によると、この再オーディションを最終的に受け入れた背景には、あるアーティストとの共演で、「演奏上の不具合」についてそのアーティストが激怒し、以後の共演を断られるという事態に直面した事件があったようだ。
 また、地元紙の報道では(一次資料が有料のため見ることができず、二次資料での確認になるが)、「仲良しクラブから脱却しなければ」「甘えを捨て、改めてプロとしての覚悟が出来た」との当時の楽団員の声が取り上げられている。
 こうして見てみると、秋山さんが強権で改革を断行したのではなく、「このままじゃダメだ」という思いをもった楽団員と共有しての改革だったと言えるだろう。

 一聴衆として他のオーケストラの演奏も聴いてきた実感としては、岡山フィルの個々の奏者のレベルはそこまで深刻な状況とは思えないが、プロのオーケストラビルダーの秋山さんがどう判断するか?
 また、岡山フィルの公演数が激増し、例えば年間50公演を超えるようになれば、楽団員の入れ替わりはかなり起きると思う。公演数が激増し、また初めて演奏するプログラムを次々にこなしていく状況になれば、付いていけない人や、オーケストラ奏者よりも個々の演奏活動や教育活動にプライオリティーを置きたい奏者も出てくるだろう。逆に水を得た魚のように、オーケストラ奏者としてのレベルアップに遣り甲斐を感じる人も出てくる。
 そうした楽団員の入れ替わりの中で、岡山フィルの音をどう繋いで、レベルアップも図っていくのか?秋山さんとの5年の時間は飛躍の前の正念場になるだろう。

 次にオーケストラ・ウォッチャーとして妄想が広がるのは、秋山&岡フィルのプログラミングである。

 その2でも触れたとおり、秋山さんはバロックから現代音楽まで膨大なレパートリーを持っている。
 回想録には、「オーケストラは古い曲や同じ曲ばかり演奏していてはマンネリに陥る。どんな曲でもこなせるようにしなくてはいけない」と述べていることから、これまで岡山フィルでは採り上げられなかった楽曲が一気にプログラムに載るようになることは確実だ。

 それでは今後採り上げられそうな楽曲を大胆に予想してみよう。
 まず、前提条件として岡山フィルを日本オーケストラ連盟正会員レベルの楽団を目指すのであれば、定期演奏会は年に6回〜8回程度に増やしてレパトリーの拡大とレベルアップを成し遂げる必要があり、また、依頼公演をどんどん取ってくるためには、オーケストラ奏者が「本業」に出来るコアメンバーを固めて行く必要がある。そうなると予算的にもエキストラてんこ盛りとなる3管以上の編成を組めるのは年に1〜2回程度、2管編成で演奏可能な楽曲が中心となるだろう。

 秋山さんが特に取り上げるであろう楽曲を、独断と偏見でランク付けしてみよう。

AA(採用確率80%以上)
モーツァルト/28番以降の交響曲(2管)
シューベルト/交響曲第4番「悲劇的」、第5番、交響曲第8番「グレイト」(2管)
ベルリオーズ/幻想交響曲(変則2管)
フランク/交響曲(2管)
ブラームス/交響曲第2番(2管)
シューマン/交響曲第3番「ライン」、第1番「春」(2管)
ワーグナー/序曲、前奏曲(2管)
チャイコフスキー/交響曲第1番、第4番(2管)
シベリウス/交響曲第2番(2管)
ラフマニノフ/交響曲第2番(3管)
R.シュトラウス/ドン・ファン、死と変容(2管)
バルトーク/舞踏組曲(2管)
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥(1919版)」(2管)
三木稔/オペラ「ワカヒメ」組曲
 岡山フィルはシェレンベルガーがベートーヴェンとブラームスの交響曲全曲を演奏しており、秋山さんがその成果をどのように評価されるかだが、私はベートーヴェンは主要作品を再度採り上げつつも、ブラームスは再度の全曲演奏を行うかも知れない、と考えている。特に第2番については、秋山さんの思い入れも強く、オーケストラの実力を図るために、早期にプログラムに上げるのではないだろうか。
 十八番のチャイコフスキーの1番、シューマンの3番、シベリウスの2番、ラフマニノフの2番、コロナ禍による中止で飛んでしまった「火の鳥」かなりの確率で5年間の間に採り上げられるだろう。

A(採用確率60%以上)
ハイドン/ロンドンセット(2管)
シューマン/交響曲第2番(2管)
ブルックナー/交響曲第3番(2管+α)、第5番(2管+α)、第7番(2管+α)
マーラー/交響曲第4番(変則3管)、第5番(変則3管)、交響曲「大地の歌」(3管)
シベリウス/交響曲第1番(2管)
ラヴェル/ダフニスとクロエ第2組曲(3管)、スペイン狂詩曲(2管)、ラ・ヴァルス(変則2管)、クープランの墓(2管)
R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」(3管)、ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯(3管)
バルトーク/管弦楽のための協奏曲(3管)
エルガー/エニグマ変奏曲(変則2管)
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「ペトルーシュカ(1947版)」(3管)ストラヴィンスキー/ディベルティメント
プロコフィエフ/交響曲第1番「古典」(2管)
武満徹、細川俊夫、など邦人作品
B(採用確率40%以上)
ブルックナー/第8番(3管)、第9番(3管)
マーラー/交響曲第9番(4管)
シベリウス/交響曲第5番(2管)、第6番(2管+α)
チャイコフスキー/マンフレッド交響曲(2管)
ヒンデミット/交響詩「画家マチス」(2管)
ニールセン/交響曲第4番「不滅」(3管)
ヤナーチェク/シンフォニエッタ(3管)
プーランク/シンフォニエッタ(2管)
プロコフィエフ/交響曲第5番(3管)、第7番「青春」(3管)
シェーンベルク/室内交響曲第1番(3管or1管)、
 上のA,Bで挙げた曲は、そのほとんどが岡山フィルでは採り上げたことがない曲ばかりだ。中には3管編成以上の大規模な編成を要する楽曲もあるが、オーケストラの演奏能力向上のために予算と相談しながら採り上げてくると思う。
 私はブログの感想で、「岡山フィルの演奏は、他の国内のオーケストラと比べても遜色がない」「コロナ禍で遠征が出来なくても、岡山フィルの演奏が聴ければ充分満足できる」と書いてきた。その感想に嘘はないが、かといって岡山フィルが「真のプロ・オーケストラ」か?と聞かれれば、現状では「まだまだ」と言わざるを得ない。真のプロ・オーケストラになるためには、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーやドヴォルザークなどの重要作品を高水準で演奏できるだけでなく、A,Bで挙げたような曲を3日のリハーサルだけで完璧に仕上げて本番を成功させ、それが終わるとすぐさま初経験の曲を3日で仕上げて本番を成功させる、そんな繰り返しをこなせるタフさが必要だ。
 実は私は近年の岡山フィルの演奏水準の充実に比べて、音楽雑誌に演奏会表などが採り上げられることが少ないことに疑問を持ち、雑誌への意見投書などを行ったが、その際に思い知ったのは、狭いレパートリーの中でいい演奏するだけではプロ・オーケストラとして認められることは無いということだ。恐らく岡山フィルもその事を知った上で秋山さんを後任に選んだのだろうと思う。

C(可能性は殆どないが、秋山さんの指揮で聞きたい曲)
ヒンデミット/ウェーバーの主題による交響的変容(3管)
ウォルトン/管弦楽のためのパルティータ(2管)、交響曲第1番(2管)
バーンスタイン/交響曲第2番「不安の時代」(3管)
アダムス/室内交響曲(変則1管)、「中国のニクソン」より「主席は踊る」(2管)
バルトーク/弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽(弦・打)
プーランク/バレエ組曲「牝鹿」(3管)
ツェムリンスキー/叙情交響曲(3管)
ルトスワフスキ/管弦楽のための協奏曲(3管)、交響曲第1番
コリリアーノ/交響曲第1番(3管)、ハーメルンの笛吹き(3管)、レッド・ヴァイオリン(弦・打のみ)
 このCグループの楽曲は、もはや私の趣味の選曲である。しかし、秋山さんのレパートリーにあるこれらの曲を岡山フィルでも採り上げられるようになったとき、岡山フィルは「真のプロ・オーケストラ」になったと言えるだろう。
 そうなれば編成上の都合で採り上げることが難しい曲でも広響やセンチュリー響との合同演奏であれば可能性はあるかも知れない。現状では岡山フィルと広響やセンチュリー響とはレベルが違いすぎて、夢のような話だが、現実に秋山さんが芸術監督を務めている中部フィルはあの名古屋フィルとの合同演奏により、マーラーの交響曲第2番「復活」を演奏している。
 とまあ、色々妄想は広がったが、まずは楽団からの来季プログラムの公式発表を待ちたいと思う。

nice!(1)  コメント(2) 
共通テーマ:音楽

シェレンベルガーから秋山和慶へ、新時代に突入する岡山フィル(その3) [岡山フィル]

