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「江戸の奇跡 明治の輝き 日本絵画の200年」展 岡山県立美術館 [展覧会・ミュージアム]

「江戸の奇跡 明治の輝き 日本絵画の200年」展
岡山県立美術館(2019年3月22日 鑑賞)
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===美術手帖HP EXIBITIONSから===========================

近年、伊藤若冲や曽我蕭白ら奇想の画家たちを紹介する展覧会が続けて開催されるなど、注目を集める江戸絵画。いっぽうで、明治150年の節目にあたる2018年には、江戸時代に次ぐ明治時代を様々な角度で照射し、日本の近代化を歩みが振り返られた。


 さかのぼること江戸時代では数多の流派が起こり、いまに伝わる傑作が生み出されたが、多くは前時代の作品や、中国・西洋からの舶載画を学習なくしては成り立たなかった。そして横山大観や菱田春草ら明治時代の日本画家たちも同様に、江戸時代の基礎を引き継ぎ、そこから革新へと踏み出すに至った。


 本展は、前後時代にあたる江戸・明治の日本絵画に焦点を当てるもの。円山応挙、伊藤若冲、曾我蕭白、横山大観、菱田春草、竹内栖鳳らによる逸品約180件をを揃え、両時代の絵画史をたどる。

 
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 なかなか更新する時間がなかったが、美術展の感想はコンサートの感想と並んで、あとで読み返してインスピレーションを得ることが多いので、今更ながらではあるが、印象に残った作品7点について書き残しておこうと思う。

◯紫陽花白鶏図/伊藤若沖 18世紀 個人蔵
 いかにも若冲の作品、との印象を持ったが、個人蔵の作品ということもあるのか、展覧会で見られるのは貴重らしい。大胆な構図と上品な色遣い。特に鶏の白色が強烈な輝きを放っている。ゴッホの白色にも負けていない印象の深さを与えてくれる。

◯白狐図/丸山応挙 安永8年(1779年)個人蔵
 印象深い白の世界では応挙も負けていない。くすんだ白の世界に佇む、今にも動き出しそうな狐の存在感に見入ってしまった。

◯富士越鶴図/長澤芦雪 寛政6年(1794年) 個人蔵
 僕が芦雪の名を知ったのは「なんでも鑑定団」だっただろうか。大部分が偽物、というオチが付くのだが、大胆な作品が多く、贋作作家の心もくすぐるのかもしれない。
 この「富士越鶴図」は今回の展覧会で最も印象に残った作品。須弥山のようにそそり立つ富士山(写実的にはありえない角度)の奥から飛来する鶴の隊列。圧倒的なスケールの世界に何度も戻っては見入ってしまった作品。

◯鈴木其一/草花図屏風 弘化元年(1844年)頃 個人蔵
 絵画としても魅力もさることながら、「デザイン」としても完璧にかっこいい。

◯椿椿山/鶏捕無実図 天保9年(1838年) 個人蔵
 〃 /花籠図 江戸後期(19世紀) 栃木県立美術館
 美術史に疎い私は椿椿山(つばきちんざん)の読み方すら知らなかったのだが、これほど写実的な絵を描く人が江戸時代に居たんだ、という驚きがあった。渡辺崋山のお弟子さんらしい。

◯今村紫紅/近江八景 大正元年(1912年) 東京国立博物館 国指定重要文化財
 中国の瀟湘八景を模して、琵琶湖の風景を書いたそうだが、壮大なスケールと緻密さが同居していて、絵の中に惹き込まれるような磁力があった作品。後期に足を運ぶことができず、8枚1セットのうちの4枚しか見られなかったが、それでも印象に残った。

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ポーラ美術館コレクション 岡山県立美術館(2回目の訪問) [展覧会・ミュージアム]

