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パリ管弦楽団2022岡山公演 指揮:マケラ Pf:アリス=紗良・オット [コンサート感想]

パリ管弦楽団2022岡山公演 指揮:マケラ Pf:アリス=紗良・オット

ドビュッシー/交響詩『海』
ラヴェル/ピアノ協奏曲ト長調
〜 休 憩 〜
ストラヴィンスキー/バレエ音楽『火の鳥』(全曲)

指揮:クラウス・マケラ
独奏:アリス=紗良・オット
コンサートマスター:千々岩英一
2022年10月21日 岡山シンフォニーホール

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・いやー、凄いものを聴いてしまった。マケラ指揮パリ管岡山公演。マケラとオーケストラから放射される無尽蔵のエネルギーに、前半だけですでに放心状態。強烈なリズム、極限まで磨き抜かれた陶酔的なハーモニー。マケラとオーケストラが紡ぎ出すソノリティのすべてが刺戟的で官能的。やっぱりマケラはホンマに「ヤバいやつ」だ。



・客席の入は7割ぐらい。このS席とA席が売れ残っているのだが、B席C席は満席だから、1階から見上げるとその境目がくっきり見える(笑)S席のチケット代は28000円。猛烈な円安のためか発表から発売までに3000円値上がりした。私は基本的には2階席以上を希望するのだが、今回は1階席前方やや左の位置。岡山音協の会員先行発売では座席を選ぶことは出来ず、岡山音協の言葉を借りれば『提供できうる中での最良の席』だった。「あー希望とは違ったなー」と思ったが、これはこれでパリ管やソリストを目の前で聴くチャンスと前向きに捉えた。

・編成は1stVn14→2ndVn12→Vc8→Va10,Cb8の3管編成を基本に、火の鳥ではバンダも含めて4管編成に。これだけの規模だとステージ所狭しという感じ。



ドビュッシー/交響詩『海』

・一曲目のドビュッシー/海の冒頭から一発かましてくれた。拍手が終わってマケラが構えてからなかなか演奏が始まらず(後で解ったが、今回は帯同から外れていた首席コンサートマスター:フィリップ・アイシュさんがツアーの最中にお亡くなりになられ、今回はアイシュさんに捧げるコンサート。そのための祈りを込めたのだろう)。静寂の中から空調か何かの音が微かに聴こえてきた。いや、まてよ?このホール空調の音なんてしないはず、と思った瞬間、マケラ棒先が動いて空調の音=実は微かなティンパニの音が揺らぎ始め、ハープの音が加わり弦が繊細に奏でられ・・・。静寂→ぼやけたモノクローム→極彩色という鮮やかな場面の移り変わりに目眩がしそうになった。「いやー、初っ端からマケラにやられた!!」


・ドビュッシーの『海』は片手では足りない回数は実演で聴いており、リヨン国立管やトゥールーズ・キャピトル国立管、ブリュッセル・フィルなどフランス語圏の一流オケの演奏に接してきたが、それらの実演でのフランスのエスプリの効いた優雅な『海』とは趣を異にしていた。ピアニッシモでの執拗な拘り、原始的かつ常に変化していくリズムが強烈に印象に残った。

・もちろんパリ管でなければ表出できない独特の馥郁たる香り豊かな場面もある。第1楽章の第1主題が登場してフルート(なんと柔らかくも華やかな音)やコンマス千々岩さんのソロのあたりの場面での何とも香り豊かな美しさは、パリ管伝統の音。

・ところがチェロとホルンに導かれて第2主題が登場してから一変する、私の眼前に示されたヴィジョンは、冨嶽三十六景 「神奈川沖浪裏」に出てくる、波に翻弄される押送船の漕ぎてのポジションから見る大自然の変化、そしてその変化も浮世絵の構図や画法のように、かなりデフォルメされた、いわば「歌舞いた(傾いた)」景色であり演奏をマケラのタクトによって大胆に描かれていく。

