月記 2013年02月 [雑感・出来事]
ブログをコチラに移転した動機の一つに、自分の日記的なものを残しておきたい、というものがあった。今回はあまり明るい話題もないので(汗)読み飛ばしていただければと・・・
義父が亡くなりました。61歳という若すぎる死。おととしの年末に、10年ほど前一度患った癌が再発。本人の必死の闘病、そして家族の必死の看病も、義父の命を奪う運命には逆らう事が出来なかった。しかし、麻痺症状を抱えながらも敢行した九州旅行、そして、病身にありながらも終始明るく前向きで、戦う姿勢を貫いた事。このことは病魔に対して一矢も二矢も報いたのではないかと思う。
亡くなって、数十分間は悲しみの時間が流れたが、それからはすべき事が大波のように襲いかかって来る。葬儀までの慌ただしさは、悲しみに打ちひしがれる者の目を反らさせ、故人のために何かをしたという感情を起こさせるのかもしれないが、でもでも・・・やっぱりじっくりとお別れをする時間があった方がいいのではないかという気がする。これは別にお葬式を否定するものではないけれど・・・
定年後わずか1年とはいえ、社会人現役での逝去ではなかったのにもかかわらず、 参列者の数が見込みを大きく上回ってしまい、会葬のお礼状の数が足りないという事態になった。自分が仕えた元上司の言葉「自分の親の葬式よりも、自分自身の葬式の参列者が多いような人生を送りたい」を思い出した。まさに義父の葬式はそのようなものであり、義父の人望の高さを感じさせるものとなった。そして、同時に家庭で家族や娘の夫に見せるような優しさや愛情を、社会人の場でも持ち続けた、裏表のない人柄であったことが分かった。
悲しい話題はここまで・・・
SONYの電子書籍READER、存分に活用していて、購入した電子書籍も1カ月で15冊を超えた。リアル本はあまり買わなくなったなあ。
このREADERを手に入れるまでは、書籍の実体感・ページをめくっていく感覚を大事に感じていて、電子書籍には懐疑的だった。実際、スマートホンで電子書籍を読んでいるときは、『これは、やっぱりリアル本の満足感にはかなわないか』と思っていたけれど、本を読む行為に徹底的に特化した電子書籍リーダーを手にして考えが変わった。
これは一度使うと止められない。いつでもどこでも何百冊でも持ち運びができる。軽くて片手で気軽に読める。画面が読みやすく実際の本を読むよりも疲れない。これが普及したらリアル書店さんはホンマにピンチかも。
一方で、じっくりと腰を据えて何日もかけて読みたい本は、やはりリアル本が向いている。電子書籍で松本清張を買ったのだが(今更ながらの「点と線」)、ものすごい伏線が張り巡らされていて、戻って読み返したくなるような複雑な作品には、電子書籍はまどろっこしくていけない。
SONYのREADERの使い勝手は、後日まとめようと思う。
(2013年2月)
あれから、早、18年 [雑感・出来事]
前記事へのコメントの返事の前にこちらの記事をアップしますこと、お許しください。
阪神大震災から18年が経ちました。
18年前、成人式に出た日の、2日後にやってきた震災・・・、街を闊歩する新成人を見るたびに「この季節が・・・やってきたんやなあ・・・」と思います。
いずれも1995年2月撮影
この世の創造主が居るとすれば、お願いしたいと思います。日本に地震はもうこりごりです、大地を揺るがす事だけは見逃してやってくれませんか?
