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ばらのまち福山国際音楽祭2018 ローズコンサート [コンサート感想]

ばらのまち福山国際音楽祭2018
ローズコンサート
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2018年5月3日 福山リーデンローズ大ホール
 なかなか更新がままなりません。今年度はこんな感じで事後更新が多くなりそうです。数日たってしまうと同じコンサートに行かれた方のアクセスが一気に減りますから、感想を共有しあう・・・なんてことはできませんねえ。もうこれは自分のためだけの更新になりますね。
 ポーランド放送室内合奏団は、その名の通り弦楽のみの合奏団で、基本編成は1stVn6-2ndVn6-Va5-Vc3-Cb1という小規模編成。
 音はいぶし銀の音、東欧のオーケストラが持っている独特のコクと艶のある音で、遠路ポーランドからこの音楽祭のために来てくださっただけのものを味あわせてくれた。モーツァルトでは昨今のピリオド・アプローチを取り入れた演奏だったが、ヴィヴラートをかけて浪漫的に表現したチャイコフスキーの弦楽セレナードで聴かせた濃厚な音こそが、この合奏団の真骨頂のように思える。
 今回、もっとも聴きどころだったのはキラルの「オラーヴァ」だった。ロマの音楽を思わせる民族調の旋律がミニマル・ミュージックのように折り重なって、徐々に音楽世界が拡張して最高潮に達するこの曲。ペンデレツキ、ルトスワフスキ、キラル・・・ポーランドは20世紀のクラシック作曲家と傑作を多数輩出した国として歴史に残ると思う。演奏する彼らも、この作品を知ってほしいという情熱にあふれていた。
 チャイコフスキーの弦楽セレナーデもスラヴのリズム溢れる躍動感のある表現で、これは国内のオーケストラを聴いていてもなかなか味わえないと思った。
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 会場は8割ぐらいの入りだったか?過去、リーデンローズでクラシック音楽を聴いた中で最も客席が埋まっていたように思う。1日目のオープニングコンサートでは客席も6割ぐらいで盛り上がりに欠ける感じがあったが、私のようにコンサートを『はしご』してテンションが上がっていく聴衆が多く、このローズコンサートでは会場はたいへんな熱気に包まれていた。この「ラ・フォル・ジュルネ」型(あるいは「大阪クラシック型」)の音楽祭は、本当によくできているなあと感じた。近くのショッピングセンターでの地元音楽家の演奏にも大きな人だかりができており、2日目(最終日)には行っていないが、この音楽祭は成功だったんじゃないだろうか。
 一つ要望を上げるとすれば、岡山でこの音楽祭の情報がほとんど入ってこないことと(岡山シンフォニーホールでチラシを配るだけでも地名度は断然上がるだろう)、実際には空席が多かったのに、ローソンチケット、岡山市民会館、アルスくらしきなど、岡山でアクセスできるプレイガイドでは完売だったこと(私はチケットぴあで購入した)。広島のTVやホールなどでは充分な宣伝がされていたようですが、快速に乗ると45分で行ける岡山からの集客を考えないと勿体ないと思います。この音楽祭の性格上も、広響のコンサートをはじめコンテンツの充実している広島から来る客よりも、同じ文化圏・生活圏の岡山・倉敷をターゲットにした方が有効でしょう。
 そして、気になるのが音楽祭の今後。ラ・フォル・ジュルネが同じような仕組みでの音楽祭なので参考に、地方都市開催の経過を見てみると、金沢・びわ湖が東京中心のプログラミングとブッキングに反発して(乱暴に言えば「東京の残り物を押し付けられるより、自分たちで主催した方がよい」ということだろうか)、独自の音楽祭を立ち上げて成功している一方で、新潟・鳥栖では音楽祭そのものが消滅しています。
 地元のオーケストラや劇場が活発な活動をしていて聴衆層の土壌が厚い金沢・びわ湖に対して、新潟・鳥栖は音楽祭を続けるメリットが見いだせなかった。
 福山も音楽祭を継続していくためには、音楽祭によって地元に還元され、還流する財産(当ブログの言葉でいえば、文化・芸術が循環する社会に貢献するかどうか?)があることが、不可欠になってきます。この音楽祭でも地元アマオケを結集した「オーケストラの祭典」や、街中コンサートなどで地元の音楽家に活躍の場が与えられてはいたものの、誰がアマチュアで誰がプロフェッショナルなのか解りにくく、混在している印象がありました。
 今後は、地元のプロの音楽家の存在がもっと前面に出る様な構成が必要でしょうし、例えば弦楽四重奏団など様々なプロの室内楽団体が発足したり、プロの音楽家で構成された室内管弦楽団などが出て来て、音楽祭のプログラムの一翼を担うようになれば理想的でしょう。逆に、そうならなければこの音楽祭の存在意義が問われ、新潟や鳥栖と同じ道を辿る可能性が高いと私は思います。

