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岡山フィル定期払い戻しチケット代を賛助会費へ [岡山フィル]

 今週の日曜日の岡山フィル定期演奏会は欠席(という表現はおかしいかも知れないが、一応マイシートだから「欠席」でおかしくないはず)した。


 4月後半以降、あれよあれよという間に岡山でのcovid19の感染急拡大があり、これまである程度抑え込んでいた岡山で、これほどの急拡大が起こった原因が英国型変異株の流行なのは間違いないだろう。私の周りでも感染者の発生がちらほら見られ、いよいよ自分の身に迫っていることを実感させた。



 政府が「三密回避」という演繹的推論に基づいた対策から、「人流の抑制」という、いわば帰納的推論に基づいた対策に後退して戦線を立て直す方向に舵を切ったのも、変異株の実態が明らかになっていないことが大きいのだろう。


 職場の方からも県外へ行くことと、人の集まる場所へ行くことを自粛するようにお達しがあり、今回のコンサート出席自粛は、その方針に従った、ということもあるし、何よりも仕事周りでかなり緊迫した中にいると、やはり自粛しようという意識に傾いてしまう。


 一方でクラシック音楽のコンサートは、感染リスクが極めて低いことは、実験や実績の積み重ねにより政府や専門家からも評価されてきた経緯があり、今回の開催についてもGOサインが出たものと思われ、コンサートが開催できた事自体については、本当に良かったと思っている。山陽新聞の記事によれば、聴衆は530人だったとのこと。


感染対策徹底し岡山フィル熱演 定期演奏会、聴衆530人魅了:山陽新聞デジタル|さんデジ https://www.sanyonews.jp/article/1133581


 今回のチケット代は、コンサートに行かない決断をした人に対して、払い戻しをするという取り扱いになった。

 自分は岡山フィルを応援しているし、賛助会員にもなっているぐらいだから、当然、払い戻しを受けないことを決めていたが、ちょっと名案を思いついたので、やはり払い戻しを受けることにした。


 その名案というのは、今回、チケットの払い戻しを受けたうえで、賛助会費に上乗せして寄付するという選択だ。


 岡山フィルは公益財団法人のため、寄附金控除が受けられる(岡山市HPより)。


 10,000円の寄付をした場合は、


 10,000円ー2,000円 × (所得税税額控除40% + 住民税税額控除10%) = 4,000円が還付される。


 つまり自己負担は6,000円で、残りの4,000円は国や県と市が支援してくれるという形になる。


 これを2口20,000円に増やした場合は。


 20,000円ー2,000円 × (所得税税額控除40% + 住民税税額控除10%) = 9,000円が還付され、自己負担は11,000円。この増加する5,000円分の自己負担に、今回の払い戻しチケット代を充てようというわけだ。


 おそらく、今回のコンサートが中止されなかったのも、「国の基準では開催可能」という判断に基づいており、そうなれば緊急事態宣言に基づくイベントキャンセル料支援の補助も受けられないという事情もあったかも知れない。こういう風に思いたくはないが、正式にイベントの中止要請をするよりも国はお金をケチることが出来る。


 芸術・芸能団体に対する支援は、ドイツフランスが去年の春の段階で「必要不可欠なもの」として大規模な支援に乗り出したのに比べると、日本の動きは極めて遅かった。そして、現在においても充分とはいえない。


 そんな中で、払い戻しチケット代を受け取って寄付することで、国や県・市からも岡山フィルにお金を回させることで、一矢(砂のひと粒にもならないが)報いたい思いもあった。

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【ニコ生】京都市交響楽団第656回定期演奏会 鈴木優人指揮 チェロ:上村文乃 [ストリーミング]

京都市交響楽団第656回定期演奏会【ニコニコ生放送】

ヘンデル/歌劇「忠実な羊飼い」序曲
ラモー(鈴木優人 編)/歌劇「みやびなインドの国々」組曲
ヴィヴァルディ/チェロ協奏曲ト長調
 チェロ独奏:上村文乃
ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調

指揮:鈴木優人
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 緊急事態宣言の発令によって無観客ライブ配信となったコンサート。宣言に関係なく京都までは聴きに行けない身にとっては、京響の音楽を聴ける機会としてありがたい配信ではありました。リアルタイムではじっくり聞く時間が取れず、とりあえずわずかながらの投げ銭だけして、タイムシフト配信でじっくり視聴した。

