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岡山フィル特別演奏会 シェレンベルガー指揮 [コンサート感想]

岡山シンフォニーホール開館30周年記念 岡山フィルハーモニック管弦楽団特別演奏会

「シェレンベルガーが紡ぐ モーツァルト 至高の世界」


モーツァルト/ディベルティメントニ長調k.136
  〃   /オーボエ協奏曲ハ長調
〜 休 憩 〜
  〃   /交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」

指揮・オーボエ独奏:ハンスイェルク・シェレンベルガー
ゲストコンサートマスター:福田悠一郎
2021年12月5日 岡山シンフォニーホール

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・当初の予定は市民合唱団による第九公演は夏頃に早々に中止が決まった。第九はもう3年ぐらい聴いていないな。

・それで、シェレンベルガーによるオール・モーツァルト・プログラムに変更され、その後、来年3月での首席指揮者退任(桂冠指揮者に就任)が発表され、モーツァルトのオーボエ協奏曲の吹き振りは(恐らく)岡山の聴衆へのギフトだと思われた。もしかするとシェレンベルガーのオーボエを岡山で聴けるラスト・チャンスかも知れず、何としても聴きたいコンサート。


・ところが、11月27日にオミクロン株の水際対策強化のために、11月30日以降、外国人入国の全面禁止が発表。先月から待機期間が3日に短縮されていたので、シェレンベルガーさんの入国が危惧されたが、恐らく10日〜14日取っていたのたろう。彼ほどの音楽家が隔離待機のために2週間も時間を空費させられるのは、大きな損失だが、それを押して岡山に来てくれたことは一生忘れないだろう。12月3日に岡フィルのfaebookにリハーサル開始の様子がアップされ、胸をなでおろす。


・covid19の感染状況が下火とはいえ、対策は続けられている。今回ぐらいの客の入だとロビーはかなりごった返しており、チケット裏面の連絡先記入のために入り口のある3階のイベントホールを開けて対応していた。

・客席は7割ぐらいの入り。屋根かぶり席(1階後方、2階後方)以外はぎっしり入ってはいる。お客さんが戻った、とも言えるが、興行的にはもう少し入ってくれないと赤字だろう。

・編成は1stvn10→2ndvn8→Vc5→Va6→,上手Vc直後にCb3の10型の2管編成。ゲスト・コンサートマスターとして福田悠一郎さん。コロナ禍前は高畑コンマスが乗らない回はほとんど福田さんが担っており、シェレンベルガーさんの信頼も篤い。

・前半は指揮台を置かずに指揮。まあ、シェレンベルガーさんは190cm近い長身なので、この規模の編成だと必要ないのだろうが、指揮棒も持たずに柔らかい指揮だった。

・一曲目のK136は、いつものシェレンベルガーが指揮の構えをしたときの張り詰めた緊張感てはなく、親密に柔らかく始まった。巨大なはずの岡山シンフォニーホールがサロンのような親密な雰囲気の始まり方。岡山フィルの輝ける音色に酔いしれる。シェレンベルガーさんが岡山にも連れてきたカメラータ・ザルツブルクを思わせる純白の天衣無縫のモーツァルト。この曲だけでも岡山フィルとの9年間の果実を存分に堪能させてくれた。

・アーティキュレーションの工夫が随所に見られ、冒頭から「ターー、タラータラー」ではなく「ター、ターラターラ」という感じで新鮮に響く。音尻をシュッと切ったり、通奏低音を強調したと思ったら、ヴァイオリン歌う場面で低音を抑えて高音をフォーカスしたり、さながらシェレンベルガーが楽器を奏でているようだった。

・演奏後のカーテンコールでシェレンベルガーが称えたのは第2ヴァイオリンだった。聴衆から見ると目立たないが、この岡フィルの輝くような音色を作り出す上で重要な役割を担っていたのだろう。晴れ晴れとした表情をされていた。

・2曲目までの場面転換中に、舞台奥と客席(ちょうどコロナ対策で売止にしている前の列)に固定カメラ2台があるのに気づく。岡フィルの記録用なのか?もしくは地元テレビ局の特集番組が組まれるのか?

