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岡山フィル第67回定期演奏会 Vn:竹澤恭子 指揮:熊倉優 [コンサート感想]

岡山フィルハーモニック管弦楽団第67回定期演奏会

ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲
ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調
〜 休 憩 〜
ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調「英雄」

指揮:熊倉 優
ヴァイオリン独奏:竹澤 恭子
ゲストコンサートマスター:福田悠一郎


2021年3月14日 岡山シンフォニーホール


oka_phil_67th.jpg

 僕は本来、コンチェルトよりシンフォニーの方が好きで、たぶん一般的なコンサートゴーアーの方々よりもソリストに対する期待が淡白な方だと思うのだが、この日のコンサートはやはり竹澤さんのソロの素晴らしさ・凄さに圧倒された。どの瞬間を切り取っても凄かった・・・・。これまで岡山フィルに客演したヴァイオリンのソリストの中でも最も感銘を受けた。

 岡山フィルも「コンチェルトだから少々抑えめに」なんていうことは全く無く、(竹澤さんからも盛んにアイ・コンタクトを取っていたこともあって)並のソリストなら音が埋もれてしまいそうな結構な音量で演奏していた筈だが、そんな50人からなるオーケストラの音から突き抜けてくる竹澤さんのヴァイオリンの輝かしいこと!


 後半のベートーヴェンは、溌剌としていながら、豊かな響きで極上のアンサンブルにまとめ上げていた(特に木管・ホルンが絶品)。熊倉さん、まだ29歳。こりゃ只者ではないですな。若さに任せて強引に行ったり、逆に遠慮を感じさせたりという事がなく、オーケストラと隙のない対話を繰り広げながら、このオケが一番芳醇な音が出せるポイントに流れを導いていく感じ。オーケストラもとても気持ちよさそうに弾いている。

 僕は時々天井を見上げながら、「この豊かな響きはなんなんだろう」と陶然としながら聴いていた。熊倉優という指揮者は、僕の中では「倍音の魔術師」と呼ぶことにする。指揮台でタクトを振るいながら、その耳だけはホールの空間に置いて、全体の響きを調整していく・・・。この10年で感銘を受けた若手指揮者(ヤコブ・フルシャ、クシシュトフ・ウルバンスキなど)と共通するセンスや耳の良さを感じる。

 もっともオーケストラからすれば、「我々がその音を出しているんだよ」と言うだろうし、岡山フィルとシェレンベルガーが8年かけて作り上げてきた音がベースになっているのだが、共演2回目でこれだけの音を引き出すのは、やはり只者ではない。

 ほんとにいいコンサートでした。


 以下、4月15日の追記


 本来であれば、常任指揮者のシェレンベルガーが指揮し、元ベルリン・フィルのハープ奏者のシュースがハープ協奏曲を披露するプログラムだったが、ドイツ本国で再び感染が拡大。日本に生活拠点の無いアーティストの来日は困難になった。代役の指揮者はヨーロッパへの進出が足止め中の熊倉優の再登場、ソリストはなんと竹澤恭子が務めるという・・・聴き手としては全く不足のないプログラム。

 80年代後半から90年代にかけて、五嶋みどり、竹澤恭子、諏訪内晶子らの女性のヴァイオリニストが一気に世界に羽ばたいた。中でも竹澤さんはRCAと契約。コリン・デイヴィス&バイエルン放送交響楽団との共演によるブラームスのコンチェルトを筆頭にメンデルスゾーン、チャイコフスキー、エルガー、バルトーク、プロコフィエフなど膨大な録音を世に出した。メジャーレーベルと契約してこれだけの実績を残している日本人ヴァイオリニストは現在でも稀な存在だろう。その竹澤さんが来るというので、猛烈に楽しみにしていた。

 客席の入りは6割ぐらいか?大都市部での緊急事態宣言中に開催された2月の日本博のコンサートよりは入っているが、まだまだ客足が回復していない印象。この状態が続くと経営的にも厳しくなってくるだろうな。。。

 今回は、舞台上のSD(ソーシャルディスタンス)配置はほぼ解消(木管金管の横の距離は心持ち広いかな)されていて、ひな壇最上段にティンパニが指揮者と正対する配置にようやく戻った。下手から1stVn:10→2ndVn:8→Vc:6→Va:6、上手奥にCb:4の10型2管編成のストコフスキー型配置。

 1曲目のウェーバーはふわっとした入りを志向したものの、ややバラけた感じで始まったが、合奏部分に入ると岡フィルのアンサンブルの良さが感じられ、心の中で「いいぞ!今日の岡フィルもいいっぞ!」と聴き手の期待のボルテージが上がる演奏になった。今日のホルンの客演首席は西日本ダントツの実力を誇る京響のホルンセクションを率いる柿本さんで、弱音の柔らかさやフォルテの時の輝かしい音色はさすがだった。

