So-net無料ブログ作成

広島交響楽団第382回定期演奏会《延期公演》 準・メルクル 指揮 [コンサート感想]

広島交響楽団第382回定期演奏会《延期公演》
Scan20181229212517_001.jpg
細川俊夫/瞑想―3月11日の津波の犠牲者に捧げる―
メシアン/輝ける墓
 ~ 休 憩 ~
ストラヴィンスキー/バレエ「火の鳥」(1910年版 全曲)
指揮:準・メルクル
コンサートマスター:佐久間 聡一
 この公演は7月7日に開催される筈で、メルクルさんもお嬢さんを伴って広島に滞在、リハーサルも進んでいたところの7月6日に襲った西日本豪雨により中止にせざるを得なかった。

yearbook hirokyo.jpg
※広響の2018年イヤーブックより
 準・メルクルさんは、祖父が生まれた街であるこの広島(初めて知りました!)のために日程を開けて、再び来広。
 会場はマスコミの取材などがあり、いつもとは違う雰囲気。
Scan20181229212105_001.jpg
 楽団員は燃えていたなあ・・・。メルクルさんはいつも通りの力みの無い颯爽と、そして流麗ながら打点が明晰な指揮。オーケストラもその鮮やかなタクト捌きに導かれ、変幻自在の気品あふれる美しい音楽を奏でました。
 これほどの心に強く残る演奏を聴かせてくれた広響にブラボー!いやー本当に広島まで聴きに来て良かった!
カープに負けず劣らず、広響も黄金時代に入った感があります。
DSC_1017.JPG
 当日は新幹線で広島に向かうが関が原での大雪により40分遅れの開演1時間15分前に広島到着。せっかく広島に来たのだから、お好み焼きを食って、クラシック音楽喫茶で少しゆっくりして会場入りしようと思ったものの。駅で昼食を取ることに。しかし駅も大変な混雑で・・・続きは感想のあとに。
 会場は一見8割5分ぐらい席が埋まっているように見えるが、そこかしこに歯抜けのような空席があり、実際には7割5分ぐらいといったところだったろう。振替公演ということもあり都合がつかなかった人が多数いたようだ
 しかし、SNSやブログの感想を見ると、結構東京や関西から聴きに来られていたようだ(熱烈にスタンディング・オベーションをしていた方が、よく関西のコンサートでお見かけする方だったし)、音楽評論家の東条碩夫さんや奥田佳道さんも来られていたそうだ。
 この年末休み時期はどこもかしこも第九だらけなので(第九を演奏する良さは確かにありますが)、こういうプログラムを好んで結構当日券が売れたのではないだろうか?
DSC_1020.JPG
※開演前に撮影
 編成は14型のストコフスキー配置(ステレオ配置)4管編成で、広いこの多目的ホールのステージいっぱいに配置されている。ヴィオラがアウト、チェロがイン。広響を聴くときはほとんどヴィオラが外側の配置だ。
 細川俊夫の楽曲は、同じメルクルさんの指揮によるリヨン国立管弦楽団との「循環する海」を聴いている。この「瞑想ー」は一神教ではない日本の精神世界を表すように、創造主の存在感は皆無。お鈴のような鐘の音と弦・木管が奏でる魂が浮遊するようなモチーフの展開の中で、『宇宙の鼓動』(作曲者解説による)を表す大太鼓の律動が規則的に表れる。中間部の尺八のようなバス・フルートの旋律を聴いたとき、私の心の中の何かのスイッチが押された感覚になり、本当は3.11の地震・津波の犠牲者への追悼の曲なのだが、私には今年の広島・岡山・愛媛を襲った西日本豪雨の犠牲者の追悼の曲としてしか受け止められなかった。浮遊する魂が慰撫されるように、最後は消え入るように終わる。リヨン管の時にも思ったのだけれど、やはり日本人の血が入っていることが大きいのか、メルクルさんは日本の宗教観や死生観というものに深い共感を持っていると感じた。この静かな鎮魂は四十九日やお盆の送り火の時期の街の静けさや、人々の静かな心持ちを思い起こさせてくれる。作曲者も客席にいらっしゃって、盛大な拍手を受けておられた。
 2曲目はメシアンの「輝ける墓」。戦前の作品で、トゥーランガリラ交響曲などのまばゆいばかりの色彩と比べると、この戦前の(1931年)の作品は思ったよりコンサバティブでプリミティブな印象を受ける。中低音域で執拗に繰り返される3音の音型はショスタコーヴィチを想起させるし、トゥッティーでの響きはストラヴィンスキーの影響を感じさせる。トゥッティーのあとにパウゼがある場面が多いが、いかんせんこのホールでは残響を楽しむというわけにはいかない。細川作品では思わなかったが、この曲に関しては「もう少し音のいいホールで聴きたいな」と思った。
 リズムが非常に複雑で錯綜しており、相当難しい曲だと思うが、メルクルの明晰なタクトの元、広響の演奏は緊張感の中にも安定感があり、一つの生き物のような表現に舌を巻いた。1年の最後の最後に、ハイレベルなオーケストラの凄い演奏を聴いて、前半終了時点ですでに興奮気味だった。 
