SSブログ

ウィーン・フィル 2021 姫路公演 ムーティ指揮 [コンサート感想]

ウィーン・フィルハーモニー ウイーク イン ジャパン2021 姫路公演

20211105_himeji_1.jpg

シューベルト/交響曲第4番ハ短調「悲劇的」
ストラヴィンスキー/ディベルティメント〜バレエ音楽「妖精の接吻」による交響組曲〜
〜 休 憩 〜
メンデルスゾーン/交響曲第4番イ長調「イタリア」


管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮:リッカルド・ムーティ
コンサートマスター:フォルクハルト・シュトイデ
2021年11月5日 アクリエひめじ 大ホール


20211105_himeji_4.jpg

20211105_himeji_5.jpg


・実はこれが初めてのウィーン・フィル体験であり、初めてのムーティー体験だった。岡山のクラシック音楽ファンは、2001年のラトルとの倉敷公演(オール・ベートーヴェン)、2005年のムーティーとの岡山公演(オール・シューベルト)、そのどちらかに行っているだろうが、もうとにかくその頃は仕事が忙しくて、前売り券を買う気力が沸かなかった。くらしきコンサートが解散してしまった今、岡山にウィーン・フィルが来ることは期待できないだろう。本当に貴重な機会だった。

・今回は関西都市圏での開催、新ホールの杮落とし公演にもかかわらず、当日券があったというのは奇跡だった。感染者数が落ち着いたとはいえ、コロナ禍の影響もあったのだろう。かく言う私も職場のルールでステージ2になると県外との行き来が規制されるし、子供もしょっちゅう熱を出すので前売り券は怖くて買えない。当日に電話確認したら「A席のみ100枚ほどは出ます」との回答、34000円を握りしめて新幹線に乗り込んだ。万が一売り切れの憂き目にあったら、穴子寿司をヤケ食いして帰れば良い。

・当日券なのに、事前に自分が「このあたりの席を買えたらな」と思っていた席が空いていた。左サイドバルコニー。しかも、舞台に向かって急な傾斜になっているので、舞台からの距離はかなり近く、ホールの天井に上がっていく直接音を存分に浴びた。にも係わらず、私の左隣も含めてポツポツと空席があった。たぶん、次回来るときもこのあたりの席を取ると思う。

・アクリエひめじ大ホールは、コンベンションセンターの一部としての役割を考えると、講演会や国際会議に寄せた音響設計になっている筈で、期待はしていなかったが、予想を上回る良好な音響空間だった。ただ高音はとても綺麗に響くが、低音は輪郭が茫洋とする感じはある。残響は1.6秒〜2.0秒とのことなので、満席と観客が秋の装いなのを勘案すると1.6秒ぐらいだろう。残響の多いホールが林立する中で、こういうややデッドで直接音を楽しめるテイストのホールもあっていいと思った。
 また、このホールについては別のエントリーに起こしたいと思う。


・昨年はコロナ禍の中で、日本のみのツアーだったが、今回は日本での7公演(東京、名古屋、大阪、姫路)のあと韓国(ソウル、大田)、中国(広州、上海)も巡る東アジアツアーの一環になっているようだ。ウィーン・フィルは「こけら落としホルダー」と言われるほど、新しいホールが大好物。伝統を頑なに守る一方で、好奇心の強い集団。どんなホールでもアジャストするという自信があるのだろう、それに、のちのちまで「わが街のホールの杮落としにウィーン・フィルが来た」と語られるわけで、そこにも価値を見出しているのかも知れない。


・楽器配置は1stVn14-2ndvn12-v8-Va10、Cbは上手奥に7。シューベルトとメンデルスゾーンは2管で、ストラヴィンスキーではピッコロ(持ち替え)、イングリッシュホルン、バスクラリネット、ハープ、バスドラムなどが加わる。


・ホルンはシューベルトがウィンナホルン2本、ストラヴィンスキーがヴァルトホルン(フレンチホルン)4本、メンデルスゾーンはヴァルトホルン1本にウィンナホルン2本を組み合わせる。


・ムーティは舞台に出た瞬間、「おおーっ」と会場の空気が一変するようなオーラを纏っていた。傘寿とは思えない、颯爽とした指揮で時折屈伸するような指揮を見せたり、アンコールの際にクルッとターンして客席に話しかけたり、まあとにかく格好良かった!!


