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2023年開館!『岡山芸術創造劇場』について(その6 集客力への不安) [芸術創造劇場]

 2023年に開館が予定されている岡山芸術創造劇場について考えるシリーズ。

 なかなか更新が進まないこのシリーズですが、今回はあまり前向きな記事にはなっておりません。どちらかとうと悲観シナリオ。
 今月、山陽新聞で岡山シンフォニーホール開館30周年の特集記事が出ていました。
岡山シンフォニーホール30周年・かさねてひびく(上)羽ばたく 郷土の若手、大舞台へ導く:山陽新聞デジタル|さんデジ https://www.sanyonews.jp/article/1198972
岡山シンフォニーホール30周年・かさねてひびく(中)いざなう 利用回復へ新たな魅力を:山陽新聞デジタル|さんデジ https://www.sanyonews.jp/article/1199311
岡山シンフォニーホール30周年・かさねてひびく(下)つながる 新劇場とともに 連携模索:山陽新聞デジタル|さんデジ https://www.sanyonews.jp/article/1199965

 記事の内容をここで詳しく書くわけにはいかないが、ざっくり言うと、岡山シンフォニーホールは福田廉之助、森野美咲など、世界一線級の音楽家を輩出する土壌になった、その一方で入館者数は1999年の31万人をピークに2013年には16万人に半減した。そこからはやや持ち直すなかで、コロナ禍が襲った。そんな中で新劇場とシンフォニーホールを一体運営する組織を発足させ、連携を模索する、という内容だった。


 この記事の中で「音楽芸術のシンフォニーホールに対し、岡山芸術創造劇場ハレノワは『身体表現』が中心となる、それぞれの特性を生かしていければ」「岡山は音楽や舞台の鑑賞人口がまだまだ少ない」とのコメントが採り上げられていた。新しい劇場は岡山シンフォニーホールにとって、あるいは岡山市街地の活性化、このシリーズ記事で見てきた「都心4コーナー構想」の一角としての集客力への期待に応えられるのか、「創造型劇場」の主要コンテンツとなる演劇や舞台芸術の集客力などを考えてみたい。


 今年の8月、岡山芸術創造劇場の愛称が「ハレノワ」に決まった。



 個人的には、3つの最終候補(『岡藝』『mirare』『ハレノワ』)の中では、『岡藝』が場所+催し事も含意する可能性があると思って投票したのだが、『ハレノワ』も悪くないと思う。『mirare』は「札幌コンサートホール kitara」「札幌文化芸術劇場 hitaru」の2番煎じ感が強く、コレは無いなと思っていた。


 岡山芸術創造劇場は貸館事業だけでなく、舞台芸術を自ら生み出していく「創造型劇場」を目指している。一方、表町商店街を中心とした旧城下町地区の活性化の起爆剤に、という地元経済界・行政界からの期待も背負っている。

 シリーズその3の「「都心4コーナー構想」の一角を担う」で見てきたとおり、1kmスクエアの中で、再開発や活性化が遅れた千日前地区に、岡山の内外から集客できるような施設をという構想がまずあった。90年代に計画された「フィッシャーマンズ・ファーマーズ・マーケット」が具体化することなく頓挫したあとに、形を変えて計画されたのがこの劇場。

 果たして、期待通りに多くの人を呼び込み、常に人で賑わうような劇場になるのか?劇場の主要コンテンツとなる「演芸・演劇・舞踊鑑賞」のデータを集め、予測を立ててみた。

 まず別のエントリーでも紹介した、文化庁の文化芸術関連データ集から「実演芸術(分野毎の公演回数)」を見てみよう。

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 これを見ると、新しい劇場の創造型事業の主力を担う演劇の公演数・団体数ともに衰退傾向にあることがわかる。最盛期の2004年と直近の2015年のデータを比較すると、36%もの落ち込みで、10年余りで2/3になっているのだ。

 この数字はオーケストラ公演数・団体数とは対象的な数字を辿っている。2013年以降にシェレンベルガーが岡山フィル首席指揮者に就任後、岡山フィルの集客力は飛躍的に伸びた。しかし、その背景にはオーケストラ業界自体の成長力が背景にあったことを、このデータは示している。


 上記のデータは団体数や公演数のデータしか解らないので、具体的な観客動員を時系列で追えるものとして政府の「社会生活基本調査」という調査がある。

 社会生活基本調査は、国民の生活時間の配分や余暇時間における主な活動の状況など、国民の社会生活の実態を明らかにするための調査で、趣味やスポーツについて抽出調査した項目もある。
 以下に挙げる表の数字はすべて%で、国民全体の中で当該項目を趣味と考えている人の割合を表していると考えて良い。

 まず、「演芸・演劇・舞踊鑑賞」についてみてみよう。

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 これを見ると、上記の文化庁のデータほどには衰退傾向は見られない。これは調査の対象が文化庁のデータは日本劇団協議会に加盟する団体のみのデータであり、社会生活基本調査は、演劇団体だけでなく、喜劇や漫才などのお笑い系や歌舞伎・狂言などの伝統芸能、大衆演劇、ダンス・バレエ、アイドルグループなどの公演も含まれるなどの母集団の違いがあり、それらが演劇の落ち込みをカバーしていることが見て取れる。
 しかし、年齢別のデータを見ると、若年層では顕著な減少傾向は見られないが、40代以上の世代で軒並み3〜5ポイントの顕著な落ち込みが見られる。
 これは筆者の推測になるが、一昔前の年配者は「芝居を観に行く」という行動がもっとメジャーだった印象がある。また、筆者の二回り以上上の世代(1960年代〜70年代に青春を過ごした世代)は、アングラ演劇全盛の時代で、若者に対する演劇の影響力は強大なものであったと聞く。データだけでは細かい動きは読み取れないが、観劇にアクティブであった年齢層が、軒並み高齢層に入り、業界全体として集客力に陰りが見えるのは事実だろうと思う。


