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親子deクラシック 2023 [コンサート感想]

中国銀行ドリーミーコンサート

親子deクラシック 2023


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更新は「書けたら書くわー」で

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福田廉之介プロデュース ALL Mozart [コンサート感想]

おかやまアーツフェスティバル2023
福田廉之介プロデュース ALL Mozart
これを聞けば〇〇がわかる!

モーツァルト/ ヴァイオリンソナタ第18 番 ト長調 K. 301 (293a)
  〃   /ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ト長調 K. 423
  〃   /ピアノソナタ イ短調 K. 310
  〃   /クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581

ヴァイオリン:福田廉之介(K301,K423,K581)、篠原悠那(K581→1st)
ヴィオラ:渡部咲耶(K423,K581)
チェロ:菅井瑛斗(K581)
ピアノ:松本和将(K301,K310)
クラリネット:西崎智子(K581)

2023年11月21日 岡山芸術創造劇場ハレノワ・中劇場

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・この秋、福田廉之介さんのコンサートを最大で3つ聴ける予定だった。ところがコロナ明けでコンサートが目白押しの状態だったのと、諸々都合がつかず、10/6のTHE MOSTはチケット購入しながら見送り(THE MOSTは創設以来、皆勤だったのに・・・)、11/18の中部フィル新見公演も聞き逃し、この秋三度目の正直での福田さんの生・ヴァイオリンだった。

・曲の合間にトークセッションがあり、副題の「これを聞けば〇〇がわかる!」の〇〇は、聴く人が思い思いに埋めてくれればいいとのこと。

・この日の客席は、私が陣取った二階席は半分ほどの入りだったものの、1階席は9割がた埋まっていた。キャパが800人なので700人ぐらいは入っただろうか?廉之介さんが「火曜日の夜なのにこんなに入って下さって本当にありがとうございます。これで僕の馘が繋がりました」とおどけていたが、本心からうれしそうな様子。

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・2階席最前列に陣取ったのだが、座ってみて一番驚いたのが「うわー、舞台が近い!」ことだった。市民文化ホールは客席が縦に長かったが、その市民文化ホールの建替え施設であるハレノワ中劇場は横幅が広く奥行きが短い。ステージから遠くならないような設計になっていた。

・そして2階席、1階席後段客席の急勾配にもビックリ。階段の段差が高く、高齢の方は降りるのに難儀しており、私の見てる間だけで4人転けそうになってた(しかも、内一回はホールスタッフの方)。大阪の松竹座3階席と張る急勾配だった。

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(怪我にご用心!!な2階席)


・今回のメンバーのうち、廉之介さんと松本さん、西﨑さんの3名は岡山お馴染みのメンバー。渡部咲耶さんはタレイア・カルテットのメンバーで、今年からはTHE MOSTのメンバーでもある。篠原悠那さんはカルテット・アマービレの1stVnはじめ、メディアからも注目される若手ヴァイオリニストの第1人者。菅井瑛斗さんも今年からTHE MOSTのメンバーで新進気鋭のチェリスト。とまあ、超優秀な若手を集結させたメンバー。廉之介さんの人脈は凄いな…



ヴァイオリンソナタ第18 番 ト長調 K. 301 (293a)

・モーツァルトらしい一筆書きで書いたような天才的な楽曲。この曲はこんな風に演奏して欲しい、という聴き手の感性にピタリとハマるような、少女が踊るような天衣無縫さ。松本さんのピアノもとても優雅で可愛らしさを感じる演奏でヴァイオリンと溶け合い、掛け合っていた。

ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ト長調 K. 423
 ヴィオラの渡部咲耶さんは姉貴肌のようで、プレトークでは福田さんに鋭いツッコミを入れていたが、音楽についてもヴィオラの渡部咲耶さんが重心の低いしっかりした音を軸にして廉之介さんを泳がせている感じ。しかし、廉之介さんの美音が素晴らしいな。なかなか聴く機会がない曲を堪能。

ピアノソナタ イ短調 K. 310
・この日の客席は、楽章間の拍手も起きる感じで、「ハレノワの中ホールに行ってみるか」という動機のお客さんも一定数いた感じだが、松本さんの凄まじい集中力と濃密な表現は否応なく客席を惹き込み、楽章間も咳払い一つ無い心地よい静寂が包んだ。

・ハレノワ中劇場はピアノとは相性が良さそうだ。かなり細かい音価の伸縮と音色の変化が感じ取れ、松本さんの緻密な解釈が感じ取れた。見事な演奏だった。

モーツァルト/クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581
・とにかくクラリネットの西崎さんが本当に見事で、この日のメインディッシュの風格たっぷり。今回のメンバーの中では西﨑さんだけ一回り上の世代になり、脂の乗り切った名手による堂々たる演奏だった。第1楽章は穏やかな田園風景を思わせる場面から、快活な場面へと表現の色彩の切り替わりが見事。第2楽章も息の長いフレーズが絶品。第3,4楽章は適度な遊びを入れながら5人の伸びやかな表現に魅了される。


・ハレノワ中ホールは反響板があるものの、響きは少なめ(体感残響1.3秒ぐらい?)で、クラリネットの音は本当によく通る一方で弦楽器の音は、例えば同サイズの倉敷市芸文館のように豊かな響きのなかでブレンドされる…という感じにはならないのが少々残念。

・それだけに個々の奏者の持っている「素の音」の違いが明確に出るなあと。この曲は1stに篠原さんが座り2ndに廉之介さんが座ったのだが(キャリア・実績では福田さんよりも篠原さんの方が上だろう)、篠原さんのテクニックは物凄いレベルのものを見せてくれ、かつ音の迫力・大きさも充分。その一方で、彼女のヴァイオリンの音が、どうにも耳にキツイなと感じてしまった。出来れば岡山シンフォニーホールや倉敷芸文館のような残響豊かなホールで聴きたかったなと思った。

・ヴィオラ・チェロなど中低音はマイルドに響く。人の声に近い音域にマッチしているのかも。廉之介くんは(彼もこの会場は初めてのはずだが)いつものように角の取れた柔らかく輝かしい音を奏でていたのは流石。

・チェロの菅井さんは、トークの時に天然ボケっぷりを発揮していたが、演奏は研ぎ澄まされたような鮮烈な音を放っていた。今後のご活躍に要注目。

・アンコールはクラリネット協奏曲の第4楽章終盤から。これは思いっきり遊んでたね。この中劇場での実質的はクラシック演奏としてのこけら落としは、才気あふれる若手・中堅のプレイヤーの演奏に大満足で岐路についた。

(ハレノワ周辺駐車場事情)
・ボローニャ歌劇場公演の際は、開演40分前午後半休を取って1時間前には現地周辺に車で到着したが、なかなか安価なコインパーキングの空きが無く、結局、中納言のあたりに停めて京橋を歩いて渡る事になった。今回は中劇場での開催という事もあって、近隣の1時間100円のパーキングに停められた。

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(絶滅危惧種になった60分100円の激安パーキング。昨今、市内のコインパーキングは値上がりが激しい)


・この数年で市内の再開発が急速に進み、コインパーキングが減少傾向にあったところに城下地下駐車場の耐震化工事と(駐車場の無い)ハレノワのオープンで需給が逼迫した。地元経済誌でも取り上げられ、今後も駐車場不足の問題は深刻化しそう。なるだけ自転車で行くようにしないといけないんだけど、通勤に車を使っていたら、平日夜の公演は必然的に車で行くことになり、なかなかそれが出来ないのよね。


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ボローニャ歌劇場 「トスカ」 岡山公演 [コンサート感想]

ハレノワ開館事業
ボローニャ歌劇場 トスカ 岡山公演
プッチーニ/トスカ(全3幕)
指揮:オクサーナ・リーニフ
演出:ジョヴァンニ・スカンデッラ

トスカ:並河寿美
カヴァラドッシ:マッテオ・デソーレ
スカルピア男爵:マッシモ・カヴァッレッティ
チョーザレ・アンジェロッティ:クリスティアン・バローネ
堂守:バロオ・オレッキア
スポレッタ:パオロ・アントニェッティ
シャルローネ・ニコロ・チェリアーニ
看守:クリスティアン・バローネ
管弦楽:ボローニャ歌劇場管弦楽団
合唱:ボローニャ歌劇場合唱団

