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岡山フィル第78回定期演奏会 指揮:秋山和慶 Vc:佐藤晴真 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第78回定期演奏会

ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲
シベリウス/交響曲 第2番ニ長調

指揮/秋山 和慶
チェロ/佐藤 晴真
コンサートマスター/藤原浜雄
2023年10月22日 岡山シンフォニーホール

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・今回、明らかになったこと。岡山フィルは再び好調期に入った。シェレンベルガー時代の2018年~19年ごろ、飛躍的に良くなっていた勢いがコロナ禍で気勢を削がれてしまっていた。秋山さんの就任で態勢を立て直し、ここへきて回を重ねるごとにアンサンブルが研ぎ澄まされ、音色は輝きを増している。

・会場は75%ぐらいの入り。悪くはないが、もう少し入って欲しいなという印象。もしかしたら去年までの15時開演の時のほうが入りが良かった気がするが・・・。

・編成は1stVn12-2ndVn10-Vc8-Va8 上手奥にCb6の2管編成。まず確認したのはティンパニとトランペットの席で、そこに特別首席の近藤さんと首席の小林さんの名前を見て期待が膨らむ。客演奏者はホルン首席に水無瀬さん(京響)、トロンボーンの伊藤雄太さんは日本フィル首席だそうだ、ファゴットの柿沼さんはシェレンベルガー時代にも何度か乗っていた方で今は千葉響在籍のようだ。チューバは大フィルの岩井さん。



シベリウス/交響曲第2番
・最初に後プロのシベリウスの感想を書くことをお許しいただきたい。今回のシベ2は私にとって岡山フィルの演奏のベスト3に入る演奏で、なかなか書く時間が取れない中、早くアウトプットしていまいたい(といいつつ11/4にようやく書き上げました)。

・聴いている最中「これがいつも聴いている岡山フィルなのか?」と信じられなくなるほど感動する瞬間があまたあったのだ。第2楽章から涙腺が崩壊しはじめ、第4楽章の有名な第1主題の繰り返し2回目の場面でハンカチ無しではいられない状態になってしまった。

・秋山さんのミュージックアドバイザー就任から一年半が経ったが、岡フィルメンバーに秋山さんの意図が浸透してきているのも大きい。去年の5月の秋山ミュージックアドヴァイザー就任披露公演(「火の鳥」)では、秋山さんのタクトの一挙手一投足に息を詰めて合わせるような窮屈さがあり、音楽の造形や流れの弱さに少々不満を持った。

・ところが今回の定期では秋山さんのタクトに深い呼吸と共鳴をもって反応し、音楽の流れが壮絶に力強くなった。全体の力強さだけでなく、細密画を描くような繊細で芸術的なタクトに柔軟に反応。ディテールの表現も見事で、この曲のキモの一つでもある弱音部(特に弦)での音色の変化に惚れ惚れした。

・この曲はシベリウスのシンフォニーの中でも、わかりやすいメロディのオンパレードで、それが人気の理由にもなっているが、秋山&岡山フィルの緻密な表現でわかりやすさの偽装が剥がされ、20世紀初頭に作曲されたこの曲もやはり現代音楽に片足を突っ込んだ複雑な曲であることがよく解った。

・個々の奏者では、まずは何といってもティンパニである。特別首席の近藤さんはご著書で、ティンパニストにとって最もやり甲斐のある作曲家としてブルックナーとシベリウスを挙げていて、トレモロの響きのパレットの多彩さについてページを割いて力説されている。まさにご著書で解説された通りの名人芸に酔いしれた。詳細は楽章ごとの感想にて。

・次にトランペット首席の小林さん、小林さんの元々の音色が、シベリウスのシンフォニーに要求される、澄んだ冷涼な空気を突き抜けるような抜けのいい音そのものだったこと、そして終始トランペットが出ずっぱり、しかも強奏から弱奏まで目立つ場面の連続になる曲なのだが、次々に訪れる場面の変化に最適な音色をチョイスできるパレットの多彩さや衰えないスタミナに、改めて凄いトランペッターだなと。もはやトランペットが体の一部になっている。

・岡山フィルの金看板のチェロ・コントラバス隊にも賛辞を。特に自然や内面の闘争を思わせる、第一楽章中間部や第二楽章、そして第四楽章はパワフルな金管陣やティンパニを向こうに回し、見事な瞬発力と厚みで大立ち回りを展開。


(11月4日追記)


・第一楽章はゆったりしたテンポ。私がシベリウス2番を直近で聞いたのがロウヴァリ&タンペレ・フィル。それは昨今流行りのラディカルな解釈と奇抜なアーティキュレーションを採用していたが、秋山さんはそうした演奏とは一線を画しており、私がこの曲に夢中になった70年~90年代の録音の延長にある解釈を取る。

・なんの気取りもないヴァイオリンの序奏、笑みを浮かべて左右に揺れながらタクトを振るう秋山さんに導かれ木管とホルンが4分の6拍子で自由に飛び跳ねるように歌い上げる。そこに弦のピチカートが華を添える。休符の「間」をじっくり取りながら、第一主題の登場。濁りのないヴァイオリンのユニゾン。シベリウスの世界が眼前に拡がる。もうこの時点で身体がゾクゾクするような感動を覚え、心がぎゅーっとなる。全曲を通して透明感のあるヴァイオリン・ヴィオラの音色が素晴らしかった。

・この曲はイタリア旅行の時に着想を得た曲なのだが、イタリアっぽさの全くない、フィンランドの冷涼な空気と雄大な自然を表すようなヴァイオリン、日本人の私達が見たことが無いような草花や鳥たちを表す木管、そこに角度の低い高緯度地域の日差しを表すようなトランペット。そしてそよ風からつむじ風、さらに淡い空の色や深い湖の色まで表現する多彩なティンパニのトレモロ。弦のピチカートはまるで湖を飛び立つ白鳥の羽音のよう、どこを切り取っても北欧・フィンランドの香りがする。

・私が思うに、第1楽章はそれ自体が完成された一つの交響詩なのだ。実際、シベリウスは作曲開始当初は他楽章交響詩として着想していたらしい。じっくりと間を置きながらオーボエ、フルート、ヴァイオリンらが散文詩を紡ぎ出すように饒舌に語る。

・展開部に入って徐々に雲行きが怪しくなる、デジャヴのようなものを感じたと思ったら、これは5月定期で聴いたベートーヴェンの田園の第4楽章のようだ。

・ティンパニが主導する嵐を、右手で繊細なタクトを振りつつ、握りしめた左拳(ひだりこぶし)をステージへ向けて突き上げながら傘寿を超えても鬼気迫る秋山さんのタクトに呼応する岡山フィル。主題が高らかに登場するとき、これ以上無いバランスで金管が素晴しいアンサンブルで自然賛歌を謳い上げる。

・全休符が多用されるこの曲、ホールの残響に響き渡るオーケストラのサウンドが本当に美しかった。その度に天井を見上げながら消えゆく美しい残響を満喫した。

・音楽も良かったが、奏者も深い呼吸を取りながら大きくスイングされていた。以前は大フィルや広響と比べると岡山フィルはスイングが少なく、それが岡山フィルのカラーかも、と思ったりしたが、秋山さんの呼吸に導かれて、今は大いにスイングするようになっている。

・第2楽章は急激なクレッシェンドとその先に頂点とするスフォルツァンド、この連続は何か尋常でないものを感じずには居られない。シベリウス自体は否定するけれど、ロシアの圧政と軍事的圧力に対するマグマの様な怒りを感じずには居られない。今このようなご時世だから尚のこと。

・それだけに中間部:アンダンテ・ソステヌートの穏やかな場面が、天から差し込む救済の光のように感じる。岡山フィルの弱音での処理が本当に素晴らしい。シベリウスは弦の響きに雑味や濁りがあったら興ざめになる場面が多いが、そういったことは全くない今の岡山フィルの弦が頼もしい。

・冒頭でも触れたとおり、この楽章の肝はティンパニとトランペット。近藤さんの決然と叩かれるティンパニは「音を出す指揮者」のようだ。トランペットのあえぎ叫ぶような音を強めに吹かせ、それを支えるトロンボーン・チェロ・バス・ティンパニが場面の深刻さに拍車をかける。

・第3楽章は35年前に秋山さんの指揮を見た時から全く変わらない、カミソリのような切れ味抜群のタクト。昨今の演奏はこれより速いテンポを取ることが多いが、ディテールをおろそかにしない、一音一音の粒が立ったヴィヴァーチェッシモはお見事。

・場面転換でじっくり間を置きながら、オーボエ・フルートに導かれる美しすぎるトリオは、そこから硬質マレットに持ち替えたティンパニが安らぎを突き破る。これって何かに似ているなと思ったが、あとでマーラーの復活の第五楽章にプロットが似ていると思った。

・2回目の美しすぎるトリオから一気に第4楽章へなだれ込んむ。この曲の中でしばしば見られる「繰り返し」の場面は、2回目に頂点を突き抜ける演奏設計にしている。第4楽章へ抜ける時間は、いやー、岡山シンフォニーホールに30年近く通い続けた自分が初めて聞くようなサウンド・・・それは言葉では言い表せない。無秩序であるが何かから「抜けた」感覚がするサウンド・・・まずここが圧巻。