ポーラ美術館コレクション 「モネ、ルノワールからピカソまで」 (2回目の訪問)
岡山県立美術館
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 再び行って参りました。展覧会はできれば2~3回行った方がよい、行くたびに自分の感じ方が変わる、というのは大原美術館のギャラリートークで教えていただいたのだが、2回行くことによって1回目ではあまり感じなかった作品の魅力に気付いたり、1回目とは違う見方が出来たように思う。
 1回目・2回目を含めて、印象に残った作品を10作品選んでみます。今回の特別展は、一部(というか、4割ぐらいの作品が)写真撮影OKだったので、画像に取ったものと、写真撮影不可のものは絵葉書を間接撮影したものを掲載します。
10位:カミーユ・ピサロ 「エラニー村の入口」1884
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 点描、結構好きです。シニャックやマルタンも良いけれど、緑のパストラーレの風景を描かせたら、ピサロの右に出るものはいないですね。
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9位:ジョルジュ・ブラック 「レスタックの家」1907
 写真は無し、家並みのような岩山のような、力強いタッチは頭の中に強く残る。
8位:ピエール・ボナール 「浴槽、ブルーのハーモニー」1917
 写真は無し、まさに「青色のハーモニー」が見事。魚眼レンズ的な構図も作品の中に引き込まれる。
7位:アルベール・マルケ 「冬の太陽、パリ」1904
 写真は無し、ヨーロッパの冬の厳しさと、太陽への渇望がよく伝わってくる。
6位:カミーユ・ピサロ 「エヌリー街道の眺め」1879
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 構図が凄い。それほど大きくはない絵なのに、すごく大きな絵のように感じる。緑色の配色も見事。
5位:クロード・モネ 「グランド・ジャッド島」1878
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 これぞ「ジャポニズムの影響を受けた印象派」の代表的作品。ここ1週間の間に、原田マハさんの「ジヴェルニーの食卓」、そして「モネのあしあと」を読んで、もっとモネの世界に引き込まれました。
ジヴェルニーの食卓 (集英社文庫)

ジヴェルニーの食卓 (集英社文庫)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2015/06/30
  • メディア: Kindle版
モネのあしあと 私の印象派鑑賞術 (幻冬舎新書)

モネのあしあと 私の印象派鑑賞術 (幻冬舎新書)

  • 作者: 原田 マハ
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2016/11/30
  • メディア: 新書
4位:ポール・セザンヌ 「砂糖壺、梨とテーブルクロス」1893-94
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ピンボケですみません。食卓から零れ落ちそうな檸檬、静物画なのに動きが感じられる。すごい!
3位:ピエール・ボナール 「ミモザのある階段」1946
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絵葉書から。この原色配置のバランス・色彩感覚は衝撃的。今回の特別展でボナールがますます好きになった。
2位:ピエール・オーギュスト・ルノワール 「レースの帽子の少女」1891
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 ふわりとした少女の髪の毛の質感がリアルに感じられ、実物を見ると凄い作品と認めざるを得ない。
1位:クロード・モネ 「花咲く堤、アルジャントゥイユ」1877
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 印象派の発展は、鉄道網の発達を象徴とした技術革新が不可欠だった。画家たちはパリを出て郊外へ向かった、工業化と自然の風景という、印象派の時代をこれほど克明に表した作品はないと思う。構図も見事で奥行き感がはんぱない。

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プラド美術館展 ~ベラスケスと絵画の栄光~ 兵庫県立美術館 [展覧会・ミュージアム]

プラド美術館展 ~ベラスケスと絵画の栄光~
兵庫県立美術館
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 6月に行ったこの『プラド美術館展』の感想、まだまだ会期が続くし・・・と思っていたら、なかなか書く時間が取れませんでした。
 とりあえず、タイトルだけはアップして、書かねばならない状態に追い込んでおきます(笑)
後日更新予定です。

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ポーラ美術館コレクション モネ、ルノワールからピカソまで 岡山県立美術館 [展覧会・ミュージアム]