20211105_himeji_3.jpg

※ホール内撮影禁止のため、モニターで当日の舞台の雰囲気を


シューベルト/交響曲第4番ハ短調「悲劇的」
・いやー、この曲からこんな造形の美しさ、壮麗な響を引き出すなんて、第1楽章は愛聴盤のケルテス/ウィーン・フィルの演奏よりもかなり遅い。遅いが極めて密度が濃い。

・弦を少し走らせ、管楽器と打楽器がかなり遅れて出る事によって、堂々たる世界を作る、ベームとの録音でもよく聴かれるこの技を、他のオーケストラがやると、締まりのない演奏になってしまうだろう。

・クレッシェンドのかけ方が、息を合わせるという感じではなく、「ここは当然こう弾くよね〜」て感じでグワッとかけるので、もうこれがめちゃカッコいい。

・後半のメンデルスゾーンもそうだったのだが、ムーティはしばしば両手を完全に下げて、オーケストラに預ける場面が見られた。ムーティーは指揮台に王様のように君臨し引っ張っていく、というイメージを持っていたが、それだけウィーン・フィルとの信頼関係が深いのだろう。

・と思えば、やおら大きなアクションでオーケストラを統率する。ムーティーが動くときの音楽の切れ味は、僕が子供の頃に聴いたキレキレの音楽づくりと何ら代わりはない。いやはや傘寿とは思えない。オーケストラも「待ってました!」と言わんばかりに、輝きを増し客席に音の風を届ける。ウィーン・フィルが最大のパフォーマンスが出せるよう、馬なりに任せる場面と手綱を締める場面を使い分けている感じ。

・第2楽章もじっくりとしたテンポで進む。物凄くディテールに拘った表現。この曲は生演奏では2度めの鑑賞体験だが、この楽章、こんなにいい曲なんや。まるで抱擁されるような感覚。身も心も溶けていく。

・木管と弦が掛け合いながら、弦が「タリタタタタタタ」と音階上昇する場面。音源鑑賞のときは退屈に感じる場面でも、ウィーン・フィルの弦・木管の音が優しく、美しく奏でてとても印象深い音楽になる。

・第3楽章のメヌエット。本来、ベートーヴェンの影響下を強く感じさせるこの楽章を、どっしりとした造形美で聴かせ、、まるでブルックナーのスケルツォ楽章の方に近い印象。

・第4楽章は快速テンポ、どんどん畳み掛けてくる、推進力に満ちた弦のボウイングがピタリと合わさって、音のうねりとなって客席に迫ってくる、いやー、上手い。この曲がこれほど魅力的な曲だったとは!家に帰ったらウィーン・フィルの録音で聴き直してみよう。これがウィーンの音楽、その圧倒的な説得力!



ストラヴィンスキー/ディベルティメント〜バレエ音楽「妖精の接吻」による交響組曲〜
・このコンサートに行こうかどうか迷っている時、読み返していたこの本に書かれていた(特に小澤征爾さんとの関わりの中でのお話)ウィーン・フィル独特の音作りについて顕著に感じられたのが、このストラヴィンスキーでのウィーン・フィルのフレーズ作り。彼らは点で合わせる(縦の線を合わせる)、という事をほとんどしない。例えば第2楽章でバンッというトゥッティなど、必要な場面では寸分違わず点で合わせて見せるが、フレージング上の流れや音のふくよかさや豊かさが必要な場面では、そこにこだわらない(というか必要ない)のがよく解る。ピシッと縦の線が揃っている演奏をするオーケストラが上手いという固定観念が拭えない私は、今回の演奏をテレビ放送とかでみたら、恐らく「縦の線がキッチリしてないなぁ…」と思っただろう。実際、15年ほど前のスペイン狂詩曲の放送を聴いて、「ずいぶん緩いなあ」と感じたものだ。ウィーン・フィルの何が凄いのか、少しだけ垣間見る事ができた「気が」する。

・特に第2楽章のホルンの音。あー気持ちええー!!!人間が楽器を使って出せる最も魅力的な音だろう。そこに絡むトロンボーンの音も、恐ろしくまろやか。

・ホルン以外にも管楽器奏者の腕の見せどころが多い。管楽器のソリスト(あえてソリストと書く)たちが、会場の空気を支配し陶酔させる。フルートはシュッツとアウアー揃い踏み。両者ともソロで協奏曲を聴いているが、これが笑えるほど極上の音を奏でる。オーボエはブライト、クラリネットはダニエル・オッテンザマー、他のセクションはお名前までは覚えていないが、ニューイヤーコンサートの中継ではお馴染みの顔ぶれ。日本風に言えば人間国宝集団。

・フランス時代のストラヴィンスキーの曲は色彩豊かで、そこなロシアのエッジのたったリズムが入ってくる。たしかに響きは豊かなのに、音楽はスレンダー、シューベルトやメンデルスゾーンとは質感が違う。一方で、音楽的にとても豊かでふくよかで、完全にウィーン・フィルの音楽にしてしまう。

・まるでトタン屋根にどしゃぶりの霰が降るようなカーテンコールの際は、ほとんどの管楽器奏者を指名したムーティ。かなり手応えのある演奏だったのだろう。

・休憩時間中はチケット半券を持てば大ホールの外へ(つまりコンベンションセンター全体のロビーに)出られるようにしていた。大ホールのホワイエには、あまり休憩スペースがないから、この措置はいいね。