 今回と次回の記事では、2022年4月以降の秋山ミュージック・アドバイザー(以下、秋山MA)の就任後の岡山フィルについて予測してみたいと思う。予測の内容は独断と偏見によるものだが、秋山さんの広響や中部フィルでの実績や、秋山さんの回想録の記述などを根拠としている。


過去記事はこちら


シェレンベルガーから秋山和慶へ、新時代に突入する岡山フィル(その2)

 シリーズ(その2)でも触れたが、新聞記事や岡山フィルの公式発表の内容を整理すると、次のとおりとなる。

・秋山和慶ミュージック・アドバイザーの人気は2022年4月から5年間。2022年5月22日の定期演奏会が就任披露公演となる。

・ミュージック・アドバイザーとして演奏会の曲目やソリストの選定などを行う。

・定期演奏会を中心に年4回程度を指揮する予定。

・事務局は岡フィルの培ってきた音楽をさらに高め、真のプロオケとなるために力を貸してほしいと就任を打診した

・プログラム編成や新たな団員の人選、将来的な楽団の方向性まで、幅広い視点から運営にも関わっていただく

・幅広いレパートリーを持てるよう、世界中の楽曲や難しい曲にも挑戦していく

・全国のオーケストラと肩を並べられるよう着実にレベルを上げていきたい

・まだまだ発展途上の楽団で、やりがいを感じる。良い演奏を重ねていく中で岡フィルの音楽性を見定めていきたい

 岡山フィルの定期演奏会は年に4回、ここに第九、ニューイヤー、企画特別の4回加えて、看板となる主催公演は7回となっている。このうち秋山MAが指揮するのは4回ということで、岡山フィルの主要演奏会の約半分の指揮をお願いすることになる。

 最初の1年間は、岡山フィルの方向性を見定めるための時間となるだろう。「良い演奏を重ねていく中で岡フィルの音楽性を見定めていく」のと同時に、どの程度の事業規模を目指すのか。楽団員の編成や待遇をどのようにしていくのか。決めるべきことは多い。
 シェレンベルガーは8型2管編成を標準編成として、モーツァルトから中期ロマン派を中心としたレパートリーを想定した、45人程度のオーケストラ・サイズをイメージしていたと思われる。
 一方で秋山さんはバロックから現代音楽まで幅広いレパートリーを持つが、真骨頂はやはり現代音楽と大編成の楽曲になる。



 たびたび取り上げ、秋山和慶の名を日本洋楽史に刻み込む名演を生んだシェーンベルクの「グレの歌」はオーケストラ150名、合唱250名という大作。これだけの作品を振れる指揮者は日本に数人しか居ないだろう。


 しかし、岡山フィルにおいてこの規模の作品を採り上げる機会はほとんど無いと思う。私は岡山の都市規模を考えると、オーケストラ・アンサンブル金沢ぐらいの室内管弦楽団サイズにして、常任指揮者もこのサイズにあった人(OEKのミンコフスキや神戸市室内の鈴木秀美のような)を招聘するのが、もっとも特徴が出るのかな?と考えていた。このサイズであれば一人あたりの給料を高くして人材を集めることも可能だからだ。
 シェレンベルガー時代にはR.シュトラウスやマーラーなど大規模編成の楽曲も取り上げたが、私が印象に残っているのは、モーツァルトの交響曲やアンサンブル・ウィーン=ベルリンとの共演での木管協奏曲、上野耕平との共演でのイベールの小協奏曲など、小編成の楽曲で普段とはレベルの違う純度の高い演奏をしていたことだ。

 そんな中での秋山MAの就任、楽団側の演奏水準の一層の向上への意欲は確かに感じられるのだが、岡山フィルの将来イメージがかえって見えにくくなったと感じる。

 広響の場合を見てみると、定期演奏会のプログラムは予算上の制約も勘案して、まず事務局で原案を作成して、その中から秋山さんと相談して決めていく形を取っていたそうだ。秋山さんの真骨頂は大編成の曲であることは重々承知をしつつ、プログラムにお金をかけられない経営環境のため、事務局側は大曲の採用を希望する秋山さんに無理をお願いする形になっていたとのこと。
 実際に、東響や九響などでのプログラム(前回記事で触れた大管弦楽と合唱による「ベルシャザールの饗宴」は大フィルと九響の合同企画だった)に比べて、広響では「ディスカバリーシリーズ」で取り組んだ、モーツァルト・ハイドンや、広響の名を全国のファンに知らしめるきっかけとなった北欧音楽の名曲・秘曲シリーズも、編成上の成約や広島という街の雰囲気や特徴を生かしたプログラムだったことが解る。


 バロックから現代音楽まで、室内管弦楽団サイズから16型4管編成まで、秋山和慶の膨大なレパートリーのどの引き出しを使うのか?その中でシェレンベルガーとの9年間のレガシーをどう生かしていくのか?岡山フィルは広響よりもさらに予算上の成約がキツイはず、2022年のプログラムが発表されれば、秋山MA体制での戦略や想定されるレパートリーは見えてくるだろう。


 次に、岡山フィルが目指すべき事業規模について考える上で、大いに参考になるのが中部フィルの事例だ。
 中部フィルは名古屋フィル、セントラル愛知交響楽団に続いて、名古屋圏で三番目に発足したオーケストラで、現在日本オーケストラ連盟準会員。以前紹介した富士山静岡交響楽団とともに、正会員昇格に最も近いオーケストラと言われている。

 その中部フィルについて、岡山フィルと比較してみよう(データは2018年)

       中部フィル   岡山フィル
設立年月日  2000年   1992年
本拠地    小牧市     岡山市
本拠地人口  15万人    72万人
専任指揮者  秋山和慶    シェレンベルガー 
年間公演数  51回     19回
定期演奏会   5回      4回
主催公演数  11回     13回
依頼公演数  40回      6回
楽員数    43人     41人
総事業費   2億1386万円  1億 55万円
演奏収入   1億4909万円    4879万円
(楽員一人毎)  (347万円)   (119万円)
民間支援     5504万円    500万円
自治体支援    420万円    5136万円
総入場者数  41,333人     37,988人
法人格    認定NPO法人   公益財団法人

 中部フィルと岡山フィルは総事業費にして2倍、公演数は2.5倍。楽員一人あたりの演奏収入は3倍の開きがある。ただし、総入場者数にそこまで開きがないのは、中部フィルの本拠地である小牧市市民会館の定員が1300人(岡山シンフォニーホールは2000人)と少ないことと、岡山フィルの場合は自治体からの支援によってチケット代が抑えられて、見かけ上の演奏収入が少なくなっていることが挙げられる。


 両者の大きな違いは依頼公演の数。岡山フィルが飛躍するためには、この依頼公演をどれだけ取ってくるかにかかっているだろう。

 また、中部フィルの総事業費、演奏収入の規模は、なんと日本オーケストラ連盟正会員の常設オーケストラ:セントラル愛知交響楽団の額を上回っているのだ(2018年データ)。


       中部フィル   セントラル愛知響 

総事業費   2億1386万円  1億6714万円
演奏収入   1億4909万円    1億2761万円
(楽員一人毎)  (347万円)   (271万円)
民間支援     5504万円      538万円
自治体支援    420万円    2588万円
総入場者数  41,333人     47,300人


 中部フィルの常設オーケストラ化(連盟正会員加盟)は目前に迫ってきていると見ていいだろう。


 しかし、中部フィルは、かつては活動規模はとても小規模なオーケストラだった。


       2006年    2018年
年間公演数  39回      51回
定期演奏会   1回       5回
主催公演数   3回      11回
依頼公演数  36回      40回
楽員数    44人      43人
総事業費   9855万円  2億1386万円
演奏収入   6626万円    1億4909万円
(楽員一人毎)  150万円      347万円
民間支援          2844万円    5504万円
自治体支援   363万円     420万円
総入場者数  25,720人     41,133人


 2006年の数字を見る限り、現在の岡山フィルよりも小さなビジネスだったことが解る。

 中部フィルは2000年に「小牧市交響楽団」として発足。2007年に東海・中部地方一円を活動拠点にするべく「中部フィルハーモニー交響楽団」に改組し、日本オーケストラ連盟準会員に加盟した(そのため公表されている経営指標は2006年からとなっている)。小牧市だけでなく、三重県松阪市、愛知県犬山市、名古屋市でも定期演奏会を開催しているようだ。

 発足時から名誉首席指揮者として関わってきた秋山和慶は、2010年にアーティスティック・ディレクター&プリンシパル・コンダクターに就任。2017年には芸術監督に就任し益々関係を深めている。

 中部フィルの定期演奏会は音楽の友の演奏会評にも掲載されるようになっているが、近年、かなり高い評価を得られるようになってきている。名古屋近辺のブロガーさん達の感想もすこぶる好評だ。

