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京都市交響楽団第618回定期演奏会(1日目) 指揮:下野達也 Pf:フェドロヴァ [コンサート感想]

京都市交響楽団第618回定期演奏会(1日目公演)


ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調『皇帝』

 ~ 休憩 ~

アダムズ/ハルモニーレーレ


指揮:下野達也

ピアノ独奏:アンナ・フェドロヴァ

客演コンサートマスター:西江辰郎


2017年11月25日 京都コンサートホール大ホール

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 詳しくは後日更新しますが、もし、「ハルモニーレーレ?」聴いたことないし・・・。と躊躇している方がいたとしたら、まったく心配ご無用です。

 この曲、決して難解なゲンダイオンガクではありません。ミニマル・ミュージックの発展形としての音楽で、複雑なオーケストレーション、錯綜するリズム、容赦なくオーケストラ奏者に要求される特殊奏法など、演奏する方々は本当に大変な音楽でしょうが、京響の演奏は万全、羅針盤を指し示す下野氏のタクトも冴えわたっていて、この複雑な構造の音楽を「愉しめる」メニューとしてテーブルに乗せた下野&京響は見事!の一言です。

 何よりも、中年より下の世代の日本人が浴びるように聴いてきたアメリカのロックやポップス、ハリウッドの映画音楽などの様々なエッセンスが詰まっているように感じました。例に出して悪いのですが、メシアンの楽曲が『どこか遠い国の人たちの音楽』のような距離感を感じるとしたら、このアダムズのハルモニーレーレは、戦後アメリカ文化圏に良くも悪くも組み込まれた日本人には、「自分たちの血肉になっている音楽」のように思います。また、そうした背景を考えずとも、純粋な美しさと踊りだしたくなるようなリズムに溢れています。絶対に退屈はしませんよ。


(以下、後日追記)

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 お客さんの入りは8割ぐらいといったところか?プレトークで下野さんが「また下野がこんなマイナーな曲を取り上げて、と思われているかも知れませんが、それにも関わらず沢山の方にお越しいただいた」との言葉通り、これでよく入ったなあ・・・というのが第一印象。
 楽器編成は前半は16型2管編成、後半は4管編成で銅鑼やチェレスタ、チューブラベル、マリンバなど多彩な打楽器群が目を引く。
 弦五部はストコフスキー配置、1stVn16→2ndVn14→VC10→Va12、上手奥にコントラバスが8本。
 後半のハルモニーレーレの印象が強烈だったこの日のプログラムですが、前半のベートーヴェンのコンチェルト5番も素晴らしかった。フェドロヴァさんはウクライナの出身で、美貌と存在感のある容姿もあって、ロシアンピアニズムに寄った演奏をするのかと思いきや、非常に実直で音を的確に捉え、聞えるべき音がしっかりと耳に届く演奏に、こちらの背筋までピンと立ってしまう思いで聴きました。
 京響の伴奏は非常に柔らかでニュアンスに富んでいて、特に印象に残ったのが第2楽章。フェドロヴァさんの粒のたった音に付けていく京響の透明で清涼感のある音、両者の作り出す凛とした音楽世界の高潔さに心を打たれた。
 アンコールに演奏されたのは、月光ソナタの第3楽章。やはりこのピアニストは、激しい激情を感じさせつつも、1音たりとも勢いに任せて弾くと言うことが無い、このフェドロヴァさんのピアニズムを凝縮したような演奏だった。
 後半のジョン・アダムズのハルモニーレーレ。前半よりも心なしか空席が増えている、後半券で入場した人も居るだろうから、あるいは錯覚かも知れないが、演奏途中で出ていった人も何人か居た。しかし、大半のお客さんは、集中して聴いていた。特に50代以下の世代の人は共感を持って聞いたのではないかと思う。


 僕はこの曲に本当に心底感動した。しかし、この感覚は不思議だ。情感あふれるメロディーが有るわけでもなく、同じモチーフが執拗に繰り返され、それらが少しづつ和音をずらしていく・・・、徐々に高まっていく高揚感に導かれて、自分の心臓の鼓動が共鳴して音楽との不思議な一体感がたまらなかった。 下野さんのプレトークは、音楽における和声の移り変わりの妙技を、頭で考えずに感覚で受け取って楽しんでください」という趣旨のことを仰ったが、まさにそういう楽しみ方をさせてくれたのだと思う。


 この曲は、NMLで3種類(MTT、ワールト、ラトルの3種類)の録音の中から、抜きんでて演奏精度が高いラトル&バーミンガム市響の演奏が気に入り、CDまで購入して車の中でも何度も聴いた。しかししかし、この日の京響の演奏はこのバーミンガム市響の演奏を軽く凌駕するものだったのだ!もちろん生演奏マジックというのもあるだろう。生演奏ならではの愉悦としては、CDでは到底捕らえきれなかった音や構造が見えたことだった。パート1冒頭の打楽器+金管を中心に不規則なテンポで打ち込まれる音に、チューブラベルがあれほど劇的な余韻を残していること、あるいはパート3が、まるで人工的な明かりの全く無い離島から天の川を見上げた時のような、まさに綺羅星のごとき輝きがあることなどは、まさに生演奏を聴かなければわからなかった
 
