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広島交響楽団ディスカバリーシリーズ シベリウス・チクルスⅢ [コンサート感想]

広島交響楽団 秋山和慶のディスカバリーシリーズ 
シベリウス交響曲全曲シリーズⅢ

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シベリウス/恋するもの
  〃     /交響曲第3番
  〃  /交響曲第5番

指揮:秋山和慶
コンサートマスター:佐久間聡一
2015年11月27日  アステールプラザ大ホール

 すごいもんを聴いてしまった。
 北欧音楽に定評のある秋山&広響、渾身のシベリウス交響曲チクルス。前半の3番から広響の充実ぶりを見せつけられました。
 一昨年に聴いたパリ管弦楽団、あるいはドレスデン国立管弦楽団のような、表情豊かな表現力のあるヨーロッパのオーケストラを聴いたとき、あまりの躍動感、ほとばしる生命力に、

「まるで、オーケストラが生き物みたいや」

と衝撃を受けることがありますが、この日の広響の演奏から受けた衝撃はこれらと同種のものと言っていいです。
 広響の本拠地で主催公演を聴いたのは7年ぶりでしたが、福山定期などで年に2回は聴いていて、いいオーケストラだなあ、というのは分かっていたんですよ。しかし、この7年僕が聞いてきてたのは所詮地方公演だった事を思いしらされ、今の広響の力量を思い知らされました
※少し補足。これは地方公演はクオリティの低い演奏をしているという意味ではありません。本拠地での主催公演は3日のリハーサルがあり、地方公演は恐らく2日ぐらいしか確保できない。楽団の経営のためには月10回以上の演奏活動で稼がねばならない、プロ楽団の宿命。
 そしてプロにとって、リハーサルのこの1日の違いというのは大きい、だからそのオーケストラの真の実力を知るためには本拠地での定期演奏会を聴かねばならない。という意味です。

(感想 追記)
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 広島駅から広電に乗ろうとしたら、たまたま広響電車に当たりました。
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 車内の自動放送で秋山監督が「広響聴きにいくんなぁら、広電じゃろう!」と、アナウンスしておられました(笑)はい、広響聴きに、今まさに広電乗ってまっせ~
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 会場ははじめは75%ぐらいの入りでしたが、後半には8割ぐらい入っていました。広響の主催公演は18:45開始なんですね。市内からJR沿線の郊外へ帰る人の終電が早い、というのが理由だそうですが、仕事終わりの人間にはチトきついんじゃなかろうか。
 編成は下手から1stVn:12→2ndVn10→Vc8→Va8→Vaの後ろにCb6。低音が分厚い編成です。実演で聴いてみると、3・5番はチェロバス、あるいはファゴットなどの低音パートが凄く動くんですよね。シベリウスの特徴、といってもいいんでしょうね。
 1曲目は元々男声合唱のための曲。オーケストラに編曲されたのが、ちょうど3番と5番の間の時期のようです。
 あとの交響曲の複雑なオーケストレーションとは対照的な、散文詩のような作品。弦楽合奏だけで奏でられる。あとの2曲の演奏で印象が薄くなってしまいましたが、透明感のある爽演でした。

 次に交響曲第3番。シベリウスの交響曲中で人気がないんですけど、僕は結構好きなんですよ。この広響のチクルスが発表された時、この3番・5番の回が一番興味をひきました。
 実演でははじめて聴きます。この曲、じつはすごくロックな曲ですね。語弊があるかもしれませんが、広響の演奏はビートが効いていて、聴き手の五感にダイレクトに響いてくる。オーケストラが揺れながら強烈なリズムを刻んで、特に弦がうねることうねること。客席で酔いそうになるぐらい!
 調性も楽想も違いますが、これはシベリウスの「リズムの神化」だと思う。広響の演奏に賭ける熱量は相当なもので、シンコペーションのボウイングの時に、弦パートが右に左に本当に踊っているんですよ!
 第1楽章の中間部のこれまたシンコペーションのピチカートの部分でも、体全体で表現する広響弦部隊。いやー、こういうオーケストラ、本当に好きだわ。ますます広響が好きになった!
 木管にも名人が目白押し、フルート・クラリネット・オーボエは以前から好きだったけど、今回、シベリウスということで、ファゴット首席さんも大変な名手ということが分かって。広響の木管はやはり素晴らしいと、認識を確実にしました。
 