 2曲目の竹澤さんによるブルッフの1番。これはもう・・・心が震え、脳が解きほぐされていくような感動の演奏だった。
 竹澤さんの音は濃厚で強靭。34人のオーケストラの弦五部を相手にしても突き抜けてくるのだ。竹澤さんの弓さばきをみて驚いたのだが、とても繊細に弓をコントロールしている。大きな音を出すことができるヴァイオリニストは、たいていは深くボウイング(ときに弓を擦りつけるような)で出している人が多いと思うが、竹澤さんはそういう感じが全く無いのが驚きだった。
 素晴らしいのは竹澤さんが岡山フィルとの音楽の対話を心底から楽しんでいることだった。コンマスの福田さんはじめ、各パートに気を配って、どんどん音楽の深い世界に連れて行くような演奏で、岡山フィルの音もさらに艷やかに、濃厚に変化していく。
 第2楽章は、演奏の仕方によっては甘くロマンティックな世界になってしまうが、竹澤さんは心が澄み渡っていくような、磨き抜いた美しい音で表現していく。この曲は同時代のブラームスやチャイコフスキーの協奏曲のように長大な第1楽章を置いておらず、明らかにこの緩徐楽章に重心がある。竹澤さんの演奏もこの楽章に重心を置いた演奏で、繊細な表現の中に濃密な音が流れていく感覚がたまらなかった。私は2階席に座っているからわかるのだが、1階席にはハンカチや手で目を拭う人が何人も居た。岡フィルの弱音で支える伴奏も素晴らしかった。
 第3楽章に入ってオーケストラとの対話がどんどん高揚していく場面で、(僕の気のせいでなければ)竹澤さん自身も感極まる様子だったように見受けられた。同じコンサートを聴いた方のtweetに、竹澤さんが目に涙を浮かべていたという感想もあったので、僕の気のせいでは無かったはず。パリ在住の竹澤さんもコロナ禍の影響は甚大であったはず。クラシック音楽の本場の国々が次々にロックダウンする中で、コンサートが開催できている数少ない国となった母国での活動に賭けるものがあったのかもしれない。
 入国後の2週間隔離というのは、想像以上に大変なことのようで、3月中旬に入国されたソプラノ歌手の森野美咲さんも、その辛さについて言及されている。そういった入国にかかる困難さをおして来てくれた竹澤さんはじめ、海外在住アーティストの方々には感謝しかない。


 岡山フィルも伴奏という範疇を超えて、1人のソリストと50人のオケマンたちが、お互いに心を開いてセッションを展開している、そんな演奏だった。熊倉さんのタクトは目立たないがソリストとオケとの対話を邪魔せずにしなやかにバランスを取ってドライブしていく感じ。
 自分も、もう少し頑張ってみようか、そんな活力が得られる演奏だった。

 アンコールはバッハの無伴奏ソナタ第3番から「ラルゴ」。竹澤さんらしい高潔なバッハだった。

 後半のベートーヴェンの「英雄」この曲は2013年にシェレンベルガーが岡山フィル首席指揮者就任記念演奏会で採り上げた曲。それだけに、あの時からこのオーケストラはどのように変わってきたのかを知る演目と言っていい。
 快速テンポで若々しくエネルギッシュな演奏だが、昨今のピリオド系の演奏のようなザクザクとした弦の刻みやフレーズの最後をスパッと切るようなアプローチはほとんど採用せず、弦の音は艷やかに、フレーズの処理はとても自然。熊倉さんはN響でパーヴォ・ヤルヴィのアシスタントをされていたそうだが、パーヴォがDCFでやっていたようなピリオド系のアプローチではなかったのが意外。でも、こちらのほうが岡山フィルには合っている。

 そして(去年の10月にも思ったのだけれど)熊倉さんは管楽器のアンサンブル、弦と管のバランスのとり方、センスが抜群に良いと感じる。


 第1楽章冒頭のこの部分で、ターンターンと弦と管が同じリズムで和音を奏でる場面の深みのある音に、いきなり背筋がゾワゾワとする感動が来た。「今日の演奏も素晴らしいものになるぞ」とこの瞬間に確信した。

※オーケストラではなくMIDI音声が流れます



 そして、第1楽章のマイナーに転調してからの展開部、複雑な動きをする弦楽器の裏で鳴っている木管金管のタッタッタッタッタッタッターという和音が、トランペットを目立たせず、木管4部を中心にして木質感を醸し出しながら絶妙かつ極上のサウンドに仕上げる。
※オーケストラではなくMIDI音声が流れます



