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広島交響楽団第25回福山定期演奏会 指揮:小泉和裕 Pf:小川典子 [コンサート感想]

広島交響楽団第25回福山定期演奏会
モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
リスト/ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
 〜 休 憩 〜
ブラームス/交響曲第1番ハ短調
指揮:小泉和裕
ピアノ独奏:小川典子

コンサートマスター:佐久間聡一

2019年2月17日 福山リーデンローズ大ホール
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 広響の福山「定期会員」になってからの初めて自分の「定期会員席」で聞くコンサート。天井桟敷ではなく、1階のど真ん中の席で聴く。来年度からは4200円のこの席を3500円で聴けるようになる。お客さんの入りは、2、3階席の様子は把握できていないが、恐らく6割ぐらいの入りだろうか。

 ブログには何度も書いてるが、岡山シンフォニーホールでのコンサートにもチラシを配ったらどうだろうか?公立ホールで県域の違うお客さんに広報するのが難しいのかもしれないが、今回のコンサートには岡山フィルの3月定期のチラシは入っている訳で、その逆が出来ないのは、ちょっと解せない。


 オーケストラの編成は1stVn12→2ndVn10→Vc8→Va8、上手奥にCb6の12型ストコフスキー配置。


 1曲目のドン・ジョヴァンニ序曲。広響がこのホールで演奏する時の1曲目の演奏の際によく感じるのだが、普段は極めデッドなホールを本拠地にしていることもあるのか、残響に手こずっているような、フォーカスが微妙に合わない感じのある演奏。もっとも、このリーデンローズの残響豊富な音響に聴き手の自分が慣れるのに時間がかかることもあるだろう。


 リストのピアノ協奏曲は実は苦手。ピアノ独奏部分は魅力的だが、オーケストラ・パートが(リスト愛好家の方々には申し訳ないが)どうにもイモっぽいというか、こんなに魅力的なピアノ独奏を書けるのに、このオーケストレーションはなんなんだ?との思いを持ってしまう。

 リストのコンチェルトのソリストは小川典子さんで、前回聴いたのが10年ぐらい前の京響と共演した、ラフマニノフのパガニーニ・ラプソディ。その時の感想は『まさに円熟のピアニズム。脂の乗り切った演奏を大いに堪能した』という趣旨のことを書いていたが、その時の印象よりも、ますます表現の円熟味を堪能させてもらった。

 小泉さんの指揮は、ソリストへ挑んだり煽ったり、ということは無く、ときどきそれが物足りないと思うこともあるのだが、今回の演奏は、小泉さんの職人芸と小川さんの会場を巻き込むような存在感と、グイグイと音楽を手動する力が相まって、指揮者・ソリスト・オーケストラの関係性の妙を堪能できた。「ああ、リストのコンチェルトって、こういう風に聞くととても面白い」という説得力に満ちた演奏だった。

 協奏曲、というよりもオーケストラ伴奏付きの「ピアノ組曲」なのだろうな、この曲は。オーケストラ伴奏のバレエ組曲のような、そんな構成になっているのだろう。

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 後半はブラームスの交響曲第1番。これはもう小泉さんの『誰がなんと言おうと、これが普遍的なブラームスの世界なんだ』という確信に満ち満ちた演奏になった。今の時期、コンサートゴーアーの間で話題沸騰中のクルレンツィス&ムジカ・エテルナなどが、革命的な演奏を世に問うているが、僕はこの小泉さんが描く世界にも抗いがたい魅力を感じる。

 どっしりとした低音の上に音楽を構築的に積み上げていく重厚で浪漫あふれる演奏。テンポは速めだが、歌うところではじっくりしっとりと歌わせる。それでいて弛緩するところのない筋肉質で充実した音楽だった。

 第1楽章や第4楽章での、各パートが呼応しながら音楽が盛り上がっていく場面では、「そうそう、こういうブラームスが、僕は聞きたかったんだ」と、何度も頷首しながら聴き応えのある音楽を堪能したが、特筆すべきなのは第2楽章。これほど雄大な景色が目に浮かぶような、泣けるほど美しくどこまでも広がるヴィジョンを作り出せる指揮者が、今、どれほど居るだろうか?天井を見上げながらその世界に耽溺した。第2楽章でのコンマスの佐久間さんのソロ、第4楽章の中間部の倉持さんのホルンや岡本さんのフルートなど、どれも素晴らしく、他にも聴きどころはたくさんあったが、この日のコンサートはなんといっても小泉さんの音楽美学の中での出来事、という感が強く、楽団員さんの思いも恐らく同じだったようで、終演後のカーテンコールでは、3回目ぐらいの指揮者を称える「お約束」よりも前に、すでに楽団員が小泉マエストロを称える様子(特に、ヴィオラの安保さんの讃え方がカッコイイ)が印象に残った。広響のこういう雰囲気、僕は好きです。


 アンコールがなかったのも小泉さんらしい。このブラームスのあとに、余計な音楽は不要ということ。15時開演で終演は16時40分。福山駅からビミョーに距離のあるリーデンローズまでは、行きも帰りもあーと屋さんの車に乗せていただき、色々とお話も出来て感謝です。


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クァルテット・ベルリン=トウキョウ 岡山公演2019 [コンサート感想]