 秋山御大のタクトは相変わらず明晰で、それだけでなく古希を超えてなお、切れ味鋭くなっている気がします。恐るべきマエストロです。同世代の指揮者は、レパートリーが狭まったり、深みは増すが切れ味は穏やかになっている方がほとんど。そんな中でも秋山さんだけは膨大なレパートリーを維持し、なお切れ味のいい瑞々しい音楽を紡ぎだし続ける。そこに年輪を重ねた味わい深さも加味される。シベリウスの一筋縄ではいかないスコアを、階層構造で緊密に動かしていくタクトは、最新の指揮技術を持った若手中堅でも舌を巻くと思います。広島では既に17年間も常任指揮者・音楽監督のポジションにいて、いいものは絶対に手ばなさない広島人に本当に愛されている巨匠です。

 その秋山御大の求心力も素晴らしいのですが、それぞれの奏者が色々な楽器パートの音に深い関心と共感の輪を作っていて、その音楽の一体感は(冒頭にも書いた通り)ヨーロッパの楽団のよう。あるパートが重要なポイントを見事な表現力でクリアしたら、それに触発されて違うパートが一層シベリウスの世界を輝かしく表現し、それが連鎖的に化学反応し合って、見事という他ない盛り上がりを聴かせる。聴衆も一気にステージが作り出した世界に引き込まれ、没頭する。
 第3楽章の同じモチーフを繰り返しながら、弦の刻みをベースに盛り上がっていく場面は、圧倒的でした。
 聴衆も僕を含めて大いに盛り上がり、カーテンコールが6回も起こったほど。この日の広響の演奏を聴いた人は皆、思ったであろう。「シベリウスの3番は、他のナンバー負けることの無い、傑作である!」と。

 休憩の後は、交響曲第5番。その前にアステールプラザについて一言。このホール、初めて来たんですけど、新しいホールで機能的に作られています、が・・・。広島のどこのホールにも言えることなんですけど、音響があまり良くなくて、残響は1.2秒ぐらい?ほとんど響きません。京都コンサートホールや兵庫芸文に不平不満を言ったら(私も文句を言っていますが)、「それじゃったら、広島にくれや」と言われそう(笑)
 シベリウスの音楽の持つ、独特の響き~霧の中から徐々に巨大なものが姿を現すような~そういった音楽を表現するには、やはり残響多めのコンサートホールが向いているのは言うまでもない。しかし、この日の広響の演奏を聴いて、これを「ザ・シンフォニーホールで聴きたかったな」という風には思わない。それは広響がこのホールなりの特徴を生かして、見事にシベリウスの世界を作っていたから。
 さて、僕が6番と並んでシベリウスの交響曲の中でもっとも好きな5番です。後半プロに入って気付く。弦部隊の後ろのプルトに、岡山フィルコンミスの近藤さんの姿が。「うぬぬ、わが街のオケのコンミス様を末席に置くとは・・・」と少し思いましたが、それぐらい、このコンサートに必要だったってことでしょう。なんせ、この曲、素人目に見てもヴァイオリンが大変に演奏困難なことが分かる。その上、熱いのに冷涼感・透明感のあるサウンドが求められるから、全員がレベルの高さを求められる。

 冒頭は湖の夜明けのような冷涼な爽快さ、何回かの起伏  やがて弦のトレモロを、管がふたつ目のシベリウスらしいモチーフを吹きながら、徐々に盛り上がっていく場面。霧のなかなか何か神々しいものが現すような、そんな時間。秋山御大の気迫に負けないオーケストラ、いやあ、この一体感は前半の三番同様、すごく聴き手の心を掴んでくる。

 この残響がほとんど無い、に等しい公民館に毛が生えたような(失礼)ホールで、これほど幻想的なサウンドを作り上げるのは至難の技の筈。そして一人ひとりの奏者の音がよく分かる、特にチェロのマーティンの音は特徴的なので直ぐに分かるが、他の奏者の方々も同じ方向を向きながらそれぞれの磨き抜かれた技で音を出している。それが分かるのに、この見事な調和の世界。これが広響の真骨頂なんでしょうなあ。武器を捨て楽器を手に取り、平和とは、調和とはなんぞや、という広島のオーケストラだから課されている十字架とも言っていい重大なテーマの答えを体現する。

