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どうなる!?岡山フィルの『次期』指揮者(その3) [岡山フィル]


 前回と前々回で、聴衆の立場から、シェレンベルガーが岡山フィルにもたらしてくれたものを再確認し、次期指揮者に求められる能力を検討してみたが、結論として、『次期』首席指揮者もやはりシェレンベルガーで行くべきだと述べた。


 とはいえ、様々な事情によってシェレンベルガーとの次期首席指揮者契約更新がかなわない場合も想定されうるし、今後、未来永劫シェレンベルガーにやってもらうわけには行かない。

 シェレンベルガーは、初代岡山フィル首席指揮者であり、いつか来る交代機はオーケストラが初めて経験する常任の指揮者の交代になる。
 岡山フィルは2004年に、小泉和裕をミュージックアドヴァイザーを任命しておきながら、いつの間にか辞任して終わっていた(しかもファンには全くアナウンスされなかった)『前科』もある(その後、小泉氏は岡山フィルを一度も振っておらず、楽団初期の音楽づくりに多大な功績を遺したマエストロとの関係が断絶してしまった)。

 いつかは来る指揮者交代に備えて、主に関西と広島の指揮者交代劇から、ポスト・シェレンベルガー体制への最良の移行方法について考えてみたい。



 まず、抑えておきたいのはオーケストラのコンサートに来るファン層には、そのオーケストラ自体のファンと、アーティストについていくファンの二種類があることだ私はおそらく前者に属するタイプ(岡山フィルそのもののファン)で、ソリストが誰であろうが、指揮者が誰であろうが足を運び続けるだろうが、数としては私のような人間の方が少数派だろう。多くのファンはアーティストについていく形でコンサートに足を運んでいる。だからこそ、楽団運営者はコンサートに招聘するソリストや指揮者の選定に頭を悩ませ、人気に火がついたアーティストを何度も招聘したりするのだろう。


 指揮者人事についても同じである。常任の指揮者を交代するということは、その指揮者についてきたファンをゴソッと失うことにも繋がるのだ。

 ここ10年の関西及び広島の楽団の指揮者交代劇を見てみると、例えば広響の常任指揮者・音楽監督を18年にわたって務め、広響を国内有数のオーケストラに育て上げた秋山和慶から、次の下野竜也への交代の際は、秋山和慶を終身名誉指揮者に任命し下野体制発足後も定期演奏会などの重要な演奏会でタクトを依頼しており、良好な関係が続いている。

 このように楽団に多大な貢献を行った指揮者が常任ポストを退任後、桂冠指揮者や名誉指揮者として引き続き演奏会に出演するパターンは大阪フィル(大植英次)や、関西フィル(飯守泰次郎)などが採用し、前常任指揮者についているファン層を失わないように慎重に体制移行を進めている。


 オーケストラの定期演奏会は、主催者が一方的に決めた日時と場所に、聴衆の側が苦心してスケジュールを調整し、交通費を払って足を運ぶ必要がある。旅行や映画鑑賞やアート巡りなど、時期を自分で決められる娯楽と比べると、ある意味とても「不自由」だ。そのため、聴き手の仕事や家庭生活の変化などによって、優先順位なんて簡単に入れ替わる。ましてや県外から足を運んでいる聴衆は、相当な動機がなければ足を運ばなくなってしまう。常任の指揮者交代はコンサートへのプライオリティが下がる契機になってしまうのだ。


 また、最近の各オーケストラが力を入れているのが、「ファイナル・シーズン興行」だ。常任の指揮者の任期が満了する1年以上前から、現常任指揮者の最後のシーズンになることを公表し、興行を盛り上げるのだ。

 事例を具体的に見てみよう。

事例①大フィル
 朝比奈隆の後をついで2003年に音楽監督に就任した大植英次の退任前最後のシーズンとなった2012年度は、「エイジ・オブ・エイジ・ファイナルシーズン」と銘打って、大々的な興行を打った。

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 定期演奏会に4回登場するだけでなく、大植の十八番のチャイコフスキーの交響曲チクルス、任期が終了する3月31日には「大植英次スペシャルコンサート」と題してブルックナー/交響曲第8番を演奏。カーテンコールは鳴り止まず、大植が客席に降りて喝采を送るファンと交流する場面もDVDに収められている。

 このコンサートの現場に居た聴衆の一人であったブロガーさんのによれば、それは退任コンサートと言うよりも歌舞伎の「襲名披露」のようだったそうだ。



 事実、大植英次は音楽監督退任と同時に「桂冠指揮者」に就任。引き続き大阪フィルの定期演奏会に年に1度出演し、また大阪クラシックでのプロデューサーを続けるなど、大阪フィルと深い関係を続けている。私は大植の退任後の2013年4月に開催されたフェスティバルホールのこけら落とし公演(マーラー/交響曲第2番『復活』)に足を運んだが、客席は満席で、熱気も凄いものが合った。大植英次についているファンが引き続き大フィルを支えていることを実感したのだった。


 一方で、大植英次の音楽監督退任後に、ある変化が起こった。それは定期演奏会会員(岡山フィルでいえばマイシート)の落ち込みである。大植英次ファイナルシーズンとなった2012年度の定期演奏会会員は1870人。ザ・シンフォニーホール2日公演分の約6割の座席を会員が占めていた。ところが翌年の2013年度は一気に1428人にまで落ち込んでしまう。