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ばらのまち福山国際音楽祭2018 シン・ヒョンス リサイタル [コンサート感想]

ばらのまち福山国際音楽祭2018
シン・ヒョンス ヴァイオリン・リサイタル
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2018年5月3日 福山リーデンローズ小ホール
 もう音楽祭は終わってしまいましたが、感想はぼちぼち更新します。
 3月から多忙な時期が続き、それ以上に想定していなかった大きな爆弾が2,3発爆発してしまい、なんというか精魂尽き果てる様な日々でした。郷古廉さんのリサイタルなど、注目の公演を3つほどパスしてしまい(でも代休を3日も貯金していますから、6~7月で取り返すつもりですが、何か?)、この音楽祭は久しぶりに生の音楽に触れられ、それも3公演も梯子ということで僕にとってはこれほどの至福の時間はありませんでした。
 さて、シン・ヒョンスさんのリサイタル。予定時間は約50分間のうち、あのグリーグのロマンティックかつ体が躍るソナタの3番が聴けるということで、軽い気持ちで座席に着席。
 ところが、バッハのシャコンヌの演奏が始まったとたん、その予想外というかまさかの本気度100%、出力マックスの演奏にノックアウトされてしまった。
 本当に本当に、パルティータ2番全曲が聴けなかったのが惜しいぐらいの濃密な演奏。ロン・ティボーの覇者というタイトルを語るまでもない、恐ろしいほどのテクニックで、収まるところに音が収まっていく快感、バッハの厳しい音楽を完全にモノにしている懐の深さ、ヒョンスさんのリサイタルがあったら絶対に行こう、と心に期したのでありました。
 近くで見ると、細身ながら恵まれた身長を生かしてダイナミックな演奏。そのパワフルさは欧米のヴァイオリニスト顔負け、音の伸びの良さも素晴らしい。
 2曲目のグリーグのヴァイオリン・ソナタはグリーグらしい抒情と民族的な旋律に溢れたヴァイオリン・ソナタのロマンティック部門の屈指の存在。ある意味、1曲目のバッハのシャコンヌとは対極にある曲と言える。僕は、この曲を聴くたびに「グリーグはなぜ、ヴァイオリン協奏曲を作らなかったのだろうか」と思うのだが、最近、ヴァイオリン協奏曲編曲版(グラッケルードとルンド編曲)をグラケルードのソロ、トロムソ室内管で聴くことが出来る(NAXOS)。ナクソス・ミュージック・ライブラリーに加入の方は一度聴いてみてほしい。
 閑話休題
 グリーグのソナタも、極めてハイカロリーで情熱的な演奏。低温は足元から響くような重量感があると同時に、高温の伸びの良さは聴いていて本当に気持ちがいい。音の純度が極めて高く、この曲の第2楽章の美しさがヒョンスさんのヴァイオリンにかかって、際立っていた。
 50分という通常は半分のサイズのリサイタルを逆手に取ったのか、完全燃焼のように見えた。いやいや、2時間の本格的なリサイタルもこの集中力と情熱で走り切ってしまうのかもしれない。
 伴奏はメディアでの露出も高い斎藤雅広さん。オープニング公演とマタニティコンサートでの司会につづいて、休みなしで伴奏に臨んだが、ソリストにドンピシャでつけていく演奏は流石、徹底的にシン・ヒョンスさんの良さを引き出す伴奏にうなった。「この音楽祭はこの斎藤さんで持っている」と思う。
 アンコールはハンガリー舞曲第3番。
 なお、シン・ヒョンスさんは、この後「いしかわ金沢 風と緑の都音楽祭」への出演のため、福山を後にしたそうだ。本当にタフなことです。