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・思えば、イタリアの一流劇場のオペラ公演を観るのはこれが初めてだ。中学生の頃にロサンジェルス・フィルやチェコ・フィルなどの演奏を聴いて衝撃を受けて以来。ずっとオーケストラの世界に親しんできた。その普段親しんでるシンフォニーの世界とは全く違う、全てが「歌」で埋め尽くされるイタリア・オペラの世界に圧倒された。もし10代の頃にシンフォニーの世界に触れるよりも先に、イタリアオペラの世界に触れていたら、全く異なる人生だったかも知れない。

・歌手陣も合唱もオーケストラも、ドラマティックで歌に溢れていて、人間味が溢れていて。本当に素敵な時間だった。この人たちは歌が娯楽であり生活であり、人生そのものなのだと。思い出したのはコロナ禍初期の欧州で何十万人も死者が出ている頃、ロックダウンを強いられている時にマンションの住人たちがバルコニーで歌を歌って励まし合ってるの姿。この状況下でも歌を忘れないイタリアの人々に心を撃たれた。もし「かれらの赤血球は音符の形をしているんだよ」と言われても一瞬信じるかもしれない。




(以下、後日の追記)


・会場は満席だ。そりゃそうだろう。東京や大阪公演のほぼ半額の値段で聴けるのだから。私はD席8000円で聴けた。おそらくハレノワの開館記念事業を成功させるための価格設定。


・こけら落とし公演の時は、遅刻してしまったので、当日は劇場から少し離れたコインパーキングに車を停め、開演30分前に到着するという万全の態勢。案の定、劇場周りのパーキングは満車。入場口までのアプローチの階段は安全のためか閉鎖していたため、長蛇の列をエスカレーターに誘導していた。


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・お客さんの出足は極めて早く、開演15分前には入場口のあたりは既に人気が少ない…。観客も気合充分である。

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・位置は3階席の後方だったのだが、「音響デッドなホール」という印象は変わらないものの。歌手の歌唱もオケの演奏も、迫力のあるいい音が飛んできていた。これまでに座った2階席最後列やバルコニー席と比べても音はいいと感じたぐらい。

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・3階席ではあったが 細かい表情までは見えないものの演技は充分に見ることができた。体感的には岡山シンフォニーホールの2階席最前列よりも近いと感じるぐらい。さすがは観劇を最優先に設計されたホールだ。当日、オペラグラスを忘れてしまったのだが、無くても大丈夫だった。

・オケピットは、下手側からコントラバス2本、金管・木管、弦五部に上手側にパーカッション。プッチーニには欠かせないハープはヴァイオリンのチェロの間に配置し存在感を放つ。チェロが6本、ヴィオラもたぶん6丁見えたのだが、私の席からはヴァイオリンの数が確認できなかった。おそらく10型か8型の2管編成だったでは?公式プログラムを購入すれば掲載されていたのだろうが、家にモノをこれ以上増やせないので買わなかった。

・舞台のセットは3幕とも「質素」と言えるものだった。今まで私が聞いた事があるオペラはバーデン市劇場やウクライナ国立歌劇場、ハンガリー国立歌劇場など、東欧系か小規模の劇場のものだったが、それらと比較しても今回のセットは小規模なものだった。

・この日の最大のトピックは、トスカ役のマリア・ホセ・シーリさんの急病により、当日にジャンプインで代役を務めた並河寿美さんのパフォーマンスだろう。

・後から知った事だが、シーリさんの体調不良が判明したのが岡山公演当日。そして並河さんに連絡が入ったのは13時ぎだったようだ。開演までほとんど時間がない状況の中、身体一つで新幹線に飛び乗り駆けつけたとのこと。このスケジュールでは演出や舞台動きについては充分なリハーサル・確認もできなかったであろうことは想像に難くない。

・この状況の中でジャンプインするのは凄い度胸だし、観客に全くそれを感じさせない歌唱・演技を完遂させた実力も凄い。そんなぶっつけ本場の状態とは未だに信じられない完成度だった。第二幕の「歌に生き、恋に生き」のアリアの後、会場の(事情を知らない聴衆の)盛大な拍手とブラーヴァの最中、オーケストラピットからも拍手やブラーヴァが盛んに飛んでいたのはそんな事情があったわけだ。

・2日後のフェスティバルホール公演でも代役を務めたとのこと。並河さんは関西フィルの第九で聴いたことがあるし、びわ湖や兵庫芸文などの主要劇場の常連はもとより関西各地で市民オペラに深く関わっている。今回、タイトルロールとして本場の歌い手たちを向こうに回し、突然の代役を堂々たる歌唱・演技を披露する姿は脳に焼き付けたままで置きたい。関西でのオペラ文化のレベルの高さを並河さんが証明したようにも思うし、(全然関係無い私であるが)同じ神戸っ子としても誇らしく思ってしまう。

・並河さんだけでなく、ほかの歌手たちの心を捉えるような歌はもちろんのこと、驚いたのは合唱団の凄さ。人数的にも恐らく70人ぐらいの規模ではなかったか。オケや歌手のみならず、これだけの大所帯のギャラや渡航費・宿泊費などを考えると莫大な費用が掛かっていることは自明。本当に贅沢な舞台だ。

・第1幕の終盤でのスカルピアのトスカへのどす黒い横恋慕(現代においてはセクハラ/パワハラ讃歌以外の何物でもないが)の場面のカヴァッレッティさんの歌と演技の迫力は見事だったし、そこに重ね合わされる、礼拝堂でのテ・デウムのコーラスの高潔なゴージャスさといったら…。
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・合唱でもっと心を掴まれたのは第二幕の舞台裏バンダでのカンタータとトスカの合唱。はじめは無垢に美しい合唱が、トスカに訪れる悲劇を暗示するように急変し、狂気的な雰囲気に変貌し、聴き手はその迫力と異様な空気に気おされ、脇汗かきまくりである。バンダでの演奏とは思えない迫力に圧倒された。


・並河さんが歌う第二幕のトスカの「歌に生き、恋に生き」のアリアも素晴らしかった。ここのアリアの場面で、席の周囲が「あれっ?」っていう雰囲気になっていて、大部分は岡山の聴衆の反応だったと思うのだが、もともと有名なアリアではあるのだが、岡山では永らく源吉兆案のCMで使われていたからかもしれない。

・第三幕の見せ場である、トスカとカヴァラドッシの絡みは、並河さんの存在感がデソーレさんを食っている感じさえあった。どの歌も神がかっているように感じた。

・オーケストラも素晴らしかった。この日のタクトは音楽監督のリーニフ。音楽雑誌などでよく取り上げられているが、実物の彼女は意外なほど華奢だった。彼女は2021年バイロイト音楽祭でワーグナーのタンホイザーを女性として初めて指揮した実績の持ち主。歌手については詳しくない自分にとってはこの公演の最大の注目だった。

・リーニフの指揮は、やはり流石オペラ叩き上げの指揮者、エネルギッシュで鮮やかなタクトさばきに見惚れた(3階の後列でもピットの指揮は良く見えた)。オケから華のある色彩感を引き出し、プッチーニ独特の甘美で哀切な主旋律を強調しながら、見事なフレージングとアンサンブルで絶妙なポルタメントを駆使しながら極めて蠱惑的な世界を現出させていた。

・私の数少ないオペラ鑑賞体験(十数回ぐらい?海外オペラは6回しか聴いたことがない)の記憶を手繰り寄せても、今回のボローニャ歌劇場管弦楽団がダントツで優れていた。アンサンブルのレベルが高く、イタリアの歌劇場付きオーケストラに対する私のイメージを一新させてくれた。弱音のコントロールも見事で、トスカが歌う場面での繊細な音楽はどれも素晴らしかったし、特に第三幕のカヴァラドッシの「星は光りぬ」へつながっていく場面は背中が続々するほど美しいアンサンブルだった。

・一方で第1幕終盤や第3幕のような緊迫した場面では、しっかりとした堅牢な響きも創っていた。それに加えて…なんというか、『陽のパワー』が凄いのである。まるでキラキラした星が待っているような華と輝きがある。人の声のような柔らかいソノリティを持っていて、歌手陣の歌や合唱と共鳴したときのゴージャスさは得も言われぬ光を放っているように感じた。歌手や合唱だけでなく、管楽器なんて隙あらば大いに歌うように演奏し、冒頭でも触れたとおり、最初から最後まで歌で埋め尽くされた世界だった。