 クラシック音楽鑑賞や、スポーツ観戦、映画館などのデータについては、以下の記事にて考察しているので参照をお願いしたい。


 上記記事で気になったのは若者の動きだ。スポーツ観戦やポピュラー音楽のライブなどでも、若者の実演・実技の生体験は軒並み数字を下げている。一方で、日時や場所の制約のハードルが低い映画鑑賞や、自宅で楽しめるゲームや動画配信などが急速に伸びている。本シリーズ:その4 「劇場の概要と計画」で取り上げた岡山芸術創造劇場の長期計画に『更なるデジタル社会への対応』が挙げられているが、「演劇や音楽は、生で体験してこそ真価がわかる」という訴えは若者には通用しない可能性がある。新しい劇場は自宅での同時鑑賞や、オンラインコンテンツとしての制作・配信や、あるいはネット空間と現実の舞台とを融合したあたらしい形の実演芸術のあり方などを模索する必要があるだろうし、2023年の開館までにこうした取り組みを想定した設計変更も検討すべきであろう。



 また、岡山芸術創造劇場の創造事業の主要コンテンツとしての演劇を中心とした舞台芸術の「集客力」は中心市街地の活性化の起爆剤になるとは考えにくく、この劇場に狭い意味での「賑わいの創出」という期待はあまり出来ないのではないかという結論になる。

 冒頭に上げた山陽新聞の記事でも触れられているように、岡山シンフォニーホールの集客はピーク時の60%程度に留まっており、岡山シンフォニービルも空き店舗が目立っている。そういった状況と同じことが繰り返されることになりはしないか。


 現在は、「新しい市民会館は「創造型劇場」なんですよ!」というPRが全面に出ているが、「創造型事業は」集客力の面では期待できない以上、その集客力不足をお笑いや歌舞伎などの古典芸能、ダンス・バレエ公演、アイドルの公演、それに加えて市民会館でやっていたポピュラー音楽の公演などで頼らざるを得ない。

 私自身は「創造型劇場」の役割に対する期待は大きいし、人口減少・超高齢社会化する中で、どのように社会を刷新し活力を生みだしていくか?という命題に対する一つの希望になりうる。ただ、「創造的劇場」が前面に出すぎると、ただでさえ高い演劇・舞台芸術の敷居がを更に高くしてしまう恐れもある。まずは「市民ホール」として、利便性や鑑賞の快適性が向上するなど、どのような魅力が増しているのかを、もっとPRしていく必要があるのではないだろうか。


 別の言い方をすれば、「創造事業」をが20年、30年スパンで長期的に成功するためには、貸館事業をいかにして軌道に乗せるかにかかっているのだと思う。もし、貸館事業の集客に苦戦するようになり、周辺地域の活性化もままならない状況になれば、結果にシビアな岡山市民のこと、「あがな不便なところに建ててしもうたから、ほれ見てみ、お客が入らん劇場になってしもうた。ありゃ失敗じゃ」といったように、必ず「創造事業」への風当たりも強くなるだろう。


 また、本シリーズ(その1:建設地に関する危惧)で、この劇場の「立地」が成功への足かせになると書いた。それは今回書いた「集客面での不安」と負のシナジーを形成することが怖い。


 今月の上旬に姫路にできた文化コンベンション施設「アクリエひめじ」では、新施設への市民の関心の高さや熱気が感じられた。その一因として開館前から新型コロナウイルスのワクチン接種会場として開放されたことで、SNSなどで採り上げられ、関心が広がっていったことがある。もう一つはアクリエ姫路が非常に守備範囲の広い施設、音楽芸術だけでなく、舞台芸術、会議やコンベンション、展示会、コミケやファッションショー、スポーツイベントに至るまで、あらゆる趣味や市民生活がこの施設とリンクしていくため自然と関心が惹起されていったのだろうと思う。


 ハレノワも、創造的事業(舞台芸術、身体表現)以外にも、ポップスやコメディ、アイドルや韓流などあらゆる分野のコンサートやライブの楽しみ方が変わること、あるいは旧市民文化ホールや市民会館を拠点に活動してきた合唱や吹奏楽をはじめとした市民の晴れの舞台が劇的に変わることへのアピールと、コストは増えない方策を考えることなどを、もっと前面に出して進めていくべきだろう。今のままでは舞台芸術に端から関心が無い層は無関心なまま開館を迎えることになる。もっと拡がりのある広報を望みたい。


 このシリーズ、もっと掘り下げて検討して行きたかったが、現状、調べたり書いたりする時間が取れないため、これで打ち止めとしますが、書きたかったことを端的に残しておくとすると、この劇場が長期的に成功していくためには、使いやすい行きやすい施設となることを極限まで追求したうえで、創造的事業については、岡山市が創造都市になると明確に名乗りを上げていく必要がある、創造都市を目指す中でこそ、この芸術創造劇場の位置付けが明確になるだろうと思います。また創造都市シリーズを書いていく中で、この劇場についても触れていこうと思います。

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姫路市文化コンベンションセンター『アクリエひめじ』大ホール [コンサートホール]

 ウィーン・フィルの姫路公演を聴くため、今年(2021年)9月に開館したばかりの姫路市文化コンベンションセンター「アクリエひめじ」を訪れた。

 このアクリエひめじについては、以前のエントリーでも触れたとおり、コンベンション施設と文化芸術ホールを一体整備した新しい施設である。



 2年後に開館するわが街の新しい劇場:ハレノワ、について考える上でも、非常に興味を持って中を散策した。その概要と感想を書いてみたい。



施設へのアクセス

 新幹線駅直結というのが大きな売りの一つであるが、じっさいに歩いてみた感想は『ビミョーに遠い』というものだ。


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  JRの姫路から歩く場合は、姫路城のキャッスルビューに繋がる中央改札ではなく、東改札のほうが近い。歩行者ペデッキを歩いてひたすら東へ、ホテルモントレー姫路やテラッソ姫路、専門学校などが連なっている。

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 このあたりの広大な土地には、かつて姫路操車場など鉄道施設があり昭和63年に始まった巨大な再開発事業は約30年ほどの間に3/4ほどが完了したところ。

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下の写真はコアゾーンのA〜Cブロックを東側から概観している。


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コアゾーンからイベントゾーンへ差し掛かる手前でアクリエひめじの建物の明かりが見えはじめるが、歩行者デッキはいったん途切れ、地上に降りることになる。ここで若干心が折られる感じ(苦笑)もちろん高齢者や障害者のためにエレベーターはきちんと整備されている。

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地上に降りると車通りの無い道を渡り、播但線の高架の下を少し進むことになる。


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来てみるまでは歩行者デッキが施設まで続いていると思っていたので、少々面食らったが、しっかり看板があるので迷うことは無い。


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播但線の高架下の横に逸れる形でスロープが現れた。なだらかな円弧を描く傾斜のついた美しいアプローチに息を飲む。

