「江戸の奇跡 明治の輝き 日本絵画の200年」展 岡山県立美術館 [展覧会・ミュージアム]
近年、伊藤若冲や曽我蕭白ら奇想の画家たちを紹介する展覧会が続けて開催されるなど、注目を集める江戸絵画。いっぽうで、明治150年の節目にあたる2018年には、江戸時代に次ぐ明治時代を様々な角度で照射し、日本の近代化を歩みが振り返られた。
さかのぼること江戸時代では数多の流派が起こり、いまに伝わる傑作が生み出されたが、多くは前時代の作品や、中国・西洋からの舶載画を学習なくしては成り立たなかった。そして横山大観や菱田春草ら明治時代の日本画家たちも同様に、江戸時代の基礎を引き継ぎ、そこから革新へと踏み出すに至った。
本展は、前後時代にあたる江戸・明治の日本絵画に焦点を当てるもの。円山応挙、伊藤若冲、曾我蕭白、横山大観、菱田春草、竹内栖鳳らによる逸品約180件をを揃え、両時代の絵画史をたどる。
◯紫陽花白鶏図/伊藤若沖 18世紀 個人蔵
いかにも若冲の作品、との印象を持ったが、個人蔵の作品ということもあるのか、展覧会で見られるのは貴重らしい。大胆な構図と上品な色遣い。特に鶏の白色が強烈な輝きを放っている。ゴッホの白色にも負けていない印象の深さを与えてくれる。
◯白狐図/丸山応挙 安永8年(1779年)個人蔵
印象深い白の世界では応挙も負けていない。くすんだ白の世界に佇む、今にも動き出しそうな狐の存在感に見入ってしまった。
◯富士越鶴図/長澤芦雪 寛政6年(1794年) 個人蔵
僕が芦雪の名を知ったのは「なんでも鑑定団」だっただろうか。大部分が偽物、というオチが付くのだが、大胆な作品が多く、贋作作家の心もくすぐるのかもしれない。
この「富士越鶴図」は今回の展覧会で最も印象に残った作品。須弥山のようにそそり立つ富士山(写実的にはありえない角度)の奥から飛来する鶴の隊列。圧倒的なスケールの世界に何度も戻っては見入ってしまった作品。
◯鈴木其一/草花図屏風 弘化元年(1844年)頃 個人蔵
絵画としても魅力もさることながら、「デザイン」としても完璧にかっこいい。
◯椿椿山/鶏捕無実図 天保9年(1838年) 個人蔵
〃 /花籠図 江戸後期(19世紀) 栃木県立美術館
美術史に疎い私は椿椿山(つばきちんざん)の読み方すら知らなかったのだが、これほど写実的な絵を描く人が江戸時代に居たんだ、という驚きがあった。渡辺崋山のお弟子さんらしい。
◯今村紫紅/近江八景 大正元年(1912年) 東京国立博物館 国指定重要文化財
中国の瀟湘八景を模して、琵琶湖の風景を書いたそうだが、壮大なスケールと緻密さが同居していて、絵の中に惹き込まれるような磁力があった作品。後期に足を運ぶことができず、8枚1セットのうちの4枚しか見られなかったが、それでも印象に残った。
ポーラ美術館コレクション 岡山県立美術館(2回目の訪問) [展覧会・ミュージアム]
プラド美術館展 ~ベラスケスと絵画の栄光~ 兵庫県立美術館 [展覧会・ミュージアム]
ポーラ美術館コレクション モネ、ルノワールからピカソまで 岡山県立美術館 [展覧会・ミュージアム]
岡山県立美術館開館30周年記念展『県美コネクション』 [展覧会・ミュージアム]
京都国立博物館 特別展「国宝」第Ⅳ期 [展覧会・ミュージアム]
※このブログでは上京=京都へ上る、在京=京都にある、という意味で使っています。東京へ行くときは「東上」、東京にある、という意味では「在東京」という表現。偏屈なこだわりです。
一度に国宝が見られる、といってもご本尊の仏像だったり寺宝だったり、そのミュージアム随一の至宝だったりするわけで、長期の貸し出しが不可能な国宝も多く、モノによって会期中に入れ替わりがある。私は第Ⅳ期にしか行けませんでしたが、第Ⅰ期は雪舟の国宝水墨画6点が一堂に会し、第Ⅱ期は曜変天目茶碗、第Ⅲ期は「漢委奴国王」の金印とというように、その時期にしか見られない「目玉展示」があり、地元の人は4回も足を運ぶことになったのではなだろうか。
一方で、ことごとく展示室が箱状になっていて、鑑賞者は「コ」の字型に回らざるを得ず、角の部分で人間が滞留し、常に「最前列の方は止まらずに鑑賞してください」というアナウンスが聞かれた。新しい施設の割に導線については大きな課題があるように感じた。