ポーラ美術館コレクション 「モネ、ルノワールからピカソまで」
岡山県立美術館
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 関係者の間で『絶対に!何としても呼びたい!』と言われてきた悲願の展覧会。岡山県立美術館開館30周年、山陽放送テレビ60周年、山陽新聞社140周年という記念の年にいよいよやってきました。
 関東圏の方々にはなじみのコレクションだと思いますが、岡山に居たらなかなか目にすることは無い珠玉の作品群。仮に箱根まで行ったとしても、これほどのラインナップを一度だけで見ることが出来るかどうかわかりません。
 展示は、非常にメリハリが効いていて、シニャックやモディリアーニや青の時代のピカソなどは来なかったものの、モネ8点、ルノワール8点、セザンヌ5点、ピカソ8点など主要作品を惜しげもなく出してくれています。家に帰って来てもまだ、興奮冷めやらず、という感じです。
 会期中、できるだけ何度も足を運ぼうと思っていますので、感想は後日にします。岡山近隣在住の皆さんは(東京に住んでるときに、飽きるほど行った、みたいな人は除いて)、絶対に行った方がいい展覧会です。
 あと、もう一つ大事なことが。2階展示室で常設展「岡山の美術展」という常設展をやっていますが、赤松麟作の「沐浴する女」をはじめ、日本の画家による印象派模写作品が並べられていて、模写作品がこれだけ見れる機会もなかなかないかも?と思います。原田直次郎の「風景」も展示中、印象派傑作群にも負けない、見事な作品との思いを新たにしました。
 余談ですが、今日はもう一つ目的があって、館内のホールで岡山フィル奏者による印象派作品を演奏する弦楽四重奏を聴く予定で、整理券配布開始時間に行ってみたら、なんと長蛇の列!結局聴くことはかないませんでした・・・。
 なんと、レセプショニストの方に聞くと、朝から並んでいた人が居たそうな。メンバーは岡山フィルの中でも実力者ぞろいなのでたくさん集まるとは思っていましたが、オリエント美術館などでのコンサートの時もこれほどのフィーバーは記憶にありません。岡山フィル、来てますねぇ。
 8月14日にも足を運びました。

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岡山県立美術館開館30周年記念展『県美コネクション』 [展覧会・ミュージアム]

岡山県立美術館開館30周年記念展『県美コネクション』Ⅰ期のみ
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 岡山県立美術館は昭和63(1988)年、瀬戸大橋、岡山空港とともに岡山県の大型プロジェクトの一つとして開館しました。アクセスのよい市街地に位置し、本県のみならず中・四国そして世界の人や物が行き交う文化の拠点として、さまざまな事業に取り組んでいます。県立であることの意味を鑑み、常に“岡山ゆかり”を念頭に活動してきました。このたび開館30年の節目を迎えるにあたり【ゆかり=つながり=コネクト】をキーワードに、全館を使用してこれまで培ってきた「ひと・もの・こと」を収蔵作品とともにさまざまな関連事業を行うことでご紹介します。“岡山ゆかり”であることがいかに豊かな文化を内包するものであるか、改めてお気づきいただけることでしょう。
当館の収蔵作品(寄託作品を含む)は、大きく“岡山ゆかり”であることを前提としています。古書画、日本画、洋画、版画、写真、工芸、彫刻、現代美術など多岐にわたる作品は約4500点に及び、「岡山の美術」展と題し、年10回程度の展示替えを行いながら順次公開しています。このたびの記念展では、収蔵作品をいくつかのテーマに分け、“岡山ゆかり”から広がる「ひと・もの・こと」を全館を使って展示します。【1期】は春、家族や地域とのつながりを中心に、【2 期】は夏、作家や作品がここにあることからさらに広がっていく豊かな美術の世界を他館の作品も交えながらご紹介します。
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 岡山県立美術館では、特別展展示のある時期でも常設展『岡山の美術展』として、岡山ゆかりの作品の常設展示につとめていて、おそらく3年ぐらい通い詰めれば「県美コレ’ク’ション」の全貌を見ることはできるのだろうけれど、今回、主要作品を一堂に見ることが出来るのは本当にありがたい。
 
 そう書いておいて、なんなんですが第Ⅰ期に足を運んだものの、第Ⅱ期には結局行くことが出来ませんでした(汗)
 
 墨画の雪舟、浦上玉堂・春琴親子、名工たちによる備前焼の逸品に河井寛次郎に棟方志功と、そこに国吉康雄や原田直次郎の西洋画の鮮やかな色彩、これらが同じ特別展に並んでいて、「これは見せ方に、相当なご苦労があったのだろうな」と推察します。
 
 印象に残ったのは、まずは原田直次郎の「風景」(1886年)、一昨年のNHK「日曜美術館」の特別企画『ゆく美くる美』でも取り上げられられた作品。何度見ても、その鮮やかな色彩に心を奪われます。西洋画では鹿子木孟郎の「杖を持つ男」も強く印象に残りました。
 墨画では、浦上玉堂の一度見たら忘れられないごつごつした山水図もひと際オーラを放っていた。春琴・秋琴ら親子で一堂に作品が見られるように展示の工夫がありました。
 惜しむらくはⅡ期に登場した小野竹喬の作品群を、今回は見逃したこと。竹喬作品がまとまって出るときには足を運びたいと思う。
 