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神戸のメリケンパークにある「BE KOBE」パクリ オマージュのような(苦笑)モニュメントがお出迎え。


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スロープの両脇は「キャス21公園」となっており、イベント時の憩いのスペースになりそうだ。


 「意外に遠い」「歩行者デッキが途中で途切れて若干心が折れる」などと書き散らしたが、姫路駅に着きさえすれば、ホールまで鉄道乗り継ぎも信号待ちも無く12分も見ていれば確実にホールに到着する、というストレスのなさは最大の利点なのは間違い無い。19時開演のコンサートならば、姫路着18時30分の新幹線で確実に間に合うのだ。
 他のホールをみてみると、岡山シンフォニーホールは岡山駅から1km以上歩くか岡電に乗り換える必要があるし、ザ・シンフォニーホールやフェスティバルホール、京都コンサートホールも在来線や地下鉄への路線乗り換えが必要なのだから。




施設全体の概要


アクリエひめじの全体配置図を見ると・・・


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広大なエントランスホールを挟んで南と北の2つのブロックに別れており、南ブロックは展示場(コンベンションホール)となっている。

展示場の前にはギリシャ神殿形状の屋外展示場:にぎわい広場がある。音楽祭などのオープニングコンサートなどにも使えそうだ。


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南ブロックと北ブロックの間のエントランスホールは広大な吹き抜け空間。このスペースが圧巻だった。


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実はウィーン・フィル公演の開演前には(指定席にもかかわらず、なぜか)300人ぐらいの列が出来ていたのだが、余裕の収納力だった。たぶん1000人ぐらいの行列は余裕で対処できるだろう。


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右手がコンベンションホール(展示場)がある南ブロック、左手が大・中・小の各ホールがある北ブロック。プレイガイドなども左手にある。


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1階には展示場に繋がるロビーが、2階のエントランスホールとは別にある。大・中・小各ホール側と展示場側で別のイベントが開催されても導線を分けることが可能な設計になっている。



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 北ブロックには大ホール・中ホール、小ホール、スタジオや会議室などがある。コンサート開催時は会議室やスタジオが控室として機能し、コンベンション開催時は、例えば総会やパネルセッションなどは大ホールや中ホールで、分科会や専門部会は会議室やスタジオを使うのだろう。驚くべき機能性の高さ。


大ホールについて


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 満席の混雑とホール内撮影禁止のため、あまり写真は撮れなかった。全体的な雰囲気は、兵庫県立芸術文化センターやフェスティバルホールによく似ていた。それもそのはずどうやら設計者は同じ人だったらしい


※参考:フェスティバルホールのエントランス
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テラコッタの素材感の感じられる壁面はアクリエひめじにも受け継がれている

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※参考:フェスティバルホールの2階から吹き抜け空間を見る

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フェスティバルホール2階からのアングルはアクリエひめじとよく似ているが、フェスはやや高級感を出し、アクリエひめじは姫路産の木材の素材感をだしている。

あと、フェスティバルホールと比較すると、アクリエ姫路のほうが共用スペースの余裕が大きいことがわかる。展示場(コンベンションホール)も含めた広大なエントランスホールに加えて、ホール内の共用スペースにも余裕が感じられる。


写真はアクリエひめじに戻ります

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大ホールは多目的ホールではあるが、重厚な二重扉によって外部からの音の混入は完全にシャットアウトされている。


こちらは2階席の後方から。

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やはりテラコッタと姫路産木材の暖かい色調が印象に残る。

 

 客席に充分な傾斜をつけて(岡山シンフォニーホールの3階席と同等ぐらいか)いるので視界は確保されている。ただし足腰に不安のある方は気をつけて昇り降りが必要。


 座席のシートは少し難があって、角度が直角に近く身体をゆったりと預けるような姿勢が取れないため、1時間以上同じ姿勢で座っていると腰に疲労感が残る。ただし、シンポジウムや講演会などでメモを取ったりするような場面だと、この角度が丁度良いかも知れない。また、ポップスのコンサートで大半の時間立ち上がっているような場合は前席の背もたれの圧迫感がないのは利点だろう。
 気になるアコースティックな音響だが、ウィーン・フィルの感想記事でも触れたとおり、満席だとかなりデッドあるが、旧姫路市文化センターや旧フェスティバルホールのような音が瞬時に消えて無くなるような感じではなく、音の輪郭はクリアで各楽器の音の質感・音の旨味も失われることなく客席に届き、充分な迫力がある音が楽しめた。ただし、コントラバスなどの低音は茫洋とした音で、もう少し低音もクリアに響いてくれればと思う。
 総合評価としては、多目的ホールとしては音響は相当いい線を言っていると思う。姫路の周囲には岡山シンフォニーホールや大阪のザ・シンフォニーホールのような残響豊富なホールが林立しているが、それらのホールとは一線を画す個性を持っている。

最後に


 これは施設の責任ではないが、姫路市から働きかけて解決してほしいのが姫路駅の東改札口のみどりの券売機が1台しかなく、終演後は長蛇の列になっていたこと。券売機の増設は難しくてもe5489(ネット予約)の切符発券機ぐらいは別に設置しておいて欲しい。ただしこれも山陽新幹線がチケットレス特急券を導入すれば不要になるかも知れないが。


 ウィーン・フィルのコンサートの際は当日券購入のために開演1時間半前にアクリエひめじに到着したが、すでに200ぐらいの人々が集まって写真を撮りまくっていた(笑)座る場所にも事欠くほどで、急遽、中ホールのロビーを開放していたほどである。
 SNSや神戸新聞などの地元のメディアのニュースを見てもアクリエひめじのオープンはかなり話題にのぼっており、コロナ禍での逆風の中、こけら落とし公演だった日本センチュリー交響楽団の姫路公演は早々に完売。今後のオープニング・シリーズ公演の売れ行きも好調のようだ。この施設にかける姫路・播州の市民の期待は極めて熱いものがある。
 話題作りの一翼を担ったのが、兵庫県の新型コロナウイルスワクチン大規模接種会場に提供したことだ。9月の正式開館や7月の市民内覧会よりも前、まだ内装や設備工事の真っ最中の6月中旬からワクチン接種者がこの施設を訪れ、施設の写真や姫路駅からのアクセス利便性などをSNSに投稿することで情報が拡散され、播磨圏の広い地域で会館への期待の機運が一気に高まった。
 よく「ハコモノ」などと揶揄される事もあるが、新しい施設が出来るということは、それが優れた意匠や設計であればあるほど人々に夢と希望、活力を与えてくれる。アクリエひめじ内部を探検する姫路の人々の明るい表情をみてつくづくそう思った。
 2023年に開館する岡山芸術創造劇場ハレノワも、オープンへの期待機運を盛り上げるために、竣工前の内装工事段階から積極的に内覧会などを行い、SNSやYoutubeなどでどんどん発信をしてもらう、優れた建築物が街に与えてくれる活力を生かさない手はないだろう。 

