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東京都交響楽団 岡山公演 小林美樹(Vn) 下野竜也 指揮 [コンサート感想]

オーケストラキャラバン 東京都交響楽団 岡山公演

グリンカ/歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調op.64
チャイコフスキー/交響曲第5番 ホ短調

指揮:下野 竜也
ヴァイオリン:小林 美樹
コンサートマスター:矢部達哉


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・岡山での緊急事態宣言明け初日(ただしまん延防止措置に移行)のコンサートとなった。8月末のN響岡山公演をパスせざるを得なかった私にとっては今年初めての岡フィル以外のオーケストラ公演になる。

・都響の岡山公演は新聞情報では17年ぶりらしいが、実は岡山シンフォニーホールと都響は縁が深い。都響の芸術主幹の方は岡山シンフォニーホールの元プロデューサーで、逆に岡山フィルの音楽主幹の方も元都響のホルン奏者。その縁もあり都響は岡山フィルによく奏者を派遣してくれていた。恐らく岡山フィルが日本オーケストラ連盟に加入したときも都響の推薦があったのではないかと思う(加入条件に正会員からの推薦が必要)。一方で都響そのものが岡山に来ることは少ない。

・都響は国内トップのオーケストラでありながら、東京都という地方自治体の管理下にあるコミュニティ・オーケストラの側面を持つ、2,3年に1度のペースで岡山に来てくれるN響や、5年に1度のペースで来てくれる新日本フィルに比べると地方公演に対するウェイトが低くなるのはやむを得ないか。

・twitterで #オーケストラ・キャラバン で検索すると、今まさに全国で色々なオーケストラが散らばって公演している様子が見て取れる。都響が引っさげたプログラムは名曲プロだが、指揮者に下野竜也、ソリストに小林美樹というのは、その中でも最高の陣容だろう。

・オーケストラの編成は1stvn14→2ndvn12→Vc8→va12、上手奥にCb6という、本っっっ当に久しぶりの巨大編成の弦部隊は壮観だった。管楽器は2管編成。お客さんの入りは3階席閉鎖の状態で6割だから1000人ぐらいだろうか?高校生の姿が目につく。

・さて、1曲目の「ルスランとリュドミラ序曲」。いやー、やっぱり都響、上手いわー。技術だけじゃなくて、舞台上から最高のバランスの音が、つむじ風に乗って届いてくる感じ。もう、あまりの美味すぎる演奏に、横隔膜が勝手にヒクヒクして笑いがこみ上げてくる。凄い現象に直面したときは、もう笑うしか無いことを実感した。

・そんな凄い演奏を奏でる都響はわりと涼しい顔で演奏している。70%ぐらいの力加減だ。これは批判しているのではなくて、欧米の一流オーケストラの来日公演でも感じることなのだが、実力のレベルが高すぎて、競馬に例えれば(なんで競馬?、いや、自分の中ではこれが解りやすい)、第4コーナーを鞭を全く入れずに馬なりで先頭に立って、そのままぶっちぎりで5馬身差でゴールするようなもの。

・都響のつむじ風のような音圧に負けじと、客席の拍手も熱い。わずか5分程の1曲目への拍手にカーテンコール起こった。都響の演奏がすごかったこともあるが、みんなこういうナマの音楽に飢えているんだな。まるで1週間餌をやらなかったワニ園の池に肉を放り込んだみたいな熱さ。

・2曲目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。オーケストラは10型に刈り込んでいる。ソリストは小林美樹。美しくエレガントな音。第2楽章の演奏は、これが夢心地というのだな、というような麗しい音楽。テクニックも素晴らしく、とりわけ音程の正確さが印象に残った。ハイトーンに対し麗しい音で全くブレることなく、正確に当てていく。

・正直、メンデルスゾーンのコンチェルトでは、そのテクニックを持て余している感じがするほどの余裕が感じられる演奏だった。前日の福田廉之助くんの、まさに身を削るような演奏が記憶に残る聴衆としては、少々食い足りなさが残ったが、このコロナ禍の最中に。このレベルのソリストを同じホール、ほぼ同じ座席で連日聴けたのは奇跡というほかない。

・メインはチャイコフスキーの交響曲第5番。たぶん下野さんのチャイコフスキーを聴くのは、これが初めてじゃないかな。指揮者もオーケストラもとにかく凄い熱量で、鉄壁のアンサンブルを聴かせてくれた。