 プログラムを見て、「THE MOST」のメンバーの上村さんが登場する、というのも注目点だった。プレトーク、アフタートークで上村さんが仰っていたが、スイスを拠点に(廉之助くんと同じスイスなんやね)古楽を中心に研鑽されているとのこと。ガット弦・バロック弓を使用。上村さんのソロはスピード感があって切れ味は鋭いのに、気品にあふれている。そして、小編成の京響がこれまた素晴らしい!ヴィヴァルディの協奏曲の基本形は合奏協奏曲なので、楽器間の対話も見どころなのだが、ニコ生のカメラワークの良さもあって、上村さん・鈴木さんのチェンバロとオーケストラの間の緊密な対話が、聴いていて本当に幸せにさせてくれた。これ、京都コンサートホールのバルコニー席あたりで聴いたら、気持ちいいだろうなあ。
 10月のTHE MOSTの岡山公演では上村さんの楽器や演奏も注目して聴きたいと思う。京都公演もあるので、京都の皆さんもぜひ聴きに行って欲しいと思う。
 
 後半のベートーヴェン、これまた京響が素晴らしい!ニコ生の音質が最高に良いので、京響の音のバレットの多彩さをよく拾ってくれて、もちろん生演奏を聴くに越したことはないのだけれど、こうしたストリーミングでも十分に堪能できた
 弦楽器が音色の変化を主導し、管楽器が絶妙のバランスで付けていく。 瞬間瞬間で音色がどんどん変化していて、その音の変化を耳に感じていくのが本当に楽しく、多幸感に包まれるような時間だった。コロナ禍の中で国内の色々なオーケストラを聴く機会が多いけれど、僕の中では東響と並んでこの京響の音が群を抜いていると思う。35分程の曲があっという間に過ぎ去った感じ。
 鈴木雅人さんは、意外にモダンなアプローチを採用していて、ヴィヴラートは抑えめな場面はあるが、基本はモダン演奏。第1楽章の弦がリズムに乗って刻むような場面でも、しっとりとした京響の音の美点を引き出すなど、自己主張やヴィヴィッドな表現を採らず、このオーケストラが持つもっとも美しい音で紡いでいくという方向性が明確だった。N響はじめ、このコロナ禍の中で客演指揮に引っ張りだこなのがよく解るタクトだった。

 話は変わりますが、京響はクラシック専門ライブ配信サービスのカーテンコールからニコニコ生放送に乗り換えたのでしょうね。音質面や通信の安定性、そして何よりも奏者と聴衆が共有するインタラクティブな『場』としての機能など、現状では圧倒的にニコ生の方が優勢。ベンチャー企業で、プロ・アマ関係なく音楽を配信できるプラットフォームを目指しているカーテンコールには頑張って欲しいが、このままでは業界ガリバーのYoutubeやニコ生に埋没してしまうのではないだろうか。

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【ラジオ放送】NHK交響楽団4月公演 指揮 大植英次 [ストリーミング]

 N響の4月21日サントリーホール公演の模様が5月6日にNHK-FMで放送された。

ベストオブクラシック サントリーホール4月21日公演▽N響演奏会 指揮 大植英次

グリーグ/2つの悲しい旋律
ショスタコーヴィチ/ピアノ協奏曲第1番ハ短調
(ピアノ独奏)阪田知樹、(トランペット)長谷川 智之
シベリウス/交響曲第2番ニ長調

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 リアルタイムの放送では聴くことができず(連休明けでクソ忙しかった!)、シベリウスの2番から翌日の通勤中に聴き始めた。
 当日のコンサートに行かれたブロガーさん達の感想から、カーテンコールが鳴り止まずに、指揮者の一般参賀まで見られるようなすごい演奏だったことは知っていた。
 それでも第4楽章の後半から、車を運転しながら涙が溢れ出てしまい、最後のコーダの部分で顔がクシャクシャになってしまった。心が打ち震えるような感動、というよりも、時間が止まったような世界に身をおいて、感受性のキャパシティで受け止めきれないものが瞼から勝手に溢れ出てくる感じだった。

 この土日はなんども、大植&N響のシベリウスを聴いているが、N響と大植さんは22年ぶりの共演ということで、ほとんどのメンバーが初顔合わせ、にも関わらず、これほど人馬一体の演奏を(恐らく)わずか3日のリハーサルで見事に表現したという点は、驚異的なレベルの対応力だと思う。

 テンポがゆっくり目でピアニッシモが続くような場面では、一つ一つのフレーズを慈しむようにゆっくり表現され、並のオーケストラなら演奏が止まるんじゃないかと思われるような極限の表現を求められても、余力を感じさせる危なげない、緊張感も途切れない驚異的な繊細さで持って表現されていた。