謹賀新年&冬の神戸 [雑感・出来事]
新年明けましておめでとうございます。
お正月は神戸の実家へ帰省しておりました。新年明けて2日には念願の、あの展覧会に行きましたが・・・大変な人人人・・・・。まあ、こんな日に行く方が悪いねんけど(苦笑)
入場制限待ちの列で待つこと40分、フェルメールの『真珠の耳飾の少女』街に10分。でも、やっぱり見る価値がありました。
その後、旧居留地を散策
38番館から大丸へかけての並木道。まるでヨーロッパの町並みのよう。
神戸の街はいい季節に歩いても楽しいのですが、並木の葉が散った冬場に歩くと本当にヨーロッパの街に迷い込んだような錯覚を覚えます。
ただ、この寒い季節は、あの震災の悪夢までも思い出させるものではあるのですが・・・・。ここまでよく復興したものです。
大丸の中では、美術展とのコラボが
CMで武井咲さんが着ていたもののようです
日が暮れてきました。
美術展の感想は、また後日ということで・・・
自分の「VAIO変遷」 [雑感・出来事]
金曜日の夜中にEテレで放送していた、朝比奈御大の第九を聴きました。オケは東京のオケで、縦の線も揃ってフレーズ一つ一つも丁寧に描かれていて、演奏水準は当時の大フィルよりもレベルの高いものだったが、感動はイマ一つだったなあ。音のうねりというか渦というか、朝比奈御大の気迫が乗り移って、ぐおおおおっと来るものが無いんですよね。でも、第4楽章は聴かせるものはありました。
それはさておき。今回は新しいVAIOの購入を検討するにあたり、今までお世話になったVAIOについて自分なりに整理しておこうと思い立ちました。こういう気持ちにさせてくれるのは、やはり所有欲を刺激するVAIOならでは。
僕がはじめてVAIOを購入したのは、このB5サイズのバイオノート。これは本当には画期的なマシンだった。マグネシウム合金の堅牢なボディと優れたデザインは、今でも充分通用するもの。当時は爆発的な売れ行きで、プレステとともにソニーブランドが最高潮に達していた時期だったように思う。
メイン機のNECのデスクトップ機が壊れてしまったので、その後継として購入したのがVAIO J。このあたりからADSLが普及しはじめ、個人のサイトや掲示板なんかに書き込んだりして、インタラクティブなネットライフを楽しみ始めた思い出のマシン。値段も割と安かったが、ブラウン管がデカく設置場所に困った。OSのwindowsMEも欠陥OSだったなあ。
次はwindowsXPの普及とともに、このVAIO Mシリーズに乗り換えた。液晶画面と本体の一体型で、オーディオ系のソフトが非常に充実しており、DoVAIOの使いやすさは秀逸だった。TVも見て録画する事が出来、これ一台でなんでもこなせた。ブログを始めたのもこのマシンを使っているときだ(2006年)。このマシンは今でも現役。オーディオ・アンプに接続して、FM録音や音楽ファイルの再生やNMLなどの音楽配信の専用機として稼働中だ。導入後8年近く経つが、一度も故障せず、OSの再インストールを1回やっただけ。
VAIO Lは現在、TV兼メイン・パソコンとしてバリバリ現役活躍中。このマシンがあるおかげで未だに液晶TVを買っていない。
さて、次に購入するVAIO Eでは、どんな生活が待っているのだろうか。
次々と壊れていく・・・ [雑感・出来事]
先月、バックアップ用の外付けハードディスク(1TB)が壊れてしまい。このブログ用の『八重山の旅』シリーズ用に編集していた写真データが飛んでしまいました・・・。ということでこのシリーズはモチベーションが回復するまで中断です(汗)
それに追い打ちをかけるように、ネットブック:東芝NB100が、突如として電源が入らなくなってしまいました・・・
バックアップ用のハードディスクが壊れた直後だったので、このネットブックでいじっていたファイルが、全部飛んでしまった。まあ、そんなにたいしたデータは扱っていなかったのだけれど。ブログ更新ネタ用の写真などがかなり失われてしまいました。
ネットブックは4年ほどはもったので、まあ充分使い倒したとは思いますが、ああいう安物はもういいかな?という心境です。幸い、ボーナスも出ましたので現在、ソニーのVAIO E14pを中心に購入を検討しているところです。
ソニーストアのポイントやらソネット・ポイントをかき集めると、5~6千円ぐらいの値引きに使えそうなんですね。そうなると、windows8でMS-office込み、Core-i5、タッチパネルのモデルでも9万円を切る価格で買えてしまう。
