SSブログ

海文堂書店(神戸・元町)の閉店 [雑感・出来事]

 個人的には少なからずショックを受けたニュースでした。

 神戸の海文堂書店、9月末閉店 創業100年目前 経営不振(2013 8/5 神戸新聞)

 個性あふれる本選びで多くの読書家に愛されてきた神戸の老舗書店「海文堂書店」(神戸市中央区元町通3)が9月末で閉店することが5日、分かった。海事書にかけては日本一の品ぞろえを誇り、阪神・淡路大震災関連のコーナーを常設するなど、神戸らしい“町の本屋さん”。しかし深刻な活字離れや大型店の出店などを受け、来年の創業100年を前にその歴史を閉じる。
 海文堂は1914(大正3)年、海や船舶・港湾など海事関連書の専門店として創業。70年代に品ぞろえを広げて総合書店となった。伝統の海事書に加え、児童書や人文・社会分野の本も充実。さらに郷土関連書籍を集めた「神戸の本棚」を設けるほか、月刊通信「海会(カイエ)」や雑誌「ほんまに」の発行を通じ、長く神戸の活字文化の発信拠点だった。
 95年の阪神・淡路大震災では、発生から8日目に営業を再開。本や地図を求める市民が詰めかけた。そうした経験から2011年の東日本大震災後には、東北の版元による書籍を重点的に販売。神戸の書店ならではの支援は、全国的に注目を集めた。
 帆船の図柄のブックカバーは読書家らに愛され、05年には優れたデザインのカバーをたたえる「書皮大賞」を受けた。また10年12月からは店内に古書店4店を誘致し、「元町・古書波止場」を開設。新刊、古書にかかわらず、良い本を読者に届けるよう努めてきた。
 しかし1996年のピーク時に比べ、現在は6割程度にまで売り上げが減少。2000年以降はインターネット書店の台頭や周辺に大型店、新古書店の出店も相次ぎ、経営不振が深刻化していた。
 5日午前10時半の開店前に、岡田節夫社長が約10人の店員らに事情を説明。顧客らには9日以降、「海会」やホームページを通じ、閉店を伝える。書籍販売業は終了するが、東京での出版事業などは継続する。

さよならサンパル古書のまち 唯一の営業店が8月末に閉店 (2013 8/3 神戸新聞)

 神戸・三宮の商業複合ビル「サンパル」にある古書街「サンパル古書のまち」で、唯一営業を続けていた「ロードス書房」が8月末で閉店する。県内の郷土史資料を中心に集め、長く歴史研究者らに愛されてきたが、ビルの衰退や店主の病気などのため退店を決意。阪神・淡路大震災を乗り越え、約30年続いた個性派古書街が姿を消す。
 古書のまちは1986年に8店舗でスタート。それぞれ和本や文芸書、全集、雑誌など異なる分野の専門書をゆっくり探せる空間だったが、経営不振や後継者不在で徐々に撤退が進んだ。
 ビルにかつてのにぎわいがなくなる中、同書房代表の大安榮晃さん(60)は最後まで踏ん張り続けたが、約2年前から手術や投薬治療を繰り返すなど体調が優れず、「棚を整理する体力が残るうちに」と幕を下ろすことに。閉店まで店舗内の商品を半額で販売し、その後はネット販売と目録販売のみとなる。
 店内には、自治体史や歴史書に加え、大安さんが目利きした翻訳本なども並ぶ。大安さんは「もう細やかな棚づくりができなくなるのは悔しい。できるならあと10年はやりたかった」。
 店には閉店を知った昔の店主仲間をはじめ、なじみ客が訪れている。「月並みやけど、こんな無愛想な店によく来てくれた。ありがたかった」としみじみ話す。

 ---------------------------------

 海文堂書店に初めて行ったのは、父親に連れられて・・・だったでしょうか。私の祖父は海運会社に勤めていて、海事書を扱う海文堂は常連だったようですし、その延長で父もこの本屋の常連でした。
 高校時代は夏休みや土日には、大倉山の中央図書館の自習室で勉強・・・すると見せかけて、実は勉強もせずに本ばかり読んでいたわけですが(陳舜臣や司馬遼太郎、児島襄、塩野七生などは殆どこの時期に読破したような・・・)、それを3時ぐらいで切り上げて、図書館前の通りを南東に30分ほど下っていくと、阪急花隈駅の辺りに出て(あるいは宇治川商店街を一気に下って、神戸駅の方からアーケードを進んだり)、海文堂も含めて元町のあたりを徘徊していました。帰りは阪神の元町か西元町から乗れば、通学定期券の最寄り駅の湊川まで初乗りで行けるんですね。まあ、そういうコースで遊んでいたわけです。