20211105_himeji_6.jpg


メンデルスゾーン/交響曲第4番イ長調「イタリア」
・泣けた。この曲、こんな泣ける曲だったのか。体がうち震える感動、というのはこういう体験なんだな。1曲目のシューベルトからそうだったが、この聴衆を惹き付ける力は何なのか。オーケストラと聴衆が対話している。「色々あった一年やけど、今、こうして日本のみんなの前で演奏出来て、ホンマにめっちゃ嬉しいで!」というメッセージがバンバン伝わって来た。涙腺崩壊。

・シューベルト4番と同じく「イタリア」の第1楽章も、颯爽としたムーティのイメージを覆す、スローテンポによる堂々たる音楽。スローでも単位時間あたりの密度は極めて濃厚。一方、最終楽章は重厚さを保ったまま驀進する。お見事!と声をかけたくなる。

・第1楽章の中間部、短調に入って音楽が緊張を増していき、クラリネットに誘導されて長調に戻った瞬間、すべてが開放される。ムーティーは左腕をオペラの主役の歌手がアリアを歌う時みたいに、腕を大きく掲げると、オーケストラがこの世の生命の喜びをかき集めて来たみたいに、大いに喜び大いに歌うのだ!こんなに美しく歌うメンデルスゾーンはこのムーティを最後に、2度と聴けないような気がする。

・第2楽章もゆっくりとした足取りの中に、とても繊細で、木管と弦の音が溶け合い、どの瞬間もまろやかで美しいハーモニーを独特の節回しで、実に聴かせる!

・第2楽章と次の第3楽章は今まで聴いてきたどの演奏よりも心に残るものだった。第3楽章中間部のホルン二重奏はウィンナーホルンを持つ2・3番奏者が担当。なんとまろやかかつ、そしてちょっぴりスモーキーな音。ストラヴィンスキーの第2楽章のホルンのユニゾン(ヴァルトホルン)とはまったく違う質感の音で楽しませる。そこにシュッツのフルートが絡む瞬間。この音は忘れられない。

・第4楽章はやおら快速テンポで怒涛の演奏を見せる。弦のざくざくとした質感の音も、これまた気持ちいい。イタリア舞曲を奏でる木管の名人芸も見事。

・アンコールはヴェルディの「運命の力」序曲。吼えまくる金管、嵐を呼ぶ弦。巨大な生き物のように歌い上げるカンタービレ、ダイナミクスを駆使してホールの音響飽和限界を超えるような爆演を見せる。なのになんでこんな美しくも輝かしいのだろう!ムーティーの背中が、我々聴衆に「Forza!Forza!Forza!!」と勇気づけているように感じられ、またまた感涙。

・客席はみんな我を忘れてスタンディングオベーション、禁止されてるブラボーも若干飛んだような気がするが、皆ハンカチを振ったり、千葉ロッテの応援のようにジャンプしたり、足をドンドン踏み鳴らしたり、ブラボー禁止故に手段を選ばぬ感情表現!祭りの国:播州人の血が騒いだか。クラシックのコンサートでこれほどの熱狂、興奮の坩堝になるのは極めて異例。これには楽団員も「おいおい、日本人がここまでエキサイトしてるよ、すげー」といった風情で驚いていた。ムーティも楽団員もステージから去るときに友情たっぷりの会釈や手振りで答えるが、ボルテージが臨界点に達した客席は、当然収まりが着かず、オーケストラがはけたあとにムーティ一人が登場して一般参賀、しかしそれが帰りかけていた聴衆にも火をつけてしまい(笑)2回目の一般参賀、ムーティーがさよならのポーズをしてようやく終了。

・分散退場待ちの時間、客席からどんどん人が居なくなっても、熱気だけは残っている感じ。姫路駅までの長いデッキでも、コンサート帰りの集団だけ異様な雰囲気を発していた。

・チケット代に一月分のお小遣いを投入したけど月末まで霞を食ってもいいと思えるコンサートだった。まあ、コロナで中止が相次いだために溜まったコンサート預金があったからそんな事にはならないのだけれど。

・ウィーン・フィルの音、最近の録音を聴くと、ベームやケルテスが活躍した60〜70年代から音が変わって来ていると思っていたけど、こうして生で聴いてみると、いやー、これはやっぱり唯一神無二のサウンドだよなーと思う。ドレスデン・シュターツカペレ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管は、音の質感と「泣き」に心を揺さぶられたが、ウィーン・フィルの音は何と言葉に変換すれば良いのか、多幸感に包まれる、としか言いようがないか。

・演奏とは関係ないのだが、後半、舞台のひな壇の後に隠れるように、一人恰幅のいいおじさんが、待機状態で座っていた。はじめは「アンコール要員かな」と思っていたが、アンコールが始まってもずっと座っていたので、結局謎のままであった。もしかするとバブル方式にアクシデント(観客が興奮しすぎてステージに押し寄せたりとか?!)があった時のための要員だったりして?



20211105_himeji_2.jpg


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。