 また、音楽配信サービスを利用してブラームス/交響曲全集をリリースしているが、美しく精緻なアンサンブルを聴かせており、岡山フィルと比較した場合、各パートの首席クラスの音色は岡山フィルも負けていないが、弦の弱音部分の安定性など、総合的には岡山フィルよりも実力は明らかに上であることは認めざるを得ない。
 こうした中部フィルの演奏水準は、日本国内のオーケストラ史上、前代未聞の大改革がカンフル剤となって一気に整備が進んだ。その「大改革」については、次回の記事で触れようと思う。


 秋山さんは、カナダやアメリカのオーケストラ運営での修羅場をくぐり抜け、倒産寸前の東響を再建し、中部フィルを躍進させたオーケストラの運営の実績がある。そうした秋山さんの手腕や覚悟は岡山フィルの発展に必ず良い成果をもたらすだろうと思う。


 次回エントリー


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

シェレンベルガーから秋山和慶へ、新時代に突入する岡山フィル(その2) [岡山フィル]

 今回からは、岡山フィルの次期常任ポスト:ミュージック・アドバイザーに就任する秋山さんについて書きたいと思う。

 まずは秋山さんについての個人的な思いから書ことをお許し願いたい。


 秋山和慶さんの音楽に初めて触れたのは30年ほど前のことになる。その頃、(主に親の奢りで)海外オケの来日公演や大阪のオーケストラの公演に通うようになった。チェコ・フィルやロサンゼルス響、ウィーン響などの眩いばかりのサウンドに感動する一方で、在阪オーケストラの演奏は、オーケストラのパワーには圧倒されるものの(生意気ではあるが)どこかもの足りないものを感じていた。

 そんなときに、秋山和慶の指揮する大フィルの定期演奏会で「シェエラザード」を聴く機会があった。会場は旧フェスティバルホール。その時聴いた大フィルのサウンドの濃密で彫りの深い音の迫力、海の波濤を越えていく船に乗っている情景が浮かぶようなドラマティックな演奏に心から感動した。そして最後の音が鳴った後の会場の熱気は忘れられない。そう、それが初めての「オーケストラの定期演奏会」体験だった。


 オーケストラがその存在をかけて演奏し、耳の肥えた常連の聴衆が期待に胸を焦がしながら聴くハレの舞台。そこで私は国内オケの演奏を聴く醍醐味を味わったのだ。「大フィルって、凄い」「日本のオーケストラって凄い」、会場の熱気あふれるカーテンコールを聴きながら身体が上気するのを感じていた。

 この秋山&大フィルの演奏体験が無ければ、現在のように国内のオーケストラ公演に足繁く通うことは無かったかもしれない。


 その後、就職後の多忙期にオーケストラコンサートから離れる期間があったものの、コンサートに通いつづけ、秋山さんの指揮するコンサートにも何度か足を運んだ。

 私が秋山さんを聴く目的の一つに「コンサートではめったに聴けない知られざる名曲」のナマの音楽体験があった。


 特に広島交響楽団で頻繁に取り上げた北欧の名曲の演奏との出会いは格別なものだった。

202110hirokyo_siberius.jpg


 ならばこれはどうだろう。


 2008年の定期演奏会で取り上げられた、知られざる北欧の作曲家:シンディングとスヴェンセン。  

202110hirokyo_sinding.jpg


 スヴェンセンの交響曲第2番は、冒頭のカッコよさから心を捕まれ、甘くて叙情的でかつヒロイックな和声進行に心を奪われた。「こんなにいい曲がなんで、演奏されないんだ?」と。


 これ以降、秋山さんの指揮する秘曲プログラムに目が離せなくなり、まめにプログラムをリサーチして、取り上げられる曲の音源を聴くようになった。「秋山さんが取り上げるぐらいだから、きっといい曲に違いない」と。結果、ステンハンマル、ニールセン、アッテルベリ、マルティヌー、ホルムボー、アルヴェーン、アイヴズ、ウォルトンなど、音楽鑑賞の守備範囲を拡大していくことが出来た。


202110daiphil.jpg

 ウォルトンの「ベルシャザールの饗宴」は、秋山さんが大フィル定期で取り上げるというのでNMLで試聴してみると、なんという豪華絢爛で魅力的な曲!今でも20世紀の合唱付管弦楽曲の最高傑作と信じて疑わない。しかし、残念ながらコンサートには行けなくなってしまい、ブログで知り合った方にチケットをお譲りした。演奏会後に丁寧なお礼とともにプログラムを送っていただいた。


 秋山&広響の年間プログラムが発表されるたびに、「ええなあ、こんなプログラム。広島に住みたいなー」と思っていた。その当の秋山さんが岡山フィルに来る。さすがに広響のような超絶マニアックな曲は取り上げられないだろうが、従来の岡フィルのレパートリーには無かった楽曲を演奏することは確実だろうと思う。


 一方で秋山さんと岡山フィルとの共演回数は、実はそれほど多くはなかったようで、2007年、2018の第九、今年の矢掛公演の計3回のみのようだ。2018年の第九での共演時に強い印象を残したのだろう。コロナ禍によって岡山フィルもシェレンベルガーもこれまでのような関係を継続するのが難しい環境に陥る中で、「次の指揮者」候補として秋山和慶の名前が上がったものと思われる。

 昨年(2020年)の7月定期(ストラヴィンスキー/火の鳥など)で共演予定だったが、感染拡大のため中止に。今年2月の矢掛公演でお互いの最終確認が行なわれて、晴れて就任の運びとなった模様だ。そう思うと、自主公演が年に十数回しかない岡フィルに、同一年度に2回も登場する時点で秋山MA就任のフラグが立っていたわけだ。

 ただ共演回数は少ないとはいえ、岡山フィルの奏者は、広響が大編成の楽曲を演奏する際に弦楽器を中心にエキストラに入ったりしているので、岡フィルの楽団員の中で秋山さんの音楽づくりに対する理解が深まるのは早いだろう。


 さて、いよいよ岡山フィルが秋山和慶に託そうとしていること、逆に秋山和慶が岡山フィルでやろうとしていることについて考えてみたい。


 シェレンベルガーの退任と、秋山さんの就任についてのニュースは、まず2021年9月24日の山陽新聞に掲載され、翌日の9月25日には早くも解説記事が掲載された。

20211002_okaphil.jpg

※2021年9月25日(土)の山陽新聞記事。『真のプロオーケストラへ』『独自スタイルの形成期待』の文字が踊る。


 これらの新聞記事や岡山フィルの公式発表の内容を整理すると、つぎのとおりになる。

・秋山和慶ミュージック・アドバイザーの任期は2022年4月から5年間。2022年5月22日の定期演奏会が就任披露公演となる。

・ミュージック・アドバイザーとして演奏会の曲目やソリストの選定などを行う。

・定期演奏会を中心に年4回程度を指揮する予定。

・事務局は岡フィルの培ってきた音楽をさらに高め、真のプロオケとなるために力を貸してほしいと就任を打診した

・プログラム編成や新たな団員の人選、将来的な楽団の方向性まで、幅広い視点から運営にも関わっていただく

・幅広いレパートリーを持てるよう、世界中の楽曲や難しい曲にも挑戦していく

・全国のオーケストラと肩を並べられるよう着実にレベルを上げていきたい

・まだまだ発展途上の楽団で、やりがいを感じる。良い演奏を重ねていく中で岡フィルの音楽性を見定めていきたい  


 まず、 気になるのは「ミュージック・アドバイザー」というポストだ。業務内容は「プログラム編成や新たな団員の人選、将来的な楽団の方向性まで、幅広い視点から運営にも関わっていただく」そうで、これはほとんど『音楽監督』に近い仕事内容のように思える。ミュージック・アドバイザーからはじめるのは秋山さん一流のやり方で、まずアドバイザーから関係を初めて、お互いに合えば常任指揮者や音楽監督に進むという手順を踏んで行く広響、九響、中部フィル、そして日本センチュリー、すべてこのプロセスを踏んでいる。そんな中で、もし両者の求めるものが合わなければ、そのときは引き返せるようにする、そういうことだと思うのだ。逆に言えば、岡山フィルも秋山さんから本気度を『試されている』という言い方もできるだろう。
 各論について検討していくために、以前読んだ回想録を読み直す必要がありそうだ。あわせて秋山さんの音楽づくりについては広響との音源も欠かせない。少し時間を置いてから更新しようと思う。 
DSC_1568.JPG

nice!(1)  コメント(2) 

シェレンベルガーから秋山和慶へ、新時代に突入する岡山フィル(その1) [岡山フィル]

 前回のエントリーで岡山フィルの首席指揮者:シェレンベルガーの退任と、その後を受けて秋山和慶のミュージック・アドバイザーへの就任のニュースに触れたが、楽団からも9月25日に正式なコメントが発表さた。

 シェレンベルガーへの熱い感謝の気持ちが込められ、あと半年間、3回の共演を「マエストロの指揮とともに、五感に刻みつけてくだされば」というコメントに心が動かされるものがあった。

