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新型コロナウイルスの影響〜こういう時こそ「共にステージを支える聴衆」でありたい [雑感・出来事]

 新型コロナウイルスの国内でも蔓延が本格化し、感染者が発生した地域を中心にコンサートの中止なども出始めている。
 大阪では、府がコロナウイルス対策に関して強いメッセージを発したこともあって、まず大阪交響楽団が数公演のイベントの中止を発表している。
 
 クラシック音楽以外のイベント、例えばマラソン大会(吉備路マラソン、東京マラソン)などは、中止の場合は返金しない旨の規約があり、(参加予定者の反発などの影響はともかく)損害の発生は最小限に抑えられそうだが、クラシックのコンサートは、主催者の判断で中止する場合は代替公演や返金を行う場合が多く、この状況が続けばオーケストラや音楽事務所の経営危機に発展する可能性もある。個人の音楽家のコンサートはさらに判断が難しく、払い戻しへの対応などが発生すると、音楽家個人での対応には限界があるだろう。
 海外からの招聘アーティストの公演の場合、状況によっては来日を見合わせる(原発事故直後には実際にあった)ことも考えられ、実際、過去には自然災害によって来日公演の中止が重なった結果、音楽事務所の倒産も起こっている。
 新型コロナウイルスはSARSに比べると致死率は低いとされているが、クラシック音楽の聴衆層は高齢者が多く、高リスク者の割合も高いと思われる。主催者がコンサートを中止する事態ではなくても、自主的に「不要不急の外出」を控えた結果、集客が苦しくなれば、興行収支への打撃は避けられない。
 また、一般の働き盛り世代の社会人でも、気になるのは致死率だけではなくて「肺炎に罹患する確率」だ。肺炎になって何週間も出勤不能になれば仕事や社会生活への影響も甚大になる。前例がないだけにそのあたりのリスクがはっきりするまでは、音楽のコンサートに限らず、スポーツや芸能などイベント興行界全体への経済的打撃は計り知れないものがある。
 こういう状況の中で聴衆として思うのは、主催者や音楽家が行った判断(中止・延期・代替公演など)については、たとえ納得しがたい部分があったとしても、相手の置かれた大変な状況を斟酌して、決定に従うということ。間違っても大変な状況に陥っている主催者に激しいクレームを入れるなどはするべきではない、と思う。
 こういう時こそ、「自分はお金を払った消費者だ」と椅子にふんぞり返って聴いているのか、「最高のステージを観る・聴くために協力は惜しまない」という姿勢で聴いているのか、それが問われていると思う。
 私個人としては、幼児を抱えているため、岡山で蔓延が本格化すればコンサートへ行くことを原則控えることは考えている。実は来週、子供向けのコンサートに幼児も連れて行く予定があるのだが、今はとても悩んでいる状況だ。岡山での罹患者の発生があった場合は、チケット代は惜しいが会場へ行くことを自粛しようと思う。
 ただ、岡山フィルについては、4席ほど独立した区画のバルコニー席なので、平土間の席よりは濃厚接触のリスクが減る(気休めかも知れないが)だろうと言い聞かせて、フル装備で出かけるつもりだ。もちろん楽団から何らかの判断がくだされた場合は、その決断は全面的に尊重しようと思う。

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4台のピアノと8人のピアニストによる饗演 [コンサート感想]

4台のピアノと8人のピアニストによる饗演
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松本和将
中桐望
梅村知世
中島尚子
友光雅司
重利和徳
片山舜
稲垣拓己
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2020年2月16日 岡山シンフォニーホール
 規格外の企画に、集まったピアニストも松本、中桐、梅村という世界を舞台に活躍されている3名を筆頭に、全員がソリストとして活躍している方々(岡山出身でこれだけの人材が集まるというのは、改めて凄い)、プログラムもソロ演奏から1台4手、2台4手、4台8手、4台16手と徐々に「編成」を拡大しながら。ベートーヴェンの交響曲第5番の4人8手編曲版を頂点に、「展覧会の絵」ではピアノの音のポテンシャルを思い知る演奏になったし、「くるみ割り人形」でのトップレベルの競演、「ウェストサイド・ストーリー」は二人のピアニストがジェッツとシャークスの対決を、トニーとマリアの愛と悲劇を演じる迫真の二人芝居。
 まあとにかく、どの曲も濃厚で濃密な時間で、演奏時間は3時間に迫ろうかというボリューム、会場は1階席から3階席までビッシリと埋まる満員盛況。
 終演後は演奏と会場の熱気で頭がぼーっとしてしまって今夜は冷静に感想を書けそうにない。また後日じっくり更新します。
(2月21日追記)