・時にマケラは棒を降ろしてオーケストラに任せるような場面があるが、このコンビが始まって1年あまりというのに、既に信頼関係や音楽づくりのディレクションが一致しているようだ。

・海の波濤が一つとして同じものが無いのと同じように。同じような表現が繰り返される、ということがない。19世紀のフランスの芸術家たちが受けたジャポニズムの衝撃の大きさ、それを日本の聴衆にそのままぶつける、そんな野心的な意図すら感じる。

・第1楽章終結部に入る前のチェロがソロを取る場面でもこの楽章冒頭で見せたような弱音・細部への執拗な拘りが垣間見え、その繊細で幻想的な世界からダイナミクスを駆け上がっていく場面のカタルシスたるや・・・。岡山シンフォニーホールを震撼させるような大音量でも弦は勿論、管楽器、そして打楽器さえも柔らかく、耳につくような音は皆無。奇跡のような音を浴びる瞬間、ああ、あの音をもう一度浴びたい・・・

・この調子で書くとこの曲だけで字数制限を超過する。そしてこれだけ書けば、後で読み返した時にこの日の演奏は間違いなく想起できるだろう。あとはかいつまんで。

・第2楽章はなんと言ってもハープ!そしてオーボエ・コールアングレ。このパリ管やギャルド・レピュブリケーヌに代表されるフランスの管楽器の音の気持ちよさ何なんだろう。終結部、ハープやピッコロ、チェレスタが繊細な情景を描く場面。もう最高に幸せ。

・第3楽章は、もう圧巻の一言。実演だけでなく録音でも何百回と聴いてきた筈のこの曲が、まるで初めて聴いたように新鮮に響くのだ。確かに次々に登場するフレーズは耳にタコが出来るほど聴いてきたソレに違いないのだが、音楽全体は間違いなく初体験の衝撃と感動なのだ。

・第3楽章中間部のヴァイオリンのフラジオレットから曲の終結部の頂点に向かう部分で涙が出てきた。頭で考えてフレーズを作っているのではなく、身体に染み込んだ身体共通言語のようなものがあり、その環の中にマケラのタクトがある。音楽を駆動するリズムの強烈なこと!題1楽章の終結部を超えるカタルシスの渦に聴衆を巻き込んでいく。

・こんなに迫力ある演奏なのにこれほど美しく、輝かしいのはなんでなん!?ありえんわ!?

・1曲めなのに、会場は大盛りあがり。立ち上がって拍手している人もいる。カーテンコールも3回。千々岩コンマスの会釈がなければ何度続いていたことか。マーラーの交響曲を1曲聞いたような満足感・疲労感があった。




ラヴェル/ピアノ協奏曲ト長調

・舞台上の準備中も客席がざわざわしている。仲間と聴きに来ている人同士で「すごかったね」「まだ一曲目やぞ」・・・コロナ後は交わされなかったそんな他愛のない会話が交わされている。

・ソリストにアリス=紗良・オットを迎えてのラヴェル/ピアノ協奏曲。ここ岡山では20年に一度、演奏されるかどうかのプログラム。アリスさんはよく似合ったノースリーブの赤いワンピースで登場。ホンマに裸足で出てきた!そして踵を踏まずに歩くからか、何とも所作が優雅。

・ムチの一撃で、パリ管からドビュッシーとは違うサウンドを、パレットから出してきた。目が覚めるよなヴィヴィッドな色彩。古い言い方だがこれぞ花の都のパリの香りだ。音楽に合わせて頭を揺らしたくなる衝動を抑えるのが大変。

・トランペットに始まり、パーカッション、木管が随所にソロがあるが、必死に演奏する感じではないのがこのオーケストラの魅力の一つ。で、ソロ場面が終わったら隣の奏者に「どうだい?最高に上手くいったろ?」「今日のお前は最高だせ!」みたいに堂々とやってるのもニクメない。