・第4楽章でも、それは同様。この曲で一番有名なこの楽章の第1主題の繰り返し2回目へ向かう場面で益々秋山さんのタクトが冴えわたる。チューバら金管をホールを震撼させながら、急速にテンポを落とし、第1主題の場面へなだれ込む。あまりの巨大なエネルギーに「おいおいまだまだ先は長いのに、この先どうなるんや!」状態まで私は追い込まれている。頂点の場面では、音楽的に不自然にならない限界まで『溜め』を作り、そこから一気になだれ込むようなサウンドに身もだえするような感動が襲う。

・ピークを越えた後、第2主題に移る前の第1主題の変形の場面でのシベリウス独特のどこまでも澄み切った弦の音にますます磨きがかかる。ここでも間を存分に取り第2主題へ。

・ここからフィナーレまでは、巨匠の体が発するパワーに感化し、オーケストラが美しさを保ちながら徐々に徐々にラストへと盛り上がっていく。ティンパニのロールによるオスティナート、低音弦のピチカート、上昇下降を繰り返す木管。まだ余力があったのかと感嘆するしかない弦は物凄い倍音を響かせながら長い長いクレッシェンド。その密度の濃さにちょっと息苦しくなるほどだ。

・コーダに入った後は、特別な体験だった。満を持して登場したトランペットのファンファーレに涙が止まらん。ステージ全体に後光が差すような、聴き手も含め光に包まれるような感覚になった。

・こういう感覚になったことは過去にもある。それはマーラーの復活を聴いた時だった。大いなる、何か、の光に包まれるような体験。まさかまさかシベリウスのシンフォニーでそれが降りてくるとは・・・巨匠:秋山さん、恐るべしである。

・シベリウスは最愛の娘を失って、その状態を心配したパトロンの支援の下、家族と一緒にイタリアに向かった。しかしその滞在中も失踪するなど精神が不安定な状態が続いたという…。この日の秋山&岡フィルで見た光はシベリウスが苦悩の先に見えた光そのものだったのだろうか?


ウェーバー/「魔弾の射手」序曲
・さて、仕切り直して一曲目の感想。ホルンが不安定だったものの、瑞々しくも丁寧な演奏は、この日の演奏の成功への期待を抱かせるものだった。

ドヴォルザーク/チェロ協奏曲
・一ヶ月前の日本センチュリー交響楽団福山公演でも佐藤晴真さんのソロで同曲を聴いている。せっかくなので両コンサートの比較を交えながらの感想を。

・センチュリー響が高性能オケとしてのハイレベルな機能美を打ち出した演奏なら、岡山フィルはこれぞ「王道」というに相応しい堂々たる演奏。まずオーケストラが緊張感を孕みながら、じっくりとしたテンポを取りつつ重厚に奏で、満を持してソリストの登場を待つ。

・佐藤さんのソロもまさに王者の風格。センチュリー響との共演では、旅立ちを前にした若者の無垢な心情を表したような爽やかな演奏に感じ入ったが、それとはまた違う、特に第2楽章での巨匠の風格漂うソロに酔いしれた。

・印象的だったのは西崎首席のクラリネット。冒頭からしてクラリネットで始まるこの曲に活躍箇所は多いが、力強さと繊細さを使い分け、ドヴォルザークの印象的なフレーズを一層際立たせていた。

・第三楽章での佐藤さんとコンマス:浜雄さんが絡む箇所も素晴らしく、その後に続く美メロディのオンパレードもまさに王道、素晴らしかった。

・改めて感じ入ったのは秋山さんのタクト。この曲をこれほど重厚かつ繊細かつロマン的に響かせる指揮は他では聴けないだろう。全てのフレーズに表情があって輝いている。おそらく時間が少ないはずのコンチェルトのオーケストラパートをここまで作り込めるな、と。

・アンコールはカタルーニャ民謡(カザルス編)/鳥の歌。先月のセンチュリー響福山公演と同じ曲

・コンサートから帰ってきて、チケットをファイリングする際、ふとこの日のコンサートのチラシを見てみると、ドヴォルザークがこれでもか!と言うぐらいアピールしていたのに対し、シベリウスの名前は最低限の情報しか載っていない(笑)

・岡山では一般的には「シベリウスって誰??」状態なんやろうなあと。東京・関西などの大都市や山形・金沢・高崎のようなオーケストラ文化が根付いた都市ならばシベリウス2番は「ド名曲プログラム」だが、岡山はまだまだそこまで行っていない。今回も含め最近のクオリティと感銘度の高い演奏を続けて行けば、少しづつレパートリーの拡大が受け入れられていくと思う。

・秋山さんのもとで岡山フィルはもっと凄いオーケストラになる、そう確信した時間だった。それだけにこんな素晴らしい世界が体験できるコンサートにもっと足を運んでほしいと思う。特に学生さん、この演奏が1000円で聴けるなんて本当に羨ましい。私が学生席に座っていたころの岡山フィルはまだまだ手探り状態だったもの。

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読売日本交響楽団 倉敷市特別演奏会 指揮:藤岡幸夫 Pf:清塚信也 [コンサート感想]

オーケストラキャラバン 読売日本交響楽団 倉敷市特別演奏会

藤岡&清塚のトーク(ピアノ演奏付き)
グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
チャイコフスキー/交響曲第4番 ヘ短調 作品36

指揮:藤岡幸夫
ピアノ独奏:清塚信也
コンサートマスター:長原幸太
2023年10月3日 倉敷市民会館

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・コンサート当日から3週間も経ってしまったが、詳しい感想を更新。当記事のアクセス数が普段の当ブログの5倍以上(普段400→当記事2000!)になっており、改めて清塚さんの影響力を実感。

・火曜日の夜公演なのに満席に近い入り(9割ぐらい?)。清塚さんの追っかけの方々も居られるようだったが、大部分は地元のファンが多かったのでは?清塚さん&藤岡さんの集客力をまざまざと見せつけると同時に、「くらしきコンサート」解散後も旺盛な倉敷市民のコンサート需要を感じさせた。

・編成は1stVn14→2ndVn12→Vc8→Va10、上手奥にCb6の2管編成。普段聴いている岡山フィルは10型か12型だから、久しぶりに聴くフル編成の弦五部の音の渦に溺れた。

・1曲目は序曲・前奏曲、の代わりとして、清塚さんと藤岡さんのトークで幕を開けた。チラシに記載された

『藤岡&清塚のトーク(ピアノ演奏付き)~会場を爆笑の渦に!お楽しみに』

の表記に違わない爆笑トーク(笑)どうやらこのチラシの宣伝文句は藤岡さんと清塚さんが気づいた時にはこうなっていたそうだが(笑)


・藤岡さんやお客さんと掛け合いをしたりしながら、会場の空気がどんどん温まっていく。あの藤岡さんが清塚さんのトーク力に圧倒されていましたからね(笑)途中から遅れて入ってきたお客さんを、「あっ、ゆっくり入ってくださいね~、安心してください、まだ1音も演奏されていませんから!」といじるなど、ご高齢のお客さんが慌てて入ってこないような優しさも感じられて、こういうところで人気が出るんだろうなと感じた。

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・で、チラシの(ピアノ演奏付き)は、ショパンの名フレーズをジャズ風にアレンジしたものだったのだが、軽妙でニュアンスたっぷりで、これが凄くよかった。ノクターン2番から始まり、途中、別れの曲を演奏していると思ったらいつの間にか大きな古時計に変わっていたり(この2曲、よく似ているんですね)最後は英雄ポロネーズ。

グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調
・ええ感じに暖まった会場に鳴り響いたグリーグのあの音型。清塚さんの生演奏は初めて聞いたが、強靭な音にまず驚く。それもダンパーペダルを作用をあまり使わずに、である。あの巨大なフェスティバルホールでもリサイタルされるのだから、倉敷市民会館ぐらいの空間は余裕を持って響かせる感じ。それに加えて粒立ちの良い音、ペダルを繊細に使って音の輪郭を明瞭に響かせているのが印象的。トークで「この曲って、バラエティとかで『やっちまったー』っていう時に使われたりするんだけれど、北欧の凍てつく空気・雄大な自然を表しているんです」との言葉通り、スケールの大きな風景を現出させていた。

・何よりも、藤岡さん&読響と清塚さんが盛んにアイコンタクトをはじめ、コミュニケーションを取っている。
カデンツァでは圧倒的な存在感を示しつつも、協奏する場面では、一緒に音楽しよう!と言わんばかりに密にコミュニケーションを取って、音楽を創っていく・・・例えばオーケストラの奏者が見事なソロを披露すると、そこに自己主張を控えめにしたピアノが寄り添っていったり・・・ソリストにオケが「合わせる」タイプの協奏曲とは全く違うものが出来上がっていき、「この部分いいよね」「こういうのどう?」「いいね!ここは心震えるよね」といったかんっじで、情感や情景を舞台上の全員が共感し合いながら音楽に載せて聴衆を陶酔に導いていた。

・コンチェルトが終わった後の読響の楽員さんが満たされた表情をしていたのが印象的、オーケストラを従える孤高のソリストの魅力も抗えないものがあるが、清塚さんのようなタイプのソリストは少ない、第3楽章なんてソリストもオケもどんどんノリが過熱していって、この曲の新たな魅力を発見した思い。