 テンポが早くなって音楽が高揚する場面では、指揮者の意図するところを深い共感をもって汲み取り、一つの生き物のように一体となって、まったく遺漏なく棒についていく。最後の後光がさすような弦のトレモロ(すごい音が出ていた、会場で聴いた人は凄かったろうな)の中から金管の息の深いコラールが聴こえてきた瞬間はまさに『魂の昇天』といえるような感覚になった。


 放送の解説に入ったロシア音楽学者の一柳富美子さんが、感動して声が震えながら「もう本当に体の震えが止まりません!本当に良かったです。途中、溜めて溜めて最後にピークを持っていくその道筋、そして到達した後の恍惚感も本当に素晴らしく、(涙声)はあ、感動しました」と言っていたのが印象的。

 今のN響は本当に超一流のオーケストラだと実感した放送でもあった。

 TV放送は6月13日(日) 午後11:20から、NHKーBSのBSプレミアムシアターで放送されるようです。気になる方はぜひ!
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 前半のグリーグとショスタコーヴィチの感想はTV放送後に追記します。後半のシベリウスもオケと指揮者とのコミュニケーションがどのように展開されていたのかを見るのが本当に楽しみ!!

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東京交響楽団川崎定期第79回(ニコニコ生放送) 大植英次指揮 Vn:木嶋真優 [ストリーミング]

 ニコニコ生放送のタイムシフト再生で、東響の川崎定期を聴いた。指揮は大植英次、プログラムはチャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲(ソリスト:木嶋真優)、交響曲第4番。

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 前半の木嶋さんのコンチェルトは全体的にはロマンティックな演奏で、大植&東響もそれに絡みつくように濃厚な音楽を展開していくのだが(やっぱり大植さん、コンチェルトの指揮が上手いな〜)音そのものは彼女らしいピュアな透き通るような音が印象に残った。あと、木嶋さんてテレビ番組(たぶんバラエティに?)に出てらっしゃるのかな?コメントを見てるとニコ生民にも結構知名度が高くて驚いた。


 後半の同じくチャイコフスキーの交響曲題4番は、大植節が前回の演奏に心の中で快哉を叫んだ。ニコ生のコメントでは大いに盛り上がっており、好意的な評価が圧倒的だったが、twitterでは賛否が両極端だったのが面白い。


 確かに、テンポやダイナミクスの変化は大きく、クラシックを聴き込んでいる人ほど過去の演奏と比べて違和感を感じたのも理解できるが、大植さんの音楽は心を真っ白に来て聴く(というよりも真っ白にさせてくれる)のが一番楽しめる聴き方なのだ。


 僕はチャイコフスキーの交響曲の中では、あまり聴かない曲なのだが、その理由は金管大運動会になってしまいがちなこの曲で、チャイコフスキーの旋律美というようなものが(5番や6番、マンフレッドに比べて)感じにくいということがある。


 しかし、大植&東響は金管の音を抑えめにして弦や木管とのハーモニーのバランスを追求するもので、こんなに美しいチャイ4は聴いたことがなかった。


 白眉だったのは第2楽章で、オーケストラが深い呼吸をしながら深い深い世界に入っていくような演奏に酔いしれた。


 音楽って、瞬間、瞬間の美しさが大事。現れては消えていく儚い芸術であり、時間軸でメロディーやストーリーを追っているのは聴手の脳内で処理しているに過ぎない。

 大植英次は、その儚さの中に燦然と輝く世界を現出させることができる数少ない指揮者だと再確認した。


 今回の演奏を素晴らしいものにしたのは、大植さんの描く世界を東響のメンバーが深い共感を持って受け入れたことも大きいのだろうな。その様子は動画をみれば一目瞭然。



 去年の緊急事態宣言中から始まった東響のニコ生配信。今回も3万人を超える視聴者があったそうで、これはやっぱり凄いことだな。


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どうなる!?岡山フィルの『次期』指揮者(その3) [岡山フィル]


 前回と前々回で、聴衆の立場から、シェレンベルガーが岡山フィルにもたらしてくれたものを再確認し、次期指揮者に求められる能力を検討してみたが、結論として、『次期』首席指揮者もやはりシェレンベルガーで行くべきだと述べた。


 とはいえ、様々な事情によってシェレンベルガーとの次期首席指揮者契約更新がかなわない場合も想定されうるし、今後、未来永劫シェレンベルガーにやってもらうわけには行かない。