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初代岡山フィル首席コンサートマスター:高畑壮平さん、ありがとうございました [岡山フィル]

 ウィーン・フィルの名演に接して浮かれている時でしたが、寂しいニュースが・・・・

 岡山フィルから発表がありました。
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首席コンサートマスター退任のお知らせ

2017年10月の首席コンサートマスター就任以来、様々な場面で岡フィル発展のためにご尽力いただきました高畑壮平氏が、居住地のドイツを中心に演奏活動の依頼があることから、年度途中ではありますが9月30日をもって退任されましたことをお知らせいたします。
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 高畑さんは9月から年度が始まるドイツの方だし、岡山フィル首席コンマスの就任自体も10月というタイミングだっので、9月末の退任というのはさほど不自然ではないのですが、わざわざ「居住地のドイツを中心に演奏活動の依頼があることから、年度途中ではありますが」などとことわりをいれるあたり、妙に生々しい内容で、もう少し書きようがあるんじゃないか?とも思ったりします。


 あと、退任が9月末ならば、発表になぜ1ヶ月以上も時間を要したのかも不可解。9月末の岡山国際音楽祭のオープニングコンサートには出られていたそうなので、事前に告知があればラストコンサートを見に行けたかもしれないなあといううらみはあります。


 もしかすると次期首席コンマスの目処が立つまでペンディングしていたのかも?この仮説が正しければ、答えは来シーズンプログラム発表時(12月頃?)に解るかも知れない。


 高畑さんの立場に立てば、日本に一旦来てしまうと自動的に2週間(入国時)+数日(帰国時)の無為な時間(隔離待機)を過ごさねばならず、新たな年度に入った現地での仕事にも支障が出る、という状況は理解はできます。

 ラジオ番組などでの発言や漏れ聞く話によれば、高畑さんは岡山フィルのコンサートマスター職に就任するのを、ずいぶん悩まれたようです。
 40年ドイツのオーケストラでコンサートマスターを勤め上げたことで、技術やそれを保持する職人(マイスター)を大事にするドイツに於いて仕事は引く手数多の筈で、方や岡山フィルという発展途上でどこまでモノになるか解らない日本のオーケストラの初代首席コンサートマスターを引き受けるのは、リスクを取る選択肢だったはずで、よく引き受けて下さったと思う。
 故郷のオーケストラがシェレンベルガーの元で、楽団結成以来、最大の改革をしている。それに一肌脱ぐために、自分のやりたい活動をある程度犠牲にしながらやって来られたのでしょう。

 しかし、岡山フィルと、われわれ岡山の聴衆にもたらした高畑首席コンマスのインクパクトは凄い物がありました。
 かつて「無味・無臭・無色」「独自の音を持たないオーケストラ」などと言われたオーケストラが、 2013年のシェレンベルガーの首席指揮者就任、2017年の高畑首席コンマスの就任で、国内のオーケストラ業界のヒエラルキーに属さない、独自の道を歩み、独自のサウンドを創っていく方向に一気に舵を切った。キャリア的に見ても「ドイツ人コンサートマスターがやって来た」のと同じことが起こったわけです。結果、2017年〜コロナ禍前までの観客動員の大幅増を達成し、県外からも聴衆を集める「個性派オーケストラ」となりつつありました。

 高畑さんが奏でる音楽は心の琴線に触れ、(私が一度も行ったことがない)ヨーロッパの景色や人々の息遣いを眼前に見せてくれるような魅力がありました。
 すぐに思いつく限りでも、ブルックナーの4番やモーツァルトの交響曲での「ブルルン」とした本場のオーケストラのような音に痺れ、ソロではラプソディ・イン・ブルー、そして今年7月のジークフリート牧歌の弦トップの方々との掛け合いには涙腺が緩みました(今から思えば、惜別の演奏だったのでしょうか)。その音は日本で活躍されているどのヴァイオリニストからも聴けない、独特の輝きとコクのある音で、シェレンベルガーさんとともに、ドイツ直輸入の音楽を奏でてくださいました。

 他にも、私は直接会話を交わしたことはないものの、非常に気さくなお人柄が印象に残っています。シェレンベルガーさんの通訳として開演前の楽曲解説をされていたのも印象的。


 上の動画は少し違いますが、シェレンベルガーさんが英語で話しはじめると、「あっ、マエストロ、私、ドイツ語で話してもらった方が・・・」というやり取りは、毎度のお約束になっていました(笑)

 岡山の聴衆はシェレンベルガー&高畑コンマスのコンビを支持していましたし、特にコロナ禍でシェレンベルガーさんの来日が叶わずキャンセルが続いていた今年の1月に、高畑さんがコンマス席に帰ってきたとき、会場は熱い拍手で迎えましたね。私自身も、どれほど嬉しかったことか!

 高畑壮平さん、本当にありがとうございました。岡山フィルが、高畑さんの残したエッセンスを引き継いで、独自の音を作って行く。残された聴衆の一人として、しっかり見届けて行きたいと思います。

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ウィーン・フィル 2021 姫路公演 ムーティ指揮 [コンサート感想]

ウィーン・フィルハーモニー ウイーク イン ジャパン2021 姫路公演

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シューベルト/交響曲第4番ハ短調「悲劇的」
ストラヴィンスキー/ディベルティメント〜バレエ音楽「妖精の接吻」による交響組曲〜
〜 休 憩 〜
メンデルスゾーン/交響曲第4番イ長調「イタリア」


管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮:リッカルド・ムーティ
コンサートマスター:フォルクハルト・シュトイデ
2021年11月5日 アクリエひめじ 大ホール