 原因は、2013年度が常任の指揮者が不在となったことが大きい。翌年、井上道義が首席指揮者に就任するまで一年間、楽団の顔となる指揮者が居なかったことが招いた事態であった。



事例②関西フィル
 常任の指揮者交代で、近年、もっとも成功したのは関西フィルであろう。

 2011年に行われた関西フィルの常任指揮者の飯守泰次郎から、音楽監督のオーギュスタン・デュメイへのバトンタッチは、見事なものだった。

 布石は前年度の2010年度シーズンから始まった。この年、常任指揮者:飯守泰次郎、首席指揮者:藤岡幸夫に加えて、フランスのヴァイオリン奏者の巨人:オーギュスタン・デュメイを首席客演指揮者に招聘し、関西にデュメイ・ブームが起こった。オーケストラの指揮だけでなく、ヴァイオリンのソリスト、関西フィル楽団員との室内楽での共演などで関西フィルに新風を吹き込み始めた姿は、まさに岡山フィルにおけるシェレンベルガーに重なるものがある。

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 翌年、満を持して、オーギュスタン・デュメイを音楽監督に任命。飯守時代からデュメイ時代へのバトンタッチが行われる。


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 飯守泰次郎は桂冠指揮者に就任し、引き続き関西フィルのタクトを振ることになったのだが、凄いのはその中身である。

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 どこか名誉職的なニュアンスのある「桂冠指揮者」像を覆す驚きの内容だった。なんと2011年から10年におよぶブルックナープロジェクトを始動。常任指揮者時代から続いていたワーグナーのオペラの演奏会形式シリーズも継続するという。

 関西フィルの演奏水準を著しく向上させ、また朝比奈隆没後の関西のブルックナー演奏で高評価を得ていた功労者を、10年間囲い込むことに成功し、音楽性の継続と深化、聴衆のつなぎとめに成功したのだった。デュメイがソリストを務める回の定期演奏会で飯守泰次郎がタクトを振り、2015年のヨーロッパ公演ではデュメイと藤岡幸夫の二人が動向する、3人の指揮者の関係も良好で、関西でもっとも強力な指揮者陣となった。

 関西フィル友の会(マイシート)会員の動向を見ると、飯守常任最後の年(2010年度)の651人に対して、デュメイ音楽監督初年度(2011年度)は641人と、ほとんど変化がない。


 これらの事例から、いずれやってくるシェレンベルガーの退任時の処遇について考えてみると、次のようになる。


①常任指揮者退任後は終身名誉指揮者(少なくとも桂冠指揮者)として処遇する


②終身名誉指揮者就任後も定期的にタクトを振ってもらうために、10年単位の壮大な新しいシリーズを始める

③首席指揮者退任の1年前から公表し、ファイナル・シーズン興行を開催。最後のコンサートは「終身名誉指揮者就任記念公演」としてシェレンベルガーと岡山フィルのイメージを継続させる仕掛けを作る
④次期首席指揮者候補者を現首席指揮者の退任1〜2年前に「客演指揮者」として任命し、知名度や集客力を確保したうえでスムーズにスイッチできるようにする。
 この4点に集約されるだろう。
 特に②については年2回程度のシェレンべルガー・シリーズを開催する。1回は「モーツァルト・ハイドンシリーズ」として、ハイドンのザロモン・セット+モーツァルトの28番以降の交響曲と、古典派の協奏曲を組み合わせ10年単位で完成させる。もう1回はシェレンベルガーの偉大なキャリアの中で選んだ、「これは岡山の聴衆にぜひ聴いてほしい」楽曲を採り上げる『シェレンベルガーが選ぶ名曲シリーズ』として開催する。
 それに加えて、これは首席指揮者交代までにぜひやって欲しいこととして、岡山フィルとシェレンベルガーのコンビでの録音を、ぜひ残して欲しい。後世の岡山の聴衆がシェレンベルガーとのレガシーが実感できるような作品を残すべきだろう。今は全国のオーケストラがハイレゾの音源を配信している。CDとして出すだけの予算が確保できなくても配信ならなんとか可能だろうと思う。
 3回にわたって連載した「どうなる!?岡山フィルの『次期』指揮者」シリーズもこれでお開きとするが、一聴衆の立場でシェレンベルガーが岡山に来て以降の成果を振り返ると、新劇場こそ、シェレンベルガーと聴衆が築いてきた関係性を活かしていく必要があることを確信する。
 シェレンベルガーは以前のエントリーでも述べたとおり、ベルリンの壁崩壊や東西ドイツ統一、東西ベルリンの市民の間に残った経済格差や心の分断を解消する過程で、ベルリン・フィルは重要な役割を果たし、その中心に居た人物だ。
 偉大な音楽家であると同時に、ミュンヘン工科大学を卒業するなど、音楽以外にもマルチな才能を有する方だけに、岡山が抱える中心市街地の衰退からの再生への問題についても知見があるかも知れない。指揮者交代という道ではなく、逆に、もっと深く岡山の街づくりや音楽文化の深化に関わっていただくという方向も検討してほしいと思う。

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