元々自分はVAIOのファンで、現在メインマシンのデスクトップ機が4台目VAIOです。「ソニータイマー」も自分が買った製品には無縁でしたし、じっさい10年間ノートラブルで動いているデスクトップ(メインマシンとは別に音楽ファイルやNML鑑賞専用機にしている)も快調に動いているので、やっぱりここは初心(?)に帰ってVAIOにしようかと思います。
岡山フィルの首席指揮者に、シェレンベルガー氏 [雑感・出来事]
5日に発表されていたそうです。完全に情報キャッチに出遅れていました(ウチ、山陽新聞とっていないもので・・・)
首席指揮者にシェレンベルガー氏 岡山フィルに来年4月就任
財団法人・岡山シンフォニーホール(岡山市北区表町)は5日、同ホールを拠点に活動する岡山フィルハーモニック管弦楽団に新設する首席指揮者に、元ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席オーボエ奏者ハンスイェルク・シェレンベルガー氏(64)=ドイツ在住=が来年4月1日に就任すると発表した。任期は3年。
シェレンベルガー氏は1948年、ドイツ・ミュンヘン生まれ。1980〜2001年にベルリン・フィルで活躍。94年から指揮活動を始め、09年に岡山フィルの定期演奏会で指揮を務めた。
岡山フィルは92年に設立した岡山県初の本格オーケストラ。常任指揮者が不在で、演奏会では国内外の指揮者を招いていた。今年、設立20周年を迎え、就任を依頼していた。
シェレンベルガー氏は7日、岡山市内で就任記者会見を行う。年3回程度、岡山フィルを指揮し、県内の音楽関係者を指導する予定。
(2012年11月6日 山陽新聞)
twitterで情報を目にした時は一瞬、目を疑いましたが、リツイート元を追ってみると、岡フィルの楽員さんのツイートだったので、その瞬間、文字通りその場で飛び上がりました。
僕が初めて聴きに行ってから19年。苦節19年だったなあ・・・・ようやく常任の指揮者が就任しました!それも21年間、ベルリン・フィルのど真ん中でオーボエ吹いていた人が来るなんて(しかも3年間!!)・・・。当分はこのニュースを肴に幸せになれそうです・・・
詳細は本日の記者会見で語られると思うので、このネタはまたのちほど・・・・
昨晩のカメラータ・ザルツブルグ、聴きに行け無かったよ・・・シェレ様ゴメン・・・
秋の収穫 [雑感・出来事]
週末は、親戚の畑で芋掘りに行ってきました。
10坪ほどの小さな畑でしたが、まあ、びっくりするぐらいわんさかサツマイモが実っていました。写真で見ると分かりにくいですが、だいたい400~500グラム。1kg肥えの大物もいくつかありました。全部の計量はしていませんが、だいたい40kg前後というところでしょうか
戦争中はサツマイモが主食だったと聞きますが、この小さな面積でこれだけの収穫量だと、本当に貴重な食料源だったのだと実感できます。
それから、義父が退院しました。懸命のリハビリの結果、車椅子ながら自分の身の回りの事はほぼ出来る状態に回復しています。
末期がんという病気だけに、先々を考えると悲観的になってしまうのですが、義父本人は色々とやりたい事もあり、会いたい人もいるので、家族として出来るだけサポートして行きたいと思います。
ブログに関する雑感 [雑感・出来事]
最近、自分の身の回りで大きなアクシデントがあり、このブログの主要なテーマであった、コンサートの感想、というジャンルの記事を書くエネルギーが、今は無いというのが第一の理由。
もう一つの理由は、少しばかり根深くて、その事については自分への記録の意味でまとめておこうと思う。
ブログの更新停止を考え始めたのは、去年の年末ぐらいから。一部の読んで下さった方が、ブログの内容について僕の意図するのとは全く違うように取ってしまわれたりして、色々ご批判を受けるうちに、そういう部分への配慮を考えて書いていくうちに、フラストレーションが溜まっていっていた、ということ。
また、もう一つ要因は、自分の中での違和感、乱暴に言ってしまうと「ブログを書くためにコンサートを聴きに行ってるんじゃなのか?」という疑念です。
コンサートに行く前に、『どのコンサートに行こうか?』と悩む時間は、自分の中で最も至福な時間ですし、その際にブログを念頭に置いて、行くコンサートを選ぶ、なんてことはありませんから、この違和感は全くありえない話しなんですが(笑)・・・ただ、コンサートの演奏の最中に『今の演奏、どういう風に言葉で表現しようかな?』などと考える時があったりしたのも事実。