 このニュースに接したときは、秋山&岡フィルの新時代の期待よりも、シェレンベルガーの退任への落胆の気持ちが強くて、少々落ち込んでいたが、楽団からのコメントや、SNSなどでの音楽鑑賞仲間からの励ましで、事実を受け入れる気持ちになった。

 特に仲間からの「タイプの違う常任指揮者に切り替ることは(運営がしっかりしているのであれば)とても有益なこと」というメッセージは心に響いた。確かに成長しているオーケストラを思うとき、前の指揮者と次の指揮者、持っているもの全く違う人が継ぐことによって、飛躍的に発展した例は多くあることに気付かされた。


 今年の春頃、岡山フィルの首席指揮者が交代する可能性を知り、シェレンベルガーにどうしても続けてほしかった私は、こんな記事を書いた。



 その中でも、なぜシェレンベルガーの続投が必要なのか、その理由を自分の中でまとめてみた結果

①オーケストラビルダーとしての卓越した能力

②楽団員と向上心を共有した良好な関係を築いている

③聴衆の圧倒的な支持

④シェレンベルガーと開拓すべきレパートリーがまだまだ存在する

⑤国内のオーケストラのヒエラルキーに属さない個性・独自性


 この5つの理由を挙げた。


 今から読むと、まあ、生意気な・・・不遜な記事を書いたものだなあと我ながら呆れ返っているところなのだが、実は頭の中には何人か候補を想定して書いたものだ。海外で経験を積んで、国内のオーケストラのシェフをやった経験があって、でも現在国内オーケストラのポストからは外れていて、だから「岡山フィルの仕事を引き受けてやろうか」という動機を持てる方。


 しかし、蓋を開けてみると秋山和慶がミュージック・アドヴァイザーを引き受けてくれるという。完全に私の想像を超えた結果になった。前回のエントリーでも書いたとおり、80歳になるマエストロは国内オーケストラからひっぱり凧で、とても岡山フィルの常任の指揮者を引き受ける余地はないだろうと思っていたからだ。

20210926-1.png20210926-2.png20210926-3.png

※試しに「ぶらあぼ」で検索して見ると、出るわ出るわ・・・傘寿にして日本で一番忙しい指揮者じゃないかしら。よく岡山フィルの仕事を引き受けてくれたと思う。


 オーケストラ・ビルダーとしての実績は申し分なし。楽団員との関係やトレーナーという面では、シェレンベルガーが超一流の現役器楽奏者である「プレイングマネージャー」型の指揮者で、それゆえにソロや室内楽などの音楽演奏の中で自らの音楽性を伝える術がある点は、秋山さんには無い利点だったとは思う。


 海外の音楽シーンとのコネクションは、バンクーバー交響楽団の桂冠指揮者として毎年、カナダでの演奏会のタクトを振っていて、バンクーバーのご自宅には故人ではアラウ、ワッツ、アシュケナージ、ハレル、現役ではパールマン、エッシェンバッハ、ズーカーマン、ヨーヨー・マらが遊びに来たという。アルゲリッチ、藤村実穂子、マイスキーらが広響で共演したのも記憶に新しい。


 レパートリーに関しては、恐らく国内ナンバーワン、世界的に見ても秋山さんを超えるレパートリーを持つ指揮者は少ないだろう。



 秋山さんの就任によって、国内オーケストラにおける岡山フィルの知名度や地位は間違いなく向上するだろう。一方で、精彩のない演奏になった場合「秋山和慶が振って、この程度なのか」という評価になる可能性がある。シェレンベルガーが開拓した県外からの聴衆を繋ぎ止めるには、秋山さんがポストを持っている広響やセンチュリーに聴き劣りしない演奏を岡山フィルが聴かせる必要があり、これは相当ハードルが上がる。


 岡山フィルにとって、もっとも大きな利点は、秋山さんが最高のオーケストラ・ビルダーであり、東京交響楽団など破綻寸前まで追い込まれた楽団を再建する、あるいは岡山フィルと同じオーケストラ連盟準会員の中部フィルの育成などの経験で培われた具体的な問題解決策を持っていることと、全方位・全時代的にレパートリーの拡大が見込めることだろうと思う。


 秋山さんが来ることによって岡山フィルは、どのように変わっていくのか?ついては、また次回移行のエントリーでじっくり考えてみたい。

 この時期に発表されたことによって、一番大きいのはシェレンベルガー首席指揮者のファイナル興行が盛り上がるということ。

 しかし、それにあたってはシェレンベルガーが並々ならぬ意気込みと犠牲を払っていることを忘れてはならない。まず、2週間の隔離待機。期間が10日間に減少するという話も出ているが、それでもこの10日〜2週間を異国で閉じ込められた生活を強いられるのは、一流の音楽家にとっては大変な犠牲だと思う。
 10月の定期演奏会と同じ時期に予定されていた、シェレンベルガーが審査委員長を努めている国際オーボエコンクールは中止され、また、(シェレンベルガーのHPに掲載されていた)兵庫PACの定期演奏会も正式発表前にプログラムが差し替えられ、10月は岡山フィルとのたった1日の定期演奏会のために隔離待機を厭わず来日することになるようだ。その意気込みや岡山フィル・聴衆への思いを感じながら聴きたいと思う。

 12月の特別演奏会(第九中止に伴う代替公演)のプログラムからもシェレンベルガーの思いが伝わってくる。このコロナ禍によって岡山フィルとの共演だけでなく、岡山大学Jホールでの室内楽シリーズなど、シェレンベルガーのオーボエ演奏を聞く機会を奪われてしまった。そんな岡山の聴衆のために、シェレンベルガーが岡山フィルとの初共演で取り上げた思い出深いモーツァルトのオーボエ協奏曲を取り上げる意図は、岡山の聴衆への気持ちを現してくれていると思うのだ。

202112 oka_phil_tokubetu.png

 メインの「ジュピター」交響曲は2019年のニューイヤー・コンサートでも指揮しているが、期間を開けずに再び取り上げたのは何か意味があるに違いなく。私はこの曲の第4楽章の、延々と続くような「ド・レ・ファ・ミ」のフーガの重なりに、岡山フィルが今後も永続的に発展していくように、との願いが込められていると思う。

 最後の3公演で「シェフ」としてのお別れをする機会が得られたことは、ベルリンでの新しい仕事に打ち込むシェレンベルガーにとっても、秋山さんを迎えて新しいステージに向かおうとする岡山フィルにとっても、いい形でマイルストーンを置くことが出来る。岡フィルのシェフとしてのマエストロとの時間を、それこそ「五感に刻みつける」べく、楽しみにしたいと思います。



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

岡山フィルのミュージック・アドバイザーに秋山和慶氏、シェレンベルガーは名誉指揮者に [岡山フィル]

 今朝の山陽新聞でついに発表されました。

20210924-1.jpg


 岡山フィルの首席指揮者がシェレンベルガーから交代する可能性については、以前のエントリーで述べていて、その後も色々と自分なりに予想を立てていました。「あの人かな?この人かな?う~~~ん、それやったらシェレンさんの方がええよな~、う~ん」と。

 秋山さんの顔もちらっと浮かびましたが、「いや、無理やな」と除外していたんです。



 そらそうです。秋山御大は多忙を極めている。まず、広響と東響の(名誉職ではない実質的な首席客演指揮者のような)桂冠指揮者として年に複数回指揮をして、中部フィルの芸術監督/首席指揮者、日本センチュリー交響楽団のミュージック・アドバイザーとして、かなりの回数のコンサートと楽団運営に携わっており、特に中部フィルは岡山フィルと同じようなポジションのオーケストラで、日本オーケストラ連盟準会員から正会員(常設楽団)への改革の真っ最中。他にも全国のオーケストラからの客演の依頼は殺到し、それに加えて去年はコロナ禍による指揮者変更で秋山さんが呼ばれることが多かったはず。海外の著名指揮者の代役が務まる実力と格を兼ね備えた指揮者は、そうは居ないからです。そんな中で、とても岡山フィルのポストなど引き受ける余地はないだろうと思っていたところの、このニュース。驚きました。「まさか・・・」でした。


 一方で、シェレンベルガーは首席指揮者を退任し、名誉指揮者に就任されるということで、覚悟していたとはいえ、寂しさは募ります。今の岡山フィルは名実ともに「シェレンベルガーのオケ」でしたから。

 ただ、私が一番心配していた、この9年間のレガシーが受け継がれるかどうか、また「世界に開かれた窓」としての存在は維持される処遇は行ったことは良かった。コロナ禍の完全収束はなかなか見通せませんが、名ばかりの名誉職の「名誉指揮者」でとどまらせず、シェレンベルガーさんが来日した際には必ず岡山フィルを振りに来てくれる関係を築いて行って欲しいと思います。まずは首席指揮者として最後のコンサートとなる3月定期演奏会は、お別れのコンサートではなく、「岡山フィル名誉指揮者就任披露公演」として盛り上げたいですね。