・アリスさんの実演には初めて接したのだけれど(妹さんの演奏はブリュッセル・フィルとの共演で体験済み)、チャイコフスキーの協奏曲の録音を聴いた印象とは全く違っていて、超絶テクニックや強靭な音にプラスして、インスピレーション豊かで、これほどファンタジスタな一面があるとは想像を超えていた。

・彼女のピアニズムを最も現していたのは第2楽章。アリスさんの繊細なタッチとペダルコントロール(だから裸足なのか)によって、胸が締め付けられるような切ない世界に身を委ねる。不協和音さえもこれ以上無い美しさで聴き手の心のひだに染み込んでくる。オーケストラもミュートをつけたヴァイオリンの伴奏が本当に素晴らしく、アリスが紡ぎ出す世界を抱擁し、コーラングレをはじめとした木管たちのソロもアリスさんの世界にインスピレーションを与えていた。

・第3楽章、アリスさんもオーケストラも、グルーヴ感満載、みんな、タテの線とか合わせる気、さらさら無いよね(笑)ソリストとオーケストラ、あるいはパート同士がトムとジェリーみたく、遊んでおります(笑)こりゃーマケラも大変だ(笑)などと思っていたら、ちょうど横顔が見える瞬間があって、最高の笑顔で振っているではないか!ソリストとオケの、一見好き放題やってる個々のミュージシャンのリズムのキレを収斂させ、これ以上ない推進力を生む。そして、弛緩させる場面でのオケから引き出すニュアンスの豊かさといったら・・・こりゃーたまらんですばい。

・終わった瞬間、ブラボーの嵐だ。そしてマケラとアリスの熱い抱擁にドキッとする。いや、だってこんな『密』な状況を目の当たりにしたの、久しぶりだったから。

・アリスが日本語で「新幹線に乗り遅れちゃうから、短い曲で」とチャーミングに紹介したアンコール曲はアルヴォ・ペルト/「アリーナのために」。アリスの笑顔とは対象的、深い縁の底を覗き込むような音楽にギョッとした。彼女は何を意図してこの曲を選んだのだろう。 


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ストラヴィンスキー/バレエ組曲『火の鳥』全曲

・後半開始前、すでに20時25分。隣の席のご夫婦が
「もうこんな時間?火の鳥ってどんぐれーかかるん?」
「30分ぐれーじゃろ」
 いやいや、全曲版は50分以上かかるぞ、と思ったが会話禁止のため黙っておいた。
 かなりボリュームのあるプログラムだったと言える。

・前半の段階から気になっていたのだが、譜面台ライトが設置されている。『火の鳥』は照明演出が入るということだが、東京や名古屋の公演での評判は散々だったので、鑑賞に集中している最中に暗転したりしたらやだなーと思っていた。チケット代26,500円払って鑑賞に身が入らなかったらかなり悲惨だ(泣)がしかし、岡山シンフォニーホールの証明はサントリーホールなどと比べて、演奏中でも割と明るいので、私の席からは反響板にぼんやり映されているな〜程度だったので助かった。でも、一体何がしたかったのか??は謎だ。余談だが、図らずも反響板にかなり埃?汚れ?が付着していることが明るみになったのはなんともはや、という感じ。

・「火の鳥」は、1919年版というダイジェスト版とも言える組曲では片手では数え切れないぐらい(たぶん8回ぐらい)聴いている。今年の5月に秋山和慶/岡フィルでも聴いたばかりだ。しかし、全曲版は2017に隼メルクル&広響@広島市文化交流会館での1回のみ。1919年版組曲は2管編成でも演奏出来るように組み立てられているが、全曲版になると4管の巨大編成に加えて、トランペットやワーグナーチューバからなるバンダまで投入される。Aプロの春祭のために用意された奏者を余す事無く使ったということだろう。

