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岡山の路面電車 岡山駅乗り入れ賛成表明エントリー(その3) [岡山]

(前回からの続きです)
 前2つの記事が、普段のアクセス数の2倍になっていて、この問題に対する岡山市民の関心の高さを実感しています。 
 『市街地が死ぬと都市の文化が死ぬ』というお話の前に、ちょっと前振りの雑談です。

 岡山シンフォニーホールのコンサートで、素晴らしい演奏に出会ったとき、なんとなく立ち去りがたい余韻を残すことがある。
 そんな時、例えば商店街の中の喫茶店に行って余韻をかみしめる時間を過ごしたり、あるいはCDショップのアルテゾーロ・クラシカで店長と話をしたりしながら、せっかくの「非日常」「ハレ」の体験の余韻が体にゆっくりとしみこんでいくのを愉しむ時間を持ちます。
 これが、例えば車で郊外に立地するホールでの出来事だったとしたら、どうだろう?ショッピングモールのドトールやスタバで余韻を楽しむ?それとも車で行けるロードサイドの喫茶店を探す?どれも私にはしっくり来なくて、結局は車で自宅まで一直線に帰らざるを得なくなる。
 あるいは、自家用車をコインパーキングに置いて来ていたとしたら、どうだろう? 20分単位で上昇する駐車料金が気になって余韻を楽しむよりも、さっさと家に帰ることを優先するかもしれない(だから私はホールや繁華街に自転車で行けるところに家を買ったわけですが)。
 
 市街地にあって郊外に無い物。それは「無駄なもの」であり文化なんです。 
 結局のところ、郊外のショッピングモールなどは必要を満たしてくれるだけで、そこに豊かな文化的土壌は生まれない、郊外だけじゃなく、岡山市街地のど真ん中にイオンモール岡山が立地して1年経過しましたが、モール経営者の狙ったとおりに買い物をして、狙ったとおりに、未来スクエアのイベントを見て、狙ったとおりに10店舗以上はあるカフェの中から選んで一息つく。
 でも、そこには「逸脱する何か」が全くない。逸脱する何か、それが文化的土壌になるのだとしたら、そうした一種の『無駄なもの』『余剰なもの』が入り込む余地のある市街地が死んだら岡山という都市文化は死を迎える、ということだと思います。
 ここ3年でもこんな経験がありました。県立美術館やオリエント美術館などがある天神町は僕の好きなエリアで、特に用が無くてもぶらぶらと散策していることが多いんですが、3年前にひょんなことで知り合いになった人が演劇をやっていて、天神町のある場所で劇団の練習をしたりワークショップを開いたり、ということを教えてもらいました。
 でも、何度聞いても具体的な場所が分からない、その建物は「上之町会館」というんですが、「そんな場所、あったっけな~?」と、どうしても思い浮かばない。
 次に天神町に行ったときに、探してみると、確かにありました。
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 オリエント美術館の真裏に、お稲荷さんへの入り口があります。ここの存在は知っていました。
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 中に入ってみると、意外に立派な祠があります。まさにそのお稲荷さんへの参道に面して建っている、かなり年季の入ったビル。
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これが、上之町会館でした。
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 甚五郎稲荷から見た上之町会館。いやあ、こんなところにこんな場所があるとは思いもせなんだ。ビルには靴やアクセサリーの工房や、くだんの演劇などが練習できるホール(そんなに広くはなさそうですが)骨董品店などが入っています。カレーの美味しいカフェなんかもありましたが、残念ながら閉店してしまいました。
 これまで何百回と訪れていた落ち着いた雰囲気の街区の真ん中の小さな森に埋もれるように。「上之町会館」という場所は存在しました。岡山に20年住んでいても、まだまだ知らない所があって、僕の知らないところでクリエイターや芸術家たちが創作にいそしんでいる・・・かも知れない。

 
 岡山の市街地がかつてのように人がもっと集まって来るようになれば、こういう知る人ぞ知るわくわくするような場所がどんどん増えて行くと思います。
 そのためにも、路面電車の駅前乗り入れを端緒に、公共交通を充実させることで、利便性だけではなく都市文化を陰で支えるインフラになって欲しい。