 余談ですが、墨画や工芸品はガラスの展示ケース越しに見ることが多いのですが、もう少し明るい照明でもっと間近に見ることができないのか?という疑問は素人の我儘でしょうか?
 昨年の京博の平成知新館で見た「国宝展」では、等伯や応挙、光琳の作品がガラスの展示ケース越しだったけれど、もっと奥行きが短く間近に見えたうえ照明も明るく、作品が持つ力がストレートに伝わってきたのを思い出します。開館30周年記念展でいくらかメンテナンスの手が入ったとは思いますが、展示室のリニュアルも必要な気がしますね。

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京都国立博物館 特別展「国宝」第Ⅳ期 [展覧会・ミュージアム]

京都国立博物館 特別展「国宝」

第Ⅳ期(11/14~11/26)
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===京都国立博物館ホームページから================

2017年は、日本の法令上「国宝」の語が初めて使用された「古社寺保存法」制定より120年にあたります。当館開館と軌を一にするこの節目の年に、昭和51年(1976)に「日本国宝展」を開催して以来、実に41年ぶりとなる「国宝展」を開催します。古より我々日本人は、外来文化を柔軟に取り入れつつ、独自の美意識によって世界にも類を見ない固有の文化を育んできました。歴史的、芸術的、学術的に特に優れ、稀少である国宝は、何よりも雄弁に我々の歴史や文化を物語る、類い希なる国の宝といえましょう。本展覧会では、絵画・書跡・彫刻・工芸・考古の各分野から、歴史と美を兼ね備えた国宝約200件を大きく4期に分けて展示し、わが国の悠久の歴史と美の精華を顕彰いたします。

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 何年か前に、建仁寺の展覧会で俵屋宗達の「風神雷神之図」が岡山に来たことがありました。その時はかなりのフィーバーになったことを覚えています。国宝が1点だけでもそれだけの話題になるのに、今回は210点もの国宝が一度に終結するという目もくらむような企画。先月の上京の第1目的は、この国宝展を見ること(第2は紅葉狩り、第3に京響の定期)でした。
※このブログでは上京=京都へ上る、在京=京都にある、という意味で使っています。東京へ行くときは「東上」、東京にある、という意味では「在東京」という表現。偏屈なこだわりです。


 一度に国宝が見られる、といってもご本尊の仏像だったり寺宝だったり、そのミュージアム随一の至宝だったりするわけで、長期の貸し出しが不可能な国宝も多く、モノによって会期中に入れ替わりがある。私は第Ⅳ期にしか行けませんでしたが、第Ⅰ期は雪舟の国宝水墨画6点が一堂に会し、第Ⅱ期は曜変天目茶碗、第Ⅲ期は「漢委奴国王」の金印とというように、その時期にしか見られない「目玉展示」があり、地元の人は4回も足を運ぶことになったのではなだろうか。
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 京博の「平成知新館」は初めて入ったのですが、非常に大規模な建物でスポットライトも明るく、本当に見やすい。そして上階へ続く階段の広い踊り場から、俯瞰して展示物が見られる。この構造は応挙と光琳の屏風画を至近距離&俯瞰位置の2回鑑賞するという味わい方を提供してくれた。
 一方で、ことごとく展示室が箱状になっていて、鑑賞者は「コ」の字型に回らざるを得ず、角の部分で人間が滞留し、常に「最前列の方は止まらずに鑑賞してください」というアナウンスが聞かれた。新しい施設の割に導線については大きな課題があるように感じた。


 1階から上階へ向けてみて回ったのだが、最初に金剛寺の「大日如来座像」と「不動明王座像」の巨大ご本尊2体が圧倒的存在感で迎えてくれる。期せずして私も相方も「なんか、かわいいな」とつぶやいてしまったのが「不動明王像」。近寄り難しいと思っていた不動明王が、絶妙の愛嬌を湛えながら心の中に入ってくる。我々を救ってくれるという確信が芽生えてくるその造形に魅了される。