・私は広響で全曲版を聴いて以来、組曲版がどうにも物足りなく感じるようになった。むろん、全曲版はバレエと一体になるために作られているので、バレエの演技が無いと退屈するきらいもあり、オーケストラや指揮者の力量あっての前提にはなるのだが組曲版では外されたシーンにこそ、火の鳥の醍醐味が詰まっている。

・1919年版組曲では、中間部分の「王女たちのロンド」から「カッチェイたちの凶悪な踊り」まですっ飛ばしてしまうが、この間の5曲約20分間こそ、この曲の醍醐味が詰まっている。

・一方で序盤の部分は物語のプロローグであり、それぞれの登場人物たちの紹介や演舞演舞あっての音楽という性格が強く、ややもすると音楽自体は退屈になって仕舞う。ここは今回ツアーのAプロの「春の祭典」に比べるとウィークポイントになる危険性を含んでいる。

・ところが、バレリーナ・バレリーノたちの演舞あっての音楽、と思っていたこの部分さえもパリ管の自慢の木管陣の華麗な音楽によって全く退屈することはなかった。火の鳥の踊りを表現するフルート・クラリネット、イワン王子との追いかけっこ。中間部に入っての「王女たちのロンド」でのオーボエ。場面が変わる度に珠玉の音楽がホールの空間にこだまする。

・管楽器のソロが「上手いなあ〜惚れ惚れするな〜」というのもあるのだけれど、その目立つ管楽器を支える他の楽器が作り出すハーモニーが、華麗で色気があって・・・「火の鳥の嘆願」や「魔法にかけられた13人の王女たち」(千々岩さんのソロも最高に良かった!)、での夢のようなハーモニーが未だに頭に残っているし、「黄金のリンゴと戯れる王女たり」も、こんなに柔らかい高速タンギング、聴いたことがない。

・この曲はロシアの指揮者やオーケストラも得意にしているのだが、もう音色や匂い立つような香りは完全にフランス音楽のそれ。もっとも初演はパリだし、バレエ・リュスもフランスで発展したという歴史を考えれば、パリ管メンバーが「俺たちの音楽」と誇りを持って演奏してしかるべきなのだ。

・組曲版にもある「王女たちのロンド」で、ソロ楽器たちがよく歌うこと歌うこと!こういう場面のマケラは徹底的に『邪魔をしない』戦術のようだ。オーボエのソロのところなど、指揮棒をおろして、ソロを取るガテさんを熱い眼差しで見つめている(笑)一方で他のパートはそのソロが引き立つように、アンサンブルを組み立ててくる、彼らの感覚・音楽センスのエリートたちにマケラは絶対の信頼を寄せていることを全身で示している。そんな姿勢がオーケストラから圧倒的に指示されているのだろう。

・「夜明け」に入ってからがマケラの剛腕発揮だ。トランペット・ワーグナーチューバのバンダは、舞台裏に配置し、扉を開けて音を入れている。「イワン王子、カッチェイ城に突入」あたりからマケラのタクトがいっそう熱を帯びグイグイと音楽を引っ張っていく。息詰まり手に汗握る一大スペクタクルがめくるめく展開されていく。

・「火の鳥の出現」から「火の鳥の魔法にかけられたカッチェイの手下たちの踊り」を経て「カッチェイたちの凶悪な踊り」は、『こんなに絢爛豪華なサウンドでこの曲を演奏してええんか!?』と思うほど、パリ管のサウンドを客席に浴びせかける。管楽器も勿論すごいのだけれど、弦の音がうねるうねる。マケラのオーケストラ・ドライヴも凄い!この曲、こんなに弦楽器から音圧を浴びるような曲やったっけ?とびっくりするような瞬間の連続。

・信じられない程の美音の洪水に、尽きることのないパワーとスタミナ。頭が(いい意味で)おかしくなりそう。ヤバいヤバい。これ音楽麻薬だわ。

・「火の鳥の子守唄」のような繊細な場面での極限までボリュームを絞った要求をする一方でマケラはファゴット・オーボエは好きなように吹かせ、弦は思う存分気持ちよく歌わせる。この人の指揮はセンスの塊だ。