 11月に広響を聴きに広島に行ったとき、路面電車で色々な場所へ行ったわけですが、中心街の区間は「銀山町」「八丁堀」「立町」「紙屋町東」という風に、2~3ぐらいの街区ごとに停留所がある。電車も1分おきぐらいに走って来る。金曜日ということもあって買い物袋を提げたおばさまたちが、ひょいっと乗ってさっと降りて別の目的地に行くんですね。大阪のように地下鉄の街だとこうはいかない。道路から階段&エスカレーターを使って2分ぐらいかけてホームへ降りたり昇ったり・・・駅間距離が長いので目的地が駅の間だと、10分は歩くことになる。
 それから言うと、路面電車の街と地下鉄の街、どっちが便利かというと、僕は前者だと思いますね。幸いにして岡山には100年を超える歴史ある路面電車がある。
 1回目のエントリーでも述べたように、もし岡山が街の中心の人の往来がじり貧状態のまま放置され、それに加えてオーケストラをはじめ一流の芸術文化に触れる機会も減り、繁華街の活力も低下したとすると・・・
 
 僕はおそらく老後を岡山で過ごすことは無いと思う。
 今、東京圏からの移住者が全国一ということで注目されている岡山ですが、交通がこのままだと早晩「車が無いと生活できない」という烙印が押されて、移住者の需要は神戸や広島や福岡あたりに収れんされていでしょうね。
 「車が無いと生活できない」ことが当たり前の、生まれも育ちも生粋の岡山人の方には、この感覚はわかりにくいかもしれない(私の家人もそうです)。都市生活者にとっては、公共交通でどこへでも行けるということが自由の象徴であり、そのターミナルに展開される様々な街の文化が大好物なんです。
  
 岡山もここ10年でだいぶ「面白い街」になって来てるとは思いますけれど。これに加えて『車が無くても生活できる街』になったら最強ですよ。だって、車って本当に維持費がバカにならないでしょ?たとえ軽自動車であっても。なんだかんだと平均して年に30万年ぐらいはかかる。老後の年金生活者でも、そのお金があったらもっと文化的な事にお金をつぎ込めるわけです。

 議論が散乱しちゃいましたが、『路面電車を生かした街づくり』に賛成するとともに、大森市長の決断を期待します。私自身もウェブ空間だけでなく、まずは周囲の人々から機運を盛り上げていきたいと思っています。

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伊閣蝶

明けましておめでとうございます。
念頭のご挨拶が遅れてしまい申し訳ありませんでしたが、何卒、本年も宜しくご愛顧のほど、心よりお願い申し上げます。
ところで、路面電車の岡山駅乗り入れのこと。
記事を拝見し、私も全面的に賛同致します。
私は現在横浜に在住し、都心に通勤しておりますが、鉄道による幹線が整備されていることの重要性を痛感しております。
地方の県庁所在市で二度ほど兼務した経験がありますが、その点ではいずれも誠に貧弱なものでした。
記事を拝見すると、岡山の道路渋滞は相当に酷いように感ぜられます。
バス網が整備されようとも、道路渋滞があったのではとても時間を計算しての移動はおぼつきません。
約束の時間に遅れないように早めに出かけるといった「無駄な」コストを生じさせ、経済活動に影響があることでしょう。
今後の岡山市の発展のためにも、是非とも行政当局の懸命な判断をまちたいものです。
by 伊閣蝶 (2016-01-06 09:41) 

ヒロノミンV

>伊閣蝶さん
 明けましておめでとうございます。こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。
 伊閣蝶さんのように、東京に本拠を置く企業で長年勤められて、全国各地を飛び回っておられるビジネスマンの方の意見が、一番正鵠を得ていると思います。
 地方創生(個人的には、この言葉、好きではないんですが。地方都市が経済的に自立しないと国が立ち行かなくなるのは間違いないところです)が叫ばれるこの時代に、東京からどこかに本社機能や研究などのインテリジェンス部門を移転するにあたり、本当に伊閣蝶さんの仰る通り、岡山の現状の交通インフラではそれらを呼び込むことも覚束ないと思います。
 岡山では一代前の市長からコンベンション都市を目指していますが、 イベントやサービス産業も、市街地内部の回遊性や大量輸送インフラが無いと、誘致もままならない。
 岡山の一種、のんびりした空気もこの土地の魅力でもありますが、東京や関西圏では、人が者が行き交い、一分一秒を惜しんで経済活動が効率的に行われている事実を、肌で感じて危機意識を持つ必要があります。
 幸い、昨年度は反対派優勢に見えた地元世論が、年頭の岡山市長の決意表明や経済からの意見もあって、前に進みそうな機運が再び高まりつつあるのは心強いところです。
by ヒロノミンV (2016-01-07 18:59) 

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