・ハレノワはこけら落としの際、あまりのデッドな音響に閉口し、その時は「プッチーニのオーケストレーションを考えると、シンフォニーホールで聴きたいかも」と思ったが、なんのなんの、途中からデッドな音響なんて全く気にならなかった。ボローニャ歌劇場管弦楽団が凄いのもあるし、こけら落としのメデアはルカントオペラであり、奏法もヴィヴラートを抑えるかものだったことも大きい。それに加えて今回座った3階席の音響特性が私の耳に合致したかもしれない。

・止むことが無い終演後のカーテンコールで印象的だったのは、トスカ役の並河さんと指揮者のリーニフさんのかなり長い時間のハグ。特にリーニフさんが並河さんを掴んで離そうとしない感じの長いハグ。心からの安堵と、奇跡としか言いようがないジャンプインをやり切った並河さんへの敬意と親愛の情が込められていたのでしょう。

・余談になるが、開演前と第二幕の直前に、恰幅のいい劇場関係者の方が大きな声でオケピットに掛け声をかけて、それに楽員さんが応えていたのは、「さあ、本番だ!気合い入れてやろうぜ」「エイエイオー」みたいな事を言ってたように感じたのだが、実際はどうなのだろう?シンフォニーオーケストラの公演の、開演前は厳粛に・静粛に…という文化に慣れているので、驚きつつも、とても面白いなと思った。

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岡山シンフォニーホール 大規模修繕により2025年6月から1年半休館 [岡山フィル]

 11月2日の山陽新聞に掲載されていたこの記事。


 シンフォニービル 岡山市が大改修 設備劣化で25年6月にも着工:山陽新聞デジタル| さんデジ

 KSBのニュースでも報道されたようです


 シンフォニービルの耐震化工事は会館40周年(2031年)までには着工しないといけない、みたいな話は聞いた事があったので、驚きはなかったが、岡山市は2つの大規模プロジェクト(路面電車の岡山駅乗り入れ市役所新庁舎建設)を抱えており、それらにカタが付く2027年以降になるだろうと思っていたので、意外に早く着工するのだな、とは思った。


 しかし、ほぼ同じ時期に開館した愛知県芸術劇場は、2019年に大規模改修を終えており(その間、名古屋フィルの定期演奏会は、名古屋市民会館に移して行われたようだ)、ファシリティ・マネジメントの観点や南海トラフ地震への対応を考えると、一刻も早い改修が必要だったということだろう。

 10月の初めに「シンフォニーホールが休館になるらしいで」という情報を高校教師の友人から聞き(芸術鑑賞会や吹奏楽部の発表会の会場選びなど、課題が山積らしい…)、市役所のホームページを調べてみたが、それらしき情報が全くなかった。2025年に着工するならば、今年度中に基本計画・基本設計を終えなければならない筈で、これはどういうことだろう?と思っていたら、上記の山陽新聞の記事を見て、事情が分かった。

 要するに、大規模改修の事業主体は市役所ではなく、シンフォニービル全体の管理組合なのですね。管理組合が発注・契約してホール部分の費用だけ市が負担する契約になっている。実際には市役所の専門職の方が中に入って実務を取り仕切るんだろうけど、もし、契約・施工上のトラブルがあったらどねーすん?と思う。



 で、管理組合のホームページを見ると、ありました。基本計画書が。

「ハレノワと共に、岡山の文化芸術の拠点として並び立つために、目指す方向性(現 状の多目的ホールとして改修するのか、音楽専用など特徴を出していくのか等)の 検討を進めながら、改修を進めて行く」
 との文言があることから、舞台芸術に関する設備などハレノワでカバーできているものは思い切って撤去することもありそう。


 我々ホール利用者に関係ありそうな、主な改修個所をピックアップしてみると

・大ホール天井パネルの更新
・大ホール客席椅子更新
・舞台機構設備、照明設備、音響設備改修・修繕
・トイレの洋式化など

 などが挙げられている。天井パネルと椅子の更新は、直接的にホール音響に影響を与える工事なので、ちょっと心配ではある。建設時のように詳細なシミュレーションはできないだろうからねえ。


 シンフォニーホールについては音響面で非常に高い評価を受けつつも、竣工当時からの社会情勢の変化もあり、ハレノワなどの最新のホールとの比較で次のような問題点が露になっている。

①バリアフリー対応が不十分。特にホワイエから2階・3階客席はかなりの段数の階段を自力で登らねばならない。
②エントランスの開口部が狭く。渋滞・密集を招いている。
③エントランス外にスペースがなく、入場待ちの列を捌ききれないばかりか、エスカレーターから降りる人と交錯する事故リスク、列が階段に伸びて将棋倒しのリスクなどが指摘されている。

 今回の改修では①~③を根本解決するような建物躯体に手を入れるような改修は見送られそうだ。

 ただし、床面積 2,000 ㎡以上の新築、改築をする場合(シンフォニーホールは余裕で該当)は、高齢者や障害者の移動等の円滑化のための基準を満たすことが法律で求められている。
 ここで少し妄想。一番の解決方法は舞台下手側に通っているエレベーターを使えるようにすることだろう。ホール1階席は、指揮者室や楽屋などがある場所にエレベータがあるので、一般客が自由に使えるようにすることは難しいかもしれない。

 それにこのエレベーターは9階~12階のオフィス階に繋がっていて、2階・3階席の下手側バルコニー席への通路突き当りの壁の向こうに通っているはず。もしかしたら点検口や事故時の脱出口などがあったら、もう少し壁をぶち抜いて2階・3階席にも行けるように出来れば抜本的解決になるのでは(無茶言うなぁ)。
 
 さて、我々聴衆にとっては、
・シンフォニーホール自慢の音響が変質しないのか?
・あるいは休館中の岡山フィルの活動はどうなるのか?
 について気になるところだが、それについては(いつのことになるかわからないが)また別の記事に起こしてみたいと思う。

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高畑壮平氏による秋の音楽アカデミー 公開レッスン [コンサート感想]

高畑壮平氏 秋の音楽アカデミー 公開レッスン
~高畑がドイツの現場で現場で学んだ、全ての器楽奏者の為になるバッハ奏法

講師:高畑壮平
受講生:クロミツ(黒田充亮)

J.S.バッハ/マタイ受難曲 BWV244より第39曲「憐れみ給え、我が神よ」
  〃  /ヴァイオリン協奏曲イ短調 BWV1041

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 今回はプロのバイオリン奏者・ヴァイオリン講師のクロミツさんが受講生になり、高畑さんがクロミツさんにバッハ奏法の伝授する様子を聴講するというもの。お誘いいただいたものの、「こんな自分が行っても大丈夫だろうか?」と思っていた。というのも私はヴァイオリンはおろか楽器は全く弾けません。楽器経験は小1~小4にちびっこピアノ教室の4年だけ。『全ての器楽奏者の為になるバッハ奏法』を活用する場面が無い。
 しかし前回のアカデミーと同様鑑賞者として非常に得るものが大きかった。聴きに行って良かった(高畑さんのヴァイオリンの音も聴けたので、二度おいしかった)。

 マスタークラスなどを聴講した場合は、その内容はむやみにネットなどに掲載しないことは不文律としてあるようだ。私もそのことはわきまえているつもりだが、そもそも技術的な内容は素人の私にはわからない部分も多いので詳しく書こうにも書けない(笑)、あくまでクラシック音楽の「鑑賞者」としての感想にとどまることをご留意いただきたい。

 まずは2曲とも一度通しでクロミツさんの演奏を聴く。いやいや、私からすると完全にバッハの音楽、幾何学的で折り目正しく。楽譜を見たことがない素人でも、的確なアーティキュレーションとアゴーギグを採って、テンポ設定も説得力がある。「これ、直すところある?」というのが正直な感想。

 まず高畑さんはクロミツさんが古楽器の奏法を研究されていることに触れた。なるほど、それで素人の耳にもバッハの音楽として入ってきたのか。

 それを踏まえて高畑さんからはアドバイスが矢のように次々に入る。

なかでもしきりに仰っていたのは
・数学的に音符通りに弾いては音楽にならない。
・自然法則や物理法則のように、自然とそこに収まるような音の流れがあり、それを楽譜から読み取っていく事が大事。

 ボールを投げて落とすと頂点で一瞬「間」があり、そこから速度を増していって地面に落ちる、
 あるいはバケツの水を流すとだんだんと勢いが加速しながら流れていく。音楽も同じだという。