 岡山シンフォニーホールが演奏用に保有されている4台のピアノ(スタインウェイ、ヤマハ、ベーゼンドルファー、カワイ)を全部出して、調律師も1台に1名、計4人付けるという『前代未聞のコンサート』(松本さん談)。まずは、これだけのレベルのピアニストを8名揃えたのが凄いし、実質的なメイン曲にベートーヴェンの交響曲第5番を据えるという決断も凄い。それぞれの分野のプロたちが能力を結集して作ったコンサートだった。
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ショパン/ポロネーズ第6番「英雄」 松本和将によるソロ演奏(スタインウェイ)
 恐らく、会場と聴衆を温めるという意味合いが強い選曲だったと思うが、松本さんのショパンはさすがの迫力で、温めるどころか火がぼうぼうと燃え盛るような演奏で始まった。ピアノを鳴らしている、というよりもホールの空気を振動させているという感じ。凄い。

ドヴォルザーク/スラヴ舞曲集より72−1,72−2 重利和徳、友光雅司による1台4手(スタインウェイ)
 1台4手の演奏はスペースや動きの制約が大きいのか、あるいは1曲めの松本和将の演奏がすごかったのか、迫力の点では少し物足りなかった。いや、この規模のホールを鳴らし切る演奏というのは、恐らく選ばれた者だけが可能な特殊能力なのかもしれない。
 友光さんはスイング感のある演奏で、一方の重利さんは没頭型で対照的なように見えて、息はピッタリ。音の強弱・テンポが自由自在の愉悦に溢れた演奏だった。お互いの手をクロスさせながらの演奏もあり視覚的にも面白かった。

ドビュッシー/小組曲 片山舜、中島尚子による1台4手(スタインウェイ)
 1曲目の松本さんの印象が強烈で、やはり音量に物足りなさを感じたものの。ドビュッシーなので、これはアリかな。ドビュッシー独特の色彩の移ろいや繊細なニュアンスを存分に聴かせた。この演奏、ルネスホールあたりで聴くと最高に愉しめそうだ。
 それにしても皆さん、演奏もさることながらトーク能力もハイレベル(笑)

チャイコフスキー(ニコラス・エコノム編)/「くるみ割り人形」からマーチ、トレパーク、花のワルツ
梅村知世(ベーゼンドルファー)、松本和将(ヤマハ)
 アフタートークでは、岡山出身で東京芸大、ベルリン音大・・・と同じルートを歩んだ二人ということで、ドイツ的なチャイコフスキーかも知れない、という話だったが、テクニック・迫力のみならず、音楽の構成力が凄い。かわいらしい行進曲からトレパークのリズムの躍動。さらに最後の花のワルツが圧巻。幻想的に始まって間をゆっくり取った冒頭から、どんどん音楽が昂揚していき、最後はバレリーナたちの大団円の踊りがステージ上に見えるような、そんなヴィジョンが見えるような華やかな演奏だった。