・2曲目のオーボエ協奏曲。これは岡山の聴衆へのギフトだったと思う。もちろんシェレンベルガーの吹き振り。BPhとの録音を聴くと、この音源よりも今日の演奏のほうがピッチがやや低く(というか、BPhが高いんやな・・・)、眩しくも華やかなBPh時代の音に比べて、なんと心に染み渡る音であることか!73歳とは思えない技巧にも唸った。シェレンさんのObは3年ぶり、この人類の至宝とも言うべき音楽を、ここ岡山では毎年のように聴けたのだな・・・とその幸せを噛み締めながら聴いた。

・岡山フィも濁りのない、澄み渡った響きで応えた、シェレンベルガーのフレージングの変化を仕掛け、それに岡フィルも自然に付けていく。2016年に、シェレンベルガーのソロと日本センチュリー交響楽団の演奏で、この曲を聴いたことがあるが、その時の感想に・・・
『悔しいけれど、岡フィルと演った(2007年)ときよりもソリストとオケの対話量が豊富だった。』
 と書いたことがあったが、今回の演奏はその時のセンチュリー響の演奏にも負けない多彩な表現でシェレンベルガーに応えていたのだ。この岡フィルとシェレンベルガーの蜜月の共演はずっと心に残ると思う。

・アンコール:ブリテン/オヴィディウスによる6つの変容から「パン」だったようだ。ダブルリード楽器なのに幻想的な、まるでパン・フルートのような音に聞き惚れた。


・後半はジュピター交響曲。第1楽章ではシェレンベルガーがニュー・イヤーコンサートで力を入れていたモーツァルトのオペラのように、各楽器パートの歌の掛け合いのようなアプローチで始まった。

・シェレンベルガーはかなり変化させる。その変化は対話よりももっと激しい、喧々囂々の議論のようだ。正直言うと、第1楽章の前半に関してはオーケストラはシェレンベルガーのタクトの変化についていくのに必死な感じで、ごちゃつく場面もあり、濃密な対話、とまでは行かなかった。

・しかし、第1楽章の後半から色々なものが削ぎ落とされると言うか、音が純化し、一体感が出てきた。シェレンベルガーも手元でグッドポーズを連発していた。この感覚、どこかで感じたことがあるなあと思い出してみると、旭堂南陵の講談を聴いた時に体に感じた快感に似ている。まさに立板に水、といった感じでほとんど間を置かずに次々と話が展開していく、あの感じ。

・第2楽章はやや早めのテンポ。第1楽章では、ややソリッドな音を出していたオーケストラが、この楽章に入ると、しっとりとした音に変わる。モーツァルトが作った、神懸かりの美しさ、絶えず漂う寂寥感、陰のある表情、木管陣の音が特に素晴らしい。

・第3楽章は、かなり早いテンポ。中間部のトリオでは、これも独特の間を入れながら対話を楽しむ感じ。やはりこういう場面になると、岡山フィルは慣れない事をやってる感じが出てしまう。

・第4楽章はまさに圧巻。強いアタックで壮大な世界を描いた演奏で、この壮大なジュピターを聴いていると、不意に小学生の時に胸を踊らせながらテレビで見ていた、太陽系を貫くボイジャー2号の映像が浮かんだ。そのぐらい宇宙的というか、スケールの大きい演奏だった。

・聴くものの背筋が伸びるような、幾何学的模様の見事さもありつつ、特にシンコペーションの部分でアクセントを強調することで、音楽に覇気を与えていた。

・第1楽章は提示部の繰り返しがあったが、第4楽章でも実演では僕も初めて聴く繰り返しを忠実に再現。3年前のニューイヤー・コンサートでも採り上げたこの曲を、時間をおかずに再度採り上げた理由が判った。シェレンベルガーにとってこの曲は繰り返しを忠実に再現するのを理想としているのだろう。こうして聴いてみると、こちらの方がこの曲が持つとてつもないエネルギーとスケール感がよく解る。

・岡山フィルも段々無の境地に入っているかのような演奏で、聴く者をジグソーパズルのピースがどんどんハマって行くような快感に誘ってくれた。

・アンコールはモーツァルト/交響曲第29番の第4楽章。これぞシェレンベルガー&岡山フィルだ!!と思わせる。躍動感と切れ味の鋭い見事な演奏。もう5年、もう3年でいいから、シェレンベルガーがディレクションしてくれたら・・・という想いにかられてしまう。彼の頭やハートの中にある音楽が、もっと自然な流れの中で出来るように、岡山フィルがなったら、と。やはり以前のエントリーにも書いたように、シェレンベルガーとモーツァルトやハイドンのシリーズ企画を立ち上げるべきだ。

・カーテンコールの際、シェレンベルガーは岡山フィルの奏者たちと、肘タッチやエアタッチではなく、ガンガン握手していて、ここまで堂々としていると痛快だ。


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