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岡山フィル第75回定期演奏会 指揮:山下一史 Vn:黒川侑 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第75回定期演奏会


ウェーバー/歌劇「オベロン」序曲

ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲ニ長調

  〜 休 憩 〜

シューマン/交響曲第3番変ホ長調「ライン」


指揮:山下一史

ヴァイオリン独奏:黒川侑

コンサートマスター:藤原浜雄


2023年3月12日 岡山シンフォニーホール


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・指揮の山下一史さんは、ミュージック・アドバイザーの秋山さんと並んで、国内で最も忙しい指揮者。岡山フィルとはちょっとお久しぶりで2012年の第九以来だろうか。シューマン解釈の第1人者ということもあって、「ライン」は暗譜だった」(「オベロン序曲」も暗譜)。仙台フィルとの録音もテンポ設定・バランス・響の作り方、どれも私好みで、今日の演奏の期待も高まるというもの。

・編成は1stVn12→2ndVn10→Vc8→Va8、上手奥にCb6の12型2管編成。

・1曲目のオベロン序曲。ドイツの音を響かせるホルン、みずみずしい生命を描く木管。中世の英雄たちのドラマが見えるような弦の旋律。よく練られた見事な演奏でカーテンコールが起こる。

・2曲目のベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲は、案外岡山フィルではやっていないのではないか?名曲ということに異存はないが、チャイコフスキーやメンデルスゾーン、パガニーニのような超絶技巧が前面に出る曲ではなく、音の絶対的な美しさや構成力が必須で、ヴァイオリニストの真の実力が試される大曲だと思う。

・ソリストの黒川侑さんの実演に接するのは、これで5回目(もしかしたらもう少し多いかもしれない)。最初に接したのは彼が弱冠17歳で登場した関西フィルの定期演奏会でのブルッフのコンチェルト。天翔るような才気溢れる演奏、指揮の藤岡幸夫さんも首席指揮者就任披露公演ということもあって、指揮者とともにたいへんな熱演でもあった。

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・2回目は京響の定期演奏会。20世紀の天才:プロコフィエフの2番を21世紀の天才ヴァイオリニストが演奏する、インスピレーションあふれる演奏に度肝を抜かれる。この演奏はNHKで放送され、のちにCDにもなった(たぶん、天神町のアルテゾーロ・クラシカに置いてあるはず、店長さんと「凄いヴァイオリニストが出てきたねえ」と話したのを思い出す)。

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・彼は倉敷音楽祭にも度々登場し、そこでの室内楽の演奏でも2回接した。で、今回のベートーヴェン。たぶん33歳になる筈。ヴァイオリニストとして脂が乗っていくこの時期に、よくぞ彼をソリストに招いてベートーヴェンを組んでくれたと思う。

・私のこの曲を聴く楽しみ方は、難しい事を抜きにして、ひたすらヴァイオリンの音色を愉しむ・・・それに尽きる。特に第1楽章のシンプルなオーケストレーションをバックにハイトーンが続く場面が好きだ。そして黒川さんのヴァイオリンの伸びやかで真珠のような輝きのある音に「そうそう、この曲はこの音なんだよ」とドンピシャの演奏だった。長大な第1楽章が夢のような時間に感じた。

・第1楽章のカデンツァも至福の時間だった。このホールに神が棲んでいるとしたら、黒川さんのヴァイオリンは、その神に愛されているな・・・。観客だけでなく、ホールも喜んでいるような幸せな時間。

・ベートーヴェンの完璧な音楽を完全に手の内に入れている黒川さんの演奏に巨匠の風格さえ感じた一方で、少し若手時代の情熱的な顔を垣間見たのが第3楽章、飛び跳ねるような天衣無縫の演奏は、彼のヴァイオリンを初めて聴いたとき面影を感じた。


・ヴァイオリニストの真の姿が見えるこの曲をこれほどまでに純化された美しさを湛え、堂々とした骨太な世界を顕現させた黒川さん。40代、50代になった彼のヴァイオリンを聴いていきたいと感じた。


・アンコールはバッハの無伴奏ソナタ第3番の第3楽章。

・後半はシューマン/交響曲第3番「ライン」。実はシューマンの4曲の交響曲の中で、私の中ではこの曲が一番評価が低かった。順番としては2番が至高の名曲で、少し離れて4番→1番「春」→3番「ライン」という順番だ。第1楽章、第2楽章は文句なく素晴らしい。第5楽章も悪くない。ただ5楽章編成の交響曲の座りの悪さが冗長さに繋がっている気がする。幻想交響曲やマーラーの5番のように巨大な第3楽章を中心に据えないと5楽章形式の交響曲は中途半端に感じてしまう。

・そんな「帯に短し襷に長し」な印象の曲を、シューマン解釈の第1人者の山下さんのタクトに掛かれば、まったく冗長にも物足りなくも感じない。シューマンというのは独特の色彩感覚=色使いを持っていて、絵の具が混ざりすぎるとグレーに近づいて行くのと同様。ドイツ音楽の重厚さを保ちながらも、各パートのボリュームを整理し、響きを重ねすぎない配慮が必要だと思っている。山下さんのタクトはその匙加減が絶妙なのだ。ホール全体を満たし切るグラマーでありながら、とてもスッキリとした響きに感じる。


・まずN響アワーのオープニングにも使われた、超有名な冒頭が素晴らかった。どこでもドアを開けた瞬間、ヨーロッパの夏の風景が風とともに目に飛び込んでくる、そんな感じ。ちょっとこみ上げるような感動が体を走った。


・ティンパニにチェロ+バスが爽やかな風を起こしヴァイオリンとヴィオラが朗々と歌い上げる自然賛歌。客演首席の細田さん率いるホルン隊がパリッとしたドイツの音を響かせる(第4楽章のホルン、最高だった!!)、木管・トランペットもトロンボーンも良かった。


・先日の高畑前首席コンマスのレクチャーコンサートで、ドイツ流のフレージングのお話を聴いたお陰で、「なるほど、ここからここまでを一括りで大きな流れを作っているのか?」「ここに頂点を持ってきているのだな」など、見えるものがあった。そういう意味では「ライン」は構造は複雑だが、フレージングを意識して聴くにはもってこいの曲だったかも。


・メロディーラインだけでなく、内声を担う中低音域のパートがフレーズを作って歌っていることで、音楽が芳醇になり、勢いがつき、迫力が漲る。今回も中低音域の弦の素晴らしさが印象に残った。ヴィオラ、チェロ、コントラバスは都市部の楽団に引けを取らないのではないか?ヴァイオリンは艶のある美しい音(浜雄さんの音色に、いい意味で染まって来ている感じ)が素晴らしかった。当たり前だが『やっぱりプロって凄い!』その一言だ。


・客席の入りは5割程度か?秋山さんが指揮する回はかなり認知されていてお客さんが入るが、客演指揮者の時は苦戦している印象だ。こんなにいい演奏なのにもったいない。一方でtwitterを見ると県外からの遠征客もいらっしゃった。新年度に入ってネットチケットが買いやすくなるので、SNSなどを通じたプロモーションをもっと力を入れるべきだろう。今回、ハレノワのこけら落とし(発売日が4月に迫っている)のチラシが入っていなかったのも解せない。

・帰り道に漕ぐ自転車のペダルのスピードが自然と上がる・・・そんな活力を貰ったコンサートだった。

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高畑壮平氏による冬の音楽アカデミー コンサート&演奏法解説 [コンサート感想]

高畑壮平氏による冬の音楽アカデミー コンサート&演奏法解説


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ヴァイオリン:高畑壮平

ピアノ伴奏:川﨑佳乃


2022年2月17日(金) 日本福音ルーテル岡山教会


・ノルトライン=ヴェストファーレン州立南ヴェストファーレン・フィルの第一コンサートマスターを37年間勤め(私にとっては何と言っても『岡山フィル 前・首席コンサートマスター』としてのご活躍の印象が強い)、ドイツを中心にヨーロッパでの演奏法な精通するヴァイオリニスト:高畑壮平さんによる、演奏法の解説を交えながらのコンサートを聴講した。

・私自身は全く楽器を演奏しないので、「あー、高畑さんの琥珀色に輝くようなヴァイオリンの音色を聴きたいな」と思いつつも、マスタークラスのようなものをイメージしていたのだが、主宰者の黒田さんから「コンサートとして聞かれる方も大歓迎ですよ」とご返事いただけたので参加した次第。