バーンスタイン(ジョン・ムスト編曲)/「ウェスト・サイド・ストーリー」より《シンフォニック・ダンス》
中桐望(ベーゼンドルファー)、重利和徳(ヤマハ)
 いや、これはちょっと凄い演奏だったんじゃないでしょうか。この曲の肝であるラストの描写が凄い。バーンスタインの「人と人を繋ぎ、心とこころを繋いでいく」力と、その真逆の「人と人は、結局は分かり合えない」という絶望の淵・・・それを見事に表現されていて、本当に泣きそうになった。こんな演奏を聴くと、オーケストラ版よりもピアノ連弾のほうがいいんじゃないか?そう思わされる演奏だった。フィンガースナップや「マンボ!」の掛け声も入れながらのジャジーな演奏に魅了された。ファンタスティック!
 中桐さん、ぜひ岡山フィルと「不安の時代」(交響曲第2番)を演奏して欲しい。あなたならバーンスタインの希望と絶望というアンビバレントな価値を内包する音楽を表現できる(もっとも、岡山フィルがこの曲を取り上げてくれるかは別問題だが)。
 ショパンやベートーヴェンだけじゃなく、こういう曲も自在に操れるピアニスト、これからも聴きに行きたい。重利さんの演奏も素晴らしかった。結構、ジャズ演奏の場数も踏んでいるのでは?と思ったがいかに。

ベートーヴェン(テオドール・キルヒナー編)/交響曲第5番「運命」
 プログラム(上の画像)には2台4手の編成になっているが、「せっかく4台あるのだから、4台すべて使ってしまおう」ということで、4台8手での演奏になった。
 下手側からか中島尚子(ヤマハ)、松本和将(スタインウェイ)、梅村知世(ベーゼンドルファー)、中桐望(カワイ)という編成。
 4台使うという判断は大正解だった。配置がステレオ配置になり、ストコフスキー配置のオーケストラのような上手側で低音が鳴り、下手側で高音や主旋律が鳴るようになり、例えば第3楽章の中間部のハ長調に転調したあとのフーガの場面は、これままさにオーケストラだ!と思った。中桐・梅村の2人の若手女性ソリストの奏でる低音が重厚かつ瞬発力に満ちていたのが印象に残る。
 ピアノは弦楽器・管楽器のように音を伸ばすことが出来ないので、鍵盤を連打して伸ばして鳴らすことになるが、この曲にはそうした音作りが合っている。「田園」や「合唱付き」になるとこうは行かなかっただろう。
 松本さんが時折指揮をしてタイミングを合わせるが、全員が反響板に向いて座っているので、アイコンタクトも取れず、「気配」で感じるしか無いはず。壮絶な緊張感の中での演奏に痺れた!新発見だったのは、第2楽章の美しさ。オーケストラ曲とは全く違う響きになり、後期ピアノソナタの緩徐楽章のような光りに包まれるような音楽になった。
 松本・中桐・梅村というメジャーレーベルからCDをリリースしている実力者の中で、高音の旋律部分を担当した中島さんの演奏も光っていた。室内楽の伴奏で何度も聴いているが、これほどの実力者だとは。このコンサートで得た収穫の一つ。

ムソルグスキー(長尾淳編)/展覧会の絵
友光雅司・中島尚子(ヤマハ)、松本和将・稲垣拓己(スタインウェイ)、梅村知世・片山舜(ベーゼンドルファー)、中桐望・重利和徳(カワイ)
 この曲はもはや長生淳作曲「ムソルグスキーの展覧会の絵へのオマージュ」といってもいい内容で、この曲が持つエッセンスを上手くつなげて、全く別の曲にしていた。この曲からまだ高校生の稲垣さんが登場。これだけのメンバーに混じって、まったく気後れしない演奏は凄い。実は前の曲のベートーヴェンにのぼせてしまって、ボーッとしながら聴いてしまったのだが、15分程の作品の中に組み込まれたプロムナード、殻をつけた雛の踊り、リモージュの市場、ビドロ、バーバ・ヤガーの小屋などの有名なモチーフを宝探しをするかのように聴いたのでまったく飽きさせなかった。

長生淳/世界の行進曲メドレー
(編成は全曲と同じ)
 いやあ、この長尾さん、編曲の天才ですね。これも有名な行進曲のモチーフを宝探しのように聴いた。ラデツキー行進曲に始まり、ワーグナー、ヴェルディー、スーザなどなど、名だたる行進曲を10分の間に堪能した。


 アンコールは「ふるさと」を原曲にしたもの。終演予定を40分以上超過したが、満席の客席はほとんど帰る人も出なかった。それぐらい充実したコンサートだったということ。なかなか曲(楽譜)探しやスケジュール調整、2台・4台のピアノの練習場所の確保など、大変な企画だと思うが、また続編を期待したいコンサートだった。

