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無観客ライヴ配信:阪&山響の田園、下野&広響の運命 [ストリーミング]

 無観客ライブ配信の感想・・・といってもタイムシフト再生で一部のみの視聴の感想を。
 まずは山形交響楽団の6月22日に開催されたライヴ。後半のベートーヴェンの田園のみ、タイムシフト再生で視聴しました。
 緊急事態宣言に入る前にも山響はクラシック音楽ストリーミングサービスの「カーテンコール」で無観客ライブ配信を行っていましたが、前回と様相が異なっていたのは、休憩時間中に山形の特産品やふるさと納税制度による山響の支援制度の宣伝を行っていたこと。
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 このふるさと納税、先週末の時点でなんと760万円(6月29日現在で825万円)も集まっています。オーケストラ公演2~3回分のお金が集まっている計算。演奏を聞いた人が寄付したんでしょう。すごいなあ・・・
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 休憩時間中に紹介された山形の情報も興味深く・・・
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 山形県は北前船の寄港地だった庄内地方、そして紅花を運んだ最上川の水運など、とても交易が盛んで、財を成した事業者が文化的な投資を盛んに行っていた。東海道や(岡山を含む)山陽道の諸大名とは違い、幕府の締め付けも緩かったこともあって瀟洒な文化が花開いていた土地なんですね。人口規模が決して大きくはない山形にオーケストラ文化が根付いているのも、こうした江戸時代以来の文化的バックボーンあってのことなのだろうと思います。
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 さくらんぼ農家の紹介もありました。休憩時間後に聴いたベートーヴェンの田園の第5楽章が、まさにこのさくらんぼ果樹園の風景のように、里山の濃厚な匂いと澄み切った空気を運んでいるような音だったのが印象的でした。特にこの清涼感は西日本のオーケストラからはあまり聴けない音であり、やはりオーケストラというのは土地の風土の影響を受けることを改めて感じさせてくれました。
 それにしても、この3ヶ月間でクラウドファンディングの仕組みを整え、「やむを得ない措置」である無観客ライヴ配信をオーケストラだけでなく、山形全体のプロモーションのコンテンツに仕立てて、ピンチをチャンスに変えようとする山響は、やっぱりすごい。
 次に広響について。こちらはYOUTUBEの広響チャンネルでのライヴ配信。
 広響は年に2回以上は聴いてきたオーケストラで、楽員さんの中には名前と顔が解る人も居るし、緊急事態宣言中にも「テレワーク」で発信された音楽を見てきたので、ベートーヴェンの5番の第4楽章の最後の方で、皆が笑顔で演奏しているのを見ると、こちらまで目頭が熱くなってしまった。。。岡山フィルの田中郁也さん(Vn)と藤原さよさん(Hr)もエキストラで乗っておられました。
 アステールプラザ大ホールの多目的ステージの左右をできるだけ広く取った配置。弦5部と管楽器との間にアクリル板を設置していて、そのせいもあって第1楽章ではアンサンブルを作るのに苦労している印象でした。しかし、動画でも緊張感や舞台上の濃密な空気が伝わってきて、不自由な状況と3ヶ月以上も演奏披露の機会が与えられなかった鬱憤が音楽にぶつけられていて、とても心動かされる演奏でした。
 この広響の動画も休憩時間中は楽団や、広島の自然風土や広島の街が歩んだ苦難の歴史が紹介されて飽きさせることがない。
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 コロナ禍が早く収束し、演奏者も聴衆も心からコンサートを楽しめる日を切望するとともに、もしかしたら収束後は新たなオーケストラ・ライヴの楽しみ方が確立されるかも知れない・・・そんな予感を感じさせる動画ストリーミングでした。

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ラフマニノフ/交響曲第2番ほか 広上淳一&京響 2017年ライヴ Altus [クラシック音盤]

 今年3月のエントリーで、「20世紀の偉大なる巨匠たちの名演・名盤よりも、今、活動している音楽家の演奏を聴きたい」と書き、じっさいに地元と関わりのある音楽家や「会いに行ける演奏家」を中心に聴いています。

 今回はその中で愛聴盤になりつつある演奏を。

 京都市交響楽団は、従来から関西・西日本随一の演奏水準を誇るオーケストラでしたが、広上淳一が常任指揮者に就任して以来、その音楽性に磨きをかけて、2010年代に入って黄金時代を築きました。

 録音は2017年9月18日のサントリーホールでのライブ録音。まずその表現の巧みさや、淀みのないクリアなサウンドが印象に残ります。特に木管楽器のソロが素晴らしく、第3楽章冒頭のクラリネットのソロは、少し早めのテンポで心に染み渡る音を聴かせます。

 この曲の第1楽章は、悲劇性を伴った荒々しい部分と、ラフマニノフの真骨頂の一つである耽美的でねっとりと聴かせる部分が交互に現れ、ロシアのオーケストラが演奏すると、荒々しい部分は楽器が冬の嵐のように咆哮し、耽美的な部分はひたすらに甘美に演奏されますが、京響の演奏は地の底から沸き上がってくるような重心の深いトゥッティーで聴くものを圧倒、この表現を荒ぶる父性=ゼウス的とするならば、美しいメロディーの部分は甘美になりすぎず、菩薩的とでも言える温かい眼差しに溢れた気品あるサウンドに仕上がっている。これはもしかするとこの曲にロシア的な濃厚さを求める人には物足りない部分もあるかも知れないが、日本人の美的感覚にとてもマッチするもので、日本の風土が持つ、生活を一瞬にして破壊する荒ぶる自然と、泣けるほどの美しい風景という二面性が音楽に立ち現れているようにも感じます。
 「京響らしい緻密で明るいサウンド」という観点での聴きどころは第1楽章の後半部分と、第3楽章でしょうか。この京響の黄金時代が続いていくことを願わずには居られない、素晴らしい録音です。