 シェレンベルガーは、初代岡山フィル首席指揮者であり、いつか来る交代機はオーケストラが初めて経験する常任の指揮者の交代になる。
 岡山フィルは2004年に、小泉和裕をミュージックアドヴァイザーを任命しておきながら、いつの間にか辞任して終わっていた(しかもファンには全くアナウンスされなかった)『前科』もある(その後、小泉氏は岡山フィルを一度も振っておらず、楽団初期の音楽づくりに多大な功績を遺したマエストロとの関係が断絶してしまった)。

 いつかは来る指揮者交代に備えて、主に関西と広島の指揮者交代劇から、ポスト・シェレンベルガー体制への最良の移行方法について考えてみたい。



 まず、抑えておきたいのはオーケストラのコンサートに来るファン層には、そのオーケストラ自体のファンと、アーティストについていくファンの二種類があることだ私はおそらく前者に属するタイプ(岡山フィルそのもののファン)で、ソリストが誰であろうが、指揮者が誰であろうが足を運び続けるだろうが、数としては私のような人間の方が少数派だろう。多くのファンはアーティストについていく形でコンサートに足を運んでいる。だからこそ、楽団運営者はコンサートに招聘するソリストや指揮者の選定に頭を悩ませ、人気に火がついたアーティストを何度も招聘したりするのだろう。


 指揮者人事についても同じである。常任の指揮者を交代するということは、その指揮者についてきたファンをゴソッと失うことにも繋がるのだ。

 ここ10年の関西及び広島の楽団の指揮者交代劇を見てみると、例えば広響の常任指揮者・音楽監督を18年にわたって務め、広響を国内有数のオーケストラに育て上げた秋山和慶から、次の下野竜也への交代の際は、秋山和慶を終身名誉指揮者に任命し下野体制発足後も定期演奏会などの重要な演奏会でタクトを依頼しており、良好な関係が続いている。

 このように楽団に多大な貢献を行った指揮者が常任ポストを退任後、桂冠指揮者や名誉指揮者として引き続き演奏会に出演するパターンは大阪フィル(大植英次)や、関西フィル(飯守泰次郎)などが採用し、前常任指揮者についているファン層を失わないように慎重に体制移行を進めている。


 オーケストラの定期演奏会は、主催者が一方的に決めた日時と場所に、聴衆の側が苦心してスケジュールを調整し、交通費を払って足を運ぶ必要がある。旅行や映画鑑賞やアート巡りなど、時期を自分で決められる娯楽と比べると、ある意味とても「不自由」だ。そのため、聴き手の仕事や家庭生活の変化などによって、優先順位なんて簡単に入れ替わる。ましてや県外から足を運んでいる聴衆は、相当な動機がなければ足を運ばなくなってしまう。常任の指揮者交代はコンサートへのプライオリティが下がる契機になってしまうのだ。


 また、最近の各オーケストラが力を入れているのが、「ファイナル・シーズン興行」だ。常任の指揮者の任期が満了する1年以上前から、現常任指揮者の最後のシーズンになることを公表し、興行を盛り上げるのだ。

 事例を具体的に見てみよう。

事例①大フィル
 朝比奈隆の後をついで2003年に音楽監督に就任した大植英次の退任前最後のシーズンとなった2012年度は、「エイジ・オブ・エイジ・ファイナルシーズン」と銘打って、大々的な興行を打った。

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 定期演奏会に4回登場するだけでなく、大植の十八番のチャイコフスキーの交響曲チクルス、任期が終了する3月31日には「大植英次スペシャルコンサート」と題してブルックナー/交響曲第8番を演奏。カーテンコールは鳴り止まず、大植が客席に降りて喝采を送るファンと交流する場面もDVDに収められている。

 このコンサートの現場に居た聴衆の一人であったブロガーさんのによれば、それは退任コンサートと言うよりも歌舞伎の「襲名披露」のようだったそうだ。



 事実、大植英次は音楽監督退任と同時に「桂冠指揮者」に就任。引き続き大阪フィルの定期演奏会に年に1度出演し、また大阪クラシックでのプロデューサーを続けるなど、大阪フィルと深い関係を続けている。私は大植の退任後の2013年4月に開催されたフェスティバルホールのこけら落とし公演(マーラー/交響曲第2番『復活』)に足を運んだが、客席は満席で、熱気も凄いものが合った。大植英次についているファンが引き続き大フィルを支えていることを実感したのだった。