 「陶磁」のスペースには油滴天目茶碗が展示されていたが、あまりの人だかりと全く動かない導線に見るのを断念。これは大阪の東洋陶磁博物館で展示されるときに行けばいい。

 次は一気に3階へ。この日、一番時間をかけて鑑賞したのが考古遺物のスペース。深鉢型土器、いわゆる火焔土器はNo.6が第Ⅳ期に登場。彫りの深い造形は縄文時代の日本独特のもので、大陸からの影響も希薄で。恐らくこれを作った集団のトーテムとされていたであろう、ニワトリの造形は、写真で見るものとは全く印象が違った。これほどの造形を縄文時代に施した、その技術たるや凄いものがある。
 縄文式土器や火焔型土器のなかには、バランスや造形の美しさを欠くものも出土しており、このNo.6を作った陶工は、100年に一度の天才だったのではないだろうか?現代にまで完全にその姿を留める焼成技術も高かったのだろう。興奮で15分ぐらいはこの場に居ついてしまった。


 他にも縄文のビーナス、仮面の女神という土偶2点にも目が釘づけに。おりしも我が国は少子化真っ只中。子供を産み育てる母体や母性に対する尊崇の念が数千年の時を時を超えて伝わってきて、現代人の我々の心をも動かす。
 桜が丘遺跡(神戸)の銅鐸はこれまで何度も鑑賞してきたが、照明の加減でこれほど文様や図柄が見えたことはなく、じっくりと拝見した。ちなみに出土地点の桜が丘は灘区の六甲病院や親和高校の近くの住宅地。高校時代にその地に行ってみたこともある。大阪湾を見渡す風光明媚な土地だ。
 加茂岩倉や荒神谷などの古代出雲の金属器なども展示されていたが、これは何百器という金属器とともに展示されている古代出雲歴史博物館での鑑賞の方が面白かった。


 考古学のスペースの次に目を引かれたのは、何といっても中世絵画。尾形光琳の「燕子花図屏風」と円山応挙の「雪松図屏風」。両社とも東京に行かねば目にすることはできない。近くで見た時の大胆な筆と、階段踊り場から見下ろした時の見事な構図、両方を楽しんだ。


 他にも平家納経やポルトガル国印度副王新書、後鳥羽天皇宸翰御手印置文など、日本市場も重要な国宝に触れることが出来た。
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 Ⅰ期~Ⅲ期のみの展示物や、あまりの人出の多さに近くで鑑賞することを諦めたものもあったが、総じて満足感を胸に抱いて閉館の放送に追いかけられるように京博を後にした。

 昼間に紅葉狩りをした足で回ったため、もうクタクタになってしまったのだが、心底行って良かったと思った、満足した展示だった。備忘として作品目録をアップしておく。

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古代オリエント 『カミとヒトのものがたり』 岡山市立オリエント美術館 [展覧会・ミュージアム]

古代オリエント 『カミとヒトのものがたり』 岡山市立オリエント美術館


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美術館ホームページから
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 科学が発達する以前、人びとは世界のはじまりや成り立ちを理解するために神々の存在に思い至り、神々と人間が織りなす物語によって説明しようとしてきました。これを私たちは神話と呼んでいます。現代にまで伝わる古代神話は今でも魅力的です。実際、私たちが親しんでいる現代の小説や映画などにも古代神話とよく似たストーリーのものも多く見られます。古代世界においても現代社会においても神話や物語は、エンターテインメントでもあり、社会的知識や道徳を共有するためのものでもあったと考えることもできます。
 本展では、ギリシア・ローマからエジプト、メソポタミア、インド、中国、日本にまで至る広大なオリエント世界の神話や物語を、そこに登場する神々や物語の一場面を表現した工芸作品などを展観しながら紹介します。物語を楽しみながら、私たちの暮らしや社会における神話の意味・役割についても改めて考えてみたいと思います。


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 普段は西暦順あるいは王朝順に展示を見ていく形が多いですが、今回の展示は「神話ごとの展示」になっていました。陸と海のシルクロード上にあるギリシア・ローマ→エジプト→メソポタミア→南アジア→中国、そして日本の神話にまつわす遺物・美術品が展示されます。