 秋山さんは、実は僕が現在オーケストラのコンサートに足繁く通うようになった源流となる経験をさせてくれた思い入れのあるマエストロなんです。大フィルの定期演奏会にはじめて足を運んだのは、朝比奈御大ではなく、当時は首席指揮者だった秋山さんによるシェエラザード@旧フェスティバルホールでした。地元の熱い聴衆に支えられて、凄い演奏をしたときの会場の熱気、そして今でも魅了されてやまない「大フィル・サウンド」の迫力と美しさは。あのコンサートには国内のオーケストラの演奏を聴く醍醐味が詰まっていた。


 シェレンベルガーさん、秋山和慶さんに対する思いは、また記事を改めて書きたいと思います。



 今回はニュースを受けて、ひとまずのエントリーということで。

20210924.jpg

※山陽新聞一面の主要トピック欄にも、堂々と記事が掲載されていた。岡山フィルの指揮者人事は地域にとっても重要なニュースになったんですね。

nice!(2)  コメント(3) 
共通テーマ:音楽

9月の「 I am a SOLOIST」 が楽しみだ [岡山フィル]

 4月、7月と、今年度に入っての岡山フィルも、指揮者やソリストの差し替えが続いている。自分でもわけがわからなくなりそうなので、1月のエントリー記事をその都度更新するようにしている。




 今月には、「I am a SOLOIST」のスペシャル・ガラ・コンサートのプログラムが発表された。


 この企画は、例年だと地元の小中高生を中心とした若い音楽家に、プロのオーケストラと共演する大舞台を踏むチャンスを用意するという企画で、20年近くの歴史があるこの企画に登場した小さなソリストたちの中には、すでにプロとして活躍している人も多い。

 今年は、コロナ禍で出演者のオーディションなどの開催も難しく、また、岡山シンフォニーホールが開館30周年を迎えたこともあり、この企画の卒業生で、超バリバリの第一線で活躍する3人がソリストとして登場する。東京や関西でよくある「3人の豪華ソリストによる三大協奏曲の夕べ」みたいな祝祭的な目玉企画が、地元のプロ・オーケストラと、地元の「若手発掘プロジェクト」出身のソリストだけで出来てしまうというのは、けっこう凄い事かもしれない。

202109oka_phil.jpg


 中桐さんの粒立ちの良い、気品あふれるピアノで聴くグリーグも楽しみだし、森野さんは、フィガロの結婚で見せてくれたスザンナ役に魅了された私としては、モーツァルトのアリアが聴きたいと思っていて、アリアだけではなく、ガッツリとモテット「Exsultate Jubilate(踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)」を聴けるのはとても楽しみだ。


 一番驚いたのは、廉之助くん(「くん」付けは失礼なのだが、地元では皆が親しみを込めて、こう呼んでいるのでご容赦を)がブラームスに挑戦するということ。

 ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、楽曲の構成や40分という規模など、恐らくヴァイオリンのソリスト最大の壁、といってもいい作品。

 高度なテクニックも要求されるが、60人からなるオーケストラがほとんど交響曲とも言える重厚な演奏に対峙してアンサンブルを作っていかないといけない。


 並の演奏家であれば、雄大なオーケストラの前奏が終わった後に登場するヴァイオリンのソロの5小節ほどで跳ね返されてしまう恐れもある。じっさいに、ヴァイオリンのソロが入ってきた瞬間、「えっ、全然ソリストの音が聞こえて来ない・・・」という演奏に接したこともある。


 廉之助くんにとって、今回の共演が初挑戦なのかどうかは分からないが、20歳になった彼が、この巨大な作品をどう料理していくのか?今から興奮を抑えられない。

 廉之助くんが登場したラジオでの情報によれば、彼は現在、ジャニーヌ・ヤンセンに師事しているという。ヤンセンもブラームスの協奏曲を得意にしていて、N響のと共演で聴かせた、骨太で重厚な演奏は、本当に素晴らしかった。


 スイスで色々な影響を受けながら、敢えてブラームスに挑む選択をした廉之助くんの演奏が、本当に楽しみになってきた。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

岡山フィル定期払い戻しチケット代を賛助会費へ [岡山フィル]

 今週の日曜日の岡山フィル定期演奏会は欠席(という表現はおかしいかも知れないが、一応マイシートだから「欠席」でおかしくないはず)した。


 4月後半以降、あれよあれよという間に岡山でのcovid19の感染急拡大があり、これまである程度抑え込んでいた岡山で、これほどの急拡大が起こった原因が英国型変異株の流行なのは間違いないだろう。私の周りでも感染者の発生がちらほら見られ、いよいよ自分の身に迫っていることを実感させた。



 政府が「三密回避」という演繹的推論に基づいた対策から、「人流の抑制」という、いわば帰納的推論に基づいた対策に後退して戦線を立て直す方向に舵を切ったのも、変異株の実態が明らかになっていないことが大きいのだろう。


 職場の方からも県外へ行くことと、人の集まる場所へ行くことを自粛するようにお達しがあり、今回のコンサート出席自粛は、その方針に従った、ということもあるし、何よりも仕事周りでかなり緊迫した中にいると、やはり自粛しようという意識に傾いてしまう。


 一方でクラシック音楽のコンサートは、感染リスクが極めて低いことは、実験や実績の積み重ねにより政府や専門家からも評価されてきた経緯があり、今回の開催についてもGOサインが出たものと思われ、コンサートが開催できた事自体については、本当に良かったと思っている。山陽新聞の記事によれば、聴衆は530人だったとのこと。


感染対策徹底し岡山フィル熱演 定期演奏会、聴衆530人魅了:山陽新聞デジタル|さんデジ https://www.sanyonews.jp/article/1133581


 今回のチケット代は、コンサートに行かない決断をした人に対して、払い戻しをするという取り扱いになった。

 自分は岡山フィルを応援しているし、賛助会員にもなっているぐらいだから、当然、払い戻しを受けないことを決めていたが、ちょっと名案を思いついたので、やはり払い戻しを受けることにした。


 その名案というのは、今回、チケットの払い戻しを受けたうえで、賛助会費に上乗せして寄付するという選択だ。


 岡山フィルは公益財団法人のため、寄附金控除が受けられる(岡山市HPより)。


 10,000円の寄付をした場合は、


 10,000円ー2,000円 × (所得税税額控除40% + 住民税税額控除10%) = 4,000円が還付される。


 つまり自己負担は6,000円で、残りの4,000円は国や県と市が支援してくれるという形になる。


 これを2口20,000円に増やした場合は。


 20,000円ー2,000円 × (所得税税額控除40% + 住民税税額控除10%) = 9,000円が還付され、自己負担は11,000円。この増加する5,000円分の自己負担に、今回の払い戻しチケット代を充てようというわけだ。


 おそらく、今回のコンサートが中止されなかったのも、「国の基準では開催可能」という判断に基づいており、そうなれば緊急事態宣言に基づくイベントキャンセル料支援の補助も受けられないという事情もあったかも知れない。こういう風に思いたくはないが、正式にイベントの中止要請をするよりも国はお金をケチることが出来る。


 芸術・芸能団体に対する支援は、ドイツフランスが去年の春の段階で「必要不可欠なもの」として大規模な支援に乗り出したのに比べると、日本の動きは極めて遅かった。そして、現在においても充分とはいえない。


 そんな中で、払い戻しチケット代を受け取って寄付することで、国や県・市からも岡山フィルにお金を回させることで、一矢(砂のひと粒にもならないが)報いたい思いもあった。

nice!(1)  コメント(2) 

どうなる!?岡山フィルの『次期』指揮者(その3) [岡山フィル]


 前回と前々回で、聴衆の立場から、シェレンベルガーが岡山フィルにもたらしてくれたものを再確認し、次期指揮者に求められる能力を検討してみたが、結論として、『次期』首席指揮者もやはりシェレンベルガーで行くべきだと述べた。


 とはいえ、様々な事情によってシェレンベルガーとの次期首席指揮者契約更新がかなわない場合も想定されうるし、今後、未来永劫シェレンベルガーにやってもらうわけには行かない。

 シェレンベルガーは、初代岡山フィル首席指揮者であり、いつか来る交代機はオーケストラが初めて経験する常任の指揮者の交代になる。
 岡山フィルは2004年に、小泉和裕をミュージックアドヴァイザーを任命しておきながら、いつの間にか辞任して終わっていた(しかもファンには全くアナウンスされなかった)『前科』もある(その後、小泉氏は岡山フィルを一度も振っておらず、楽団初期の音楽づくりに多大な功績を遺したマエストロとの関係が断絶してしまった)。