1階から上階へ向けてみて回ったのだが、最初に金剛寺の「大日如来座像」と「不動明王座像」の巨大ご本尊2体が圧倒的存在感で迎えてくれる。期せずして私も相方も「なんか、かわいいな」とつぶやいてしまったのが「不動明王像」。近寄り難しいと思っていた不動明王が、絶妙の愛嬌を湛えながら心の中に入ってくる。我々を救ってくれるという確信が芽生えてくるその造形に魅了される。
次は一気に3階へ。この日、一番時間をかけて鑑賞したのが考古遺物のスペース。深鉢型土器、いわゆる火焔土器はNo.6が第Ⅳ期に登場。彫りの深い造形は縄文時代の日本独特のもので、大陸からの影響も希薄で。恐らくこれを作った集団のトーテムとされていたであろう、ニワトリの造形は、写真で見るものとは全く印象が違った。これほどの造形を縄文時代に施した、その技術たるや凄いものがある。
縄文式土器や火焔型土器のなかには、バランスや造形の美しさを欠くものも出土しており、このNo.6を作った陶工は、100年に一度の天才だったのではないだろうか?現代にまで完全にその姿を留める焼成技術も高かったのだろう。興奮で15分ぐらいはこの場に居ついてしまった。
他にも縄文のビーナス、仮面の女神という土偶2点にも目が釘づけに。おりしも我が国は少子化真っ只中。子供を産み育てる母体や母性に対する尊崇の念が数千年の時を時を超えて伝わってきて、現代人の我々の心をも動かす。
桜が丘遺跡(神戸)の銅鐸はこれまで何度も鑑賞してきたが、照明の加減でこれほど文様や図柄が見えたことはなく、じっくりと拝見した。ちなみに出土地点の桜が丘は灘区の六甲病院や親和高校の近くの住宅地。高校時代にその地に行ってみたこともある。大阪湾を見渡す風光明媚な土地だ。
加茂岩倉や荒神谷などの古代出雲の金属器なども展示されていたが、これは何百器という金属器とともに展示されている古代出雲歴史博物館での鑑賞の方が面白かった。
古代オリエント 『カミとヒトのものがたり』 岡山市立オリエント美術館 [展覧会・ミュージアム]
美術館ホームページから
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科学が発達する以前、人びとは世界のはじまりや成り立ちを理解するために神々の存在に思い至り、神々と人間が織りなす物語によって説明しようとしてきました。これを私たちは神話と呼んでいます。現代にまで伝わる古代神話は今でも魅力的です。実際、私たちが親しんでいる現代の小説や映画などにも古代神話とよく似たストーリーのものも多く見られます。古代世界においても現代社会においても神話や物語は、エンターテインメントでもあり、社会的知識や道徳を共有するためのものでもあったと考えることもできます。
本展では、ギリシア・ローマからエジプト、メソポタミア、インド、中国、日本にまで至る広大なオリエント世界の神話や物語を、そこに登場する神々や物語の一場面を表現した工芸作品などを展観しながら紹介します。物語を楽しみながら、私たちの暮らしや社会における神話の意味・役割についても改めて考えてみたいと思います。
傑作浮世絵揃い踏み ―平木コレクション― 岡山県立美術館 [展覧会・ミュージアム]
会期初日の割には、客足がイマイチな印象でしたが、これこそ夏休み中のお子さんを連れて行くのにぴったりな展覧会は無いと思います。
「とっとり弥生の王国」展と「古代吉備の名宝展」展 岡山県立博物館 [展覧会・ミュージアム]
ともに岡山県立博物館
QBTの感想がまだ更新できてないんですが・・・、とにかくこの県立博物館の2つの展覧会には絶対行った方がいいですよ~!というお知らせのために、こっちを先に更新します。
「古代吉備の名宝」展は、歴史ファンのみならず、岡山のすべての人々が見るべき見事な展示でした。古代の吉備の国の燦然と輝く歴史を感じることが出来ます。普段は東京に居る国の重文クラスの銅鏡や銅鐸そのた古代吉備の出土物が、もともと岡山県立博物館で展示されているものと合わせて、一堂に拝見することが出来る貴重な機会と思います。