 自覚したのは、自分が古代神話についてあまりにも「無知」だということ、ギリシア神話については(趣味のクラシック音楽の理解のために)多少の知識はあったが、エジプトはアモン=ラーとラー=アトムの違いも解らなかったし、メソポタミアやインドの神々については固有名詞としてしか知らない。

 自己弁護(笑)ではないか、よほどの教養人でもない限り、これら古代文明の神話について理解できている人はいないのではないかと思う。


 西暦別や王朝別の展示であれば、頭の中の年表を広げて理屈で理解しようとし、人々の生活や権力者の統治の過程で生まれ・作り出され・語り継がれた「神話」について、これほどじっくりと考えなかっただろう。


 会場には夏休みの宿題にしようという子供たちが多かった。一つ一つの神話については子供の方が砂に浸み込む水のように吸収がはやいでしょうね。


(後日、感想は追記するかも・・・・です)

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傑作浮世絵揃い踏み ―平木コレクション― 岡山県立美術館 [展覧会・ミュージアム]

傑作浮世絵揃い踏み ―平木コレクション―

岡山県立美術館
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 あれも、これも、それも、見たことがある浮世絵ばかりが一堂に会しています。有名な作品だからこそ、本物を見る価値がいっそう増します。
 会期初日の割には、客足がイマイチな印象でしたが、これこそ夏休み中のお子さんを連れて行くのにぴったりな展覧会は無いと思います。



--岡山県立美術館HPから---------------

「浮世絵」は江戸の町人社会を中心に、庶民の好みや流行に合わせ、木版画で量産され盛行しました。浮世絵で描かれる美人画・役者絵・風景画といった主題は、当時の時代の先端をいく風俗を表現したものです。印象派の画家たちに大きな影響を与えたことは有名ですが、現在も世界中に浮世絵ファンは多く、高い人気を誇っています。

その中で、わが国を代表する浮世絵コレクションの一つとして知られる平木コレクションは、作品数約6000点に及ぶ膨大なもので、本展はその中から選りすぐりの200点を出品します。歌川広重の代表作「保永堂版・東海道五十三次」シリーズ初摺全点をはじめ、菱川師宣・鈴木春信・喜多川歌麿・東洲斎写楽・葛飾北斎ら有名な浮世絵師たちの作品のほか、後に津山藩御用絵師となった北尾政美(鍬形蕙斎)「浮絵仮名手本忠臣蔵」全11枚、橋口五葉・川瀬巴水ら近代の版画家にいたるまで、多彩な作品群で浮世絵の魅力を余すところなく紹介します。重要美術品15点を含む、浮世絵の傑作の数々を存分にご堪能ください。

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 歌川広重の「東海道五十三次」の『初摺り』と「仮名手本忠臣蔵」がすべて見られ、富嶽三十六景の神奈川沖浦や、喜多川歌麿の美人画もいくつか展示。著名な近世浮世絵作家をほぼ網羅しており、浮世絵の技法を受け継ぐ明治期の版画も展示されており興味深いです。

 子供の頃、永谷園のお茶漬けに入っている「東海道五十三次」のカードを集めていたことがあって、当時の懐かしい思い出が思い出される一方で「ここまで細密にかかれていたのか」という新たな驚きもありました。

 あと、仮名手本忠臣蔵には、先日、「ブラタモリ」の祇園編で紹介された「一力茶屋」の場面も描かれており、興味をそそりました。

 歌川国芳の「源頼光公館土蜘蛛作妖怪図」はたいへん見応えがあり、昨年の「国芳・国貞展」を、やはり見ておくべきだったなあ(神戸でやってたんですよね)と後悔。


 これだけ一堂に会すればこそ、この中から自分のお気に入りの作家さんを見つめるのもいいかもしれません。僕は、断然、国芳です。でも、今回は点数が少なかった~
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「とっとり弥生の王国」展と「古代吉備の名宝展」展 岡山県立博物館 [展覧会・ミュージアム]

「とっとり弥生の王国」展 ー青谷上寺地遺跡と妻木晩田遺跡―

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東京国立博物館から里帰り!「古代吉備の名宝」展
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ともに岡山県立博物館

 QBTの感想がまだ更新できてないんですが・・・、とにかくこの県立博物館の2つの展覧会には絶対行った方がいいですよ~!というお知らせのために、こっちを先に更新します。