 一方で、大植英次の音楽監督退任後に、ある変化が起こった。それは定期演奏会会員(岡山フィルでいえばマイシート)の落ち込みである。大植英次ファイナルシーズンとなった2012年度の定期演奏会会員は1870人。ザ・シンフォニーホール2日公演分の約6割の座席を会員が占めていた。ところが翌年の2013年度は一気に1428人にまで落ち込んでしまう。

 原因は、2013年度が常任の指揮者が不在となったことが大きい。翌年、井上道義が首席指揮者に就任するまで一年間、楽団の顔となる指揮者が居なかったことが招いた事態であった。



事例②関西フィル
 常任の指揮者交代で、近年、もっとも成功したのは関西フィルであろう。

 2011年に行われた関西フィルの常任指揮者の飯守泰次郎から、音楽監督のオーギュスタン・デュメイへのバトンタッチは、見事なものだった。

 布石は前年度の2010年度シーズンから始まった。この年、常任指揮者:飯守泰次郎、首席指揮者:藤岡幸夫に加えて、フランスのヴァイオリン奏者の巨人:オーギュスタン・デュメイを首席客演指揮者に招聘し、関西にデュメイ・ブームが起こった。オーケストラの指揮だけでなく、ヴァイオリンのソリスト、関西フィル楽団員との室内楽での共演などで関西フィルに新風を吹き込み始めた姿は、まさに岡山フィルにおけるシェレンベルガーに重なるものがある。

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 翌年、満を持して、オーギュスタン・デュメイを音楽監督に任命。飯守時代からデュメイ時代へのバトンタッチが行われる。


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 飯守泰次郎は桂冠指揮者に就任し、引き続き関西フィルのタクトを振ることになったのだが、凄いのはその中身である。

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 どこか名誉職的なニュアンスのある「桂冠指揮者」像を覆す驚きの内容だった。なんと2011年から10年におよぶブルックナープロジェクトを始動。常任指揮者時代から続いていたワーグナーのオペラの演奏会形式シリーズも継続するという。

 関西フィルの演奏水準を著しく向上させ、また朝比奈隆没後の関西のブルックナー演奏で高評価を得ていた功労者を、10年間囲い込むことに成功し、音楽性の継続と深化、聴衆のつなぎとめに成功したのだった。デュメイがソリストを務める回の定期演奏会で飯守泰次郎がタクトを振り、2015年のヨーロッパ公演ではデュメイと藤岡幸夫の二人が動向する、3人の指揮者の関係も良好で、関西でもっとも強力な指揮者陣となった。

 関西フィル友の会(マイシート)会員の動向を見ると、飯守常任最後の年(2010年度)の651人に対して、デュメイ音楽監督初年度(2011年度)は641人と、ほとんど変化がない。


 これらの事例から、いずれやってくるシェレンベルガーの退任時の処遇について考えてみると、次のようになる。


①常任指揮者退任後は終身名誉指揮者(少なくとも桂冠指揮者)として処遇する


②終身名誉指揮者就任後も定期的にタクトを振ってもらうために、10年単位の壮大な新しいシリーズを始める

③首席指揮者退任の1年前から公表し、ファイナル・シーズン興行を開催。最後のコンサートは「終身名誉指揮者就任記念公演」としてシェレンベルガーと岡山フィルのイメージを継続させる仕掛けを作る
④次期首席指揮者候補者を現首席指揮者の退任1〜2年前に「客演指揮者」として任命し、知名度や集客力を確保したうえでスムーズにスイッチできるようにする。
 この4点に集約されるだろう。
 特に②については年2回程度のシェレンべルガー・シリーズを開催する。1回は「モーツァルト・ハイドンシリーズ」として、ハイドンのザロモン・セット+モーツァルトの28番以降の交響曲と、古典派の協奏曲を組み合わせ10年単位で完成させる。もう1回はシェレンベルガーの偉大なキャリアの中で選んだ、「これは岡山の聴衆にぜひ聴いてほしい」楽曲を採り上げる『シェレンベルガーが選ぶ名曲シリーズ』として開催する。
 それに加えて、これは首席指揮者交代までにぜひやって欲しいこととして、岡山フィルとシェレンベルガーのコンビでの録音を、ぜひ残して欲しい。後世の岡山の聴衆がシェレンベルガーとのレガシーが実感できるような作品を残すべきだろう。今は全国のオーケストラがハイレゾの音源を配信している。CDとして出すだけの予算が確保できなくても配信ならなんとか可能だろうと思う。
 3回にわたって連載した「どうなる!?岡山フィルの『次期』指揮者」シリーズもこれでお開きとするが、一聴衆の立場でシェレンベルガーが岡山に来て以降の成果を振り返ると、新劇場こそ、シェレンベルガーと聴衆が築いてきた関係性を活かしていく必要があることを確信する。
 シェレンベルガーは以前のエントリーでも述べたとおり、ベルリンの壁崩壊や東西ドイツ統一、東西ベルリンの市民の間に残った経済格差や心の分断を解消する過程で、ベルリン・フィルは重要な役割を果たし、その中心に居た人物だ。
 偉大な音楽家であると同時に、ミュンヘン工科大学を卒業するなど、音楽以外にもマルチな才能を有する方だけに、岡山が抱える中心市街地の衰退からの再生への問題についても知見があるかも知れない。指揮者交代という道ではなく、逆に、もっと深く岡山の街づくりや音楽文化の深化に関わっていただくという方向も検討してほしいと思う。