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・実はこれが初めてのウィーン・フィル体験であり、初めてのムーティー体験だった。岡山のクラシック音楽ファンは、2001年のラトルとの倉敷公演(オール・ベートーヴェン)、2005年のムーティーとの岡山公演(オール・シューベルト)、そのどちらかに行っているだろうが、もうとにかくその頃は仕事が忙しくて、前売り券を買う気力が沸かなかった。くらしきコンサートが解散してしまった今、岡山にウィーン・フィルが来ることは期待できないだろう。本当に貴重な機会だった。

・今回は関西都市圏での開催、新ホールの杮落とし公演にもかかわらず、当日券があったというのは奇跡だった。感染者数が落ち着いたとはいえ、コロナ禍の影響もあったのだろう。かく言う私も職場のルールでステージ2になると県外との行き来が規制されるし、子供もしょっちゅう熱を出すので前売り券は怖くて買えない。当日に電話確認したら「A席のみ100枚ほどは出ます」との回答、34000円を握りしめて新幹線に乗り込んだ。万が一売り切れの憂き目にあったら、穴子寿司をヤケ食いして帰れば良い。

・当日券なのに、事前に自分が「このあたりの席を買えたらな」と思っていた席が空いていた。左サイドバルコニー。しかも、舞台に向かって急な傾斜になっているので、舞台からの距離はかなり近く、ホールの天井に上がっていく直接音を存分に浴びた。にも係わらず、私の左隣も含めてポツポツと空席があった。たぶん、次回来るときもこのあたりの席を取ると思う。

・アクリエひめじ大ホールは、コンベンションセンターの一部としての役割を考えると、講演会や国際会議に寄せた音響設計になっている筈で、期待はしていなかったが、予想を上回る良好な音響空間だった。ただ高音はとても綺麗に響くが、低音は輪郭が茫洋とする感じはある。残響は1.6秒〜2.0秒とのことなので、満席と観客が秋の装いなのを勘案すると1.6秒ぐらいだろう。残響の多いホールが林立する中で、こういうややデッドで直接音を楽しめるテイストのホールもあっていいと思った。
 また、このホールについては別のエントリーに起こしたいと思う。


・昨年はコロナ禍の中で、日本のみのツアーだったが、今回は日本での7公演(東京、名古屋、大阪、姫路)のあと韓国(ソウル、大田)、中国(広州、上海)も巡る東アジアツアーの一環になっているようだ。ウィーン・フィルは「こけら落としホルダー」と言われるほど、新しいホールが大好物。伝統を頑なに守る一方で、好奇心の強い集団。どんなホールでもアジャストするという自信があるのだろう、それに、のちのちまで「わが街のホールの杮落としにウィーン・フィルが来た」と語られるわけで、そこにも価値を見出しているのかも知れない。


・楽器配置は1stVn14-2ndvn12-v8-Va10、Cbは上手奥に7。シューベルトとメンデルスゾーンは2管で、ストラヴィンスキーではピッコロ(持ち替え)、イングリッシュホルン、バスクラリネット、ハープ、バスドラムなどが加わる。


・ホルンはシューベルトがウィンナホルン2本、ストラヴィンスキーがヴァルトホルン(フレンチホルン)4本、メンデルスゾーンはヴァルトホルン1本にウィンナホルン2本を組み合わせる。


・ムーティは舞台に出た瞬間、「おおーっ」と会場の空気が一変するようなオーラを纏っていた。傘寿とは思えない、颯爽とした指揮で時折屈伸するような指揮を見せたり、アンコールの際にクルッとターンして客席に話しかけたり、まあとにかく格好良かった!!


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※ホール内撮影禁止のため、モニターで当日の舞台の雰囲気を


シューベルト/交響曲第4番ハ短調「悲劇的」
・いやー、この曲からこんな造形の美しさ、壮麗な響を引き出すなんて、第1楽章は愛聴盤のケルテス/ウィーン・フィルの演奏よりもかなり遅い。遅いが極めて密度が濃い。

・弦を少し走らせ、管楽器と打楽器がかなり遅れて出る事によって、堂々たる世界を作る、ベームとの録音でもよく聴かれるこの技を、他のオーケストラがやると、締まりのない演奏になってしまうだろう。

・クレッシェンドのかけ方が、息を合わせるという感じではなく、「ここは当然こう弾くよね〜」て感じでグワッとかけるので、もうこれがめちゃカッコいい。

・後半のメンデルスゾーンもそうだったのだが、ムーティはしばしば両手を完全に下げて、オーケストラに預ける場面が見られた。ムーティーは指揮台に王様のように君臨し引っ張っていく、というイメージを持っていたが、それだけウィーン・フィルとの信頼関係が深いのだろう。

・と思えば、やおら大きなアクションでオーケストラを統率する。ムーティーが動くときの音楽の切れ味は、僕が子供の頃に聴いたキレキレの音楽づくりと何ら代わりはない。いやはや傘寿とは思えない。オーケストラも「待ってました!」と言わんばかりに、輝きを増し客席に音の風を届ける。ウィーン・フィルが最大のパフォーマンスが出せるよう、馬なりに任せる場面と手綱を締める場面を使い分けている感じ。

・第2楽章もじっくりとしたテンポで進む。物凄くディテールに拘った表現。この曲は生演奏では2度めの鑑賞体験だが、この楽章、こんなにいい曲なんや。まるで抱擁されるような感覚。身も心も溶けていく。

・木管と弦が掛け合いながら、弦が「タリタタタタタタ」と音階上昇する場面。音源鑑賞のときは退屈に感じる場面でも、ウィーン・フィルの弦・木管の音が優しく、美しく奏でてとても印象深い音楽になる。

・第3楽章のメヌエット。本来、ベートーヴェンの影響下を強く感じさせるこの楽章を、どっしりとした造形美で聴かせ、、まるでブルックナーのスケルツォ楽章の方に近い印象。

・第4楽章は快速テンポ、どんどん畳み掛けてくる、推進力に満ちた弦のボウイングがピタリと合わさって、音のうねりとなって客席に迫ってくる、いやー、上手い。この曲がこれほど魅力的な曲だったとは!家に帰ったらウィーン・フィルの録音で聴き直してみよう。これがウィーンの音楽、その圧倒的な説得力!



