若手演奏家の情熱 「浄夜を岡山教会で聴く」 守屋剛志ほか [コンサート感想]
若手演奏家の情熱 「浄夜を岡山教会で聴く」
テレマン/4つのヴァイオリンのための協奏曲第1番
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第8番ハ短調
〜 休 憩 〜
シェーンベルク/浄夜
グリーグ/組曲「ホルベアの時代から」
ヴァイオリン:守屋剛志
〃 :仁熊美鈴
〃 :赤迫智奈
〃 :三宅恵
〃 :小西果林
ヴィオラ:影山奏
〃 :島田玲
チェロ:佐古健一
〃:山田健史
コントラバス:河本直樹
2019年10月31日 日本キリスト教団岡山教会
10月はじめにイオンモール岡山で行われたカメラータオカヤマの ライブ演奏の感想で、
『チェロの山田さんや、ヴィオラの景山さんら、東 京に拠点がある方も来られていて、このためだけに帰省されたのだ ろうか?他にもコンサートがあって、僕のリサーチ不足かも。』
と書いたが、やはりそうだった(笑)。今回の出演メンバーは、 カルテット・ベルリン= トウキョウの第一ヴァイオリン奏者の守屋剛志さんを迎え、 カメラータオカヤマ(岡山城東高校卒業生の室内アンサンブル) のメンバーが中心になっていた。おそらくそのプローベなどのための帰省だったのだろう。
プログラムも演奏内容も、凄い・・・の一言のコンサートだった。聴く前は、メンバーの実力は守屋さんと他のメンバーでかなり差があると思っ ていたし、たしかに浄夜やショスタコの8番での弱音部での表現の深みに、 差を感じる場面はあったが、 それ以外の音楽の中身の部分では物足りなさを感じるところは全く無く、 守屋さんもQBTで見せるような極限のパフォーマンスを見せてく れた。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏の8番は、 中学時代にショスタコーヴィチの交響曲、 特に10番にあまっていたことを音楽の先生(クラシック愛好家が周囲に居なかった自分の貴重な話し相手になってくださっていた)に言ったときに薦めてく れた曲だ。しかし、中学の時はこの曲に全く馴染めなかった( というか、室内楽の良さ自体がわからなかった)。 大学時代に卒論を書くにあたって、 ロシア人の先生からソ連共産主義化下の話を取材した時にショスタ コーヴィチの話が出て、その大学3年の時にじっくり聴くようになった曲。
なるほど10番交響曲で使われるモチーフが随所に出てきて、 特にショスタコーヴィチのイニシャルD・Es・C・H= 自らを表すモチーフが頭にこびり付いて離れないような 、深い印象を刻み込まれる。
交響曲第10番はヤケクソ気味の乱痴気騒ぎで終わるが、 この弦四8番は息絶えるようにして終わる。
今回の演奏は、 平和で豊かで民主的な国に住んでいると、 決して経験することにない、狂気が支配する冷たい世界を眼前に見 せられた感じ。守屋さんのソロの場面もすごかったが、何かに憑依されたような守屋さんの思い入れが他のメンバーにも感染したかのような濃密で濃厚なアンサンブルを聴かせてくれた。ショスタコーヴィチ特有の痙攣的とも言える表現、特に弱音・ 無音から強奏する場面ではストロボが光って、視界が一時真っ白になような強烈なパンチを繰り出していた。
QBTのコンサートでも思うのだけれど、 守屋さんは内観的というか、人間の内面に深く沈んでいく世界、 そういう音楽を表現することに使命を感じているように思える。今年の2月に、同じ会場で演奏されたQBTとのシューベルトの弦四15番も、「死」という日常の世界の壁の向こう側を見せてくれたし、シューベルトの死と乙女、ベートーヴェンの大フーガなど、守屋さんが関わった演奏は「死」や「苦悩」とそれを飛び越える人間の根源的な力、あるいは越えられないときの魂の救済、それを説得力のある表現が聴かせてくれる。
浄夜は「背徳」と、これも「救済」の音楽。楽曲の内容的に、これがカソリック教会の礼拝堂の十字架を背にして演奏されるというギャップが凄い。だからタイトルが「岡山教会で浄夜を聴く」というアンビバレントな要素を強調していたのか(鑑賞中に気づいた)。守屋さんのヴァイオリンはやはり圧倒的だったが、他のメンバーもよく弾き込まれていて、これを恐らく岡山シンフォニーホールで演奏しても不足なく鳴らしきったであろうと思われるほどの重厚で濃厚、かつ瞬間の色彩・肌触りの変化が見事で美しくもあり、心も体も揺さぶられた。
ショスタコーヴィチも浄夜も、最後の一音が鳴ったあとの静寂が素晴らしいかった。情熱を持ったいい演奏家と、いい聴き手が宗教空間の中で清絶な時間を持てたことは僥倖だったと思う。
最後はホルベルグ組曲。プレトークで「ショスタコーヴィチ、浄夜の後は、グリーグでちゃんと楽しい音楽に帰ってきますので」と仰っていたが、愉悦に満ちた時間となった。しかし、決して軽い演奏ではなく、前のめり、と言っていいほどの活気にあふれる演奏だった。どこから聴いても北欧の空気を感じさせる弦の音、ピチカートが冷涼な空気に華を添える。
これほど幸福そうに、時間がすぎるのを惜しそうに演奏者たちの演奏を見る・聴くと、こちらも切なくなってくる。アイコンタクトで仕掛け合いながらその場でしか生まれ得ない音楽を、聴衆も存分に堪能した。
音は一瞬で消え、ここに集った人々も、日常に戻っていく。そんな当たり前と思っていたことがかけがえの時間なのだとしみじみと感じられる、そんなコンサートだった。
アンケートに「演奏して欲しい作品」というのがあったが、このホルベルグ組曲を聴いて、ぜひシベリウスの「恋人」(op.14)をお願いしたい。ちょっと曲調は違うが、キラルの「オラヴァ」も凄い演奏になりそう(ちょっと人数が足りないか?)。
「2019年10月31日 日本キリスト教団岡山協会」
"協会"?...."教会"だと思いますが....
by サンフランシスコ人 (2019-11-08 02:12)
>サンフランシスコ人さん
ご指摘ありがとうございます。修正しました!
by ヒロノミン (2019-11-10 13:02)
「これがカソリック教会の礼拝堂の十字架を背にして演奏されるというギャップが凄い...」
http://ww3.tiki.ne.jp/~okchurch/worship/worship.html
日本キリスト教団岡山教会......."カソリック教会"ではないと思いますが....カソリック教会で"礼拝"は"ミサ"?
by サンフランシスコ人 (2019-11-11 03:51)
>サンフランシスコ人さん
ご教示ありがとうございます。修正しました。
by ヒロノミン (2019-11-11 19:45)