・休憩時間中に素敵女子に声をかけられて、ドギマギしていると、大学時代の友人だった。中学生のお嬢さんが清塚さんのファンとのこと。清塚さんがステージから去るとき、熱烈に手を振ってるおっさんがおるなあ、と思っていたら「あれはヒロノミンじゃが!」と気づいたようで・・・いやいやお恥ずかしい。

・一点、大事なことを書き残して置きたい。この協奏曲や後半のチャイコフスキー4番でも楽章間の拍手が起きた。その際、藤岡さんが客席側を少し振り返ってお礼の会釈をされたあと、オーケストラに向かって笑顔で頷いて楽団員も表情が少し笑顔になったように見えた。藤岡さんは楽章間の拍手は「クラシックになじみのない人が来ているサイン」と感じており、うれしくなると同時に気合も入るようだ。


チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調
・読響のアンサンブルが凄すぎて・・・。この曲なんて、目を瞑っていても演奏できる曲だろうが、ルーティン感を全く感じさせない、鉄壁のアンサンブルを聴かせてくれた。

・例えば最終楽章ラストの大爆音乱痴気騒ぎに見える場面で鬼のように明確なアクセントが入ってて戦慄!!。第1楽章での強奏部分では弦の音がうねりにうねって、広大な倉敷市民会館の空間をぎっしりと満たす感じ。全てにおいて神経が行き届いていて、それは統率された凄さではなく、個々の音楽を創造する能力が桁違いなのだと実感する。

・管セクションと弦セクション間の音の溶け合い方も見事で、第2楽章のゆったりとしたフレーズでは、まるでブルックナーのシンフォニーのような響きを感じた。

・あまり意味のない比較とは分かりつつも、演奏の迫力・音圧という面では同じホールで聴いた新日本フィルやNHK交響楽団を凌駕していたのではないか?海外の一流オーケストラのような椅子に押しけられるような圧倒的な音圧を感じた。

・藤岡さんのチャイコ4番は3回目だと思うけど、聴くたびに陰影が深くなる。帰りの車のカーステレオは何もかけずに無音で余韻を楽しんだ。

・読響のハイレベルな熱演に対して、久しぶりにこのホールで聞いたブラボーと嵐。読響団員さんが全員履けるまで熱烈な拍手。「くらしきコンサート」が帰って来たって感じがしたなぁ。倉敷の聴衆は熱い!

・余談というか覚書。藤岡さんがプレトークで岡山の縁について語った時に、「倉敷の北のほうに津山というホントに美しい街があるんだけれども、祖先に箕作阮甫っていう蘭学者がいて・・・母方のご先祖様なんですよ」と、いきなり岡山が産んだ幕末明治の知の巨人の名前が出てきてびっくりした。津山って秋山和慶さんの母方のルーツでもあるようだし、いやはや凄い街ですね。

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民音名曲コンサート 岡山フィル 指揮:太田弦 Vn:黒川侑 [コンサート感想]

民音クラシック名曲コンサート ベートーヴェン&メンデルスゾーン 珠玉の響き

メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」Op.26
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
ベートーヴェン/交響曲 第7番 イ長調 Op.92

指揮:太田 弦
ヴァイオリン独奏/黒川 侑
管弦楽:岡山フィルハーモニック管弦楽団
コンサートマスター:福田悠一郎


2023年10月1日 岡山シンフォニーホール大ホール

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・民音主催とあって安定した集客が見られ、客席は7割ぐらいの入り。定期演奏会とは明らかに客層が違い、中高年の女性のグループが多い印象。

・編成は1stVn10-2ndVn8-Vc6-Va6 上手奥にCb4の2管編成。客演奏者はホルン首席に柿本さん(京響)、クラリネット首席に高尾さん(広響、以前は岡山フィルに頻繁に乗ってらっしゃった)、他にもセカンド首席とヴィオラ首席も客演の方。

・コンサートマスターは福田悠一郎さん。私は別の方と見間違えてしまい、twitterに投稿してしまった。コロナ禍でシェレンベルガーさんも高畑さんも来日出来ない時期にコンマスとして何度も記憶に残る演奏を披露してくれた方(ホンマ恩知らずですみません)。



メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」
・「音の風景画家」メンデルスゾーンの音楽に花を添える木管、弦楽器群の音も素晴らしい。序曲からこのクオリティでの演奏は、やはり岡山フィルの演奏は誠実だ。



メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調
・このコンサートのチケットを買った時の最大のお目当ては、黒川侑さんのメンデスルゾーンの協奏曲だ。今年の3月定期で演奏されたベートーヴェンの協奏曲が素晴らしすぎて・・・・。彼の音は特別なんですよね。まろやかで温かくて、琥珀の輝きがあって、そして芯が強い。

・メンデルスゾーンの協奏曲は、チャイコフスキーやパガニーニのような特別なヴィルトゥオージティが必要な曲には見えない(適切な音程を取るのはプロでも難しい・・・とは聞くけれど)、その分ソリストの「音色・質感」そのものがさらけ出される曲のように思う。

・第一音が響いた瞬間から「これこれ、メンコンはこれやわー」という説得力のある音色・表現。彼のヴァイオリンの音は、色んな意味で「格別」なんです。聴いていて「幸せだな~」「いつまでも聞いていたいな~」と感じさせられる。

・特に第2楽章は夢のような時間だった。彼にしか出せない音、その音が作り出す世界は輝きに満ちていた。そして彼のソロに付ける岡山フィルの弱音も素晴らしい。本当に弱音時の弦のアンサンブルが良くなったと思う。

・黒川さんの理想のヴァイオリニストはグリュミオーだそうだ。工藤・小栗門下からウィーンとブリュッセルで研鑽を積み、エコール・ノルマルで学んだ経歴を見ると、おそらく10代のころから彼の理想の音が明確にあって、周囲が超絶技巧の習得に躍起になるのを横目に、理想の音の体得に邁進されていたのではないだろうか。こんな音を持っている奏者は、中堅・若手どころでは彼ぐらいしか思い浮かばない(僕の中では実はもう一人いるけれど、彼女はジストニアのため、恐らく当分は聴くことは叶わない・・・)。

・いや、黒川さんは超絶技巧も超一流なのだ。それは京響とのプロコフィエフの録音を聴けば明らか。でも、彼は超絶技巧を魅せることに重きを置いていない感じがするんだよな(違っていたらごめんなさい)。人の心の琴線に触れる音楽を追い求めている感じ。

・アンコールはJ.S.バッハの無伴奏ソナタ1番のシチリアーナ。




ベートーヴェン/交響曲 第7番 イ長調
・実は、この曲に関してはさほど期待していなかった。というのも、去年の7月定期(ドヴォルザークの8番)で太田さんの指揮を聴いて、内声の見通しの良いサウンドを纏める指揮巧者との印象の一方で、なんというか引っ掛かりが無い、物足りなかったなあ、というネガティブな印象があったからだ。



・ところが、あーた!君子豹変とはこのことかと思うほど、個性的な指揮を見せてくれた。強烈なリズムと、深い叙情性あふれるベト7。さすがに30歳という若さで九州交響楽団の常任指揮者に指名された才能だなと感じさせるに十分だった。指揮の太田さんは勿論、コンマスの福田悠一郎さんも全身を使ってのリードが冴え渡っていた。



・岡山フィルのテンションも、ほとんどガチンコの定期演奏会のような熱演だったことにも感動。今回のコンサートは民音が主催してチケットを売り、岡山フィルは一定の金額のギャラを受け取るという、いわゆるお座敷の名曲コンサート。これまで岡山で開催される民音のコンサートは広島交響楽団が取っていたが、今回は初めて岡山フィルが取れた。今後のことを考えると、1,2年に一回は確実に開催されるこのコンサートの出演権を取ることは非常に重要で、楽団員の気合が入っていたのかもしれない。




・個々の奏者では第1楽章第一主題からフルートの畠山さんが華のある音を見せつけ、ティンパニの近藤さんの一貫した確信の叩きには痺れた。フルート以外の木簡も第2楽章での哀愁あふれる音、そして弦楽器は弱音の表現が磨きがかかっていた。



・岡山フィルはシェレンベルガー時代にも7番を取り上げていたが、仕事の都合で行けなかった。その私の中でのミッシングリンクを繋ぎ合わせるような演奏。これは忘れられない。

・アンコールはシューベルトのロザムンデの第三幕間奏曲。これってコロナ禍でコンサートが半年以上中止になってから再開後初の定期で演奏された曲よなあ。その時の指揮者は熊倉優さんだったから、単なる偶然かもしれないけど、あのしんどい頃に光明を指してくれた曲ということで、グッとくるものがあった。



・近席の中高年女性グループの方々が「岡山フィルって岡山の人たち?」「すごい演奏じゃったわー」「なんか汗かいたわ」と口々に絶賛されていたのが印象的。楽章間の拍手も起こっていて、普段コンサートに来ない客層に対して充分なアピールができたんじゃないだろうか?

