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岡山フィル第72回定期演奏会 Pf:松本和将 指揮:秋山和慶 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第72回定期演奏会

〜岡山フィルハーモニック管弦楽団設立30周年記念〜

〜秋山和慶ミュージック・アドバイザー就任記念〜

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番ニ短調
〜 休 憩 〜
ムソルグスキー(R=コルサコフ改訂版)/交響詩「禿山の一夜」

ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」(1919版)

指揮:秋山和慶
ピアノ独奏:松本和将
コンサートマスター:藤原浜雄


2022年5月22日 岡山シンフォニーホール



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・岡山フィル設立30周年記念、秋山和慶ミュージックアドバイザー就任記念と銘打ち、新しい時代の幕開けに相応しい、入魂の演奏になった。

・客席は9割の入り、と一瞬見積もったが、コロナ禍以来、密集を避けバラけて席取りをするので、実際には8割ぐらいの入りか。

・前後半とも弦は1stVn12→2ndVn10→Vc8→Va8、上手奥にCb6。火の鳥はストラヴィンスキーのなかでは編成は少ない方だが、それでもステージ狭しと並ぶ打・管楽器群は圧巻だ。

・ラフマニノフPfコン3番。ソロは松本和将。ピアノはスタインウェイ:CD75というホロヴィッツがツアーに連れて歩いた愛器のようだ。

・よく「スタインウェイらしい綺羅びやかな音」とか「ヤマハは華は無いが粒立ちが良い」などと言われたりするが、正直、僕はメーカーや機種による音の違いが解らないんよなぁ(というか、皆さん、そんなんホンマに聴き取れてるの?とさえ思っている)。ピアノメーカーの個性よりもピアニストの手腕や特徴に依ることの方が大きい、というのが僕の見解だ。スタインウェイでも全然響かないと感じる時もあるし、小曽根真が弾けばヤマハもこれ以上ない華やかな音を出すのだし。

・しかし、今回のCD75の音は私のようなアホ耳でも「このピアノは違う!」と感じさせるほどの特徴があった。

・冒頭の旋律を聴いたときは、少しくすんだスモーキーな音だったが強奏する場面では眩いばかりの輝きを放ってピアノの鳴りっぷりが凄まじい。ちょっと躁鬱なところがありそうな器体に思える。松本さんは、その躁状態の鳴りっぷりのCD75を、まるでロデオの名騎手のように見事に制御しているのが印象に残った。また、ダンパーペダル使用を最小限にして、第3楽章では今まで聴こえなかったリズム・鼓動が感じられたり、第2楽章で教会の鐘の音のように聴こえる箇所があるなど再発見の連続。

・この曲はこれまでにベレゾフスキー(ロシア侵攻に関する自身の発言によって、西側では当分聴けないだろうな)、横山幸雄、河村尚子、上原彩子など、名だたるピアニストで聴いてきたが、今回の松本和将&岡フィルの演奏はオーケストラとソリストとの一体感、経験のないような表現の多彩・多才さと深み、強靭なピアニズム、といった点で、僕の中では特別な感銘を残す演奏になった。

・第1楽章後にアクシデントで10分程の中断があったが集中力が途切れなかったのも凄い。もし、並の若手ピアニストだったらどうなっていた事か・・・。

・秋山さんは 松本さんとアイコンタクトを取ることもなく、それどころか後ろを振り返ることすらない。それなのにピッタリと寄り添い。トゥッティの場面では絶妙のさじ加減で12型のオーケストラの音とピアノのバランスを取っていた。

・オーケストラも奮闘した。松本さんの強靭なピアニズムに対し、かなりパワフルに鳴らしていた。他のオーケストラだと後プロに馬力の必要な曲を控えている今回のようなコンサートだと、セーブしたような演奏に接して要求不満になることも多いが、岡山フィルからは微塵も感じさせなかった。この直向きさがこのオーケストラを聴く醍醐味だと思う。今年の定期ラインナップは協奏曲との組み合わせが続くが、これなら聴衆もついてくる。

・沸騰した会場を慰撫するかのようなアンコールはラヴェル/亡き王女のためのパヴァーヌ。涙腺が緩むような美しい音が響き渡る。

・後半はムソルグスキー(R=コルサコフ改訂版)/「禿山の一夜」そしてストラヴィンスキー/「火の鳥」。ともに秋山さんらしい音の質感に徹底的にこだわった繊細で緻密な演奏だった。秋山さんの指揮は、そのタクトさばき自体が芸術と思えるほど美しく、まさに岡フィル奏者たちが導かれるように極上のハーモニーで聴衆を魅了した。