ストラヴィンスキー/ディベルティメント〜バレエ音楽「妖精の接吻」による交響組曲〜
・このコンサートに行こうかどうか迷っている時、読み返していたこの本に書かれていた(特に小澤征爾さんとの関わりの中でのお話)ウィーン・フィル独特の音作りについて顕著に感じられたのが、このストラヴィンスキーでのウィーン・フィルのフレーズ作り。彼らは点で合わせる(縦の線を合わせる)、という事をほとんどしない。例えば第2楽章でバンッというトゥッティなど、必要な場面では寸分違わず点で合わせて見せるが、フレージング上の流れや音のふくよかさや豊かさが必要な場面では、そこにこだわらない(というか必要ない)のがよく解る。ピシッと縦の線が揃っている演奏をするオーケストラが上手いという固定観念が拭えない私は、今回の演奏をテレビ放送とかでみたら、恐らく「縦の線がキッチリしてないなぁ…」と思っただろう。実際、15年ほど前のスペイン狂詩曲の放送を聴いて、「ずいぶん緩いなあ」と感じたものだ。ウィーン・フィルの何が凄いのか、少しだけ垣間見る事ができた「気が」する。

・特に第2楽章のホルンの音。あー気持ちええー!!!人間が楽器を使って出せる最も魅力的な音だろう。そこに絡むトロンボーンの音も、恐ろしくまろやか。

・ホルン以外にも管楽器奏者の腕の見せどころが多い。管楽器のソリスト(あえてソリストと書く)たちが、会場の空気を支配し陶酔させる。フルートはシュッツとアウアー揃い踏み。両者ともソロで協奏曲を聴いているが、これが笑えるほど極上の音を奏でる。オーボエはブライト、クラリネットはダニエル・オッテンザマー、他のセクションはお名前までは覚えていないが、ニューイヤーコンサートの中継ではお馴染みの顔ぶれ。日本風に言えば人間国宝集団。

・フランス時代のストラヴィンスキーの曲は色彩豊かで、そこなロシアのエッジのたったリズムが入ってくる。たしかに響きは豊かなのに、音楽はスレンダー、シューベルトやメンデルスゾーンとは質感が違う。一方で、音楽的にとても豊かでふくよかで、完全にウィーン・フィルの音楽にしてしまう。

・まるでトタン屋根にどしゃぶりの霰が降るようなカーテンコールの際は、ほとんどの管楽器奏者を指名したムーティ。かなり手応えのある演奏だったのだろう。

・休憩時間中はチケット半券を持てば大ホールの外へ(つまりコンベンションセンター全体のロビーに)出られるようにしていた。大ホールのホワイエには、あまり休憩スペースがないから、この措置はいいね。


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メンデルスゾーン/交響曲第4番イ長調「イタリア」
・泣けた。この曲、こんな泣ける曲だったのか。体がうち震える感動、というのはこういう体験なんだな。1曲目のシューベルトからそうだったが、この聴衆を惹き付ける力は何なのか。オーケストラと聴衆が対話している。「色々あった一年やけど、今、こうして日本のみんなの前で演奏出来て、ホンマにめっちゃ嬉しいで!」というメッセージがバンバン伝わって来た。涙腺崩壊。

・シューベルト4番と同じく「イタリア」の第1楽章も、颯爽としたムーティのイメージを覆す、スローテンポによる堂々たる音楽。スローでも単位時間あたりの密度は極めて濃厚。一方、最終楽章は重厚さを保ったまま驀進する。お見事!と声をかけたくなる。

・第1楽章の中間部、短調に入って音楽が緊張を増していき、クラリネットに誘導されて長調に戻った瞬間、すべてが開放される。ムーティーは左腕をオペラの主役の歌手がアリアを歌う時みたいに、腕を大きく掲げると、オーケストラがこの世の生命の喜びをかき集めて来たみたいに、大いに喜び大いに歌うのだ!こんなに美しく歌うメンデルスゾーンはこのムーティを最後に、2度と聴けないような気がする。

・第2楽章もゆっくりとした足取りの中に、とても繊細で、木管と弦の音が溶け合い、どの瞬間もまろやかで美しいハーモニーを独特の節回しで、実に聴かせる!

・第2楽章と次の第3楽章は今まで聴いてきたどの演奏よりも心に残るものだった。第3楽章中間部のホルン二重奏はウィンナーホルンを持つ2・3番奏者が担当。なんとまろやかかつ、そしてちょっぴりスモーキーな音。ストラヴィンスキーの第2楽章のホルンのユニゾン(ヴァルトホルン)とはまったく違う質感の音で楽しませる。そこにシュッツのフルートが絡む瞬間。この音は忘れられない。

・第4楽章はやおら快速テンポで怒涛の演奏を見せる。弦のざくざくとした質感の音も、これまた気持ちいい。イタリア舞曲を奏でる木管の名人芸も見事。

・アンコールはヴェルディの「運命の力」序曲。吼えまくる金管、嵐を呼ぶ弦。巨大な生き物のように歌い上げるカンタービレ、ダイナミクスを駆使してホールの音響飽和限界を超えるような爆演を見せる。なのになんでこんな美しくも輝かしいのだろう!ムーティーの背中が、我々聴衆に「Forza!Forza!Forza!!」と勇気づけているように感じられ、またまた感涙。

・客席はみんな我を忘れてスタンディングオベーション、禁止されてるブラボーも若干飛んだような気がするが、皆ハンカチを振ったり、千葉ロッテの応援のようにジャンプしたり、足をドンドン踏み鳴らしたり、ブラボー禁止故に手段を選ばぬ感情表現!祭りの国:播州人の血が騒いだか。クラシックのコンサートでこれほどの熱狂、興奮の坩堝になるのは極めて異例。これには楽団員も「おいおい、日本人がここまでエキサイトしてるよ、すげー」といった風情で驚いていた。ムーティも楽団員もステージから去るときに友情たっぷりの会釈や手振りで答えるが、ボルテージが臨界点に達した客席は、当然収まりが着かず、オーケストラがはけたあとにムーティ一人が登場して一般参賀、しかしそれが帰りかけていた聴衆にも火をつけてしまい(笑)2回目の一般参賀、ムーティーがさよならのポーズをしてようやく終了。

・分散退場待ちの時間、客席からどんどん人が居なくなっても、熱気だけは残っている感じ。姫路駅までの長いデッキでも、コンサート帰りの集団だけ異様な雰囲気を発していた。

・チケット代に一月分のお小遣いを投入したけど月末まで霞を食ってもいいと思えるコンサートだった。まあ、コロナで中止が相次いだために溜まったコンサート預金があったからそんな事にはならないのだけれど。

・ウィーン・フィルの音、最近の録音を聴くと、ベームやケルテスが活躍した60〜70年代から音が変わって来ていると思っていたけど、こうして生で聴いてみると、いやー、これはやっぱり唯一神無二のサウンドだよなーと思う。ドレスデン・シュターツカペレ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管は、音の質感と「泣き」に心を揺さぶられたが、ウィーン・フィルの音は何と言葉に変換すれば良いのか、多幸感に包まれる、としか言いようがないか。

・演奏とは関係ないのだが、後半、舞台のひな壇の後に隠れるように、一人恰幅のいいおじさんが、待機状態で座っていた。はじめは「アンコール要員かな」と思っていたが、アンコールが始まってもずっと座っていたので、結局謎のままであった。もしかするとバブル方式にアクシデント(観客が興奮しすぎてステージに押し寄せたりとか?!)があった時のための要員だったりして?