 いつかは来る指揮者交代に備えて、主に関西と広島の指揮者交代劇から、ポスト・シェレンベルガー体制への最良の移行方法について考えてみたい。



 まず、抑えておきたいのはオーケストラのコンサートに来るファン層には、そのオーケストラ自体のファンと、アーティストについていくファンの二種類があることだ私はおそらく前者に属するタイプ(岡山フィルそのもののファン)で、ソリストが誰であろうが、指揮者が誰であろうが足を運び続けるだろうが、数としては私のような人間の方が少数派だろう。多くのファンはアーティストについていく形でコンサートに足を運んでいる。だからこそ、楽団運営者はコンサートに招聘するソリストや指揮者の選定に頭を悩ませ、人気に火がついたアーティストを何度も招聘したりするのだろう。


 指揮者人事についても同じである。常任の指揮者を交代するということは、その指揮者についてきたファンをゴソッと失うことにも繋がるのだ。

 ここ10年の関西及び広島の楽団の指揮者交代劇を見てみると、例えば広響の常任指揮者・音楽監督を18年にわたって務め、広響を国内有数のオーケストラに育て上げた秋山和慶から、次の下野竜也への交代の際は、秋山和慶を終身名誉指揮者に任命し下野体制発足後も定期演奏会などの重要な演奏会でタクトを依頼しており、良好な関係が続いている。

 このように楽団に多大な貢献を行った指揮者が常任ポストを退任後、桂冠指揮者や名誉指揮者として引き続き演奏会に出演するパターンは大阪フィル(大植英次)や、関西フィル(飯守泰次郎)などが採用し、前常任指揮者についているファン層を失わないように慎重に体制移行を進めている。


 オーケストラの定期演奏会は、主催者が一方的に決めた日時と場所に、聴衆の側が苦心してスケジュールを調整し、交通費を払って足を運ぶ必要がある。旅行や映画鑑賞やアート巡りなど、時期を自分で決められる娯楽と比べると、ある意味とても「不自由」だ。そのため、聴き手の仕事や家庭生活の変化などによって、優先順位なんて簡単に入れ替わる。ましてや県外から足を運んでいる聴衆は、相当な動機がなければ足を運ばなくなってしまう。常任の指揮者交代はコンサートへのプライオリティが下がる契機になってしまうのだ。


 また、最近の各オーケストラが力を入れているのが、「ファイナル・シーズン興行」だ。常任の指揮者の任期が満了する1年以上前から、現常任指揮者の最後のシーズンになることを公表し、興行を盛り上げるのだ。

 事例を具体的に見てみよう。

事例①大フィル
 朝比奈隆の後をついで2003年に音楽監督に就任した大植英次の退任前最後のシーズンとなった2012年度は、「エイジ・オブ・エイジ・ファイナルシーズン」と銘打って、大々的な興行を打った。

jikisikisya03.JPG

 定期演奏会に4回登場するだけでなく、大植の十八番のチャイコフスキーの交響曲チクルス、任期が終了する3月31日には「大植英次スペシャルコンサート」と題してブルックナー/交響曲第8番を演奏。カーテンコールは鳴り止まず、大植が客席に降りて喝采を送るファンと交流する場面もDVDに収められている。

 このコンサートの現場に居た聴衆の一人であったブロガーさんのによれば、それは退任コンサートと言うよりも歌舞伎の「襲名披露」のようだったそうだ。



 事実、大植英次は音楽監督退任と同時に「桂冠指揮者」に就任。引き続き大阪フィルの定期演奏会に年に1度出演し、また大阪クラシックでのプロデューサーを続けるなど、大阪フィルと深い関係を続けている。私は大植の退任後の2013年4月に開催されたフェスティバルホールのこけら落とし公演(マーラー/交響曲第2番『復活』)に足を運んだが、客席は満席で、熱気も凄いものが合った。大植英次についているファンが引き続き大フィルを支えていることを実感したのだった。


 一方で、大植英次の音楽監督退任後に、ある変化が起こった。それは定期演奏会会員(岡山フィルでいえばマイシート)の落ち込みである。大植英次ファイナルシーズンとなった2012年度の定期演奏会会員は1870人。ザ・シンフォニーホール2日公演分の約6割の座席を会員が占めていた。ところが翌年の2013年度は一気に1428人にまで落ち込んでしまう。

 原因は、2013年度が常任の指揮者が不在となったことが大きい。翌年、井上道義が首席指揮者に就任するまで一年間、楽団の顔となる指揮者が居なかったことが招いた事態であった。



事例②関西フィル
 常任の指揮者交代で、近年、もっとも成功したのは関西フィルであろう。

 2011年に行われた関西フィルの常任指揮者の飯守泰次郎から、音楽監督のオーギュスタン・デュメイへのバトンタッチは、見事なものだった。

 布石は前年度の2010年度シーズンから始まった。この年、常任指揮者:飯守泰次郎、首席指揮者:藤岡幸夫に加えて、フランスのヴァイオリン奏者の巨人:オーギュスタン・デュメイを首席客演指揮者に招聘し、関西にデュメイ・ブームが起こった。オーケストラの指揮だけでなく、ヴァイオリンのソリスト、関西フィル楽団員との室内楽での共演などで関西フィルに新風を吹き込み始めた姿は、まさに岡山フィルにおけるシェレンベルガーに重なるものがある。

jikisikisya04.JPG

 翌年、満を持して、オーギュスタン・デュメイを音楽監督に任命。飯守時代からデュメイ時代へのバトンタッチが行われる。


jikisikisya05.JPG


 飯守泰次郎は桂冠指揮者に就任し、引き続き関西フィルのタクトを振ることになったのだが、凄いのはその中身である。

jikisikisya06.JPG


 どこか名誉職的なニュアンスのある「桂冠指揮者」像を覆す驚きの内容だった。なんと2011年から10年におよぶブルックナープロジェクトを始動。常任指揮者時代から続いていたワーグナーのオペラの演奏会形式シリーズも継続するという。

 関西フィルの演奏水準を著しく向上させ、また朝比奈隆没後の関西のブルックナー演奏で高評価を得ていた功労者を、10年間囲い込むことに成功し、音楽性の継続と深化、聴衆のつなぎとめに成功したのだった。デュメイがソリストを務める回の定期演奏会で飯守泰次郎がタクトを振り、2015年のヨーロッパ公演ではデュメイと藤岡幸夫の二人が動向する、3人の指揮者の関係も良好で、関西でもっとも強力な指揮者陣となった。

 関西フィル友の会(マイシート)会員の動向を見ると、飯守常任最後の年(2010年度)の651人に対して、デュメイ音楽監督初年度(2011年度)は641人と、ほとんど変化がない。


 これらの事例から、いずれやってくるシェレンベルガーの退任時の処遇について考えてみると、次のようになる。


①常任指揮者退任後は終身名誉指揮者(少なくとも桂冠指揮者)として処遇する


②終身名誉指揮者就任後も定期的にタクトを振ってもらうために、10年単位の壮大な新しいシリーズを始める

③首席指揮者退任の1年前から公表し、ファイナル・シーズン興行を開催。最後のコンサートは「終身名誉指揮者就任記念公演」としてシェレンベルガーと岡山フィルのイメージを継続させる仕掛けを作る
④次期首席指揮者候補者を現首席指揮者の退任1〜2年前に「客演指揮者」として任命し、知名度や集客力を確保したうえでスムーズにスイッチできるようにする。
 この4点に集約されるだろう。
 特に②については年2回程度のシェレンべルガー・シリーズを開催する。1回は「モーツァルト・ハイドンシリーズ」として、ハイドンのザロモン・セット+モーツァルトの28番以降の交響曲と、古典派の協奏曲を組み合わせ10年単位で完成させる。もう1回はシェレンベルガーの偉大なキャリアの中で選んだ、「これは岡山の聴衆にぜひ聴いてほしい」楽曲を採り上げる『シェレンベルガーが選ぶ名曲シリーズ』として開催する。
 それに加えて、これは首席指揮者交代までにぜひやって欲しいこととして、岡山フィルとシェレンベルガーのコンビでの録音を、ぜひ残して欲しい。後世の岡山の聴衆がシェレンベルガーとのレガシーが実感できるような作品を残すべきだろう。今は全国のオーケストラがハイレゾの音源を配信している。CDとして出すだけの予算が確保できなくても配信ならなんとか可能だろうと思う。
 3回にわたって連載した「どうなる!?岡山フィルの『次期』指揮者」シリーズもこれでお開きとするが、一聴衆の立場でシェレンベルガーが岡山に来て以降の成果を振り返ると、新劇場こそ、シェレンベルガーと聴衆が築いてきた関係性を活かしていく必要があることを確信する。
 シェレンベルガーは以前のエントリーでも述べたとおり、ベルリンの壁崩壊や東西ドイツ統一、東西ベルリンの市民の間に残った経済格差や心の分断を解消する過程で、ベルリン・フィルは重要な役割を果たし、その中心に居た人物だ。
 偉大な音楽家であると同時に、ミュンヘン工科大学を卒業するなど、音楽以外にもマルチな才能を有する方だけに、岡山が抱える中心市街地の衰退からの再生への問題についても知見があるかも知れない。指揮者交代という道ではなく、逆に、もっと深く岡山の街づくりや音楽文化の深化に関わっていただくという方向も検討してほしいと思う。

nice!(2)  コメント(0) 