・秋山さんが「団員の目つきが違う」「一生懸命でアドレナリンが湧き出るような演奏」と就任会見で語っていたように、狂おしいほど懸命に演奏した岡フィルに心を撃たれたが、秋山さんの緻密で繊細な音楽への欲求に対して随所で粗さが感じられた。例えば「禿山の一夜」の終盤や「火の鳥」の第6曲などでのヴァイオリンの弱音の表現の粗さなど・・・。今回は「えっ!」と思うような実力奏者がトゥッティに入っていたりしたのだが。

・また、例えば去年10月のシェレンベルガーとの「悲愴」で聴かせたような、音の渦が見えるような「音のうねり」はあまり感じられなかった。広響や大フィルで聴く秋山さんの音楽は、緻密でありながらもっと重量感・重厚感があったのだが・・・。もっとも、これはストラヴィンスキーの管楽器主導のオーケストレーションゆえかも知れない。

・目立ったのは木管楽器の首席奏者たち。常連客演首席のFg皆神さんとHr森博文さんのソロは聴衆を陶酔させる素晴らしさ。岡フィル金看板のOb工藤・Fl畠山・Cl西崎のトリオも文句なし。金管は最後はスタミナがギリギリな感じだったがうまく纏めた。

・岡山シンフォニーホールはこういう楽曲が最高にマッチするな、とつくづく思う。京都コンサートホールよりも芳醇に鳴り、フェスティバルホールよりも繊細な音が聴こえ、ザ・シンフォニーホールよりも懐が深く、兵庫芸術文化センターよりも弦が艶やかに鳴る。マーラー、R.シュトラウス、ストラヴィンスキー、レスピーギあたりを演るには西日本随一のホールだろう。10型2管編成の岡フィルにとってはお金もかかるし、なかなか取り上げにくいのだろうが・・・・

・全体の感想としては、シェレンベルガーの時とくらべてかなり音が変わったと感じた。それ以上に変わったのは音楽の造形だ。シェレンさんの音楽は常に「運動」しており、本場の(肉食民族の血が踊るような)推進力が感じられるものだった。絵画で言えばカスパー・ダヴィド・フリードリヒのようなイメージ。そうすると緻密で繊細な音楽を要求する秋山和慶のタクトは伊藤若冲になろうか?魂は細部に宿る、というイメージ。それだけに演奏者に対する要求が高く、結果として粗の多い印象を残したのかも知れない。秋山さんの指揮は大フィルや広響で聴いてきたので、どうしてもそれらの有力オーケストラの演奏と比較してしまう。

・ただ、シェレンベルガーも秋山和慶も、外連味や自己主張を排し音楽をストイックに追求するタクトという点では、路線は共通しているのではないか。10月定期のブラームスでは、3月定期の福田廉之介と作り上げたような火の玉サウンドや、シェレンベルガーと9年間で作り上げた、ドイツ語のディクションが感じられるような肉食系疾風怒濤の音楽を、秋山和慶にぶつけて行って欲しい。その結果生まれる音楽がどの様になるか?を楽しみに足を運びたいと思う。

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【ニコ生】東京交響楽団 名曲全集 第177回 Live from Muza! 指揮:ジョナサン・ノット [ストリーミング]

 月イチのニコニコ生放送で「東響サウンド」を堪能するのが、楽しみになっている。




 極限まで柔らかく、ニュアンスたっぷりに仕上げた牧神、日本初演の現代音楽を圧倒的な技術の高さで表現したデュサパン、でも、ここまではある意味想定通り。

 驚いたのはブラームスの交響曲第3番。自分が聴いてきたノット&東響の音源から、サクサク行くのかと思いきや、全くその逆。かなりのスローテンポで柔らかくじっくりと気の長いフレーズを紡いでいく。でも、聴いていくと斬新な解釈と思っていたテンポやフレージングは「これ以外に無い!」と思うような説得力に満ち溢れている。聴いていて本当に心地よい。どこまでも澄み渡る青空のような爽やかさ。いや、これはもはやこの世のものとは思えず、彼岸の先の理想郷かも知れない。

 そして最終楽章に入って、美しさはそのままに音楽が疾走を始める。ホント鳥肌が立ちっぱなしの演奏。

 岡山シンフォニーホールのステージで馴染みのある方のお顔も。フルートの畠山さんは今回は2番に座る。そうそうコンサートマスターには「THE MOST」の小林壱成さん。

 東響によると、ノットは「未来に向かって前に進んでいく作品を選んだ」そうだ。聴き終わったあと、自分の中でエネルギーが沸き起こるような演奏だった。これ、音源で発売されたら絶対買うね!