・高畑さんのソロを最後に聴いたのは、2020年7月の岡山フィルの定期演奏会でのワーグナー/ジークフリート牧歌の冒頭。チェロ首席の松岡さんとの掛け合いは絶品で、コロナが猛威をふるっている真っ最中にあるなかで心の癒やしとなった。

・プログラムに載っている曲だけではなくて、クラシックからスタンダードナンバーやエバーグリーンと言われる名曲を沢山取り上げた。高畑さんの演奏は聴衆を惹きつける力が別格に強く、「ああ、いいなあ」とうっとりした瞬間、そんな私の心の動きを察知したかのように、首根っこを掴まれて、美音の渦の中へこれでもか!と引きずり込んでいくような剛腕さがある。この感覚は過去に聴いた思い出の中では、オーギュスタン・デュメイやダニエル・ホープ、忘れてはならないのがシェレンベルガーのオーボエもそうだった。

・で、今回はそんな「引力の強い演奏」の秘密を理論的に解説するというとても興味深いものだった。解説は極めて実践的で、第一義的には演奏を志す方に対してヒントと示唆に富むものなのだろうが、私のような「聴き専」の聴衆にとっても本当に面白いものだった。もしかすると音楽の聴き方がこれがきっかけでガラッと変わるのではないか、そんな貴重な時間になったのだ。


以下、3月11日追記


・高畑さんの解説を聞いて一番印象に残ったのは、「音楽は決して天から降ってこない、自ら作り出さねばならない」という言葉だ。さらに「頭の中でイメージしたことが、音楽に反映されるのではない。大事なのはあくまで「フレージングを作り出す技術、能力」という言葉も印象に残った。

・ドイツでこの「フラジーレン」の能力は、演奏家にとって根幹を成すものらしい。音楽には「緊張と緩和」の波がある、『目的音』に向かって音楽が緊張とともに大きな波となり、頂点に達すると今度は緩和に向かう。そして再び目的音に向かって緊が始まる。これが「フレージング」の基本構造。

・こういうお話は私も聴いたことがあり、最近ではあるヴァイオリニストの方も、TV番組で「フレージングの重要性」について語っているのを目にした。面白いのはその方が「イメージを持ち、膨らませる」ことの重要性を指摘したのに対し、高畑さんは「イメージが音楽を作るわけではない」ということを明確にしている点。

・「緊張」と「弛緩」、そして「目的音に向かっていくエネルギー」について、高畑さんが様々な楽曲で実際に演奏して見せてくれると、とてもよく理解できた。

・例えば、サウンドオブ・ミュージックの演奏では、音楽がピークに達して聴き手が陶酔の中にいる状態で、そこからまた音楽が寄せては返す波がどんどん大きくなるかの如く繰り返されるエネルギーの大きさに圧倒される・・・よく、評論などで「体格の良い西洋人ならではのパワフルな演奏」「肉食系のハイカロリーな演奏」などと言われたりするが、実は高畑さんは体格的に恵まれているわけではない。そうした事は全く関係なかったのだ。

・終演後に高畑さんに、このレクチャーコンサートへ「聞き専」の聴衆として参加したことで、今まで疑問に思っていたことがどんどん氷解するような感銘を受けたことを伝え、今回、高畑さんが自身の負の部分をさらけ出すような現場経験を踏まえてのお話について、私自身の記録のためにもブログに書いてもよいですか?と許可を求め、『ぜひ書いてください!』と快諾を得ましたので、以下に書かせていただこうと思う。

・高畑さんの音楽家人生の転機は、突然訪れた。芸大卒業後に渡独。ハノーファー音大で本場の奏法を身に着け、歌劇場のコンマスを皮切りに南ヴェストファーレン・フィルの第一コンマスに就任するなどキャリアを重ね、聴衆や団員の評価も得たことで「この方向性で研鑽を積んでいけばよい」と確信し始めたある日、同僚のオーボエ奏者から「君の演奏は音楽とは言えない」と青天の霹靂のような指弾に遭った。高畑さんはフレージングやアーティキュレーションについて、一通り説明したのだが、なんとその同僚から「そんなことだろうと思った」と鼻で笑われたという。

・「フラジーレン」と言うのは、楽譜上でフレーズを設定したら、その中の音をダイナミクス、アゴーギク、アーティキュレーション、リズム等々様々な要素や素材を使い自分で「レイアウト」を創り出す事なのだそうだ。楽譜に書いてあることを色付けするのではなく、むしろ音楽家はフラジーレンする能力があることが前提で、楽譜にはその要素だけしか書かれていない。楽譜の記号だけを読み取って音を並べたのでは音楽にならない、強い調子で指摘された。

・同僚からの指摘で高畑さんは「フラジーレン」について調べていくうち、ドイツと日本では幼少期の音楽教育が根本的に違うことに気付く。それは、ドイツでは楽譜を読み解くことや楽器の操作方法を身につける前に、5歳のころからフレージングを自分で造っていく能力を学ぶ。高畑さんは(ご謙遜も入っていると思うんですが)これまでの自分は上辺のテクニックや技術で味付した音楽しか演奏していなかったのではないか?その気付きはたいへんなショックだったそうで、音楽家人生が一変する体験だった。

・ドイツのオーケストラがリハーサルの段階で、最初は全く縦の線が合わない事を不思議に思っていた。日本のオケでは自然と縦の線が合って行くのだが、ドイツはそうではない。彼らがなぜ周囲と合わせようとしないのか?理由がわかった。個々の音楽家は「フラジーレン」を創造しようとする、その混沌の中でアンサンブルを造っていく作業は、個々の音楽がぶつかり合い、時に意見が違う者同士の紛争も辞さず、それでもいいものを造ろうというエネルギーの中で、一つ上の次元で統合していく感覚のようなのだ。だからこそ、その音楽的方向性の一致点/統合点が見いだせたとき、物凄い深みと推進力の有る音楽が生まれる。

・このお話を聴いて私が思ったのは、「これはヘーゲルの言うアウフヘーベンの音楽版だなあ」である。矛盾や未解決の問題が存在する場合、片方が安易に妥協したり折れるのは真の解決方法とは言えない。まず個が確固たる基盤の上で自立した主張を成り立たせていること。その主張同士が、時には闘争することも辞さない構えでぶつかり合い、その中でひとつ上の次元の解決策が見出される・・・・なるほど、だから本場の音楽家やオーケストラの演奏は、あれほどの迫力を持って聞き手に迫ってくるのか・・・

・高畑さんは、それまでコンマスとしてオーケストラのアンサンブルが全く合わない時、「何をやってるんだ、楽譜にこう書いてあるでしょ!」と楽団員を嗜める事がしばしばあった。しかしそれはヨーロッパの伝統的な音楽作りを十分に理解していなかった。楽譜に指定が無くとも自らフラジーレンし演奏するべき物がある。楽譜が音楽家のフラジーレン能力を前提にしている事は、ドイツに限らずヨーロッパの伝統の底流をなしている。

・高畑さんはドイツの伝統的な「フラジーレン」の能力を身につけるために、小学校高学年の子供が勉強するような内容からやり直したそうだ。私などから見ると、本場のオーケストラのコンサートマスターまで務めているプロの奏者が、そんな苦しみを伴う学び直しをすることに戦慄を覚えたが、実際には「宝の山が見つかった」という感覚だったそうだ。往年の巨匠たちがどの音に向かってフレージングを創っているのかが解明できるようになった。あるいはそれまでのご自身の演奏の問題点を克服し、借り物や真似ではない「自分が作り出した音楽」という宝を掘り当てた、とのこと。 


・他にも面白いお話は沢山あった。日本語では「私は今日、天気が良かったのでピクニックにでかけました」という文章を平らに喋ることに違和感がないが、ドイツ語ではどこかの単語に力点を置く。「今日」なのか「天気が良かったから」なのか「ピクニック」なのか、喋る当人が強調したいことを明確にせずにはおられない。そういった目的思考の言語感覚が「フラジーレン」の作り方に影響している。などなど・・・・

・話があちこち飛んでしまったが、私にとっては本場のオーケストラの音の迫力、心を捉えて話さない表現の深み、その秘密の一端が垣間見えるようなレクチャーに興奮した。去年岡山で聴いたパリ管も、一昨年姫路で聴いたウィーン・フィルも、椅子に押し付けられるような圧を感じるパワーを感じたのだが、この日の高畑さんの演奏にも同種の迫力、引力を感じた。

・また、しきりに「緊張しっぱなしではいい音楽にならない」と仰っていたか、緊張と弛緩の繰り返しが、こういった力強さを生み出すのかもしれない。私には解明できないが、たいへん楽しい時間だった。