・「カスチェイの死」での弱音の繊細なコントロールも凄い。ここまで要求する指揮者も指揮者だが答えるオーケストラもお見事。で、その極限のピアニッシモの中から、フィナーレの「カッチェイの城と魔法の消滅」のホルンが吹くテーマが柔らかく流れて来たものだから、聴きても感極まって涙が出てきてしまうのは仕方がない。

・最後の咆哮する金管を突き抜けて聴こえて来る輝かしくもグラマラスな弦のトレモロに全身の毛穴が開いて。パリ管サウンドを惜しむように全身に浴びた。

・このオーケストラはなぜこれほど芸術的で人間的なサウンドにあふれているのだろう。「ご法度」のブラボーは今日は許してほしいし、スタオベで熱狂するのも仕方がない。これほどの演奏に接して興奮しないのは、人間を捨てるに等しい。

・私はカラヤンやバーンスタインの実演には間に合わなかったが、アバド、ヤンソンスには間に合った。そして今回は自分よりもふた周り以上年下の圧倒的なカリスマ性をに接した。マケラさんの晩年期には立ち会えないが、最も脂の乗る壮年期に立ち会う事を目標にこれからの人生を過ごしていきたい。それにはまず健康を維持することやなw

・カーテンコール4回目で、楽団員がマケラさんに聴衆の拍手を受けるように、座ったまま地鳴りのようにステージを足で踏み鳴らす。全員が心から26歳の才能に惚れ込み、一緒に共演することに喜びを感じていることが解る。コンサートごとに繰り返されるこのシーンだが、これほど指揮者と楽団員の良好な関係を見せつけられる瞬間は稀かもしれない。

・アンコールはシベリウスの「悲しきワルツ」。客席に向かって英語で説明してくれたが残響が多くて(うそ、英語リスニング能力が無くて)聴き取れなかったが、コンマスのアイシュさんの追悼のための選曲だったようだ。最後の音が消えかかろうかという瞬間、拍手が起こったが、マケラの背中から発するオーラでそれを制し、沈黙が1分近く続いた。団員の中には涙を流すものも多かった。

・カーテンコールが鳴り止まず、マケラさんの一般参賀。その最中も楽団員さんがスマホ片手に客席を撮影したり、なんというか日本ツアーを心から楽しんで、全力で音楽している。愛すべき人たちだ。

・印象に残った奏者の名前を覚えておこう
オーボエ:アレクサンドル・ガテ
フルート:ヴァンサン・リュカ
クラリネット:フィリップ・ベロー
ファゴット:マルク・トゥレネル
 で合っているだろうか?ガテさんは、7年前の倉敷公演でヤルヴィの一般参賀のあと、オケ・メンバーのみんなを舞台に連れ出し、こんな素敵な時間を作ってくれた人。

ものすごい名手なのに、人懐っこい人柄は健在だった。


・自転車に乗って帰る途中、オリエント美術館周辺に観光バスが何台か停まっているのを発見。遠方からの鑑賞ツアーのバスだろうか。それにSNSを見ると、近畿〜九州にかけて広範囲から新幹線で駆けつけた遠征組がいらっしゃったようだ。岡山は交通至便、2130終演でも滋賀〜博多までは余裕で帰れてしまう。まあ、地元の人間がもう少し席を埋める必要があるけど、今後も岡山での海外アーティスト公演が増えるといいなあ。

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サンフランシスコ人

マケラはすごい指揮者なんですね....

http://www.sfcv.org/articles/review/guest-conductor-klaus-makela-elicits-refined-shostakovich-tenth-sf-symphony

http://www.sfsymphony.org/Data/Event-Data/Artists/K/Klaus-Makela-conductor

半年前、サンフランシスコ交響楽団を振りました....

by サンフランシスコ人 (2022-11-30 05:13) 

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