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RSKメッセージ特別編 さよならシェレンベルガー ~岡フィル指揮9年の集大成をここに~ [岡山フィル]

 SSブログは一定期間更新(おそらく50日ぐらい)が無いと、「広告非表示設定」が解除されてゴテゴテと広告が表情されてしまうので、月に1回は更新するようにしていたのだが、久しぶりに覗いてみると無惨な状態(しばらく家を空けていて、帰ってきたら雑草がボーボー、みたいな・・・)になっており、もう完全に時期を逸したネタではあるが、保守も兼ねて更新しようと思う。


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2013年に岡山フィルハーモニック管弦楽団の首席指揮者に就任したハンスイェルク・シェレンベルガー氏(ドイツ在住)が3月末で3期9年の契約を終える。世界最高峰といわれるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団でソロ・オーボエ奏者をつとめた卓越した音楽性を発揮し、岡フィルの名を全国のクラシックファンに知らしめた。しかし、コロナ禍で来日そのものがままならなくなり、最後のステージとなる筈だった3月の第71回定期演奏会も別のプログラムに差し替えられる事態に。
番組では、1年9か月ぶりに来日した2021年10月の岡フィル第70回定期演奏会と自身もオーボエを披露した12月の特別演奏会をダイジェストで紹介。幻のサヨナラ公演に代わるフィナーレを当番組で飾る。

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 RSK山陽放送のドキュメンタリー番組:メッセージは、以前にも岡山フィルの楽団改革や、演奏会の録画を放送しており、加えてラジオ放送でも「ブラヴォー・岡山フィル」という番組を放送するなど、全国的に見ても例がないほどメディアの露出が多いオーケストラになった。シェレンベルガーが首席指揮者に就任する前の、全く目立たない存在だった頃を思うと、隔世の感がある。



 番組HPの概要にもあるとおり、本来であればシェレンベルガーの首席指揮者としてのラストコンサートを追うドキュメンタリーを撮影し、ゴールデンタイムの本来の時間帯に放送する手筈だったのだろう。それが叶わず、これまでに撮りためていたインタビューや昨年の10月の定期演奏会により構成されていた。私としては、去年の10月定期でのチャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」の演奏シーンをじっくり見ることができたのは幸いだった。


 第1楽章の陰鬱とした序奏のあとの第1主題、弦、特にヴァイオリンがテンポ感を掴みきれていない感じがあり、当日の感想には「ここは充分に詰めきれていなかったか」と書いたが、奏者たちの「えっ!?」という感じの表情を見ると、もしかしたらリハーサルの時よりテンポが早かったのかもしれない。これがなんとも言えない切迫感を出していて、シェレンさんの狙い通りだったのかも知れない。

 第2主題に入り、これはコンサートでも感じたが、安らかにはならず、足を引き摺るような弦の下降音階の刻みが不安感を増幅させ、クラリネットの音をグロテスクに際立たせていたのはやはり意図されたものだったことが解った。

 劇的な展開部でのビートの聴かせ方、岡山フィルの鉄壁のアンサンブルは、録画で聴いても鬼気迫るものがある。一方で、会場で聴いた弦の狂ったようなうねりは、やはり録画では撮り切れていない、会場で聴いたものだけの体験になった。


 第4楽章も主要部分が放送され、心の奥深くに沈んでいくような演奏は、緻密な演奏設計と繊細な表現で成り立っていたことがよく解った。


 録画放送を見て改めて思ったのは、この日の演奏を貫いていたのは、異常なまでの緊張感である。 (実際には12月の特別演奏会には来日が叶ったわけだが)二度と来られない・聴けないかも知れない、という思いを、指揮者も奏者も頭の片隅に置きながらの音楽づくりだったのだろう。


 この番組のおかげで、私自身、シェレンベルガーさんとの夢のような9年間にピリオドを打つことが出来たように思う。秋山新体制になっても、テレビで取り上げてくれるように願っている。  

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