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ばらのまち福山国際音楽祭2018 ユネスコ「世界の記憶」記念コンサート [コンサート感想]

ばらのまち福山国際音楽祭2018 開会セレモニー
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ユネスコ「世界の記憶」記念コンサート
~ふくやま琴との共演~
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2018年5月3日 福山リーデンローズ大ホール
 今年から「ばらのまち福山国際音楽祭」が福山リーデンローズ(福山芸術文化ホール)を中心とする福山市内各所で行われている。
 この音楽祭のフォーマットは明らかに「ラ・フォル・ジュルネ」であり、はたまた「威風堂々クラシック」だろうと思う。
 有料公演を45分から1時間程度で1000円~3000円という安価で提供し、福山リーデンローズの大ホールと小ホールで時間差で開催、聴衆は1回のコンサートだけつまみ食いをしてもいいし、自分の気に入ったコンサートを何公演も梯子してもいい。市内各所(福山城、美術館、ショッピングセンターなど)ではアマチュアや音楽大学の学生さんらによるコンサートが各所でゲリラ的に行われ、聴衆はコンサートを求めてそぞろ歩く仕掛けになっている。
 このオープニングコンサートのオーケストラはスーヨル・チョイ指揮、釜山フィルハーモニー交響楽団が務めた。韓国のオーケストラが進境著しいことは、FM放送で聴いたソウル・フィルやKBS響の演奏から知っていた。しかし、花のソウルを離れた地方都市のオーケストラの実力はいかに?という心配もあった。
 ところが釜山フィルの演奏は驚くほどレベルの高かった。釜山フィルが招聘されたのは、朝鮮通信使の停泊場所だった鞆の浦港を観光地として抱える福山市が、その通信使の出発港の釜山のオーケストラを招聘して交流を深める意図があったようですが、このオーケストラ、僕が普段聴いている西日本のオーケストラと比べてもまったく遜色は無い素晴らしい演奏を披露押してくれた。京響やセンチュリーなどの一線級の実力のあるオーケストラと比べると、緻密さや洗練さでは聴き劣るものの、彼らの全身で音楽を表現する様子は、関西フィルや広響といった躍動感を前面に出した西日本のオーケストラを聴いている自分にとっては親近感がわく。
 12型(協奏曲は8型)での演奏だったこともあって、弦楽器がやや非力な感じはあったが、金管は極めてパワフル、そして木管楽器のよく歌う事歌う事(笑)楽器の歌いっぷりはイタリアやスペインのオーケストラのようだ。
(会場では朝鮮通信使にちなんだパネル展や衣装展示が開催されていた)
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 現在、韓国ナンバーワンといってよい女流ヴァイオリニストのシン・ヒョンスさんがソロの小曲を2曲。特にツィゴイネルワイゼンの超絶技巧が、このヴィルトゥオーゾの手にかかれば、いとも簡単に弾けてしまうように感じてしまう。それほど圧倒的なテクニックを披露してくれた。釜山フィルのメンバーも足をドンドンさせてソリストを称えていた。「どうだ、我らが韓国が誇るヴィルトゥオーゾは凄いだろ?」と、彼らまでもが誇らしげだった。シン・ヒョンスさんの凄さはこのあと、小ホールで行われたソロ・コンサートで存分に堪能した(感想はのちほど)。
 最後の行進曲「威風堂々」は、市民合唱団も参加してのステージ。スーヨル・チョイさんのタクトに導かれ、なんとも歯切れのいい、胸のすくような演奏になった。隣国の音楽祭の御座敷公演でここまでの演奏ができるのだから、本拠地での演奏はさぞかし凄かろうな・・・。 

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