クァルテット・ベルリン=トウキョウ 岡山公演2019
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J.S.バッハ/3つの主題による4声のフーガ
  〃  /コラール「我が心の切なる願い」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第10番変ホ長調「ハープ」
 〜 休 憩 〜
シューベルト/弦楽四重奏曲第15番ト長調

クァルテット・ベルリン=トウキョウ
 Vn:守屋剛志
 Vn:ディミトリ・パヴロフ
 Va:グレゴール・フラーバー
 Vc:松本瑠衣子

2019年2月1日 日本キリスト教団岡山教会

 一流の技術を持った4人が、アンサンブルを磨きに磨き上げ、そして燃焼度100%の本気の演奏をしたら、こんな凄い音楽になる・・・・。守屋さんが倉敷のご出身(しかも真備だったんですね、去年の災害時は心を痛めておられたでしょうね)という縁で、こんなハイレベルのクァルテットの演奏で、室内楽の主要レパートリーを毎年のように聽かせてもらえる。そのことを教会の十字架を目の前にして、文字通り神に感謝した演奏でした。本当に、神々しいサウンドでした。

 今回の会場は日本キリスト教団岡山教会。天満屋のすぐ北というとても便利が良い場所だ。初めて中に入ったのだが、間口に比べて意外に奥行きがあり、建物2階にある礼拝堂のキャパは180人ぐらいか。ヴァイオリンの守屋さんも初めて演奏する会場とのことだった。

 

 会場は満席のうえに丸椅子の補助席まで出る状態で、220人ぐらいは入っていたと思う。舞台右手にはパイプオルガンがあり、オルガンコンサートも行われているとの事。教会と言っても躯体はコンクリートのビルなので残響は少ない。しかし、音は結構芳醇に響き、舞台と客席が近く一体感がある。ただ、空調は普通の業務用エアコンなので演奏中は空調を切らざるを得ず、足元からの冷えが少し堪える(笑)皆さんコートを足に掛けて聴いていた。

 

 カルテットの配置はヴァイオリンが向かい合う対向配置で、これまでのQBTとはヴィオラとセカンドヴァイオリンの位置を入れ替えた感じ。そして、前回、僕が聴いたときとヴィオラのメンバーが変わっていて、そのグレゴール・フラーバーさんは開演前の時間に、客席側と舞台背後でアクションカメラを入念にセッティングをセッティングをされていたのだが、その時の雰囲気がとても気さくそうな印象。


 バッハ2曲はノンヴィヴラートでの演奏。透明感のある純度の高い音が響き合いながら重なり合い、ますます輝きを増していく。まるでクリスタル細工のような、そんな輝きを放っていた。『3つの主題による4声のフーガ』は未完の作品で、バッハ特有の対位法やフーガの幾何学的な音の万華鏡が、突然終わってしまう。これは人間の死、そのもののように感じる。

 それを慰撫するように、アタッカ気味にはじまったコラール「我が心の切なる願い」の美しさと安らぎに心を完全に持って行かれる。


 死と魂の救済を感じさせる演奏の後に演奏された、ベートーヴェンの「ハープ」も素晴らしかった。

 この曲が作曲されたのは交響曲第5番や第6番「田園」、あるいはピアノ協奏曲第5番「皇帝」が作曲さされた、いわゆる「傑作の森」の時期の真っただ中で、やはりこの曲も、この時期のベートーヴェン特有の強い意志と躍動感を感じさせる曲で、バッハの2曲や後半のシューベルトの作品に感じる死の影を「死など何するものぞ」と吹き飛ばすような楽曲に感じた。

 QBTの演奏はダイナミクスの切り返しがとても鮮やかであると同時に、磨き抜かれた美しさやしなやかさを感じさせてくれ、生命力あふれる演奏だった。特に第3楽章の推進力には圧倒された。ベートーヴェンはやはり当時の最先端の音楽だったことを感じさせる


 後半のシューベルトは、輪をかけて熱気のある演奏になった。この曲、45分も要する大曲で第1楽章だけで20分近くのボリュームがあるのだが、全く長く感じない。音のダイナミクスの付け方の鮮やかさ、特に弱音部分での表現の多彩さは、神業としか思えない。それでいてとても芳醇な音楽が聞こえてくる。微に入り細に入り作りこまれていて、これはやはり世界レベルのカルテットだからこそ聴けるのだと思う。

 シューベルトの晩年(といっても30代の、そうそう、ちょうど守屋さんが「シューベルトが亡くなった年齢に、僕も達してしまった」とプレトークでお話されていました)の曲には死の影を感じる曲が多く、この曲も孤独や死の雰囲気は多分に感じるのだが、このQBTの演奏は暗い死のイメージではなく、浄化と救済のイメージに重なる。

 第3楽章のスケルツオからタランテラのリズムが印象的な第4楽章への燃焼度の高い演奏は凄いとしか言い様がないぐらいに圧倒された。決してノリや勢いだけなく、音の重なりや掛け合いすべてに計算しつくされ作りこまれた土台の上に、その場の聴衆も巻き込んで「創造」されていく。冒頭にも述べたとおり、岡山でこんなコンサートが聴けることを感謝したひとときだった。


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