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Alto de Campagne ヴィオラ・カルテット・コンサート [コンサート感想]

岡山大学Jホール レインボーコンサート Vol.76

Alto de Campagne ヴィオラ・カルテット・コンサート

オッフェンバック(中村翔太郎 編)/喜歌劇「天国と地獄」よりカンカン
J.S.バッハ(マーティン編)/4つのヴィオラのためのブランデンブルグ協奏曲第6番
モーツァルト(對馬時男 編)/歌劇「魔笛」より
ブルッフ(中村翔太郎 編)/4つのヴィオラのためのロマンス
松崎国生/ゔゐおら燃ゆる

2023年9月29日 岡山大学Jホール

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・鳥取・笠岡・赤穂・三田という西日本の田舎町(Campagne)出身のヴィオラ奏者4人のカルテット「Alto de Campagne」。20分ほど遅刻してしまい。初めの2曲は聞き逃したが、今回もヴィオラの音色を存分に堪能。翔太郎さん編曲のブルッフのロマンスが超絶名曲。日本人の祭りの心を表したような松崎国生/ゔゐおら燃ゆる も良かった。

・私は弦の音が本当に好きで、なかでもヴィオラが一番好き。オーケストラ・コンサートの座席選びは、ヴィオラの音が良く飛んてくる席を選んでいるくらい。

・オーケストラの世界には「ヴィオラ・ジョーク」というものがあり、
「新しく買ったヴァイオリン、盗まれたりしたらどうしよう・・・」
「いい方法があるぜ、ヴィオラのケースに入れておけば誰も盗まないよ」
みたいな自虐ジョークがあるようだ(岡山フィル・ヴィオラ奏者のSさんがゲラゲラ笑いながらラジオで紹介されていたww)。ヴィオラ奏者はヴァイオリンからの転向組が多いらしい。ヴィオラの音色やアンサンブルの核となって内声を担っていく醍醐味・面白さに惹かれて敢えて選択した人が多いようだ。

・実際、何度かこのカルテットの演奏を聴いていると、本当に魅力のある楽器だと思う。4人ともヴィオラの音やヴィオラの可能性に惚れ込んでいるのがよく分かる。

・客席は洋乃理さんも仰っていたように「久々に見た1席飛ばしのソーシャル・ディスタンス」だった。もともと300人ぐらい入るホールだが、完全事前予約制で100人ぐらいに絞られていた。大学病院敷地内にあるホールには入院もしくは通院患者さんと思しき方々も見えられていて、医療機関はまだまだ厳戒態勢が解かれていないと感じる。そんな中でコンサートを再開したのは英断だっただろう。

・魔笛は、有名な序曲に始まって、夜の女王のアリアを始めとした名シーンのハイライトだった。編曲紗の對馬時生さんはこのカルテットの専属作曲家のような存在で、4人の実力やキャラクターに精通しているこらこその技巧や即興性の高い編曲になっていた。この曲は翔太郎さんが1st。

・ブルッフのロマンスは棚橋さんが1st。説明ではブルッフは当時はブラームスよりも人気があったとのこと。とてもロマンチックな曲調。アルカンのメンバーのヴィオラのサイズが結構違ってて、洋乃理さんが一番大きく、翔太郎さんが一番小さい。それもあるのか4人それぞれに音が違ってて、豊かな倍音が重なり合うから、弦好きにはたまらない響きになる。

・最後の松崎国生/ゔゐおら燃ゆるは、まさに4人の音楽性がぼうぼうと炎を立てて燃えるような演奏。ハンガリー舞曲ならぬ、日本民族舞曲といった曲調で、とても盛り上がった。

・洋乃理さんがヴィオラ用の曲が少ないので、作曲してもらったり編曲したりしながらレパートリーを ある種のフロンティアを開拓する自由を感じておられるのでは?

・ヴィオラって音域はヴァイオリンやチェロよりも狭いはずだけど、まったくそれを感じさせない編曲とアンサンブル、かつ、まろやかかつ太い響きを存分に堪能した。

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日本センチュリー交響楽団福山公演 指揮:飯森範親 Vc:佐藤晴真 [コンサート感想]

オーケストラキャラバン
日本センチュリー交響楽団福山公演

指揮:飯森範親
チェロ独奏:佐藤晴真
コンサートマスター:松浦奈々

ドヴォルザーク/チェロ協奏曲ロ短調
シベリウス/カレリア組曲
  〃  /交響曲 第7番 ハ長調
  〃  /交響詩「フィンランディア」

2023年9月18日 福山リーデンローズ大ホール

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・何と言っても念願かなって聴くことができたシベリウスの7番!東瀬戸内市地域では、まずお目にかかれないプログラムで、秋山&広響がシベリウスチクルスをしたときがチャンスだったが、3,5番は聴けたが7番は予定が合わず・・・。そこにオーケストラキャラバン事業で降って湧いたようなチャンスが到来。

・客席は3階席閉鎖で、2階席も人はまばら、1階席も後ろ半分は空席が目立つ感じで、35%(700名)ぐらいの入りか、と思っていたら、中国新聞の記事で600人と判明。事前に指揮の飯森さんの動画で情報発信していたり、昨年に同ホールのリサイタル・シリーズに招聘した佐藤晴真さんを起用するなど、努力は垣間見えるが、根本的なところに問題があると思う。それは最後に触れる。

・諸事情があり(これについても記事の最後に述べる)前売り券を買わずに当日券を購入したのだが、ステージ至近距離は佐藤晴真めあてのお客さんで埋まっていたほかは、まさに良席選び放題の状態。空席が多いときのリーデンローズは、典型的な「風呂場音響」になるので、天井桟敷族の私ではあるが、ステージに近い直接音が降り注ぐ2階サイドの席にする。

・このリーデンローズは、クリスティアン・ツィメルマンとグラモフォンのスタッフがたいそう気に入り、シマノフスキ作品集のレコーディングを行った「名ホール」として名を轟かせつつあるが、ピアノ演奏は良いとしても、オーケストラだと客席が大方埋まらないと残響が豊富すぎて各楽器の音の分離が甘いと感じるのだ。

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・編成は1stVn10-2ndVn8-Vc5-Va6、下手にCb5の10型変則2管編成。2018年6月以来のセンチュリー響だったが主要メンバーはほぼ残っており、耳に馴染んだセンチュリーのサウンドを堪能した。その一方でObに大森さん(大フィル)、チェロ首席に金子鈴太郎さんなどの助っ人を入れていた。そうそう、3番トランペットには岡山フィルの横田さんのお顔も。

・さて、演奏順不同になるが、まずは念願かなったシベリウス/交響曲第7番の感想から。「滋味深い」「枯淡の境地」・・・この曲に対する私のイメージを吹き飛ばすようなセンチュリーの快演だった。

・こんなにスケールが大きい曲だったのか!というのが第一印象。他にも、「こんなリズムが内在する曲やったんや」「脈絡なく鳴っているように思っていた場面も、はっきりと美しい和声が聴こえてくるやん」「ここでこんな響きになるんや!」などなど、発見の連続だったのだ!やっぱり、生で、いい演奏で聴かなきゃわからんもんです。

・この曲、この日の4日後の第275回定期演奏会で取り上げる曲なんですよね。本拠地の定期演奏会と同一曲目を持ってきた飯森さん、センチュリー響の決断に感謝してもしきれない。

・コロナ前はハイドンマラソンにも通って、このオケの超高機能アンサンブルを体験した者とすれば、アンサンブルの精度、という点ではたぶん定期演奏会ではもっと完成度を上げていくんだろうな?という感じはあった。しかし、オケのハーモニー、音のテクスチャの心地良いこと心地良いこと!このオケは、音色に徹底的にこだわってるよなあ。強奏する場面でも音が濁ったりベチャッとなったり絶対にしない。ホントに素晴らしい時間だった。

・さて前半のドヴォルザークのチェロ協奏曲。ソリストは佐藤晴真さん。実は曲目とソリストは岡山フィルの10月定期ともろ被りで、指揮も秋山さんの教え子でもある飯森さんという、『聴き比べ』の興味も尽きない組み合わせである。

・佐藤さんは、福田廉之介くんの主宰する「THE MOST」の初期メンバー。ドヴォルザークの「森の静けさ」のソロを聴いて、その理屈なしに魅力的な美音に惚れた。

・なんでこんなに切ないほど美しい音が奏でられるのか。涙腺緩みっぱなし。ソロに付けるセンチュリーのオケパートも唖然とする巧さが。コンマス松浦さんとの二重奏も最高でした。佐藤さんはホームページを拝見すると、今年の10月だけで7回もコンサートが組まれている。どこもかしこも引っ張りだこである。

・第1、第3楽章も魅力的なメロディーが洪水のように聴き手を魅了するのだが、私はこの曲のキモは、第2楽章をどのように「語る」かにあると思っている。チェリストとオケによって、人生を振り返る老人の風格であったり、叶わぬ恋の切なさであったり・・・、さて、佐藤さんとセンチュリーの共演は、「若者の旅立ち」という言葉が似合うような演奏だたように思う。大きな旅に出る前でもいし、就職・進学でもいいだろう。純白の未来に向かって大きな希望と不安を抱えながら出発する若者の爽やかさや、それを見守る親の安堵や寂しさ、色んな感情がないまぜになるような、表現だった。

・アンコールはカタルーニャ民謡(カザルス編曲)の「鳥の歌」。超絶技巧のハーモニクスにも耳を奪われるが、やはり彼の美音に魅了される時間。

・後半の1曲目はカレリア組曲。シンコペーションがキモになっている曲だが、軽快に颯爽とした演奏。文句なしにかっこいい。日本のオケだと「ズンチャッズンチャッ」とズンドコ節になりがちな曲なのだが、流石、センスの塊の飯森さんとセンチュリーのリズム感が素晴らしい。リーデンローズの空間を響かせるツボみたいなもの得たようで、かるーく弾いてるようでいて誠に力強い演奏。