また、演奏後にtwitterやメモ帳に色々な情報を書き留めてたりしていると、以前はその時間や作業が楽しい時期もあったんですが、最近はもっとラフでレイジーに音楽に向き合いたいなぁという考え方に変わって来ていました。
実際、演奏会の休憩中や終了後に、スマホの画面に向かってピコピコ文字を打っている自分がガラスに映っているのを見たとき、『俺ってホンマに豊かな時間を過ごせてるんだろうか?』と疑問に思ったというのも大きかったです(笑)
これからしばらくは、休憩時間は前半の余韻をボーッとしながら味わい、終了後はホールの近くの公園で佇みながら余韻に浸る。味わった感動を文字に変換する作業については考えない。そうしている内に消えてしまう印象は、そのままにしておけばいい。時間が経ってから沸きあがってくる感動というものもある。そんな鷹揚な気分で音楽を愉しみたいと思います。
前のブログの続きで、スタンスを新たにして続けていくことも考えましたが、あの場所は自分の中でそれなりに思い入れのある場所になってしまっていて、こうして別のブログを立ち上げた方が、なんとなく自分の中でスッキリするのです。
新しいブログ『心音の部屋』では、書きたい事を書きたいように、書きたいときに書く、というブログの原点に返って、音楽を一生の糧として愉しんで付き合っていきたいなあと思います。
岡山への移住者が急増 [雑感・出来事]
東日本大震災から1年半が経った。
余震も放射性物質の汚染の影響が殆ど無い、瀬戸内地方に住んでいる自分にとっては、ずっと考え続けなければならない問題である事は解っていても、日常生活のあわただしさに追われているうちに、それがまるで別の国で起こった災害のような感覚になっている事に気づかされれる。
しかし、自分の身の回りでも、最近ある異変に気づくようになった。それは首都圏からの移住して来られる方と接する機会が多くなってきた事。
直接接した方だけで2世帯、人づてに話に聞いた方も含めると5世帯になる。お付き合いのある不動産屋さんから話を聞いてみると、関東からの物件の問い合わせは、僕が思っていた以上に多いようだ。ただ、移住にまで踏み切れるかというと、まだまだ少数かも知れない。一方で、家族全員では無くても、子供と奥さんだけ疎開して、ご主人は東京で稼ぐ、というご家族もいらっしゃるようだ。
googleで「岡山 移住」と検索して見ると、震災や放射能の影響から逃れる方のための検索結果がズラッと並びます。ギョッとしました。
県の移住希望者への説明会も、相談者が殺到しているとのことだ。元々は田舎暮らしやUターン希望者のための説明会だったようだが、震災後は様相が変わってしまった。
岡山の方々も受け入れ支援に頑張っているようで、中でも「おいでんせえ岡山~移住者ウェルカムネットワーク」のご活動には、頭が下がる。
ブロガーさんの中にも、[ 岡山県に移住・避難・引越し・疎開を考えている方のための情報] という、地元住民ならではの視点で、網羅的に書かれたエントリーもあった。
自分はと言えば、春咲きに岡山県の転入人口が、14年ぶりに転出を上回った、というニュースに接したときは、少し驚いたのだが、自分の周囲には東日本から転入された方はいなかった事もあって、それ以降関心を持って見てきませんでした。5月に引越しした時も、家具や家電製品などを処分しており、もしその時、「おいでんせえ岡山」の活動を知っていれば、移住者の方のお役に立てたかも知れず、残念な事をしてしまいました。
それにしてもなぜ?岡山なのか?
どうやら、週刊誌等を中心に、安全・安心な土地という事で岡山市が紹介されているようです。大きな活断層が「発見されておらず」、既設の原発からの距離も遠い、瀬戸内海は大津波の「可能性が低い」、東南海・南海地震での被害想定も、「比較的」軽い、ということのようで・・・
ただ、岡山が大災害に見舞われる可能性が、統計学上少ないからと言って、天災はどこで起こるか分からない。備えだけは万全にしておきたいところ。
そして、自分自身も神戸からの「移住者」であり、阪神大震災で故郷が壊滅的な打撃を受ける様子を見てきた人間として、安全安心な環境を求めて、慣れない土地に飛び込んで来られた首都圏や東北からの移住者の方に接したら、何らかの力になりたい(たとえ話し相手、ぐらいしか出来なくても・・・)、そう心に期しています。