・高畑さんは現在、出雲フィルハーモニー管弦楽団の客演コンサートマスターを勤めている関係で、年に2回ほど来日の機会があるようだ。次回の「アカデミー」も(聴き専の私でもOKのものならば)是非参加してみたいし、楽器を演奏される方ならば尚更、大きなヒントを得られること請け合いだろうと思う。

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THE MOST music festival 街角コンサート [コンサート感想]

 1月に新型コロナ感染症に罹患し、最初に発症した子供の濃厚接触者待機から数えて丸々2週間の隔離になってしまった。

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 よって1月の岡山フィルの1月定期は欠席、THE MOST music festival のオープニング公演の森野美咲さんと木口雄人さんのデュオは、咳・倦怠感の症状が強く、チケットを譲りました。譲った相手はクラシックのコンサートは始めてだったらしく、プログラムに色々な工夫があったようでとても楽しかったようだ。また一人、クラシックのファンを開拓したと思えばこれもまた良し。

 とまあ、こんな感じで生音楽に飢えに飢えていた状態で、街角コンサート2つに足を運ぶ。

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◆2/10 1830〜岡山コンベンションセンター アトリウム 1曲目(曲名失念)。福田廉之介のソロ。まさに松ヤニが飛んでくるような距離で聴く美音。弓を自在に操り、聴き手の心の琴線を直接揺り動かしてくる。
 2曲目はルクレール/2台のヴァイオリンのためのソナタ(福田廉之介、春名夏歩)、3曲目はタイスの瞑想曲(西江春花)。二人の若きヴァイオリニストはTHE MOSTの岡山の本公演に登場した方。二人とも音を確実に捉えて表現していた。福田さん曰く、若い修行中の音楽家が市井の聴衆の前で演奏する機会は本当に少ない。自分は色々なチャンスを貰ったので、これからは若い人たちにチャンスを与えていきたい、とのこと。
 お客さんは100人近く集まっており、小さい子供も聴きに来ていて、子供がどんどん福田さんに惹き込まれるように近づいて聴いていた。

◆2/11 1030〜ホテルグランヴィア岡山 敢えて「プロデューサー」と呼ぼう=福田さんも会場で進行役を務める。

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 昨日に続いて春名夏歩さんによるサン=サーンス/序奏とロンドカプリチオーソ。スケールの大きい良く歌う演奏。昨日よりいっそう素晴らしかった。
 2曲目の中村さんによるパガニーニ/24のカプリス第1番。これはもはやプロの演奏。既に高校生離れしている。中村さんはTHE MOSTの東京公演に登場した方のようだ。
 3曲目のバッハ無伴奏ソナタのフーガも圧巻。彼の描き出す世界観を堪能。5年後、いや3年後には名前が知られる存在になりそう。
 最後は春名さん、中村さんがピアノ伴奏でショスタコーヴィチ/5つのソナタ。30分ほどのコンサートとは思えない充実した時間だった。

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 昨日の盛況とは対照的に、お客さんは20人程度。最後は吹き抜け2階に何人かお客さんが集まって、それでも30人ぐらい?福田さんが演奏しない回は集客に苦戦している印象。
 THE MOSTの本公演にオーディションをくぐり抜けて登場した若き音楽家の卵たち。彼らを1回のコンサートのソリストだけでなく、こうしたロビーコンサートのユニットに組み込んで経験を積ませる・・・福田さんの構想力には脱帽だ。

 彼らは恐らく今後も一流の教育者の元で研鑽を積み、コンクールなどにも出ていくのだろう。しかし、「音楽家として生きる」ということは、私のような素人聴衆の心を捉え、惹きつける能力が必要。一般の聴衆が音楽に感動する理由はそれぞれ、「もう一度身銭を切ってでも聴きたいか」を決めるのは、そんな掴みどころの無いもの。コンクールの審査員や音楽家の能力を見抜く目を持った専門家に評価されることと、一般の聴衆の心をつかむことの間にはかなりの開きがあり、おそらくその事を福田さんは分かっているからこそ、こういった舞台やチャンスを作っているのだと思う。


 残念ながら、2月19日の前橋汀子&松本和将のリサイタルと、THE MOSTのメンバーと岡フィルの夢の共演には、先の予定が動かすことが出来ず、聴きにに行けないのが悔やまれる。

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ゆるび祝祭室内管弦楽団 第7回ニューイヤーコンサート Vn:石上真由子 Pf:長治昂志 [コンサート感想]

ゆるび祝祭室内管弦楽団 第7回ニューイヤーコンサート


ヴィヴァルディ/「和声と創意の試み」作品8 「四季」(全曲)
カプースチン/ヴァイオリン、ピアノ、オーケストラのための協奏曲(本邦初演)

指揮:江島幹雄
ヴァイオリン独奏:石上真由子
ピアノ独奏:長治昂志
2023年1月9日 早島町町民総合開館「ゆるびの舎」文化ホール

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・秀逸な企画による最高に愉悦に満ちたコンサートを堪能した。ゆるび室内祝祭管弦楽団(今回は弦楽合奏のみ)は岡山在住のプロの奏者で結成されており、これまでにバルトークの管弦楽曲やショスタコーヴィチの協奏曲など、岡山ではなかなか聴けない楽曲を聴衆に提供してくれている。今回もカプースチンの日本初演の曲ということで胸躍るような好奇心を持って足を運んだ。

・配置は1stvn4→2ndVn3→Vc2→Va3、上手にCb1の配置。プログラムにはコンマスの表記はなかったが、長坂拓己さん(岡フィル・アシコン)が務めた。

・まあ、なんと言ってもカプースチン、旧ソ連圏にこんな作曲家がいたのか!と驚嘆を禁じ得ない。去年はコロナ感染拡大の職場ルールで鑑賞を断念したのだけれど、ピアソラ/ブエノスアイレスの四季を取り上げたそう。今回のカプースチンもそれに匹敵/凌駕する名曲。これが国内初演とは。

・ピアノの長治さんが「ジャズといえば即興で演奏しそうだけど、実は楽譜は音符で埋め尽くされている」と仰っていたが、聴き手から見ると、ピアノ、ヴァイオリンの石上真由子さん、そしてオケメンバーが即興で弾いているとしか思えない瑞々しく躍動する演奏。

・解説も興味深い内容だった。カプースチンはウクライナ生まれでモスクワに学び、西側からの短波ラジオで流れるジャズの世界の虜になってこういう作風を身に着けていったようだ。プレトークでチェロの江島直之さんが仰っていたが、この時期に旧ソ連下で西側の影響を強く受けた楽曲の演奏を聴いたことで、思想や趣向が矯正されることがなく、皆が音楽を享受できる平和な世界に戻って欲しいと思う。

・前半のヴィヴァルディ「四季」。コロナ時代に突入してから生演奏で聴くのは3回目。聴けば聴くほど奥が深い。石上さんのソロはむやみに表に出ることなく。各パートとの豊かな対話の中に、鳥のさえずり、風、小川のせせらぎなどのモチーフを奥行きのある空間に立体的に配していく。これぞコンチェルト・グロッソの愉悦を感じさせてくれた。

・「四季」の各曲の第2楽章の美しさも際立っていた。ノン・ヴィヴラートの音が本当に美しい。音の響かせ方が巧みで、コンサートが終わった後も「またあの音を聴きたいな」と思わせる魅力があった。指揮者の江島さんはじめ、オケ奏者も彼女と演奏することが本当に楽く感じていることが伝わってきた。

・冬の第1楽章、ヴァイオリンのソロが繊細な弱音で入って来て、徐々にヴォリュームを上げていくアプローチは初めて聴いた。このアプローチもいいね。

・会場は8割近くの入り。拍手の感じから、クラシックに詳しくない聴衆も多いと感じ、このシリーズにお客さんが定着していることを実感した。指揮の江島幹雄さんは、「今後もヴィヴァルディの四季プラス何かを組み合わせたプログラムを続けていきたい」とコメント。そうやなあ・・・次回はプーランク:牝鹿もしくはシンフォニエッタあたりを聴きたいな。

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「親子deクラシック」 指揮:松元宏康 [コンサート感想]

 少し時間が経ってしまったが子供も連れて親子deクラシックに行った感想を。

中国銀行ドリーミーコンサート
親子deクラシック
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指揮:松元宏康
コンマス:近藤浩子
2022年12月18日 岡山シンフォニーホール