・シベリウス7番のあと、最後はフィンランディアで締める。本来であればシベリウス7番で終わって、フィンランディアはプログラムに載せずに、ゲネ1回通してぶっつけ本番アンコール!なノリでやるのだろうが、きちんと仕上げて披露するのがセンチュリーらしい。冒頭から金管をブリブリに鳴らし、10型とは思えない弦の芳醇な音。「スオミの歌」の部分の木管も素晴らしい、クラリネット持丸さんやフルート永江さんの「ザ・センチュリー」といえる気品ある音と、かなり厚めに鳴らす大フィル大森さんの音が意外に相性が良く、聞き惚れる。大団円の集結でお開き。



最後に少しリーデンローズへの 愚痴 提言


・冒頭に書いた通り、ホールの色々な販促にも関わらず、客席の入りは低調だった。だが販促・宣伝の前にやることがあるだろう、というのが僕の意見。


・岡山県在住者を主要ターゲットに、ネットチケットの充実など遠方からの「チケットを買いやすくする」という基本中のキホンが出来ていないのてある。


・今どきホール独自のネットチケットも無く、ぴあやローチケで買おうと思っても座席指定で買えないんですよ。プレイガイドは福山市内と広島市にしか無いから、こんなに近くて便利なのに岡山県在住者は本当にチケットが買いにくい。ってことで私も早々に当日券で行くことにしてました。

・これって結構機会損失だと思うんですよ。前売りで買っていないと、当日の欠席率は高くなる。まだまだ外も暑いし、他の用事も済ませたいし、福山までの快速サンライナーがコロナを機に廃止されて各駅停車しかないし、もう行くのやーめた。と直前まで思っていました。シベリウス7番が僕の重い腰を上げるキッカケだった。

・岡山シンフォニーホールも2000年代頃は集客が低迷していたが、岡山フィルの楽団改革と、ネットチケットの導入などのホールの営業改革で、かなり集客は伸びた。今は福山・備後だけでなく、四国からも結構集客してますよ。福山市も岡山市と同様に、市内の需要だけではホールを満席にはできない。ホール事務局さん、よーくお考えを。


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・新幹線ホームから見た、令和の大改修を経た福山城。各停があまりにまどろっこしいので、帰りは新幹線にしたのだが、3連休最終盤の上りだったため、えらい混雑でした。センチュリーの楽員さんも乗られてて、ホントお疲れ様でした。

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ハレノワこけら落とし公演 ケルビーニ/『メデア』 [コンサート感想]

NISSAY OPERA 2023

<岡山芸術創造劇場ハレノワこけら落とし公演>
オペラ『メデア』

全3幕[イタリア語上演、日本語字幕付、新制作] 


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作曲:ルイージ・ケルビーニ
指揮:園田隆一郎 
演出:栗山民也 
管弦楽:岡山フィルハーモニック管弦楽団(コンサートマスター:藤原浜雄)
出演

メデア/岡田昌子、

ジャゾーネ/清水徹太郎

グラウチェ/小川栞奈

ネリス:中島郁子

クレオンテ:デニス・ビシュニャ

第一の侍女:相原里美、第二の侍女:金澤桃子、衛兵隊長:山田大智

合唱:C.ヴィレッジシンガーズ



あらすじ=ハレノワHPより=
 国王クレオンテは、数々の冒険に出かけて偉業を成し遂げた英雄ジャゾーネに娘のグラウチェを嫁がせる事にした。しかしグラウチェには前妻メデアの存在が重くのしかかっている。ジャゾーネは強引にメデアと離縁をしているからだ。
 クレオンテに謁見中のジャゾーネの前に、メデアが現れる。かつて交わした愛と、奪われた二人の子どものことを訴えるが、ジャゾーネに冷たく拒絶される。
メデアは悲嘆と怒りのあまり、復讐を誓うのだった。


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 ハレノワの杮落としにふさわしい、記録にも記憶にも残る舞台だったように思う。
 流石に日生劇場のプロダクションで、すでに東京でのプレミエを絶賛のうちにやり終え、すでに完成された座組なので、素晴らしい舞台になることは予想はしていたが、私が岡山で見た数少ないオペラの中でも群を抜いて素晴らしかった。

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 まずはメデア役の岡田昌子さんの歌唱、演技が見事すぎて・・・。他の歌手陣、合唱も演出も照明も舞台装置も「岡山でこれほどの舞台が見られるんや」という興奮を抑えられない、ハレノワの今後に期待を抱かずにはおられない舞台だった。

 オケピットの岡山フィルはベストメンバーで臨んだが、第1幕ではあまりにもデッドな音響に苦労している印象。私自身が岡山シンフォニーホールに慣れすぎてるのもあるのだが、シンフォニーHで響かせる豊かな倍音は望むべくもなく、アンサンブルの纏まりも悪かった。
 舞台が紡錘状にピットに迫り出していて、それは歌手陣がまるで歌舞伎の花道のように客席眼の前まで出てくるという抜群の効果があったが、オケが左右に分断されるという犠牲もあった。

 ところが、そんな悪条件の中、第二幕からやおら調子が出てきて、第三幕は圧巻の演奏だった。第三幕では少ない残響を逆手に取って、ここぞという場面でプレストで畳み掛け、岡田さんのメデアの狂気と見事にシンクロし、流石は我らが岡山フィルだ、というものを見せてくれた。それはオペラ指揮者の園田隆一郎の面目躍如でもあり、息を詰め手に汗を握りながら鑑賞した。


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・オーケストラの編成は、下手手前にCb4、1stvn8-Va6-Vc5-2ndvn7という岡山フィルでは珍しい対向配置。木管は2管編成で上手奥の方。ティンパニはVcの奥に位置。ただ、舞台がオケピットに向かって紡錘状に迫り出しており、Cbと他の弦舞台がやや分断されている。

・第二幕では舞台裏に合唱とバンダを配置し神の啓示のような効果を出していたが、この管楽アンサンブルもすごく良かった。カーテンコールでは披露されなかったが、とりあえずtwitter情報で津上真音さん(Ob)が乗っていたらしいことはわかったのだが。

・途中、フルート(畠山首席)とファゴット(客演の中野陽一朗さん)の素晴らしいソロが聴けた。お二人共、舞台上の歌手と掛け合い、絡み合うような見事なソロだった。

・8月14日にあったプレ・レクチャーコンサートでオケからは畠山さんと中野さんが出演されていたようだが、このオペラの中にこれほど印象的で重要なフルートとファゴットのソロがあったんだ。うーむお盆は忙しくて行けなかったけど、聴きたかったな。

・さて、視線をオケピットから舞台上に移します。冒頭にも書いた通り、岡田さんの歌唱が素晴らしかった。特に第三幕はほとんど出ずっぱりでハイトーンが次々に続く場面でも、デッドな音響をものものせずハリのある歌を展開して客席を圧倒。憤怒に打ち震える場面では背筋が凍る様な衝撃を聴き手に与えた。このメデアは日本初演ということだが、これまで上演されなかった原因に一つに、メデア役をこなせる人が少ないこともあったかも知れない。

・そのメデアの周りを固めた歌手たちも素晴らしかった。youtubeにメデアの動画がいくつかあったので、1回だけ予習がてら見てみたのだが、元夫の妻を殺すところまではついていけないこともないが、最後には自分の子まで殺めてしまうというのは飛躍が大きすぎて共感できないな、と思っていた。ギリシャ神話には子殺し、親殺しのストーリーがよく出てくるが、エデュプス・コンプレックス文化圏の人々には受け入れられても、なかなか日本人には共感が得られにくいストーリーで、このこともメデアがこれまで取り上げられなかった大きな要因だと思う。

・しかし、今回の脚本・演出は聴衆の共感・没入が得られるように、うまく落とし込んでいたのだ。

・伊藤さん演じるクオレンテは君主としての威厳と同時に何でも自分の思い通りにしたいというマインドが見え隠れする、清水さん演じるジャゾーネの優柔不断さ、身勝手さと偽善など、周りの歌手たちがうまく演じたことで、メデアが抱える苦悩や二面性への説得力が増し、岡田さんの演技も相まって不思議とメデアに共感していく自分がいた。

・重要な役回りを担ったのが中島郁子さん演じるネリス。ダークサイドに落ちる前の王女メデアに侍女として付き従ってきたネリスが、第三幕では狂言回しの役割も担っていた。道を踏み外さないよう願うアリアが心に沁みた。

・メデアが自分の中の母性を殺す瞬間、そしてその後の騒動・事件〜クライマックスの真っ赤の照明演出の中から子どもの亡骸を抱え、上半身・顔が血まみれの状態でメデアが出てくる場面など、一連のハイライトのシーン、私の席からは園田さんがオーケストラにここぞとばかりの煽りを入れて、それはそれは古典派オペラとは思えない阿鼻叫喚の狂気!を創り出しているサマがはっきり見えた。私と同年代の園田さん。この世代で最も「振れる」指揮者だと改めて確信。岡山フィルはこの杮落としのご縁をトリガーに、園田さんとの関係を深めていって欲しいと思う。

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・子殺しのシーンにクライマックスを持って行った関係上、見せ場もなくあっさり&いつの間にか殺された(王妃の冠に毒が仕込まれて亡くなったとの設定)ことが告げられたヒロイン役のグラウチェ役の小川栞奈さんには気の毒な脚本だなと感じる。