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どうなる!?岡山フィルの『次期』指揮者(その2) [岡山フィル]

 この1ヶ月の間に、相思相愛と思われていたシェレンベルガーと岡山フィルについて、今後を憂慮すべき情報が飛び込んできた。前回は日本オーケストラ連盟の配信番組の中で、岡山フィル側から発せられた「次の指揮者の人選を進めている」という発言がもたらす波紋について考えてみた。



 今回は、まずはもう一つのニュースについて。


 と、その前に断っておきたいことがある。ニュースについては事実ではあるが、そこから導き出される想定については、あくまで筆者の想像である。シェレンベルガーと岡山フィルとの良好な関係がこれからも続いていくことを願うファンの思いを書き綴ったに過ぎないことをご諒解ください。 

ベルリン発 〓 ベルリン交響楽団の次期首席指揮者にハンスイェルク・シェレンベルガー(月刊音楽祭サイトより)



 ベルリン交響楽団といえば、岡山にも何度も来日している団体で、2016年の来日の際に私も聴きに行ったのだが、その際の感想はリンク先の記事をご覧いただくとして(ただし、辛辣な感想を書いていることをご了解ください)、2000年代には経営破綻も経験しているこのオーケストラの首席指揮者という困難な仕事を、よく引き受けられたなあ、というのが正直な感想だ。

 もっとも、現地から見れば、極東の聞いたこともないような街のオーケストラの首席指揮者を引き受けたことも驚きだったろうし、こういう困難な仕事ほど自分の持てるものをすべて投入するという人柄なのは、僕たち岡山の聴衆が一番良く知っている。歴史もあり市民に愛されてきた楽団だけに「シェレンベルガーさんならなんとかするかも知れない」とも思う。

 気になるのはその仕事量で、シェレンベルガーの公式HPを見ると、毎月のようにベルリン交響楽団との仕事が入っており、2022年以降、岡山フィルのためにスケジュールを空ける余裕があるのだろうか?と思うほどのボリュームだ。

 ワクチンが普及したとしても変異株の流行によってワクチンが無力化される可能性もある。このコロナ禍の収束が見通せない中、国境を超える必要のない仕事を優先することは合理的な判断であるし、現状では首席指揮者の職責を果たせていないと考えているかも知れない。

 シェレンベルガー・サイドから岡山フィルの仕事量を減らす要望があったとすれば、先日の「次の指揮者を選定している」という発言も納得せざるを得ない。


 しかし、もし、シェレンベルガー以外の『次期首席指揮者』を選定すると仮定すると、当然、シェレンベルガー以上の人材であることが条件になってくるだろう。


 私なりに岡山フィルにとってシェレンベルガーが何をもたらせてくれたのかを整理し、私がシェレンベルガーの続投を強く願う理由を述べてみようと思う。



①:オーケストラビルダーとしての卓越した能力

 これはシェレンベルガー就任前から岡山フィルを聴いてきた人は、誰しもがまざまざと目のあたりにしてきた。就任前も堅実な演奏をしてきた岡山フィルだったが、シェレンベルガーの就任後は、表現の質が明らかに変わったと感じる。そのプロセスを見て聴いていくのも楽しみになっており、シェレンベルガーがタクトを振るたびに、岡山フィルの魅力が引き出されていくのだ。