 チケットはなんと完売!3階席まで埋まった客席を見たのはコロナ後でははじめて。そして指揮者の松元宏康さんのトークがキレキレである。クラシック音楽業界には全く居ないタイプ。それもそのはず、彼の経歴には「M-1三回戦進出」とある。そう彼はコメディアンと指揮者という2足のわらじ(彼が言うには究極の二刀流)を履いているのだ。

 1曲目後のトークの見事なアイスブレーキングで会場を温め、終始「演奏は岡山フィルハーモニック管弦楽団、覚えて帰ってね」「地元にこんな素晴らしいプロフェッショナルのオーケストラはあるって、本当に凄いことですよ!」と宣伝。上のパンフレットには岡山フィルの表示が無いので、松元さんが機転を効かせたのだろう。

 スポンサーの中国銀行のクレジットにも余念がない。あまり客席が食いついてないな、と感じたらすぐにトーク内容を切り替える柔軟性もあり、加えて自己PRの推しが強い強い(笑)「先日もコンサートでいっぱい宣伝したんですけど、twitterのフォロワーが2人減ってました」と自虐ネタで爆笑を取る。


 何事にも奥ゆかしい人が多いこの業界には、こういうアクの強いタイプの人は必要。

 指揮についても運動(音楽)神経が良さが感じられるしなやかで軽やかな指揮。
 岡フィルも東京組の首席は不在だったがトランペットの首席の小林さんとホルン客演首席に大フィルの藤原雄一さんが乗り、ルパン三世のテーマでの見事なソロに会場もうっとり。観客の手拍子・足踏みが驚くほど息がぴったりで楽しかった。

 個人的には小六禮次郎の烏城浪漫が聴けたのも良かった。こういう委嘱作品の再演は、定期演奏会でもやって欲しい。
 今回は1階バルコニー(屋根かぶり)席に座ったので、迫力には欠ける印象だったが、ゆったりと観ることができた。親子ともに大いに楽しんだコンサートだった。

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アマオケの岡山交響楽団で、ドヴォルザークの6番を堪能する [コンサート感想]

・岡山を代表するアマオケの岡響を久々に聴いた。


岡山交響楽団で第74回定期演奏会


スッペ/喜歌劇「詩人と農夫」序曲

グリーグ/ノルウェー舞曲

 〜 休 憩 〜

ドヴォルザーク/交響曲第6番


指揮:杉本賢志


2022年11月20日 岡山シンフォニーホール


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・配られたプログラムに過去の定期演奏会が掲載されているのだが、それを見ると2019年のブルックナー4番以来になるんやなー。その後、コロナの影響で2回中止、1回は無観客演奏という苦難の道のりを辿る。今日は大好きなドヴォルザークの6番がかかるので馳せ参じた次第。


・編成は1stVn9→2ndVn11→Vc9→Va9、上手にCb5というやや変則的な編成。奏者が揃わないパートには賛助奏者(プロ)が入って補強していた。

・3年ぶりの岡響サウンド、やっぱりいいもんですね。楽章の最後やトゥッティのあとの休符の際にホールに響き渡るサウンドが、このオーケストラ独特の柔らかいサウンドで、岡響健在を確認できた。

・音の迫力も充分でノルウェー舞曲はビシビシとトゥッティが決まって素晴らしかった。

・さあお目当てのドヴォルザークの6番。私のドヴォルザークの交響曲遍歴は、まず中学生の頃に9番にハマり、続いて8番、7番にドはまりした。6番は銀河英雄伝説のアニメで頻繁に使われていたので馴染みはあったものの、本当の良さに気づいたのは大人になってプロで実演(大阪シンフォニカー交響楽団、指揮はヴァーレクだったか)で聴いてから、そしてこの岡響の演奏で実演は2回目の鑑賞。

・ロマン派きってのメロディーメイカー、ドヴォルザークの面目躍如ですよね。第1楽章〜第2楽章はこれでもか!というほど魅力的なメロディーが惜しげもなく使われている。

・岡響はこの曲を偏愛する自分が「ここはこういう風に演奏してほしい」と思っている部分を、ほとんど叶えてくれた。自然賛歌を歌い上げる弦の泣きっぷり、そよ風が吹くようなティンパニ。木質感とぬくもりのある管楽器の音。そしてオルガニストだったドヴォルザークのハーモニー感覚を再現したようなオーケストラの全体の響き。どれも素晴らしかった。


・プロだと涼しい顔して通り過ぎていく部分も、こうして聞くと結構難所のある曲だということも解った。それらはすべてクリアされていたが、舞台上に「ここ、気をつけよう!」という空気が走るので、よくわかるのだ。第1楽章の提示部の部分からして落とし穴のような所がある。第4楽章に至っては、かなりの集中力とスタミナが必要な印象。

・そう、この曲は題3楽章までは第1級の名曲なのだ。しかし、第4楽章は演奏者の労多くして功少なし、の印象は否めない。ブラームスを意識せずに、交響曲題8番のようにドヴォルザーク自身の筆に任せて書き上げていたら、「後期4大交響曲」として一角を占める傑作になっただろうに。

・ともあれ、2〜3日で仕上げなければならないプロとは違って、半年の時間をかけて身体に染み渡った音楽をステージ上で出していく。聴き手も暖炉の火にあたっているような味わい深い温かみを感じながら音楽に没頭する、音楽を聴くことの一つの醍醐味を存分に味わった。

次回の定期演奏会は2023年5月14日。元N響首席ホルンの福川さんを迎えてのグリエール/ホルン協奏曲にメインはシベリウスの1番!これは聴き逃がせない。

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パリ管弦楽団2022岡山公演 指揮:マケラ Pf:アリス=紗良・オット [コンサート感想]

パリ管弦楽団2022岡山公演 指揮:マケラ Pf:アリス=紗良・オット

ドビュッシー/交響詩『海』
ラヴェル/ピアノ協奏曲ト長調
〜 休 憩 〜
ストラヴィンスキー/バレエ音楽『火の鳥』(全曲)

指揮:クラウス・マケラ
独奏:アリス=紗良・オット
コンサートマスター:千々岩英一
2022年10月21日 岡山シンフォニーホール

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・いやー、凄いものを聴いてしまった。マケラ指揮パリ管岡山公演。マケラとオーケストラから放射される無尽蔵のエネルギーに、前半だけですでに放心状態。強烈なリズム、極限まで磨き抜かれた陶酔的なハーモニー。マケラとオーケストラが紡ぎ出すソノリティのすべてが刺戟的で官能的。やっぱりマケラはホンマに「ヤバいやつ」だ。



・客席の入は7割ぐらい。このS席とA席が売れ残っているのだが、B席C席は満席だから、1階から見上げるとその境目がくっきり見える(笑)S席のチケット代は28000円。猛烈な円安のためか発表から発売までに3000円値上がりした。私は基本的には2階席以上を希望するのだが、今回は1階席前方やや左の位置。岡山音協の会員先行発売では座席を選ぶことは出来ず、岡山音協の言葉を借りれば『提供できうる中での最良の席』だった。「あー希望とは違ったなー」と思ったが、これはこれでパリ管やソリストを目の前で聴くチャンスと前向きに捉えた。

・編成は1stVn14→2ndVn12→Vc8→Va10,Cb8の3管編成を基本に、火の鳥ではバンダも含めて4管編成に。これだけの規模だとステージ所狭しという感じ。



ドビュッシー/交響詩『海』

・一曲目のドビュッシー/海の冒頭から一発かましてくれた。拍手が終わってマケラが構えてからなかなか演奏が始まらず(後で解ったが、今回は帯同から外れていた首席コンサートマスター:フィリップ・アイシュさんがツアーの最中にお亡くなりになられ、今回はアイシュさんに捧げるコンサート。そのための祈りを込めたのだろう)。静寂の中から空調か何かの音が微かに聴こえてきた。いや、まてよ?このホール空調の音なんてしないはず、と思った瞬間、マケラ棒先が動いて空調の音=実は微かなティンパニの音が揺らぎ始め、ハープの音が加わり弦が繊細に奏でられ・・・。静寂→ぼやけたモノクローム→極彩色という鮮やかな場面の移り変わりに目眩がしそうになった。「いやー、初っ端からマケラにやられた!!」


・ドビュッシーの『海』は片手では足りない回数は実演で聴いており、リヨン国立管やトゥールーズ・キャピトル国立管、ブリュッセル・フィルなどフランス語圏の一流オケの演奏に接してきたが、それらの実演でのフランスのエスプリの効いた優雅な『海』とは趣を異にしていた。ピアニッシモでの執拗な拘り、原始的かつ常に変化していくリズムが強烈に印象に残った。

