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カメラータ・ザルツブルグ 岡山公演 モーツァルト「レクイエム」 [コンサート感想]

岡山シンフォニーホール25周年記念
カメラータ・ザルツブルグ 岡山公演

モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第4番 K.218
  〃   /レクイエムニ短調 K626

管弦楽:カメラータ・ザルツブルグ
ヴァイオリン独奏:堀米ゆず子
ソプラノ:秦茂子
メゾソプラノ:アンナ・モロツ
テノール:セサル・アリエタ
バリトン・アイザック・ガラン
合唱:岡山バッハカンタータ協会
合唱指揮:佐々木正利

2016年11月19日 岡山シンフォニーホール
DSC01501.JPG
※Okayama Art Summit 開催中ならではの、リアム・ギリック作品と岡山シンフォニーホールとの共演

 風邪をこじらせて止まらない咳のため、コンサート出撃を1か月以上自粛しておりました。久しぶりに聴いた、それも強度が誇る合唱団とワールドクラスの独奏陣、それにそれに「黄金のカメラータ・サウンド」!本当に酔いしれました。何より満席で我らの街の首席指揮者:シェレンベルガーを迎えられたのが嬉しい!聴衆の温かい拍手に団員さんも笑顔・笑顔で応えてくれました。

 カメラータ・ザルツブルグはシャンドル・ヴェーグの時代の繊細で柔らかいサウンドから、ロジャー・ノリントンのシャープなサウンドへと色々な歴史をたどってきていますが、シェレンベルガーの作る音楽はヴェーグの時代を感じさせる柔らかい繊細なサウンドを基調に、ダイナミックな場面では6型の室内オケ編成とは思えないくらいかなり迫力がありました。

(11月20日 追記) 

 カメラータ・ザルツブルグは、モーツァルト音楽教育の総本山であるとともに、モーツァルト研究のメッカである、ザルツブルグ・モーツアルテウム音楽大学の教授と学生によって設立、ザルツブルグ音楽祭でのホストオーケストラも務め、シャンデル・ヴェーグの時代の「カメラータ・サウンド」はもはや伝説となっている。モーツァルトのスペシャリスト達です。
 一方でプログラムを見て驚いたのが、日本人系のお名前を4人も拝見したこと。ザルツブルグ・モーツアルテウム音大の系譜に連なる奏者でないと入団できないと思い込んでいたのですが、ノリントンの時代にモーツアルテウム音楽院出身者以外からの採用を積極的に行っているとのこと。

 会場は完売御礼こそ出なかったものの。ほぼ満員でした。シェレンベルガーは我らが街の首席指揮者ですから、なんとか満員になって欲しいと思っていましたが、これで岡山のファンにとっては面目が保たれましたね。

 当日は、楽団員さんと思しきグループの方が、芸術交流やその関連イベントに足を運んだりされていて、コンサートも満員で迎えられたことで、「アート感度の高いスモールシティ」として大いにアピールできたんじゃ無いかと。倉敷公演もあった前回来日の際には倉敷の美観地区も訪れているでしょうから、岡山のいいイメージを持って帰っていただけたのではないでしょうか。

 そして、このコンサート、プログラムが凄いですよね。後半のレクイエムで声楽4人+合唱団も投入するのに、前半には独墺系楽曲の重鎮、堀米ゆず子を登板してくるわけですから、どこまで力が入ってんねん!って話ですよ。ホンマ。

 まずはモーツァルトの5曲のヴァイオリン協奏曲の中で、最も美しくかわいらしい4番。20歳に満たない年齢で書かれたこの曲は、モーツァルトの天才性を存分に感じられる曲で、ペガサスが天を駆けるかのような爽快感があります。出だしはですね、正直、「あれっ?!」と思ったんですよ。悪くは無かったです、しかし、フツーに上手いオーケストラがちょっといい音を出した、そんな感じに受け止めました。ところが数分たつと、あの匂い立つような「カメラータ・サウンド」の香りが漂いだし、第2楽章での美しさは特筆ものでした。立ち上がりに時間がかかったのは大きな原因があって、の日は最低気温16度の最高気温22度の雨天。梅雨でもここまで蒸し暑くはないぞ、というほど湿度が高かったです。かといって空調を入れるほどの気温では無く、会場の湿度もかなり高かった。

 母国のオーストリアでは経験したことが無いような環境だったんじゃないでしょうか?満員のお客さんがいっそう湿度を上げたことも多分にあるでしょう、はじめは手探りのアンサンブルだったに違いありません。しかし、さすがに世界屈指の室内オーケストラ、ましてやモーツァルト演奏に関しては人後に落ちない存在であらねばならない、そんな矜持がそうさせるんでしょうか。瞬間瞬間にみずみずしい音楽が立ち上がっていく。ハーモニーが疾走しながらも猫の目のように表情が移り変わっていく。シェレンベルガーもオーケストラをある程度コントロールする岡山フィルと時とは違って、オケとソリストから生まれるニュアンスを、どう料理していくかを楽しんでいるかのようです。いやはや、ものすごいモーツァルトです。若い頃のモーツァルト独特の怖いものは何も無い、才気あふれる音楽の対話と冗談を楽しみました。なかなかこの「饒舌さ」は味わえるものではありません。