・今から6年ほど前、ブログやSNS上でインバルとのマーラー・サイクルの録音が話題になっていて、自分も5番のSACDを購入して聴いて、文字通り度肝を抜かれた
 自分の中でマーラー録音のベンチマークの一つとなっていた、インバル&フランクフルト放送響との録音より、明らかに優れている。特に弦楽器の厚みとアンサンブル能力は都響が圧倒していた。「日本のオーケストラもここまで来たんだ!」と感動して、何十回と繰り返し聴き、頭の中に『都響サウンド』がインプットされてしまった。曲目は違えど、この日の下野&都響のチャイコフスキーは、間違いなくあの『都響サウンド』を、私にとってのホームの岡山シンフォニーホールに現出してくれた。

・金管がどれだけ鳴っても、それをものともしない弦の強靭な音が客席に迫ってくる。このホールで演奏されたチャイコフスキーを思い出して見ると、これほどパワフルな弦はサンクトペテルブルグフィルを聴きた時以来だ。

・その弦はここぞという時の「泣き」が凄い。第1楽章の長調に転調した後の第2主題が盛り上がる場面しかり、第2楽章の第2楽章がどんどん音階上昇で盛り上がる場面(昭和の関西ローカルCMネタで言うと、「エスモンパワー!」で有名な部分ww)の弦楽器が主導する音のうねりと「泣き」は壮絶だった。下野さんのタクトも燃えに燃えていた。オーケストラの奏者たちも額に汗を浮かべて顔を紅潮させながら必死に演奏している。演奏技術だけじゃなくて、音楽の世界への没入度合いも深いんだな。

・第3楽章のワルツに心踊る。ずんぐりむっくり(失礼!)な感じの下野さんが、つま先で踊るような軽快なタクト(ほんと、この方って身体の使い方のセンスが抜群に上手いんだよなあ)に呼応して本当に軽やか。聴き手の心も踊り、めっちゃ愉しい!!

・でも、中間部の16分音符の部分に入ると、深い影が差す。この心踊るワルツは、マスク必須の見えない敵に怯えて他人との接触を避けて暮らさあるをえない世界にいる我々から、マスク無しでコンサート・舞台を見にぎゅうぎゅうに満員のホールに足を運んだり、パーティーや飲み会で気勢を上げて騒いだりしていたかつての世界を見て、心の穴に気づいたときの寂しさを現しているようだ。間には見えない仕切があって、かつての世界には戻れない・・・。この楽章のワルツをこんな複雑な気持ちで聴くことになるとは。。。

・第4楽章の推進力、鋼のアンサンブルは我が地元のホールを震撼させ、音の振動に包まれる感動を味あわせてくれた。このオーケストラは奏者全員が、瞬間瞬間に変化していく音楽を、どの瞬間も最適なポイントに力を凝集することができ、2倍3倍にも増幅されたパワーにすることが出来る。

・第4楽章での通奏低音を担うコントラバスの音が、客席に風を運ぶようにドッドッドッドッ、と鳴る。やがてそれはホールの聴衆の拍動と重なり、この場に居る者を一つにするようだ。低音なのに下から鳴るというよりも、ホール壁や天井が呼吸をするように鳴る。こんなベースの音があるんやね。

・指揮者の意図に対する理解も深いのだろう。オーケストラに全く迷いがなく、あまり経験のないはずの遠征公演のホールでも持ち味のサウンドの響かせ方を知っているようだ。

・弦を中心としたオーケストラの鋼のアンサンブルばかり取り上げてしまったが、第2楽章でのホルン、オーボエ、第3楽章のクラリネット、ファゴット、あるいは第4楽章最後のトランペットなど、管楽器のソロも柔らかく美しくて、強奏でなお輝きを増すような音にも感動した。

・アンコールはメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」から第3楽章。下野さんらしい粋な選曲。そうそう、演奏後に「この東京居交響楽団には全国から音楽家が集まっています。岡山出身の方もおられます。フルートの小池さんです」と、地元出身の奏者を紹介された。これも下野さんらしい粋な演出だった。

・コロナ禍が無ければ、東京オリンピックの前後に海外から沢山の観光客が訪れ、1964東京オリンピックのレガシーとして発足した都響の素晴らしい演奏を世界各国の人々が聴くはずであっただろう。開会式の入場行進での演奏は話題にはなったが、そういった鬱憤もあったかもしれない。

・意外だったのは、インターミッション中やカーテンコールの間の楽員さんの雰囲気が思いの外、気さくな感じだったこと。都響にたいして自分は、クールなイメージを持っていたが、真逆だった!1曲めから2曲めの舞台転換の時は、ヴァイオリンみんなで椅子を動かして転換作業に協力したりしていて(オーケストラによっては、楽員さんが一切手を出さないところもあるので)、「へええ、こういう雰囲気なんだ」と思ったのだ。

・また、このオーケストラの演奏を聴けることを願って、帰路についた。マスクをして飛び出した外の空気は2年前と変わらない。

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