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シェレンベルガー&シュース Ob&Hpリサイタル [コンサート感想]

 昨日の岡山フィルの定期演奏会は、ますます進化・深化した岡山フィル会心の演奏だったとのこと。
 それを聞き逃し、かなりストレスを溜めていた状態に、大型台風の直撃弾!しかし、この嵐の中開催されるということで、行ってきましたよ~岡大病院の中にある『Junko Fukutake Hall』へ!

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 この会場、普段は学会や大学内での会議などに使われているのでしょう。受付も会議机を組み立てて使っているし会場の中に入ってもガラス張りのため外の様子がよく見える。すべての設備が整ったコンサートホールではなく、こういう空間で音楽を聴けるというのも室内楽の醍醐味ですね。
 台風19号が最も岡山に接近している時間に開演。ガラスの向こうの並木が右へ左へあり得ないほど揺れている。しかし、このガラスの内側の空間は、なんとも幸福な音楽に包まれていました。

 その会場に居た人にしかわからないと思いますが、会場を包んでいたなんとも言えない親密な空気。これはやはりシェレンベルガーとマルギットさんのお人柄ということもあり、そして何よりも岡山という街のオーケストラの顔として頂いているマエストロのコンサートだから、だからこそこの親密な空気がある。
 岡山の人はシャイです。大阪のファンだったら「いや~、シェレンベルガーさんやで~!!」と言いながら、肩や背中をバシバシ叩くだろう(誇張アリ)。
 しかし岡山の人は大変な好意を持っていても照れたハニカミを浮かべながら、言葉でそれを伝えることを控え、その代り全身から親密な空気を発して伝えようとする。

 シェレンベルガーは、そんな岡山人の控えめな好意の表現をしっかりと感じ取ってくれているのがわかります。そもそもシェレンベルガーという人は、本当に真面目な方です。このコンサートでもドイツ語なまりの英語で曲目の解説をして下さったのだが、客受けするつかみのトークもボケもツッコミも一切ない。ひたすら
真面目に、これから演奏する曲の魅力を聴衆に伝えようとする。そういうお人柄はまさに岡山の人々に合っている、と思う。

 岡山は、地理的にも歴史的にも、関西の濃厚なボケ・ツッコミ文化と、広島の血の気の多い文化に挟まれ、自らの立場をことさら自己主張することなく控えめにやって来た。つい最近も県庁が「岡山県はPRが下手でした」ということをネタにして、PRしようとしていたが、そのPRもイマイチぱっとしないという笑うに笑えない状況になっている。

 そんな岡山の人も、心の底まで控えめなのかというと、そんなことは決してなくて、その奥底には強烈な地元意識がある。それが爆発するのが『うらじゃ』であり、『ファジアーノ』の応援。そこにもう一つ、前者2つに比べるとまだまだ秘密の楽しみといってもいいかも知れませんが、
 シェレンベルガーという超一流の音楽家が、自分たちの街を気に入り、船頭のいなかったオーケストラを先頭に立って鍛え上げ、自らの技術を惜しげもなく街のホールで披露してくれる。それを見守る楽しみが出来た。これを至福と呼ばずしてなんと言いますか?

 世界に名だたるオーケストラが綺羅星のように登場し、何十団体もあるオーケストラが躍動し、超一流のソリストたちが何度も訪れるような首都圏の聴衆どもよ!しかし、一人の偉大な音楽家と、これほどまでの近い距離で親密な関係で、音楽を通じて相思相愛の思いを通わせ合えることがあるか。
 お前らにはわかるまい。岡山をなめるなよ。と言いたい気分になるのである。

 ごめんなさい、ちょっと熱くなり過ぎました。私自身はなんちゃって岡山人(その内実はアンチ東京打倒石原慎太郎の血がたぎる関西人でおま!)でありまして、岡山の人はもっと穏やかにこの現象を受け止めております。はい。