 そして転調して和声が変わると人々が不安になったり哀しくなったりする、「この不安な状態を解決してほしい」と思う。そこに絶妙の間を入れることで、聴き手の注意を引き出し、「ここに行きたい」という指向性を意識させることができる。そのための奏法の工夫のようだ。

 高畑さんがかなりスローテンポで該当部分を演奏すると、まるでロマン派の音楽のように聴こえる。聴講生の心を見透かしたように、「大丈夫です、こういう風に弾いても、バッハの音楽は絶対にロマン派のブラームスのようにはならないから」と。

 ほかにもプロ同士ならではのかなり突っ込んだヴァイオリンの奏法についての指導もあった。

 前回、高畑さんのレクチャーコンサートの時に、フレージングの主要な要素である緊張と緩和の話をされていた。
 ひとまとまりのメロディー一つ一つに緊張と緩和の要素があり、目的音に向かって盛り上がっていく・・・

 今回は、一つの音の中にもそうした抑揚があるという説明。それを意識しながら演奏を組み立てるのは大変そうだ。


 逆に一回のボウイングで音を均一に出すテクニックも。弓を中間部で深く当て、ヴァイオリン本体も円弧のようにする。ヴァイオリンを固定して弓使いだけで音を出していると、弓の中間部で弱くなりがち。伸びやかさを出すには必要な技術とのこと。

 フラットな音を出すだけなのにこんな技術を使っているなんて、我々素人聴衆にはわからない。

 ほかにも
・次のフレーズへのつながり
・背後に隠されたリズムがある

 などなど、クロミツさんがそれらの要素を取り入れるべく、汗をかきながら必死に表現するが、かなり疲労の色が濃くなっていく。

 高畑さん曰く。
「聴いている人は心を鷲掴みにされて、気持ちよく聴いているが、演奏者はほとんど土木作業みたいなことをやっているんです」と。

 帰宅後、バッハのBWV1021の協奏曲を聴いてみた。色々な演奏家を聴いてみたが、グリュミオーやスターンは、まさに高畑さんの言う通りの演奏をしていた。現代の演奏家ではジャニーヌ・ヤンセン(福田廉之介さんのお師匠さん)も同様。ヒラリー・ハーンは少し違っているが、音楽の「ここに行きたい」を読み取った演奏になっている。

 クラシック音楽鑑賞という、かくも奥深い世界を趣味にしてしまった私自身にとっても面白い講義だった。

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岡山フィル第78回定期演奏会 指揮:秋山和慶 Vc:佐藤晴真 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第78回定期演奏会

ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲
シベリウス/交響曲 第2番ニ長調

指揮/秋山 和慶
チェロ/佐藤 晴真
コンサートマスター/藤原浜雄
2023年10月22日 岡山シンフォニーホール

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・今回、明らかになったこと。岡山フィルは再び好調期に入った。シェレンベルガー時代の2018年~19年ごろ、飛躍的に良くなっていた勢いがコロナ禍で気勢を削がれてしまっていた。秋山さんの就任で態勢を立て直し、ここへきて回を重ねるごとにアンサンブルが研ぎ澄まされ、音色は輝きを増している。

・会場は75%ぐらいの入り。悪くはないが、もう少し入って欲しいなという印象。もしかしたら去年までの15時開演の時のほうが入りが良かった気がするが・・・。

・編成は1stVn12-2ndVn10-Vc8-Va8 上手奥にCb6の2管編成。まず確認したのはティンパニとトランペットの席で、そこに特別首席の近藤さんと首席の小林さんの名前を見て期待が膨らむ。客演奏者はホルン首席に水無瀬さん(京響)、トロンボーンの伊藤雄太さんは日本フィル首席だそうだ、ファゴットの柿沼さんはシェレンベルガー時代にも何度か乗っていた方で今は千葉響在籍のようだ。チューバは大フィルの岩井さん。



シベリウス/交響曲第2番
・最初に後プロのシベリウスの感想を書くことをお許しいただきたい。今回のシベ2は私にとって岡山フィルの演奏のベスト3に入る演奏で、なかなか書く時間が取れない中、早くアウトプットしていまいたい(といいつつ11/4にようやく書き上げました)。

・聴いている最中「これがいつも聴いている岡山フィルなのか?」と信じられなくなるほど感動する瞬間があまたあったのだ。第2楽章から涙腺が崩壊しはじめ、第4楽章の有名な第1主題の繰り返し2回目の場面でハンカチ無しではいられない状態になってしまった。

・秋山さんのミュージックアドバイザー就任から一年半が経ったが、岡フィルメンバーに秋山さんの意図が浸透してきているのも大きい。去年の5月の秋山ミュージックアドヴァイザー就任披露公演(「火の鳥」)では、秋山さんのタクトの一挙手一投足に息を詰めて合わせるような窮屈さがあり、音楽の造形や流れの弱さに少々不満を持った。

・ところが今回の定期では秋山さんのタクトに深い呼吸と共鳴をもって反応し、音楽の流れが壮絶に力強くなった。全体の力強さだけでなく、細密画を描くような繊細で芸術的なタクトに柔軟に反応。ディテールの表現も見事で、この曲のキモの一つでもある弱音部(特に弦)での音色の変化に惚れ惚れした。

・この曲はシベリウスのシンフォニーの中でも、わかりやすいメロディのオンパレードで、それが人気の理由にもなっているが、秋山&岡山フィルの緻密な表現でわかりやすさの偽装が剥がされ、20世紀初頭に作曲されたこの曲もやはり現代音楽に片足を突っ込んだ複雑な曲であることがよく解った。

・個々の奏者では、まずは何といってもティンパニである。特別首席の近藤さんはご著書で、ティンパニストにとって最もやり甲斐のある作曲家としてブルックナーとシベリウスを挙げていて、トレモロの響きのパレットの多彩さについてページを割いて力説されている。まさにご著書で解説された通りの名人芸に酔いしれた。詳細は楽章ごとの感想にて。

・次にトランペット首席の小林さん、小林さんの元々の音色が、シベリウスのシンフォニーに要求される、澄んだ冷涼な空気を突き抜けるような抜けのいい音そのものだったこと、そして終始トランペットが出ずっぱり、しかも強奏から弱奏まで目立つ場面の連続になる曲なのだが、次々に訪れる場面の変化に最適な音色をチョイスできるパレットの多彩さや衰えないスタミナに、改めて凄いトランペッターだなと。もはやトランペットが体の一部になっている。

・岡山フィルの金看板のチェロ・コントラバス隊にも賛辞を。特に自然や内面の闘争を思わせる、第一楽章中間部や第二楽章、そして第四楽章はパワフルな金管陣やティンパニを向こうに回し、見事な瞬発力と厚みで大立ち回りを展開。


(11月4日追記)


・第一楽章はゆったりしたテンポ。私がシベリウス2番を直近で聞いたのがロウヴァリ&タンペレ・フィル。それは昨今流行りのラディカルな解釈と奇抜なアーティキュレーションを採用していたが、秋山さんはそうした演奏とは一線を画しており、私がこの曲に夢中になった70年~90年代の録音の延長にある解釈を取る。

・なんの気取りもないヴァイオリンの序奏、笑みを浮かべて左右に揺れながらタクトを振るう秋山さんに導かれ木管とホルンが4分の6拍子で自由に飛び跳ねるように歌い上げる。そこに弦のピチカートが華を添える。休符の「間」をじっくり取りながら、第一主題の登場。濁りのないヴァイオリンのユニゾン。シベリウスの世界が眼前に拡がる。もうこの時点で身体がゾクゾクするような感動を覚え、心がぎゅーっとなる。全曲を通して透明感のあるヴァイオリン・ヴィオラの音色が素晴らしかった。

・この曲はイタリア旅行の時に着想を得た曲なのだが、イタリアっぽさの全くない、フィンランドの冷涼な空気と雄大な自然を表すようなヴァイオリン、日本人の私達が見たことが無いような草花や鳥たちを表す木管、そこに角度の低い高緯度地域の日差しを表すようなトランペット。そしてそよ風からつむじ風、さらに淡い空の色や深い湖の色まで表現する多彩なティンパニのトレモロ。弦のピチカートはまるで湖を飛び立つ白鳥の羽音のよう、どこを切り取っても北欧・フィンランドの香りがする。

・私が思うに、第1楽章はそれ自体が完成された一つの交響詩なのだ。実際、シベリウスは作曲開始当初は他楽章交響詩として着想していたらしい。じっくりと間を置きながらオーボエ、フルート、ヴァイオリンらが散文詩を紡ぎ出すように饒舌に語る。