 それはオーケストラ演奏に留まらない。タクトをオーボエに持ち替えて演奏される岡フィルのメンバーとの室内楽のコンサートはもっとエキサイティングだ。シェレンベルガーのオーボエ奏者としての凄さもさることながら、岡フィルメンバーの潜在能力を引き出し、「この方はこんな音楽を演奏するんだ」「凄い、シェレンベルガーに対して一歩も引かずに渡り合っている!」という興奮の瞬間を目にするたびに、マエストロがこのオーケストラに対してもたらしているものを認識させられるのだ。


 演奏改革のドラスティックさとは対照的に、楽団改革については現実路線を貫く。聴衆が増加するのを確認しながら定期演奏会を2年に1回づつのペースで増やしていく。はじめは特別演奏会として設定し、行けると判断すれば定期演奏会に組み込んでいく。首席奏者の8パートの大オーディションは話題を集めたものの、チェロや第2ヴァイオリン、ティンパニなどはベテラン奏者の特別首席を招聘し、若いエネルギーと熟練の技術とのバランスを考慮する。もちろんこれらはシェレンベルガーだけの功績ではないが、彼が来る以前の岡山フィルとは全く違う展開を見せてくれたのは間違いない。


 芸術面での課題には天才的な能力を発揮する一方で、経営的な問題に対しては現実的なソリューションを提示できる。そんな両面を兼ね備えた稀代のオーケストラビルダーと言える。



②楽団員と向上心を共有した良好な関係を築いている
 指揮者と楽団員の関係と言っても、50人からなるプロの音楽家の総意の存在などというのは、聴衆の幻想なのかも知れない。しかし、シェレンベルガーが来る前は、楽団の実力と存在意義を賭けて開催する「定期演奏会」の回数は年に1回〜2回のみだったが、現在は年に5回に増え、更に聴衆も増えて、地元の人々の岡山フィルを見る目も明らかに変わった。楽団員にとってこの8年間で得られた充実感は何物にも代えがたいだろう。そして、音楽家としての表情が見える室内楽で、シェレンベルガーとの共演で見せる彼らの表情は本当に充実している。もちろん定期演奏会での表情も。

 ある首席奏者は、シェレンベルガーを「子供の頃から私のヒーローだった」と言い、夢はシェレンベルガーとの海外公演と語る(山陽新聞のインタビュー記事)ほどだ。



③聴衆の圧倒的な支持
 シェレンベルガーが初めて岡山フィルを振ったのが2009年の定期演奏会。その頃の客席は半分も人が入っていなかった。
 しかし、シェレンベルガーが首席指揮者に就任してから客席の8割は埋まるようになり、定期演奏会の回数を5回に増やしても客席は埋まり続けた。単純計算で定期演奏会の動員は年間2000人→8000人に4倍に増えた。
 このようにシェレンベルガーは岡山の聴衆に圧倒的に支持されており、この聴衆を新劇場の客層として取り込もうとしないなんて、クレイジー!!、とさえ思う。
 シェレンベルガー&岡山フィルへの支持は岡山だけに限らない。当ブログにコメントをくださる方やSNSでつながっている方の中には岡山フィルを聞きに他県から通っている方がおられる。その範囲は香川・備後などの近隣に留まらず、兵庫、大阪、京都、広島(安芸)、愛媛など広範囲にわたる。京阪神にはコンサートが沢山あるなかで、岡山にわざわざ来てくださるのは、それだけシェレンベルガー&岡山フィルのコンビが、他では聴けない音楽を演奏してくれるという期待感・信頼感にほかならない。
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※岡山シンフォニービルの吹き抜けにはシェレンベルガーの巨大パネルが設置されるなど、楽団も積極的に岡山フィル=シェレンベルガーのイメージを推していた。

④シェレンベルガーと開拓すべきレパートリーがまだまだ存在する

 通常のオーケストラの常任指揮者との共演回数は年に10回程度確保されおり、10年100公演も共演すればレパートリーは一巡する。

 しかし岡山フィルとシェレンベルガーとの共演は、就任当初は年に2回しか定期演奏会がなかったこともあり、年に3〜4回。おそらく8年間でもまだ二十数回程度だろう。通常のオーケストラの1/4程度しか共演回数をこなしていないのだ。

 レパートリーを見ても、ベートーヴェン・ブラームスの交響曲チクルスは完了しているが、就任当初のインタビューで語っていた、ハイドン、モーツァルト、シューマン、ブルックナー、マーラーはまだほとんど手つかずである。シェレンベルガーが他楽団との共演のプログラムあるいは、オーボエ演奏のアルバムでもイタリア・バロックやフランス物が高く評価されている。独墺系以外にもラテン系の楽曲も得意としている可能性が高い。まだまだシェレンベルガーから得られるものがあるのに、ここで任期が満了するのはあまりにももったいない。