・もちろんパリ管でなければ表出できない独特の馥郁たる香り豊かな場面もある。第1楽章の第1主題が登場してフルート(なんと柔らかくも華やかな音)やコンマス千々岩さんのソロのあたりの場面での何とも香り豊かな美しさは、パリ管伝統の音。

・ところがチェロとホルンに導かれて第2主題が登場してから一変する、私の眼前に示されたヴィジョンは、冨嶽三十六景 「神奈川沖浪裏」に出てくる、波に翻弄される押送船の漕ぎてのポジションから見る大自然の変化、そしてその変化も浮世絵の構図や画法のように、かなりデフォルメされた、いわば「歌舞いた(傾いた)」景色であり演奏をマケラのタクトによって大胆に描かれていく。

・時にマケラは棒を降ろしてオーケストラに任せるような場面があるが、このコンビが始まって1年あまりというのに、既に信頼関係や音楽づくりのディレクションが一致しているようだ。

・海の波濤が一つとして同じものが無いのと同じように。同じような表現が繰り返される、ということがない。19世紀のフランスの芸術家たちが受けたジャポニズムの衝撃の大きさ、それを日本の聴衆にそのままぶつける、そんな野心的な意図すら感じる。

・第1楽章終結部に入る前のチェロがソロを取る場面でもこの楽章冒頭で見せたような弱音・細部への執拗な拘りが垣間見え、その繊細で幻想的な世界からダイナミクスを駆け上がっていく場面のカタルシスたるや・・・。岡山シンフォニーホールを震撼させるような大音量でも弦は勿論、管楽器、そして打楽器さえも柔らかく、耳につくような音は皆無。奇跡のような音を浴びる瞬間、ああ、あの音をもう一度浴びたい・・・

・この調子で書くとこの曲だけで字数制限を超過する。そしてこれだけ書けば、後で読み返した時にこの日の演奏は間違いなく想起できるだろう。あとはかいつまんで。

・第2楽章はなんと言ってもハープ!そしてオーボエ・コールアングレ。このパリ管やギャルド・レピュブリケーヌに代表されるフランスの管楽器の音の気持ちよさ何なんだろう。終結部、ハープやピッコロ、チェレスタが繊細な情景を描く場面。もう最高に幸せ。

・第3楽章は、もう圧巻の一言。実演だけでなく録音でも何百回と聴いてきた筈のこの曲が、まるで初めて聴いたように新鮮に響くのだ。確かに次々に登場するフレーズは耳にタコが出来るほど聴いてきたソレに違いないのだが、音楽全体は間違いなく初体験の衝撃と感動なのだ。

・第3楽章中間部のヴァイオリンのフラジオレットから曲の終結部の頂点に向かう部分で涙が出てきた。頭で考えてフレーズを作っているのではなく、身体に染み込んだ身体共通言語のようなものがあり、その環の中にマケラのタクトがある。音楽を駆動するリズムの強烈なこと!題1楽章の終結部を超えるカタルシスの渦に聴衆を巻き込んでいく。

・こんなに迫力ある演奏なのにこれほど美しく、輝かしいのはなんでなん!?ありえんわ!?

・1曲めなのに、会場は大盛りあがり。立ち上がって拍手している人もいる。カーテンコールも3回。千々岩コンマスの会釈がなければ何度続いていたことか。マーラーの交響曲を1曲聞いたような満足感・疲労感があった。




ラヴェル/ピアノ協奏曲ト長調

・舞台上の準備中も客席がざわざわしている。仲間と聴きに来ている人同士で「すごかったね」「まだ一曲目やぞ」・・・コロナ後は交わされなかったそんな他愛のない会話が交わされている。

・ソリストにアリス=紗良・オットを迎えてのラヴェル/ピアノ協奏曲。ここ岡山では20年に一度、演奏されるかどうかのプログラム。アリスさんはよく似合ったノースリーブの赤いワンピースで登場。ホンマに裸足で出てきた!そして踵を踏まずに歩くからか、何とも所作が優雅。

・ムチの一撃で、パリ管からドビュッシーとは違うサウンドを、パレットから出してきた。目が覚めるよなヴィヴィッドな色彩。古い言い方だがこれぞ花の都のパリの香りだ。音楽に合わせて頭を揺らしたくなる衝動を抑えるのが大変。

・トランペットに始まり、パーカッション、木管が随所にソロがあるが、必死に演奏する感じではないのがこのオーケストラの魅力の一つ。で、ソロ場面が終わったら隣の奏者に「どうだい?最高に上手くいったろ?」「今日のお前は最高だせ!」みたいに堂々とやってるのもニクメない。

・アリスさんの実演には初めて接したのだけれど(妹さんの演奏はブリュッセル・フィルとの共演で体験済み)、チャイコフスキーの協奏曲の録音を聴いた印象とは全く違っていて、超絶テクニックや強靭な音にプラスして、インスピレーション豊かで、これほどファンタジスタな一面があるとは想像を超えていた。

・彼女のピアニズムを最も現していたのは第2楽章。アリスさんの繊細なタッチとペダルコントロール(だから裸足なのか)によって、胸が締め付けられるような切ない世界に身を委ねる。不協和音さえもこれ以上無い美しさで聴き手の心のひだに染み込んでくる。オーケストラもミュートをつけたヴァイオリンの伴奏が本当に素晴らしく、アリスが紡ぎ出す世界を抱擁し、コーラングレをはじめとした木管たちのソロもアリスさんの世界にインスピレーションを与えていた。

・第3楽章、アリスさんもオーケストラも、グルーヴ感満載、みんな、タテの線とか合わせる気、さらさら無いよね(笑)ソリストとオーケストラ、あるいはパート同士がトムとジェリーみたく、遊んでおります(笑)こりゃーマケラも大変だ(笑)などと思っていたら、ちょうど横顔が見える瞬間があって、最高の笑顔で振っているではないか!ソリストとオケの、一見好き放題やってる個々のミュージシャンのリズムのキレを収斂させ、これ以上ない推進力を生む。そして、弛緩させる場面でのオケから引き出すニュアンスの豊かさといったら・・・こりゃーたまらんですばい。

・終わった瞬間、ブラボーの嵐だ。そしてマケラとアリスの熱い抱擁にドキッとする。いや、だってこんな『密』な状況を目の当たりにしたの、久しぶりだったから。

・アリスが日本語で「新幹線に乗り遅れちゃうから、短い曲で」とチャーミングに紹介したアンコール曲はアルヴォ・ペルト/「アリーナのために」。アリスの笑顔とは対象的、深い縁の底を覗き込むような音楽にギョッとした。彼女は何を意図してこの曲を選んだのだろう。 


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ストラヴィンスキー/バレエ組曲『火の鳥』全曲

・後半開始前、すでに20時25分。隣の席のご夫婦が
「もうこんな時間?火の鳥ってどんぐれーかかるん?」
「30分ぐれーじゃろ」
 いやいや、全曲版は50分以上かかるぞ、と思ったが会話禁止のため黙っておいた。
 かなりボリュームのあるプログラムだったと言える。

・前半の段階から気になっていたのだが、譜面台ライトが設置されている。『火の鳥』は照明演出が入るということだが、東京や名古屋の公演での評判は散々だったので、鑑賞に集中している最中に暗転したりしたらやだなーと思っていた。チケット代26,500円払って鑑賞に身が入らなかったらかなり悲惨だ(泣)がしかし、岡山シンフォニーホールの証明はサントリーホールなどと比べて、演奏中でも割と明るいので、私の席からは反響板にぼんやり映されているな〜程度だったので助かった。でも、一体何がしたかったのか??は謎だ。余談だが、図らずも反響板にかなり埃?汚れ?が付着していることが明るみになったのはなんともはや、という感じ。

・「火の鳥」は、1919年版というダイジェスト版とも言える組曲では片手では数え切れないぐらい(たぶん8回ぐらい)聴いている。今年の5月に秋山和慶/岡フィルでも聴いたばかりだ。しかし、全曲版は2017に隼メルクル&広響@広島市文化交流会館での1回のみ。1919年版組曲は2管編成でも演奏出来るように組み立てられているが、全曲版になると4管の巨大編成に加えて、トランペットやワーグナーチューバからなるバンダまで投入される。Aプロの春祭のために用意された奏者を余す事無く使ったということだろう。

・私は広響で全曲版を聴いて以来、組曲版がどうにも物足りなく感じるようになった。むろん、全曲版はバレエと一体になるために作られているので、バレエの演技が無いと退屈するきらいもあり、オーケストラや指揮者の力量あっての前提にはなるのだが組曲版では外されたシーンにこそ、火の鳥の醍醐味が詰まっている。