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岡山シンフォニーホールの粋な新型コロナ対策がバズる [岡山でクラシックを楽しむ]

 国内のクラシック音楽界でもコンサート再開の動きが活発化し始めており、政府の示したガイドラインに沿うようにすると、ソーシャルディスタンスを確保した上で、定員の半分以下での開催が要請されている。
 そんな中で今週、岡山シンフォニーホールの新型コロナ対策が話題になった。

 
 投稿された日の夜にはどんどんリツイートによって拡散され、ハフポストやグレープなどのネットメディアが取り上げ、23000いいね!がつくなど、俗に言う「バズった」状態になった。そして、それが岡山のメディアに逆輸入される形で地元のテレビ局でも取り上げられ....
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(山陽放送)
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(岡山放送)
 続いて毎日新聞日本テレビ系列のzeroなど、連鎖反応で全国ネットのマスメディアにも取り上げられた。

 岡山シンフォニーホールのツイッター開始は今月の6月4日。わずか9日でバズるという結果に、ホール側も「予想を超えた反応に驚いている」とのこと。

 まず、この絵がいいですね。誰が見てもベートーヴェン、バッハ、モーツァルトと解る特徴を見事に捉えた絵である一方で、どこか愛嬌があるのがいい。
 そして、新型コロナの感染拡大、とりわけクラスター発生について、社会全体が眦を吊り上げて対策に追われる中で、「お客さんに楽しんでもらう」というコンサートホールの本質を見失わない取り組みにが、人々の心を捉えたのだと思う。
 岡山は人口比の感染者数が全国最低水準で推移しており、クラスターも発生していないことから、どこの集客施設も「ウチからクラスター第1号を出したくない」というプレッシャーも、正直あると思う。緊急事態宣言中もクラスターが発生している隣県(兵庫や広島)からの流入を警戒するあまり県知事が発した「岡山に来たことを後悔させる」という言葉が切り取られて(全体の文脈を見ると、そこまで酷いことを言われた訳ではないのだが・・・)報道されるなど、かなりピリピリした空気があった。
 そんな中で、この遊びゴロロのある取り組みは、岡山でコロナ対策に追われる我々にもハッとする気づきを与えてくれたように思う。
 偉大な作曲家たちと「相席」することが出来るうちに、一度、ホールに行ってみたい(笑)

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最近見た動画から:準メルクル&広響の「火の鳥」 [ストリーミング]

 Covid-19は想像以上にしぶとく、引き続いてコンサートが中止・延期になる中、地元の岡山フィルは7月の定期演奏会の中止を発表しています。FM岡山の番組で岡フィル事務局の野村さんが「秋山さんの指揮だから、どうしてもやりたかったのですが・・・」という悔しい思いが滲んだ言葉が印象的でした(パーソナリティの大橋由佳さんのブログ)。
 演奏の再開を具体化しつつある楽団もありますが、岡山フィルの7月定期は、メインがストラヴィンスキーの「火の鳥」ということで編成規模も大きいが故に、東京や関西からのエキストラも予想され、首席奏者の方も関東在住の方が多く人の移動や座席の再割り当てなど解決が必要な課題が多すぎたのだと理解しています。
 最近、見た動画もバレエ組曲「火の鳥」。2018年12月に開催された広島交響楽団定期演奏会の動画(映像は静止画)です。この定期は7月に開催されるはずが、西日本豪雨の影響で延期になったもの。期せずして豪雨災害の復興への狼煙となったコンサートで、年末休みと重なったこともあって、会場はたいへんな熱気に包まれていました(コンサート感想はコチラ

 大幅にカットされた1945年版の組曲(岡山フィルもこの版で演奏予定でした)ではなく、バレエ音楽の主要部分をほとんど残している1910版。当時の感想ブログには、

「火の鳥」は、ダイジェスト版とも言える1945年版が演奏されることが圧倒的に多いけれど、1910年版でしか味わえない感興がある。全曲盤をオーケストラのみでの演奏を「冗長」だと言い切ってしまうのは、このメルクルの魔法のようなタクトと愛すべき広響の情熱的な演奏を聴いてしまうと。『それは早計だ!』と言ってしまいたくなる。
 特に中間部分の「王女たちのロンド」から「夜明け」「イワン王子、カッチェイ城に突入」「不死の魔王カッチェイの登場」などを経て「イワン王子とカッチェイの対決」「火の鳥の出現」「カッチェイたちの凶悪な踊り」に至るまでの部分は、誠に息詰まり手に汗握る一大スペクタクルで、1945年版だと、「王女たちのロンドから」「カッチェイたちの凶悪な踊り」にまで一気に飛んでしまうのは、ほとんどおいしい部分をすっとばしている、ということが今回のコンサートを聴いて認識を新たにした。
 との感想を書いている。
 こうして後になってストリーミングで追体験できるのは本当に嬉しい。
 岡山フィルもコロナ禍が収束した後に、秋山さんを招聘して必ず「火の鳥」をして欲しい。なにかこの曲にはそういう力があるように思います。

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