 こんな感じで全曲にわたって響きの質感にこだわった熊倉さんのセンスが光っていた。まだ29歳でよくこういう音が出せるな、と。冒頭にも書いたとおり、ホールの2階席・3階席の最前列あたりに耳を置いて、それを聴いてるんじゃないと・・・。
 そして、この上質なサウンドを奏でる岡フィルの管楽器陣も凄いと思う。

 木管といえば、一つ特筆すべきなのはオーボエの工藤さんの演奏。ベートーヴェンにとってオーボエというのは特別な楽器で、とりわけこの曲には第2楽章や第4楽章をはじめオーボエのソロが本当に多いのだが、どの場面でも素晴らしいソロを聴かせてもらった。そしてソロだけでなくて、管楽器でのアンサンブルも彼女の音が軸になってアンサンブルが作られていて、この演奏をシェレンベルガーが聴いていたら絶賛するのではないかと思う。


 第1楽章は、あっと言う間に過ぎ去っていった印象で、まずは提示部の繰り返しが無かったこと、そしてこの曲の演奏史ににおいて、暗黙の了解や慣例で演奏されてきた「溜め」をほとんど容認せず、畳み掛けるように曲を展開させていったことも大きい(その点では、パーヴォ・ヤルヴィのやり方を研究されたのかもしれない)。

 一つ、物足りなかった点があるとすれば、第2楽章。この交響曲はこの壮大にして劇的な第2楽章の存在感が半端なく大きい。この楽章のアプローチとしては、舞台上の指揮者や奏者が、このドラマティックな世界の主人公と二重写しになるような、いわば憑依型と言えるようなアプローチがある一方で、恣意性を排し再現芸術に徹することで、音楽との一体化を図り最後には「何かが降りてくる感覚」を志向するアプローチがあろうかと思う。熊倉&岡山フィルのこの日の演奏は、どちらかといえば後者に近いが、他の3楽章の鮮やかな印象とは対象的に、この楽章の存在感が希薄だったように感じ、もっと掘り下げた表現、ベートーヴェンはこの楽章で何を描いたのか?が欲しいと思った。とはいえ、中間部でのチェロバスの鳴りっぷりは壮絶なものだったし(まるで床ごと鳴る!といった感じだった)、楽章最後の息も絶え絶えな様子の弦の弱音の表現も良かった。


 第3楽章〜第4楽章は溌剌とした音楽に熱が帯びてくる。特に題4楽章の変奏曲はモチーフが複雑に、パズルを組み上げていくように音楽をしっかりと組み上げていく感じが見事だった。それと第4楽章は印象的な場面で長い休止があるが、オーケストラのアンサンブルが曲が進むにつれてどんどん純化していき、休止の際にホールに響き渡る残響が素晴らしかった。

 勢いに任せる派手な演奏はその時は熱狂するかもしれないが、早くに忘れてしまうものだ。去年の10月のシューベルトの未完成交響曲の音は、今でも思い出せる。今回の演奏も、そんな長く記憶に留めるコンサートになっただろうと思う。

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伊閣蝶

竹澤恭子さんは鈴木メソッドの生んだ世界的なヴァイオリニストですが、そういう奏者がソリストを務める岡山フィルの実力もまた極めて高いところにあるのでしょうね。
また、指揮者の熊倉さんも、29歳という若さで、ヒロノミンさんにこれほどまでの感動を与える響きを作り出すことができるということは正に驚嘆すべきことと思います。
岡山フィルのことはもちろん、岡山シンフォニーホールの響きも十分に熟知し、入念なリハーサルをなさってこられたのでしょう。
COVID-19感染拡大の中、演奏会に足を運ばなくなって久しいのですが(私自身が参加する予定だった演奏会も2回吹っ飛んでしまいました)、こうした演奏が実現されているのであれば、コンサートの未来も十分に期待できるのだなと、改めて感じております。
私もそろそろ重い腰を上げようと思いました。
by 伊閣蝶 (2021-03-18 12:11) 

ヒロノミン

>伊閣蝶さん
 コメントありがとうございます。このコロナ禍の中でコンサートが再開している日本は異例の存在のようですね。都響の実証実験をはじめ関係者の努力には頭が下がります。
 竹澤さんは80年代後半からクラシックを聴きはじめた僕にとっては大スターで、コロナが無ければ聴くことができませんでした。熊倉さんも渡欧の予定が延期になったそうで、そんな中で岡山フィルに2度も来てくださったのは、まさに禍福は糾える縄の如しであると感じます。
 合唱の方も復活できる情勢になれば、その喜びに震えるような演奏になりそうですね。

地元の
by ヒロノミン (2021-03-21 12:10) 

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