・1919年版組曲では、中間部分の「王女たちのロンド」から「カッチェイたちの凶悪な踊り」まですっ飛ばしてしまうが、この間の5曲約20分間こそ、この曲の醍醐味が詰まっている。

・一方で序盤の部分は物語のプロローグであり、それぞれの登場人物たちの紹介や演舞演舞あっての音楽という性格が強く、ややもすると音楽自体は退屈になって仕舞う。ここは今回ツアーのAプロの「春の祭典」に比べるとウィークポイントになる危険性を含んでいる。

・ところが、バレリーナ・バレリーノたちの演舞あっての音楽、と思っていたこの部分さえもパリ管の自慢の木管陣の華麗な音楽によって全く退屈することはなかった。火の鳥の踊りを表現するフルート・クラリネット、イワン王子との追いかけっこ。中間部に入っての「王女たちのロンド」でのオーボエ。場面が変わる度に珠玉の音楽がホールの空間にこだまする。

・管楽器のソロが「上手いなあ〜惚れ惚れするな〜」というのもあるのだけれど、その目立つ管楽器を支える他の楽器が作り出すハーモニーが、華麗で色気があって・・・「火の鳥の嘆願」や「魔法にかけられた13人の王女たち」(千々岩さんのソロも最高に良かった!)、での夢のようなハーモニーが未だに頭に残っているし、「黄金のリンゴと戯れる王女たり」も、こんなに柔らかい高速タンギング、聴いたことがない。

・この曲はロシアの指揮者やオーケストラも得意にしているのだが、もう音色や匂い立つような香りは完全にフランス音楽のそれ。もっとも初演はパリだし、バレエ・リュスもフランスで発展したという歴史を考えれば、パリ管メンバーが「俺たちの音楽」と誇りを持って演奏してしかるべきなのだ。

・組曲版にもある「王女たちのロンド」で、ソロ楽器たちがよく歌うこと歌うこと!こういう場面のマケラは徹底的に『邪魔をしない』戦術のようだ。オーボエのソロのところなど、指揮棒をおろして、ソロを取るガテさんを熱い眼差しで見つめている(笑)一方で他のパートはそのソロが引き立つように、アンサンブルを組み立ててくる、彼らの感覚・音楽センスのエリートたちにマケラは絶対の信頼を寄せていることを全身で示している。そんな姿勢がオーケストラから圧倒的に指示されているのだろう。

・「夜明け」に入ってからがマケラの剛腕発揮だ。トランペット・ワーグナーチューバのバンダは、舞台裏に配置し、扉を開けて音を入れている。「イワン王子、カッチェイ城に突入」あたりからマケラのタクトがいっそう熱を帯びグイグイと音楽を引っ張っていく。息詰まり手に汗握る一大スペクタクルがめくるめく展開されていく。

・「火の鳥の出現」から「火の鳥の魔法にかけられたカッチェイの手下たちの踊り」を経て「カッチェイたちの凶悪な踊り」は、『こんなに絢爛豪華なサウンドでこの曲を演奏してええんか!?』と思うほど、パリ管のサウンドを客席に浴びせかける。管楽器も勿論すごいのだけれど、弦の音がうねるうねる。マケラのオーケストラ・ドライヴも凄い!この曲、こんなに弦楽器から音圧を浴びるような曲やったっけ?とびっくりするような瞬間の連続。

・信じられない程の美音の洪水に、尽きることのないパワーとスタミナ。頭が(いい意味で)おかしくなりそう。ヤバいヤバい。これ音楽麻薬だわ。

・「火の鳥の子守唄」のような繊細な場面での極限までボリュームを絞った要求をする一方でマケラはファゴット・オーボエは好きなように吹かせ、弦は思う存分気持ちよく歌わせる。この人の指揮はセンスの塊だ。

・「カスチェイの死」での弱音の繊細なコントロールも凄い。ここまで要求する指揮者も指揮者だが答えるオーケストラもお見事。で、その極限のピアニッシモの中から、フィナーレの「カッチェイの城と魔法の消滅」のホルンが吹くテーマが柔らかく流れて来たものだから、聴きても感極まって涙が出てきてしまうのは仕方がない。

・最後の咆哮する金管を突き抜けて聴こえて来る輝かしくもグラマラスな弦のトレモロに全身の毛穴が開いて。パリ管サウンドを惜しむように全身に浴びた。

・このオーケストラはなぜこれほど芸術的で人間的なサウンドにあふれているのだろう。「ご法度」のブラボーは今日は許してほしいし、スタオベで熱狂するのも仕方がない。これほどの演奏に接して興奮しないのは、人間を捨てるに等しい。

・私はカラヤンやバーンスタインの実演には間に合わなかったが、アバド、ヤンソンスには間に合った。そして今回は自分よりもふた周り以上年下の圧倒的なカリスマ性をに接した。マケラさんの晩年期には立ち会えないが、最も脂の乗る壮年期に立ち会う事を目標にこれからの人生を過ごしていきたい。それにはまず健康を維持することやなw

・カーテンコール4回目で、楽団員がマケラさんに聴衆の拍手を受けるように、座ったまま地鳴りのようにステージを足で踏み鳴らす。全員が心から26歳の才能に惚れ込み、一緒に共演することに喜びを感じていることが解る。コンサートごとに繰り返されるこのシーンだが、これほど指揮者と楽団員の良好な関係を見せつけられる瞬間は稀かもしれない。

・アンコールはシベリウスの「悲しきワルツ」。客席に向かって英語で説明してくれたが残響が多くて(うそ、英語リスニング能力が無くて)聴き取れなかったが、コンマスのアイシュさんの追悼のための選曲だったようだ。最後の音が消えかかろうかという瞬間、拍手が起こったが、マケラの背中から発するオーラでそれを制し、沈黙が1分近く続いた。団員の中には涙を流すものも多かった。

・カーテンコールが鳴り止まず、マケラさんの一般参賀。その最中も楽団員さんがスマホ片手に客席を撮影したり、なんというか日本ツアーを心から楽しんで、全力で音楽している。愛すべき人たちだ。

・印象に残った奏者の名前を覚えておこう
オーボエ:アレクサンドル・ガテ
フルート:ヴァンサン・リュカ
クラリネット:フィリップ・ベロー
ファゴット:マルク・トゥレネル
 で合っているだろうか?ガテさんは、7年前の倉敷公演でヤルヴィの一般参賀のあと、オケ・メンバーのみんなを舞台に連れ出し、こんな素敵な時間を作ってくれた人。

ものすごい名手なのに、人懐っこい人柄は健在だった。


・自転車に乗って帰る途中、オリエント美術館周辺に観光バスが何台か停まっているのを発見。遠方からの鑑賞ツアーのバスだろうか。それにSNSを見ると、近畿〜九州にかけて広範囲から新幹線で駆けつけた遠征組がいらっしゃったようだ。岡山は交通至便、2130終演でも滋賀〜博多までは余裕で帰れてしまう。まあ、地元の人間がもう少し席を埋める必要があるけど、今後も岡山での海外アーティスト公演が増えるといいなあ。

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THE MOST in JAPAN 2022 岡山公演 [コンサート感想]

THE MOST in JAPAN 2022 岡山公演

モーツァルト/ディヴェルティメント ニ長調 K.136
ブリテン/シンプル・シンフォニー(岡山市ジュニアオーケストラとのコラボ)
〜 休 憩 〜
バッツィーニ/妖精の踊り(※)
グリーグ/ホルベルク組曲


独奏(※)・コンサートマスター:福田廉之介

弦楽合奏:THE MOST

 ヴァイオリン:小島 燎、佐々木つくし、関朋岳、竹田樹莉果、山根一仁

 ヴィオラ:正田響子、田原綾子
 チェロ:上村文乃、松岡陽平
 コントラバス:岡本潤

共演:岡山市ジュニアオーケストラ



ヴァイオリン:2022年10月10日 岡山シンフォニーホール

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・ホンマに気持ちのいい音楽を聴いた感じ。昨日の岡フィルの70人以上の大編成オーケストラもいいけど、12人の才能による泉のように湧いてくる新鮮な音楽を身体で聴く快感を堪能。毎回思うけど、この人数で2000人のホールを豊かな響きで鳴らし切れるんだよなぁ。

・1曲目はモーツァルトのディベルティメント、K.136。よく聴いている筈のこの曲が、とても新鮮に聴こえて来る。馬車に揺られるような通奏低音の上に、音楽にふわりと浮力が与えられたかと思うと次の瞬間、光が降り注ぐような音にワーッとなったり、ザクッとした肌触りに変化したりと思ったら乗っている馬車が勢いよく駆け出したり、みたいな目くるめく変化に心が浮きたっていく。