・冒頭で、この劇場のデッドな音響について触れたが、「デッドな音響」と一口に言っても色々な種類がある。それについては後日、ハレノワ大劇場の感想としてまとめようと思うが、一言で表すと「唱高弦低」あるいは「管高弦低」と言えるだろうか。

・歌手のレチタティーヴォは発音まで明瞭に聴こえ、表情の変化も充分に読み取れる。やはり「劇場」としての臨場感やセリフの聴き取りやすさを追求した音響設計になっているのだろう。

・木管の音もよく聴こえた、その一方で、弦の音は岡山シンフォニーHで聴く音とは違い、僕の好きな岡山フィルの芳醇な音からはかけ離れていた。ところが第二幕以降はキチンとアジャストしていたのはさすが。

・私はオーケストラの豊かな音を聴きたい。今回のような古典派やバロックのオペラはいいとして、例えばプッチーニやR.シュトラウスなどは岡山シンフォニーホールで聴きたいかな。

・他の長所としては、客席とステージの距離が近く、1700席もあるホールにはとても思えない、舞台と客席との一体感があった。

・実は開演に間に合わず、1幕目の途中から2階席最後方の座席に入れてもらえたのだけれど、舞台との近さに本当に驚いた。

・大阪から私の敬するコンサートゴーアーのぐすたふさんが来られていたが、やはりキャパの大きさを感じないような舞台との一体感を感じたとのこと。びわ湖ホールの中ホールで見ているような臨場感があったそうだ。

・幕間の休憩中に平土間に降りて見ると、岡山シンフォニーHに比べると各階客席の階高が低い、これがコンパクトな客席の秘訣であり、残響の少なさの原因のように思う。



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岡山フィル第77回定期演奏会 指揮:デリック・イノウエ Pf:松本和将 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第77回定期演奏会


リムスキー=コルサコフ/スペイン奇想曲

ラフマニノフ/パガニーニの主題による変奏曲

〜 休 憩 〜

チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調


指揮:デリック・イノウエ
ピアノ独奏:松本和将
コンサートマスター:藤原浜雄


2023年7月23日 岡山シンフォニーホール


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・弦五部は12型(1stVn12、2ndVn10、Vc8、Va8、Cb6)で2管+αの編成。トランペット首席の小林さんとティンパニ特別首席の近藤さんが降り番で、その代役・・・というにはあまりにも大物のを招聘していた。トランペットはN響の長谷川さん、ティンパニは元広響の照沼さん。首席の空席が続いているホルンはニコ響でいつも見ている東響の上間さん(まさか岡山で生の音を聴けるとは!)、トロンボーンとファゴットの客演首席はお馴染みの小田桐さんに中野さん(京響)。トッティ奏者にもコンバスに藤丸さん(広響)、ホルンに倉持さん、金管を中心に強力な布陣・・・おっと忘れたらあかん、ピッコロに都響の小池さんが乗っているのにもビックリ、帰省も兼ねてだろうか?チャイ4の第3楽章のピッコロが笑けてくるほどうまくて、ロシアの仕掛け人形たちが魂を得て生き生きと動き出してきそうな瑞々しさがあった。

・お客さんの入りは75%ぐらいだろうか?例年は「夏枯れ」の季節になるが、よく入っている・・・と思いきや、3階席は高校生を動員(たぶん吹奏楽部や管弦楽部の生徒だろう)しているようだった。でも、今回の演奏は高校生にも聴きごたえがあっただろうな。

・順番は前後します。今日の白眉は松本和将さんがソロを取った、ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲である、というのが当日の演奏を聴いた聴衆の一致するところだろう。それほど凄い演奏だった。

・実はこの曲が大好きで、でもなかなか岡山で演奏されることは無く、何度も関西に遠征して聴きに行った。作曲年は1934年。「遅れてきたロマン派」などと言われたりするが、この曲や交響的舞曲などは、決して時代遅れなどではない、なかなか凝ったオーケストレーションになっている。同じくロシア生まれのストラヴィンスキーは、一度前衛に走ったあとに新古典流儀に傾倒していた時期だし、プロコフィエフは『ロメオとジュリエット』や『アレクサンドル・ネフスキー』などが作曲された時期で、どこなくこの頃のラフマニノフとは影響しあっている気もする。

・ピアノソロ部分については超絶技巧は勿論のこと、ラプソディの名の通りの叙情的な表現力、目まぐるしい変奏曲を描き分ける引き出しの多彩さ、協奏曲としてオーケストラと音楽を作っていく共創能力も求められる。
 松本さんの演奏は高次元ですべての要素を満たしていた。特にオーケストラとの絡みは本当に見事で、ソリストとオケが人馬一体、今まで聴いたどの演奏よりも感銘を受けた。特に第9〜10変奏,第13〜14変奏が圧巻。『悪魔に魂を売った』パガニーニのモチーフと、時折見え隠れする『怒りの日』のモチーフが絡み合い、ラフマニノフ晩年の鬼才っぷりを、松本さんのピアノと岡フィルが体現してくれたような演奏。恐ろしいほど妖しくも美しい、心の奥底に深く沈んでくる世界観だった。デリックさんの付けも見事で、ロシアの土臭さではなく、都会的で明るめの響きから、ラフマニノフがアメリカから受けた影響(この曲はスイス滞在中の作曲らしいが)を全面に出したような演奏だった。岡フィルも木管や藤原コンマスのソロには涙をさそわれる素晴らしさだった


・今回気づいたのだが、あの第18変奏は最高潮に達する直線まで、ヴィオラが入っていないんですね。ヴィオラが入った瞬間、音に厚みと深みが増して、聴き手の心が揺さぶられる。交響曲第3番の甘美な第3楽章の集結部はヴィオラが全部美味しいところを持っていったり、ラフマニノフはヴィオラの使い方が天才的。

・松本さんも、勿論岡フィルもホームグラウンドのホールで、去年のラフマニノフ2番を初め、共演を重ねたことが、単なるソロと伴奏にとどまらない、コンチェルトグロッソ的な愉悦を堪能させてくれたのだ。

・余談になるが、第22変奏は、交響曲第2番の第4楽章に酷似しているところがある。元ネタのモチーフは何なのだろう?

・ソリストアンコールはヴォカリーズ。弱音なのに芯がある、この一曲だけでも松本さんのソノリティを感じさせる演奏だった。




・一曲目のリムスキー=コルサコフ/スペイン奇想曲、この曲は管楽器が上手いと、まっこと映えますな。常々「岡フィル自慢の木管陣」と表現してきたけど、みなさんホンマに上手いです。そして浜雄さんのソロ、パガニーニ・ラプソディの第16変奏でも感じたのだが、いぶし銀のような渋みがありながら、どこか都会的で洒脱。グレン・ディクロウやシルヴァースタインのソロを思わせる。


・デリックさんは構えの大きい指揮でグイグイ牽引していく。一見大振りなようでいて、棒先だけに注目すると非常に緻密。予備動作も明確なので、オーケストラは演奏しやすそうだ。このあたり、この方はやはり齋藤秀雄直系だなあと思う。


・新日本フィルが上げてくれているデリックさんの動画を見てみると、秋山さんとの関係は師弟関係以上のものがあるようだ。
 https://youtu.be/iDvx2zsVv7Y


・第4曲のアンダルシア・ジプシーの歌の場面では オペラ指揮者の本領発揮でオケを歌いに歌わせて煽っていた。畠山さんの真珠のような輝きのフルートも印象的。

・メインのチャイコフスキー4番。正直な感想は「めっちゃ気持ちいい・・・・しっかし、疲れた!」である(笑)


・これまでの岡山フィルからは聴いたことがない鋼のような強靭なサウンドをデリックさんが引き出していた。明るくマッチョで力ずくで心を持って行くような強引さがある。管打楽器のホールを震撼させる鳴りっぷりも凄かったが、12型という編成にもかかわらず、管楽器に負けない音圧を繰り出す弦五部にも脱帽。

・ステージからの抗えぬ圧を感じながら思い出していた。私が初めて海外のオーケストラを聴いたのがロサンゼルス・フィルで、その時の感覚が蘇るような岡山フィルの演奏だったのだ。まさに北米のオーケストラのサウンドで、仮に今回の録音をCDに焼いて、『TELARC』レーベルを付けて「これ、最近評判の高いアメリカのオーケストラなんだって」と言って聞かせられると、違和感を持つ人はほとんど居ないんじゃなかろうか。

・そして、これだけ鳴らしても音が飽和せず、各パートの音が克明に聴こえてくる、バケモノ音響にも脱帽。岡山シンフォニーホールはファシリティとしては問題だらけのホールだが、だた一点、このバケモノ音響だけで名ホールというにふさわしい。

・ただし・・・(ネガティブ感想あり)
 第1楽章や第4楽章の盛り上がる場面では、途中からやや食傷気味になったのも事実(コンサート後の疲労感の原因は、酷暑とこれ)。

 強奏が続く場面でも、寄せては返す波のような「緊張と緩和」がないと、迫力に圧倒されるだけで、陶酔というところまではいかないのだ。


・いや、第2楽章などでの美しく聴かせる場面での歌心あふれる表現は素晴らしく、第1楽章の第2主題に入ったあたりのしっとりとした表現は、それはもう絶品だったのだが・・・強奏が続く場では、うーん・・・かなり力づくな印象で、シェレンさん時代以来の岡山フィルの美点=深い呼吸のなかで推進力を得て、豊かな響きで岡山SHの空間を満たすようなフォルテシモが聴かれず、やや一本調子になったのは惜しい気がする。
 会場の盛り上がりは相当なものだったから、私のような感じ方はごく少数派だろうが・・・