 湿度が高い悪条件は堀米さんも同様、高温の部分で音がかすれる場面はあったにせよ、そういった条件をまったく問題にしない、さすがの風格と演奏度胸。充分な存在感でありながら、カメラータ・サウンドの邪魔をしない雑味を加えない、あの輝くようなアンサンブルに見事に付けていく。岡山フィルと共演した、ブラームスのコンチェルトで見せた、大地に根が生えたような圧倒的な重厚なソロとは全く違った表現を堪能しました。

 メインはモーツァルトのレクイエム。モーツァルトの合唱曲に初めて接したのはアヴェ・ヴェルム・コルプスだった。クリスマスケーキを目当てに近所の教会にクリスチャン一家の友達に連れていかれた時に、合唱隊が歌っていて、なんて綺麗な音楽だろうと思ったことを覚えています。
 モーツァルトの合唱曲は、人間か書いたものでは無いような、まるで神が授けたもうたとしか思えないような無垢な美しさに満ちあふれていますが、このレクイエムも極めつけでしょう。

 そして、現在も某CMで使われている、前半のハイライトとなるディエス・イレ(怒りの日)の激しさ、後半のサンクトゥスの輝かしさを筆頭に、一大ドラマになっている。この日演奏されたのはジュースマイヤー補筆版では無く、バイヤー補筆版とのこと。

 最近まで僕はこの曲が苦手だった。どの演奏とは言えませんが、60~70年代の大巨匠時代の重厚な演奏で苦手になってしまった。しかしその後、色々なアプローチの演奏が出てきて、すっきりと聴かせる演奏が主流になりようやくこの曲が好きになってきたところでした。やっぱりモーツァルトに過剰な重々しさは似合わない。

 今回のカメラータ・ザルツブルグ&岡山バッハカンタータ教会の演奏の全体を貫いていたのは、疾走感であった。モーツァルトの音楽にしばしば感じられる、まるで馬車に揺られるような疾走感。語弊を恐れずに言うと、ビートが効いた感じ。シェレンベルガーが好んで使う表現では「音楽からパルスを感じた」ということになるでしょうか。かといって、オーケストラの音が軽量級だったかというと、決してそうではなく、セクエンツィアの第3曲「ラッパは驚くべき音を」やサンクトゥスあたりのダイナミックさは「これが6型室内オーケストラの音か?」と思うような荘厳な音で聴衆を圧倒した。

 合唱団も見事な演奏。男声パートが人数が少ないが、全体のバランスは良かった。メンバー表を見ると、プロの声楽歌手たちも名を連ねており、そりゃあこの完成度もさもありなん。終始乱れることのないアンサンブルと、主旋律と内声部それぞれがパースペクティブに整理され、オーケストラも含めてあるべき音があるべき姿で鳴って、なんともいえない高揚感で満たされ本当に鳥肌が立った。

 声楽は、このホールでの歌唱はお馴染みになった秦さんが、堂々の歌唱で、メゾのモロツさん、バリトンのガランさんもさすがに本場の名歌手の本領を発揮して素晴らしかった。テノールのアリエタは声質が若く(実際に26歳とまだ若い)、少し違和感があったもののオペラのテノールのような華は、この曲にはそもそも無用であって、充分に役割を果たした感じだった。

 この曲に感じるもう一つの謎・・・モーツァルトは果たして信仰心があったのか?コロレド大司教に代表される、当時の宗教権威に対する反抗心はあったことは確実で、バッハの受難曲やカンタータのような、神への絶対的帰依というものが音楽から感じられにくかった。しかし、この日のコンサートを聴いて、宗教的権威への信仰心は気迫だったかも知れないが、音楽も含めたこの世に存在する者の創造主への信仰の心は確実にあった人なのだろうなあ。と感じた。もっともこの曲はモーツァルト自らの手では完成しなかったのであるが・・・


 この岡山公演が今回の来日ツアーの最初だったみたいですね。明日は岡山バッハカンタータ協会も帯同して東京公演、他にもモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全曲演奏会(杉並公会堂)、なんていうのもあります!
 武蔵野文化財団のチラシが物凄くツボに嵌りました・・・
カメラータ・ザルツブルク1-thumb-1000xauto-7149[1].jpg

 まあ、でも岡山はプログラムは違いますが、『炎吹き出すモーツァルトの祭典』『本気度MAXで臨む特別公演』というのも、コンサートを聴いた後では、あながち大げさでもないように感じますから、東京方面の皆さんはぜひ検討の価値アリかと思いますよ。


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伊閣蝶

モーツァルトのレクイエムはバイヤー補筆版で演奏されたのですね。
私はジューマイアー版しか歌ったことはありませんが、バイヤー補筆版はこれとそれほど大きく違っていないので、すっと入り込むのではないでしょうか。
モーツアルトの信仰心、仰る通り、どの程度のものであったのかかなり疑わしいものがありますね。
少なくともカトリックに関してはそれほどでもなかったのかなと勝手に思っています。フリーメーソンのこともありますし。
by 伊閣蝶 (2016-11-29 23:40) 

ヒロノミンV

>伊閣蝶さん
 実のところ、バイヤー補筆版とジュースマイヤー補筆版との違いがよく解らなかったのです。大きくは違はないとのご指摘で納得いたしました。
 他のモーツァルトの晩年の楽曲と同様、本当に美しい曲で、これは神への捧げものではなく、人間に向けて、もっと大きく言えば生きとし生ける者に向けて書かれたという感慨を持ちました。
by ヒロノミンV (2016-11-30 22:44) 

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