 「古代吉備の名宝」展は、歴史ファンのみならず、岡山のすべての人々が見るべき見事な展示でした。古代の吉備の国の燦然と輝く歴史を感じることが出来ます。普段は東京に居る国の重文クラスの銅鏡や銅鐸そのた古代吉備の出土物が、もともと岡山県立博物館で展示されているものと合わせて、一堂に拝見することが出来る貴重な機会と思います。

***岡山県立博物館HPから***
 東京国立博物館には、かつて岡山県内から出土した考古資料の優品が、数多く収蔵されています。卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)や、不思議な小像で飾られた須恵器(すえき)、80年ぶりに出土品が勢揃いする備前市丸山古墳の銅鏡など53件が、岡山に里帰りすることになりました。
古代吉備の繁栄を物語る名宝の数々を、この機会にぜひご覧ください。
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 歴史ファン、古代史ファンの方々は、お正月にBSで放送された「英雄たちの選択 新春スペシャル ~“ニッポン”古代人のこころと文明に迫る~」を見られた方も多かったのではないでしょうか。

 「とっとり弥生の王国」展は、その番組で紹介された、弥生時代を代表する集落である、青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡と妻木晩田(むきばんだ)遺跡の出土品が展示されています。最近、再放送されたこともあるのか会場は想像以上に人が多くて熱気がありました。

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 特に木製の遺物の展示が充実、番組でもその造形の美しさと装飾技術の高さから、現代風に言うと「青谷ブランド」として弥生人の間では評判になっていた、と解説されていました。なんと北陸から北九州まで流通していたようですね。
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 妻木晩田遺跡の国内最大級の環濠集落からの出土物も圧巻。当時はまさに「大都会・鳥取」として、人口も経済力・生産技術も国内随一の水準だったんですね。

***岡山県立博物館HPから***
岡山・鳥取文化交流事業の2年目は、鳥取県の弥生時代を取りあげます。地下の弥生博物館ともいわれる国史跡青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡と、国内最大級の弥生集落である国史跡妻木晩田(むきばんだ)遺跡を中心に、最新の調査研究成果を紹介します。

 国内唯一となる線刻で絵画を描いた新発見の銅剣が、鳥取県外初公開となるほか、通常の遺跡からはほとんど出土しない木製品や、交易によってもたらされた新潟県産出の翡翠でつくられた勾玉など、総数約380点の貴重な資料を展示します。
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 一方岡山も負けていません!
 番組内では従来の「邪馬台国論争」の『北九州説』『近畿説』に加えて、『瀬戸内説』(→吉備地方)を選択肢に入れて、議論が繰り広げられました。
 まあ、番組司会の磯田さんは岡山県生まれ、パネラーの国立民族学博物館の松木教授は、最近まで岡山大学の教授をされていました。

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 番組でも紹介された「卑弥呼の鏡」と言われる三角縁神獣鏡も、もちろん今なら県立博物館で一堂に見ることが出来ます。『岡山って、吉備って、すごいところだったんだ!』と郷土に誇りが持てる展覧会です。


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岡山芸術交流 Okayama Art Summit 2016 行ってきました! [展覧会・ミュージアム]

岡山芸術交流 Okayama Art Summit 2016
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 一瞬、思考停止。次に瞠目、最後には愉快な笑いがこみ上げ、見慣れた街のなかに日常の「裂け目」が見える。そんな感動を感じました。
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 10月8日から11月27日まで開催されている「岡山芸術交流 Okayama Art Summit 2016」、「美術手帖」誌の言葉を借りれば、『かなりハード・コア』な展示だそうです。現代アートにうとい自分にとっては、何がハード・コアなのか?言葉には出来ないですが、瀬戸内国際芸術祭のフレンドリーな雰囲気の展示に比べると、前衛的なものが多いというのは理解できます。

 会場巡りをした個々の展示の感想は、また改めて書き起こそう思いますが、先週の土曜日に有料の展示の半分と、チケット不要のパブリック空間に置かれたインスタレーションに接してみて、強く感じたことがあるので、とりあえずエントリーしておきます。
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 地元新聞社の記事でも書かれたとおり、この岡山で現代芸術祭を開催する意味は、「非日常」であり「外へ開かれた窓」であり、アートを通じた街の魅力の再発見、であるのだろう。