・10月にはホルン・トロンボーン・ファゴットなど、欠員の出ている首席奏者オーディションがあるようで、たぶん来年以降は新しい名手を迎えての体制になるのだろう。今回の様な強力助っ人陣での演奏もある意味貴重な機会だった。

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ベルリン交響楽団岡山公演 指揮:シェレンベルガー [コンサート感想]

ベルリン交響楽団 岡山公演


モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」序曲
モーツアルト/ピアノ協奏曲第21番ハ長調

リスト/ラ・カンパネラほかピアノソロ

〜 休 憩 〜

ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調「運命」


指揮:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ピアノ独奏:フジコ・ヘミング


2023年6月23日 岡山シンフォニーホール

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・会場はほぼ満員の入り。生ける伝説と言ってもいい90歳のフジコ・ヘミングさん目当てのお客さんも多かったのだろうが、後半のベートーヴェン、アンコール2曲が終わっても拍手が鳴り止まない。シェレンさんが「バイバイ」のポーズを取って、照明が明るくなって楽団員が舞台袖にはけた後もほとんどのお客さんが残って拍手を続けている。シェレンさんが再登場した瞬間、「ブラボー」とも「ウワーッ」ともつかない歓声が上がった。今日の演奏に対する賛辞というよりも、シェレンさんの岡山フィルでの9年間に対する感謝の気持ちを表したのだ。私も含めて何人かの人が涙ぐんでいるのが見えた。

・そう、後半のベートーヴェンの重厚かつ何もかもをなぎ倒していくような推進力のある音楽を聴いて、皆が思い出したのだ。彼が岡山で9年間の間で成し遂げてきたことを・・・・。普段はシャイで皮肉屋で、感情を表に出さない岡山の人々が、これほどストレートに気持ちを伝えようとするのをほとんど初めて見たような気がする。

・編成は弦五部は10型(1stVn10、2ndVn8、Vc6、Va5、Cb4)2管編成という比較的小規模なサイズ

・このコンサートのチケットを買うがどうかはかなり迷った。というのも過去10年聴いたコンサートの中で一番評価が低い演奏がこのオケの前回の岡山公演だったからだ。当時の首席指揮者のシャンバダールが率いていた。その時のエントリーにも書いたが、「ベルリン交響楽団」といっても、クルト・ザンデルリンクなどが率いた東独時代のベルリン交響楽団(現:ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)とは別の団体である。

・そのベルリン交響楽団に、最も尊敬する音楽家であるシェレンベルガーが首席指揮者に就任した。前回の岡山公演での印象から、「行くのに躊躇する団体リスト」入りしていたのだが、シェレンベルガーさんへの信頼は絶大だ。聴きに来て後悔するという事態には絶対にしないだろうという思いもあり足を運んだ次第。

・1曲目のオーボエのチューニングのピッチが不安定で、「やっぱりダメかもしれない」と思ったが、管楽器は不安定ながら弦の音はなかなか艶やか。6年前とは違うな、という印象を持った。

・2曲目のモーツァルトのピアノ協奏曲の第21番は彼のコンチェルトの中でも1,2を争うほど好きな曲だ。

・しかし、その大好きな曲を聴くのがこれほどしんどいとは。第1楽章と第3楽章では、ソリストの技倆に合わせるために、かなりのスローテンポ、それに加えて音符が密集している箇所では、やおらテンポが落ちるといった具合で、これにはシェレンベルガーさんも合わせるのに苦労し、オーケストラも明らかに困惑している様子だった。これはもはや天才モーツァルトの音楽ではない。自分はソリストよりも作品を聴きたいという欲求が強い聴き手なのだとつくづく思った。

・しかし第2楽章は違った。綺麗な音色と行間から人柄がにじみ出るような深みのあるピアノの音は、言葉では言い表せない味わいがある。なるほどフジコさんが人気がある理由は理解出来た。

・ソリスト・プログラムは予定から変更されていた。
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 予定のプログラムだと、技倆部分でのデメリットはかなり解消されたと思われ、おそらく私の印象も異なっただろうか?もう、聴くのがしんどくなってしまって、ラ・カンパネラなどのソロ演奏は失礼して2階席後方のロビーに出たのだが、数人ほど同じように途中退席組がいた。



・シェレンベルガーさんはモーツァルトに対するこだわりは強い音楽家だと思う。カメラータ・ザルツブルクとは何度も来日しているし、岡山フィルでもサウンドが落ち着くまでモーツァルトの交響曲を取り上げなかった。定期演奏会での交響曲第38番「プラハ」の演奏を聴いたとき、「この音が岡山フィルから出るようになるまで待っていたんだ!」と感動したのをよく覚えている。
 コロナ禍の中で中止になった第九の代わりに取り上げた、オール・モーツアルト・プログラムは、実質的に岡山フィル首席指揮者としての最後の演奏になった。


・そんなモーツァルトに愛情を持つシェレンベルガーさんに、こんな仕事をさせてはいけない。第一に、上に貼ったプログラムに指揮者の名前を載せないのは失礼過ぎないか?(もっというと、モーツァルト/フィガロの結婚 って、「序曲」を入れないなんて、あんたら素人か?)

 今回の主催はベルリン交響楽団の公演の主催権を持つテンポプリモだが、シェレンベルガーの日本での所属事務所であるヒラサオフィスは共演を止めるべきだったのではないか?

・シェレンベルガーさんは岡山フィルでの公演にその人脈をフル投入して、アンサンブル・ウィーン=ベルリン、シュテファン・ドール、グスターボ・ニュネス、アンドレア・グリミネッリ、アンドレアス・オッテンザマー(コロナで中止)など、シェレンベルガー人脈の世界一流の豪華ソリストが惜しげもなくその技能や豊かな音楽性を披露してくれた。ベルリン交響楽団の今シーズンの共演者にはカール・ハインツ・シュッツの名前も見える。次回の来日公演ではシェレンさんの人脈でのソリストを望みたい。

・後半のベートーヴェン。第1楽章の提示部繰り返しあり、第4楽章の提示部繰り返しはなし。一方で第3楽章の主部とトリオの繰り返しはあった。この第3楽章のトリオが本当に素晴らしく、シェレンベルガーさんらしい、収まるべきところに音符が収まっていく快感を味わったのだ

・第4楽章では目に涙が溜まるような感動を覚えた。本当に素晴らしかった!!シェレンさんの音楽を動かしていく推進力、ダイナミクスの変化を堪能した。弦は前回聴いた時より、かなり士気が高まっている感じを受けた。管楽器は多少怪しい部分はあったが、演奏の熱量がかき消していた。

・前回の岡山公演でのエントリーでこんなことを書いた
「もう一度言います。今回のベルリン響よりも、岡山フィルの方がアンサンブルの完成度も、ハーモニーの美しさも、遥かに上を行く。少なくとも、ベト5の冒頭の「ジャジャジャジャーン」の最初の「ジャ」が揃わないなんて失態は、まずやらないし、第一、あんなに気の抜けたベートーヴェンを聴衆の前で演奏するわけがない。」


 シェレンベルガーさんが首席指揮者に就任後は充実した演奏活動ができているのだろう。上記のようなことは全く感じさせなかった。5月には同じホールで岡山フィルのベートーヴェンの5番を聴いたのだが、それと比較すると今回のベルリン響の演奏は「やっぱり本場の演奏は違うな」と言わざるを得ない。どこが違うのか?個々の奏者の、特に木管やヴィオラ・2ndヴァイオリン、チェロあたりの実力は岡山フィルの方が確実に上だと思うが・・・。シェレンベルガーさんのタクトから紡ぎ出される、圧倒的な説得力のあるベートーヴェンを眼前に見せられると、岡山フィルはシェレンベルガーと良好な関係を継続して、その音楽性をもっと浸透させて欲しいと思う。


・アンコールは、ブラームスのハンガリー舞曲第1番のあと、第5番。この2曲は味のある渋い音を奏でていた。いい意味でヨーロッパ最大の経済大国の首都の音というよりも、プロイセンのローカル色を感じるサウンドに感動。


・冒頭にも書いたとおり、岡山の聴衆とシェレンベルガーさんとの1年半ぶりの再開は感動的だった。来年1月の「岡山フィル名誉指揮者」披露公演が本当に楽しみです。

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岡山フィル第76回定期演奏会 指揮:秋山和慶 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第76回定期演奏会

ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」
  〜 休 憩 〜
ベートーヴェン/交響曲第5番「運命」

指揮:秋山和慶
コンサートマスター:藤原浜雄

2023年5月20日 岡山シンフォニーホール

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・会場はほぼ満席、9割程度の入りだろうか。少し前までは1階席あたりは密集を嫌ってちらほら空席があったものだがこの日はS席にはほとんど空席は見られない盛況ぶり。カフェテリアも営業再開、レセプショニストによるチケットもぎりも復活して、普段どおりの雰囲気になった感じ。