***岡山県立博物館HPから***
東京国立博物館には、かつて岡山県内から出土した考古資料の優品が、数多く収蔵されています。卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)や、不思議な小像で飾られた須恵器(すえき)、80年ぶりに出土品が勢揃いする備前市丸山古墳の銅鏡など53件が、岡山に里帰りすることになりました。
古代吉備の繁栄を物語る名宝の数々を、この機会にぜひご覧ください。
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歴史ファン、古代史ファンの方々は、お正月にBSで放送された「英雄たちの選択 新春スペシャル ~“ニッポン”古代人のこころと文明に迫る~」を見られた方も多かったのではないでしょうか。
「とっとり弥生の王国」展は、その番組で紹介された、弥生時代を代表する集落である、青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡と妻木晩田(むきばんだ)遺跡の出土品が展示されています。最近、再放送されたこともあるのか会場は想像以上に人が多くて熱気がありました。
特に木製の遺物の展示が充実、番組でもその造形の美しさと装飾技術の高さから、現代風に言うと「青谷ブランド」として弥生人の間では評判になっていた、と解説されていました。なんと北陸から北九州まで流通していたようですね。
妻木晩田遺跡の国内最大級の環濠集落からの出土物も圧巻。当時はまさに「大都会・鳥取」として、人口も経済力・生産技術も国内随一の水準だったんですね。
***岡山県立博物館HPから***
岡山・鳥取文化交流事業の2年目は、鳥取県の弥生時代を取りあげます。地下の弥生博物館ともいわれる国史跡青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡と、国内最大級の弥生集落である国史跡妻木晩田(むきばんだ)遺跡を中心に、最新の調査研究成果を紹介します。
国内唯一となる線刻で絵画を描いた新発見の銅剣が、鳥取県外初公開となるほか、通常の遺跡からはほとんど出土しない木製品や、交易によってもたらされた新潟県産出の翡翠でつくられた勾玉など、総数約380点の貴重な資料を展示します。
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一方岡山も負けていません!
番組内では従来の「邪馬台国論争」の『北九州説』『近畿説』に加えて、『瀬戸内説』(→吉備地方)を選択肢に入れて、議論が繰り広げられました。
まあ、番組司会の磯田さんは岡山県生まれ、パネラーの国立民族学博物館の松木教授は、最近まで岡山大学の教授をされていました。
番組でも紹介された「卑弥呼の鏡」と言われる三角縁神獣鏡も、もちろん今なら県立博物館で一堂に見ることが出来ます。『岡山って、吉備って、すごいところだったんだ!』と郷土に誇りが持てる展覧会です。
岡山芸術交流 Okayama Art Summit 2016 行ってきました! [展覧会・ミュージアム]
岡山芸術交流 Okayama Art Summit 2016
一瞬、思考停止。次に瞠目、最後には愉快な笑いがこみ上げ、見慣れた街のなかに日常の「裂け目」が見える。そんな感動を感じました。
10月8日から11月27日まで開催されている「岡山芸術交流 Okayama Art Summit 2016」、「美術手帖」誌の言葉を借りれば、『かなりハード・コア』な展示だそうです。現代アートにうとい自分にとっては、何がハード・コアなのか?言葉には出来ないですが、瀬戸内国際芸術祭のフレンドリーな雰囲気の展示に比べると、前衛的なものが多いというのは理解できます。
会場巡りをした個々の展示の感想は、また改めて書き起こそう思いますが、先週の土曜日に有料の展示の半分と、チケット不要のパブリック空間に置かれたインスタレーションに接してみて、強く感じたことがあるので、とりあえずエントリーしておきます。
地元新聞社の記事でも書かれたとおり、この岡山で現代芸術祭を開催する意味は、「非日常」であり「外へ開かれた窓」であり、アートを通じた街の魅力の再発見、であるのだろう。