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シェレンベルガーから秋山和慶へ、新時代に突入する岡山フィル(その4:最終回) [岡山フィル]

 前回と今回は、2022年4月の秋山ミュージック・アドバイザー(以下、秋山MA)の就任後の岡山フィルについて予測してみたいと思う。予測の内容は独断と偏見によるものだが、秋山さんの広響や中部フィルでの実績や、秋山さんの回想録の記述などを根拠としている。


過去記事はこちら



シェレンベルガーから秋山和慶へ、新時代に突入する岡山フィル(その3)

 今回は秋山ミュージック・アドヴァイザー体制において、岡山フィルがどのような方向へ向かい、どのようなプログラムが取り上げるのかについて考えてみたい。

 ここでまず、秋山さん自身の人柄や考え方を知るために、回想録などからエピソードを集めてみよう。

○理想は「今日、指揮したのはだれだっけ?」
『今日は秋山がこんな風に振ってた』なんて言われるようじゃまだまだ、自分を消し、作曲家の世界をどれだけ高い純度で人々の心に届けることができるか。だから「今日、指揮したのはだれだっけ?」となるのが理想。

○音楽を利用して自分の名声を高めようとしてはならない
 斎藤秀雄からの教えであるこの言葉を自身の信念とする。だから、「有名楽団の指揮者に鳴り物入りで就任して、数年でさよならというのは、私は興味がありません」と断言する。岡山フィルの仕事を引き受けたのも、こうした秋山さんの信念によるものだろう。

○指揮者生活最高の思い出は5ルーブル銀貨
 広響のサンクト・ペテルブルグ公演の最終リハーサルの時に、楽屋裏の食堂のおばさんがつかつかやってきて、涙を滲ませながら「私はここで40年働いていて、この曲は何度も聞いたが、これほど胸を打たれたことはない」「私にできることはこれしか無いですが」と言って帝政ロシア時代の五ルーブル銀貨をくれた、それが50年の演奏活動の中で最高の思い出と語る。

○言葉をなるべく使わず指揮の動作で伝える
 オーケストラのリハーサルの際はなるべき言葉を使わず、指揮の動きで伝える。腕を振る速度、大きさ、手の表情などで、無尽蔵のニュアンスを伝えることができると断言する。秋山さんのタクトは、それ自体が芸術だ、という人も多い。

 次にオーケストラの体制整備について。秋山さんは、日本の若い奏者のレベルは年々高くなっており、世代交代すればオーケストラのレベルは上がる、との考えを持っている。広響を見ても、秋山さんの時代にも世代交代が進み、演奏レベルが飛躍的に上ったことは証明済。

 そこで筆者が注目しているのは前回エントリーで少し触れた、中部フィルで前代未聞の大改革だ。
 
 2013年に中部フィルのレベルアップのために、既存の楽団員の再オーディションを行って、10名の団員の契約の更新を見送った。
 プロのオーケストラに入るためには、当然、オーディションを経て入団している、その過去に合格したオーディションをチャラにして、やり直すというのは大変な軋轢を生んだことは想像に難くない。
 この改革は労使問題に発展し、日本音楽家ユニオンでも「争議重要問題」として取り上げられている。

 一方で「中部フィルだより15周年記念号」によると、この再オーディションを最終的に受け入れた背景には、あるアーティストとの共演で、「演奏上の不具合」についてそのアーティストが激怒し、以後の共演を断られるという事態に直面した事件があったようだ。
 また、地元紙の報道では(一次資料が有料のため見ることができず、二次資料での確認になるが)、「仲良しクラブから脱却しなければ」「甘えを捨て、改めてプロとしての覚悟が出来た」との当時の楽団員の声が取り上げられている。
 こうして見てみると、秋山さんが強権で改革を断行したのではなく、「このままじゃダメだ」という思いをもった楽団員と共有しての改革だったと言えるだろう。

 一聴衆として他のオーケストラの演奏も聴いてきた実感としては、岡山フィルの個々の奏者のレベルはそこまで深刻な状況とは思えないが、プロのオーケストラビルダーの秋山さんがどう判断するか?
 また、岡山フィルの公演数が激増し、例えば年間50公演を超えるようになれば、楽団員の入れ替わりはかなり起きると思う。公演数が激増し、また初めて演奏するプログラムを次々にこなしていく状況になれば、付いていけない人や、オーケストラ奏者よりも個々の演奏活動や教育活動にプライオリティーを置きたい奏者も出てくるだろう。逆に水を得た魚のように、オーケストラ奏者としてのレベルアップに遣り甲斐を感じる人も出てくる。
 そうした楽団員の入れ替わりの中で、岡山フィルの音をどう繋いで、レベルアップも図っていくのか?秋山さんとの5年の時間は飛躍の前の正念場になるだろう。

 次にオーケストラ・ウォッチャーとして妄想が広がるのは、秋山&岡フィルのプログラミングである。

 その2でも触れたとおり、秋山さんはバロックから現代音楽まで膨大なレパートリーを持っている。
 回想録には、「オーケストラは古い曲や同じ曲ばかり演奏していてはマンネリに陥る。どんな曲でもこなせるようにしなくてはいけない」と述べていることから、これまで岡山フィルでは採り上げられなかった楽曲が一気にプログラムに載るようになることは確実だ。

 それでは今後採り上げられそうな楽曲を大胆に予想してみよう。
 まず、前提条件として岡山フィルを日本オーケストラ連盟正会員レベルの楽団を目指すのであれば、定期演奏会は年に6回〜8回程度に増やしてレパトリーの拡大とレベルアップを成し遂げる必要があり、また、依頼公演をどんどん取ってくるためには、オーケストラ奏者が「本業」に出来るコアメンバーを固めて行く必要がある。そうなると予算的にもエキストラてんこ盛りとなる3管以上の編成を組めるのは年に1〜2回程度、2管編成で演奏可能な楽曲が中心となるだろう。

