新日本フィル倉敷公演 上岡敏之 指揮 [コンサート感想]
指揮:上岡敏之
コンサートマスター:崔文洙
コンサートマスター:崔文洙
平日の夜公演ということで、お客さんの入りは5割5分ぐらい?東京のオーケストラシーンでは、9月からの音楽監督就任を前に、かなり話題になっているこのコンビ。しかし、やはり地方都市の岡山・倉敷ではどこ吹く風なのか?
かくいう私も、実は遅刻したのです。倉敷駅到着時点で7時過ぎ。タクシーに乗れば、シューベルトの第3楽章ぐらいには間に合うかも・・・と思いましたが、まあ、今日のメインはやっぱりマーラーだし、ゆっくり歩いて行くことに。到着するとちょうどシューベルトの第4楽章の演奏が館内放送で流れていました。
これが、なんとも透き通るような弦の響き、輝かしい金管、ダイナミックに変化するテンポ。スピーカーから流れる音楽を聴いただけで、シューベルトの佳作を見事に料理した演奏であることがわかり、「こりゃー、タクシーで来て、聴けるだけ聞いとくべきやったな・・・」と思いました。
後半のマーラー1番。期待にたがわぬ、心動かされる演奏でした!お客さんの入りがイマイチだったことは冒頭で触れましたが、その分、くらしきコンサートさん恒例の学生を招待して(それもS席の位置に、これはいい思い出になるでしょうね)いたんですが、終演後に見かけた女子高生の中には感動して泣いているのか、目が真っ赤なんですよ。皆さんものすごく興奮した様子で、パンフレットに書かれていた、上岡さんの思い「これが新日本フィルの音だ」とわかるオーケストラ、人を感動させることができるオーケストラ、そのうちの一つは就任前にすでに達成している、そう感じます。
高校生にしてみれば、「交響曲って、こんなに自由でいいんだ」「遊んでいいんだ」という驚きから、表現のパレットの多彩さ、特に弱音部分でクリスタルが輝くような繊細な表現、大トゥッティでの地鳴りのような迫力。パウゼの空間に浮かぶ、切ないまでに美しい残音。どれもが得難い経験だったでしょう。
そう、上岡&新日本フィルは大いに「遊んで」いた。奏者も指揮者も作曲家も、真剣に人生を賭けた遊び。テンポの緩急やダイナミクスの表現の振幅が大きく、それは薄氷を踏むような緊張感の連続、あるいはひとつ間違えば奈落の底に落ちる、剣ヶ峯の尾根を渡るような大冒険、と言ったらよいだろうか。
予想通りというか、上岡さんのタクトは一筋縄ではいかない解釈だったんです。まず特徴的だったのは第1楽章の夜明けの場面で、チェロが5度6度の音程をグリッサンで上がり下がりする。はじめは違和感があったんですけど、曲が進んでくると、第2楽章のスケルツォの第1主題や、第3楽章の中間部、あるいは第4楽章冒頭の地獄の場面から一気に天国的な場面へ変わった後には、ほとんどの指揮者がグリッサンドやポルタメントを多用する演奏をしているわけだから、それを全曲に展開することによって世紀末的なロマン派の落日の輝きを際立たせる効果を狙ったとすると、特別奇異なことをしているわけでは無かったな~という印象です。
配置は14型のストコフスキー(ステレオ)配置。ヴィオラがアウトに位置。夜が明けて朝の場面になると、ヴァイオリンが本当に繊細に繊細に歌うように・・・どうか、これはさすらう若人の歌そのものだった。名歌手が情感を込めてまさに肉声で歌うようなヴァイオリンの旋律が心に残る。マーラーの作る旋律って、どこから始まって終わるかわからない、美しい魅力的なメロディーが延々続く、上岡さんは息の長さを求める、
第2楽章に入っても、一本ねじが外れたような、あるいは酔いが回っているような、踊りが緩急自在に展開。とにかく単位時間あたりの情報量があまりにも多いのですべては書けませんが、これ、いろんな仕掛けがしてあってリハーサルで徹底させるの、大変だったやろうな…
この日の演奏で特筆すべきは弱音、微弱音の部分の音のテクスチャーの作り込み、第3楽章 第4楽章のフィナーレの前の静けさの場面。マーラーの楽曲はこの世とあの世が繋がっているような、まさに「神が死んだ」時代の音楽で、音楽そのものが宇宙であり神であるような感覚になるのがたまらないのですが、あの弱音はまさに神業であり、ホールで聴いている我々はマーラーの1番というご神体を詣でた巡礼者だったのかもしれない。心が洗われる「ような」ではなく、心が洗われ、イニシエーションを体験したような浄化された感覚がありました。
第2楽章に入っても、一本ねじが外れたような、あるいは酔いが回っているような、踊りが緩急自在に展開。とにかく単位時間あたりの情報量があまりにも多いのですべては書けませんが、これ、いろんな仕掛けがしてあってリハーサルで徹底させるの、大変だったやろうな…
この日の演奏で特筆すべきは弱音、微弱音の部分の音のテクスチャーの作り込み、第3楽章 第4楽章のフィナーレの前の静けさの場面。マーラーの楽曲はこの世とあの世が繋がっているような、まさに「神が死んだ」時代の音楽で、音楽そのものが宇宙であり神であるような感覚になるのがたまらないのですが、あの弱音はまさに神業であり、ホールで聴いている我々はマーラーの1番というご神体を詣でた巡礼者だったのかもしれない。心が洗われる「ような」ではなく、心が洗われ、イニシエーションを体験したような浄化された感覚がありました。
