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輝ける王妃エリザベート展 岡山シティミュージアム [展覧会・ミュージアム]

輝ける王妃エリザベート展 岡山シティミュージアム
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 オーストリア皇帝、フランツ=ヨーゼフ1世の皇后であり、19世紀ヨーロッパ随一の美貌のプリンセスの人生を、その装飾品や衣装などにより振り返るという特別展。
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 展示されたものはどれも一級品、オーストリアの宮廷文化の絢爛豪華さが垣間見れるものだった。実際にエリザベートが過ごした部屋を再現したりと、よく工夫はされてるとおもうのだけれど、悲劇的な最期(無政府主義者による暗殺)や、皇太后との確執といったことから、ことさらに不遇な生涯というストーリーを強調する内容に、違和感を覚えました。

 個人的には、この皇帝夫妻がヨーロッパの文化史にどれほどの足跡を残したのか?というような、もっと深く考えさせられるような展示が見たかったのです。

 エリザベート王妃の在位は1854年から1898年、クラシック音楽の観点見てみると、在位したころはシューマンはまだ生きていたし、ブラームスはまだ交響曲を発表していない。ワーグナーは指輪の作曲の真っ最中、ブルックナーもまだまだ頭角を現していない時代です。
 忘れてはならないのはシュトラウス一家でしょうね。ウィンナー・ワルツの名曲、皇帝円舞曲は、まさにエリザベートの夫の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とドイツ皇帝ウィルヘルム1世を表敬訪問した時に作曲された曲であるし、エリザベートが皇后・王妃に君臨し、オーストリア宮廷文化が最高潮に達した時代は、まさにウィンナー・ワルツの時代。あのムジーク・フェラインザールの黄金の間にも、幾度となく行啓したことでしょうね。

 
 煩わしい政務とは距離を置いていたエリザベートが、唯一関心を示していたのはハンガリーの統治で、おそらくフランツ・リストらとも交流があったことでしょうし、ブラームスのハンガリー舞曲が流行を席巻していたように、ハンガリーという土地は中欧の人々にとって、なにか惹かれる文化があったということなのでしょう。
 エリザベートは狂信的な無政府主義者に暗殺されてしまうのですが、その暗殺事件が起こった1898年という年は、のちに巨大管弦楽を駆使してロマン派音楽の極致を極めることになる音楽家:グスタフ・マーラーがウィーン宮廷歌劇場音楽監督としてデビューした年でもあり、エリザベートの突然の死は世紀末ウィーンという、20世紀の文化に多大な影響を与える時代の波が一気に襲ってくる、象徴的な歴史的事件だったのかもしれません。
 次回、同様な展覧会があるとしたら、オーストリア宮廷と音楽文化、みたいな展示が見てみたいです。
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