・2曲目は岡山ジュニアオーケストラのメンバー17名が加わってのブリテン/シンプルシンフォニー。一音目が鳴った瞬間、「これは凄い!」と。中高校生が中心だが、バスには分数楽器を使っている子もいるのにこの迫力と表現力。

・MOSTのメンバーも本気ですよ。このテンポで行きますかっ!てところにジュニアオケも食らいついて、アンサンブルに乱れはない。音大をめざしたり、中にはプロを目指している子がいるかもしれないが、にしても見事な音楽がはじけていた。

・休憩後は福田廉之介くんのソロによる。バッツィーニ/妖精の踊り。初めて聴く曲だったが廉之介くんのヴィルトゥオジティ全開のジェットコースターのような曲だった。妖精というより、金斗雲に乗っる孫悟空という感じだ。

・MOSTのメンバーも変幻自在。隙あらばなんか仕掛けてやろう、あっそれいいね、おっそう来る、じゃもっと煽ってやれ、みたいな遊びの要素もありつつ。

・変幻自在といえば、最後のホルベルグ組曲もそう。前奏曲から北欧の自然の風景が眼前に展開し、舞台上からの音はまるで高緯度地域を吹き抜ける冷涼な「風」。活気と愉悦に満ちた演奏。このTHE MOSTの演奏を聴いてると、なんだか日本のアンサンブルじゃなくて、本場のヨーロッパのアンサンブルを聴いている感じがするんだよな。フレージングなのか力強さなのか素人には判らないけど、第4曲のアリアの鳴きっぷりなんて、ホールが共鳴していたもんなぁ。一番は「とことん音楽してる」のが伝わって来るところ。

・アンコールはフィドル・ファドル、こんなお洒落で格好良くてニュアンスたっぷりなフィドル・ファドル、ありかよ!最高の時間でした。

・客席の入は800人弱ぐらいか、この小さな都市に音楽祭の期間はコンサートが目白押しになっている。岡フィルと1週間ずれていたら行けたのに・・・という人も多かったのでは?

・ソリストがオーケストラを組織してツアーを行うという点で反田恭平&ジャパン・ナショナル・オーケストラがある。あちらも奈良に本拠をおいて「地方からの旋風」を巻き起こしているが、バックには大スポンサー・レコード会社・大きな音楽事務所が付いている。THE MOSTは正真正銘、地方のグラスルーツから、福田くんの情熱と人格に共鳴した個人や企業がカンパのような賛助会費で支えている。本当、頑張ってるなあ、もっと色々なところに知られてほしいな、と思う。「おい、音楽之友社よ!海外のオーケストラ・ランキングとかやってないで、こういう活動を取り上げるのがおたくらの使命とちゃうんか!?もっと取り上げてよ!」と東京の音楽メディアには物申したくなる。

・メンバーの体調不良で6日の東京公演が延期、岡山公演も代演のチェロ奏者がなんと、昨日、獅子奮迅の熱演を聴かせてくれた岡フィル特別首席の松岡さんで、それがまるで昔からメンバーだったかのように若いメンバーとガチンコの見事な演奏に度肝を抜かれ・・でも、ここ数日の主催者の心労はいかばかりだったことか。まだまだ日常にはほど遠いけれど、来年も期待してます。

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岡山フィル第74回定期演奏会 指揮:秋山和慶 Vc:宮田大 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第74回定期演奏会

〜闇から光へ〜  シンフォニーホールに響き渡る希望のコラール  


ブラームス/悲劇的序曲
エルガー/チェロ協奏曲

〜 休 憩 〜

ブラームス/交響曲 第1番


指揮:秋山 和慶
チェロ独奏:宮田 大
コンサートマスター:藤原浜雄


2022年10月9日 岡山シンフォニーホール

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・秋山さんの5月のミュージック・アドバイザー就任会見での「一目置かれるようなプロオケにしたい」との言葉を証明するような、将来に期待を持たせるに充分な充実した演奏になった。


・客席は宮田さん効果もあって、9割以上の大入り。県外からの遠征組も結構おられた模様。

・編成は弦五部は3曲とも14型(1stVn14、2ndVn12、Vc8、Va10、Cb6)という岡フィルでは珍しい大編成。管楽器は2管だが、ピッコロ、コントラファゴット、チューバも入るのでなかなか壮観である。ホルン1番には京響の垣本さんに3番には大フィルの藤原雄一さん。トロンボーン首席に京響の岡本哲さんら関西の名手が客演首席奏者に入る一方で、岡フィルの首席陣も全員揃い踏みだ。

・1曲目の悲劇的序曲から秋山さんの緻密なタクトが冴えわたる。タクトを見ているだけで曲の構造が聴衆にも解るので、これほど目眩めくドラマが次々と展開する曲だったのか!と認識を新たにした。そして1曲目からこれほど真摯に演奏する岡フィル、ホント好きだわ。

・2曲目はエルガーのチェロ協奏曲。宮田大さんという、考えうる最高のソリスト。今年度最も楽しみにしていた曲目で、この1ヶ月ぐらいは宮田さんのダウスゴー&BBCスコティッシュ・ナショナル管との録音を繰り返し聴いていた。

・冒頭の10秒で一気に惹き込まれる。これは、シュテファン・ドールや竹澤恭子などとともに、岡フィルの歴史に深く刻まれる名演奏になると確信。そして、やっぱり生は違う!!チェロの音が自分の身体をも震わせるような凄い迫力!14型の大編成オーケストラを相手にチェロ一丁で対抗する。2階席後列で聴かれた方によると、その位置でも凄い音が飛んできていたそうだ。オーケストラの伴奏も入魂の演奏で、先のCDはオケ(BBCスコティッシュ・ナショナル管)が割合サクサクと進む感じなので、この秋山&岡フィルの濃厚な演奏の方が私は好きな演奏。

・オケ伴奏は、管楽器は依然として素晴らしく、弦は弱音での表現が劇的にレベルアップしたように感じる。宮田さんも演奏終了後に立ち上がってすぐにオーケストラに拍手をしたのを見ると伴奏に満足されたのだろう。

・第2楽章を聴いて、これは語りである、と思った。音楽ではあるのだが、伴奏付き朗読劇・一人芝居。中間部でのエルガー独特の和製進行の中での高速パッセージ、もちろんそうした場面の宮田さんの技巧も凄かったのだが、それ以上に『語り』の深さ・説得力に胸がぐるぐる、目がうるうる。

・第3楽章〜第4楽章の心の奥底に木魂するような美しさ。ロマン派の落日、あるいは日の沈まない大英帝国の黄昏の崩落しかかる寸前で踏みとどまっているような危うい美しさは比類ないものだった。作曲年を調べると1918年というから、やはりロマン派の最後の楽曲の一つだ。


・アンコールは宮沢賢治の「星めぐりの歌」を宮田さんの編曲で。日本で聴ける最高レベルのチェロを地元のホール聴かせていただき深く感謝。

・メインはいよいよブラームスの交響曲第1番。5月の秋山さんのミュージック・アドバイザー(以下、MAと省略)就任コンサートはコロナで中止になった就任発表前のコンサートの実質的な延期公演だったことを考えると、この「ブラームス1番」が、秋山MAとしてまず岡フィルと取り組みたかった楽曲とみていいだろう。

・冒頭からその重量感には驚かされた。ティンパニの打込みとコントラバスのオスティナートは床を震わさんばかり、そして音階上昇していく高音楽器と加工していく中低音楽器の交差に音酔いそうになった。主題の反復場面でティンパニのロールとともに登場するコントラバスが、すべてダウン・ボウで怒り狂ったような轟音だった。これ、九響との動画ではやって居なかったので、非常に驚いた。秋山さん、こんな解釈もあるんだ、と。


・前半もそうだったが、谷口隊長率いるコントラバス隊の存在感は絶大だった。重厚なだけでなく、機動力も高く切れ味も鋭い。コントラバス隊が音楽を主導するような場面が随所に見られた。それに負けじと松岡さん率いるチェロ隊もブンブン鳴る。

・コンサート鑑賞仲間の方々から、「最近、秋山さんの音楽が凄みを増している」という噂を聴いていた。また、数少ない盤友(ベートーヴェン、シューマンとブラームスだけやたら詳しいという超偏食)は『秋山和慶を聴かずしてブラ1を語ること無かれ』とまで言っていたが、このブラームスを聴いて、その意味が解った。

