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くらしきコンサートの終焉 [岡山]

 このブログでは記事に書けていなかったのだが、音楽プロデューサーで、『くらしきコンサート』の主宰者の大原れい子(本名:犬養麗子)さんが、今年の4月に逝去された。
 私は生粋の岡山県民ではないので、岡山・倉敷の人々の大原一族に対する敬愛、そしてれい子さんに対する思いを根底の部分まで理解出来ていないかも知れないのですが、クラシック音楽ファンの私としては、今が旬の超一流アーティストを招聘して開催され続けた「くらしきコンサート」を運営されていたことに感謝してもし切れない。
 就職活動に失敗して、非正規雇用で採用された会社から転職する際に、関西での就職を諦めて岡山で就職する決断が出来たのも「くらしきコンサートがあるから、年に2,3回は一流の音楽家の演奏が聴ける」ということが大きかったのです。
 岡山の人の大原一族やれい子さんに寄せる思いをよく表されているなぁと感じたブログをリンクさせていただきます。

大原れいこさん(大原総一郎氏の長女)逝去、大原総一郎氏の意外な側面|つぶやき館|ウィブリブログ

 心配だったのは、『くらしきコンサート』がどうなるのか?だったのだが、やはりこの事業はれい子さん個人の能力や人脈に依るところが大きかったこともあって、今年の12月に予定されていた、ヤルヴィ&ドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦楽団が最終公演になることが発表されていました。

くらしきコンサートを愛してくださる皆様へ(くらしきコンサートHP)

 しかし、憎きコロナ禍のため、その最終公演までもが中止になり、盛大なフィナーレを飾れないまま『くらしきコンサート』が終焉することになってしまった。
 この本の『くらしきコンサート 山陽型ノブレス・オブリージュ』の章から抜粋します。
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代表を務める大原れい子氏は番組制作会社テレビマンユニオンのディレクターで、10年にわたり『オーケストラがやってきた』というテレビ番組を手掛けていた。そして、たまたま、倉敷という町の経済と文化を語るに欠かせない大原總一郎の長女でもあった。あえて誤解を恐れずに言えば、この主催団体は音楽愛好家の集まりでもなければ、演奏者の聴衆獲得の拠点でもない。山陽の工業都市に残ったノブレス・オブリージュの麗しき具体例なのだ。
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 もっとも、大原美術館のギャラリーコンサートは、引き続き継続するようなので、倉敷で一流の演奏家を聴く機会が全く無くなってしまうわけではないのですが、倉敷市の行政も文化事業に潤沢な予算を投入する余裕が無くなっている以上、大規模なオーケストラ公演などは激減していくものと思います。
 過去のコンサートの一覧を見てみると、『くらしきコンサート』でなければ、この地方都市で招聘できなかっただろうアーティストが目白押しで、アーティストの中には倉敷の街並みや大原姉弟による歓待に感激して、倉敷に来ることを楽しみにしていた方も多かったようです。
 一聴衆としては、昔はツアープログラムが1冊2〜3000円も取っていた時期でも、ワンコイン500円でくらしきコンサート独自の記事なども収められたプログラムは毎回買っていましたし、ステージ上に飾られていた見事なフラワーアレンジメントを見る楽しみなどもありました。特筆すべきなのは地元の学生を安価な値段でコンサートに招待していた「くらプレ」の事業で、子供の頃に超一流の演奏を聴く機会が与えられた人の中から、松本和将・守屋剛志・福田廉之助などのトッププレイヤーを輩出した功績は、今後も花開き末永く語り継がれることでしょう。
 『くらしきコンサート』の関係者の皆さん、これまで本当にありがとうございました。

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