 変ホ長調に戻って、夜明けのようなシーンで、ぐっとこみ上げるものがあった(書いてる今も、その時を思い出してこみ上げてくる)。第1楽章のラストへ向かって、終始、疾走する音楽。演奏の精度は前半の3番より少し落ちる感じがありました。アンサンブルの乱れもあり、はホルンがほとんど1フレーズ落ちる、という事故もあって、ヒヤッとしたんですが、この全体の音楽の一体感ある手応えを前にしては枝葉末節の話といっていい。
 広響の、『豊かなモノクロームな世界』の描き方は本当に見事で、この曲のようにモノクロームの世界に差す、光の見せ方が絶妙。この曲の基調は水墨画の幽玄な世界なんだけれども、そこには「光」や「太陽」に対する強烈な憧れがある、そんなシベリウスの気持ちが伝わってくるような演奏で、日食から太陽が姿を現すような見事な光彩が描かれ、そのコントラストが本当に見事。
 第2楽章、シベリウスが「フィンランドはいいところだよ!ほうら!」と呼びかけてくれているような、愛嬌のある自然賛歌。木管を中心に秀逸なレベルの表現を維持。ピチカートの瑞々しさが印象的。
 第3楽章は僕が大好きな  4度→5度→6度→5度→4度の繰り返しの、ホルンの本当に印象的なモチーフを支えに。オーボエ・フルートが主題を奏で、それがうねる様なシベリウスのオーケストレーションでスケールが大きくなっていく。本当に気持ちがいい、死後、天国に召されるとしたらその瞬間はこのような音楽が鳴っているのかな?などと想像してしまう。広響の力強くも安らかになるサウンド。

 この日のプログラムは、ノルディックサウンド広島の津田店長によるもので、「父たる神が、天の床から外したモザイクの小片を投げ落とし、元に戻せといっている」というような、苦難を乗り越えてたどり着いた最終楽章のこの印象的な音楽は、「散歩をするシベリウスの頭上を16羽の白鳥が舞った『なんと美しい!』。群れはしばらく円を描きながら飛び、『銀のリボンのように輝き、おぼろな太陽の中に姿を消してゆく』」
 そんな情景の中から生まれたそうです。

 この日の広響の音楽からは、確かに『銀のリボンの輝き』が見えた。コントラバスの羽音のような印象的なボウイングと(このコントラバスで表現する「羽音」を吉松隆が受け継いでいるのか・・・)、Vn-VaーVcの折り重なり、さらにその上から折り重なるハーモニーは、聴き手の身を豊潤な音の洪水に包み込み、やがて夢か現か幻か、のように消え去ってしまう。素晴らしい一夜でした。

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 これほどの体験が出来るのなら、広島まで足を運ばない手は無い。しかし、僕にとっては本拠地の関西の方が複数のオーケストラのコンサートを組み合わせて聴くことができるし、実家に帰省することも出来て経済的なんでが、でも、往復6000円以上の交通費を払ってでも聴く価値が、広響にはある。また近いうち、遠征してしまうと思います。

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ぐすたふ

ううむ、この記事を読んでしまうと・・・・・12月15日は、でも、ちょっと望み薄ですね。
by ぐすたふ (2015-11-30 22:56) 

ヒロノミンV

>ぐすたふさん
 僕も可能性は捨ててはいませんが、15・16日はかなり予定が厳しそうです・・・
 大植さんが登場する機会は、来年度以降もあるように思いますが、なんせ、今回はあの5番ですから、聴きたいですよね。
by ヒロノミンV (2015-11-30 23:10) 

伊閣蝶

「往復6000円以上の交通費を払ってでも聴く価値が、広響にはある」
この最後の下りが、すべてを物語るように思います。
シベリウスの交響曲は、2番までとそれ以降では全く様相が変わりますし、私はやはり3番以降に強く心を惹かれます。
特に5番のあの天国にでも導かれるようなフィナーレの美しさは筆舌に尽くしがたく、シベリウス独特のオスティナートが見事に表現されているのではないでしょうか(恥ずかしい話ですが、この曲に触発されて合唱曲を書いた経験があります)。

それにしても秋山御大。
素晴らしい年を重ねておられますね。
さすがに広島まで聴きに行くことは叶いませんが、こうしてヒロノミンVさんの記事を拝読するだけで、胸が熱くなってきました。

by 伊閣蝶 (2015-12-03 12:32) 

ヒロノミンV

>伊閣蝶さん
 コメントありがとうございます。
 シベリウスの5番の最終楽章。本当に筆舌に通史難い美しさと清々しさが魅力ですよね。モチーフのメロディーは単純、なのにこの幻想的な音楽は、もう仰る通りシベリウスの執拗なオスティナートと類を見ないオーケストレーションの賜物だと思います。
 秋山和慶さん、前半の終演後の6回にもわたるカーテンコールに、広島の聴衆の深い尊敬と信頼を感じました。晩年の朝比奈隆のように、秋山&広響がますます注目されるようになることを期待しています。
by ヒロノミンV (2015-12-03 18:53) 

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