最終楽章は、冒頭から快速テンポで始まりましたが、天国的な部分ではゆっくりゆったりとした展開(ホント、あまりの美しさに涙出た!)、また地獄へ突き落されてテンポを速め、勝利のマーチっぽいところでも快速・・・
といったように、俗と聖、父性と母性、または暴力とエロスと言い換えても良いか?父性的な部分はどんどんとテンポを速め、母性的な部分はよりゆっくりとしていく。場面が交代するごとに、両者のコントラストが強烈になる、という構成にしていたのではないかと思います。
新日本フィルの音も、在東京オケのハイレベルさを実感させるに十分な演奏でした。
第1楽章のAの音のフラジョレットの澄んだ音!そのあとに続くピアニシッシモ、第3楽章の弱音も素晴らしい。こんな繊細で透明感があってクリスタルのような輝きがある音は、海外のオケでもなかなか聴けない。
しかし一方で不満も少し。音の厚みがイマイチ物足りない。正直言うと「薄い」。80年代の典型的な市民会館的建築の倉敷市民会館の天井桟敷で聴くと、音が充分に飛んできません。上岡さんと共に来てくれたヴッパータール交響楽団も問題なく鳴らし切っていたし、パリ管やバイエルン放送響になると、座席に押し付けられるような音圧が迫ってきたものですが・・・
上岡さんとのコンビもまだまだ熟成しきっていない(上岡さん&崔コンマスの意思を反映しきっていない)部分もあり、これからのこのコンビが楽しみになりました。ミスの無い完璧な演奏も魅力ですが、「何が飛び出すかわからない」という演奏はそれを凌駕する魔力があります。
上岡さんは、大フィルを一度振ってみると面白いかもしれない。大フィルのドラマティックなサウンドや、息の長さ深さが上岡さんのタクトで一層生きるような気がします。
この新日本フィルをはじめ、今後は国内オーケストラでも上岡さんのタクトを見るチャンスが多くなることに期待したいですね。
MIXIの方に書き込みました。
面白かったですねえ。大阪では、大うけでした。
やっぱり、僕はこの上岡さんが、大好きです。
by ぐすたふ (2016-03-19 00:39)
>ぐすたふさん
大阪公演、行かれたんですね!
>大阪では、大うけでした。
だと思いました(笑)。上岡さんの来日回数が増えると、上岡&大フィルも実現するかもしれませんね。詳しくはmixiで・・・
by ヒロノミンV (2016-03-19 00:47)
ヒロノミンV様。コメント楽しみにしていました。圧巻のマーラーでしたね。前日のサントリーホール定期に行かれた方のブログを見てみると批判的な意見も複数ありましたが(恣意的過ぎ、やり過ぎなど)、個人的には面白い解釈で圧倒されました(帰ってから、こんな曲だったかな、とバーンスタインのニューヨーク盤を聴き直しました 笑)。確かにブルックナーであれをされるとちょっと、と思ったかも知れませんが、マーラーのあの世紀末のウィーンの香りがプンプンするような音楽には、これもあり!と納得しました。あれが上岡さんのマーラーなんですね。そういえば、数日前、NHKのインタビューで、来日中のムーティが、「我々ヨーロッパの解釈が正しいとは限らない。伝統的に楽譜にない、効果を狙った表現が多過ぎる。」みたいなことを話していましたが、上岡さんのスタイルはそうしたヨーロッパの伝統の中にあるのかも知れませんね。ヒロノミンV様のコメントは博識でいつも勉強になります。今後も楽しみにしています!
by かず (2016-03-19 09:18)
>かずさん
いつもコメントありがとうございます。
上岡さんの指揮は、ヴッパータール交響楽団の来日公演以来、2回目なのですが、一見、奇抜に見えつつも音楽の本質を見事に抉り出すようなタクトに、今回も魅了されました。甘美な世界と暴力的な世界のコントラストは、仰る通り世紀末ウイーンの空気を彷彿とさせるもので、まるでクリムトの「死と生」の世界だなと思いました。
チケット代も手ごろだったですし、国内の実力のあるオーケストラによる公演企画をもっと増やしてほしいですね。聴衆の側もネームバリューに左右されずに、お客さんが入るといいんですが。
by ヒロノミンV (2016-03-20 00:04)
いいなぁ~!
大阪、聞きたかったけれど、行けなかったンですよねぇ・・・(泣)
大阪にはN響、読売日響は定期公演があって来るけど、
新日フィルはそういうのがないですもんねぇ・・・
うーん。でも、これから1年に1度だけでも来てくれないかなぁ・・・
by うたえもん (2016-03-21 23:45)
>うたえもんさん
経営母体がしっかりしている読響やN響と違って、新日本フィルは頻繁には遠征をしてくれないので貴重な機会でした。大阪はたぶん定期的に公演を打つんじゃないでしょうか。
岡山はもう少しお客さんが入ってくれないと再度の公演が難しくなりそうで心配です。
できれば今こそ京響にも来てほしんですが、やっぱりN響・大フィル並みの知名度が無いと難しいかもです。
by ヒロノミンV (2016-03-23 23:30)