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カジモトの創設者 梶本尚靖氏の自伝 [読書(音楽本)]

 たいへん興味深い内容の本でしたね。

 梶本音楽事務所の創設者、梶本尚靖氏の自伝です。図書館で借りました。

音と人と 回想の五十年―音楽家、聴衆と共に歩んだ道

音と人と 回想の五十年―音楽家、聴衆と共に歩んだ道

  • 作者: 梶本 尚靖
  • 出版社/メーカー: 梶本音楽事務所
  • 発売日: 2001/07
  • メディア: 単行本

 元々、大阪の出身という事で、大阪からその歩みが始まります。朝比奈御大の歴史にいつも必ず出てくる、野口幸助氏が当時は音楽事務所を経営しており、そこへ新入社員として飛び込んだ。その後、野口氏から事務所を受け継ぎ、東京へ進出、やがて世界のアーティストを相手に、仕事を展開していく。

 ほかにも、神原音楽事務所創設者の神原世詩朗氏との出会いなど、今から見るとクラシック音楽界の一線級の方々との運命的な出会いが描かれる。それだけクラシック音楽の興行、マジメントの世界が、まだまだ成長途上にあったという事なのだろう。

 昭和30年代には、庶民(労働者)のための組織的な運動(大阪労音)が隆盛を極め、クラシック音楽人口五万人と言われたそうだ。事実、1プログラムで16日連続公演すべて満員御礼という超弩級の興行が行われ、娯楽が少なかった時代とはいえ、その隆盛は今日と比べても空前絶後と思う。

この辺の『労音』関係の歴史は、wikipediaに載っている

 なんと甲子園で3楽団(関西交響楽団、近衛管弦楽団、東京交響楽団)そろい踏みの青空コンサートなども開催され、二万人の動員があったそうな・・・
 大フィル桂冠指揮者(前音楽監督)の大植さんが、大阪城の星空コンサートを始めたのも、『朝比奈隆の魂を受け継ぐ』歴史の大きな流れの上にあったのかもしれない。

 印象的だったのは、梶本氏が海外アーティストの招聘と同時に、日本人音楽家の『逆輸入』にこだわったこと。小澤征爾指揮サンフランシスコ交響楽団を皮切りに、同氏とボストン響、あるいは若杉弘指揮ケルン放送交響楽団など、海外で活躍する指揮者と、その手兵のオーケストラを招聘。クラシック・ファンという閉じられた趣味道楽の世界に留まらず、(少々大袈裟に言うと)日本国民全体の士気高揚に貢献し、日本の経済・文化の発展の原動力の一つとして機能していたとも言えそう。


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梶本尚晴氏、
そろそろ旅立ちとのことです
お疲れさまでした


by お名前(必須) (2016-04-28 00:02) 

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