 今では『神戸の元町』と言えば、旧居留地のブランドショップ街のイメージが強いですが、地元の人間にとってはあの辺はあくまで三宮であって、元町はあくまで鯉川筋よりも西のエリア、という感覚です。元町と言えば他にも書店がたくさんあって、日東館書林にもお世話になったし、海文堂の近くには宝文館という教科書や学参が充実した書店もあった。宝文館では教師のアンチョコである『教科書ガイド』なるものが売っていて、中学時代には教え方の下手な(失礼!)先生に当たっときは、塾などに通っていない自分は、教科書ガイドを頼りに勉強していた(笑)

 どうも話が脱線しますね・・・

 小学校の時は、母と姉が大丸で買い物をしている時に、この海文堂で親父と二人で時間をつぶして、家族で合流してからは元町商店街の老祥『紀』(南京町の行列ができる老祥『記』ではない!)で豚まんをつまんでから帰ったり。
 夏休みの読書感想文の本で、『課題図書』というのがあったけれど、海文堂が子供のために独自に選んだ「課題図書」的な本ははずれが無かったなあ。
 他にも地元の本も充実してましたね、『兵庫の伝説』とか、親父はよく散歩ガイドのような本を何冊もここで買ってきていました。一時ブームになった、「ブラタモリ」の走りですな。

 ところが、高校3年の時に北神急行が開通して、裏六甲から神戸市外に出るルートが新開地経由から三宮直結に変化したことによって、元町に行くことはめっきり少なくなりました。進学で神戸を離れたあとも、帰省の際は洋服なんかも買い物できる三宮界隈に行動範囲は完全に限られるようになって・・・、たぶん高校卒業してから海文堂に足を運んだのは5回ぐらいだったかな?

 アマゾンなどのネットショップの席巻や郊外型書店や巨大書店の影響が一番の要因なんでしょうが、元町という街そのものの衰退もかなり影響したのかな・・・と思います。
 それでも港町文具などがネットでも話題になったりして、上手くやっている本屋さんだと思っていたのだけれど、本業の方は火の車だったんでしょうね。 
 今までありがとうございました。

 そして、サンパルから古本屋が消える・・・。今から思えば、高校時代は元町からセンタープラザの西館あたりと、サンパル、駅の北側の『親不孝通り(いわゆる予備校街)』が自分の行動範囲でした。まあ、典型的な文系で歴史オタクでクラシック音楽オタクの高校生が、さんちかや旧居留地・センター街には行く用事が無かった(笑)

 サンパルにはジュンク堂があって、そのマニアックな品ぞろえは凄かった。立ち読みには甘く、それが現在のジュンク堂独特の座り読みサービスなんかに繋がっていくのだが・・・、それを補完する、と言っては失礼。もっとマニアの巣となっていたのが古書店街。でも、あまりの専門性の高い品ぞろえに、高校時代には敷居が高かった。そうそう、高校時代は、高速神戸駅と新開地駅の間の地下道の古本屋街の方にお世話になりました。18歳以下には売ってはいけないような本は、大概ここで調達(笑)
 大学時代の研究用の本を探すようになって、いよいよサンパルの古書店街や大阪の阪急古書のまち、あたりで狙っている本が無いかどうかチェックする自分に酔っていたのを覚えています(笑)「あ~、自分もこういう本格的な古本屋で文献探しをするようになったか・・・」と(笑)

 なんだかとりとめのないエントリーになりました。やっぱり青春時代を過ごしたマイルストーンのような存在がなくなるのは、本当に寂しい。海文堂は単なる本屋にとどまらず、書店文化の発信基地のような役割も担っていただけに。「神戸らしさが失われる」との声も強いようです。

 なんて、懐かしがっている自分は電子書籍をガンガンダウンロードして読んでいる。「裏切り者」ですが、やはり本は本屋で買うようにしようと思います。それもバイト・パートだけで運営されてるようなロードサイド店じゃなくて、プライドを持った書店員さんが切り盛りしている、ちゃんとした本屋で。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0