 しかし、京響の演奏は「生演奏マジック」だけでは説明の付かない、「桁違い」の演奏だったように思うのだ。
 まず、京響の音が引き締まった音で、音符を正確にとらえつつ、音楽の持つエネルギーを見事に昇華させていた。特にパート1やパート3の終結部の、クライマックスへの音楽のエネルギーの持って生き方や各楽器間のモチーフの激しい応酬の中でも一糸乱れぬアンサンブルの緻密さ、あるいは曲全体において見られたパート間の緊密な連携、なだらかな稜線を描くようなしなやかなダイナミクスなど、ほとんどの要素で京響が上回っていた。CDの方が上回っていたのは、パート2中間部の金管のハイトーンの力感、この1点のみ。
 もっと瞠目するのは、全曲40分間のうち2/3近くの時間を不定型なリズムが占めるが、そのリズムに合わせる管楽器のタンギングと弦のボウイングの精度が驚異的で、楽器間の対話にも全く隙が無い。バーミンガム市響のCD録音が決して弛緩していたり乱れていたりするわけでは無いのだが、両者比べるとその差は歴然としているのだ。


 下野&京響は曲に対する深い共感のうえに立脚し、両者は「この曲は絶対に評価されてしかるべき曲」との強い思いで客席を魅了した。それが証拠に、終演後の拍手やブラボーのボルテージは、普段は心の内をさらけ出さない京都人をして、かくも熱狂的にさせるのか、と驚いた。3回目のカーテンコールでの指揮者を湛える楽団員の足踏みも、楽団員からの心からの賛辞と満足感・達成感から沸き上がってきたものだったし、それに対して下野さんがこの曲の緑色のスコアを掲げた瞬間の会場での盛り上がりは、この「ハルモニーレーレ」が、この1200年の都において傑作と認められた瞬間を祝ったようだった。今後、この曲は京響の有力なレパートリーの一つになっていくのだろうと思う。

 ベルリオーズの幻想交響曲が、フランス革命後の時代の雰囲気を運んでくる楽曲なら、この曲はオイルの匂いと、アメリカという超大国の栄華を象徴する曲として、(下野さんの言う通り)22世紀ごろには重要なレパートリーになっている、そう確信してしまう説得力が京響の演奏にはあった。
パート1の冒頭は、サンフランシスコ湾に現れた巨大タンカーの様子が描かれているが、このパートを貫いていたのは、走り出したらもう誰にも止められない、我々の文明社会の疾走感を表しているようだ。一見、人類史上最高の栄華を極めたような我々の文明社会は、いうまでもなく化石燃料に命脈を握られている、足場の危うい文明。この曲もいつでも音符の積み上げが壊れたら、曲全体までも壊れてしまうような危うさを内包している。演奏的には危うい場面は一度も無かったが、各楽器パートがレイヤー構造で透けて見えるようなオーケストレーション、しかもミニマルミュージック特有のモチーフの繰り返しで出来ているこの曲は、おそらくミスが1箇所でもあれば、素人でも気づいてしまうだろうが、そういう場面は全くなかった。


 パート3の美しさは広大な北アメリカ大陸、いや、もはや宇宙そのもののといってもいいスケール感を導き出している。どこかSF映画のサントラで耳にしたような気がする和音がそこかしこに聞えてきて、この曲が僕らの世代の曲であることを証明している。
 僕は、パート1の始めの方で提示された和音が、後半部に戻ってくる場面でまず、涙した。自分でもなんでこれほど共感するのか、分からなかったが、パート3でも同じように涙があふれた。「まさかこの曲で涙を拭うことになるとは・・・・」と自分でも信じられない思いだったが、この楽曲の持つ同時代性に心が共鳴し、そして下野&京響の実にヒューマンなアンサンブルに感動したのだろうと思う。


 今年はこれまでに2回、ここ3年だけでも9回、京響の演奏に接している。別の曲ではあるが、それらと比較しても今回は群を抜いている。このオーケストラはこれほどまでの潜在能力・底力があったのか・・・ということを思い知った。今年もまだあと1月あるが、このコンサートが今年のベストコンサートになることは間違いないと思う。

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ぐすたふ

終演後、ここに書かれた感想をお聞きして、全く同感、と思いました。

実は、これこそが「20世紀作品」なのかもしれません。

時間を共有できて、幸甚です。
by ぐすたふ (2017-11-25 22:58) 

ヒロノミン

>ぐすたふさん
 今日、お会いでき、少しの時間でもお話しできてよかったです。下野さんがプレ・トークで、『100年後ぐらいには、オーケストラが当たり前のように演奏される曲になるかも知れない』とおっしゃっていましたが、僕らがベートーヴェンやブラームスを聴いて、18世紀の中欧に思いを馳せるように、22世紀の人々がこの曲を聴いて「アメリカの時代」に思いを馳せるようになるかも知れません。
 明日もいっそう素晴らしい演奏になるように(いや、きっとなります!)祈念いたします。
by ヒロノミン (2017-11-25 23:06) 

ヒロノミン

>18世紀の中欧に思いを馳せるように
 1800年代の中欧に思いを馳せるように、に訂正いたします。
by ヒロノミン (2017-11-26 23:29) 

伊閣蝶

アダムズのハルモニーレーレ、私は遺憾ながら未聴ですが、俄然興味がわきました。
機会を見つけて是非とも聴いてみたいと想います。
by 伊閣蝶 (2017-11-27 22:06) 

ヒロノミン

>伊閣蝶さん
 アダムズは6月の日本センチュリー響のコンサートで「チェアマン・ダンシズ」を聴いて以来、ミニマル・ミュージックの要素と千変万化する和声の妙味にすっかり魅了されています。
 このハルモニーレーレも、おそらく20世紀を代表する作品として取り上げられるようになる。22世紀にはショスタコーヴィチと並ぶ評価を受けているかもしれません。
by ヒロノミン (2017-11-29 21:05) 

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