・展開部に入って徐々に雲行きが怪しくなる、デジャヴのようなものを感じたと思ったら、これは5月定期で聴いたベートーヴェンの田園の第4楽章のようだ。

・ティンパニが主導する嵐を、右手で繊細なタクトを振りつつ、握りしめた左拳(ひだりこぶし)をステージへ向けて突き上げながら傘寿を超えても鬼気迫る秋山さんのタクトに呼応する岡山フィル。主題が高らかに登場するとき、これ以上無いバランスで金管が素晴しいアンサンブルで自然賛歌を謳い上げる。

・全休符が多用されるこの曲、ホールの残響に響き渡るオーケストラのサウンドが本当に美しかった。その度に天井を見上げながら消えゆく美しい残響を満喫した。

・音楽も良かったが、奏者も深い呼吸を取りながら大きくスイングされていた。以前は大フィルや広響と比べると岡山フィルはスイングが少なく、それが岡山フィルのカラーかも、と思ったりしたが、秋山さんの呼吸に導かれて、今は大いにスイングするようになっている。

・第2楽章は急激なクレッシェンドとその先に頂点とするスフォルツァンド、この連続は何か尋常でないものを感じずには居られない。シベリウス自体は否定するけれど、ロシアの圧政と軍事的圧力に対するマグマの様な怒りを感じずには居られない。今このようなご時世だから尚のこと。

・それだけに中間部:アンダンテ・ソステヌートの穏やかな場面が、天から差し込む救済の光のように感じる。岡山フィルの弱音での処理が本当に素晴らしい。シベリウスは弦の響きに雑味や濁りがあったら興ざめになる場面が多いが、そういったことは全くない今の岡山フィルの弦が頼もしい。

・冒頭でも触れたとおり、この楽章の肝はティンパニとトランペット。近藤さんの決然と叩かれるティンパニは「音を出す指揮者」のようだ。トランペットのあえぎ叫ぶような音を強めに吹かせ、それを支えるトロンボーン・チェロ・バス・ティンパニが場面の深刻さに拍車をかける。

・第3楽章は35年前に秋山さんの指揮を見た時から全く変わらない、カミソリのような切れ味抜群のタクト。昨今の演奏はこれより速いテンポを取ることが多いが、ディテールをおろそかにしない、一音一音の粒が立ったヴィヴァーチェッシモはお見事。

・場面転換でじっくり間を置きながら、オーボエ・フルートに導かれる美しすぎるトリオは、そこから硬質マレットに持ち替えたティンパニが安らぎを突き破る。これって何かに似ているなと思ったが、あとでマーラーの復活の第五楽章にプロットが似ていると思った。

・2回目の美しすぎるトリオから一気に第4楽章へなだれ込んむ。この曲の中でしばしば見られる「繰り返し」の場面は、2回目に頂点を突き抜ける演奏設計にしている。第4楽章へ抜ける時間は、いやー、岡山シンフォニーホールに30年近く通い続けた自分が初めて聞くようなサウンド・・・それは言葉では言い表せない。無秩序であるが何かから「抜けた」感覚がするサウンド・・・まずここが圧巻。

・第4楽章でも、それは同様。この曲で一番有名なこの楽章の第1主題の繰り返し2回目へ向かう場面で益々秋山さんのタクトが冴えわたる。チューバら金管をホールを震撼させながら、急速にテンポを落とし、第1主題の場面へなだれ込む。あまりの巨大なエネルギーに「おいおいまだまだ先は長いのに、この先どうなるんや!」状態まで私は追い込まれている。頂点の場面では、音楽的に不自然にならない限界まで『溜め』を作り、そこから一気になだれ込むようなサウンドに身もだえするような感動が襲う。

・ピークを越えた後、第2主題に移る前の第1主題の変形の場面でのシベリウス独特のどこまでも澄み切った弦の音にますます磨きがかかる。ここでも間を存分に取り第2主題へ。

・ここからフィナーレまでは、巨匠の体が発するパワーに感化し、オーケストラが美しさを保ちながら徐々に徐々にラストへと盛り上がっていく。ティンパニのロールによるオスティナート、低音弦のピチカート、上昇下降を繰り返す木管。まだ余力があったのかと感嘆するしかない弦は物凄い倍音を響かせながら長い長いクレッシェンド。その密度の濃さにちょっと息苦しくなるほどだ。

・コーダに入った後は、特別な体験だった。満を持して登場したトランペットのファンファーレに涙が止まらん。ステージ全体に後光が差すような、聴き手も含め光に包まれるような感覚になった。

・こういう感覚になったことは過去にもある。それはマーラーの復活を聴いた時だった。大いなる、何か、の光に包まれるような体験。まさかまさかシベリウスのシンフォニーでそれが降りてくるとは・・・巨匠:秋山さん、恐るべしである。

・シベリウスは最愛の娘を失って、その状態を心配したパトロンの支援の下、家族と一緒にイタリアに向かった。しかしその滞在中も失踪するなど精神が不安定な状態が続いたという…。この日の秋山&岡フィルで見た光はシベリウスが苦悩の先に見えた光そのものだったのだろうか?


ウェーバー/「魔弾の射手」序曲
・さて、仕切り直して一曲目の感想。ホルンが不安定だったものの、瑞々しくも丁寧な演奏は、この日の演奏の成功への期待を抱かせるものだった。

ドヴォルザーク/チェロ協奏曲
・一ヶ月前の日本センチュリー交響楽団福山公演でも佐藤晴真さんのソロで同曲を聴いている。せっかくなので両コンサートの比較を交えながらの感想を。

・センチュリー響が高性能オケとしてのハイレベルな機能美を打ち出した演奏なら、岡山フィルはこれぞ「王道」というに相応しい堂々たる演奏。まずオーケストラが緊張感を孕みながら、じっくりとしたテンポを取りつつ重厚に奏で、満を持してソリストの登場を待つ。

・佐藤さんのソロもまさに王者の風格。センチュリー響との共演では、旅立ちを前にした若者の無垢な心情を表したような爽やかな演奏に感じ入ったが、それとはまた違う、特に第2楽章での巨匠の風格漂うソロに酔いしれた。

・印象的だったのは西崎首席のクラリネット。冒頭からしてクラリネットで始まるこの曲に活躍箇所は多いが、力強さと繊細さを使い分け、ドヴォルザークの印象的なフレーズを一層際立たせていた。

・第三楽章での佐藤さんとコンマス:浜雄さんが絡む箇所も素晴らしく、その後に続く美メロディのオンパレードもまさに王道、素晴らしかった。

・改めて感じ入ったのは秋山さんのタクト。この曲をこれほど重厚かつ繊細かつロマン的に響かせる指揮は他では聴けないだろう。全てのフレーズに表情があって輝いている。おそらく時間が少ないはずのコンチェルトのオーケストラパートをここまで作り込めるな、と。

・アンコールはカタルーニャ民謡(カザルス編)/鳥の歌。先月のセンチュリー響福山公演と同じ曲

・コンサートから帰ってきて、チケットをファイリングする際、ふとこの日のコンサートのチラシを見てみると、ドヴォルザークがこれでもか!と言うぐらいアピールしていたのに対し、シベリウスの名前は最低限の情報しか載っていない(笑)

・岡山では一般的には「シベリウスって誰??」状態なんやろうなあと。東京・関西などの大都市や山形・金沢・高崎のようなオーケストラ文化が根付いた都市ならばシベリウス2番は「ド名曲プログラム」だが、岡山はまだまだそこまで行っていない。今回も含め最近のクオリティと感銘度の高い演奏を続けて行けば、少しづつレパートリーの拡大が受け入れられていくと思う。

・秋山さんのもとで岡山フィルはもっと凄いオーケストラになる、そう確信した時間だった。それだけにこんな素晴らしい世界が体験できるコンサートにもっと足を運んでほしいと思う。特に学生さん、この演奏が1000円で聴けるなんて本当に羨ましい。私が学生席に座っていたころの岡山フィルはまだまだ手探り状態だったもの。

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読売日本交響楽団 倉敷市特別演奏会 指揮:藤岡幸夫 Pf:清塚信也 [コンサート感想]

オーケストラキャラバン 読売日本交響楽団 倉敷市特別演奏会

藤岡&清塚のトーク(ピアノ演奏付き)
グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
チャイコフスキー/交響曲第4番 ヘ短調 作品36