⑤国内のオーケストラのヒエラルキーに属さない個性・独自性


 シェレンベルガーと岡山フィルというコンビは岡山フィルを一介の「地方都市オーケストラ」として埋もれさせることがない個性を発揮している。

 少し話は飛ぶが、日本のオーケストラにおける常任指揮者の顔ぶれの傾向について軽く(乱雑に)触れておきたい。
 日本国内のオーケストラを概観すると、在東京の有力オーケストラの常任指揮者はパーヴォ・ヤルヴィやジョナサン・ノット、セバスティアン・ヴァイグレなど、世界の一流オーケストラで活躍する指揮者が兼任しているが、地方の諸都市オーケストラの多くは、実力派の日本人指揮者が『輪番』のような形で常任ポストを務めている

 これらの実力派指揮者たちの中には若い頃の海外での実績がある者も多く、国内の有力オーケストラで演奏上の成功を収めると、次々に他のオーケストラからも声がかかる、結果有能な指揮者が様々な諸都市オーケストラ のポストを輪番のような形で歴任することで、この20年で実力が飛躍的に底上げされたと言われる。その一方でオーケストラの常任ポストは数が限られているため、(実力だけでなく、めぐり合わせや運の要素も大いにありつつ)輪番の席取りレースから弾かれる指揮者も出てくる。
 ならばこうした実力・実績はあるが現在ポストに付いていない日本人指揮者に後任を頼む手があるじゃないか?と言われると、僕は「否」と答えたい

 理由の一つは岡山フィルの個性が弱まってしまうことだ。③でも触れた県外からリピートする聴衆は「あのシェレンベルガーがどんな音楽づくりをするのか?」という興味で聴きに来られ、そこで大いに感銘を受けてリピートしてくれている。国内を中心に仕事をしている指揮者は、(言葉は悪いが)「どこでも聴ける指揮者」でもあるということ。岡山フィルの常任に就任した場合「まあ、わざわざ岡山まで行かんでもええわ」となる可能性が高くなる。

 また、指揮者の現在のポジションや評価がオーケストラのポジション・評価に影響し、国内オーケストラヒエラルキーの中で岡山フィルのポジションが定まってしまう恐れもある。
 また、シェレンベルガーはドイツを拠点に、欧州・北米・南米・アジアと指揮者としても器楽奏者としても、未だに世界の第一線を舞台に活躍している音楽家だが、もし海外にポストを持っておらず、また海外から指揮のオファーが無い指揮者が岡山フィルの常任ポストにつくと、世界の音楽シーンへの扉が閉ざされてしまう恐れもある。
 クラシック音楽の世界は、今、急速に変化している。だからこそ在東京のオーケストラは、まさに世界の一線級で活躍している指揮者の招聘に躍起になるのだ。東京だけでなく、札幌交響楽団(バーメルト)、オーケストラアンサンブル金沢(ミンコフスキ)、山形交響楽団(首席客演指揮者としてバボラーク)など海外での「経験」だけではなく「今」を知るマエストロを招聘する楽団はやはりファンの間でも話題だ。



 岡山芸術創造劇場の館長に就任された草加叔也さんは、山陽新聞のインタビューで「(新劇場は)劇場法の前文にもあるように『世界に開かれた窓』を目指したい」と仰っているが、ならば音楽部門をになうのはシェレンベルガー以外にいないじゃないか!と思う。

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※世界最高の木管アンサンブルのツアーの際、岡山フィルが日本のオーケストラで唯一共演を果たした。まさにシェレンベルガーは「世界に開かれた窓」だ。




※岡山フィルとシュテファン・ドールとの共演動画は42万回の再生回数(2021年5月現在)を稼いでいる。見に来る動機はドールのホルンだろうが、それでもこの再生回数は国内のオーケストラの動画の中でもトップクラスだろう。


 岡山フィルが想定する次期指揮者が誰なのかは分からないが、こういったことを踏まえて、果たしてシェレンベルガー以上の人材が居るのか?



 私はほとんど居ないと思う。


 もし岡山フィルとの契約をシェレンベルガー側の事情で更新できない場合も、功績に相応しい花道を用意するとともに、シェレンベルガーが開拓した聴衆層を失わないように、何らかの対応(桂冠指揮者のようなポストを作るなど)を行う必要があるだろう。



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