どうなる!?岡山フィルの『次期』指揮者(その2) [岡山フィル]

 この1ヶ月の間に、相思相愛と思われていたシェレンベルガーと岡山フィルについて、今後を憂慮すべき情報が飛び込んできた。前回は日本オーケストラ連盟の配信番組の中で、岡山フィル側から発せられた「次の指揮者の人選を進めている」という発言がもたらす波紋について考えてみた。



 今回は、まずはもう一つのニュースについて。


 と、その前に断っておきたいことがある。ニュースについては事実ではあるが、そこから導き出される想定については、あくまで筆者の想像である。シェレンベルガーと岡山フィルとの良好な関係がこれからも続いていくことを願うファンの思いを書き綴ったに過ぎないことをご諒解ください。 

ベルリン発 〓 ベルリン交響楽団の次期首席指揮者にハンスイェルク・シェレンベルガー(月刊音楽祭サイトより)



 ベルリン交響楽団といえば、岡山にも何度も来日している団体で、2016年の来日の際に私も聴きに行ったのだが、その際の感想はリンク先の記事をご覧いただくとして(ただし、辛辣な感想を書いていることをご了解ください)、2000年代には経営破綻も経験しているこのオーケストラの首席指揮者という困難な仕事を、よく引き受けられたなあ、というのが正直な感想だ。

 もっとも、現地から見れば、極東の聞いたこともないような街のオーケストラの首席指揮者を引き受けたことも驚きだったろうし、こういう困難な仕事ほど自分の持てるものをすべて投入するという人柄なのは、僕たち岡山の聴衆が一番良く知っている。歴史もあり市民に愛されてきた楽団だけに「シェレンベルガーさんならなんとかするかも知れない」とも思う。

 気になるのはその仕事量で、シェレンベルガーの公式HPを見ると、毎月のようにベルリン交響楽団との仕事が入っており、2022年以降、岡山フィルのためにスケジュールを空ける余裕があるのだろうか?と思うほどのボリュームだ。

 ワクチンが普及したとしても変異株の流行によってワクチンが無力化される可能性もある。このコロナ禍の収束が見通せない中、国境を超える必要のない仕事を優先することは合理的な判断であるし、現状では首席指揮者の職責を果たせていないと考えているかも知れない。

 シェレンベルガー・サイドから岡山フィルの仕事量を減らす要望があったとすれば、先日の「次の指揮者を選定している」という発言も納得せざるを得ない。


 しかし、もし、シェレンベルガー以外の『次期首席指揮者』を選定すると仮定すると、当然、シェレンベルガー以上の人材であることが条件になってくるだろう。


 私なりに岡山フィルにとってシェレンベルガーが何をもたらせてくれたのかを整理し、私がシェレンベルガーの続投を強く願う理由を述べてみようと思う。



①:オーケストラビルダーとしての卓越した能力

 これはシェレンベルガー就任前から岡山フィルを聴いてきた人は、誰しもがまざまざと目のあたりにしてきた。就任前も堅実な演奏をしてきた岡山フィルだったが、シェレンベルガーの就任後は、表現の質が明らかに変わったと感じる。そのプロセスを見て聴いていくのも楽しみになっており、シェレンベルガーがタクトを振るたびに、岡山フィルの魅力が引き出されていくのだ。


 それはオーケストラ演奏に留まらない。タクトをオーボエに持ち替えて演奏される岡フィルのメンバーとの室内楽のコンサートはもっとエキサイティングだ。シェレンベルガーのオーボエ奏者としての凄さもさることながら、岡フィルメンバーの潜在能力を引き出し、「この方はこんな音楽を演奏するんだ」「凄い、シェレンベルガーに対して一歩も引かずに渡り合っている!」という興奮の瞬間を目にするたびに、マエストロがこのオーケストラに対してもたらしているものを認識させられるのだ。


 演奏改革のドラスティックさとは対照的に、楽団改革については現実路線を貫く。聴衆が増加するのを確認しながら定期演奏会を2年に1回づつのペースで増やしていく。はじめは特別演奏会として設定し、行けると判断すれば定期演奏会に組み込んでいく。首席奏者の8パートの大オーディションは話題を集めたものの、チェロや第2ヴァイオリン、ティンパニなどはベテラン奏者の特別首席を招聘し、若いエネルギーと熟練の技術とのバランスを考慮する。もちろんこれらはシェレンベルガーだけの功績ではないが、彼が来る以前の岡山フィルとは全く違う展開を見せてくれたのは間違いない。


 芸術面での課題には天才的な能力を発揮する一方で、経営的な問題に対しては現実的なソリューションを提示できる。そんな両面を兼ね備えた稀代のオーケストラビルダーと言える。



②楽団員と向上心を共有した良好な関係を築いている
 指揮者と楽団員の関係と言っても、50人からなるプロの音楽家の総意の存在などというのは、聴衆の幻想なのかも知れない。しかし、シェレンベルガーが来る前は、楽団の実力と存在意義を賭けて開催する「定期演奏会」の回数は年に1回〜2回のみだったが、現在は年に5回に増え、更に聴衆も増えて、地元の人々の岡山フィルを見る目も明らかに変わった。楽団員にとってこの8年間で得られた充実感は何物にも代えがたいだろう。そして、音楽家としての表情が見える室内楽で、シェレンベルガーとの共演で見せる彼らの表情は本当に充実している。もちろん定期演奏会での表情も。

 ある首席奏者は、シェレンベルガーを「子供の頃から私のヒーローだった」と言い、夢はシェレンベルガーとの海外公演と語る(山陽新聞のインタビュー記事)ほどだ。



③聴衆の圧倒的な支持
 シェレンベルガーが初めて岡山フィルを振ったのが2009年の定期演奏会。その頃の客席は半分も人が入っていなかった。
 しかし、シェレンベルガーが首席指揮者に就任してから客席の8割は埋まるようになり、定期演奏会の回数を5回に増やしても客席は埋まり続けた。単純計算で定期演奏会の動員は年間2000人→8000人に4倍に増えた。
 このようにシェレンベルガーは岡山の聴衆に圧倒的に支持されており、この聴衆を新劇場の客層として取り込もうとしないなんて、クレイジー!!、とさえ思う。
 シェレンベルガー&岡山フィルへの支持は岡山だけに限らない。当ブログにコメントをくださる方やSNSでつながっている方の中には岡山フィルを聞きに他県から通っている方がおられる。その範囲は香川・備後などの近隣に留まらず、兵庫、大阪、京都、広島(安芸)、愛媛など広範囲にわたる。京阪神にはコンサートが沢山あるなかで、岡山にわざわざ来てくださるのは、それだけシェレンベルガー&岡山フィルのコンビが、他では聴けない音楽を演奏してくれるという期待感・信頼感にほかならない。
2013-10-13 17.15.53.jpg
※岡山シンフォニービルの吹き抜けにはシェレンベルガーの巨大パネルが設置されるなど、楽団も積極的に岡山フィル=シェレンベルガーのイメージを推していた。

④シェレンベルガーと開拓すべきレパートリーがまだまだ存在する

 通常のオーケストラの常任指揮者との共演回数は年に10回程度確保されおり、10年100公演も共演すればレパートリーは一巡する。

 しかし岡山フィルとシェレンベルガーとの共演は、就任当初は年に2回しか定期演奏会がなかったこともあり、年に3〜4回。おそらく8年間でもまだ二十数回程度だろう。通常のオーケストラの1/4程度しか共演回数をこなしていないのだ。

 レパートリーを見ても、ベートーヴェン・ブラームスの交響曲チクルスは完了しているが、就任当初のインタビューで語っていた、ハイドン、モーツァルト、シューマン、ブルックナー、マーラーはまだほとんど手つかずである。シェレンベルガーが他楽団との共演のプログラムあるいは、オーボエ演奏のアルバムでもイタリア・バロックやフランス物が高く評価されている。独墺系以外にもラテン系の楽曲も得意としている可能性が高い。まだまだシェレンベルガーから得られるものがあるのに、ここで任期が満了するのはあまりにももったいない。



⑤国内のオーケストラのヒエラルキーに属さない個性・独自性


 シェレンベルガーと岡山フィルというコンビは岡山フィルを一介の「地方都市オーケストラ」として埋もれさせることがない個性を発揮している。

 少し話は飛ぶが、日本のオーケストラにおける常任指揮者の顔ぶれの傾向について軽く(乱雑に)触れておきたい。
 日本国内のオーケストラを概観すると、在東京の有力オーケストラの常任指揮者はパーヴォ・ヤルヴィやジョナサン・ノット、セバスティアン・ヴァイグレなど、世界の一流オーケストラで活躍する指揮者が兼任しているが、地方の諸都市オーケストラの多くは、実力派の日本人指揮者が『輪番』のような形で常任ポストを務めている