指揮:藤岡幸夫
ピアノ独奏:清塚信也
コンサートマスター:長原幸太
2023年10月3日 倉敷市民会館

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・コンサート当日から3週間も経ってしまったが、詳しい感想を更新。当記事のアクセス数が普段の当ブログの5倍以上(普段400→当記事2000!)になっており、改めて清塚さんの影響力を実感。

・火曜日の夜公演なのに満席に近い入り(9割ぐらい?)。清塚さんの追っかけの方々も居られるようだったが、大部分は地元のファンが多かったのでは?清塚さん&藤岡さんの集客力をまざまざと見せつけると同時に、「くらしきコンサート」解散後も旺盛な倉敷市民のコンサート需要を感じさせた。

・編成は1stVn14→2ndVn12→Vc8→Va10、上手奥にCb6の2管編成。普段聴いている岡山フィルは10型か12型だから、久しぶりに聴くフル編成の弦五部の音の渦に溺れた。

・1曲目は序曲・前奏曲、の代わりとして、清塚さんと藤岡さんのトークで幕を開けた。チラシに記載された

『藤岡&清塚のトーク(ピアノ演奏付き)~会場を爆笑の渦に!お楽しみに』

の表記に違わない爆笑トーク(笑)どうやらこのチラシの宣伝文句は藤岡さんと清塚さんが気づいた時にはこうなっていたそうだが(笑)


・藤岡さんやお客さんと掛け合いをしたりしながら、会場の空気がどんどん温まっていく。あの藤岡さんが清塚さんのトーク力に圧倒されていましたからね(笑)途中から遅れて入ってきたお客さんを、「あっ、ゆっくり入ってくださいね~、安心してください、まだ1音も演奏されていませんから!」といじるなど、ご高齢のお客さんが慌てて入ってこないような優しさも感じられて、こういうところで人気が出るんだろうなと感じた。

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・で、チラシの(ピアノ演奏付き)は、ショパンの名フレーズをジャズ風にアレンジしたものだったのだが、軽妙でニュアンスたっぷりで、これが凄くよかった。ノクターン2番から始まり、途中、別れの曲を演奏していると思ったらいつの間にか大きな古時計に変わっていたり(この2曲、よく似ているんですね)最後は英雄ポロネーズ。

グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調
・ええ感じに暖まった会場に鳴り響いたグリーグのあの音型。清塚さんの生演奏は初めて聞いたが、強靭な音にまず驚く。それもダンパーペダルを作用をあまり使わずに、である。あの巨大なフェスティバルホールでもリサイタルされるのだから、倉敷市民会館ぐらいの空間は余裕を持って響かせる感じ。それに加えて粒立ちの良い音、ペダルを繊細に使って音の輪郭を明瞭に響かせているのが印象的。トークで「この曲って、バラエティとかで『やっちまったー』っていう時に使われたりするんだけれど、北欧の凍てつく空気・雄大な自然を表しているんです」との言葉通り、スケールの大きな風景を現出させていた。

・何よりも、藤岡さん&読響と清塚さんが盛んにアイコンタクトをはじめ、コミュニケーションを取っている。
カデンツァでは圧倒的な存在感を示しつつも、協奏する場面では、一緒に音楽しよう!と言わんばかりに密にコミュニケーションを取って、音楽を創っていく・・・例えばオーケストラの奏者が見事なソロを披露すると、そこに自己主張を控えめにしたピアノが寄り添っていったり・・・ソリストにオケが「合わせる」タイプの協奏曲とは全く違うものが出来上がっていき、「この部分いいよね」「こういうのどう?」「いいね!ここは心震えるよね」といったかんっじで、情感や情景を舞台上の全員が共感し合いながら音楽に載せて聴衆を陶酔に導いていた。

・コンチェルトが終わった後の読響の楽員さんが満たされた表情をしていたのが印象的、オーケストラを従える孤高のソリストの魅力も抗えないものがあるが、清塚さんのようなタイプのソリストは少ない、第3楽章なんてソリストもオケもどんどんノリが過熱していって、この曲の新たな魅力を発見した思い。

・休憩時間中に素敵女子に声をかけられて、ドギマギしていると、大学時代の友人だった。中学生のお嬢さんが清塚さんのファンとのこと。清塚さんがステージから去るとき、熱烈に手を振ってるおっさんがおるなあ、と思っていたら「あれはヒロノミンじゃが!」と気づいたようで・・・いやいやお恥ずかしい。

・一点、大事なことを書き残して置きたい。この協奏曲や後半のチャイコフスキー4番でも楽章間の拍手が起きた。その際、藤岡さんが客席側を少し振り返ってお礼の会釈をされたあと、オーケストラに向かって笑顔で頷いて楽団員も表情が少し笑顔になったように見えた。藤岡さんは楽章間の拍手は「クラシックになじみのない人が来ているサイン」と感じており、うれしくなると同時に気合も入るようだ。


チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調
・読響のアンサンブルが凄すぎて・・・。この曲なんて、目を瞑っていても演奏できる曲だろうが、ルーティン感を全く感じさせない、鉄壁のアンサンブルを聴かせてくれた。

・例えば最終楽章ラストの大爆音乱痴気騒ぎに見える場面で鬼のように明確なアクセントが入ってて戦慄!!。第1楽章での強奏部分では弦の音がうねりにうねって、広大な倉敷市民会館の空間をぎっしりと満たす感じ。全てにおいて神経が行き届いていて、それは統率された凄さではなく、個々の音楽を創造する能力が桁違いなのだと実感する。

・管セクションと弦セクション間の音の溶け合い方も見事で、第2楽章のゆったりとしたフレーズでは、まるでブルックナーのシンフォニーのような響きを感じた。

・あまり意味のない比較とは分かりつつも、演奏の迫力・音圧という面では同じホールで聴いた新日本フィルやNHK交響楽団を凌駕していたのではないか?海外の一流オーケストラのような椅子に押しけられるような圧倒的な音圧を感じた。

・藤岡さんのチャイコ4番は3回目だと思うけど、聴くたびに陰影が深くなる。帰りの車のカーステレオは何もかけずに無音で余韻を楽しんだ。

・読響のハイレベルな熱演に対して、久しぶりにこのホールで聞いたブラボーと嵐。読響団員さんが全員履けるまで熱烈な拍手。「くらしきコンサート」が帰って来たって感じがしたなぁ。倉敷の聴衆は熱い!

・余談というか覚書。藤岡さんがプレトークで岡山の縁について語った時に、「倉敷の北のほうに津山というホントに美しい街があるんだけれども、祖先に箕作阮甫っていう蘭学者がいて・・・母方のご先祖様なんですよ」と、いきなり岡山が産んだ幕末明治の知の巨人の名前が出てきてびっくりした。津山って秋山和慶さんの母方のルーツでもあるようだし、いやはや凄い街ですね。

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民音名曲コンサート 岡山フィル 指揮:太田弦 Vn:黒川侑 [コンサート感想]

民音クラシック名曲コンサート ベートーヴェン&メンデルスゾーン 珠玉の響き

メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」Op.26
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
ベートーヴェン/交響曲 第7番 イ長調 Op.92

指揮:太田 弦
ヴァイオリン独奏/黒川 侑
管弦楽:岡山フィルハーモニック管弦楽団
コンサートマスター:福田悠一郎


2023年10月1日 岡山シンフォニーホール大ホール

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・民音主催とあって安定した集客が見られ、客席は7割ぐらいの入り。定期演奏会とは明らかに客層が違い、中高年の女性のグループが多い印象。

・編成は1stVn10-2ndVn8-Vc6-Va6 上手奥にCb4の2管編成。客演奏者はホルン首席に柿本さん(京響)、クラリネット首席に高尾さん(広響、以前は岡山フィルに頻繁に乗ってらっしゃった)、他にもセカンド首席とヴィオラ首席も客演の方。

・コンサートマスターは福田悠一郎さん。私は別の方と見間違えてしまい、twitterに投稿してしまった。コロナ禍でシェレンベルガーさんも高畑さんも来日出来ない時期にコンマスとして何度も記憶に残る演奏を披露してくれた方(ホンマ恩知らずですみません)。



メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」
・「音の風景画家」メンデルスゾーンの音楽に花を添える木管、弦楽器群の音も素晴らしい。序曲からこのクオリティでの演奏は、やはり岡山フィルの演奏は誠実だ。



メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調
・このコンサートのチケットを買った時の最大のお目当ては、黒川侑さんのメンデスルゾーンの協奏曲だ。今年の3月定期で演奏されたベートーヴェンの協奏曲が素晴らしすぎて・・・・。彼の音は特別なんですよね。まろやかで温かくて、琥珀の輝きがあって、そして芯が強い。

・メンデルスゾーンの協奏曲は、チャイコフスキーやパガニーニのような特別なヴィルトゥオージティが必要な曲には見えない(適切な音程を取るのはプロでも難しい・・・とは聞くけれど)、その分ソリストの「音色・質感」そのものがさらけ出される曲のように思う。

・第一音が響いた瞬間から「これこれ、メンコンはこれやわー」という説得力のある音色・表現。彼のヴァイオリンの音は、色んな意味で「格別」なんです。聴いていて「幸せだな~」「いつまでも聞いていたいな~」と感じさせられる。

・特に第2楽章は夢のような時間だった。彼にしか出せない音、その音が作り出す世界は輝きに満ちていた。そして彼のソロに付ける岡山フィルの弱音も素晴らしい。本当に弱音時の弦のアンサンブルが良くなったと思う。

・黒川さんの理想のヴァイオリニストはグリュミオーだそうだ。工藤・小栗門下からウィーンとブリュッセルで研鑽を積み、エコール・ノルマルで学んだ経歴を見ると、おそらく10代のころから彼の理想の音が明確にあって、周囲が超絶技巧の習得に躍起になるのを横目に、理想の音の体得に邁進されていたのではないだろうか。こんな音を持っている奏者は、中堅・若手どころでは彼ぐらいしか思い浮かばない(僕の中では実はもう一人いるけれど、彼女はジストニアのため、恐らく当分は聴くことは叶わない・・・)。

・いや、黒川さんは超絶技巧も超一流なのだ。それは京響とのプロコフィエフの録音を聴けば明らか。でも、彼は超絶技巧を魅せることに重きを置いていない感じがするんだよな(違っていたらごめんなさい)。人の心の琴線に触れる音楽を追い求めている感じ。

・アンコールはJ.S.バッハの無伴奏ソナタ1番のシチリアーナ。




ベートーヴェン/交響曲 第7番 イ長調
・実は、この曲に関してはさほど期待していなかった。というのも、去年の7月定期(ドヴォルザークの8番)で太田さんの指揮を聴いて、内声の見通しの良いサウンドを纏める指揮巧者との印象の一方で、なんというか引っ掛かりが無い、物足りなかったなあ、というネガティブな印象があったからだ。



・ところが、あーた!君子豹変とはこのことかと思うほど、個性的な指揮を見せてくれた。強烈なリズムと、深い叙情性あふれるベト7。さすがに30歳という若さで九州交響楽団の常任指揮者に指名された才能だなと感じさせるに十分だった。指揮の太田さんは勿論、コンマスの福田悠一郎さんも全身を使ってのリードが冴え渡っていた。



・岡山フィルのテンションも、ほとんどガチンコの定期演奏会のような熱演だったことにも感動。今回のコンサートは民音が主催してチケットを売り、岡山フィルは一定の金額のギャラを受け取るという、いわゆるお座敷の名曲コンサート。これまで岡山で開催される民音のコンサートは広島交響楽団が取っていたが、今回は初めて岡山フィルが取れた。今後のことを考えると、1,2年に一回は確実に開催されるこのコンサートの出演権を取ることは非常に重要で、楽団員の気合が入っていたのかもしれない。




・個々の奏者では第1楽章第一主題からフルートの畠山さんが華のある音を見せつけ、ティンパニの近藤さんの一貫した確信の叩きには痺れた。フルート以外の木簡も第2楽章での哀愁あふれる音、そして弦楽器は弱音の表現が磨きがかかっていた。



・岡山フィルはシェレンベルガー時代にも7番を取り上げていたが、仕事の都合で行けなかった。その私の中でのミッシングリンクを繋ぎ合わせるような演奏。これは忘れられない。

・アンコールはシューベルトのロザムンデの第三幕間奏曲。これってコロナ禍でコンサートが半年以上中止になってから再開後初の定期で演奏された曲よなあ。その時の指揮者は熊倉優さんだったから、単なる偶然かもしれないけど、あのしんどい頃に光明を指してくれた曲ということで、グッとくるものがあった。



・近席の中高年女性グループの方々が「岡山フィルって岡山の人たち?」「すごい演奏じゃったわー」「なんか汗かいたわ」と口々に絶賛されていたのが印象的。楽章間の拍手も起こっていて、普段コンサートに来ない客層に対して充分なアピールができたんじゃないだろうか?

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Alto de Campagne ヴィオラ・カルテット・コンサート [コンサート感想]

岡山大学Jホール レインボーコンサート Vol.76

Alto de Campagne ヴィオラ・カルテット・コンサート

オッフェンバック(中村翔太郎 編)/喜歌劇「天国と地獄」よりカンカン
J.S.バッハ(マーティン編)/4つのヴィオラのためのブランデンブルグ協奏曲第6番
モーツァルト(對馬時男 編)/歌劇「魔笛」より
ブルッフ(中村翔太郎 編)/4つのヴィオラのためのロマンス
松崎国生/ゔゐおら燃ゆる

2023年9月29日 岡山大学Jホール

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・鳥取・笠岡・赤穂・三田という西日本の田舎町(Campagne)出身のヴィオラ奏者4人のカルテット「Alto de Campagne」。20分ほど遅刻してしまい。初めの2曲は聞き逃したが、今回もヴィオラの音色を存分に堪能。翔太郎さん編曲のブルッフのロマンスが超絶名曲。日本人の祭りの心を表したような松崎国生/ゔゐおら燃ゆる も良かった。

・私は弦の音が本当に好きで、なかでもヴィオラが一番好き。オーケストラ・コンサートの座席選びは、ヴィオラの音が良く飛んてくる席を選んでいるくらい。

・オーケストラの世界には「ヴィオラ・ジョーク」というものがあり、
「新しく買ったヴァイオリン、盗まれたりしたらどうしよう・・・」
「いい方法があるぜ、ヴィオラのケースに入れておけば誰も盗まないよ」
みたいな自虐ジョークがあるようだ(岡山フィル・ヴィオラ奏者のSさんがゲラゲラ笑いながらラジオで紹介されていたww)。ヴィオラ奏者はヴァイオリンからの転向組が多いらしい。ヴィオラの音色やアンサンブルの核となって内声を担っていく醍醐味・面白さに惹かれて敢えて選択した人が多いようだ。

・実際、何度かこのカルテットの演奏を聴いていると、本当に魅力のある楽器だと思う。4人ともヴィオラの音やヴィオラの可能性に惚れ込んでいるのがよく分かる。

・客席は洋乃理さんも仰っていたように「久々に見た1席飛ばしのソーシャル・ディスタンス」だった。もともと300人ぐらい入るホールだが、完全事前予約制で100人ぐらいに絞られていた。大学病院敷地内にあるホールには入院もしくは通院患者さんと思しき方々も見えられていて、医療機関はまだまだ厳戒態勢が解かれていないと感じる。そんな中でコンサートを再開したのは英断だっただろう。

・魔笛は、有名な序曲に始まって、夜の女王のアリアを始めとした名シーンのハイライトだった。編曲紗の對馬時生さんはこのカルテットの専属作曲家のような存在で、4人の実力やキャラクターに精通しているこらこその技巧や即興性の高い編曲になっていた。この曲は翔太郎さんが1st。

・ブルッフのロマンスは棚橋さんが1st。説明ではブルッフは当時はブラームスよりも人気があったとのこと。とてもロマンチックな曲調。アルカンのメンバーのヴィオラのサイズが結構違ってて、洋乃理さんが一番大きく、翔太郎さんが一番小さい。それもあるのか4人それぞれに音が違ってて、豊かな倍音が重なり合うから、弦好きにはたまらない響きになる。

・最後の松崎国生/ゔゐおら燃ゆるは、まさに4人の音楽性がぼうぼうと炎を立てて燃えるような演奏。ハンガリー舞曲ならぬ、日本民族舞曲といった曲調で、とても盛り上がった。

・洋乃理さんがヴィオラ用の曲が少ないので、作曲してもらったり編曲したりしながらレパートリーを ある種のフロンティアを開拓する自由を感じておられるのでは?