 前置きが長すぎました。

 シェレンベルガーのオーボエの生演奏を聴くのは、92年のアバドとの来日の時に、ベルリン・フィルの団員としての演奏を聴いたのが初めてで、次は岡フィル初登場の時のモーツァルトのオーボエ協奏曲。これほどの近距離と小さな空間でシェレンベルガーのオーボエを聴いたのは初めてです。
 シェレンベルガーも生まれの年から計算すると66歳という年齢、管楽器奏者を続けているということだけでも驚異的であるのに、その音と言ったら・・・

 もう言葉にならないほど、本当に素晴らしいものだった。まるで楽器が体の一部になっているようだ。全身で演奏するその音は一つ一つの所作を経るたびに様々に変化していく。

 前半のバッハは、シェレンベルガーのお人柄そのものの演奏で、高潔で優しくて折り目の正しい、それでいて聴いていて本当に心地の良い、『癒し』などという陳腐な言葉では表現しきれない幸福感、本当に贅沢な時間でした。もう本当に目の前で演奏されているので、息遣いは当然のこと、キーを操作する際のパタパタ音まで微かに聴こえて来る。

 後半は、サン=サーンスのソナタが極上!絶品!だった。どこまでも伸びていく音はシェレンベルガーの真骨頂。あのBPhのゴージャスな弦楽器群や強力な金管楽器が咆哮しても、その間から伸びてい来るオーボエの音。その音の源泉は力で生み出されたものではなく、もっとしなやかなもの(素人の私にはまったくその極意は分かりませんが)ななんだろうなあ、と思う。その極意が岡山フィルにも浸透して、あれほど芳醇な響きを獲得したのだ、と。
 どこまでも澄み渡る、まるで青空に浮かぶ雲の上に大の字で寝転んでいるような・・・そんな気持ちになりました。
 シューベルトの歌曲のオーボエソロによる演奏の前に、「オーボエの音は人間の声に似ています」との解説に、本当にシェレンベルガーのオーボエの音はまさに名歌手が歌っているようだなあと。

 マルギット=アナ・シュースのハープも見事で、サン=サーンスのオーボエ・ソナタのピアノ伴奏はCDでよく親しんでいるけれど、この日のマルギットの演奏を聴くと、断然ハープの方がいいですね!
 フォーレの即興曲はハープのソロ演奏を聴かせて頂きましたが、見事なペダル裁きと撥弦で、フォーレ独特の調性の移り変わりに渦に心地よく酔いしれました。ピアニッシモの美しさは一生記憶に残ると思います。バスクッリでもリュートのような音も味わい深かった。

 シェレンベルガーが会場になったJホールを称えて「この素晴らしいホールを岡山の皆さんは誇りに思うべきだ」と仰ったのが心に残りました。
 それは、このようにも聞こえたからです、「この素晴らしい(岡山フィル)というオーケストラを誇りに思うべきだ」「この素晴らしい岡山シンフォニーホールを誇りに思うべきだ」そして「この岡山という街を誇りに思うべきだ」

 66歳にして衰えを見せないシェレンベルガーのオーボエ演奏。それでも不老不死というわけにはいきません。この日一緒の時間を過ごしたすべての人に最後の時間は訪れる。

 シェレンベルガーは、そのキャリアのすべてを注ぎ、音楽文化の種を蒔くという場所として、この岡山という街を選んでくれた。それに水をやり。肥料を与え、時が移り世代が変わっても脈々と生き続けられるように何をすべきか、そろそろそんなことを岡山の人々は考えていかねばならない時期に来ているのだと思います。


J.S.バッハ:ソナタハ短調 BWV1033
J.S.バッハ:パルティータト短調 BWV1013(オーボエ・ソロ)
マラン・マレ:スペインのフォリアによる変奏曲
サン=サーンス:ソナタop166
シューマン、シューベルトの歌曲
フォーレ:即興曲op:86(ハープ・ソロ)
パスクッリ:ベッリーニのオマージュ(コーラングレ&ハープ)

アンコール2曲

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