 しかし、僕が感じたのは、子供の頃には確かに持っていた感覚・・・空想と日常との境界線の曖昧さ、そして日常に潜む「破れ」の存在、それを大人になって思い起こさせてくれたことが重要です。
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 日常を過ごしている街に、突如現れた「訳のわからないもの」に突如侵略される感覚、一瞬、頭の思考がストップする感覚は、想像以上に面白いものでした。
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 大人の感覚では、日常は連続的に存在しているようにしか感じられないが、子供、特に小学校5年生ぐらいまでの子供は、日常の破れ、とでもいう感覚を持っている。「あの山(海)の向こうはどうなっているのか?」「お父さん(お母さん)は、本当に僕のお父さん(お母さん)なんだろうか」。そういった日常を支えている世界に「破れ」があり、その「破れ」に対する畏れも持っている。この感覚は大人になれば失われ、やがて忘れ去られて行ってしまう。
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 一方で、子供の頃に刻み込まれた心象風景は大人になっても強く残っているものなんです。僕は小学校時代の「ポートピア81」が未だに忘れられない。思えばあの博覧会のパビリオンは、巨大なコーヒーカップや、地面に突き刺さったダイエーの巨大マーク、巨大な地球儀など、どれも現代アート的な造形だった。そこへ向かう、無人で走る「未来の乗り物(ポートライナー)」を含め、心象風景として強烈に刻み込まれている。

 後楽園近くの空き地に突如墜落したUFOのような物体や、岡山シンフォニーホールの向かいの、普段は地味な換気塔やビルの壁面が全く違う物体に変貌している。日常見てきたものが全く違う姿を現しているこの風景は、大人になり「日常の破れ」が閉じた後も、自分たちの日常が違う世界と繋がっている感覚や、強く刻み込まれた心象風景が、視野を広げ感性や審美眼を磨くことの意味を教えてくれたように思う。
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 またアートの「代償行為」としての側面も重要かも知れない。社会に対して怒りを感じても、アートが負の感情を慰撫してくれる。「ここまでやる!?」「何をやってもいいんんだ!」という感覚になれ、見る者の心までも自由になる。

 こんな現代芸術祭が、今の岡山で開催されたというのは、ある意味、奇跡といえる。岡山は広島や福岡のように、地方ブロックの雄で周囲の県から続々と人が集まってくるような大都市ではない。その一方で岡山は、大きな経済規模を有しており、岡山市と倉敷市などと合わせると、実は人口120万人の都市圏を形成している。これだけの経済規模を有しているがゆえに、岡山で生まれ育った多くの人が、岡山で学び、就職し、子供を設け、岡山で老いて死んでゆく。
 つまりは岡山から一歩も出なくても人生を送れてしまう。今回のイベントの運営に携わった岡山市の職員の中の大多数もそうした人生の軌道の上にいるのではないだろうか。経済規模でいえば、他の県の人が入り込んでくるほどの巨大な商業規模・経済規模を有してはいないから、転入も少ない。

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 そういう環境の岡山という街は、安定した社会を築いてきた。大阪や神戸のような貧富の格差が少ない(高級住宅街とダウンタウンが強いコントラストを描く、ということもない)、住みやすい街だとは思う。一方で外から入っている刺激が少ないことによって、社会の停滞を招く危険性を秘めている。
 僕も「よそ者」として岡山に住み・働いて行く中で、この街の持つ「異分子」に対する脆弱性や、排他性について実感する事件は何度も経験した。それに加えて、芸術・文化面(特にメイン・カルチャーにおいて)での停滞ははっきりと感じられてきたのが90年代~ゼロ年代の岡山だったと思う。

 このイベントの主催を牽引した実業家の石川さんの本当の狙いは、現代アートを通じて、岡山という街への、ある種のカンフル剤を処方したということなのだと思う、石川氏のこれまでの行動原理から考えれば、大いにあり得る。

 2010年代に入って、音楽界ではハンスイェルク・シェレンベルガーがオーケストラ文化の停滞を打破しつつあるし、そこへ来て、この岡山芸術交流の開催。公金が投入されている以上、事後の検証は欠かせない作業になると思いますが、90年代からの芸術文化面での停滞した状況、そして20年後30年後の岡山の社会へつながるインパクト、そういった視点での評価が必要だと思う。

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