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七澤達哉 ヴィオラ・リサイタル [コンサート感想]

七澤達哉 ヴィオラ・リサイタル
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ブラームス/F.A.E.ソナタより第3楽章スケルツォ
J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲第1番
シューベルト/アルペジョーネとピアノのためのソナタ
 〜 休憩 〜
ヴュータン/無伴奏ヴィオラのための奇想曲「パガニーニへのオマージュ」
ブルッフ/ロマンス
クラーク/ヴィオラソナタ
ヴィオラ:七澤達哉
ピアノ:山中歩夢
2020年2月9日 日本福音ルーテル岡山教会
 岡山フィルの首席ヴィオラ奏者を務める七澤達哉さんのリサイタル。これほどの多彩な表現をヴィオラで奏でる、豊かな音楽性に魅了された。それほど大々的な告知が無く、私自身も先日の岡山フィル定期でこのコンサートの存在を知った次第で、聴衆は100人弱ほどで、そのうち10人ほどが岡山フィルの奏者の方だったが、それだけ彼が楽団の中での人望がある証拠だろうと思う。しかし、もっと沢山の聴衆が来てもよいコンサートだった。
 前半のプログラムで心に残ったのはバッハの無伴奏チェロのヴィオラ独奏での演奏。張り詰めるような怜悧な緊張感が漂う演奏が好みだった自分としては、初めはゆったりとした構えの演奏に戸惑ったが、曲が進んでいくうちに暖かく優しい気持ちにさせてくれる演奏もいいなあと思った。シューベルトは一瞬激情的な面を見せるものの、寂寥感とロマンティシズム溢れる演奏に、七澤さんの人間性が反映されているようだった。
 七澤さんの説明にもあったとおり、前半は本来ヴィオラ以外の楽器のために書かれた曲だったが、後半はヴィオラのための曲ということで、前半よりも2段も3段もエンジンのギアが上がった感じで、圧倒的な世界を現出した。ブルッフのロマンスは七澤さん自身が「バシュメットの演奏を聞いて、その演奏に憧れていた」と仰っていたとおり、感情移入の深さとどこまでも美しい表現に目頭を拭わざるをえなかった。この曲は中村洋乃理さんらの4人のヴォラ奏者のユニット、アルト・ドゥ・カンパーニュでも聴いたことがあるが、本当に珠玉の名曲だと思う。
 最後のレベッカ.クラークのヴィオラ・ソナタは、初めて聴いた曲だったが、こんないい曲なんですねえ。30年以上クラシック音楽を聴いていても、この音楽の世界にはまだまだ知らない曲が山のように眠っていることを実感。5音階の和音はどこか懐かしさを感じさせる曲で、ヴィオラ独特のコクのある音を存分に引き出している。七澤さんの幽玄で幻想的なヴィジョンを現出させていて、第2楽章が演奏されている時に、ちょうど窓の外が暮れなずんでいって、音楽とシンクロしていた。陶然と外の夕暮れを見ながら音楽に耳を傾ける時間は至福だった。ひょっとしてこれも計算に入れてのプログラミングだったのだろうか。
 伴奏の山中さんの腕も相当なもので、クラークのソナタはほとんどピアノのカデンツァのような場面があるが、その演奏に圧倒された。
 
 余談になるが、この日は、実は広島交響楽団の福山定期演奏会と重なっていて、この七澤さんのリサイタルがあることがわかったのが2周間前、広響の方は福山「定期会員」にもなっているのだが、去年の岡山フィルのブルックナー4版でのヴィオラセクションの素晴らしい演奏を聴いて以来、それを率いる七澤さんのコンサートがあったら行ってみたいと思っていたため、こちらを優先することになった。
 あと、岡山フィル定期以来、体調を心配していた高畑コンマスのお元気な姿も客席で拝見できた。
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 会場の教会のあるあたりは学生時代に住んでいたこともあり、今でも家から徒歩圏内。そんな場所で聴いた素晴らしいコンサートと、未知の名曲との出会いに満足しながら徒歩で帰路についた。宣言通り、再びのリサイタルを期待して待っていますよ。

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