 これらの実力派指揮者たちの中には若い頃の海外での実績がある者も多く、国内の有力オーケストラで演奏上の成功を収めると、次々に他のオーケストラからも声がかかる、結果有能な指揮者が様々な諸都市オーケストラ のポストを輪番のような形で歴任することで、この20年で実力が飛躍的に底上げされたと言われる。その一方でオーケストラの常任ポストは数が限られているため、(実力だけでなく、めぐり合わせや運の要素も大いにありつつ)輪番の席取りレースから弾かれる指揮者も出てくる。
 ならばこうした実力・実績はあるが現在ポストに付いていない日本人指揮者に後任を頼む手があるじゃないか?と言われると、僕は「否」と答えたい

 理由の一つは岡山フィルの個性が弱まってしまうことだ。③でも触れた県外からリピートする聴衆は「あのシェレンベルガーがどんな音楽づくりをするのか?」という興味で聴きに来られ、そこで大いに感銘を受けてリピートしてくれている。国内を中心に仕事をしている指揮者は、(言葉は悪いが)「どこでも聴ける指揮者」でもあるということ。岡山フィルの常任に就任した場合「まあ、わざわざ岡山まで行かんでもええわ」となる可能性が高くなる。

 また、指揮者の現在のポジションや評価がオーケストラのポジション・評価に影響し、国内オーケストラヒエラルキーの中で岡山フィルのポジションが定まってしまう恐れもある。
 また、シェレンベルガーはドイツを拠点に、欧州・北米・南米・アジアと指揮者としても器楽奏者としても、未だに世界の第一線を舞台に活躍している音楽家だが、もし海外にポストを持っておらず、また海外から指揮のオファーが無い指揮者が岡山フィルの常任ポストにつくと、世界の音楽シーンへの扉が閉ざされてしまう恐れもある。
 クラシック音楽の世界は、今、急速に変化している。だからこそ在東京のオーケストラは、まさに世界の一線級で活躍している指揮者の招聘に躍起になるのだ。東京だけでなく、札幌交響楽団(バーメルト)、オーケストラアンサンブル金沢(ミンコフスキ)、山形交響楽団(首席客演指揮者としてバボラーク)など海外での「経験」だけではなく「今」を知るマエストロを招聘する楽団はやはりファンの間でも話題だ。



 岡山芸術創造劇場の館長に就任された草加叔也さんは、山陽新聞のインタビューで「(新劇場は)劇場法の前文にもあるように『世界に開かれた窓』を目指したい」と仰っているが、ならば音楽部門をになうのはシェレンベルガー以外にいないじゃないか!と思う。

jikisikisya02.JPG

※世界最高の木管アンサンブルのツアーの際、岡山フィルが日本のオーケストラで唯一共演を果たした。まさにシェレンベルガーは「世界に開かれた窓」だ。




※岡山フィルとシュテファン・ドールとの共演動画は42万回の再生回数(2021年5月現在)を稼いでいる。見に来る動機はドールのホルンだろうが、それでもこの再生回数は国内のオーケストラの動画の中でもトップクラスだろう。


 岡山フィルが想定する次期指揮者が誰なのかは分からないが、こういったことを踏まえて、果たしてシェレンベルガー以上の人材が居るのか?



 私はほとんど居ないと思う。


 もし岡山フィルとの契約をシェレンベルガー側の事情で更新できない場合も、功績に相応しい花道を用意するとともに、シェレンベルガーが開拓した聴衆層を失わないように、何らかの対応(桂冠指揮者のようなポストを作るなど)を行う必要があるだろう。



nice!(2)  コメント(2) 

どうなる!?岡山フィルの『次期』指揮者(その1) [岡山フィル]

 ブログに書きたいことは色々あるのに、時間と意欲が枯渇気味で放ったらかしになってるシリーズもあるが、今回は私の音楽鑑賞生活にとっては極めて重大な話題なので、早急に書き上げたいとは思っている。


 この記事のタイトルを見て、ほとんどの岡山フィル・ファンは『いや、どうなるもこうなるも、しばらくはシェレンベルガーの続投で安泰じゃろう』と思われたことと思うが、じつは水面下で事態が変化してきているようなのだ。

 

 発端は、3月31日に配信された『オーケストラの日2021配信~全国のオーケストラより感謝を込めて~』という日本オーケストラ連盟の主催するネット中継の番組。

20210331haisin.jpg

 日本オーケストラ連盟に加盟する全国38団体の演奏のダイジェストと4〜5団体ずつのグループによるオーケストラ事務局の方々によるトークセッションという内容で、全部で4時間に及ぶ番組だった。リアルタイムでは全部は見ることができなかったが、タイムシフト配信で全部拝見した。

 岡山フィルからも事務局長がリモート出演していて、コロナ禍での現状と2023年に開館する新劇場についてお話され、暗い話題が多い中での前向きな話題に、司会の西濱さん(山響)や角田さん(指揮者)も興味深そうにお話されていた。

 ところが事件は突然起こったのである。
岡山フィル「新しい劇場ではオペラやバレエの公演も予定されています。」
司会「それは本当に素晴らしいですね」
岡山フィル「それに向けて、岡山フィルの体制整備も一層進めておりまして、次の指揮者の人選も進めているところです」

視聴していた私「??!!」

 1回目に聞いたときは「新劇場のコンテンツ(オペラやバレエなど)に合わせた指揮者を別途任命するのかな」と思っていたが、念のためにもう一度聞いてみても、はっきりと「次の指揮者」と、既定路線について淡々と語っている感じだった。

 額面通り受け取ると、シェレンベルガーの次の楽団の顔になる指揮者を検討しているということになる。ちなみに、シェレンベルガーは2013年に岡山フィルの首席指揮者に就任、現在3期目に入っており、おそらく今シーズン(2021/22年シーズン)で契約が切れる。

jikisikisya01.JPG

※すべては2013年に彼がやって来たことで変わっていった。

 これを聞いて、正直、私は動揺した。というのもコロナ禍で現在は来日が難しい状況とはいえ、現在の岡山フィルの音楽面での充実、観客動員の爆発的増加、首席コンマス・各パート首席奏者就任など楽団の体制整備など、シェレンベルガーが岡山フィルの首席指揮者に就任して以降の楽団改革は素晴らしい成果をあげている。今後も定期演奏会の充実や楽団の常設化、レパートリーの拡充などの山積する課題もシェレンベルガーを看板にして解決していくものと期待していた。もう3年、いやまだまだ6年はやっていただかなくてはいけないと思っていた。


 オーケストラの指揮者人事というのは、楽団主導で独断的に決められるのが通例だ。そこに聴衆の意見を反映させることは、じつは少ない(少なくとも国内のオーケストラで聴衆の意見を指揮者の人事に反映させるシステムを持っているオーケストラは無いと思う)。楽団が長期的視野に立って、現首席指揮者によってもたらされた豊かな音楽性や遺産を確実に継承し、より発展していくためにどういった指揮者人事を行うかを高度に専門的な判断によって進めていく。


 長年、オーケストラ・ウォッチャーをしてきた私も、そのことは重々わかっているのだが、この8年間の夢のような軌跡を目の当たりにしてきた聴衆の一人として、ここに意見を書いておくことは、それなりに意味のあることだと思う。


 まず、心配していることは、新しい劇場(岡山芸術創造劇場)の開館の話題の文脈の中で「次の指揮者」について触れられたことだ。新しい劇場の開館の話題づくりのために、人事を『リセット』しようとしていると取られなくもない。

 文化芸術において、いいものを作ろうとすれば長い年月がかかる。新劇場が開館する2023年はシェレンベルガーの岡山フィル首席指揮者就任10年目にあたり、新しい劇場でシェレンベルガーと岡山フィルの熟成されつつある音楽でオペラを上演するなど、人事をリセットするのではなく、むしろ岡フィルとシェレンベルガーという熟成されつつあるコンビの音楽的成果や聴衆の支持を新劇場へも波及させるべきではないのか?

 人事をリセットするということは、聴衆の動員もリセットされる危険性を孕んでいる。この危険性の実例は次々回のエントリーで具体的に触れたい。

 コロナ禍で現在は来日が難しい状況とはいえ、シェレンベルガーへの処遇によっては、今、急激に増やしている岡山フィルのファンを一気に失うことになるかも知れない。

 別の可能性は、シェレンベルガー・サイドがこれ以上の契約更新を望んでいない、ということだ。

 これまで彼が岡山フィルに注いでくれた情熱を考えると、引き続き岡山フィルと深い関係を築いてくれるものと思っているが、先週、シェレンベルガーの環境が大きく変わっていることが解るニュースが飛び込んできた(これについても次回以降に述べる)。


 次回は、改めて岡山フィルにとってシェレンベルガーの存在の重要性について、岡山フィルとの8年間を聴衆の立場から振り返ってみようと思う。そして西日本のオーケストラにおける、最近の指揮者交代を見ながら、岡山フィルが取りべき進路についても考えてみたい。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