ボクの音楽武者修行 小澤征爾 著 新潮文庫 [読書(音楽本)]
中学生の頃に、一度読んだ事がありましたが、今読んでみると全く新しい本を読んだような、新鮮な感動がありました。
最初に読んだ時は、スクーター1台でヨーロッパの音楽家に殴り込みをかけて、見事にスター街道を駆けあがった武勇伝のような物語という感想しか持っておりませんでした。
この歳になってもう一度読んでみると、こんなに繊細で感受性豊かな若者が、喰いつめそうになったり、ホームシックになったり(今でいうところの抑うつ状態ですよね・・・)しながら、色々な人との出会いや現地の文化に触れながら、音楽の世界で才能を開花させていく・・・、この本で描かれるオザワ青年は、本当に普通の若者なんですよね。
夢が大きいがために、一歩を踏み出す勇気を持てた事、胸には納まりきれないほどの音楽への情熱、そして本場の文化の刺激に触れて開花する事を待っていたオザワ青年の中の才能・・・。
今では各界の重鎮となっておられる方々が、切ないような青春の真っただ中に居る若者の群像の中に描かれています。江戸京子さんとか、数学者の弘中平祐さん(一介の変わった数学者・・・として登場する)、イサムノグチ氏などなど。
それから、もう一つの読みどころは、この小説が書かれていた昭和37年の日本のクラシック界の雰囲気が良く解る事。
ヨーロッパではこれほどまでに有名なコンクール(ブザンソン国際指揮者コンクールのこと)なのに、日本ではまったく知られていない。会場に外国の記者はいっぱいいたが、日本の記者は一人もいない(・・・中略・・・)日本のような小国は今後音楽や美術で外国に対抗しなければならないはずなのに・・・・。
(P70)
ドイツ人はしあわわせだ。こんなに年中(コンサートを)やっていても、結構客が入っている。どこからこんなに人が集まってくるかとおもうほどだよ。若い人たちばかりでなく老人の姿も目に付く。それにくらべて日本の音楽会では老人が余り目につかない。 (P73)
ここ(タングルウッド)とクーセヴィツキーとはあらゆる意味で離す事が出来ず、音楽に関係あるものでは、クーセヴィツキー賞があり、クーセヴィツキーの教会まである。日本で言えば東郷神社とか野木神社とかいうものではないか。しかし日本には芸術家の名を冠した神社どころか、パリのように街路さえもない。芸術家を遇する事のいかに貧しいことか。 (P136)
今の時代にクラシックを楽しんでいる僕たちが目にするのは、国際指揮者コンクールで毎回のように日本人が優勝し、マスコミが大挙して現地に押し掛けている様子や、コンサートに行けば熟年・老年のファンで溢れており、東京や京阪神では世界有数のオーケストラを聴く事が出来る。そしてサイトウキネンオーケストラがあり、タケミツメモリアルというホールがある。
それもこれも小澤さん道を切り開いてきたおかげなのだと、今更ながらに思う。オザワ青年の日本を憂う思いを読む時、『日本はここまで来たんだ、あなたのおかげです』と心を熱くせずにはおられない。
以前,コメントをいただいた者です。その節はありがとうございました。
この本は私もはるか昔に買っているのですが,恥ずかしながらずっとツンドクのままでした。
日焼けしてページが茶色になっているかも。
ヒロノミンVさんのこのエントリーを読んで,ちゃんと読んでみようかと思わされました。
少しは勉強しないといけませんね。
by funafuna (2012-11-04 00:16)
>funafunaさん
コメントありがとうございます!ブログはいつも興味深く拝見しております。
この小澤さんの本、今だからこそ楽しく読む事が出来る情報がたくさんあるように思います。
僕もツンドクの本が山のように・・・・。一冊づつ読んでいきたいと思います。
by ヒロノミンV (2012-11-04 00:30)