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岡山フィル特別演奏会 ニュー・イヤー・コンサート2021 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団特別演奏会
ニュー・イヤー・コンサート
モーツァルト/歌劇「ドン・ジョバンニ」序曲
  〃   /ピアノ協奏曲第21番
〜 休憩 〜
モーツァルト/交響曲第40番
指揮:キンボー・イシイ
ピアノ:梅村知世
コンサートマスター:高畑壮平
2021年1月17日 岡山シンフォニーホール
okaphil ny.jpg
 当初予定されていたプログラムはレハールの「メリー・ウィドウ」、新型コロナ対策のために、オール・モーツァルト・プログラムに変更されたこともあり、例年の華やかな「オペラ・ニュー・イヤー・コンサート」とはならなかった。現在のコロナ禍の世情や、1.17という自分にとっては特別な意味を持つ日のコンサートということもあって、内省的で充実したな2時間を過ごさせてもらった。
(1月20日 追記)
 『密』を避けるために開演30分前にホール入り。開演10分前も5分前になっても客足が伸びない。45%ぐらいの入り。高齢者の方はそこそこ居たが、先月のベートーヴェン5番/7番の時には戻りつつあった30代〜40代の聴衆が来ていない印象が強い。かく言う私もこの世代に属するが、岡山は緊急事態宣言対象地域外で、ホールの感染症対策やクラシック音楽のコンサートでの世界的な知見の蓄積から、感染リスクは極めて少ないとはいえ、社会的な雰囲気を考慮するとやはり悩むところではあった。しかし、今の私から生演奏の鑑賞機会を取ってしまうと、生きている意味の1/4ぐらいは失われてしまう。
 ホールの新型コロナ対策も万全で、入場時の検温とチケットへの連絡先の記入(事前に書いておけばいいかもね)にセルフ・もぎりとセルフ・チラシ取り、ロビーのドアが開放され後楽園の森の方角から吹いてくる風が心地よい。私の席の前後左右は、結局空席だったので、(とても喜べる話ではないが)快適に聴けた。前回はCOCOAを作動させるため、無音モードにしてスマホの電源を切らなかったが、やはり「万が一鳴ったら」との心配は消えない。今回は電源をオフにした。
 岡フィルはこの状況下でも熱演を聴かせてくれた。今日のコンサートに来ていた聴衆は私も含めて「少々のことがあっても岡フィルを聴きに来る」という熱心なファン層。楽団員さんもその事は重々わかっているのだろう。終始、モチベーションの高い演奏を展開して聴き手の胸を熱くする。
 楽器の配置は!stVn10→2ndVn8→Vc6→Va6、髪手にCb4の10型2管編成、ストコフスキー(ステレオ)型配置。弦は1プルト2人の通常距離、管楽器は左右の距離は前回(12月)より縮めつつ、前後はやはりSD配置でFg、Clはひな壇最上段で、上手にホルン、下手にトランペットとティンパニ。
 客席は前5列(オペラ公演時のオーケストラピット部分)を撤去して、今回は写真のような段々状になっていた。距離を保ちつつも客席からの圧迫感を減らすためだろうか。色々試行錯誤されている。オーケストラの入場は前回と同じく、アメリカンスタイル(予鈴前に舞台上で音出しして、そのまま残って開演)。
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※終演後、時差退場待機時に撮影
 キンボー・イシイさんの指揮は、美しく、かつ華麗。経歴を見ると、元々ヴァイオリン奏者で将来を嘱望されていたが、宿病ともいえる局所性ジストニアにより指揮者に転向した苦労人のようだ。アメリカ、ヨーロッパを股にかけて活躍されており、国内では児玉宏音楽監督時代に大阪交響楽団の首席客演指揮者に就任していた時期もある。KOBの首席カペルマイスターなどドイツの歌劇場で実績を積み、現在はホルシュタイン=シュレスヴィヒ歌劇場音楽総監督を務める、まさにドイツ語圏の歌劇場叩き上げの指揮者。
 1曲めの「ドン・ジョバンニ」の序曲から、その実力を見せてくれた。音の伸ばし方や音楽のピークの持って行き方が熟(こな)れていて、生命の吹き込み方を熟知している感じ。岡山フィルもスケールの大きい演奏でよく応えていたが、ヴァイオリン・パートの弱音が安定していない。メインの40番が凄い演奏だっただけに、1曲めからここら辺は決めて欲しかったところ。
 2曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第21番。冒頭に述べたとおり、新型コロナ対策のためにオール・モーツァルトに変更になった際、ソリストが梅村さんになりことが発表されたことで、楽しみのモチベーションが保てた。彼女のピアノは音の芯が強く、派手な表現を控えて、音楽を構築していく所が好きだ。
 梅村さんのこの日の演奏も期待を裏切らない、芯のしっかりとした瑞々しい演奏。華麗に動き回るモーツァルトの旋律美が上滑りすることなく、16分音符が駆け上がり駆け下る場面の連続でもしっかりと捉えて聴かせてくれた。キンボーさんのタクトがソリストに自由に歌わせ、そこにオーケストラを着けている感じで、梅村さんの透明感のあるスケールの大きい世界を導き出していた。あの、有名な瞑想的な第2楽章が強く印象に残る。
 アンコールのショパンのノクターンの8番。あれも良かったなあ。ふわっと煌めくような音がホール全体に拡がっていく。モーツァルトよりも50年ほど時代が進むと、これほどの表現が違うのか、というのを感じさせた。
 モーツァルトの40番は前半にも増して凝縮感のあるアンサンブルを聴かせた。第1楽章は快速テンポ、急ぎ足なのに音が柔らかく気品を失わない。キンボーさんのタクトも、さらに冴える。筋肉質だが組木細工の緻密な内部構造が透けて見えるように、この曲の構造が透けて見えるような華麗なタクト捌きに魅了された。
 今回は1年ぶりに高畑首席コンマスが帰ってきてくれて、キンボーさんとは現場叩き上げの音楽家同士で気脈が通じるところもあるだろう。高畑コンマス中心に各パートトップが息を合わせながら音楽が高揚していく。いやー、たまらんねこの時間。この空間。
 第2楽章に入って、安らかな音楽に一息つくも、短調に転調して心に波風が立つ。第3楽章のメヌエットを聴いていると、マリオネット(操り人形)の踊りを見ている錯覚を覚える。自然界から見ればコロナ禍に翻弄される人間もこのマリオネットのようなものかも知れないな、などと自嘲的に思っていると、中間部の優しい音楽に心がほろっとする。
 第4楽章は高速テンポで疾風怒濤に駆け抜ける。いやあ、岡山フィルは凄い、これは本物だ。しかも、細かいニュアンス、表情の変化が絶妙。
 アンコール、アイネ・クライネ・ナハトムジークの第2曲「ロマンツェ」。祝祭的なニュ・イヤー・コンサートではなかったが、モーツァルトの光の部分も影の部分も感じられる、充実した時間になった。
 キンボーさん、そして久しぶりの帰国(いや、来日?)となった高畑コンマス、本当に来てくれてありがとう。
 今回、フライング拍手をする人が居て、一瞬、旗だたしく思ったが、まあ、こういう他人のマナーに腹をたてるのも、色々な人々が集まっている生演奏を聴いている妙な実感があった。とはいえ、やっぱり「拍手は指揮者の手がおりた後に」して欲しいもの。

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