しかし、僕が感じたのは、子供の頃には確かに持っていた感覚・・・空想と日常との境界線の曖昧さ、そして日常に潜む「破れ」の存在、それを大人になって思い起こさせてくれたことが重要です。
日常を過ごしている街に、突如現れた「訳のわからないもの」に突如侵略される感覚、一瞬、頭の思考がストップする感覚は、想像以上に面白いものでした。
大人の感覚では、日常は連続的に存在しているようにしか感じられないが、子供、特に小学校5年生ぐらいまでの子供は、日常の破れ、とでもいう感覚を持っている。「あの山(海)の向こうはどうなっているのか?」「お父さん(お母さん)は、本当に僕のお父さん(お母さん)なんだろうか」。そういった日常を支えている世界に「破れ」があり、その「破れ」に対する畏れも持っている。この感覚は大人になれば失われ、やがて忘れ去られて行ってしまう。
一方で、子供の頃に刻み込まれた心象風景は大人になっても強く残っているものなんです。僕は小学校時代の「ポートピア81」が未だに忘れられない。思えばあの博覧会のパビリオンは、巨大なコーヒーカップや、地面に突き刺さったダイエーの巨大マーク、巨大な地球儀など、どれも現代アート的な造形だった。そこへ向かう、無人で走る「未来の乗り物(ポートライナー)」を含め、心象風景として強烈に刻み込まれている。
後楽園近くの空き地に突如墜落したUFOのような物体や、岡山シンフォニーホールの向かいの、普段は地味な換気塔やビルの壁面が全く違う物体に変貌している。日常見てきたものが全く違う姿を現しているこの風景は、大人になり「日常の破れ」が閉じた後も、自分たちの日常が違う世界と繋がっている感覚や、強く刻み込まれた心象風景が、視野を広げ感性や審美眼を磨くことの意味を教えてくれたように思う。
またアートの「代償行為」としての側面も重要かも知れない。社会に対して怒りを感じても、アートが負の感情を慰撫してくれる。「ここまでやる!?」「何をやってもいいんんだ!」という感覚になれ、見る者の心までも自由になる。
こんな現代芸術祭が、今の岡山で開催されたというのは、ある意味、奇跡といえる。岡山は広島や福岡のように、地方ブロックの雄で周囲の県から続々と人が集まってくるような大都市ではない。その一方で岡山は、大きな経済規模を有しており、岡山市と倉敷市などと合わせると、実は人口120万人の都市圏を形成している。これだけの経済規模を有しているがゆえに、岡山で生まれ育った多くの人が、岡山で学び、就職し、子供を設け、岡山で老いて死んでゆく。
つまりは岡山から一歩も出なくても人生を送れてしまう。今回のイベントの運営に携わった岡山市の職員の中の大多数もそうした人生の軌道の上にいるのではないだろうか。経済規模でいえば、他の県の人が入り込んでくるほどの巨大な商業規模・経済規模を有してはいないから、転入も少ない。
そういう環境の岡山という街は、安定した社会を築いてきた。大阪や神戸のような貧富の格差が少ない(高級住宅街とダウンタウンが強いコントラストを描く、ということもない)、住みやすい街だとは思う。一方で外から入っている刺激が少ないことによって、社会の停滞を招く危険性を秘めている。
僕も「よそ者」として岡山に住み・働いて行く中で、この街の持つ「異分子」に対する脆弱性や、排他性について実感する事件は何度も経験した。それに加えて、芸術・文化面(特にメイン・カルチャーにおいて)での停滞ははっきりと感じられてきたのが90年代~ゼロ年代の岡山だったと思う。
このイベントの主催を牽引した実業家の石川さんの本当の狙いは、現代アートを通じて、岡山という街への、ある種のカンフル剤を処方したということなのだと思う、石川氏のこれまでの行動原理から考えれば、大いにあり得る。
2010年代に入って、音楽界ではハンスイェルク・シェレンベルガーがオーケストラ文化の停滞を打破しつつあるし、そこへ来て、この岡山芸術交流の開催。公金が投入されている以上、事後の検証は欠かせない作業になると思いますが、90年代からの芸術文化面での停滞した状況、そして20年後30年後の岡山の社会へつながるインパクト、そういった視点での評価が必要だと思う。