・ヴィオラって音域はヴァイオリンやチェロよりも狭いはずだけど、まったくそれを感じさせない編曲とアンサンブル、かつ、まろやかかつ太い響きを存分に堪能した。

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日本センチュリー交響楽団福山公演 指揮:飯森範親 Vc:佐藤晴真 [コンサート感想]

オーケストラキャラバン
日本センチュリー交響楽団福山公演

指揮:飯森範親
チェロ独奏:佐藤晴真
コンサートマスター:松浦奈々

ドヴォルザーク/チェロ協奏曲ロ短調
シベリウス/カレリア組曲
  〃  /交響曲 第7番 ハ長調
  〃  /交響詩「フィンランディア」

2023年9月18日 福山リーデンローズ大ホール

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・何と言っても念願かなって聴くことができたシベリウスの7番!東瀬戸内市地域では、まずお目にかかれないプログラムで、秋山&広響がシベリウスチクルスをしたときがチャンスだったが、3,5番は聴けたが7番は予定が合わず・・・。そこにオーケストラキャラバン事業で降って湧いたようなチャンスが到来。

・客席は3階席閉鎖で、2階席も人はまばら、1階席も後ろ半分は空席が目立つ感じで、35%(700名)ぐらいの入りか、と思っていたら、中国新聞の記事で600人と判明。事前に指揮の飯森さんの動画で情報発信していたり、昨年に同ホールのリサイタル・シリーズに招聘した佐藤晴真さんを起用するなど、努力は垣間見えるが、根本的なところに問題があると思う。それは最後に触れる。

・諸事情があり(これについても記事の最後に述べる)前売り券を買わずに当日券を購入したのだが、ステージ至近距離は佐藤晴真めあてのお客さんで埋まっていたほかは、まさに良席選び放題の状態。空席が多いときのリーデンローズは、典型的な「風呂場音響」になるので、天井桟敷族の私ではあるが、ステージに近い直接音が降り注ぐ2階サイドの席にする。

・このリーデンローズは、クリスティアン・ツィメルマンとグラモフォンのスタッフがたいそう気に入り、シマノフスキ作品集のレコーディングを行った「名ホール」として名を轟かせつつあるが、ピアノ演奏は良いとしても、オーケストラだと客席が大方埋まらないと残響が豊富すぎて各楽器の音の分離が甘いと感じるのだ。

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・編成は1stVn10-2ndVn8-Vc5-Va6、下手にCb5の10型変則2管編成。2018年6月以来のセンチュリー響だったが主要メンバーはほぼ残っており、耳に馴染んだセンチュリーのサウンドを堪能した。その一方でObに大森さん(大フィル)、チェロ首席に金子鈴太郎さんなどの助っ人を入れていた。そうそう、3番トランペットには岡山フィルの横田さんのお顔も。

・さて、演奏順不同になるが、まずは念願かなったシベリウス/交響曲第7番の感想から。「滋味深い」「枯淡の境地」・・・この曲に対する私のイメージを吹き飛ばすようなセンチュリーの快演だった。

・こんなにスケールが大きい曲だったのか!というのが第一印象。他にも、「こんなリズムが内在する曲やったんや」「脈絡なく鳴っているように思っていた場面も、はっきりと美しい和声が聴こえてくるやん」「ここでこんな響きになるんや!」などなど、発見の連続だったのだ!やっぱり、生で、いい演奏で聴かなきゃわからんもんです。

・この曲、この日の4日後の第275回定期演奏会で取り上げる曲なんですよね。本拠地の定期演奏会と同一曲目を持ってきた飯森さん、センチュリー響の決断に感謝してもしきれない。

・コロナ前はハイドンマラソンにも通って、このオケの超高機能アンサンブルを体験した者とすれば、アンサンブルの精度、という点ではたぶん定期演奏会ではもっと完成度を上げていくんだろうな?という感じはあった。しかし、オケのハーモニー、音のテクスチャの心地良いこと心地良いこと!このオケは、音色に徹底的にこだわってるよなあ。強奏する場面でも音が濁ったりベチャッとなったり絶対にしない。ホントに素晴らしい時間だった。

・さて前半のドヴォルザークのチェロ協奏曲。ソリストは佐藤晴真さん。実は曲目とソリストは岡山フィルの10月定期ともろ被りで、指揮も秋山さんの教え子でもある飯森さんという、『聴き比べ』の興味も尽きない組み合わせである。

・佐藤さんは、福田廉之介くんの主宰する「THE MOST」の初期メンバー。ドヴォルザークの「森の静けさ」のソロを聴いて、その理屈なしに魅力的な美音に惚れた。

・なんでこんなに切ないほど美しい音が奏でられるのか。涙腺緩みっぱなし。ソロに付けるセンチュリーのオケパートも唖然とする巧さが。コンマス松浦さんとの二重奏も最高でした。佐藤さんはホームページを拝見すると、今年の10月だけで7回もコンサートが組まれている。どこもかしこも引っ張りだこである。

・第1、第3楽章も魅力的なメロディーが洪水のように聴き手を魅了するのだが、私はこの曲のキモは、第2楽章をどのように「語る」かにあると思っている。チェリストとオケによって、人生を振り返る老人の風格であったり、叶わぬ恋の切なさであったり・・・、さて、佐藤さんとセンチュリーの共演は、「若者の旅立ち」という言葉が似合うような演奏だたように思う。大きな旅に出る前でもいし、就職・進学でもいいだろう。純白の未来に向かって大きな希望と不安を抱えながら出発する若者の爽やかさや、それを見守る親の安堵や寂しさ、色んな感情がないまぜになるような、表現だった。

・アンコールはカタルーニャ民謡(カザルス編曲)の「鳥の歌」。超絶技巧のハーモニクスにも耳を奪われるが、やはり彼の美音に魅了される時間。

・後半の1曲目はカレリア組曲。シンコペーションがキモになっている曲だが、軽快に颯爽とした演奏。文句なしにかっこいい。日本のオケだと「ズンチャッズンチャッ」とズンドコ節になりがちな曲なのだが、流石、センスの塊の飯森さんとセンチュリーのリズム感が素晴らしい。リーデンローズの空間を響かせるツボみたいなもの得たようで、かるーく弾いてるようでいて誠に力強い演奏。

・シベリウス7番のあと、最後はフィンランディアで締める。本来であればシベリウス7番で終わって、フィンランディアはプログラムに載せずに、ゲネ1回通してぶっつけ本番アンコール!なノリでやるのだろうが、きちんと仕上げて披露するのがセンチュリーらしい。冒頭から金管をブリブリに鳴らし、10型とは思えない弦の芳醇な音。「スオミの歌」の部分の木管も素晴らしい、クラリネット持丸さんやフルート永江さんの「ザ・センチュリー」といえる気品ある音と、かなり厚めに鳴らす大フィル大森さんの音が意外に相性が良く、聞き惚れる。大団円の集結でお開き。



最後に少しリーデンローズへの 愚痴 提言


・冒頭に書いた通り、ホールの色々な販促にも関わらず、客席の入りは低調だった。だが販促・宣伝の前にやることがあるだろう、というのが僕の意見。


・岡山県在住者を主要ターゲットに、ネットチケットの充実など遠方からの「チケットを買いやすくする」という基本中のキホンが出来ていないのてある。


・今どきホール独自のネットチケットも無く、ぴあやローチケで買おうと思っても座席指定で買えないんですよ。プレイガイドは福山市内と広島市にしか無いから、こんなに近くて便利なのに岡山県在住者は本当にチケットが買いにくい。ってことで私も早々に当日券で行くことにしてました。

・これって結構機会損失だと思うんですよ。前売りで買っていないと、当日の欠席率は高くなる。まだまだ外も暑いし、他の用事も済ませたいし、福山までの快速サンライナーがコロナを機に廃止されて各駅停車しかないし、もう行くのやーめた。と直前まで思っていました。シベリウス7番が僕の重い腰を上げるキッカケだった。

・岡山シンフォニーホールも2000年代頃は集客が低迷していたが、岡山フィルの楽団改革と、ネットチケットの導入などのホールの営業改革で、かなり集客は伸びた。今は福山・備後だけでなく、四国からも結構集客してますよ。福山市も岡山市と同様に、市内の需要だけではホールを満席にはできない。ホール事務局さん、よーくお考えを。


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・新幹線ホームから見た、令和の大改修を経た福山城。各停があまりにまどろっこしいので、帰りは新幹線にしたのだが、3連休最終盤の上りだったため、えらい混雑でした。センチュリーの楽員さんも乗られてて、ホントお疲れ様でした。

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