・舞台上の奏者もマスク着用者は数人となった。一方で管楽器奏者の足元には結露吸収シートの設置、終演後の客席の分散退場(これは感染症対策というよりも、出口が狹く事故防止の効果もありそう)、客席のドアはなるべく客が触れないように開けっ放しで予鈴が鳴ったら係員が走り回って閉めてくれるなどの感染症対策は残している。

・プログラムはベートーヴェンの6番「田園」/5番「運命」というハイカロリー交響曲2番勝負という、私にとっては垂涎モノである。奇しくもシェレンベルガー時代の2017年3月定期と同じプログラムであり、その時との比較も楽しい。

・編成は弦五部は12型(1stVn12、2ndVn10、Vc8、Va8、Cb6)の2管編成。首席奏者は全員揃い踏み客演首席はホルンにシティフィルの小林さん、ファゴットもシティフィルの皆神さん、トロンボーンは最近、都響を勇退されたお馴染みの小田桐さん(もしかして特別首席への招聘があるか?)といった陣容。

・前半はベートーヴェン田園。これはちょっと凄い。素晴らしいサウンド。すべての楽器の音が溶け合い、輝いている。岡山フィルのアンサンブルは急速に良くなっていて、深みのある音が出るようになっていたが、さらに1ステージ上がった感がある。

・第1楽章の提示部からして心を奪われた。輝きとコクの深い音、第1楽章の再現部でベートーヴェンの喜びが爆発を表すかのような開放的なサウンドにも心が奪われる。なお、提示部の繰り返しあり。

・聞きものは第2楽章での木管陣のソロ。とりわけフルートの花の香りが匂い立つようなソロが素晴らしい。オーボエの少し翳りのある音もいい。クラリネットもファゴットも良かった。木管たちが音の表情をも見事に作っている。

・シェレンベルガー時代の2017年の演奏では、ソロ楽器にフォーカスを当て、さながら「オーボエ、クラリネット、フルートのための協奏交響曲」のようなアプローチだったのに対し、今回の秋山さんは全体の調和の世界の中で、絶妙のバランスでかっこう、風の音、小川のせせらぎ、鳥の声、などなどを職人芸で配置する。私の頭の中ではカミーユ・ピサロが描くフランスのエラニーの風景画が浮かぶ。海外一流オケも含め、今までこのホールで聴いた田園で1番美しい演奏かも知れない!と本気で思った。

・第4楽章の嵐のでのティンパニとチェロ・コントラバスの奮闘も記録しておきたい。近藤さんが黒色の硬質なマレットを手にした瞬間、雷神と化し、風神が宿ったチェロとコントラバスがそれに対峙する。近藤さんー松岡さんー谷口さんの低音パート首席ラインが連携しする破壊力抜群のサウンドに手に汗を握る。

・忘れてはならないのはヴァイオリン隊の弱音部の美しさ。1年前の秋山さんの就任披露定期ではヴァイオリンの弱音の処理に不満があった。しかし、今回はお見事というしか無い、純度は高いのにしっかり聴き手の心を絡め取る弱音の美しさだった。

・休憩に入って、名匠を秋山和慶を聴ける幸せを噛み締めていた。1週間以上経ってこの感想を書いている今でも心に、記憶に残っている素晴らしいベートーヴェンの田園だった。

・後半はベートーヴェン5番。5番の第4楽章は繰り返し無し。ちなみに2017年の演奏では繰り返しありだった。

・確信に満ちたテンポと解釈で、ズシリとした重みと疾風怒濤の運動性を両立した演奏になった。この曲の持つエネルギーの流転が透けて見えるような緻密な演奏。

・その秋山さんの緻密なタクトに応え、例えば第3楽章の中間部のフーガ第4楽章での各パート間の隙きのない対話に「これぞプロ!」と唸らされる。この6年でレベルも音色も段違いに良くなったことを実感。常にどこかで鳴っている『タタタターン』という動機の処理も巧み。

・田園に引き続いて弦楽器の弱音部分のアンサンブルの質の高さ。例えば第2楽章、あるいは第3楽章から第4楽章へ向かう部分の、ヴァイオリン隊を中心とした弱音の巧みな処理は聴衆を惹きつけ、客席を緊張感で包んだ。

・この日の演奏は、会場にいた聴衆のほとんどが満足感に包まれる演奏だっただろうし、私自身もそうだった。しかし・・・・・



(以下はちょいネガティブな感想あり)






・こうして1週間以上経ってみると、「田園」は文句なし!!しかし5番については何か物足りない・・・・引っ掛かるものが少ない・・・・だからだんだん記憶が薄れていく。あんなにいい演奏なのになんでやろ?と思っていたが、2017年3月定期の自分の感想を読み返して、理由が解った。

「シェレンベルガーのベートーヴェンを聴くのは4回目になるが、彼が棒を振るだけで、まさにベートーヴェンの音楽がホールに広がる。ベートーヴェンの音楽って何?と聞かれると答えに窮するのだが、私が子供のころからCDで親しんだカラヤン&ベルリン・フィルとの3つの全集(しかも3回目はシェレンベルガーのオーボエも聴こえる)、あるいはブロムシュテット&ドレスデン・シュターツカペレや、クーベリック&バイエルン放送交響楽団。これらの演奏と確実に「地続き」の音楽である、という確信が得られる演奏なのだ。
 そして改めて思ったのは、やはりシェレンベルガーのベートーヴェン演奏の重要な要素は、以前にも書いた通り、ベートーヴェンの『鼓動』であり、そしてベートーヴェンが感じていた『風と空気』だ。弦の刻み一つ一つからベートーヴェンの頬を撫でていたであろう、風が感じられた。」


・逆説的な言い方になるが、岡山フィルは上手くなったのだと思う。特にアンサンブル能力の向上と独自の輝きと深みのある音色は6年前には出せなかった音だ。ただ、まとまりが良くなった分、「田園」のようなタイプの曲にはハマるが、5番についてはシェレンベルガーとの演奏見せた粗削りだからこそ見えるこの曲が持つパッションの激しさや造形の彫りの深さや力感、有無を言わせぬ圧倒的な説得力。そういうものが薄まってしまったように感じる。


・これが秋山さんの5番に対する解釈なのか?とも思ったが、動画で見られる広響との演奏には、塊感というか、戦車が多少隊列を乱してでも突進してくるような迫力がある。

・とはいえ会場は本当にいい雰囲気だった。オケの方々も指揮者も聴衆も、「私達はもっと良くなっていく」「このオケはもっと良くなる」という思いを共有してる感じが確実にある。田園/運命という王道プロを、これほど真正面から真摯に取り組んで、それを固唾を飲むように見守る満席の聴衆がいる。

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待ちに待ったホルン:福川さんの登場!! 岡山交響楽団定期演奏会 [コンサート感想]

岡山交響楽団第75回定期演奏会


ヨハン・シュトラウスⅡ/皇帝円舞曲
グリエール/ホルン協奏曲

〜 休 憩 〜

シベリウス/交響曲第1番ホ短調


指揮:杉本賢志
ホルン独奏:福川伸陽


2023年5月14日 岡山シンフォニーホール

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・市民オケの岡山交響楽団の定期演奏会。今回も意欲的なプログラム。メインに大好きなシベリウスの1番に、コンチェルトは最近、とみに有名になったウクライナの作曲家:グリエールのホルン協奏曲。ソリストはなんと元N響首席という肩書以上に、私の中では邦人ホルン奏者の中で一番の名手、福川伸陽さん!

・今回は2020年5月に予定され、コロナ禍で中止になったプログラムを再度編成したようだ。福川さん、めちゃくちゃ忙しいだろうに、よく来てくれたなあと思う。作曲家がグリエール(ウクライナ)とシベリウス(フィンランド)という、プーチン・ロシアの魔の手が伸びている、伸びようとしている国の作曲家というのは、2020年時点では意図されたものではなかったとはいえ、なんとも因縁深い。

・編成は弦五部は、1stVn11、2ndVn9、Vc8、Va8、Cb6の2管編成。1曲めに皇帝円舞曲を持ってきたことで、ゲストのハープ奏者は大忙し。

・まあ、なんと言っても1曲目も福川さんのホルンですよ!!なんという柔らかくとろけるような音色!グリエールのホルン協奏曲は、首都圏や関西のオケではよく取り上げられていて、名前の語感からフランスあたりの作曲家だと思っていたが、「ウクライナの作曲家」だということを最近知った。ラフマニノフと同時代の人だが、ロマンチックなラフマニノフよりもさらに甘美な作風で、シュレーカーやコルンゴルトに近い。

・第2楽章はそんな甘美な和声進行を色気たっぷりに歌い上げる福川さん、最高です。第4楽章の強奏する場面でも耳に心地いい柔らかさは変わらない。大きなものに包まれるような音に魅了される。

・これだけの集客力と会場の聴衆を魅了する福川さん。ソロでも東京六人組でもお客さんはかなり入ると思うので、再度の岡山降臨を期待したい。

・シベリウス1番。このオケの弦の響きはやっぱりいいですね。特に第1楽章の再現部や、第4楽章のフィナーレのハープが絡んでいくところで涙腺が緩んだ。この曲、改めていい曲だな~と。プロの岡山フィルも負けずにレパートリーに入れるべき名曲

・入り口のセンサーによる検温やチケットのセルフもぎりなど、コロナ対策の名残はあったが、客席は満員、プログラムも岡響らしい県内の他オケの追随を許さぬ充実ぶりで、ようやく「普段」が戻ってきた感じが嬉しい。

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