DSC_1019.JPG
※2階ロビーからの風景
 「火の鳥」は、ダイジェスト版とも言える1945年版が演奏されることが圧倒的に多いけれど、1910年版でしか味わえない感興がある。全曲盤をオーケストラのみでの演奏を「冗長」だと言い切ってしまうのは、このメルクルの魔法のようなタクトと愛すべき広響の情熱的な演奏を聴いてしまうと。『それは早計だ!』と言ってしまいたくなる。
 特に中間部分の「王女たちのロンド」から「夜明け」「イワン王子、カッチェイ城に突入」「不死の魔王カッチェイの登場」などを経て「イワン王子とカッチェイの対決」「火の鳥の出現」「カッチェイたちの凶悪な踊り」に至るまでの部分は、誠に息詰まり手に汗握る一大スペクタクルで、1945年版だと、「王女たちのロンドから」「カッチェイたちの凶悪な踊り」にまで一気に飛んでしまうのは、ほとんどおいしい部分をすっとばしている、ということが今回のコンサートを聴いて認識を新たにした。
 メルクルは時折ステップを踏みながら、流れる様な指揮の合間にも指揮棒の先をチョンと動かすだけで、あら不思議、オーケストラから色々なニュアンスの音が湧き出してくる。オーケストラ側もとてもポジティブかつ主体的に音楽を奏でていく。「火の鳥の踊り」や「魔法にかけられた13人の王女たち」では、「いったい、メルクルが指揮しているのはオーケストラだけなのか?ステージにはバレエ団が躍っていて、僕にだけその姿が見えていないだけじゃないのか?」そう思ってしまうほどに表情豊かで生き生きとした表現だった。
 中間部分に差し掛かり「カッチェイの登場」から、オーケストラは鳴りに鳴っているが、これはまだ序の口で、音楽はぐんぐんと熱を帯びて盛り上がっていき、「カッチェイたちの凶悪な踊り」の最後の方のブラスの下降音階の場面では、自分も奈落の底へ落ちていくような感覚になり、手が汗ばむような興奮があった。
 フィナーレの「カッチェイの城と魔法の消滅」でのホルンのテーマを聴いた瞬間、ちょっと目がウルウルと来た。最後の咆哮する金管を突き抜けて聴こえて来る輝かしくもボリューム感のある弦のトレモロに鳥肌が立った。国内のプロ・オーケストラの本拠地の中で最も音響の良くないホールにも関わらず、広響がこういう演奏をしてしまうもんだから、「ああ、これだけのものが聴ければ充分だ」ということになり広島にいいホールが出来ないのでは?という逆説的な原因も考えてしまう(笑)
 今後はそうそうは県外のコンサートには行けないんだけれど、年に1回は広響を聴きに来ないと!と思ったコンサートだった。
 広響の充実ぶりはなかなか拙文では伝えきれないため、シュトイデさんの弾き振りの動画を張り付けておきます。メルクルさんとは音楽の作り方は全く違いますが、広響の積極性や音楽への感受性と表現力がよく伝わる動画だと思います。
 以下は余談。
 戦術の通り、2時間前に広島に到着するはずが、1時間15分前にずれ込み、市街地でお好み焼きを食べ、2軒ある名曲喫茶のいずれかに行って・・・などという計画が飛んでしまった。HBGホールまでは路面電車と徒歩で40分、開演15分前には着きたいので20分程度で昼食を取る必要がある。
 「新幹線名店街」へ行こうと新幹線改札口を降りてビックリ、広島駅が全面改装されていて「ekie」という、岡山の「さんステ」の3倍はあろうかという巨大駅ナカ施設に変貌している。で、お好み焼き屋街へ向かうとご覧の通りの大混雑。
DSC_1013.JPG
 以前の新幹線名店街は新幹線利用者しか行けない穴倉みたいなところだったのが、どうやら南北自由通路が出来たことで人の流れが変わったらしい。南口の駅ビルのお好み焼き屋街の混雑状況が解らなかったので、とりあえずアンデルセンでパンを買っておき(久しぶりのアンデルセンのデニッシュを帰りの新幹線で食べた)、南口の駅ビルに行くと、大丈夫、混んでいませんでした。広島まで来てお好み焼きを食べられないなんてさみし過ぎますから。
 あと、備忘として書くと、お好み焼き屋さんの勧めで路面電車ではなくバスに乗っていったら、なんと15分もかからずに開演40分前にホールの玄関前に着き、周辺を散策する余裕がありました(笑)以後、HBGホールに行くにはバスを使うことにしましょう(笑)
DSC_1016.JPG
※天気は良いですが、気温は低く寒かったです
DSC_1014.JPG
※駅ナカのEKIEにはもみじ饅頭の製造工場が見れます。焼きたてが食べられます。

nice!(0)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