 秋山さんが特に取り上げるであろう楽曲を、独断と偏見でランク付けしてみよう。

AA(採用確率80%以上)
モーツァルト/28番以降の交響曲(2管)
シューベルト/交響曲第4番「悲劇的」、第5番、交響曲第8番「グレイト」(2管)
ベルリオーズ/幻想交響曲(変則2管)
フランク/交響曲(2管)
ブラームス/交響曲第2番(2管)
シューマン/交響曲第3番「ライン」、第1番「春」(2管)
ワーグナー/序曲、前奏曲(2管)
チャイコフスキー/交響曲第1番、第4番(2管)
シベリウス/交響曲第2番(2管)
ラフマニノフ/交響曲第2番(3管)
R.シュトラウス/ドン・ファン、死と変容(2管)
バルトーク/舞踏組曲(2管)
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥(1919版)」(2管)
三木稔/オペラ「ワカヒメ」組曲
 岡山フィルはシェレンベルガーがベートーヴェンとブラームスの交響曲全曲を演奏しており、秋山さんがその成果をどのように評価されるかだが、私はベートーヴェンは主要作品を再度採り上げつつも、ブラームスは再度の全曲演奏を行うかも知れない、と考えている。特に第2番については、秋山さんの思い入れも強く、オーケストラの実力を図るために、早期にプログラムに上げるのではないだろうか。
 十八番のチャイコフスキーの1番、シューマンの3番、シベリウスの2番、ラフマニノフの2番、コロナ禍による中止で飛んでしまった「火の鳥」かなりの確率で5年間の間に採り上げられるだろう。

A(採用確率60%以上)
ハイドン/ロンドンセット(2管)
シューマン/交響曲第2番(2管)
ブルックナー/交響曲第3番(2管+α)、第5番(2管+α)、第7番(2管+α)
マーラー/交響曲第4番(変則3管)、第5番(変則3管)、交響曲「大地の歌」(3管)
シベリウス/交響曲第1番(2管)
ラヴェル/ダフニスとクロエ第2組曲(3管)、スペイン狂詩曲(2管)、ラ・ヴァルス(変則2管)、クープランの墓(2管)
R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」(3管)、ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯(3管)
バルトーク/管弦楽のための協奏曲(3管)
エルガー/エニグマ変奏曲(変則2管)
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「ペトルーシュカ(1947版)」(3管)ストラヴィンスキー/ディベルティメント
プロコフィエフ/交響曲第1番「古典」(2管)
武満徹、細川俊夫、など邦人作品
B(採用確率40%以上)
ブルックナー/第8番(3管)、第9番(3管)
マーラー/交響曲第9番(4管)
シベリウス/交響曲第5番(2管)、第6番(2管+α)
チャイコフスキー/マンフレッド交響曲(2管)
ヒンデミット/交響詩「画家マチス」(2管)
ニールセン/交響曲第4番「不滅」(3管)
ヤナーチェク/シンフォニエッタ(3管)
プーランク/シンフォニエッタ(2管)
プロコフィエフ/交響曲第5番(3管)、第7番「青春」(3管)
シェーンベルク/室内交響曲第1番(3管or1管)、
 上のA,Bで挙げた曲は、そのほとんどが岡山フィルでは採り上げたことがない曲ばかりだ。中には3管編成以上の大規模な編成を要する楽曲もあるが、オーケストラの演奏能力向上のために予算と相談しながら採り上げてくると思う。
 私はブログの感想で、「岡山フィルの演奏は、他の国内のオーケストラと比べても遜色がない」「コロナ禍で遠征が出来なくても、岡山フィルの演奏が聴ければ充分満足できる」と書いてきた。その感想に嘘はないが、かといって岡山フィルが「真のプロ・オーケストラ」か?と聞かれれば、現状では「まだまだ」と言わざるを得ない。真のプロ・オーケストラになるためには、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーやドヴォルザークなどの重要作品を高水準で演奏できるだけでなく、A,Bで挙げたような曲を3日のリハーサルだけで完璧に仕上げて本番を成功させ、それが終わるとすぐさま初経験の曲を3日で仕上げて本番を成功させる、そんな繰り返しをこなせるタフさが必要だ。
 実は私は近年の岡山フィルの演奏水準の充実に比べて、音楽雑誌に演奏会表などが採り上げられることが少ないことに疑問を持ち、雑誌への意見投書などを行ったが、その際に思い知ったのは、狭いレパートリーの中でいい演奏するだけではプロ・オーケストラとして認められることは無いということだ。恐らく岡山フィルもその事を知った上で秋山さんを後任に選んだのだろうと思う。

C(可能性は殆どないが、秋山さんの指揮で聞きたい曲)
ヒンデミット/ウェーバーの主題による交響的変容(3管)
ウォルトン/管弦楽のためのパルティータ(2管)、交響曲第1番(2管)
バーンスタイン/交響曲第2番「不安の時代」(3管)
アダムス/室内交響曲(変則1管)、「中国のニクソン」より「主席は踊る」(2管)
バルトーク/弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽(弦・打)
プーランク/バレエ組曲「牝鹿」(3管)
ツェムリンスキー/叙情交響曲(3管)
ルトスワフスキ/管弦楽のための協奏曲(3管)、交響曲第1番
コリリアーノ/交響曲第1番(3管)、ハーメルンの笛吹き(3管)、レッド・ヴァイオリン(弦・打のみ)
 このCグループの楽曲は、もはや私の趣味の選曲である。しかし、秋山さんのレパートリーにあるこれらの曲を岡山フィルでも採り上げられるようになったとき、岡山フィルは「真のプロ・オーケストラ」になったと言えるだろう。
 そうなれば編成上の都合で採り上げることが難しい曲でも広響やセンチュリー響との合同演奏であれば可能性はあるかも知れない。現状では岡山フィルと広響やセンチュリー響とはレベルが違いすぎて、夢のような話だが、現実に秋山さんが芸術監督を務めている中部フィルはあの名古屋フィルとの合同演奏により、マーラーの交響曲第2番「復活」を演奏している。
 とまあ、色々妄想は広がったが、まずは楽団からの来季プログラムの公式発表を待ちたいと思う。

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