・提示部に入り、音楽が走り出す。これだけアンサンブルの厚み・重量感があるのに、風格と均整を保っている。全体的にはアポロン的かつ浪漫的とも言えるだろう。シェレンベルガーとの9年間で、聴き手の血が湧くような、ゲルマンの魂やドイツ語の語法が徹底されたドイツ音楽とはまた異なった、オーケストラ全体でどっしりした響きを出す秋山流の音楽づくりもまた、この曲のの真髄を感じさせる。提示部の繰り返しはなかった。

・やっぱり秋山さんのタクトはそれ自体が芸術的だ。切れ味、味わい深さ、迫力が鼎立する。各パート間の隙きの無い対話の連続の中で高揚していく音楽にどんどん惹き込まれていくのだ。なんとなく弾く(吹く)ことを絶対容認しないという強い意志を感じさせ、それに岡フィルはよく応えた。テンポの変化はあっても淀みがない。奏者が棒に合わせようとしている感じが全く無くて、勝手に息が合ってしまう。仕向けられている。

・例えば再現部へ入る一瞬の溜めで、音楽が一瞬宙を舞い、それが落ちるところを秋山さんがタクトでグワシッと掴んだ瞬間、音楽のギアが一段と上った感じ。

・第1楽章の楷書体の迫力ある演奏と対極をなす第2楽章・第3楽章の純化されたハーモニー。こんなに切ないほど柔らかい音が岡フィルから放たれたことがあっただろうか。コンマスのソロにホルンが絡むあたりから涙がホロリと流れてしまった。オーボエのソロは、クラリネットと絡み合いながら物悲しさと美しさを湛えていた。

・岡フィル奏者の演奏も素晴らしい。第1楽章で執拗に繰り返された、ベートーヴェンの第5と同様の、「タタタターン」というモチーフが、少し形を変えて題3楽章でも「タタターン」と繰り返されるが、両楽章の描き分け・表現のコントラストが見事で、第3楽章で目頭が熱くなった。特にトランペットの音は胸に迫るものがあった。

・Hr客演首席の垣本さん(京響)を筆頭に岡フィル自慢の木管陣も盤石。チェロ・コントラバスは随所で迫力ある響きでホールを満たす、ヴァイオリン・ヴィオラも、コンマス浜雄さんの音色ににシンクロするようなとても艷やかな音を奏でていた。

・5月の定期の感想で、こんなことを書いた。
「秋山さんの緻密で繊細な音楽への欲求に対して随所で粗さが感じられた。例えば「禿山の一夜」の終盤や「火の鳥」の第6曲などでのヴァイオリンの弱音の表現の粗さなど・・・。」

 今回は全く粗さなどは感じさせず、秋山さんの緻密な音作りにアジャストしたのはさすがプロ。お陰でエルガーもそうだったが、デリケートな部分でも音楽に陶酔することができた。

・第4楽章は、高い緊張感のなかで「何か」がのそりのそりと近づいて来く感じに痺れた。ハ長調に入ってからは懐のどこまでも深い世界がたち現れた。集結に向かうほど聴き手の体温が上がり汗ばんで来る。これこれ、これぞライブを聴く醍醐味。

・5月の秋山MA就任記念よりも一気に2ランクぐらい上のステージに登った感じがする。どんどん良くなる岡フィルを聴く、という楽しみ方にとどまらず、岡フィルをとおして円熟の境地の秋山さんを聴く、という意味でも充実した演奏だった。カーテンコールの中、秋山さんはオケに向かって会心の微笑みを浮かべ、手応えを感じているように見受けられた。

・この夢のような浪漫的な演奏を聴くと、秋山さん十八番である、ラフマニノフやシベリウスの演奏を期待したいところ。

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東京都交響楽団倉敷公演 指揮:下野竜也 Pf:牛田智大 [コンサート感想]

オーケストラキャラバン2022
東京都交響楽団倉敷公演

ニコライ/歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調
 〜 休憩 〜
ドヴォルザーク/交響曲第8番ト長調

指揮:下野竜也
ピアノ独奏:牛田智大
コンサートマスター:山本友重


2022年8月28日 倉敷市民会館


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・コロナ禍における文化芸術団体の振興事業のオーケストラ・キャラバン。去年に続いて都響が岡山に来てくれた。今年は倉敷市民会館へ。指揮は下野竜也さん。

・今年も岡山シンフォニーホールで聴きたかったのが正直なところ。倉敷市民会館の開館は1972年ということで、今年で50周年を迎える。この時期のホールとしては音響はかなりいい方だと思うが、1980年代のコンサートホール革命を経て1992年に開館した岡山シンフォニーホールの音響性能とは歴然とした差があるからだ。

・客席は9割近い入り。平日夜に開催された昨年の岡山公演よりも席は埋まっていた。 演奏中の客席の雰囲気も心地よい静寂があり、くらしきコンサートの解散後もこの良質な聴衆層という遺産は生き続けているようだ。

・編成は2管編成で、弦五部は協奏曲は1stvn12→2ndvn10→Vc6→Va8、上手奥にCb4、序曲と交響曲は1stvn14→2ndvn12→Vc8→Va10、上手奥にCb6。14型の弦部隊は岡山ではなかなか聴けなくなっているので、思う存分味わった。

・1曲目はウィンザーの陽気な女房序曲。全体的にはウォーミングアップな感じが漂う演奏(たぶん通しで1回ほどやっただけだでは?)で、演奏精度は都響の水準にはなかったが、それを個々の奏者の技倆で補って余りある。冒頭のヴィヴラートを抑えたピアニッシモから息を呑む美しさに惚れ惚れ・・・

・2曲目はベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番。ソリストは牛田智大さん。この曲は5(+1)曲あるピアノ協奏曲の中でも最も好きな曲だ。この曲こそがベートーヴェンの素の姿に触れられる曲なのだと確信する。

・9つの傑作交響曲、特に奇数番の第1楽章のような、力強い破壊力のある楽曲のイメージが強いベートーヴェン。しかし彼の緩徐楽章の美しさは比類ないもの。この4番協奏曲はベートーヴェンの豊かな感受性と繊細さを如実に現している。それだけに演奏によっては退屈するような演奏も出てきてしまう。

・牛田さんの生演奏は初聴き。リリカルでありながら一音一音を繊細に組み上げていき、曲が進んでいくにつれて聴き手のビジョンに現れるのは組木細工を見るような構築美。

・オーケストラも緻密な伴奏を付け、ピアノと共に創り上げるハーモニーの清冽なこと!牛田さん&都響は、そよ風でさえも水面にさざなみが立つように、豊かで繊細すぎるベートーヴェンの感受性を受け止めて音列に魂を込めるように表現。そうなんよ、ベートーヴェンって本当はこういう人なんよな。

・アンコールはシューマンのトロイメライ。心に染みる演奏。訥々と繊細に組み上げていく音の輝きのなかに、牛田智大というピアニストの深い部分に触れるような感覚があった。

・後半はドヴォルザークの8番。下野さんのタクトが冴え渡り、オーケストラもさすがの表現力で、終始都響サウンドに酔いしれた。2階席に飛んでくる音の圧力は、欧米の一流楽団と比べても全く遜色のない迫力で、木管・金管(トランペット首席の方は岡山出身みたい、素晴らしかった!!)は言わずもがな、弦の歌いっぷり、泣きっぷりは艷やかでグラマラス。

・第1楽章や第4 楽章の後半のテンションが張り詰めたとき、この曲で各声部がこれほど厳格に整然と鳴っている演奏は初めて聴いたように思う。弦部隊の分厚さ、馬力全開の管楽器も「無理してる」感は皆無なのだ。下野さんのバトンテクニックも素晴らしく、音量、音色、表情、どの旋律を浮き立たせるかなど、素人が見てもよく解る。

・惜しむらくは、岡山シンフォニーホールだと内声に回ったヴィオラ、チェロや金管の音や動きがはっきりわかって、もっと凄さを感じられたのにな〜ということかな。

・大いに盛り上がった会場を鎮めるかのように、プーランクの「平和のためにお祈りください」という歌曲を下野さん自身の編曲で演奏された。余韻に浸りつつ会場を後にすると、舞台裏では慌ただしく撤収作業や楽員さんたちがタクシーに乗り込んでいく。どうやら楽員の皆さん、17:05岡山発の特急南風に乗って高知に向かったみたい(笑)今年も都響 サウンドを聴けて本当に良かったです。次にこのオーケストラの音を聴けるのはいつになるかな。

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